提督×大井7-497


――提督――

「提督、まだかかりそうですか?」

「執務は一旦やめた」

「……何見てるんですか」

「家具のカタログ」

「仕事してください」

「家具がなければ戦はできぬと言うだろう」

「言いませんよ」

「ところでこいつを見てくれ、これなんか寒い執務室にはよくないか」

「聞いてください」

大井は呆れた様子をそのままにこちらまで寄ってきて、自分の手にある冊子を覗き込んできた。
なんだかんだ言ってこっちの駄々にも大分付き合うようになったな。

「……『早く出しすぎた炬燵』?」

「ああ」

販売が始まった時期が時期なので商品名は分かるが、今やもう年末だ。
にも関わらず商品名が変わらないところは是非ともツッコミを入れたい。
大井はフローリング一面の執務室の中、
部屋の隅で四角く区切られている石の床、正確にはそこに鎮座する家具に目をやった。

「……あのダルマストーブは?」

「あれは置物だ」

見た目は風情があっていい。
亜炭や薪を使うストーブは空間を暖める性能としても抜群だが、炬燵に入って温もりを得るのもそれに劣らない。
しかし、コンセントにプラグを刺すだけの家電である炬燵と利便性で見比べてしまうと、言うまでもなく炬燵に軍配が上がるのだ。
大井としても暖を得られるのだから反対する理由はあるまい。
暇そうにカタログをぼんやりと眺める大井を尻目に、早速備え付けの電話機で炬燵と床の貼り替えを頼んだ。

……………………
…………
……

あれから数日が経ち、朝になって寄越してきた家具屋の連絡では、これから執務室を数時間占拠するという。
上も必ず遂行しなければならない任務はそんなに寄越してこないので……。

「本日、艦隊の出撃、演習、遠征は無しとする。繰り返す。……」

目の前のマイクに機械的に喋りかける。

「総員、休むなり自由にするといい。以上」

そう締め括り、内線を切断した。
アナウンスしている間も大井は秘書らしく自分より一歩下がったところでじっとしていた。
時刻はほぼマルキュウマルマル。
執務室が数時間使えなくなるのでは執務する気が起きないので、このような判断を取った。
ちなみに機密書類等は全て資料室に移して施錠してあるので問題ない。
しかし連絡は当日の朝ではなく前日に欲しかった。
普段通りに起床して軍服に着替えるなどの身支度が無駄になってしまったではないか。
事前に分かっていれば今日は昼前まで寝ていたというのに。

「ダメです。早起きは三文の得ですよ」

そして釘を刺すこの真面目系部下。
軽い気持ちで寝過ごしたかったとぼやいただけで少し目元をキツくさせている。
まあ心配するな。一度目が覚めた後ではもう寝る気は起きない。
今となっては、その諺にも賛同できる理由があるからだ。

「一緒に出かけないか」

予想だにしなかったというように二つほど瞬きをしてから口を開く。

「……私と、ですか?」

「そうだ」

せっかくの休日だし、起きたなら起きたで有意義に過ごさないとな。
どちらかといえば出不精の自分がこうして人を外出に誘うのは、自分で言うのもなんだが珍しいことだ。

「…………」

大井は黙りこくった。
何か迷っていることでもあるのだろうか。
それにしても、考えに耽って口許に手を小さく添える大井の姿からは
可愛らしさと淑やかさの二つを感じ、これを見ているだけでも大分頬が綻ぶ。
しかしこちらに目を合わせにっこり笑って踊るように出した答えは、弾みかけていた自分の心を絶望のどん底に叩き落としたのだ。

「嫌です」

「えっ……?」

漫画等ならばこれくらい明るい調子の台詞の語尾に音符の記号が添えられているのだろう。いや普段読まない漫画の話はどうでもいい。
何故拒絶する? 他に外せない用事があるなら仕方がない。
しかし嫌などと言われる理由が分からない。
私と出かけるのがそんなに嫌か? もう愛想を尽かされたのか? 何故。
頭で考えを巡らせても心当たりがない。疑問符が解消されずに残る。
心臓がきゅっと締め付けられるような感覚を覚えた。手が痺れるような感覚を覚えた。
開いた唇が塞がらない。返す言葉が浮かばない。

「……嘘ですよ」

「え」

先よりも力のない声が出た。
……嘘?

「……あ、あぁ……、嘘ね……、洒落にならんなぁ……」

そもそも嫌いだと言われたわけでもないのに苦しくなった胸に手を当てて落ち着かせる。
はは、と軽く笑って誤魔化そうとしたが渇いた声にしかならなかった。
大井は後悔した念を少し顔に浮かべてから静かに抱きついてきた。

「……ごめんなさい。少しおいたが過ぎました」

「ああ、全くだよ……で、付き合ってくれるのかな」

「……はい」

抱きつくのをやめて一歩下がり、今一度顔を合わせて幾分か明るく答えてくれた。
短い返事だが、これを聞くだけでも気分は大分持ち直した。

「よし、じゃあ私服に着替えよう。お前も好きに着替えてくるといい」

「そうしますね」

へそが見える裾の短い普段の装甲は嫌だろう。まして今は冬の真っ只中だ。
無論あれは自分の趣味じゃない。感想としては悪くないが……ってそんなことはどうでもいいな。
こんな時まで軽く礼をしてから執務室扉を閉める大井を苦笑して見送った。
それから、いざという時のために職場に持ち込んだ幾つかの私服を選ぶために、寝室に戻ることにした。

……………………
…………
……

――大井――

絶対に音を立てないよう、閉めた扉に背を預けてしゃがみ込む。
やってしまった。
近頃よく素の表情を見せてくれる提督が面白く、たまにこうして意地悪をする。
提督も本気で嫌がっている様子を見せなかったのでさっきもやってみたが、実行したあとで後悔した。
提督の反応がいつもと明らかに違ったからだ。
嘘と言えども言っていいこととそうでないことがある。
軽巡の軽は軽率の軽ではない。まず今の私は軽巡ではないけれど、軽い気持ちで提督を悲しませてしまった。
提督のあの、全てを失ったような、生気を失ったような顔は見ている私まで苦しくなってくる。
しかしいつまでも後悔している場合ではない。
提督から誘ってくれたのだから、くよくよしてないで精一杯応えてあげないといけない。
何より私も楽しみたい。
そっと立ち上がって自分の部屋へ歩き始めたが、数歩で懸念事項に思い当たる。

「私服、あったかしら……?」

……………………
…………
……

結論から言うとなかった。
自分の部屋を漁っても出てきたのは、軽巡だった頃に使っていた緑を基調とした服。
そして今使っているクリーム色と深緑の、何故か裾が短い服。
その二種類が三着ずつ出てきただけ。
いずれも支給品だ。私服なんてものはなかった。
思えば編成に入らない休みのときに北上さんと行動を共にするときも、特に着替えるようなことはしていなかった。

「どうしよう……」

急に私服と言われても出てこないので、この二種類から選ぶしかない。
へそ出しの比較的派手な方も嫌いではないが、へそを出して街を歩く一般人はまずいないだろう。
別にこのようなファッションを広めたいわけでもないのに流行の最先端に立ちたくはない。
何より、恐らく目立たなくするために提督は私服に着替えると言ったのだ。
艦娘もあまり目立っていいものではないだろう。
このような幾つもの理由を踏まえて、私は地味な方に再び袖を通した。スカートも黒と見間違える深緑の物に履き替える。
クリーム色の服と違い、裾は並にある代わりに袖が短い仕様のこれを着るのは何ヶ月ぶりだろう。
この部屋を使う私も北上さんもお洒落に気を遣うタイプではないので、姿見という贅沢なものはない。
でも今までそんなものなしでやってきて、提督からも身だしなみで指摘されるようなことはなかったからきっと大丈夫。
部屋の隅に置いてある艤装をちらと見やってから、処女航海の時と似たような緊張混じりの高揚感を胸に部屋を出た。
廊下を歩くと、何人か同僚とすれ違う。
あまり話をしない人は好奇の目を私に向けるだけだが、それなりに関わる機会が多い相手の場合その限りではない。

「……あら?」

私と同じく第一艦隊に所属する、空母赤城さんが足を止めた。
ついさっきのアナウンスが流れるまでに出撃準備を整えていたのか、弓など空母に必要な艤装を携えている。

「大井さん……よね? 前からいる……」

……ああ、そうか。
一瞬何を言っているのか理解が及ばなかったが、建造等で被った別の私ではないかと迷ったのだろう。
私の格好が以前のものだし、容姿は別個体も一切の違いがないので見分けがつかなくても仕方がない。

「そうですよ」

この人はお喋りが好きというか好奇心が旺盛というか、お姉さんなのに子供のような人だ。
それが赤城さんという人の魅力であり個性だ。無論悪い意味ではない。
だから服装が変わっただけの私に声をかけてきたのだろう。

「今日は出撃ないのよね? 何かあったの?」

そういえばそれについての詳細までは、提督はアナウンスしていない。
しかし提督のやり方に異論はなかったから、あの時も後ろで見ているだけで何も言わなかった。
告知とは重要な情報だけを確実に伝えることが大切だからだ。
私は、さして重要ではない詳細の旨を赤城さんに伝えた。
最初少し真剣だった赤城さんの顔が苦笑に崩れた。

「執務室の改装……って、完全に私情ね」

「そうでしょう?」

「でも大井さんは良かったんじゃないの? 炬燵が使えて」

「執務室以外にも暖房はあるじゃないですか」

「まぁねぇ……。ところで、何故今になってその服を?」

あーやっぱりそれ聞かれちゃうんですか。
というか最初からそれを聞くつもりでいたのかも。

「……気分転換ですよ」

「ふーん……?」

気恥ずかしさを隠し、極めて冷静に返したが赤城さんは納得してはくれなかった。
少し背丈の低い私に合わせて屈み、じっと顔を見つめてくる。
こんなことが前にもあったような気がする。
その時の教訓を胸に、私は目を逸らさずに見つめ返した。
光らせるような真剣な目をする赤城さんは一体何を考えているんだろう。

「……デート」

「!?」

私は勘のいい占い師に秘密を当てられたような驚愕をした。
相方の加賀さんはイメージ通りの鋭い人だが、この人も大概だったらしい。
普段と違うところは服装だけのはずが、そうピシャリと当てられては……。

「……僅かだけど、いつもよりお化粧に気合が入ってるわね」

本格的に占いじみてきた。
銀座のママに倣って横須賀のママとでも名乗ってはどうだろう。
確かに今日の化粧にかけた時間はいつもより二割増しだ。
無意識に私の片足が後ずさった。
赤城さんはニヤッとした笑みを浮かべ、さながら核心を突き止めた探偵のように顎に手を添える。

「まず大井さんってもう提督と付き合――」

「失礼しましたっ!!」

勢いに任せて頭を下げ、赤城さんの横を通り過ぎる形でその場から逃走を図った。
別に追いかけてくるわけでもないのに私の足は小走りをやめようとしない。
心臓がバクバクする。
ああもう。
ただ外出するだけで、面倒臭い。



「……赤城さん? どうしたの、そんなところで」

「あ、加賀さん、あのね……」

……………………
…………
……




――提督――

ノックされた扉に返事をやり、姿を現した大井の姿を見て驚愕した。
大井の格好は昔懐かしい軽巡の頃のそれではないか。

「……お前、私服持ってないのか?」

「必要だと思わなかったので」

なんということだ。
これくらいの年――実年齢は知らないが――の少女、見なりを気にするはずなのに、大井の姿からその様子は伺えない。
ひたすらに艦娘として練度を高めるため来る日も来る日も演習や出撃をさせていたが、愛の注ぎ方を自分は間違えていたのかもしれない。
洒落する暇を作ってやれなかったことを反省しよう。
任務を減らすのではない。自分が手伝ってやればいいのだ。
財布を取り出して中身を確認し、閉じる。

「……ようし。ならばまずお前の私服を買ってやろう」

「えっ」

「この辺は偶に出歩いているから私に任せろ!」

高揚してきた気分が自分に胸を張らせた。
今日は鎮守府の提督ではないから羽目を外しても何ら問題はない。

「ちょっ提督、私は要るとは」

「まあ一着くらい いいじゃないか。私の我が儘も偶には聞いてくれよ」

「要らないって言ってるんですが」

「金は私が持つし、選ぶのも私だ。大井は何も心配いらない」

「……提督が選ぶんですかあ? センスないもの選ばないで下さいね」

なんだかんだ言って買うなとは言ってこないんだな。
自分だって並みにセンスはあるのだ。ないとは言わせてやらない。
大井の不安がる様子を表した、冬の倉庫で無造作に積まれているボーキサイトのように冷ややかな眼差しも、
普段以上の調子の良さをもって凪いだ。
とにかく、顔も痛くなるほど冷たい風が吹く今の季節に半袖は頂けない。
いつも臍だしの服で出撃させているじゃないかというツッコミは控えてくれ。
あの格好は工廠がさせているのだ。
一言添えてから寝室に戻り、予備の上着を持ち出す。
上着は自分が着ているのと合わせて二着しかないが、黒にブラウンと、どちらも落ち着いた色なので問題はない。

「外は寒いからこれを着なさい」

「……提督の服は地味な物ばかりね」

地味と言うな。
四六時中真っ白な軍服を着ていると嫌でも明るい物を避けるようになるのだ。
背中から上着を羽織らせてやると、肩幅は自分のほうが広いのが改めて認識できる。
肩パッドでも入れたほうがよさげな程度には上着の大きさが合っていない。
手が半分ほどしか出ていない長い袖を見つめる大井にボタンを留めさせる。
サイズは合わなくても寒さは凌げるだろう。膝まで隠すほど長い裾は好都合だ。
自分よりも体温の低い大井の小さな手を引いて共に執務室を後にしていく。

「あっ……、もう……」

「何か言ったかー?」

「なんでもありませんっ」

……………………
…………
……

艦娘一人だけを私服姿の提督が連れ出す光景はさぞ珍しかっただろう。
明らかに狼狽えていた門番に軽く渇を入れ、家具屋が来たら通すように伝えてから鎮守府を離れていく。
まあこんな形で出かけるのも初めてだから驚くのも無理はないかもしれない。
敷地内での他の艦娘からの視線さえも多かったからな。
歩幅の大きくない大井に合わせて歩きつつ、両手を擦り合わせる。
両手で皿を作り、歯は閉じたまま、しーと息を吸い、はーと皿に吐息を当てる。
それでも暖は得られない。防寒用の手袋は持っていなかったからついでに買っておこうか。
不意に皿の片手に白い手が重ねられた。きゅ、と握られ自分の手が下ろされる。
横を見てみると、前方を向いて目を合わせようとしない一見平然とした大井。

「…………」

だがな大井、私には分かるぞ。緊張を隠そうとしていることくらいな。
そんなにぱちぱち瞬きが必要なほど大気は乾燥していないだろ。
それから平静時よりも顔の血色が良くなっていないか。
しかし自分も何も言わず、歪みそうになる顔の筋肉を引き締め前方を向く。
繋いでいない方の手は上着のポケットに突っ込んだが、繋いでいる手は寒気に晒したまま。
それでも振り払って同じくポケットに突っ込むという考えは起きない。

そのまま足を進め、公道に合流した。
肌を刺すようなこの空気でも人は抗って街を行き交う。
昔から港町の一つとして発展してきた横須賀から人が消えることはなく、むしろ年末ということで普段よりも人通りが多い。
明らかに娯楽目的で出歩いていると見受けられる人達だっている。
特に分かりやすいのは、自分らと同じく手を繋いで楽しげに談笑する成人した男女や家族連れ等だ。
こちらは談笑はしていないが、ちょうど良いので話を振ってみる。

「私達も、夫婦に見えてんのかね」

「……何言ってるんですか。夫婦と見るには年が離れてますよ」

「なら兄妹か親子かな?」

「顔が似てないと思いますが」

「……まあ、恋仲だろうね」

「…………」

異論の消えた大井は何も言わない。
にぎ、と繋いでいる大井の手に力が幾分か送られたのが分かる。
人通りが激しくなってきた。

「……ぶつかるといけないから、もっと寄りなさい」

「変なことしたら帰ってから撃ちますよ」

「ほう? 変なこととは具体的に何なのかな?」

「今してるそれもセク質と言って立派な犯罪なんですよ」

「しょうがない。帰ってからにするよ」

「撃っていいですか?」

「駄目」

一寸劇終えたところで言う通り、肩が触れそうになるまでに寄ってきた。
再び静寂が自分らを包む。しかし街の喧騒が聞こえなくなる感覚が離れることはない。
大型複合店に入るまで繋いだ手を通じて人肌を感じ合った。

……………………
…………
……

「おお……」

「うわぁ……、すごい……」

荷物を提げて帰投してまず執務室の扉を開けると、玄関のように靴を脱いで上がるつくりになっていた。
靴を脱いで上がるそこは注文通りの畳。やはり実際に目の当たりにすると感嘆の声が出る。
ダルマストーブは位置を変えずに靴脱ぎ場にちゃんと残っているし、そして炬燵も完備だ。
炬燵を退かせれば茶道もできてしまうだろう。和のかほりが強まったここでは時どころか執務も忘れそうだ。

「荷物置いてきたらおいで」

「でも私、北上さんと……」

なんということだ。断られてしまった。
でも今日は執務は休みだし、北上は親友だから仕方が無い。大井は自分だけのものではないから。
偶には一人寂しく本でも読んで、雑魚寝で夢の世界に身を投じるさ。

「そうか……」

「はい」

「…………」

「…………」

「…………」

「……ああもうっ」

不意に声を荒げられた。
素っ気ない顔から力が抜けたように見える。やれやれとでも言いたげか。

「北上さんも連れてきていいなら、来てあげます」

その言葉が聞きたかった。自分の気分は高騰し、顔が綻んだ。
ぐっと握り拳を作る。口調が逸る。

「いいよ! 全然構わないよ!」

「……子供ですか」

「私はいつでも子供だよ」

気分の折れ線グラフは垂直上がりだ。
疲れたような大井の反応にも、テレビでそこそこ前に聞いた自動車のコマーシャルのフレーズを改変して声を低く作り、ビシッと言ってやった。
……決まった。
私のセンスの良さと共に、低燃費の良さも分からないとは言わせない。
いや、それが流れていた頃はまず艦娘なんてものはなかったか。

「…………」

「……失礼します」

軽く引いてないで何か言ってくれよ。
こんなギャグをかまされても軽く頭を下げてから出て行くところは感心するけど。
おい。

……………………
…………
……

「提督ーお茶飲みたいよ」

「よし待ってな」

和室とまではいかないにしても畳部屋の素晴らしさに感化された自分は、久しぶりにダルマストーブを稼働させた。
おかげで炬燵の中だけでなく部屋全体が暖かい。
突然の北上の要求に応じてやろうと炬燵を抜けようとすると、大井に制止される。

「私が淹れるわ」

「お前はいつもやってるだろ」

それに偶にはこちらから振舞ってやりたいのもある。
まともな教育を受けている奴に、いい年して茶を淹れられない奴はいないから心配はない。
というか、できなかったら人に茶の淹れ方など教えることはできない。

「そうだよー、それに提督のお茶飲んでみたいじゃん」

「でも……」

「いいから。大井は座ってろ」

二人がかりで不満げな大井を座らせた。
秘書艦としての使命でもあるのか?
しかし今日の自分は何一つ提督らしいことはしていない。提督でもなんでもないただの一人の男でしかない。
軍服を着ていない男が提督であるはずがない。
だから一日くらい気負いしなくてもいいのだ。
おっと、何の肩書きもない者が軍施設に出入りはできないというツッコミはなしだ。

大井が北上に茶を振舞いたかった可能性は、やかんを調達しに行こうと執務室の扉を閉めたところで思いついた。
もう遅い。



昼時を過ぎたので間宮は暇そうにがらがらの食堂を掃除していたが、彼女も今日くらい休むべきだ。
厨房から借りて水を張ったやかんを、焜炉を使わずに執務室に持ち出しあえてストーブに乗せて沸かす。
ついでに火室の中を覗き、脇に積んである亜炭をシャベルで放り込む。
二十一世紀になって本格的にこの光景が珍しくなってきたのかと哀愁を誘う。
湯ができるまでの間に、談笑に花を咲かせている二人に混ぜてもらおうと、
急須と湯呑みと茶葉の缶を乗せたお盆を畳に置いてから上がり込む。
ふうと一息ついて座椅子に胡坐で座り、上から炬燵の布団をかける。
すると談笑が中断された。

「提督~……」

北上は何故か苦笑した様子で、文句の一つでも出てきそうな声を投げ掛ける。
器用だなお前。

「お湯が沸くまではお茶は我慢してくれよ」

「いやそうじゃないよ」

北上はじとっとした攻めるような目を向けてくる。

「大井っちが惚気ばっかり聞かせてきてさあ」

「え?」

「北上さん!? 私が言ったのは愚痴で――」

何故そこで大井が慌てるのか。
惚気って。大井は一体何を言ったのか。

「えぇー? とりあえず提督が子供っぽいのは分かったからって感じ……。面白いんだけどさ」

本当に何を喋ったんだ大井よ……。
この鎮守府で築き上げてきた自分のキャラが崩れるようなことはあんまり言わないでくれるとありがたい。
多くの部下を束ねるような立場に就く以上、ある程度の威厳やら何やらを身に纏わなければならないわけで……。
それにしても最近は大井が北上に一杯食わせられる光景をよく見るものだな。

「ああ、うん。すまんな。子供っぽくて」

「そうじゃないってば。提督わざとやってない?」

「クク、わざとだよ」

このやり取りが面白くて、アクのある笑い声が混ざった。
やっぱり大井も北上も癖があって面白い奴だよ。

「……気持ち悪いですよ」

左から毒が飛んできた。眉の下がった大井の弾丸のような目が冷たく刺さる。
しかし、今朝の出来事のように拒絶反応をされるのには弱いが、
毒に関しては何度も叩かれた熱い鉄のように耐性がついているので怯まない。
むしろ柔軟な発想を要する作戦指揮官としては、それすらも逆手に取ってやるのだ。

「気持ち悪いだって……。北上慰めてくれえっ」

勿論このべそかきは演技である。
右の子に向かって両手を広げて抱擁を求めようとする。
あくまでも求めるだけでこちらからいきなり抱き着きに行くような真似はしない。

「しょうがないなーおいでー」

うむ。ノリのいい子は好きだぞ。
北上から許可をもらえば、大井に強気に出る隙を与えることなく北上に抱き着ける。
いや、これで合法的に北上に抱き着けるとかそういうことではなく、これも作戦の内なのだ。
本当だって。

「ううっ」

「おーよしよし」

北上はこちらの考えている内が読めているのか?
こちらは抱擁に力や感情までは込めていないのだが、北上が頭まで撫でてくれるとは予想していなかったぞ。
とにかくこうして大井の出方を見る!
……北上の頭がすぐ横にあるので、この体勢では大井の様子は伺えなかった。

「提督、私を悪者にして楽しいですか」

……大井は冷静だった。ゴルゴばりに冷静だった。
面白くないので次の作戦を即興で考えた。
北上から離れて立ち上がって大井の席へ歩いていく。
そして大井の背後を陣取ってしゃがみこむ。……これもデジャヴだな。
がばっと逃がさぬようそれなりの力で抱きしめた。

「ッ!」

「んー」

大井の体の温もりを感じて癒される。
鼻が後髪にくすぐられる。さらさらでいい匂いがするものだ。
しかし大井は、抵抗しようとしない。

「提督『も』、愛してます」

そこで、大井が普段言う台詞を意味を少し変えて使ってみる。
しかしやはりというか、抵抗する素振りさえ見せない。
それどころか腕に頭を預けてきた。

「提督なんか愛してません」

なんだそりゃ。
それが本心なら抵抗したらどうなんだ。
いや、本当は分かっている。言葉は本心だけを無造作に吐き出すだけのものではないからな。
ちらと北上に目をやるとムッとしたような表情をしていた。
北上のその顔は初めて見るな。
北上を弄ろうとしてこんなことをしたんじゃないんだがな。
まあ目の前で男女が仲睦まじくされたら誰だってこうなるか。

ピー!!

ストーブに乗っかったやかんが、北上の心の内を代弁するように勢いよく湯気を吹いた。
やれやれ。時間が経つのは早いな。
北上もいることだし、また今度にしてやろう。
一つ溜息をついて立ち上がり、茶の準備をする。

まず急須と湯呑みに湯を注いでそれぞれ温めるところから始める。
短時間で建水という器に湯を捨てる。
急須に茶葉を入れ、湯を注いで短時間待つ。
三つの湯呑みに均等に茶を一滴残さず注ぎ切って、炬燵の上に置いていく。

「どうぞ」

最後に自分の湯呑みを持ち、息を吹きつつ恐る恐る口にする。
茶の適温は人間の口には熱いから注意が必要だ。
空気を一緒に吸い込みつつ澄んだ黄緑色の燃料を流し込み、ほうと一息。美味い。

「あー美味いねえ」

北上がこう言うとまるで酒を仰ぐオヤジのようだ。
大井は何も言わずにちびちび飲んでいるが、それもまたらしい。

「提督、こういうことは面倒がらないんだねえ」

そうなのだ。
自分としてはこだわりを持った淹れ方だと自負しているが、それでも本格的な茶道は流石に気が向いた時にしかやらない。
でも畳部屋ができたわけだし、偶には気が向くこともあるだろう。
ところで。

「それでは私がいつも面倒がってるみたいじゃないか」

「朝の放送とかすごくダルそうだったけど」

それは朝だからさ。
夜戦馬鹿ということではないが、寝起きに気分は上がらないもんだ。
四六時中だるいような態度は取ってないつもりだぞ。
戦果の獲得は兎も角、一定のラインより落とさずにするところからも自分の鎮守府の運営ぶりを分かってほしい。
また企業等と違って毎週土日を休みにしているわけでもない。
ここまで言うと鬱陶しい多忙主張になってしまうが、普段傍にいる大井なら鎮守府をおざなりにしていないことは分かるだろう?

「まあ……」

おい。
ここで歯切れを悪くするな。ここは即答すべきだろうが。
なにか不満でもあるのか。

「やる気がないとは言いませんが、それと実力とはまた別の話ですよね」

う……。

「執務の進め方とか」

うぐ……。

「あとは作戦の考え方とか?」

北上まで言うか。

「艤装の開発もダメですよね」

それは工廠の連中次第だろ。
こちらは完成しやすい必要資材の配分も資料に記録しているんだ。至って真剣に頑張ってるんです。
……ここまで駄目出しされたのは久しぶりだ。
こいつ等以外の艦娘とは事務的な会話以外殆どしないのだが、他の艦娘も心の内では不満が眠っているのかもしれない。
湯呑みの底の茶渋くらい沈んだ気持ちで茶を口に運ぶ。

「……そんなに私は向いていないかな?」

「……大丈夫だよ」

北上?

「沈んだ子がいないってだけでも上出来だと思うよ。あたしは」

「……そうね」

大井?

「提督は、よく頑張っていますよ」

……やられたな。
軍とは関係のない平和ぼけした世間話をする時に見る北上と大井の微笑み。
からかわれていたのか。
こいつ等は揃って思った事を口にするタイプだ。お世辞を言ったような事は記憶にない。
だから突然掌を返すような評価を、理屈でなく勘で信じることができた。
北上が言うように沈んだ艦がいないのは事実だし、大井のこの短い太鼓判の一言にも自分を自信付ける程度には価値がある。
指摘された点はとても改善が難しいが、良い評価もされていることが分かって口角が少し持ち上がった。

「……それならよかったよ」

……………………
…………
……

それからまた、軍と全く縁もゆかりも他愛さえもない談笑が始まり、続く。
だから茶は割とすぐに飲み切ってしまった。
まだ飲むには再度湯を作る必要があるが、もう面倒臭い。

「ねー、提督は付き合う時なんて言ったのか聞かせてよ」

流石にネタの引き出しも少なくなってきた頃に、北上は急にニヤけた顔を作ってそんな事を聞いてくる。

「……そういえばまだだったな」

「え?」

そうだった。まず交際の申し入れなどしていない。
そんな形式ばったやり方など正直要らないと思って念頭にも置いていなかったのだが、
話題に出されたので一応やってしまおう。
疑問符を浮かべる北上から大井に向き直る。
大井はきょとんとした表情で私を見つめていた。

「大井……。私と、付き合ってくれッ!」

そう言って畳に額が当たらんばかりの土下座の姿勢を取った。
しかし真に気になるのは確信している答えではなく大井の反応だ。
いつ顔を上げていいのか教えてくれる観測妖精は……いないか。

「……は」

『は』?
これは一体どういう反応かと顔を上げて見ると、大井はちらと北上を気にしつつも端が僅かに上がった口を開いた。

「はい」

……流石と言うか、やはり冷静なものだ。
こちらとしては面白く慌ててくれる反応を期待していたんだがな。
こうも普通に返されるとこちらが反応に困る。
土下座から上げた真顔のままさて何を言うべきか迷っていたが、顔の筋肉さえ動かす前に、右舷から非難するような声がかかった。

「いやー提督さあ……」

「ん?」

「付き合ってもいないのにそういうことしてたの?」

はて、自分は今日だけで何度このように細めた目を向けられただろう。
備蓄の弾丸を箸でつまんで数えるよりも下らない、そんなことを数えて報告してくれる観測妖精もやはりいないな。
まさかそんなことで北上から非難を食らうとは思わなんだ。
もしや結婚するまではそういうことはしてはいけませんとかそういう古風な貞操概念か。
意外だが侘・寂が感じられる、とても良い心掛けだと思うぞ。

「と言われても、始めに仕掛けたのは私じゃ――」

びしっ。

「い゙っ!」

非難から逃れようとした自分は、北上とは違う方向からかなり力の入った手刀で黙らせられた。
今度は前方の状況を確認する。
さも手刀をやりましたと手を立てたまま取り繕うこともしない大井の姿があった。
やはりというか目が細められているのだが、北上がやったような眉を寄せての分かりやすい表情ではない。
当鎮守府比三割増しと大々的に印刷したラベルでも額に貼ったらどうかと言わんばかりの目を細めた笑顔だ。
その掌に全ての力が入っていると思わせるくらいには、眉間に力が入っていない。
しかしよく見ると口の端がひくひく動いている。
そして瞼が細くなって光があまり差し込まなくなったその眼は笑っていない。

「……まあ、皆が皆北上と同じような考えではないということだよ」

一先ずはこれだけ北上に言っておくことにする。
大井の威圧するような顔の裏には言わないでほしいという意図があることくらい分かるし、
自分も少しふざけたというか魔が差したというか、うん、デリカシーに欠けたな。
図に乗るとすぐこうなってしまうが、反省する気はない。
自分の身を滅ぼすほどの過激なことはしないし大丈夫さ。

「大井っち……」

「な、なに?」

「……まあ あたしはやっぱ、基本そういうのきっちりしてからだから」

苦笑しつつも大井にも何か言おうとして、一旦は納得したのか引き下がってくれたようだ。
自分もいつまでも大井の前で正座していないで自分の座布団に戻ることにする。

「ほう。北上にもそういう予定はあるのか」

「当たり前でしょ。あたしだって一応は女の子なんだよ?」

自分で一応と言っていいのか。
でも北上は普段の調子から垣間見る女の子らしいところがとても印象に残るから、
少なくとも自分はちゃんと女の子だと思っている。
自信持っていいぞ。

「え、そ、そう?」

「大丈夫。北上さんは十分女の子らしいわ。悪い虫に取り憑かれたら追い払ってあげる」

「そうだな。下手すれば私も唾つけてたかもしれない。なんてな!」

冗談を一つかましてニッと笑ってみる。
このあと大井から撃ちますだの悪い虫だの突っ込まれる事を狙ってやったのだが、自分はどこかで計算を間違えていたらしい。
突然北上から照れた笑みが消える。

「……大井っち、いい?」

「大丈夫よ、北上さんなら」

何が?

「じゃあ……」

主語が欠けたわけの分からない質疑応答によって置いてけぼりにされた自分の気持ちなど構わず、
北上がこちらへ四つん這いで近寄ってくる。
そして自分のすぐ横に正座で居座ったかと思えば、あろうことかその頭を肩に寄りかからせてきたのだ。
自分からは北上の黒曜石のような黒髪しか見えなくなり、心の内を語る顔は伺えない。
何を考えている?

「……おい。この話の流れでそれは勘違いされるぞ」

念のため注意しておく。そしてこれは確認の意味も含めている。
それでも北上は離れようとしなかった。

「んー? 好きに取るといいよ」

その返事が一番困るんだが。
自分の察しが勘違いか正しいか、よく考えようとして疲れてくるこちらの事情をせめて重油の涙程度だけでも考えてほしいものだな。
そして更に悩ませることに、いつの間にか音を立てずに近寄っていた大井も北上のように左側でもたれかかってきたものだから敵わない。
……大井も北上も自分を好いてくれる理由が分からん。
自分は平凡だ。そのうえで人を惹きつける魅力は特にないと思っている。
さっきも言ったが、こいつら以外とは私的な会話が少ないところもそれをよく表していると思う。
自分がどういった話を振ればいいのか分からないのも理由の一つと言えるが。

「んん……」

楽な体勢にしようと擦り付けるように動き呻く大井の声と、警戒心が全く感じられない穏やかな北上の息遣いに邪魔され、
改装されずに古ぼけたままでいる木の天井を仰いで自分に問いかけた疑問は答えが出ないままに脳の深海に沈んだ。
この状況はいつまで続くのか。座椅子の背もたれは、ぎし、としか答えない。

気がつけば西日もいよいよ薄れ、そろそろ明かりを灯したいと思えてきた頃にちょうど腹の虫が鳴る。
食堂に赴くまで自分の体は左右の人肌によって程よく保温された。

……………………
…………
……

夕食時の食堂の喧騒は外からでも聞こえるほど大きい。
しかし中に入ってみると、入り口に近い席に座る艦娘はまるで学校の優等生が珍しく遅刻してきたかのようにこちらを見て黙った。

「……?」

一先ず気にしないことにしてカウンターの様子を見に行くと、間宮は落ち着きを手放さず慌しそうに動いていた。
厨房の奥を覗いてみると、戦力になる一部の者も割烹着を着用して手を貸しているらしい。
ご苦労なことで、と他人事のように思っていると、カウンター席で大きな存在感を放つ者を見つけた。

「むぐむぐ、……あら、提督?」

赤城だ。
とりあえず厨房係による回収の手が追いつく程度まで皿を積み上げる速度を落としなさい。皿を落とされると危ないから。

「善処します」

食べながら口を開きつつも口を手で隠すところは良しとしよう。
しかし善処するとしか返さない者は大体その気がない事を経験上知っている。せめてゆっくり噛め。
……決めた。今回はここに座ろう。

「相席してもいいかな?」

「え? ……どうぞ」

なんだ。その間は。

「だって……いいんですか? 後ろのお二人は」

ううむ。やはりどこかのテーブル席を取ったほうがいいだろうか。
ついてきていた大井と北上に振り返り、答えを求める。

「……いいんじゃない?」

「私も、特には」

問題ないな。
ならばと赤城の隣の椅子を引いてどっかと座った。あとの二人も静かに席に着き、左から赤城、自分、大井、北上の順に並ぶ。
再び箸をそれなりの機敏さで動かし始めた赤城の食べっぷりを見て、間宮の手が空くのを待つ。
目の前に並ぶ調理済みの海幸山幸穀物の品々は逃げないというのに赤城のペースは落ちない。
しばらくして間宮が現れた。

「お待たせしました。何にしましょう」

慌しそうなのに間宮のおっとりした口調は健在だ。
そういえば赤城の様子をぼーっと見ていて何を頼むか考えていなかった。
厨房は忙しいというのにこれはいけない。えーと……。

「あ……お二人にはまたあのメニューでも出しましょうか?」

食堂全体を見渡すと忙しいはずなのに、息を切らすような様子をおくびも出さず、
にっこりとこんな戯言まで吐く間宮を見る限りでは全く忙しそうには見えないから不思議だ。
そういうことを全く考えていなかった自分はと言えばまんまと不意を突かれ、首に氷でも当てられたように体がびくついた。

「い、いや、いら――」

「いりませんっ!」

うわ。今度は右に驚いた。
砲撃音とも思わせた大声を張り上げた大井は顔を伏せているが、その横顔は赤いのが分かる。
この大声によって食堂の喧騒は静まり、赤城を含めた周りの艦娘の視線が自分らに集中砲火された。戦況は非常に不利だ。
指揮官である自分さえも、前方と右舷からの先制攻撃によってしばらく動きを拘束されてしまう。

「……あ、とりあえず適当に……じゃない。えー、鉄火丼と味噌汁を頼む」

兎に角間宮を追い払う、もとい作業に戻らせるべく、適当に見繕ってもらおうとして、やめた。
美味ければなんでもいいのだが、それを伝えたら結局あのメニューを出されるかもしれないからだ。
露骨というより隠す気が全くないあれを人前で頂くのには抵抗がある。

「あら、残念ですね。北上さん」

「残念だねー」

おい。お前らいつの間にか妙な同盟でも締結していたのか。
そういえばあのメニューを思いついたのは北上だったか。二人揃ってその生暖かい笑みをやめろ。
この二人が手を結んでいるようじゃ、北上に真冬のアイスクリン過剰供給の脅しも暖簾に腕押しと言ったところか。

「あたしは……、い号定食でいいや」

「かしこまりました」

あとは頼んでいないのは大井だけだが、大井はエンストでも起こしたように動かない。
大井の肩を叩いて問いかける。

「……おい。お前はどうするんだ」

「えっ!? あっ、提督と同じ物で!!」

「…………」

その時歴史が止まった。

「……あっ」

……というのは流石に過言というもので、
実際のところ自分はせっかく散りかけていたのに再び集まった注目の視線が、どのようにすればまた散ってくれるのか、
脳の燃料とも言えるブドウ糖を惜しげもなく浪費していただけだ。
仕舞いには耳に蜘蛛でも侵入してくるかのような、ひそひそとした内緒話まで聞こえてくるものだからもうやってられない。
顔を伏せたり上げたり大井も忙しい奴だな。膝の上に作った握り拳と肩から力を抜け。
自分で言ってから小さく、あっ、というのは何なんだ。

「あらあら」

間宮よ。戦艦の口癖でも移ったか。
元の雰囲気から似ているとは思うがそこまで似せなくてもいいんじゃないか。
赤城も食べていた物のおかわりを頼み、間宮は赤城が積み上げた皿をいくつか回収して厨房に引っ込んだ。
あんな成りでも意外としっかりしているものだ。
そろそろ部屋中の艦娘の視線は外れてきたが、最初の喧騒は戻ってこなかった。
聞き取り辛い小さな話し声が後ろでいくつも飛び交い、少し居心地が悪い。
天井を仰いでも喧騒は戻らないし、居心地も良くならない。
こんなつもりで食堂に来たんじゃないんだがなあ。

「……あのメニューってなんですか? お勧めなんですか?」

赤城は知らんでいい。お勧めでもない。そんな子供みたいな純粋な瞳を向けても教えてやらんぞ。

恐らく盛り付けるだけだろう鉄火丼と味噌汁はすぐに届いた。
味噌汁は味噌汁で多くの者が嗜むはずだから、きっと作り置きしてあるのだろう。
落ち着きを取り戻した大井の図らいにより、北上の御膳が届いてから三人で召し上がる挨拶をした。
好意で付けてくれたお新香を摘み、早速丼の鮪をタレの通った米飯と共に口に運ぶ。
美味い。甘辛いタレがいい刺激になる。
鮪の赤身からは筋が取り除かれているところが特に素晴らしい。
やはり間宮の作る飯は美味い。これだから自宅に帰る気がなくなる。
丼を持って赤城にも劣らない速度で目の前のご馳走を減らしていると、赤城が飲み込んでから声をかけてきた。

「んぐ。そういえば提督に聞きたいことがあったんです」

「むぐむぐ、なんだ」

一方こちらは腹が減っていたこともあり、口と箸を止めずに先を促す。

「今日は大井さんとデートに行ってらしたんですか」

「んぐッ!」

近くの艦娘からであろう視線が背中にビシバシ当たったり、大井がむせ始めたり、なんとも影響力のある奴だな。赤城は。
その力は戦場で彩雲や先制航空部隊を飛ばしたりする時は遺憾無く発揮してほしいが、ここは戦場じゃないんだぞ。
しかもその後で先制魚雷を放つ重雷装艦に悪影響を与えるのはやめてくれ。
丼と箸を置いて咀嚼したまま、むせてしまった大井の背中を擦ってやる。
……こちらに顔を伏せて私の袖を摘まんでくるのは無意識か?

「大井さん大丈夫?」

「……ほら味噌汁飲みなさい」

口の中身を飲み込んでから指摘してやると、言われてやっと気づいたように慌ててお椀に口つけた。

「はーっ……」

喉の引っかかりは無事解消されたようだ。大井もやはり不意打ちには弱いものだな。
不意打ちされても動じないようにするにはきっと相当な精神の訓練が必要だろう。自分はやりたくない。

「……で、なんだったか。デート?」

「ええ。提督、今日は出かけていましたよね? それにお二人の服……」

自分は私服のままだし、大井も軽巡時代の装甲だ。この状態で何もない方がおかしいかもしれない。
さて、言ってしまっていいのだろうか。自分は抵抗ないのだが。
大井を見やって答えを求める。

「……いいですよ」

夜伽については言うなという反応を見たが、これくらいなら構わないようだな。

「……行ったよ。デート」

「……へぇ……」

自分で聞いておいてそれしか言うことはないのか。
しかも不審なことに、変な虫でも止まっているのか、目の前に並ぶ多くの料理を見つめたまま食べようともしない。
少し不気味だ。料理にとっては蛇に睨まれた蛙のように、不気味どころでは済まないだろうが。
兎に角は目の前の鮪などを腹に収めることに専念する。

背中に視線がまだまばらに当たる気配を精一杯無視し、食べる速度が落ちた赤城を尻目に自分は最後の米粒を摘まんだ。
大井と北上が完食するまで待ち、まだ終わりそうにない赤城には別れを告げて食堂を出た。
窓に目をやるともうすっかり日は見えなくなっていた。いざこうなると暇だ。
北上は姉妹艦のところへ行くと言うが、大井は着いてきては駄目、と言う。
気でも遣ったのか?
最初大井は着いて行きたがったが、結局すぐに大井が折れた。満更でもなさげな様子が分かった。

……………………
…………
……

執務室に戻って再びストーブに火を起こし、炬燵の電源を入れ、部屋を充分に暖める。
先に炬燵に入り温もりを得ようとする大井の後ろに自分は腰を下ろし、抱きすくめ、大井から温もりを得ようとする。
北上が見ている時でも往生際が良かったように、北上さえもいないこの場で大井が抵抗することはなかった。

「提督、この手はなんですか? 何かの演習ですか? 撃ってもいいですか?」

しかし、大井は受け入れる態度とは真逆の言葉を放った。
そのギャップが可笑しくて、くす、と笑いが漏れる。
艤装をつけているのならばまずこうして後ろから抱きしめることすら不可能なんだがな。

「提督は最近子供染みた振る舞いばかりで困ります。仮にもこの鎮守府の提督でしょう?」

あのな。私以上に威厳ある役職に就いている人間だって誰しもこういう面はあるんだよ。
そしてそういう面は決まって特定の人物にしか見せないという共通点がある。
こんな提督が嫌だって言うのなら、それまでの信頼を築いた自分を恨むんだな。

「嫌です」

突つき合うような科白を繰り広げながらも、
自分は笑いながらやっているし、大井の声色もまた全く棘のないものだった。

「あっ」

大井は何か思いついたような声を上げたかと思えば腕を振りほどいて立ち上がり、執務室の鍵をかけた。
突然腕の中から消えたその熱源が振り返って戻ってくるその顔は、とても愉快そうだ。
指定席と化したらしい座布団に正座し、何故か炬燵に足を入れようとせずこちらを向く。

「子供の提督には膝枕をしてあげます」

おお。率先してそのようなことをしてくれるとは。
ならば早速と横になって、渋い深緑の枕カバーから伸びる綺麗な膝に頭を乗せる。大井の体はどこの部分も柔らかいな。
ただ、これだけでは部屋の鍵をかける理由が分からない。
しかし大井が突然上半身の装甲のボタンを解き始めた事で、それは明確になる。
やがて装甲の前部が開かれ、中々に重みのありそうなタンクが苦しさから開放されたように姿を現した。
たぷんと揺れるそれに目が釘付けになるのは男としての性であり、こんなものを見せられた暁には子供のままではいられない。
ぐぐぐ、と自分のズボンの中の魚雷が反応を見せる。

「……ぁ」

最初からその気だったのだろう大井は、それに気づいたというよりも気づく前から目をつけていたと思う。
男のモノの変化の過程を異性に見られるというのは、まだ理性が抜けきらない事により恥ずかしいものもある。
だから嬉しそうな反応をするのもいいが、さっさとそいつをどうにかして中途半端な理性を消して欲しかった。
それを行動で示そうとして、自分はタンクに手を伸ばした。

「ッ」

向こうの質素な寝室と違ってこの部屋には暖房器具があるから、この手は冷たくはないだろう。
遠慮なく手を動かす。ただ柔らかいだけでなく張りがあるから飽きない。
飽きるどころかそれだけで満足はせず、更なる一つの欲求が浮かび上がってくる。
揉みしだくのを一旦止め、ぐっと上体を持ち上げて赤子のように吸い付く。

ちゅ。

「んっ!」

やっていることは子供だが、はたして子供が股間をおっ立てたりはするものかな。
そして授乳する母親が、はたして子供の股間を摩ったりなどするものかな。
勿論そんなことはあり得ないよな?

「ん、ふふ……」

背中に手をやって支えてくれるのはいいが、ズボンの上から擦っていじめるのはやめてくれ。直接触ってほしいんだよ。
しかしそれを伝えようにも口はタンクによって塞がれているので、言葉で伝える事は不可能だ。
タンクから口を離すだなんて考えは南西諸島の渦潮にでも捨てている。
一瞬で結論が出た脳内の軍法会議の末、口に含んだこいつを舌で転がしたり突いたりしてやることにした。

「ん、んん……!」

攻めようとする考えで行ったのに、自分の魚雷が愚直にも硬度を増した。
しかし攻めが通じたのか苦しげな魚雷を哀れに思ったか、じー、と独特な宣戦布告の音が耳に入った。
優しくまさぐられ、やっと魚雷が格納庫から取り出された。望み通り、きゅ、と握ってくれる。
最初は所々を指圧マッサージのように指で押されるだけなのだが、魚雷のどこを押されても一定の快感が伝わる。
その刺激によって順調に魚雷は限界まで固く膨らんだ。しかし大井はまだそこまでしかしてくれないようだった。
膨らみきっても指圧マッサージは何の変化もつけられないまま続行される。
仕方がないので口の中のこいつに不満をぶつけることにしよう。

つん、つん。

「ッ……」

ぺろぺろ。ちゅー。

「んん! っく」

やられっぱなしではなく、立派に抗う大井も馬鹿にはできない。
そうして魚雷の硬度を保ちつつ暴発しない程度に巧みに弄られては、潤滑油が漏れてしまうではないか。
だが大井はそれを狙っていたようで、掌を魚雷の先端にぐりぐりと押し付ける。
少量の潤滑油を塗り広げた大井はやっとそいつを扱き始めた。
潤滑油が出てくるのを待つという体で焦らしたんじゃないだろうな。
完全に大井の思うがままにされているだろう自分のそれは、感度を良好な状態まで上げてから急に上下運動をされるものだから、
突然跳ね上がった快感の規模にうまく抵抗できずに口を離してしまう。

「くあっ!」

「うふふっ」

大井はとても愉快そうに笑みを零した。
目の前のタンクに吸い付きたい欲求に少しの反発心を加えて今一度攻撃を開始する。
それからの自分らは、互いに攻撃して攻撃されるという守りなしの一騎打ちが続いた。
大井のタンクの先端も、こちらの魚雷も、物は違うが透明の液体でひどく濡れそぼっていった。
おいしい。気持ちいい。

ちろちろ。ちゅうちゅう。

「ん、っく!」

ぐちゅぐちゅぐちゅぐちゅ!

「……ッ! ッ!!」

扱く速度は速い。最早焦らすなどは考えられておらず、ただ魚雷を暴発させようと追い詰めるだけだ。
こちらは誤って口のこれを噛んでしまわぬよう繊細に気を配りつつ愛撫するので精一杯で、正直我慢している力は残っていない。
こちらが我慢できないなら大井も道連れにしてしまう気持ちで乱暴にタンクを吸い上げにかかる。

ちゅうううう!

「んっ! んんんん!!」

ほら、声が高く上がって行っている。
しかしもうこちらは充分健闘した。限界だ。
口をほんの一瞬離して息を吐き出してから咥え、中身が漏れ出るくらいの気持ちで吸い上げる。

ちゅううううううっ!

「んああああっ!!」

びゅっ! びゅるっ!



魚雷は暴発し、視界は一瞬ちかちかして、自分は糸が切れた人形のように口を離して体から力を抜いた。否、抜けた。
大井は最後のところだけ口を開けて啼いたくせに、魚雷が噴出した白い油は飛び散らないようしっかりと手で受け止めていた。

「はあっ、はあっ……」

今はただ息を整えることだけしか頭にない。今日は油がどれくらい出たとかはどうでもいい。

「はー……。いっぱい出ましたね、提督?」

そうか。

「まだできますよね?」

「……ああ」

ついでに言い忘れていたが、この執務室は施錠に加えて部屋全体が防音処理もされていて、とても密談に向いている。
わざわざ寒い向こうの寝室へ行ってからなんて煩わしい。嗚呼、今日布団をもう一枚買っておくんだったな。



現時点でまだ深くない今夜は、このようにしてのめりこんでいく。
最終更新:2014年02月12日 06:53