活人剣の道険し ◆cNVX6DYRQU



その女をはじめて見た時から、甚助には嫌な予感があった。
しかし、甚助はその予感を特に深刻には捉えなかった。そもそも、甚助は女人が苦手なのだ。
幼い頃から剣の修行にのみ打ち込んで来て、母以外の女人と接した事が碌にないのだからそれも当然だろう。
まして、このような場で正体不明の、それでいて無腰の女と出会えば戸惑って当然。
故に、甚助はその女を見た瞬間の嫌な感覚について深く考えはしなかった。
もしも、甚助がもう少し剣客としての経験を積んでいたならば、その感覚の正体もわかったのだろうが……

甚助をその女の元に導いたのは、同行していた上泉伊勢守である。
と言っても、信綱がその女を目指していた訳ではない。
甚助と出会った時から、信綱が第一に目指していたのは、一度はこの剣聖を退けたという獣のような剣士。
あの凄まじい獣性から他の剣士達を、そして彼自身をも救う事を、信綱は己に課している。
その為に、信綱と甚助は服部と別れた後、城下町へと入っていた。
他者への憎しみに囚われたあの男は、人の気配が多い城下町へ向かった可能性が高いと判断したからだ。

そして、城下に入った二人を真っ先に出迎えたのは無惨に首を切られた少年の遺体。
これは百万の言よりも雄弁に、この殺し合いの危険性を物語っていた。
しかも、信綱の見立てによれば、下手人は彼等が追っている「獣」とは別人であろうという。
信綱によれば、彼と戦った「獣」の剣は、技も理もない正に野性の剣であったとか。
対してこの死体を作った者の剣筋は、荒々しくはあるが正当な剣術を修めた跡がくっきりと見られる。
とすると、城下には彼等が追っている男以外にも「いぞう」なる危険人物がいるという事だ。
いや、それだけではない。
城下のあちこちから感じられる鋭い殺気と血の臭い……この地が既に修羅界に呑まれている事は甚助にもはっきり感じられた。

さすがの伊勢守も城下の異様な雰囲気に戸惑ったのか、しばらく瞑想していたが、急に眼を開くと、
「こちらだ」
と甚助を促して、傷と老体を感じさせない早足で歩き出す。
最初は信綱が急に目的地を定めた事を訝る甚助だったが、しばらく進むとかれもその殺気に気付いた。
殺気と言っても、他に幾つもある籠もった殺気とは質が違う。
現在進行形で斬り合いを行っているかのように、激しく鋭い殺気が断続的に発せられているのだ。
しかし、斬り合っているのならば当然あるべき、対手側の殺気あるいは剣気は全く感じられない。
という事は、戦う気が、あるいはその手段がない者を誰かが一方的に攻撃している、という事態も考えられる。
そう悟った甚助は、足を速めて信綱の先に立ち、殺気目掛けて進んで行った。

結論から言えば、甚助はそこまで急ぐ必要はなかった。
二人の前に現れたのは、熱心に剣の素振りをする男。剣を振る度に凄まじい殺気が放出されている。
どうやら、仮想の敵を想定して、それを相手に鍛錬をしているらしい。
女物の小袖を着た華奢な男だが、剣を振る姿を見れば相当の修羅場をくぐって来た一流の剣客である事は一目瞭然。
甚助はこんな状況でも修行を怠らない男に尊敬の念を覚えたが、気配に気付いた男がこちらを見るとそれも吹き飛ぶ。
その禍々しき眼、加えて甚助達を確認しても剣気を抑えず、逆に呑んで掛かろうとするかの如き不遜な態度。
先程の稽古を見るに、この男も一目で伊勢守の剣聖たる格を見抜く程度の腕前はある筈。
にもかかわらず、この大先達に対して挑みかかろうとする素振りすら見られる。
恐らくは剣の正道を外れた邪剣士……そう見究めた甚助の手が刀の柄に伸びるが、それを見た男は嘲るように笑う。
つられた甚助が激発しようとした瞬間、機先を制して信綱が男に声を掛けた。
「見事な太刀筋。一手、お相手願えぬか?」

互いに剣を構えて向かい合った瞬間、小袖の男……武田赤音は礼もせずに横合いに向けて走り出す。
しばし駆け続けた後に立ち止まって振り向くと、そこには年を感じさせぬ動きで追って来る老人の姿。
暫時そのまま睨み合うが、もう一人の男が追いついて来る様子はない。
(上手く引き離せたな)
心の中でそう呟く赤音。いきなり駆け出したのは、敵の二人を引き離すのが狙いで、その狙いの通りになったと。
だが、本当にそうなのだろうか。それにしては、赤音の表情からは策が図に当たった爽快感は見られない。
或いは、老人と供の男が揃って追い掛けて来るというのが赤音の見込みだったのではなかろうか。
そうして、彼等をあの場から、あの女から引き離すのが本来の目的ではなかったのか。
最早この問いへの答えが得られる事はないだろう。元来、人の心とは複雑怪奇で移ろい易く矛盾に満ちたもの。
ましてや、武田赤音のような歪みきった人間の本心など、余人は無論、赤音本人ですら、把握するのは困難だ。
何より、赤音の心からは既にこの件に関する事はすっかり拭い去られてしまっている。
仮に赤音の本意があの女を守る所にあったとしても、事ここに到っては赤音にこれ以上できる事は何もない。
加えて、赤音が対峙している老人は、おそらく剣士としての格では赤音を数段上回る強敵。
余計な雑念を捨てて、全身全霊で掛からねば勝ち目はないだろう。
それを悟った瞬間から、赤音の心は刃のように研ぎ澄まされ、気まぐれで拾った女の事などすぐに忘れ去ってしまった。

一度は助けた女の事を心から捨て去り、全力で目の前の老人を葬らんとする赤音。
しかし、猛る心とは裏腹に、その身体は老人と対峙したまま動けずにいた。
本来ならば、如何に相手が強敵であろうとも、積極的に攻め込むのが赤音の戦い方だ。
実際、それで体力勝負に持ち込めれば、若く睡眠をとって体力を回復したばかりの赤音が絶対に有利だろう。
にもかかわらず、赤音は動けない。
どのような技で攻めようとしても、全て相手に読まれている感覚を覚え、技を繰り出す事が出来ないのだ。
実際に老人が赤音の技を読みきっているのか、それとも全て剣客としての格の違いが見せる幻想なのか。
どちらにせよ、相手に技を読まれているという感覚は必然的に赤音の心に動揺を生み、
動揺を抱えたまま攻撃を繰り出せば、どうしても技は乱れ、隙を作る事になる。
それ故に赤音は攻勢に出ることが出来ず、ならばと隙を見せて攻撃を釣り出そうとしても老人は乗って来る気配がない。
結果、赤音は身動きが出来ないまま、空しく殺気だけを放ち続ける事となった。

格上の相手との対峙で神経を消耗しつつある赤音の脳裏に、一人の老人の姿が浮かぶ。
目の前にいる、静かに佇んだまま格の違いで威してくる老人とは対照的な、神速の剛剣の使い手を。
自分にもあの老人のような雲耀の剣が使えたならば、技を読まれているなどという疑いは無視して攻め込めただろう。
だが、今の赤音の剣にはそこまでの速さはない。軌道を完璧に読まれても尚、防御を許さず達人を切り捨てる程の疾さは。
とはいえ、それで諦めるほど武田赤音は甘い剣士ではない。
これが完全に一対一の試合ならさしもの赤音も打つ手がなかったかもしれぬが、実際は数十人が入り乱れての殺し合い。
一対一で戦っていても、常に他の剣士が不確定要素として紛れ込む余地が残されている。
そして、予想外の事態が起きれば、役に立つのは老人の経験よりも赤音の即応能力の方。
故に、赤音は先程から、精神力の浪費とも思える殺気の放出を繰り返しているのだ。
赤音が稽古で発した殺気に誘われてこの老人達が現れたように、今発している殺気が別の剣士を呼ぶ事に賭けて。
あっさり結果を言ってしまうと、赤音はこの賭けに勝った。それも、かなり恵まれた形で。

岡田以蔵は孤独であった。
四乃森蒼紫との戦いの中で取り戻した理性は、己が受けている傷がどれだけ危険な物かを教えてくれた。
そして、自身が複数の気配に追われており、この状態でその者達に出会えば勝ち目はないだろう事も。
理性の声に従い、民家に隠れて傷の手当てをする以蔵だったが、そうして追われ隠れる体験が過去の記憶を呼び覚ます。
政変によって土佐勤王党が勢いを失い、京で一人潜伏していた日々の記憶だ。
その記憶は、幕吏によって捕えられ、武士ではなく無宿者として扱われた屈辱の体験へと繋がって行く。
更に土佐藩に引き渡されての拷問、最後には敬愛する師の裏切り……いずれも以蔵を深く苛む記憶ばかりだ。
なまじ理性を取り戻してしまったが故に、以蔵の苦しみは増し、胸の奥に燃える炎はより激しく猛り狂い、以蔵の身を焦がす。
そんな以蔵が、赤音の剣気を感じて、追われているのも忘れて姿を現したのは当然と言える。
師によって己も一端の志士であるという自覚を真っ向から否定された以蔵にとって、残されたのは剣だけだ。
斬り合いの場では家柄も学問も思想も関係ない。誰もが以蔵を畏れ、或いは頼った。
人斬りの記憶が、今となっては蔑まれ続けた以蔵の人生の中の唯一の光芒となっているのだ。
それ故、岡田以蔵は姿を現した。剣以外の何も持たずとも、剣においては己こそが最強である事を示す為に。

以蔵が現れると、睨み合っていた二人の剣士は、ただならぬ気配を感じてそちらに目を向ける。
中でも年老いた方の剣士……上泉信綱は、以蔵を見た瞬間に瞠目して気を乱す。
単に岡田以蔵と再会しただけなら、信綱が動揺する事はなかったろう。そもそも彼を追って城下にやって来たのだから。
問題は以蔵の腕に施された応急処置。傷の手当てをしたという事は、彼の理性が戻っている事を示す。
以前は理性を失って暴れる以蔵に対し退くしかなかった信綱だが、理性が戻ったのなら打つ手はいくらでもある。
予期せずして千載一遇の好機に出会い、信綱の注意が一瞬、対手である赤音からそれたのも無理ないだろう。
無論、それを見逃す赤音ではない。信綱の動揺を察知すると同時に、突進して最速の剣を叩き付けた。

赤音の剣が走り、一瞬遅れてその軌道に赤い線が現れる。
信綱が赤音の振り下ろしを避けきれず、逆刃刀の切っ先が信綱の顔をかすめ、負傷させたのだ。
これは、信綱の気が逸れた瞬間に赤音が仕掛けた為という事も勿論あるが、それだけで一撃を受ける程、剣聖は甘くない。
にもかかわらず信綱が負傷したのは、赤音の剣が予想より……赤音自身の予想よりも更に速かった為である。
その為、赤音の動きから剣速を予測した信綱の目算が狂い、回避が遅れたのだ。
とはいえ、剣速が己の目論見と狂うのは、速いにせよ遅いにせよ、利は少なく害が多い。
今回の赤音も、予想以上の神速の振り下ろしで信綱に手傷を負わせたのは良いものの、己の激しすぎる勢いに体勢を崩す。
そこに襲い掛かる凄まじい殺気……対峙する二人に馳せ寄った以蔵が、折り良く隙を見せた赤音に斬り付けたのだ。
赤音もただではやられぬと、素早く刃を翻し、以蔵を切り上げる。
そして、二人の得物が交錯する瞬間、信綱の刀が割って入り、三本の剣は数瞬からみ合った後、三方に弾き飛ばされた。

弾かれた三人は間を置かずに駆け寄ると、激しく斬り合う。
しかし、それぞれの思惑……そしてそこから導かれる戦い方には大きなずれがあった。
この戦いを最も楽しんでいるのは赤音だろう。
先程は自身の剣が速すぎた為に危機を招いたが、把握さえしてしまえば速さが増すのが剣士にとって悪い事の筈がない。
どうも、東郷重位の雲耀の剣に触発されての稽古が、赤音本人の予想を超える成果を上げているようだ。
ここで二人の達人を実験台として更なる修練を積めば、予想よりもずっと早く雲耀の域にまで達せるかもしれない。
そんな剣士としての高揚感を胸に、赤音は刃の間で躍っていた。
以蔵の必殺剣が迫れば信綱を盾にし、信綱が押さえ込もうとして来れば以蔵をけしかける。
上手く立ち回って危険を避けつつ、機会を捉えて技を試す。ある意味、剣客の鑑のような振る舞いと言えようか。
対して以蔵の動機は単純明快。信綱と赤音の両者を殺す事だけを狙い、必殺の剣を振るい続けるのみ。
彼にとっては、二人が何者なのかも、どんな剣を使うのかも関係ない。
信綱がこの島で初めて戦った相手だという事すら気付いているかどうか。
仮に気付いていたとしても、以蔵にとってそんな事は無意味。彼は人斬り。天災の如く無差別に、ただ殺すだけだ。
信綱はそれとは全く対照的。哀しみと狂気を秘めた二人の若者を何としても救う。それが剣聖の目的である。
老いた信綱にとっては、若き達人二人との立ち回りは相当の難事だ。
以蔵が理性を取り戻した事や、赤音が自身の予想以上の剣速を完全には扱いきれていない事に最大限に付け込んだとして、
それでもこの二人を殺さずして制圧し、彼等を救う端緒を作るのが如何に困難か。
加えて、赤音と以蔵が互いに殺し合うのをも信綱は止めなくてはならないのだ。
おそらく、三人の中で最も危険な立場にいるのが信綱であろう。それでもやるしかない。それが活人剣の道なのだから。
三者三様の剣が交錯し、城下町の剣気は更に色濃く、熟成されて行く。

【へノ参 城下町/一日目/早朝】

【上泉信綱@史実】
【状態】疲労、足に軽傷(治療済み)、腹部に打撲、爪一つ破損、指一本負傷、顔にかすり傷
【装備】オボロの刀@うたわれるもの
【所持品】なし
【思考】基本:他の参加者を殺すことなく優勝する。
一:岡田以蔵と武田赤音を殺さずに制圧する
二:甚助と合流し、導く
【備考】※岡田以蔵と武田赤音の名前を知りません。
※服部武雄から坂本竜馬、伊東甲子太郎、近藤勇、土方歳三の人物像を聞きました。

【岡田以蔵@史実】
【状態】左腕に重傷(回復する見込み薄し、応急処置済み)、全身に裂傷打撲多数、この世への深い憎悪と怒り
【装備】野太刀
【所持品】なし
【思考】基本:目に付く者は皆殺し。
一:上泉信綱と武田赤音を殺す。
【備考】※理性は取り戻しましたが、尋常の精神状態にありません
※上泉信綱と武田赤音の名前を知りません。

【武田赤音@刃鳴散らす】
【状態】:健康、疲労(中)
【装備】:逆刃刀・真打@るろうに剣心
     現地調達した木の棒(丈は三尺二寸余り)
     竹光
     殺戮幼稚園@刃鳴散らす
【所持品】:支給品一式
【思考】基本:気の赴くままに行動する。とりあえずは老人(東郷重位)の打倒が目標。
     一:上泉信綱と岡田以蔵を実験台に剣を練磨する。
     二:強そうな剣者がいれば仕合ってみたい。
     三:女が相手なら戦って勝利すれば、“戦場での戦利品”として扱う。
     四:この“御前試合”の主催者と観客達は皆殺しにする。
     五:己に見合った剣(できれば「かぜ」)が欲しい。
【備考】
   ※人別帖をまだ読んでません。その上うわの空で白州にいたので、
   ※伊烏義阿がこの御前試合に参戦している事を未だ知りません。
   ※道着より、神谷活心流と神谷薫の名を把握しました。
   ※上泉信綱と岡田以蔵の名前を知りません。

武田赤音と上泉信綱が走り去った後、林崎甚助は訝しげな顔で辺りを見回した。
甚助としては、自分も信綱と共に赤音を追うつもりだったのだ。しかし、走り出そうとした甚助に信綱が一言。
「この場は任せる」
この場に何があるのか、何を任せると言うのか。甚助は不得要領のまま辺りを見回した。
と、信綱と赤音の気配が完全に消えてから、甚助はその場、民家の中にもう一つ気配が残っていることに気付く。
赤音の禍々しい剣気があまりに強烈で、それに紛れてもう一つの気配を感じ取れなかったようだ。
戸を開けて中に入ろうかとも思ったが、両手が自由にならない状態で襲われたら甚助には為す術がない。
「そこに居るのは何者だ!」
声を掛け、警戒していると、家の中で人が緩慢に動く物音がし、戸を開けて出て来たのが、神谷薫であった。

先にも述べたが、甚助は女人が苦手。ましてこのような特殊な状況で出会った女にどう接すれば良いのか。
無腰の女、しかも、今眠りから醒めたばかりの様子の女に必要以上の警戒を見せてしまった事を恥じる気持ちもあり、
同時に、あの見るからに危険な男の連れである以上、この女に対しても気を許すべきではないとも思える。
女の方はそんな甚助の逡巡を気にする様子もなく、無邪気に問いかけて来る。
「あの、剣心は?」
剣心などという名は知らなかった甚助だが、状況から武田赤音がそれだと考えたのも無理はあるまい。
「剣心?あの優男か」
武田赤音を評したこの表現が緋村剣心にも当てはまるものだったのは誰の不運であろうか。
甚助とて、どちらかと言えば優男の部類なのだが、彼は華奢な体格による剣腕の不足を必死の修練で克服して来た。
そんな彼が、女物の小袖という赤音の姿に反感を持つのも当然で、それが棘のある言い方に繋がったのかもしれない。
「今頃は伊勢守様に打ち倒されているであろう」
その言葉を聞き、顔色を変えて駆け出そうとする薫に対し、甚助は素早く抜刀して首に刀を突き付けて動きを封じる。
ああは言ったものの、小袖の男は油断ならぬ剣士。
この女が乱入して戦場が混乱すれば、まさかの番狂わせがないとも言えない。
もっとも、素手の女に刀を突き付けるような所業は甚助の望むところではないのも事実。
「心配せずとも伊勢守様は有情の方。あの優男の高慢をへし折りはしても傷付けはしない筈だ」
そう言って薫を静めようとする甚助だが、それは遅かった。
甚助の口からその言葉が発せられる直前に、叫び声が辺りを圧したからだ。

「薫殿!!」
そう大音声で叫びながら剣心は走っていた。
わざわざこんな大きな音を立てて自身の存在を触れ回れば、危険人物を招き寄せる危険がある。
危険人物でなくても、殺気立って走り回る剣心を見れば警戒するだろう。
それを承知の上で剣心は駆け回っていた。何としても薫を見付け、保護しなくては。
薫が剣心にとって大切な存在だというのもあるが、薫がこんな事に巻き込まれたのは己のせいだという責任感もある。
この御前試合の場で出会った剣士達は、いずれ劣らぬ超一流の剣士ばかりであった。
他にも名簿に載っていた幕末の動乱で活躍した剣士達や、伝説でのみ知る戦国から江戸期の剣豪達。
彼等が本物だとすれば……志々雄真実の存在を考えると本物の可能性が高いと思われるが……やはり最高峰の剣客ばかり。
そんな中、神谷薫の存在は、この御前試合の中で明らかに浮いている。
確かに彼女も剣客ではあるが、その実力は、天下無双を争える域には遠く及ばない。
にもかかわらず、どうして薫がこの島に呼ばれたのか。
考えられる事はただ一つ。薫を危機に曝す事で剣心の中の人斬りを呼び覚まそうというのだろう。
つまり、彼が薫を巻き込んだ事になる。その認識が薫への想いと相まって、剣心を追い詰めていた。
どれくらい捜し回ったか、剣心は遂に見付けた。喉元に刀を擬せられて絶体絶命の薫を。
その瞬間、剣心の中で何かが膨れ上がり、叫びながら駆け出していた。

「薫殿!!」
女を鎮める為に発そうとした言葉をかき消して叫び声が木霊する。
そちらを振り向いた甚助の目に飛び込んで来たのは、刀に手をかけて走って来る血まみれの男。
「剣心!」
男の叫びに呼応して女も叫ぶ。すると、女が言っていた剣心とはあの男か。では、小袖の男は一体……
甚助が不審に思っている間にも男は凄まじい走力で近付き、間合いに入ろうとしていた。
居合いの本義は納刀した状態から一挙動で切り付ける事で、相手が応戦の準備を整える前に倒す事にある。
裏を返せば、攻撃の機を逃せば先制されて無防備のまま攻撃を受ける危険があるという事だ。
それだけに、甚助は危険が迫れば事情がどうあれ自動的に居合いを使えるよう訓練を積んである。
素早く剣を引いて納刀し、居合いの構えを取るとそれだけで神経が研ぎ澄まされ、最適の行動が啓示の如く思い浮かぶのだ。

甚助は納刀して抜刀術の構えを取るが、限界以上の速度で走って来た剣心は既に間合いの間近まで迫っている。
このまま居合いを放っても剣心に対して振り遅れるのは必定……だが、そこは甚助も居合いの中興祖と言われる程の使い手。
疾走して来る剣心に対して自身も駆け寄り、相対速度を思い切り上げる。
居合いを奥義とする流派だけあって飛天御剣流の剣士は間合いの見切りに優れており、剣心も例外ではない。
とはいえ、限界を超える速度で疾走中に相手にも駆け寄られれば、流石に抜き打ちが間に合わず、振り遅れた。
互いに振り遅れた同士ならば事態は一転、後から動く甚助の方が有利になる。
抜き掛けた剣の柄を剣心の柄にぶつけて弾き、反動で横を向いて距離を確保すると、素早く納刀し、今度こそ抜刀術!
剣心も素早く刀を納めるが、弾かれた分だけ挙動が遅れて抜刀術は間に合わない。
その時、刀を抜こうとする甚助の耳に異音が届き、精神集中が失われて一瞬だけ動きが止まる。
剣心の神速の納刀によって凄まじい鍔鳴りが発生し、甚助の聴覚を揺さぶったのだ。
甚助はすぐに立ち直って居合いを放つが、その間に剣心も体勢を整えており、結果、二人の抜刀術が真っ向からぶつかり合う。

ギイイィィィン!
抜き打たれた二人の刀が衝突し、負荷に耐えかねた二本の武器が悲鳴を上げる。
耐え切れずにどちらかの得物が砕けるかと思えた時、二人の身体が同時に吹き飛ぶ。
剣心は鞘による抜き打ちを、甚助は鞘を半ば抜きかけての突きを、それぞれ相手に叩き込んだのだ。
全身への衝撃に耐えつつ着地し、素早く納刀する甚助。
鞘による攻撃を叩き込んだ点では両者同様だが、鞘を抜き放った剣心は再び居合いの構えを取るのに一挙動余計に掛かる筈。
その隙に抜刀術を叩き込もうと剣心の方を向いた甚助の前には、既に攻撃準備を整えた剣心の姿が。
緋村剣心と林崎甚助。剣の腕では優劣つけがたいが、強敵と戦って傷を受けた経験では剣心が遥かに勝る。
加えて、薫の危機で精神が高揚している剣心は、甚助の打撃の痛みを無視して即座に攻撃に出たのだ。
無論、再び抜刀術の体勢を整える暇はなかったが、彼の剣術は抜刀術以外も超一流、問題はない。
「九頭龍閃!」

突進しつつの九連撃が甚助を襲う。余程の剣士でなければ回避も防御も不可能な飛天御剣流の大技だ。
だが、欲を言えば剣心は土龍閃のような技で、甚助が居合いの構えを取る前に攻撃を仕掛けるべきだったかもしれない。
林崎甚助は、熊野明神に居合いの奥義を神授されたという、居合いに関しては神懸かった達人。
納刀して柄に手を掛けるだけで、正に神に憑かれたかのような冴えた動きを見せるのだ。
甚助は、剣心が乱撃術で襲って来るのを見るや、大地に転げて剣心に近付く。
九頭龍閃は九種の異なる斬撃を同時に放つ技。しかし、地に転げた相手に横薙ぎや切り上げは通用しない。
その上、乱撃術はどうしても一撃一撃の深さに欠ける為、切り下げや突きでも十分な打撃は与えられないだろう。
このまま九頭龍閃を強行すればいたずらに隙を作るだけの結果になりかねない、そう考えた剣心は技を止める。
その間に甚助は剣心の足元まで転がり寄ると膝を着き、十分な鞘引きを伴う座居合で真上にいる剣心を狙った。

(居ない!?)
必殺の居合いを放った甚助だが、その時点で剣心の姿はそこにはない。
甚助は一瞬動揺しかけるが、どうにかそれを抑え込んで刀を引き戻し、再び抜刀術の構えを取った。
そうして感覚が冴え渡ると、すぐに真上に剣心の気配が感じられる。
迷わず真上に向かって居合いを放つと、ちょうど上空から甚助を狙った剣が振り下ろされ、再び両者の剣はぶつかり合う。
甚助が足元に潜り込んだ瞬間、剣心が天狗の如き跳躍力で上空に逃げ真上からの反撃を狙って来たのだ。

剣を咬み合わせたまま剣心は着地し、甚助の剣を絡み取って武器破壊技を仕掛けてくる。
ギリッ
己の剣の軋みを聞き取った甚助はその峰に手を添えて守り、そこを支点に身体を回転させ、柄で剣心を狙う。
しかし、剣を抜いた後の立ち回りではやはり剣心が数段上手。
甚助の動きに合わせて自身の身体を回転させると背後に回りこみ、その背中を峰打ちで強打した。
背中に衝撃を受けて吹き飛ぶ甚助。
吹き飛びながらも辛うじて剣を鞘に納め、背後から追って来る気配に向けて居合いを放つ!
対して、吹き飛んだ甚助を追っていた剣心は、甚助がこちらの位置を十分に確認せずに居合いを放つのを見て足を緩める。
甚助は頻繁に居合いを使って来るが、そもそも居合はかわされると敵に大きな隙を見せる諸刃の剣。
しかも、敵に背を見せた状態からの居合では、外した後に先程のような鞘による突きを放っても相手に届かない。
ここで剣心が甚助の居合いを見切ってかわせば、急所にもう一撃を叩き込んで打ち倒す事ができるだろう。
そう見込んで刀を構えた剣心だが、次の瞬間、腹部に衝撃を受けて逆に吹き飛ばされる。
背後の敵への居合いでは確実に相手を捉えるのは不可能と見た甚助が、鞘ごとの抜き打ちを放ったのだ。
結果、振られる刀の遠心力によって鞘が半ば抜け、剣の間合いの外に居た剣心を強かに打った。
吹き飛ばされながらも超人的な身ごなしで着地した剣心は、再び甚助に突進しようとし……
「うぐっ!?」
吐血してその場に膝を付く。

剣心は甚助に一撃を受けたが、その打撃自体は中空の鞘による物なのだから、高が知れている。
だが、それ以前に剣心の身体はもう限界に達しようとしていたのだ。
志々雄真実、三合目陶器師、林崎甚助と強敵との三連戦。
しかも、戦いの合間は休みも傷の手当てもせずに全速力で駆け回っていたのだ。
如何に武術の達人とはいえ、剣心も人の子。
これまでは薫への強い想いで痛みも疲労も無視して来たが、如何に思いが強くても生物学的限界をも無視できる筈はない。
その生物としての限界が間近に迫っているのだ。
それでも何とか立ち上がり、甚助を見ると、鞘を半ばまで抜いての異様な居合いの構えを取っている。
「卍抜けか……」
緋村剣心はかつて、抜刀術の全てを知り極めたと称して抜刀斎を名乗った程の剣士。
甚助が林崎流の剣客だという事はとうに悟っているし、その奥義である卍抜けについても知っている。
そして、甚助ほどの達人が使う卍抜けに対抗し得る技は、飛天御剣流の多彩な技の中でも一つしかないという事も。
飛天御剣流奥義――天翔龍閃。この技ならば卍抜けにも十分対抗可能だという自信が剣心にはあった。
だが、今の傷付き疲労した身体で、完全な天翔龍閃を放つ事が出来るかどうか……

「剣心!」
声に振り向くと、薫がこちらに向かって駆け寄って来ていた。
同時に、こちらの注意が逸れたのを感じた甚助も駆け寄り、卍抜けを放とうとする。
もし剣心が避ければ、代わりに薫が卍抜けの餌食になるかもしれない。
こうなれば剣心の選択肢はただ一つ。全身全霊を賭けた奥義で卍抜けを打ち破るのみ!

その交錯は常人には……いや、剣士として一通りの修練を積んだ神谷薫にすら感じ取れない刹那の出来事であった。
飛天御剣流「天翔龍閃」と神夢想林崎流「卍抜け」。二つの奥義が真っ向からぶつかり合い、倒れたのは緋村剣心の方。
傷や疲労のせいで天翔龍閃が不完全だった……という訳ではない。
むしろ、大切な人への強い思いが籠もった天翔龍閃は、師の比古清十郎すら眼を瞠るであろう程の超々神速を発揮した。
実際、単純な速度だけならば天翔龍閃が卍抜けを一枚上回っていたであろう。
しかし、林崎流の居合いは相手が戦闘態勢を整える前に討つ為の技であり、より重視されるのは速さよりも早さ。
天翔龍閃は左足の踏み込みで剣を加速するが、それは剣が鞘から抜けるまでの必要距離が長くなる事に繋がる。
対して、卍抜けでは天翔龍閃とは対称的に、抜刀の際に鞘を引く。
これによって鞘走りによる加速距離が短くなり、最終的な速度が抑えられる代わりに、剣が鞘から離れる瞬間は速くなる。
速度では天翔龍閃には及ばない為、もしも剣心が防御に徹していたならば、或いは凌ぎ切られた可能性も零ではない。
しかし、抜刀術の撃ち合いという事になれば、相手より一瞬でも早く刃を敵の身体に届かせる事が全て。
そういう勝負ならば、甚助の卍抜けはこの御前試合の参加者の誰にも負ける事はないだろう。
もっとも、甚助も無傷ではない。剣心の天翔龍閃によって右腕に深手を受けている。
卍抜けが剣心に届くのがあとほんの少し遅れていたら、骨にまで達していたかもしれない。
甚助は素早く刀を左手に持ち替え、剣心にとどめを刺そうとするが、ここで薫が二人の元に辿り着いた。

「やめて!」
そう叫び、神谷薫は無謀にも素手で林崎甚助に躍り掛かる。対して甚助は、薫に向けて何とも散漫な一撃を放ってしまった。
甚助が負傷した為に、剣心に対する卍抜けの一撃は完全ではなく、致命傷は与えていない。
腕に深傷を負って居合いが使えない状態で、もしも剣心が立ち上がって来れば、甚助の勝ちは覚束ないだろう。
よって、すぐに薫を排除して剣心の息の根を止める必要があるのだが、だからと言って素手の女を斬るのは主義に反する。
その辺りの葛藤が甚助に中途半端な一撃を放たせる要因となったのであろうが、これは剣客にあるまじき油断だ。
まあ、甚助にも言い分はあるだろう。動きを見れば明らかなように、甚助と薫では竜と子猫ほどの実力差があった。
仮に竜が油断したとしても、子猫がどうにかできる筈もない。竜にとっては気のない一撃でも、子猫は肉塊になるしかない。
しかし、ここは蠱毒の島。中で剣が打ち合わされ、血が流れる度に剣士達に邪なる力が流れ込む。
その結果、竜は大海を治める龍王にも勝る大竜となったが、子猫も猛虎ほどの力を手に入れた。
まともに戦えば勝敗は揺るがないが、猫も竜が油断をすれば眼球に牙を突き立てる程度の事は出来るようになっているのだ。
今回、猫は竜がいい加減に繰り出した尾を加え、牙を突き立てた。つまり、薫が甚助の刀を白羽取りで止めたのである。
「何!?」
実力差を考えれば有り得ない現象に動揺した甚助は剣を捻って薫を振り払おうとするが……
ギンッ
剣心との激闘で既に限界が来ていたのだろう。剣はあっさりとへし折れ、甚助と薫は揃って体勢を崩した。
そして、ここで倒れた龍の牙が風を巻き起こす。

天翔龍閃はただ速いだけの抜刀術ではない。その超神速の剣が真空の空間を作り、それが第一撃を凌いだ敵を縛る。
剣心は卍抜けに倒れたとはいえ、その時には既に、天翔龍閃は普段以上の速度で放たれていた。
それによってできた真空が、一拍の間を置いた今になって漸く元に戻ろうとしているのだ。
無論、剣心が斃れている以上、風に動きを封じられた甚助を切り裂く爪は存在しない。
その代わり、甚助と薫は真空を埋めようとする空気の流れに引き寄せられ……

神谷薫は信じられない思いで己の手を見詰めていた。林崎甚助の末期の血に染まった手を。
天翔龍閃で生まれた真空に引き寄せられた時、偶然にも薫が持っていた刀の切っ先が甚助の喉元に突き刺さったのだ。
自らの手で人を殺してしまうという、活人剣を標榜する者としてはありうべからざる大不祥事。
如何に偶然の事故とは言え、殺人という事実は、薫の活人剣士としての道を、非常に険しい物とする事だろう。
だが、今はそれを考えている時ではない。早く安全な所に行って剣心を手当てしなくては。
薫はそう思い直すと、剣心を抱えて歩き出す。血の臭いが充満した城下に、更なる血化粧を施しながら。

ここで疑問が一つ。今回の件は本当に偶然の事故なのだろうか。
甚助の負傷と蠱毒による力があったとはいえ、薫が林崎甚助のような剣豪を討つなどという事はまず有り得ぬ事だ。
無論、普通なら有り得ない番狂わせが時に起きるのが真剣勝負というものではある。
しかし、参加者の中で場違いなほどに技量で劣る薫が、たまたま金星を挙げるというのは少し出来過ぎではないか。
そもそも、神谷薫は何故もっと腕の立つ剣士達を押しのけてこの御前試合に招かれたのか。
緋村剣心は自身を追い詰めて積極的に戦わせる為の駒として薫が呼ばれたと推測していたようだが、
それなら剣心を呼んで妙な小細工をせずとも、歴代の比古清十郎の中から好戦的な者を呼んで来れば良い筈だろう。
薫には何か別の役割が期待されているのか、それとも普通に参加者の一人として招かれたのか。
どちらにせよ、薫が他の剣士と戦い、実力通りにあっさり殺されてはわざわざ呼んだ意味がないというものだ。
現に甚助を破った事と考え合わせると、薫には何らかの庇護が与えられているのかもしれない。
例えば、技量に劣る分を埋め合わせる分だけ幸運に恵まれているとか。
だとすると、今回の甚助の死も偶然ではなく、薫の意志が介在している可能性がある。
その場合、薫は二度と活人剣などと言えなくなるが。
果たして真実は何処にあるのか。そして、それが明らかになる日は来るのであろうか。

【林崎甚助@史実 死亡】
【残り六十四名】

【へノ肆 城下町/一日目/早朝】

【緋村剣心@るろうに剣心】
【状態】気絶、全身に打撲裂傷、肩に重傷、疲労大
【装備】打刀
【所持品】なし
【思考】基本:この殺し合いを止め、東京へ帰る。
一:川に落ちた神谷薫を探す。
二:志士雄真実と対峙している仲間と合流する。
三:三合目陶物師はいずれ倒す。
【備考】
※京都編終了後からの参加です。
※三合目陶物師の存在に危険を感じましたが名前を知りません。

【神谷薫@るろうに剣心】
【状態】打撲(軽症) 精神的ショック
【装備】なし
【道具】なし
【思考】基本:死合を止める。主催者に対する怒り。
     一:安全な場所で剣心を手当てする。
     二:人は殺さない。
【備考】
   ※京都編終了後、人誅編以前からの参戦です。
   ※人別帖は確認しました。

※へノ肆に、林崎甚助の行李と折れた長柄刀が放置されています。



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戦慄の活人剣 上泉信綱 すくいきれないもの
戦慄の活人剣 林崎甚助 【死亡】
血だるま剣法/おのれらに告ぐ 岡田以蔵 すくいきれないもの
真宵 武田赤音 すくいきれないもの
真宵 神谷薫 すれ違い続ける剣士達
真宵 緋村剣心 すれ違い続ける剣士達

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最終更新:2010年07月06日 22:14