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*鬼滅の刃考察 鬼滅の刃の考察等適当にまとめ。 ---- #contents(fromhere) ---- **時代設定 「大正時代」の日本が舞台となっている。 さらに詳しく考察するなら、 ① あらすじでは1話の時点で「時は大正時代」と明記してある。 ② 2年後の手鬼「47年前は江戸時代慶応だった」との発言。 両方の条件が成り立つ年を逆算すると、 作中は1話時点で大正元年~3年(西暦1912~1914年)辺り、2年後の選抜試験が西暦1914~1916年辺りと推測される。((第一次世界大戦が1914~1918年、日本は第2次大隈重信内閣ぐらいの頃である。世界と日本の関わりで言うなら所謂21ヶ条の要求を中華民国の袁世凱に突きつけた頃である。)) ③ さらに年号改変日から詳しく考察すると、より具体的な時期が見えてくる。 ・竈門家襲撃直前に、炭治郎が「正月ぐらいは腹いっぱい食わせてやりたい」と発言している事から、第1話は旧正月前((※大正時代はまだ旧正月を祝う事が一般的。かつ第2話の時点で下山すると雪がほとんど融けているため、12月とは考えにくい。))の2月上旬ごろ。 ・大正元年は1912年7月30日始まりなので、第一話の時点での最短は1913年2月。 ・慶応年間のおしまい(=明治開始)は、公式には1868年1月だが、この年の9月に、1/1に遡って明治にするように交付されたため、年号鬼が慶応年間と認識しうるのは、1865年5月~1868年9月の範囲となる。従って狭霧山の隊士選抜試験は1912年5月~1915年9月が範囲となる。1話時点ですでに大正時代なのだとすると、竈門家襲撃は1913年2月と確定する。((1914年以降であると、2年後が1916年になってしまい、年号鬼が47年前に捕まったという事実と矛盾してしまうため)) ・隊士選抜最終試験では、「藤の花が咲く季節じゃないのに」と炭治郎が発言していることから、藤の花が本来咲く時期である4~5月を除外する。すると選抜試験は1915年6月~1915年9月に行われたと断定できる。 ・上記の考察が正しいとすると、年号鬼が鱗滝に捕まったのは1868年。((本人の認識はともあれ、実際には明治期につかまったことになる。 ※47年前と具体的に覚えているならば明治何年かを聞く必要はなかったのでは……)) 年号鬼が捕まった時期についての具体的な年表 ※明治6年までは太陰暦なので、大正時代とは1か月弱ほどズレる ---------------------------------------- ×1865/05/01 慶応開始だが、47年後がまだ明治になってしまうので排除 〇1865/07/30 慶応年間かつ47年前の最短 〇1868/01/01 明治適用だが、遡って適用されたため、「慶応年間に捕まった」との認識とは矛盾しない 〇1868/09/08 明治発表 ×1868/10/23 実際の明治適用だが、1/1に遡って適用されることがすでに9/8に公布されているため「慶応年間に捕まった」とは言いがたい 隊士選抜試験の時期についての具体的な年表 ------------------------------------- ×1912/05/01 慶応から47年後の最短だが大正以前につき除去 〇1912/07/30 大正開始 〇1915/01/01 明治適用から数えて47年後 〇1915/09/08 明治発表から数えて47年後 ×1915/10/23 慶応から47年後の最長だが慶応年間と矛盾するため除去 竈門家襲撃の時期についての具体的な年表 ------------------------------------- ×1912/07/30 大正開始だがまだ夏 〇1913/02ごろ 1913年の旧正月が、2月6日なのでその直前か ×1914/02ごろ 季節的には問題ないが、2年後が1916年になってしまう。 ただし、大正後期のモダンガール服装等も登場しているので、 &bold(){&color(blue){厳密には史実に合わせた設定ではなく、あくまでパラレルの大正時代っぽい世界観だと思われる。}} &bold(){&color(blue){いわゆる大正ロマン表現。}} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **政府と鬼殺隊の関係 鬼殺隊は「政府から正式に認められていない組織」と明記されているが、 ① 公務員ではない鬼殺隊が帯刀しているのにスルーしているように見える。しかし、54話にて警官に帯刀をしているため警戒されていた ことから政府のごく一部の人のみが知っている可能性が高い。 ② 鬼殺隊への給金の資金提供の謎。(実は政府からこっそり援助?) ③ 読み切りの設定では鬼殺隊のことを警官も知っていたので政府が裏で公認していた。 読み切り時の設定から大きく変化していなければ政府が裏で援助している可能性が高い。 というか鬼が各地に多数存在している=各地で大量に人が死んでいると考えられるので、 政府に全く情報が入っていないほうが不自然。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **作中登場地について ***竈門家の場所 本編では「山奥で雪深い場所」「巨大なツキノワグマが出る」ぐらいしか描写がなかったが、冨岡義勇外伝において、「マタギ文化を有する山村の隣山」という描写を確認。但し、別作者外伝につき解釈ミスの可能性有り。 追記:公式ファンブックによると竈門家の場所は東京府 奥多摩郡 雲取山(現:西多摩郡 雲取山)で確定。 なお、当時から既に多摩には青梅線が開通しており、少し街に出れば汽車を見る事は可能である。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- ***狭霧山の場所 竈門家との位置関係は明らかになっていないものの、1話であれほど雪深かったにもかかわらず、 下山後には全く雪が見えなかったことを考えると、竈門家からは徒歩(13歳の少年が幼児程度の荷物を籠で背負って)で1か月以上の道のりがあるほど遠いと推測される。 現実で考えれば高地トレーニング可能で、しかも霧が濃い山地といえば、長野県の「御嶽山」あたりか。 霧のほうに重点を置くならばその近くの「霧ヶ峰」も候補かもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- ***藤襲山の場所 藤襲山の場所は明らかになっていないが、最終試験合格後の炭治郎が「筋肉痛が癒えないうちに」狭霧山の鱗滝宅に到着していることから、狭霧山からは徒歩で半日~2日ほどの場所にあると想定される。また「日輪刀が出来上がるまで10~15日」かかるとされる中で、「玉鋼を鍛冶の里まで運ぶ」「完成した日輪刀を狭霧山の鱗滝宅に運ぶ」の期間を含めても、炭治郎が鱗滝宅到着から15日後に日輪刀が届いていることから、鍛冶の里からも決してそう遠く離れているわけではない事が推測される。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- ***鱗滝左近次の出身地 -鱗滝が常に天狗の面を身に着けている -「日輪刀を折ればお前の骨を折る」と言うほど日輪刀を大事にしている。&br()※鬼との戦いで日輪刀が破損するのはよくある事 -「相変わらず人の話を聞かん男だな」との発言から、鉄鋼塚と親交が深そう。 -藤襲山から鍛冶の里までそれほど遠く離れていない 以上の根拠から、鱗滝は鍛冶の里の出身ではないかと推測される。 追記:アニメ大正こそこそ噂話にて、常時天狗の面の理由は「顔立ちが優しいので鬼に馬鹿にされないように」との理由と判明。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- ***少女が消える北西の街の場所 炭治郎の最初の任務の場所であるが、狭霧山から見て北西の街だという事は明らかになっているものの、距離が不明である。しかし次の任務が東京府浅草であり、しかも炭治郎はこの街を深夜に出発してから2日後に到着していることから、この街は北関東のどこかと思われる。 追記:アニメではこの街に電線がかなり普及していることが表現されていた。史実では大正時代前半は、雨後の筍のごとく電線製造所が創立された時期である。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- ***鼓屋敷の場所 鼓屋敷は浅草から南南東の箇所にある山間の屋敷である。浅草から南南東の場所に実際にあるのは浦安あたりか(但し、浦安には埋立地で山がなく、山間部は存在しない)。東京湾を迂回し、房総半島の山間部に向かうルートであれば、鎹烏は「南南東」とは言わないだろう 房総半島は平野部ばかりで山といえるものはほぼないのだが、強いて候補を挙げれば400メートル級の愛宕山辺り? &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- ***那田蜘蛛山の場所 鼓屋敷での激闘を終え、藤の家で骨折が完治するころに、緊急指令として向かうように指示されたことから、那田蜘蛛山に近い隊員が緊急出動と仮定すると鼓屋敷からそれほど離れていない場所だと推測される。 浅草から南南東の箇所から最も山地に近いのは房総半島の愛宕山辺りだろうか。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼舞辻無惨が竈門家を襲った理由 鬼舞辻無惨と竈門一族に因縁がある為、まるで竈門家を狙って襲撃したように見えるが、 ①浅草で炭治郎の耳飾りを見て、初めて「過去に鬼舞辻無惨を追い詰めた剣士の末裔」だと認識。 ②浅草で部下に指示を出す際に炭治郎の名前を知らなかった。 よって、竈門家の情報を予め知っていたわけではなく、偶然立ち寄った可能性が高い。 とはいえ、理由も無く山中の竈門家に偶然立ち寄ったという事も考えにくい為、 追っ手を巻く為に鬼を創った可能性も考えられる。たまたま逃走ルートに竈門家があったのかも? あるいは本当に竈門家を狙って襲撃したが、家族構成までは把握していなかったので、外出中の炭治郎の存在を知らずに一族全員を根絶やしにできたと思い込んだ可能性もある。 また鬼舞辻無惨は、「太陽を克服した鬼を作り出し、取り込むため」と「青い彼岸花を捜索させる」の二つの目的((それを阻む鬼殺隊および柱を誅殺する、というのはこの二つの目的を達成するための「手段」であり、副次的になものであって主たる目的ではない))で増やしたくもない同類を増やしていることが判明した。 いずれの目的も人を喰らう鬼の存在が世間に露呈しては都合が悪く、また作り出した鬼がすぐに討伐されても意味がない。 そして悲鳴嶼の出身地のように「夜は鬼が入ってこないように対策する」事が当たり前になっているところでは鬼も活動しにくい。 このため鬼舞辻無惨は必然的に「鬼の存在が知られておらず、しかも殺人事件がすぐには露呈しないような人里離れた場所」に新しい鬼を配置することになる。 さらに「青い彼岸花」の捜索範囲を広げるというメリットもあるため、鬼舞辻無惨が「鬼の伝承のない辺鄙な場所の、人里離れた一軒家」を狙うのは自然なことと言える。 まぁどちらにせよ、現時点ではどの説も推測の域を出ないのだが。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼舞辻無惨は何故禰豆子だけ鬼にしたのか 鬼に変貌した直後は極度の飢餓状態になるので、食糧(人間)が必要となる。 よって、適当に1人だけ鬼にして、残りの家族を食糧用としてあえて鬼にしていないと考えられる。 他の鬼の回想から見ても、鬼にされた者は一番初めに家族を喰べている描写が多々ある。 実は鬼舞辻無惨が家族同士で食人させたいだけの悪趣味な遊びかもしれない。 //あるいは、日の呼吸の協力者だった竈門一族の最後の一人を鬼にすることで、一族を貶めて憂さを晴らしたという線もあり得る。 //↑無惨様は日の呼吸トラウマがあるので自ら足を運ばない気がします。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼舞辻無惨が浅草にいた理由 設定上、鬼舞辻無惨自ら鬼を造る必要があるので、 全国に鬼が存在するならば、鬼舞辻無惨は全国を行脚していると考えるのが妥当である。 よって、浅草に住んでいるのではなく、行脚中にたまたま浅草に寄った可能性が高い。 家族には商談と説明しているシーンがあるので、商談行脚に装っていると推測される。 追記:堕姫を配置した吉原にも程近いため、情報収集に適した場所でもある。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **浅草の鬼舞辻無惨と累回想の鬼舞辻無惨が別人に見える件について 浅草の鬼舞辻無惨と累回想の鬼舞辻無惨では明らかに髪質が違う為、別人のように見える。 よって、本物の「月彦(人間)」を殺害し、月彦の姿に擬態して成り代わっているのではないかと推察されている。 追記:第51話では女性の姿に擬態していたことから、月彦の姿も擬態していた可能性が濃厚となった。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼舞辻無惨の装いから見る鬼達の事情 鬼舞辻無惨は千年以上の永い時を生き、人間を装って生きている以上一定の周期で姿を変え、時代に即した服装をすることは当然だとおもわれる。 例えば彼が産まれた平安時代であれば和服の礼装、狛治を鬼に変えた江戸時代には着流し、作中の現代である大正時代には洋装をしている。(何故かほぼ全てペイズリー柄) つまりここから逆説的に、無惨の服装が近ければ時代も近いという仮説(妄想)を立ててみる。 例えば狛治と半天狗(生前)の前に現れた無惨の姿(着物、長襦袢、顔の造形、髪型)が一致する。 また、累と響凱の前に現れた無惨の服装は帽子とリボンタイが一致しており、寝間着、全裸・半裸、俊國に次ぐ貴重なペイズリーオフ。 つまり、響凱のリストラと累の鬼化が近い時期の可能性がある。 続いて沼鬼の回想シーンでは『頭に角がなく(人間時)』『忍者らしい服装』の彼が、『襟にペイズリー柄のジャケット』の無惨に口止めをされていた。その時の無惨の服装が浅草に潜む『月彦』と同じ。 つまり有能な血鬼術(分身・沼空間)を2つも備えた沼鬼だが、鬼になってまだ数年という可能性がある。 とはいえメタ的な視点で見るのであれば登場順としては 『沼鬼の回想』→『浅草の月彦』→『響凱の回想』→『累の回想』→『女装』となるため、 響凱と累の回想に登場した無惨の姿は、単に彼が自在に姿を変えることへの伏線として仕込まれただけなのかもしれない。 #region(作中登場した無惨様の服装など) 作中登場した無惨様の服装など(筆者確認の限り) |作中登場順|作中時系列(推測)|体型|内容|髪質| |鱗滝さんのイメージ|不明(作中現代?)|男性|白い帽子 ネクタイ白 黒シャツ 襟がペイズリー柄の黒いジャケット|パーマ| |沼鬼の回想|不明(作中現代?)|男性|白い帽子 ネクタイ白 黒シャツ 襟がペイズリー柄の黒いジャケット|パーマ| |浅草の月彦|作中現代1|男性|白い帽子 ネクタイ白 黒シャツ 襟がペイズリー柄の黒いジャケット|パーマ| |無惨の回想|戦国時代|男性?|ペイズリー柄の着物 白袴|パーマ?| |響凱の回想|不明|男性|白い帽子 リボンタイ黒 白シャツ 白ジャケット 黒チョッキ|パーマ| |累の回想(勧誘)|不明|男性|リボンタイ黒 白シャツ 白ジャケット グレーチョッキ 裁着袴黒|ストレート| |同(励まし)|上の直後|男性|リボンタイ黒 白シャツ 襟が黒い白ジャケット グレーチョッキ ズボン白|ストレート| |下弦解体時|作中現代2|女性|花模様の着物 ペイズリー柄の帯|パーマ| |俊國少年|作中現代3|少年|白シャツ 半ズボン黒|パーマ?| |堕姫訪問時|作中現代4|男性|白い帽子 ネクタイ白 黒シャツ 襟がペイズリー柄の黒いジャケット|パーマ| |上弦招集時|作中現代5|男性|ネクタイ黒 白シャツ ペイズリー柄のチョッキ ズボン黒|パーマ| |半天狗の走馬灯|江戸時代?|男性|ペイズリー柄の着流し 白い長襦袢 黒い帯 長髪|パーマ| |禰豆子太陽克服時|作中現代6|少年→男性|白シャツ→黒シャツ 半ズボン黒→ズボン白|パーマ?→パーマ| |無惨の過去(治療中)|平安時代1|男性|白い長襦袢(病人衣)?|パーマ| |同(治療後)|平安時代2|男性|ペイズリー柄の和装礼服 烏帽子|?| |産屋敷邸訪問|作中現代7|男性|ネクタイ黒 白シャツ ペイズリー柄のチョッキ 白ジャケット 黒コート(マント?) ズボン白|パーマ| |産屋敷邸自爆|作中現代8|男性|上裸 ズボン白|パーマ| |狛治との相対時|江戸時代?|男性|ペイズリー柄の着流し 白い長襦袢 黒い帯 長髪|パーマ| |厳勝の回想|戦国時代|男性|ペイズリー柄の着物 黒い長襦袢 黒袴|パーマ| |現在|作中現代9|男性|全裸 白い長髪|パーマ| なお、禰豆子太陽克服時に興奮して大人の姿になったときのベルトのバックルと、産屋敷邸が自爆した後のベルトのバックルは同じ形をしている。 一部の服は顔を変化させるように自らの体から生み出している可能性もある。 #endregion &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **冨岡義勇の「傷口に鬼の血を浴びたから鬼になった」発言 まるで「その辺の鬼の血を浴びたら鬼になってしまう」的な発言だが、 実際は鬼にできるのは「鬼舞辻無惨」の血液のみ。(一部例外有り) 一見、義勇さんの説明が間違っているような印象を受けるが、 鬼の存在を初めて知ったばかりの人間に 「傷口に"鬼舞辻無惨"の血を浴びたから鬼になった」と説明してもピンと来ないはず。 //さらに珠世様の研究によれば、鬼には鬼舞辻無惨の血液が量の大小を問わず必ず含まれているため、一般人が鬼から血液を浴びた際に、その血液中に運悪く鬼舞辻無惨の血液が含まれてた場合には鬼化してしまう可能性は十分にある。((実際に不死川玄弥はこの特性を利用して鬼化していると思われる)) //↑現時点では一般人が鬼から血液を浴びた際に鬼化する描写が出てないのでコメントアウトします このため鬼の関して無知な一般人にも解り易く説明するなら 作中通り「傷口に鬼の血を浴びたから鬼になった」が妥当ということですね。"わかるよ" &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **冨岡義勇は本当に遅刻キャラなのか 「あと半日早く来ていれば(略)」との描写がある為、一見任務に遅刻して無惨を獲り逃したように見える。 しかし、元々の目的地が竈門家もしくは鬼舞辻無惨を追っていたとは明言していない。 仮に目的が竈門家の警護だったと仮定すると、生き残りの炭治郎を保護するはずなので、おそらく違う。 また、鬼舞辻無惨を追っていたのなら、のんびり炭治郎が起きるのを待つのもおかしいので、これもおそらく違う。 よって、別の任務の帰り道だった、もしくは鱗滝さんに挨拶をしてきた帰り道等に「偶然」炭治郎と遭遇しただけの可能性がある。 つまり「あと半日早く来ていれば(略)」=「あと半日早く(ここを偶然通って)いれば(略)」なのかもしれない。 さらに言えば、本当に無惨を追っていたとしてもそもそも発見報告そのものが遅かった可能性もある。 結論として、&bold(){&color(blue){「義勇さんは遅刻してない!」}}←結局これが言いたかった為に理屈をこねたのです。"わかるよ" &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **冨岡義勇の手紙の違和感 鱗滝に宛てた手紙に''「鬼殺の剣士になりたいという少年をそちらに向かわせました」''の一文があるが、 1話時点では、 ①「鬼」なら禰豆子を元に戻す方法を知っているかもしれない。 ② 弱いままでは「鬼」から情報を得られない。 ③ 狭霧山の鱗滝左近次に会え。(会う理由は伝えず) 以上、3点しか炭治郎に伝えていません。 実際に「鬼」から情報を得る為には鬼よりも強くなる必要があるので「鬼殺の剣士」になるべきという論理は正しいが、 炭治郎は1話時点では「鬼殺の剣士以外だと鬼を殺せない」ことを知らないので、「鬼殺の剣士になりたい」とは義勇に一言も伝えていない。 この時点では義勇は炭治郎の心情を知り得ないはずので、この手紙の一文は齟齬をきたしている。 ※読者視点では炭治郎が「なんらかの方法で強くなる決意をした」描写はあるが、具体的に「鬼殺の剣士を目指す」ことを伝えた描写はない。 ※炭治郎視点では「鱗滝左近次という人物の正体は不明だが、とりあえず助言に従ってみる」形になる。 しかし、3話に登場した鱗滝さんの「鬼殺の剣士の適正を試す」発言に炭治郎が疑問を持たず従っている。 読者視点ではここで初めて炭治郎が1話最後の時点で「鬼殺の剣士」を目指す決意をしていたことを知ることになるので、 炭治郎が「鬼殺の剣士」を目指したい心情と義勇さんの「鬼殺の剣士」への推薦が偶然噛み合っただけ=結果オーライという現象になっている。 結果論では手紙の内容は正解だったが、義勇さんはどのようにして炭治郎の心情を知り得たのか。 この部分の展開のズレを整合させる為に考察するなら、 &bold(){&color(blue){説①:義勇さんが炭治郎や善逸のように心情が読める能力持ちで『炭治郎が鬼殺の剣士になりたい』感情を読み取った。(これなら一切問題無し)}} &bold(){&color(blue){説②:手紙は義勇さんの先走りだが、炭治郎の嗅覚で『鬼殺の剣士を勧める匂いがした!』(炭治郎の嗅覚パネェ論)}} &bold(){&color(blue){説③:手紙は義勇さんの先走りだが、炭治郎の希望と偶然合っていた。(運命論)}} &bold(){&color(blue){説④:義勇さんが「俺が全部ちゃんとするから(炭治郎)」=「何でもしますから」の意と判断した。(解釈違い論)}} &bold(){&color(blue){説⑤:義勇さんが「炭治郎に直接鬼殺の剣士を勧める話をした」と思い込んでいた。(うっかりです、てへ論)}} &bold(){&color(blue){説⑥:吾峠先生は天然だから。(ド本命)}} 以上のどれかの説で解決。 え?フォローが苦しい?"わかるよ" 余談:単行本5~6巻あたりの描写では義勇さんがかなり天然っぽいので、説⑤が本命の可能性が濃厚に?"わかるよ" &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **『錆兎を斬ったと思ったら岩が斬れていた』描写のモデル 奈良県天石立神社:&bold(){&color(blue){『一刀石』の伝説}}がモデルになっていると思われる。 #blockquote(){&bold(){柳生新陰流の始祖・石舟斎(柳生宗厳)が戸岩谷(といわだに)の山で三年間、天狗を相手に剣術修行を重ねる。&br()最後に天狗と試合をし、一刀のもとに斬り捨てたと思いきや、天狗の姿が消えて2つに割れた巨石が残ったという逸話。}} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **『厄除の面』は『厄寄せ』の面だったのか 皮肉にも『厄除の面』が手鬼のターゲット目印となっていたので、逆に厄を呼び寄せているように見える。 しかし、炭治郎も手鬼に狙われたが、初撃を受けた際に『厄除の面』が割れていることから、 本来なら即死のところを『厄除の面』が身代わりになってくれたのかもしれない。 ※初撃で&bold(){&color(red){「顔面を抉る攻撃」と「ボディーブロー」の二点同時攻撃}}を喰らっており、   『厄除の面』と同箇所に痕が残る程の深い傷を負っているので&bold(){&color(red){『厄除の面』がなければ即死していた可能性が高い。}} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **第6話最終選別開始時のクール系強キャラに見える善逸 開始前から顔を怪我しており、一見歴戦の猛者に見える。 しかし、善逸の性格が判明した現在では どう考えても最終選別の参加を渋って育手のじいちゃんに顔をゴチンゴチンされたとしか思えない。 追記:アニメの大正コソコソ噂話でこの説が事実と確定した。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **第9話にて禰豆子が鱗滝さんの玄関戸を蹴り飛ばした理由 鬼になってから頭の働きが鈍っているとはいえ、他にも原因があるのかもしれない。 説①:炭治郎が帰ってきた気配を感じてテンションが上がった。 説②:建付けが悪くて中々開かなかったのでイラッとして蹴り飛ばした。 説③:人間だった頃も意外と足癖が悪くて障子とか足で開けていた。   (よく六太をおんぶして両手が塞がっていたので) &bold(){&color(blue){結論、扉を蹴り飛ばす禰豆子がお転婆可愛いからどうでも良い。}} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **何故鎹鴉は人語を話すのか 一切謎。品種改良した鴉とか?鬼殺隊当主:産屋敷耀哉の術とか? 実際に人語を話す鴉は存在するが、このような鴉の共通点は人に保護されていることである。 これは人の環境に適応するためと考えられており、この条件を満たすような鴉を話せるように 教育することは可能である。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **何故善逸の鎹鴉のみ雀なのか 一切謎。まあ善逸だしね… 追記:あえて「善逸に鎹雀が割り当てられた理由」を推測してみると…… 「聴力に優れており、音によって感情を推察することが可能な善逸ならば、チュン太郎の言葉を理解できるはず」という期待の元、チュン太郎が割り当てられたのかもしれない。 あるいは歴代の雷柱、鳴柱、音柱にそれができた実績があったのかもしれない。 しかし本編の描写を見る限り、善逸は音によって相手の強さや状態を測る事は得意であるものの、感情の読み取りはあまり得意ではない描写がある(しのぶさんの音を「規則性がなくてちょっとこわい」と表現しており、しのぶさんの内に秘めた怒りを見いだせなかった)。 むしろ嗅覚に秀でた炭治郎のほうが動物との意思疎通に長けている描写がある。 結果論だが、鎹雀はむしろ炭治郎に割り当てられるべきであった。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **何故チュン太郎の鳥語が炭治郎のみ理解できるのか 聴覚特化なのに善逸が鳥語を理解できず、嗅覚特化の炭治郎が鳥語を理解できる理由は一切謎。 5巻オマケページでは、柱であるしのぶさんにすら鳥語が通じてない為、炭治郎だけが特別に鳥語を理解出来る模様。 長男すごい。 追記:前述の通り、善逸は他者の感情を音で読み取れるが炭治郎と比較して一歩劣る可能性があり、むしろ炭治郎のほうが的確に感情を読み取ることが出来ることから、炭治郎が鳥語を理解するのは当然と言えるかもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **珠世様の年齢について 鬼化の研究に200年以上掛かったとの発言から、 少なくとも&bold(){&color(red){《この先の文章は浅草のYさんによって目隠しされました》}} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **珠世様と鬼舞辻無惨の関係について 珠世様は鬼舞辻無惨の呪いを解除に成功する程に「鬼舞辻無惨に対しての理解」が深い。 また、鬼舞辻無惨の性格を熟知している発言、鬼舞辻陣営からは「逃れ者」と呼ばれていることから、 元々は鬼舞辻無惨に近しい関係だった可能性がある。 具体的に言えば元十二鬼月とか鬼舞辻無惨の血縁者とか元妻とか元恋&bold(){&color(red){《この先の文章は浅草のYさんによってズンッされました》}} また、メタ的な考察として2巻表紙と表紙カバー下の同ポーズの対比が挙げられる。 2巻表紙の炭治郎は表紙カバー下では禰豆子に、 表紙の鬼舞辻無惨は表紙カバー下では珠世様にそれぞれ差し替わっている。 この部分が作者の隠しメッセージだと仮定すると、 &bold(){表紙:炭治郎&bold(){&color(blue){(兄)}}→表紙カバー下:禰豆子&bold(){&color(red){(妹)}}なので、} &bold(){同様に表紙:鬼舞辻無惨=&bold(){&color(blue){(兄)}}→表紙カバー下:珠世様=&bold(){&color(red){(妹)}}で&bold(){&color(red){兄妹}}の可能性があるという説。} まあ、ただ単に表紙が男同士だったから表紙カバー下を女同士にしただけで深い意図はないかもしれないけれども。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **しのぶさんの持つ鬼殺しの毒について しのぶさんの持つ鬼殺しの毒は、本来なら「日輪刀で頸を斬らない限り絶対に死なない鬼」を、頸を斬る力のない人間でも殺せるようになるという代物。これが本当ならば、この毒を鬼殺隊の全隊員に配布すれば、鬼の頸を斬るだけの力はなくとも俊敏で体術に長けたものでも即戦力になるはずである。%%しかし、現段階でこの毒を使っているのはしのぶさんただ一人である。%% 説①:「蟲の呼吸」を使えなければ扱えない毒であり、「蟲の呼吸」を習得していなければ使用者に副作用が起こる。 説②:非常に希少、または作るのに手間がかかるため柱であるしのぶさんの使用分ほどしか確保できない。 説③:思惑があってしのぶさんが製造方法を秘密にしている。 追記: 宇髄天元の嫁のひとりである雛鶴さんが、藤の花から抽出された毒をクナイに塗って射出武器として運用している。 明言こそされていないものの、鬼殺の剣士以外の非戦闘員用武器として、しのぶさんの鬼殺しの毒が実用化されている可能性がある。 また緊急出動が当たり前である鬼殺の剣士は、頻繁な補給を見込めないため、消耗品に頼る事は好ましくないのかもしれない。 さらに藤の花にはマメ科特有の毒性物質であるレクチンなどの有毒成分が含まれており、非加熱で高濃度に抽出した場合、人体に悪影響を及ぼす可能性がある。 このため、元忍や野生児のように対毒耐性の高い隊士以外は使用しないほうが安全である。 ※補足:鬼が嫌うものといえば一般的には『魔滅(まめ)』の言葉に掛けた大豆である。マメ科植物特有のレクチンが鬼の弱点である可能性がある。 再追記: 上弦の弐、童麿は那田蜘蛛山でしのぶさんが使った毒の情報を収集済みであり、その毒効も把握していていた。(彼女の毒で倒された鬼は肉体が崩壊しないため、情報収集が可能だった) しのぶさんはその状況を「やはり」と評し、しかも「毒は諸刃の剣」とまで言っていることから、毒の対策がなされてしまう事を案じていたと思われる。 鬼殺隊が毒の優位性を保ち、さらに標的の童麿を倒すための作戦を実行するためには、他の隊士にとって非情ながらもこの状況は已む無しだったと思われる。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **カナヲが毒使いではない件について カナヲはしのぶの継子だが禰豆子を倒そうとした際に普通の日輪刀で頸を斬ろうとした。理由として、以下 説①:カナヲの場合、頸を斬れるだけの力があったため。(しのぶは呼吸を教えるだけ?) 説②:毒を扱うのはしのぶの実験的なものである。 説③:わざとしのぶが呼吸法しか教えていない(剣術はあった、実戦での調達の考慮等) 追記: カナヲは蟲の呼吸ではなく、花の呼吸の使い手であることが判明した。蟲の呼吸が花の呼吸の派生であり、しのぶさんが修行中に呼吸を派生させたのであれば、カナヲが花の呼吸の修行をしていたのも不自然ではない。 また自然界において毒は蟲の専売特許というわけではなく、たとえば蛇の呼吸の使い手が毒を扱う可能性もある。 再追記: しのぶさんが毒を使うようになったのは、姉の仇「童麿(上弦の弐)」を倒す事を目的としていたことが判明した。 敵討ちに際しては「自らの犠牲を顧みず、藤の毒に侵された状態で仇に喰われる」事を前提としていたため、未来あるカナヲを毒使いにするのは躊躇われたのかもしれない。 また、しのぶさんは非力を補うために毒使いになったという経緯があり、身体能力に長けているカナヲには少々ミスマッチな呼吸である。 むしろカナエ姉さんの呼吸法である花の呼吸を修めさせることにより、後を継いでほしかったのかもしれない。 調合作業は蝶屋敷のアオイ達に任せてもよい作業であるにも関わらず、そういった描写が無いことから、調合作業には藤の花の毒に侵される健康リスクがある可能性がある。 また、自身の体を藤の花の毒で満たす事を目的とする彼女にとって都合がよかったのかもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **カナヲの名前の由来について 引き取り人の「胡蝶カナエ」から名前の一部を貰っていると推察されるが、何故&bold(){&color(blue){「ヲ」}}の文字を選択したのか? 一部のファンの間ではこのように推察されている。 &bold(){&color(blue){【カナエ→カナヲ】⇒【「エがヲ」になる】⇒【「笑顔」になる】}}から。 流石にこじつけが過ぎるって?カナヲは可愛いから大丈夫!(正義!!) &del(){ワニ先生「あ、確かに」} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼殺隊の隊服は雑魚鬼の牙と爪では傷が付かない設定なのに列車運転手の千枚通しが刺さったのは何故? 一見矛盾しているように見えますが、実は全く矛盾していません。 現実で実際に販売されている薄型の防刃服も引っ掻きには強いですが、繊維の隙間を通る&bold(){&color(blue){針状の刺突には耐性が無いのが普通}}です。 &bold(){&color(blue){そもそも布に針と糸が通らなければ服として加工出来ませんので、針状のものは貫通するのは当然です。}} 隊服に厚みがないので、厚みのある防刃ベストのように繊維の内側に金属板などを埋めていないと推察されます。 さらに単行本7巻のオマケページにて、魘夢が人間に持たせた千枚通し(錐)は特別製で、持ち手は魘夢の骨、切っ先は魘夢の牙で出来ている&十二鬼月クラスの牙は隊服では防げないと補足説明有り。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **第85話で炭治郎と過去の葵枝が歌っていた『子守唄』について 実在する佐賀の子守唄&bold(){&color(blue){『小山の子うさぎ』}}が元ネタ。 https://www.youtube.com/watch?v=1E8JKf_AXeU #blockquote(){&bold(){こんこん小山の子うさぎは&br()なぁぜにお耳が長うござる&br()小さい時に母様(かあさま)が&br()長い木の葉を食べたゆえ&br()そーれでお耳が長うござる&br()&br()こんこん小山の子うさぎは&br()なぁぜにお目目が赤うござる&br()小さい時に母様が&br()赤い木の実を食べたゆえ&br()そーれでお目目が赤うござる}} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **煉獄父が自分の才能に絶望した理由 本編では煉獄父は長男の杏寿郎と自らを「大して才能がない」と断言しているが、その根拠には特に触れていない。 しかし日の呼吸の使い手および痣についての説明がなされた今、「自らにも杏寿郎にも痣が現れなかったことに絶望した」と推測することが可能である。 実際に産屋敷あまねが「痣が発言しない為、思いつめてしまう方が随分いらっしゃいました」と発言していることから、煉獄父はこれに絶望した可能性が高い。 杏寿郎およびその後継にそういった絶望を与えないために、代々伝わる歴史書を破損させたと思われる。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **十二鬼月が組織された時期について -猗窩座 猗窩座 (あかざ)が鬼にされた際に、無惨様が「強い鬼を十二体ほど造ろうと思う」と発言していることから、猗窩座は十二鬼月の初期メンバーと思われる。 江戸を追放された先で花火が毎年行われていることから、猗窩座がスカウトされたのは17世紀後半以降(=1648年)の地方都市と思われる。 補足:1648年花火禁止令について 江戸において花火はかなり初期から行われている。しかし17世紀後半には江戸においては花火禁止令が出され、花火は地方都市に移っていった。 -童磨 猗窩座より後に鬼になった童磨については、新興宗教の教祖(一族)という描写から、黒住教、金光教、天理教あたりがモデルの可能性が高い。 これらも江戸時代後期(=1814年に黒住教は成立)にルーツを持つことから、19世紀初頭ごろの地方都市と思われる。(1916~1917年から数えて113年前、すなわち1803~1804年ごろに上弦の鬼の集合がかけられていることから、その頃には鬼であったと思われる。これは自身の回想の「100年以上生きた」という発言とも一致する) -堕姫・妓夫太郎 堕姫および妓夫太郎については、羅生門河岸(羅生門河岸は、いわゆる新吉原移転(1656年)後)出身であり、また童磨によって鬼にされていることから、やはり19世紀初頭後に鬼になったと思われる。 -半天狗 当道座に属していたと思われる半天狗は、時代の断定が難しい。 奉行の髷の形が時代劇でお馴染みの大銀杏であることから、江戸時代後期と思われるが、時代を断定する根拠に乏しいからである。 補足:当道座について 世界に類を見ない盲人の互助組織である当道座は、江戸時代以前から存在する。なお江戸時代以降は当道座の官位は金で買えるようになったため、江戸時代は金に汚い盲人が増えた時期とも言える。当道座には自治権があったものの、殺人等の重罪については幕府側に裁断権があったため、半天狗の裁判描写は史実どおりのリアルである。殺された盲人が「奉行所に行く」と言っていたのはおかしいが、それほど教養高かったわけではない盲人が当道座の司法権に無知であることは不思議なことではない。 -玉壷 玉壷が固執する壷は、陶器ではなく磁器のように見える。日本において磁器が伝来したのは1610年代とされている。 -黒死牟 黒死牟については、戦国時代の鬼殺の剣士が鬼に堕ちた可能性が高い。他の上弦は少なくとも江戸時代以降に鬼になっていることから、十二鬼月の結成以前から鬼であった唯一のメンバーである。 追記: 彼の人間時代の本名は「継国厳勝(つぎくにみちかつ)」であり、月の呼吸の使い手であることが判明した。さらに最低でも300年以上生きていることが判明した。 安土桃山時代(織豊政権)に生まれ、鬼狩りをしていたのではないかと推測できる。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **お館様の病状と柱が入隊した順番 お館様の病状の変化は、柱が入隊した時の回想および本編中の描写によってある程度分かる。 -悲鳴嶼:顔はキレイなまま -宇髄:左目周辺のみに病巣あり -不死川:額全体に病巣あるも右目に到達していない(目は左目のみ白濁) -甘露寺:額全体に病巣あるも左目に到達していない(目は両方とも白濁)&br()※この時期に限り、左目に病巣がない。時期によって病巣が移動しているように見える。あるいはただの作画ミスか -時透:病巣が完全に両目を覆い、右目下の病巣は頬に到達 -累撃破時:病巣が完全に両目を覆い、目は白濁し失明 -魘夢撃破時:病巣が左頬および首の左側に到達 -堕姫撃破時:病巣が頬を覆い、吐血 -柱稽古時:病巣が首に到達し、寝たきり 時透は11歳で刀を握り、そのまま2か月で柱になったことと、さらに炭治郎よりも年下であることから、現在11~14歳と思われる。 甘露寺の入隊が「2年前」と明示されており、病巣が時透の時よりも小さい事を考慮すると、13歳未満とするのが妥当か。 時透家の悲劇および甘露寺の入隊は炭治郎が鱗滝の元で修行していた時期という事がわかる。 追記:ファンブックおよび黒死牟の発言により、時透の年齢は14歳で確定。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **大正時代の科学技術知識 本作には時代に合わせた科学技術および知識が登場する。 -蒸気機関車→明治初期に品川横浜間で開業。 -遺伝→メンデルの遺伝の法則は1865年に発見、「遺伝子」の概念は1909年に発見される。 -養蜂→明治末にセイヨウミツバチによる養蜂は本格化し、大正時代には全国に普及済み。 -点滴→点滴の歴史は古く、17世紀には行われていた資料がある。しかし感染症等のリスクが高く、パスツールによる細菌学が確立するまでは普及していなかった。日本には明治初期に伝来した。 -輸血→珠代様が募っているのは「輸血」ではなく「献血」であり、さらに言えば「売血」である。日本で輸血が始まったのは1919年であり、珠代様の医学知識は当時の日本人の科学水準を超えていることになる --補足:但し、提供者の血液型を調べる必要がなく、輸血行為そのものも行わないため、それほど高度な医療技術と言うわけでもない。 -稀血→RHマイナス型などの珍しい血液型を差す医療用語。発生確率1%未満の血液型を差す言葉であり、多くの場合、遺伝とは関係なく発生する。この中でもさらに珍しい血液型も存在し、例えばボンベイ型の場合の発生確率は1/1,000,000 であるという。 -体温計→明治時代に医療施設に普及した。 --補足:当時の日本は体温計の輸入をドイツに頼っていた。しかし第一次世界大戦が起こったことで供給が長く途絶えたため、この時期の体温計は貴重品であった。 -カステラ→大正時代の高級スイーツであり、見舞いの品には十分である --補足1:卵と砂糖がふんだんに使われているため原価も高く、生菓子であるため消費期限が10日程度であるため庶民が気軽に食べられるものではない --補足2:結核などの消耗性疾患に対する一種の栄養剤という側面があった -電球→不死川兄弟の回想で、不死川母が天井の電球を破壊するシーンあり。明治末期から大正にかけては電球の普及期であり、都市では電気化が進められていた。(アニメでは街に電線が普及している描写あり) -栄養→古来からその概念そのものはあったものの、用語が統一されておらず、当時は東洋医学用語の「滋養」の方がよく使われた。また「営養」の文字も同じくよく使われた。これが「栄養」に統一されるのは大正後期から戦後にかけてである。また「栄養価」の概念はビタミンBの発見後となるため、この時点では使われていない可能性が高い。 -心臓マッサージ→村田が炭治郎に対して行った心臓マッサージ(心肺蘇生法)が、本格的に普及したのは第二次世界大戦後であるものの、19世紀中盤にクロロホルム麻酔時の心肺停止時に行われた記録も残っている。心臓機能が停止した際の手法としては感覚的に分かり易いため、村田が本能的に心臓マッサージを試みたのは医療史とはそれほど矛盾しない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **青い彼岸花の正体についての考察 名前のみで実在すら確定していない「青い彼岸花」であるが、「彼岸花」自体は本編中に3度、登場している。 ・第39話「走馬灯の中」の回で炭治郎の走馬灯 ・第146話「誇り」の回で善逸の三途の河原でのじいちゃんとの会話 ・第163話「心あふれる」の回でしのぶさんとカナエ姉さんを迎えに来た両親の足元 いずれも色が明示されていないのだが、炭治郎の回想以外は普通の赤い彼岸花として描写されている。(掲載回はジャンプ電子版に限りカラー版。但し着色作業は外注しているので、その信ぴょう性は怪しい) この描写から、青い彼岸花は実在の世界ではなく、死の淵に立たされた人間が見る精神世界にのみ存在する可能性がある。 なお、アニメ第1期の1クール目のEDでは赤い彼岸花が序盤に登場する。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼滅の刃におけるオマージュ考察一覧 作者が影響をうけた作品は”「ジョジョの奇妙な冒険」「NARUTO」「BLEACH」を筆頭に多数”と作品紹介ページ等で作者コメントしている。 ここではそれに加えて、関係のありそうな多作品を羅列する。 ※あくまで既視感があるものをやや強引に列挙しているだけなので厳密には作者のオマージュ認定ではない。 -鬼と呼吸法→もちろんジョジョの吸血鬼と波紋 -柱→主人公の所属する組織の精鋭の原型は聖闘士星矢の黄金聖闘士やブリーチの護廷十三隊 --補足:「特に護廷十三隊の話題が打ち合わせ中によく出て来ていた」と高野編集証言有り -十二鬼月→Hunter×Hunterの幻影旅団やブリーチの十刃など、敵組織の幹部は様々な作品で描かれる。 -十二鬼月の目に通番→Hunter×Hunterの幻影旅団は体に蜘蛛の刺青があり、そこには通番が振られている。 -柱の腕相撲ランキング→Hunter×Hunterの幻影旅団も同様に腕相撲のランキングがあった。 -隊士選別最終試験→ナルトの中忍試験やHunter×Hunterにおけるハンター試験 -色変わりの刀→ブリーチの斬魄刀(持ち手の個性によって刀の形状や特性が変わる)とHunter×Hunterの水見式(コップを水を入れて葉っぱを浮かべて念(発)を使うと、属性に合わせた変化が発生する)。NARUTOのチャクラ紙(チャクラを流し込むと属性により変化が現れる) -呼吸による属性→陰陽五行説と相性が良いため、東洋風ファンタジーでは定番であったが、ナルト等でも使われる -異形の肉親を人間に戻す旅→鋼の錬金術師(主人公のエドは、鎧だけの体になってしまった弟アルを人間に戻す目的で旅をしている) -キメツ学園→進撃の巨人の「進撃のスクールカースト」(進撃の巨人の巻末オマケ漫画。オマケ漫画という点でも設定が酷似している) -サイコロステーキ先輩→映画バイオハザードのレーザートラップ -爆血刀→るろうに剣心の無限刀 --補足:志々雄が持つこの刀は伊之助と同じく意図的に刀を刃こぼれさせており、火産霊神(カグヅチ)という技名は、鬼滅の刃のタイトル案の一つでもある。大型甲鉄艦の艦名が「煉獄」なのも関係あるかもしれない。 -玄弥の鬼喰い→テラフォーマーズで同じく消化力に長けたジョセフ。 -甘露寺の刀→るろうに剣心の「薄刃乃太刀」か、ベルセルクの「ウルミン」 -甘露寺の制服の着こなし方→ブリーチの松本乱菊か(和風ファンタジー日本刀持ちの巨乳女性はおっぱいを強調するのはある意味読者サービス的お約束といえる) -甘露寺の捌倍娘設定→アクマゲームと嘘喰いと喧嘩稼業にてミオスタチン関連筋肉肥大(筋肉成長抑制ホルモンの異常により、筋肉が高密度で発達する病気)は取り上げられている(フィクションでは常人と変わらない体格に高密度な筋肉と描かれることが多いが、現実では「筋肉が制限なく付く」という病気であり、甘露寺と同じように大量のカロリー摂取を必要とする) -狛冶の素手による人体破壊→シグルイにおいて、虎眼流の使い手は素手による人体破壊を頻繁に行い、また大量惨殺も珍しくない。 -不死川実弥は胸元を大きく開けるスケベ→ゴールデンカムイの谷垣。(不死川と同様に胸元を大きく開いており、作中ではスケベマタギと呼ばれている) -お館様は死んだ隊士の名前をすべて覚えている→ガンダムWのトレーズ・クリシュナーダの「聞きたいかね? 昨日までの時点では、99,822人だ」 -痣が発現した剣士は25歳で死ぬ→進撃の巨人(巨人の能力を受け継いだ者はその時点から13年後に死ぬ)やHunter×Hunterのクラピカ(寿命を削って能力を使う)が近いが、残りの寿命ではなく絶対的な享年で寿命が決まる設定なので前提が違う。 -悲鳴嶋は盲目を反響定位(エコーロケーション。動物が自分が発した音が何かにぶつかって返ってきたもの(反響)位置関係を知る能力)で補っている→ゴールデンカムイの都丹庵士 -伊之助の関節外しによる狭所通過→ジョジョ二部柱の男・サンタナおよびゴールデンカムイの白石 -肺を凍らせる血鬼術→ジョジョ一部においてディオ・ブランドーが披露している。 -指を眉間に刺して脳をグリグリ→ジョジョ三部におけるDioの「最高にハイってやつだ!」 -伊之助の伸・うねり裂き→関節外しによるリーチ延長はジョジョ一部(ジョナサンによるズームパンチ)を始め、数多くの作品で見られる。(ただしカナヲが驚いていた通り、現実には関節外しは我慢できないレベルの痛みが伴う) 上記は近年の少年漫画では王道展開・オマージュと呼べるものであり、作品を貶める理由にはならない事を念のため。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **しのぶさんの毒の致死量について しのぶさんの毒は、あの刀で「せいぜい50ミリ」の毒を打ち込むことが可能であり、「37キロは鬼の致死量のおよそ70倍」であることが判明している。※単行本第19巻では700倍に修正 しのぶさんの体重は37キログラムなので、70分の1(=0.52キログラム=520グラム)という数値が鬼の致死量と見積もっていたことになる。 しかし上記の場合、しのぶさんの体重はほぼ100パーセント藤の花で構成されることになってしまう。 生体が藤の花だけで構成されるというのは現実的ではない。 まず問題なのは、「50ミリ」が「50ミリグラム」と「50ミリリットル」のどちらを示しているのかという点である。 水(液体)の場合、1ml=1g=1000mgなので、50ミリリットルは50グラム(=50000ミリグラム(おおよそ小さめの鶏卵程度))を差す単位である。 50ミリリットルはしのぶさんの刀で打ち込む液体の総量としては難しそうな量であるが、複数の切り付けで到達しそうな量であるため、これはそれほどおかしな量ではない。(那田蜘蛛山の姉鬼に対しては4~5回ほど切りつけている) もしこの50ミリリットルが一般的な鬼の致死量であるとするならば、しのぶさんの見立てでは、童魔の致死量は3.5キログラムになる。これは刀で打ち込むのは厳しい量である。 次に、50ミリ=50ミリグラム説を検証する。 この50ミリグラムを致死量と捉えた場合、50ミリグラムという数値はまぁまぁ優秀な数値であると言える。(青酸カリの致死量は経口摂取ではあるが、成人男性で150~300ミリグラム) この場合、しのぶさんの刀で打ち込む液体は、ほんの僅かで足りる。しのぶさんの刀のように毒を打ち込むのに特化した特殊な形状ではないクナイランチャーですら上弦の鬼の自由を奪うほどの毒性を持つ事を考えれば、こちらの方が有力か。 この場合、しのぶさんの体には3500ミリグラム(50ミリグラムの70倍)の毒が蓄積されていたことになる。 人間の体重に占める血液の割合は1/13であるため、しのぶさんの血液量は2.8kgである。(そして人体における出血許容量は1/3程度なので、彼女の出血致死量はおおよそ0.9kgとなる。) 毒がすべて血液にのみ蓄積されていたとすると、彼女の血液中における毒濃度は12.5mg/dLほどになる。 血中異物の濃度という点で考えた場合、痛風の尿酸値が参考になる。常人の血中尿酸値濃度は男女ともにこの値が3.0~7.0mg/dLまでが基準値内である。8.0mgを超えると痛風のリスクが高まるとされている。 常人の血液中の藤の毒は0mg/dLであることを考えると、この数値は「高濃度の藤の花の毒が回っている状態」というのに十分である。 また、37キロというのは毒物を蓄積させることが可能な水分量の数値である可能性もある。仮にそれが全体重の7割程度(人間の水分量は成人でだいたい60~65%。成長期では70%。成人前の彼女の水分量は7割程度と仮定)程度だとすれば、彼女の元の体重は52.8キロと、非常に現実味のある数値となる。 カ ナ ヲ 追記: 本誌「37キロは鬼の致死量のおよそ70倍」→単行本第19巻にて「37キロは鬼の致死量のおよそ700倍」に修正されている。 よって、鬼の致死量は実際は1/10となる為、上記考察はほぼ意味がなくなりました。(ワニ先生のうっかりが悪い) &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **大正乙女の体格について:しのぶ編 しのぶさんの体重は37キログラムと判明したが、これは現代基準では明らかに軽く、彼女の豊満な胸部と相まって、詐称疑惑が出ている。 ただし彼女は1年以上にわたって藤の花の毒((藤の花は天ぷら等で食用されることも多いが、レクチン等の毒性があり、多量に摂取すると吐き気、嘔吐、眩暈、下痢、胃痛などを起こす。これが長期間続けば食欲どころではない))を摂取し続けており、毒の副作用によって体重が激減した可能性もある。 ここで日本人の平均身長と平均体重についての資料を。 https://honkawa2.sakura.ne.jp/2182a.html これによると、明治末期から大正前半までの日本人女性の平均身長は145~150センチほどであり、平均体重は45~50キログラムほどである。 人間の体格は遺伝によって決まるが、すべてが遺伝によって決定するわけではなく、特に幼少期の栄養状態が大きく作用する。 //特に本作のヒロインたちの幼少期は日露戦争((当時の日本としては莫大な費用を投じた戦争である。内外あわせて18億円にもおよぶ公債を発行したため、国内の経済は破綻寸前にまで陥った。この状況が改善するのは第一次世界大戦の特需であり、まさに鬼滅の刃の本編中のことである。なお、この莫大な借金は昭和末期になってようやく払い終えた))前後の時期にあたるため、栄養状態も良くなかったであろう。((もちろん甘露寺家のように裕福であればその限りではない)) //↑作中に描写がない部分は史実に即していない可能性があります。(パラレル大正ロマン作品) しのぶさんの身長は本編中で明示されていないものの、姉や妹に比べて小柄であるという描写がなされている。 なお、人買いよりも明らかに頭一つ分以上は身長が低かった。(この時は成長期前だった可能性もある。) また煉獄や冨岡に比べて頭一つ半程度小さく、成長期が来ていないと思われる時透と同程度の身長であったことから、彼女は当時の日本人女性の平均身長を大きく下回ると思われる。 彼女の身長が145センチに届かないのだとすれば、体重37キロは妥当な数値といえる。 ちなみに現代日本女性の平均体重が37キロ周辺となるのは11歳ごろであり、彼女たちの平均身長は145センチほどである。 参考: https://graphic-data.com/page/sport/001.html 追記: 公式ファンブックにて彼女の公式身長は151センチと確定した。 BMIは低体重基準の18を大幅に下回る16.23である。 %%しのぶ「いや、別に実戦は腕力じゃないですから。ねぇ?」%% %%伊黒「そうだその通り。技とは腕力ではない」%% &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **大正乙女の体格について:みつり編 常人の8倍の筋肉量((常識の範疇において、密度=質量÷体積となる。体積が常人と変わらないのであれば、密度が高い=質量が多い、ということになるため、ここでは筋肉量が8倍になると想定した。万が一公式ファンブック通り彼女の質量が常人並である場合、彼女の筋肉量は2.5kg程度となってしまう。これでは乳児並となってしまうため、考慮から外した))を持つ甘露寺蜜璃の筋肉量と体重がどれぐらいなのかを考察してみる。まず資料の提示。 https://smartlog.jp/151071 まず前提として、成人女性の平均筋肉量を17kgとし、見た目通りであれば本来の彼女の筋肉量はこの程度であると仮定する。 この場合、彼女の筋肉量は136kgになる。 これに骨や内臓等が30kgほど追加されると、彼女の体重は166kgになる。 これは2018年の大相撲幕内力士の平均体重とほぼ同等である。 https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/12/27/kiji/20181227s00005000004000c.html また、フィクションで好まれる「ミオスタチン関連筋肥大症」であるが、現実には「体に脂肪がつかず、すべて筋肉になってしまう病気」と言い換えてもよい。 このため持久力に乏しく、また筋肉の成長のために多大なカロリーを摂取し続ける必要がある。 追記: 公式ファンブックにて彼女の公式身長は167cmセンチ・56キログラムと確定した。BMIは標準体重内の20.08。 ※捌倍娘設定だが流石に体重設定はフィクションにした模様。 %%伊黒「甘露寺(の体重)に触れるな塵ども」%% &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **柱の身長ランキング 柱合会議では、しのぶさんは煉獄・冨岡よりも頭一つ半ほど小さく、時透と同じぐらいの大きさに描かれており、甘露寺はその中間ぐらいである。 本作は頭身のデフォルメがキツイ時があり、複数人が一緒のコマで描かれる場合を除いて身長の描写は信用できない。特に蝶屋敷の復帰訓練では、しのぶさんは善逸や伊之助とほぼ同じ目線であった時もある。 しのぶ≦時透<甘露寺<冨岡≦煉獄<宇髄<悲鳴嶼 不死川はこの並びにいなかったため不明だが、跪いた際の頭の高さから、煉獄や冨岡と同じぐらいの並びにありそうである。 伊黒もこの並びにおらず、また柱稽古でも身長を確認できる描写がないため不明であるが、このランキングは作中の腕相撲ランキングと一致しており、これに照らし合わせれば、伊黒の身長はしのぶさんと時透の間ぐらいとなる。 追記: 公式ファンブックにて隊士の身長・体重が確定。 大正時代前半の平均身長は、男子162センチ・女子151センチである。まだ背が伸びる余地のある同期組ですら全員が成人平均身長に達している。 作中で小柄とされたしのぶさんですら平均身長に達している。 特に柱に至っては、当時としては相当なフィジカルエリートである。 |竈門炭治郎|165センチ|61キロ| |竈門禰豆子|153センチ|45キロ| |我妻善逸|164.5センチ|58キロ| |嘴平伊之助|164センチ|63キロ| |不死川玄弥|180センチ|76キロ| |栗花落カナヲ|156センチ|46キロ| |冨岡義勇|176センチ|69キロ| |煉獄杏寿郎|177センチ|72キロ| |宇髄天元|198センチ|95キロ| |時透無一郎|160センチ|56キロ| |胡蝶しのぶ|151センチ|37キロ| |甘露寺蜜璃|167センチ|56キロ| |伊黒小芭内|162センチ|53キロ| |不死川実弥|179センチ|75キロ| |悲鳴嶼行冥|220センチ|130キロ| %%伊黒「俺は信じない」%% &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **大正時代の正しい単位呼称 作中では、炭治郎が憎珀天から距離を取るために「66尺」という単位を使っているが、これは少々おかしい。 尺貫法では距離を表す場合、6尺は1間に繰り上がるため、11間と呼ぶのが正しい。(もっと言えば、メートル法ではちょうど20メートルであるためキリがよい) あるいは長さ(ここでは木の竜の長さを示すのも間違いではないため、どちらでも正解である)を表す場合は10尺で1丈に繰り上がる。この場合は6丈6尺、あるいは6丈半と少し、とでも呼ぶのが正しい とはいえ、生家が農家でも大工でもない炭治郎が、尺貫法の単位を知らなくても不自然ではないし、回避するために精密な距離計測が必要であった可能性もある。 また高さを表す場合に限り、尺のまま使われることもあるため、大きく間違っているわけではない。(「アルプス一万尺」や「身長六尺」などは好例) なお、悲鳴嶋の柱稽古では大岩を1町動かす訓練があったが、これはおよそ110メートルほどである。山の中で動かすには木々が邪魔になる距離である。 続いてしのぶさんが自分の体重をキログラムでカナヲに伝えていたが、これはおそらく蝶屋敷外の一般人には通じないだろう。 日本においてメートル・グラム法が一般化するのは戦後の事であり、それまではやはり尺貫法が使われた。 重さとしての「貫」は3.75キログラムを示す単位であるため、彼女の体重は10貫弱という事になる。当時の体重計は尺貫法で記載されているため、おそらくは貫表示の体重計で図った結果なのだろう。(当時の農家では米の重さをはかるために重量計は非常に重要) ただししのぶさんは医学および薬学に精通しており、医学においては早い段階でメートル・グラム法が一般化していたため、蝶屋敷に常駐しているカナヲへの説明にはこれでよかったものと思われる。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **しのぶさんは本当に姉エミュをしているのか? 「姉エミュ(エミュレート。emulate。すなわち本物を真似てその動作をトレースし、真似ること。)」 以下、作中の描写 ・カナエ姉さん存命中のしのぶさんは怒りやすく、やや攻撃的な言動。 ・カナエ姉さん死亡後のしのぶさんは柔和な表情と態度。 ・甘露寺「しのぶちゃん怒っているみたい。珍しいわね。カッコイイわ」発言から普段から柔和な表情と態度であると推測。 ・表面上は「鬼も人もみんな仲良くすればいいのに」という発言。 ・表面上は「鬼を拷問することで罪は赦される」という言動。 ・「姉の想いを継ぐ」「姉が好きだと言ってくれた笑顔を絶やすことなく」という二つのしのぶさんの発言。 ・本音では「鬼を許せない」という相反する想い。 ・口調はカナエ姉さんと酷似しているが髪型は似せていない。 上記から「本音は鬼を嫌悪しているが、姉の意思を汲んで表面上は鬼と仲良くする言動+常に笑顔」であると推察可能だが、 =「しのぶさんはカナエ姉さんをエミュレートしている」と断言出来るほどの論拠は乏しい。 よって、 パターン① しのぶさんはカナエ姉さんをエミュレートしている。(姉エミュ正解説) パターン② 柔和な口調演技する際に姉の言動を参考にしているだけ。(ただの参考説) パターン③ しのぶさんが年を重ねた結果、姉に似て表情と態度が柔和になっただけ。(あの頃は若かった説) 等、様々な可能性が考えられる。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **しのぶさんの毒?珠代様の毒? お館様の見立てでは「服毒した胡蝶しのぶを喰わせても上弦の鬼を確実に倒せるとは限らない」であったにも関わらず、 実際には上弦の鬼を崩壊寸前にまで追い込んだことから、やはり珠世様の毒こそが決め手になった可能性が高い。 しのぶさんの服毒は一年前から始まっていたが、童魔との最後の会話では「珠世さんが協力して作ってくれたもの」という描写があった。 しかし珠世様と鬼殺隊の関係は、少なくとも産屋敷輝哉が動けなくなってから始まったものであるため、これは矛盾している。 これを解決する案は下記の通り ①「動けなくなった」は外出するのは無理(=失明した)になったという意味で、実際に烏が珠世様の家に到達したのは炭治郎と禰豆子と会ってから引っ越しした直後のことであった。このため珠代様とお館様はおよそ一年前から協力関係にあった。このため彼女の体内の毒は、珠代様ブレンドの毒のみで構成されている。 ただしこの場合、お館様の見立ては一年以上前のことになってしまうため、柱稽古直後にしのぶさんが怒っていた理由を説明できなくなってしまう。 ②柱稽古開始以降にしのぶさんが刀に仕込んだ毒こそが珠世様の毒で、藤の花の毒に対して鈍感にさせる幻惑作用(惑血の一種?)があった。これなしでは、しのぶ毒が童魔に排出されてしまうだろうとお館様は予測していた。このためしのぶさんの体内の毒は、しのぶオリジナルのみで構成されている。 ③柱稽古開始以降にしのぶさんは服毒を、しのぶブレンドから珠世様ブレンドに切り替えた。このため、しのぶさんの体内の毒は9割以上がオリジナルブレンドであり、珠代様ブレンドのおかげでお館様の予測を上回る事ができた。 追記:よく考えてみると鬼を屠る毒の調合は、珠世様にとって非常に危険な行為であり、これを研究していたとは少々考え難い。 鬼の彼女は、藤の花には触れたくもないはずだからである。 このため、説②による惑血の応用毒という方が現実的かもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **しのぶさんの怒りの理由 柱稽古開始直後、しのぶさんはカナエ姉さんの位牌を拝んで感情を制御するのが必要なほど怒りを抱えていた。 この理由として「鬼の珠代様と協力して上弦の鬼を倒す毒の製作」と命じられたことが原因かもしれない。 「鬼と仲良くする」というカナエ姉さんとの約束がありつつも、彼女の中には鬼に対する怒りが燃え上がっている状態であったため、この命令はしのぶさんにとって非常に辛いものであったと推察される。 //柱稽古に不参加だったのは、怒りもあるだろうが、むしろ新しい毒を服毒することで体調に影響が出て、稽古どころではなくなってしまう事が想定されたからではないだろうか。 //↑論理が飛躍しています。新薬の開発に忙しかっただけの可能性もあります。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **アニメ版キメツ学園しのぶさんがキツメに見える理由 アニメ版キメツ学園において、しのぶさんは18歳にはとても見えないような大人びた制服姿を見せた。%%通称キツメ学園%% これは作画の問題としては、下記の要素が挙げられる ・彼女の最大の特徴である複眼のように描かれた瞳が表現できていない ・原作では他キャラより強調されているまつ毛の長さが目立っていない ・同じく、二重まぶたも目立っていない ・原作よりも髪のウェーブが強調されており、パーマをかけたように見えてしまっている さて作画もさることながら、彼女の古めかしい髪型(夜会巻き)と、髪の毛先のみが紫の髪色であること(紫染めは現代日本において年配の女性に好まれる)、そして化粧(6巻の表紙において口紅をつけている)をしていることにも原因があるのではないかと思われる。 キメツ学園において、生徒側のキャラで化粧をしているのは彼女一人であるため、彼女だけが年齢不相応に大人びて見えたのではないかという予測が成り立つ。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **甘露寺の担当範囲が刀鍛冶の里に近かった理由 初登場時、柱は9人いたが、これは全国各地に配置された鬼を滅するには少ない数である。 柱稽古では、柱が一般隊士に稽古をつけない理由は、「警備担当範囲が広大で、単純に忙しいから」とされていたため、これは深刻な問題である。 この中で甘露寺は刀鍛冶の里の近くに警備担当範囲を割り振られている。これは彼女も知らなかったことから彼女の希望ではなく、お館様の意向によるものかも知れない。 甘露寺は常人では考えられないぐらいの食事を必要とするため、頻繁な補給が必要である。 しかしそこは鬼殺隊の柱とはいえ女の子。 相撲取りに並んで屋台で爆食していた幼少時ならいざしらず、年頃の女性が外食で凄まじい食欲を見られるのは恥ずかしいに違いない。(扉絵で伊黒と外食してたことはスルー) お館様はこの事情を察して、彼女の警備担当範囲を刀鍛冶の里の近くにした可能性。(暴論の呼吸) 彼女の正体と実績を知っている里の中であれば、好きなだけ食事を取れる上に、鬼殺隊としても街の外食よりは食費を安く済ませることができる。やったね、蜜璃ちゃん♡ %%恋柱「そうかな?今日はそんなに食べてないけど」%% メタ的観点なら作者が「温泉サービスシーン」を描きたかっただけの可能性♡(作者への感謝のやまびこ♡) 追記: 公式ファンブックでほぼ全員が東京府出身と確定したが、刀鍛冶の里も都内近郊なのだろうか? &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **大正時代の食事事情 ・1巻で炭治郎は三郎爺さんの家で食事をご馳走になっている。シイタケ・人参・大根の煮物とみそ汁と沢庵、そして白米と茶。(傘貼りをしており、かつ独り身であることから、多少の現金収入があると思われる) ・アニメ版で藤襲山に最終選別試験に向かう炭治郎に鱗滝が焼き魚と鍋を用意してくれた。中身はシメジ・シイタケ・ネギ・青菜・豆腐(あるいは鶏肉?)であり、白米こそなかったが、炭治郎が「あんなごちそうは久しぶりでした」と言っていることから、ハレの日の特別な食事であった。 ・浅草で屋台について:関東大震災によって東京の外食需要が壊滅したことで屋台が地方に散るまで、屋台は東京固有の文化であった。。山かけうどん(アニメでは1杯目を落としてしまったため2杯目と3杯目を注文した)を炭治郎が食べた。メニューは「たぬき」「きつね」「山かけ」「天ぷら」「しっぽく(玉子焼き、かまぼこ、しいたけ、くわいの類をのせたもの)」「あんぺい(しっぽくに葛醤油をかけたもの)」。メニューの最後はアニメでは炭治郎で隠れて確認できないが、おそらく「けいらん(卵とじ)」と思われる。 ・アニメ版の鼓屋敷の任務直前のオリジナルエピソードに、炭治郎は善逸に海苔を巻いた握り飯を渡しており、善逸はもらった握り飯を半分にして炭治郎に返している。 ・鼓屋敷の任務後に訪れた藤の家紋の家では炭治郎・善逸・伊之助の3人分の食事が用意された。描写上は煮物と白米が確認できる。ここで屋敷の婆さんは三人に天ぷらを振舞ったようである。特に天ぷら初体験は伊之助にとって強烈だったらしく、「反復動作」の条件に用いるほどである。 ・蝶屋敷での機能回復訓練で、かんたん三姉妹がそれぞれ「キャラメル」「あんぱん」「からからせんべい(江戸時代に山形県で生まれたせんべい生地で民芸玩具を包んで焼いたもの。昭和に普及したオマケつきの菓子の原型)」を炭治郎に手渡していた。 ・蝶屋敷では炭治郎はおにぎりを食べながらかんたん三姉妹と会話をしていた。 ・無限列車では、煉獄が「うまい!」を連呼しながら牛鍋駅弁(箱入り駅弁は明治末期には普及していたが贅沢品)を11個平らげていた。 ・無限列車での炭治郎の夢の中で、茂(三男)と花子(次女)が籠にさつまいもと思われるものを抱えていた。また食事は各人の膳に椀が2つと小皿(茂が炭治郎のたくわんを奪おうとしていたことから、おそらくたくわんと思われる)が1つ。禰豆子は山菜(ふきのとう?)を収穫し、竹雄(次男)がすり鉢で何かをすっていた。(雪深い頃であり、ふきのとうが採れる時期なので、味噌づくりのために茹でた大豆をすりつぶしていたのかもしれない)この描写から竈門家は炭焼きの現金収入のほか、少しの畑と山菜である程度自給自足していたものと思われる。 ・煉獄屋敷では千寿郎が炭治郎に茶と菓子を振舞った。 ・吉原遊郭のときと屋では、鯉夏が炭治郎にお菓子(おそらく飴玉)をあげていた。荻本屋では、まきをの部屋にうどんが置かれていた。 ・蝶屋敷では意識不明の炭治郎に、"隠し"の後藤が見舞いにカステラを持ってきていた。かんたん三姉妹からは再びあんぱんが見舞われた。その後、かんたん三姉妹はそろってかぶき揚げをボリボリ食べていた。 ・刀鍛冶の里では、炭治郎はマツタケご飯、みそ汁、たくわん、焼き魚、あと何かのおかずを食べていた。炭治郎は握り飯を玄弥に持っていこうとしていた。そして甘露寺は丼だけで24杯、大皿だけで9枚、ついでに大型のヤカン(ヤカンの形が少々現代的だが、少なくとも明治時代の軍隊では近い形で使われている)。 ・炭治郎は飲まず食わずの訓練直後、小鉄少年におにぎりと梅干しと玉露を要求していた。訓練後、玄弥と話すときにはせんべいとお茶を持って行った。 ・半天狗との戦いにおいて、炭治郎の遺伝記憶が描写された。この時、炭吉の妻すやこ(当時、女子の名前に「子」を使うのは皇室や公家などの貴人に限られていた。明治時代になり、庶民の間で「~子」が流行する。)が籠に入れたサトイモとサツマイモを持っていた。(ただし、サツマイモの伝来は江戸時代以降であり、しかも南方の温暖な気候を好むため、寒冷地方にあると思われる竈門家では栽培が難しい) ・甘露寺の回想では、幼少時に最低でも丼15杯の何かを屋台で平らげていた。空の丼が隣の相撲取り((当時、東京相撲協会と大阪相撲協会があった。甘露寺姓は京都にルーツを持つ名家であり、政府側の軍歌であるトコトンヤレ節を好んでいる事から京都出身かもしれない。ただし甘露寺家は明治に伯爵に叙されてから関東に移り住んでいる。追記:彼女の出身地は東京府 麻布區 飯倉(現:港区 麻布台)で確定))のものでなければさらに9杯、合計で24杯を平らげている。相撲取りの3倍食べるということは、彼らは5~8杯ほど食べている計算になる。 ・甘露寺と伊黒が、おそらく蕎麦屋と思われる店で食事をしているシーンでは、蕎麦8枚、天丼11杯、その他煮物・みそ汁・箸休めの小皿などがあった。小食な伊黒の前には茶のみであった。 ・再び蝶屋敷で入院中の炭治郎は握り飯を二つ食べていたが、後藤から「そんなに食べて大丈夫か」と心配されていることから、これ以上にもっと食べていたのかもしれない。 ・同じく蝶屋敷で入院中の玄弥は、アオイとかんたん三姉妹の介護を受けながら白米・煮物・玉子焼きを食べていた。 ・柱稽古開始時に宇髄の嫁3人が握り飯を作っていた。((飯盒炊爨のようにも見えるが、飯盒はあれだけの量の握り飯を作るのに向いていない。またアルミニウム製の飯盒は常用するとすぐに穴が開き、かつ高価であるため、陸軍では非常時以外には火にかけて使わないとされている)) ・冨岡義勇の回想で、膳をひっくり返すシーンがある。白米・茶・みそ汁・稲荷寿司状の何か。 ・冨岡義勇と和解((実際にはこの時点で義勇は錆兎との約束を思い出し、錆兎や姉から託されたものを次代に繋げていくという使命に目覚めたタイミングであったため、義勇にしてみればこの炭治郎の提案は「なんで?」と疑問に思うレベルの提案だった))する目的で炭治郎はざるそば早食い対決をけしかけた。 ・悲鳴嶼の柱稽古では、炭治郎が焼き魚と炊飯を担当していたようである。 ・悲鳴嶼の回想では、白米・みそ汁・たくわん 程度の貧相な食事で子供たちを養っていたようである。 ・不死川実弥はおはぎ大好き。 ・善逸の回想では、じいちゃんと獪岳に飯をよそっていたシーンがあった。3人の膳には白米のほかに漬物と焼いた鮭の切り身があった。 ・伊黒の回想では、座敷牢に豪勢な食膳が最低でも12膳並べられた。内容は揚げ物と白米が多く、「成長して喰える量が増えるまで生かされていた」という目的と合致する。 上記の通り、全体的に白米・みそ汁・たくわん・焼き魚((全体的に川魚、あるいは鮭が多い。一般に裏日本では糸魚川を境として鰤文化と鮭文化に別れる。冨岡の好物が鰤ではなく鮭であることから、彼は糸魚川よりも北部で生まれ育ったものと思われる。追記:彼は東京府 豊多摩郡 野方村(現:中野区 野方)出身が確定))・煮物が多い。これは現代基準では貧相な食事((おかずは今とは比較にならないぐらい貧相であり、特にタンパク質の補給はままならない。))に見えるが、当時の基準では決してそうではない。日本人((昭和まで、日本人は米食悲願民族と言われるほど米を愛したが、これは逆説的に「毎日米を食べる事が出来なかった」ということでもある。この状況が変わり、米を常食するのが夢ではなくなった1918年に米騒動が発生する))全員が米の飯を食べられるようになったのは戦後の事である。それまでは「かて飯」と呼ばれる他の雑穀を混ぜた飯、あるいは雑穀のみを炊いたものがメインの食事であった。あるいは鱗滝のように汁物だけで食事としていた家も沢山あった。 白米を多く食べられているということは、当時の基準では豊かであるということである。おそらく彼らは食事が貧相だとは思っていないだろう。それだけ白米食は贅沢だったということである。 本編中においては、食事事情が豊かなのは刀鍛冶の里であり、次いで蝶屋敷(医療施設でもあるため、ある程度特別扱い?)である。 竈門家は少々貧しい食事である。大正前期は薪や炭から石炭への変換期であり、炭の需要はどんどん減っていったために生活が苦しかったのかもしれない。ある程度自給自足が可能だとはいえ、病弱な父親の薬代もかさんでいた可能性もある。 そしてやはり何よりも圧巻なのは甘露寺の食欲である。 %%恋柱「そうかな?今日はそんなに食べてないけど」%% &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **柱合会議で炭治郎と禰豆子が認められなかった理由 柱合会議では中立派(甘露寺・時透・胡蝶)、擁護派(冨岡)、反対派(伊黒・不死川・煉獄・宇髄・悲鳴嶼)に立場が分かれたが、物語が進んだことで彼らの意見がこのように分かれた理由がある程度説明できる。 中立派: ・甘露寺→鬼に対する憎しみはあまりなく、特にこだわりがない ・時透→「どうせ忘れるから興味がない」 ・胡蝶→「鬼と仲良くする」という姉との約束 擁護派: ・冨岡→炭治郎と禰豆子は自らが鱗滝に紹介した責任あり 反対派: ・伊黒→そもそも猜疑心の塊のような性格 ・不死川→日輪刀無しで鬼を殺して回る程、鬼の存在を憎悪 ・煉獄→隊律と人命を優先する立場 ・宇髄→「処分したほうが派手で楽しそう」レベル ・悲鳴嶼→「子供はすぐ嘘をつき残酷なことをする我欲の塊」 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **ほとんどの隊士が東京府出身の理由 公式ファンブックによって、柱および炭治郎の同期たちの出身地が公式に明らかになった。 出身地が「不明」とされる宇髄を除いて、ほぼ全員が東京府の出身であることが確定した。 例)竈門家は奥多摩の雲取山(竈門家は代々の炭焼き小屋なので先祖代々同じ土地に住んでいる) //あまりにも不自然なまでに東京府出身者で占められている理由を考察してみる。 //そもそも鬼殺隊の目的は、「鬼から人を守る」である。すなわち鬼が出現する場所以外で活動する必要はないことになる。 //このことから鬼舞辻無惨は、東京のみに鬼を配置しているという事になる。 //これはつまり、鬼の存在を知りうるのは東京在住者に限るという事である。 //ではなぜ鬼舞辻無惨は都内限定で活動していたのか? //その理由はおそらく「青い彼岸花」の捜索にある。 //例の善良な医者は、武蔵国((東京・埼玉・神奈川の一部))で活動していた医者((あるいは祈祷師・陰陽師も医療行為を行っていた))だったのであろう。 //鬼舞辻無惨は医者を呼べるような身分であり、そしていつもの癇癪によってこの医者を殺害したわけだが、そのような蛮行を黙認されるのは中央から派遣された国司およびその親族ぐらいであろう。 //このことから鬼舞辻無惨は武蔵国の在庁官人の家系だったのだと推測できる。 //当時の医者が活動できる範囲((貴人のための薬の原料とはいえ、当時の未熟な物流で、未知の薬が遠い場所から運び込まれたとは思えないと無惨は判断したのだろう))を、鬼舞辻無惨はこの範囲((当時の武蔵国の国府は今の調布市にあり、これは東京のほぼど真ん中に位置する))に絞りこんだのである。 //このため、西は奥多摩、東は葛飾区・台東区までを捜索範囲とし、この範囲に鬼を配置している可能性がある。 //↑論理の飛躍があります。登場人物の出身地にのみ鬼が出現すると断定する根拠がありません。 明らかに中部地方から東北地方の豪雪地帯にあると思われる竈門家が奥多摩にあるというのはやはり無理がある。 甘露寺のトコトンヤレ節も、公家風の苗字と相まって京都出身なのかと思わせる演出かと思われたが、まさか当時から大使館ひしめくビジネス街の出身とは。(麻布は戦前からの高級住宅地) //日本中で青い彼岸花を探しているという無惨様の設定もこれでは台無しである。 //これなら浅草で貿易商になど化ける必要はないし、わざわざ江戸払いを受けた猗窩座をスカウトしに江戸を出たのも謎である。 //↑論理の飛躍があります。登場人物の出身地にのみ鬼が出現すると断定する根拠がありません。 宇髄の「この国は広いんだぜ」から他の柱の才能を語るシーンも、出身者が東京府内に限定されるのでは説得力がない。 なぜこんな不自然な設定が公式化したのか? 穿った見かたをすれば、「スタンプラリー企画予定」等の編集部の意向も反映されているのかもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **隊士の出身地を非公式に妄想してみる 公式に隊士の出身地が東京府内に限定されたが、あまり納得できないという人のために、「どこだったら納得できるのか?」を妄想してみようと思う。 判断基準は、作中の描写とそれに見合う歴史・文化的な背景とした。自治体が特定できそうな場合はそこまで記述する。 もちろん&bold(){&color(blue){公式とは矛盾するのであくまで妄想でしかない事}}に留意されたし。 なお、大正時代の旧自治体名ではピンとこない地名も多いため、現代の自治体に合わせている。 ・竈門家:秋田県北秋田市。雪深い山地に囲まれ、マタギの里として有名な阿仁を有する。色白な美人が多い事でも有名。ただし、佐賀県の民謡を子供に謡う母・葵枝は佐賀県から嫁いできた可能性あり。蕎麦文化の東京で、わざわざ炭治郎がうどんを注文するのは稲庭うどん((秋田県南部名産うどん。日本三大うどんに数えられる。ただし、秋田県は南北文化格差が激しく、北秋田で常食されるものではない))が懐かしかったのかもしれない。 ・我妻善逸:群馬県前橋市。群馬県は養蚕が盛んであったため、生産物の輸送のために早くから鉄道が敷かれた。善逸はかまぼこ隊では唯一、汽車についての知識があり、花街を理解していたことから、都会化された地方都市の出身と推測される。さらに北関東は雷銀座と呼ばれるほど雷が多いことで有名な地域であることもポイント。(但し、統計上で一番というわけではなく、雷は日本海側北陸のほうが多いらしい) ・嘴平伊之助:奈良県天理市。教祖を神とする極楽教のモデルが天理教((自治体に非常に密着した新興宗教である。しかし特にカルト教団というわけではなく、土着の穏やかな宗派であるし、歴代の教祖が女狂いだったという事実もない))とするならば、伊之助の母が保護されうるのは天理市とその周辺の自治体か。奈良県には山も多いため、もちろん猪も出現する。 ・不死川家:石川県金沢市。不死川実弥の独特な口調である「ねェ」や「がァ」などの語尾を伸ばす方言として有名なのは金沢弁である ・宇髄天元:三重県伊賀市。忍者の里として有名なのは伊賀と甲賀である。このうち幼少時から厳しい訓練を行う事が有名なのは伊賀忍者である。 ・時透無一郎:和歌山県熊野市。紀伊の材木産業は江戸時代から続いている。一族が代々杣人をしているという描写から判断。 ・胡蝶家:富山県富山市。薬学に強い地域といえば、富山の薬売りである。生家は売薬で財を成した裕福な家なのかもしれない。富山県は大正時代にチューリップの生産を産業化したため、花の呼吸とも相性がいいかも。 ・冨岡義勇:新潟県村上市。江戸時代から鮭の増殖に成功したことから鮭が名産である。本編中で一度、外伝中で一度、任務を共にしていることから、胡蝶しのぶと出身地・担当地区が近い可能性が高い。 ・甘露寺蜜璃:京都府京都市。いかにも公家風の苗字に、新政府軍を称える「トコトンヤレ節」を好んで歌うことから、京都出身と考察。「トコトンヤレ節」は民間でも好まれた軍歌であるが、賊軍地域出身であれば好んでは歌わないだろう。 ・伊黒小芭内:山口県岩国市。アルビノが固定化された「岩国のシロヘビ」が天然記念物として有名。 ・悲鳴嶼行冥:鳥取県伯耆町。鬼の伝説を持つ自治体は数あるが、人食い鬼として最古の歴史を持つのは伯耆町の鬼住山である。 ・煉獄杏寿郎:鬼殺隊本部の近く。煉獄杏寿郎の夢の中で伊之助が「おいどん」という一人称を使っており、さつまいもを好み、また煉獄父が本格麦焼酎を好んで呑んでいたことから九州南部か?しかし鬼殺隊の本部が九州地方南部にあるというのもいまいちピンとこない。産屋敷邸では娘二人が関東地方で歌われる数え歌(上総山や吉原が出てくる歌詞)で毬遊びをしたいた。 ・栗花落カナヲ:東北の農家。すさまじい虐待を受けていたカナヲの生家を判断するヒントはなかった。しかし凶作時に娘の身売りが問題になるのは東北地方の農家である。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **猗窩座の名前の由来について 猗窩座の漢字それぞれの意味を調べると 「猗」=去勢された犬 「窩」=穴倉とか空っぽ、うろ 「座」=座る となり、初登場時点から「猗窩座=役立たずの狛犬(第155話サブタイトル)」の伏線設定となっている可能性有り。 また、植物のアカザは食後日光に当たると皮膚が火傷のようになる場合がある。 陽光から逃げる猗窩座はこの症状とも掛けたのだろうか。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **猗窩座の技名と戦闘スタイル 猗窩座は作中では唯一、徒手空拳で格闘を行う鬼である。 彼が無限城編で見せた技名には明確な命名規則がある ・冠先割(かむろさきわり) ・流閃群光(りゅうせんぐんこう) ・飛遊星千輪(ひゅうせいせんりん) ・万葉閃柳(まんようせんやなぎ) ・青銀乱残光(あおぎんらんざんこう これらは花火の玉名(ぎょくめい)、またはその一部の名称である。 これは彼が人間であったころに、元気になった恋雪と一緒に花火を見に行った記憶から取られたのだろうか。 また彼が構えを取る際に、雪の結晶のような模様が浮かび上がるが、これも恋雪の名前である「雪」が無意識に発現しているのかもしれない。 さらに彼の体には主に3本ずつの直線的な青い模様があるが、これも彼が罪人として入れられた刺青か。 いずれも猗窩座が忘れていた人間のころの悲しい記憶や後悔の象徴である。 追記: 単行本第18巻オマケページにて花火・恋雪の髪飾り・素流・入墨との関係が判明した。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **半天狗は本当に盲目偽装をしていたのか? 本編中では、既に鬼になっていたことで盲目ではなくなっていたように見える半天狗であるが、実は人間時代から盲目を装っていたのではないかと、お白州で奉行に指摘されている。 これは、本編中の描写でも確認できる。 その根拠は、半天狗の人間時代の回想である。 この回想シーンは、半天狗による主観が大半を占めているのだが、これは本来おかしい。 彼は盲目なので、本来は人間時代の映像記憶があってはならないはずだからである。 これは奉行の言う通り、彼が人間時代に盲人を装っていた事が反映されている描写である。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **響凱が人を喰えなくなっていった理由 無惨の目的は鬼狩りを滅ぼすことであり、配下にしたものの思考を読み、猗窩座の恋雪に関する記憶など、鬼狩り殺しに無関係な記憶を消す力がある。 逆に、鬼狩り殺しに必要な記憶は消さないようだ。 無惨は縁壱を大変警戒しているが、黒死牟の縁壱に関する記憶は鮮明である。 鬼狩り殺しに必要な感情を呼び起こす記憶は、無惨が嫌悪しているものでも消されない。 響凱は鬼となっても執筆を続けていたが、無惨の目的には無関係であり、執筆は記憶を元に文章を作成する行為である。 鬼として強くなるには、無惨の目的に無関係な記憶を捨てなければならない。 それが少食に繋がったのではないだろうか。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼殺隊の隊服の仕様 鬼殺隊の隊服は、いわゆる詰襟であり、男女ともに右前の仕様である。 上半身は原則的にほぼ全員同じであるが、不死川実弥と甘露寺蜜璃の二人だけは胸元が大きく開かれている。 不死川実弥はおそらく、稀血体質を活かすためと推測される。 甘露寺のほうは、これは縫製担当の前田(ゲスメガネ)の嗜好の所為であることが判明している。 なおコミック裏では時透に「さっき横から見えてましたよ」と指摘されている。 %%前田「いやドンピシャです。完璧な状態ですね。それが。」%% このほか、時透は詰襟風ではあるが、他の隊士とは異なり手元は絞られていない。 ゆったりとした和装のように見える。 さて、画一的であるべき隊服において個性豊かなのは下半身である。 ズボン、袴、スカートと比較的自由に選べるようで、それぞれ腰にベルトを当てて固定している。また時透のように普通の袴を装着している者もおり、甘露寺とカナヲに至ってはスカートである。 足元は裁っ着け袴(袴のすそを絞ることで歩きやすくしたもの。忍者の足元のイメージ)を基本としているが、その固定方法には個性があり、炭治郎や冨岡は足の裏側に恐竜のヒレのような形で布を余らせている。(もしかすると脛当てが固定されているのかもしれない。) 不死川実弥はこれを複数のベルトで固定している。 しのぶさんや煉獄は布ではなく脛当てを当てているように見える。 悲鳴嶋は足袋を履かずに草履のみ、また足元は布を巻いて絞っている。 その他、甘露寺だけは草履ではなく草鞋(わらじ)を採用している。 これは伊黒からもらった縞々の靴下との兼ね合いもあるのかもしれないが、飛んで跳ねて戦う甘露寺のスタイルでは、足首をきちんと固定できて軽量な草鞋のほうが向いているのかもしれない。 そしてカナヲはスカートにブーツという非常に先進的な出で立ちである。 さて、このように隊服に個性がある理由であるが、これは素材に伸縮性がない事が原因なのではないだろうか。 鬼の引っ掻き程度であればビクともしない素材で作られたこの生地は、普通に作れば背広のように窮屈で、運動には向いていないという可能性があるのだ。 特に下半身の窮屈さは足の可動域を損なってしまうため、全体的にゆったりと作り、必要な個所を自分の好みの手段で固定している可能性がある。 これは、まだ成長の余地のある時透のみがゆったりとした和装を採用している理由とも整合性がつく。 上記が正しい場合、甘露寺の隊服がゲスいのも違った理由が見えてくるのかもしれない。(ドンピシャです。完璧な状態ですね。それが。) &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **不死川実弥が傷だらけで胸をさらけだしている理由 作中で、「その血は鬼を酩酊させる」ということが判明した不死川であるが、これは彼が常に隊服の前を開け放っている理由を説明できる。 それは、「不死川実弥の体臭は鬼を酩酊させうる」からである。 人体において、汗は血液から作られるため、血液型を判定する事すらできる。 彼は常に隊服の前を開けることで、鬼を呼び寄せているのかもしれない。 あるいは禰豆子に対してそうしたように、自傷して血をまき散らすことで自分にとって有利な状況を作り出していたのかもしれない。 過去回想では、時透や悲鳴嶋と同様に一般人でありながら鬼となった母を殺した不死川実弥であるが、この体質に気づくきっかけが、鬼になった実の母親だったのかもしれない。 ワニ先生「いつも隊服の胸元を開けていますが、胸筋がご自慢なのかな?スケベですね」(公式ファンブックより) &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **桑島慈悟郎が雷柱ではなく鳴柱である理由 雷の呼吸の育手である「じいちゃん」こと桑島慈悟郎は、作中で元柱であることが記されており、 各所の考察では「雷柱」であると表現されることが多かったが、ファンブックにおいて「鳴柱(なりばしら)」であることが判明した。 あえて「雷柱」ではなかった理由としては、下記が考えられる。 ・かみなりばしら、の文字数が多すぎるため。(霞柱(かすみばしら)の3文字が最大?) ・らいばしら、では一聴して何のことだか分かり難いため(但し、炎柱(えんばしら)の例もある) ・いかずちばしら(いかづちばしら)とも読めてしまうため混乱を避けた。 ・じいちゃんは雷の呼吸の中でも、音の呼吸寄りであったため、鳴の字を好んだ。 ・雷の呼吸の始祖が偉大すぎるため、「雷柱」は欠番となった。(実際に、本編中で雷柱の語は登場しない) ・桑島慈悟郎の在位期間中、先任の雷柱が居た。 ・メタ的観点から「電柱」みたいで作者がダサイと感じた可能性。 ・桑島慈悟郎の左足を[[鳴雷神>鬼滅の刃|呼吸・剣術・技#id_b3a8455b]]に見立てた為。 等。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼滅の刃の吾峠ワールドに真面目にツッコミを入れる 本作は連載がそれなりに長期になったため、多少なりとも序盤の設定の粗が発生している。 また本作は大正時代と戦国時代と江戸時代を描く都合上、時代考証がやっかいな作品でもあるため、時代考証にそぐわない事もある。 もちろん、多少の粗が出てくるのはどの作品でも起こり得る話ではあり、フォローできる箇所は上記までの考察で補っているのだが、考察でフォロー出来ないレベルのものをここに列挙していく。 -隊士選抜最終試験はブラック過ぎ。合格率25%未満で、不合格者は全員死亡というのはあまりにも人道に背く。隊士候補生に再試験の道があってもよいのでは? あと手鬼はエンカウント即死レベルで難易度が高すぎる。育手はもちろん多数いるのだろうが、合格率を考えると村一つ消滅する程度に犠牲が出ているはずである。(柱稽古では最低でも数十人の隊士が確認できる。)注意:「藤の花が狂い咲く麓まで逃げれば生き残れるが不合格」、等のリタイアに関する説明は本編中にはなく、試験の目的も明らかにされておらず、隊士候補生には「この中で七日間生き抜く」以外の合格条件も語られていない。 -炭治郎が浅草で骨折していたにも関わらず、次の任務を与えるのは非人道的。新人隊士の実力が足りないなら足りないで、OJTとして先輩隊士について修行する等の配慮があってもいいはず。元・十二鬼月を含む3鬼に対して新人癸隊士3名というのはあまりにも可哀想なのでは? -善逸の実質的な任務拒否や敵前逃亡、そして伊之助の同士討ち行為にペナルティがないのは組織としてダメでは?(冨岡→しのぶさんへのヘッドロックに関してのペナルティに関しては不明) -桜餅を食べて甘露寺の髪色が変わるのはともかくとしても、それでもピンクと緑の比率がおかしい。人間の髪は部位によって伸びる速さに差はないはずなので、彼女のように「腰まである長い後ろ髪も、10cm程度の短い前髪ももみあげも、いずれも先端から2割程度の長さの色が異なる(同様の事は鬼化によって毛先だけ赤く変わったと思われる禰豆子や、服毒を続けたことによって毛先だけが紫になっているしのぶさん、さらに言えば覚醒後に毛先が赤髪になった炭治郎も似たような状況なのだが。)」というのはありえない。またザリガニの体色のように食物によって髪色が変わるのだとすると、緑髪が生えていた期間には彼女は桜餅ではなく桜の葉を食べまくっていた事になってしまう。どちらかというと生物学的な説明よりも桜餅の呪い、というほうが納得できそうな設定である。 -時代考証が少々雑。 --戦国時代にさつまいもがある --炭吉の妻すやこが公家風の名前。(~子は平安以降、貴人の娘に付ける名前である。当時のルールでいえば「すや」のほうがしっくりくる。ただし、家が畳敷きでそこそこ広い家であることから、彼女が公家出身である伏線である可能性もゼロではない) --炭吉が痣のある鬼狩りに急須でお茶を提供。 ---補足:日本独自の横手急須は18世紀に上方で発明された。 ---補足:江戸時代前期までは贅沢品扱いであり、気軽に庶民が飲めるものではない。 --炭治郎が炭吉の記憶をたどる走馬灯において、縁壱夫婦の家の床が部分的な板敷であることが確認できる。12巻の回想に出てくる炭吉の家よりも貧しい暮らしをしていたことが分かる。 --江戸時代の町人の髷が例外なく後期の型 ---補足:時代劇でおなじみの銀杏髷は、本来江戸時代後期のスタイルであり、江戸時代初期と思われる狛治の回想に出てくるのはおかしい --ただし大正時代の時代描写については比較的まとも。(特にアニメ版はうどんのメニューや電信柱など、時代設定描写がより良くなっている) 結論:吾峠先生は天然だから。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **「鈴蘭のような柴犬」に当てはまる人物を妄想 作中で炭治郎は好みの女性のタイプを「鈴蘭のような柴犬」と弟妹に述べている。 この「鈴蘭のような柴犬」について妄想。 「鈴蘭」とは、小さなベル型の花が連なり、下向きに咲く草花で、可憐な姿が愛らしく、世界中で愛されている。 また比較的強い毒性を持つことでも有名である。 花言葉は『幸福の再来(春の時期に花を咲かせる事から)』『純粋・純潔(欧州圏では聖母マリアの象徴でもあり、結婚式のブーケにも用いられる)』『謙遜(花弁の大きさが控え目であり、頭を垂れて花を咲かせることから)』。 「刺繍」の題材としても用いられやすい事も相まって、「家庭的」や「結婚」のようなイメージを持つ人もいるかもしれない。 次に「柴犬」であるが、これは日本固有の小型犬種である。 柴犬は信頼できる飼い主にだけ心を寄せるとされる。 家族に対して強い忠義心を持ち、家族を脅かす者には勇敢に立ち向かっていくことから番犬として扱われている。 両方に共通するイメージとしては、「家庭的」「謙虚・ひかえめ」と言ったところか。 鈴蘭の「毒」と柴犬の「勇敢さ」は共に、「家族を脅かす者には容赦しない」というニュアンスもあるかもしれない。 纏めると、「純粋で家庭的で謙虚でありながらも、家族の敵に対しては容赦なく戦える強い人(この人物像は容赦なく熊を惨殺した父・炭十郎にも、頭突きでイノシシを撃退したとされる母・葵枝にも当てはまる)」というような感じだろうか? 「毒」に重点を置けばしのぶさんが候補だが、「家族の敵に対して」のほうを重視すればカナヲが候補だろうか。 //もしかして:妹((繕い物が得意で、下の弟妹の面倒を良く見る家庭的な少女である。また家族をとても大事にし、弟から「人のために怒る人は自分の身を顧みない所がある」と評されることから、家族や弱者を守るために戦えるのは鬼になる以前からの気質なのだろう。)) &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **「飛車のような人」に当てはまる人物を妄想 作中で禰豆子は好みの男性のタイプを「飛車(作中では「縦と横に何マスも動ける。敵の陣地に入ると竜王になる」という解説がされている)のみたいな人」と弟に述べている。 これに当てはまる人物について妄想。 ・猪突猛進の伊之助は飛車というよりも「香車」? ・善逸は電光石火の霹靂一閃のイメージから飛車に近いかもしれないが、「それしかできない」のイメージに合致するのはどちらかというと「桂馬」? ・不死川玄弥は普段の戦闘能力は低いが、敵陣地に入ることで覚醒するという点で「歩」? ・移動力という点では申し分ないのが宇髄天元と煉獄杏寿郎? ・独特の緩急で動き、油断した敵に一撃を食らわせる時透は、移動力という点では同等の働きを見せる「角行」? //もしかして:兄((伊之助と同様の移動力を持つが、仲間の為に一歩引いたり、駆け付けたりする事が出来る。修行属性外の流儀や痣覚醒することで、ほんのすこしだけ斜め上の行動ができるのも竜王の特徴かもしれない。)) &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **不死川実弥の口調 作中、不死川実弥は非常に口汚いヤンキー口調で話している事が多い。 他の柱の前、あるいは柱稽古での訓練中においてもそれは変わる事はなかった。 しかしお館様との会話(炭治郎曰く、「知性も理性も全く無さそうだったのに、すごいきちんと喋り出したぞ」と評されている)、あるいは悲鳴嶋に助太刀された際(「はい、すいません」としおらしい返事をしている)を見る限り、本質的には素直で真面目な人格なのではないかという分析がある。 %%幼少時代の人格を見るに、このヤンキー口調は鬼殺隊に入隊後に身に着けたものではないかと推測できる。%% %%ではなぜヤンキー口調が必要だったのか?%% %%それは人間の感覚で「泥酔しているときに口汚い言葉で挑発される」という状況を作りやすいからではないだろうか?%% %%まず彼の稀血体質((その血は鬼を酩酊させることができる))は、鬼を挑発するのに都合がよく、また鬼にとっては十全の力を発揮できなくなる。%% %%この判断力を失った状態で、あのような挑発を受ければ腹も立つだろうし、頭に血が上るだろう。%% %%この状態異常を作り出すために、ヤンキー口調を始めたのではないだろうか?%% 追記:公式ファンブックにて、玄弥と離れてから鬼殺隊入隊以前に治安の悪いところを点々としていており、周囲を威嚇する為と判明。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **十二鬼月の討伐結果 |上弦の壱:黒死牟(こくしぼう)|討伐者:悲鳴嶋・不死川実弥 |討伐補助:不死川玄弥・時透無一郎(両名とも殉職。黒死牟の全方位攻撃を封じ、文字通り命を懸けて討伐の隙を作った。)| |上弦の弐:童磨(どうま)|討伐者:伊之助・カナヲ(しのぶ毒による強力なデバフが掛かっていたため、実質的には討伐補助である)|討伐補助:しのぶさん(柱三人に匹敵すると言われる上弦を、実質的にたった一人の犠牲で討伐した。無限城編において、現状での勲一等の功績である)| |上弦の参:猗窩座(あかざ)|討伐者:炭治郎(2対1であるものの、堂々たる討伐と言って良い)|討伐補助:冨岡| |上弦の肆:半天狗(はんてんぐ)|討伐者:炭治郎|討伐補助:甘露寺(敵戦力を分散させ、遅滞戦を見事に勝ち抜いた)、玄弥(力及ばなかったものの、上弦をかなり追い詰めた)、禰豆子(最も被害が重く、また決死の覚悟を見せた)| |新・上弦の肆:鳴女(なきめ)|討伐者:鬼舞辻無惨|討伐補助:愈史郎(実質的な無力化および傀儡化)、甘露寺、伊黒| |上弦の伍:玉壺:(ぎょっこ)|討伐者:時透(作中で初となる、上弦の鬼を単独撃破を達成した)|討伐補助:なし| |上弦の陸:妓夫太郎(ぎゅうたろう)&堕姫(だき)|討伐者:炭治郎・伊之助・善逸(同時撃破が必須であるため、息を合わせて三人で撃破した)|討伐補助:宇髄(実質的に負けに等しいものの、戦力を削る事に貢献した)| |新・上弦の陸:獪岳(かいがく)|討伐者:善逸(作中、二人目となる上弦の単独撃破。ただし獪岳が鬼として経験不足であったため、他の上弦に比べれば戦績は劣る)|討伐補助:なし| |下弦の壱:魘夢(えんむ)|討伐者:炭治郎・伊之助(実質的には実力による勝利というよりも、二人の幻惑耐性が高かったことが勝因)|討伐補助:煉獄(無間列車を縦横無尽に駆け回り、一人の犠牲も出さなかった)、禰豆子(炭治郎の覚醒のきっかけとなった)、善逸(目立った活躍こそないものの、一般人の安全を見事に守った)| |下弦の弐:轆轤(ろくろ)|討伐者:鬼舞辻無惨|討伐補助:| |下弦の参:病葉(わくらば)|討伐者:鬼舞辻無惨|討伐補助:| |下弦の肆:零余子(むかご)|討伐者:鬼舞辻無惨|討伐補助:| |下弦の伍:累(るい)|討伐者:冨岡(実質的な単独撃破である)|討伐補助:炭治郎・善逸・伊之助・しのぶさん(いずれも結果的には塁撃破の露払い)| |下弦の陸:釜鵺(かまぬえ)|討伐者:鬼舞辻無惨|討伐補助:| 作中で十二鬼月を単独撃破した描写が最も多いのは鬼舞辻無惨。無惨様凄い。(討伐数:5) &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼滅の刃世界における切腹観 鬼滅の刃において、「切腹」について言及されたのは3度ある。 -一度目:鬼になった禰豆子を連れた炭治郎に対して、鱗滝がその覚悟を説くシーン。&br()(「禰豆子が人を喰った場合に、炭治郎は速やかに責任を取って自害すべし」という旨の警告がなされた) -二度目:禰豆子と炭治郎の処遇を話し合う柱合会議。&br()(鱗滝の手紙において、「禰豆子が人を喰った場合に、炭治郎だけでなく鱗滝左近次および冨岡義勇が腹を切ってお詫びします」という覚悟が記されていた) -三度目:善逸の師・桑島慈悟郎の自害。&br()(雷の呼吸の継承者である獪岳が鬼に堕ちたことの責任を取り、介錯もつけずに腹を切って自害した) 上記において共通するのは、鱗滝左近次と桑島慈悟郎という、いずれも60歳を超えているであろう二人の発言・行為であるという点である。 本編中、鬼殺隊サイドで江戸時代((いわゆる幕末である。江戸時代では殉死思想が蔓延した初期を除いて、それほど切腹行為は盛んではなかった。特に中後期において武士は完全に官僚階級と化し、軍人としての意識は毛ほども残っていなかった。この意識が変わるのはまさに鱗滝が鬼狩りとして活躍した慶応年間前後である))の空気を知っている二人が切腹について言及していることになる。 しかし鬼殺隊の現役隊士から切腹について言及されることはなかった。 それどころか不死川実弥からは「切腹するから何だというのだ。死にたいなら勝手に死に腐れよ」とその価値を認めない発言をお館様にする始末であり、煉獄もその発言に同意している。(煉獄は代々続く鬼狩りの一族の出身であるが、その彼ですら切腹の価値を高く見ていない。) これはこの時代における世代間のジェネレーションギャップである。 人命を尊び、また人命を守るために自らの命を投げうつ現役隊士たちにとって、「死んで責任を取る」というのは受け入れられない価値観の可能性がある。 //これはおそらく、産屋敷耀哉の思想と関係がある。 //産屋敷耀哉は自らの権威を高める事よりも、人命を尊重する事を何よりの目標に掲げて隊士たちの心を掴んでいたため、「自らの瑕疵で人命を失っても自分が責任を取って死ねば許される」という考えは理解できないのである。 //↑論理の飛躍があります。ジェネレーションギャップと産屋敷耀哉の思想が直接結びついているとは断定できません。そもそも産屋敷耀哉自身が切腹の手紙を禰豆子反対派への説得の材料にしています。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **産屋敷家97代の歴史について アニメ23話の大正コソコソ噂話において、産屋敷輝哉は97代当主であることが判明した。 産屋敷家の97代前はいつだったのかを妄想してみる。 まず、前述の通り、柱合会議時点での西暦は1916年ごろと推測される。 また、平安時代において、鬼舞辻無惨は20歳になる以前(794年に平安時代が開始のため、このシーンは最早で794年。最遅の場合は1192年である。※鎌倉幕府成立は現在基準では1185年であるが、大正時代当時の史学基準では1192年である。)に、善良な医者を病が治らない癇癪から殺害している。 このことから鬼舞辻無惨の生年は774年~1172年の間のいずれかになる。 鬼殺隊はこの時期の前後に成立したことになる。(お館様の「この千年」という発言を厳密に信用するのであれば、鬼殺隊の結成は916年の前後が正しくなる。) そしてその場合、産屋敷家の歴代当主の平均在位期間は7年から11年といった計算になる。 これは歴代の当主は30歳足らずで亡くなるという設定と合致する。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **黒死牟の刀は刺突刀? その刀は自らの肉から作られている黒死牟の刀であるが、七支刀のように刃を増やすことができることが判明した。 しかしその刀の刃の向きは、いわゆる逆刃刀のように本身とは逆についている。 この刀の向きでは、黒死牟はこの刀を刺突にしか使う事ができない。 通常通りの刀の振り方をする場合、敵に当たるのは刃のない側になってしまうからである。 またその刀身は明らかに4尺を超えており、大太刀または野太刀に分類される長刀(「なぎなた」ではなく「ちょうとう」)である。 この形状であればおそらく本来の使い方は、刺又(サスマタ)の要領で複数の敵を制圧・刺突する事と思われる。 連携攻撃を仕掛ける鬼殺隊の両方に遠距離から刺突を加えるために作り上げられた武器の可能性がある。 但し、同時に剣技の範囲が延長されているので、剣技範囲延長の効果がメインかもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **継国家のお家事情 作中で、兄弟であることが判明した黒死牟こと継国厳勝(つぎくにみちかつ)と継国縁壱(つぎくによりいち)であるが、この名前に少し違和感がある。 それは弟であるはずの縁壱に「壱(いち)」の字が入っているという事である。 「壱」には「壱岐」を表す一文字としても扱われるため、必ずしも数値として扱われるわけでもないものの、やはり「なぜ長男ではないのに一番目を表す文字が入っているのか?」には疑問が生まれる。 -長男以外の「一」例 --イチロー:野球選手。名前に反して次男 --安倍晋三:2019年現在の内閣総理大臣。名前に反して次男 --時透無一郎:兄・有一郎がいるため、名前に反して次男。 --正一:兄・清がいるため、名前に反して次男。 上記の例もある事から極端に珍しいケースと言うわけではない。 それでもあえて不自然でないケースを妄想してみる。 -ケース1:縁壱のみが正妻の子であり、厳勝が妾の子(ただし後に本編中でこれは否定された。双子である以上母親は同じである) -ケース2:縁壱のみが幼名または輩行仮名(通称)のままであり、厳勝のみが元服後に与えられた名前 --回想において、二人の名前が呼ばれる描写がなく、また縁壱は数え年10歳にならずして死亡したと思われていたため、幼名のみを名乗り続けていた可能性はある。 --継国が互いに呼び合うシーンがない事から、幼名とも元服後の名前とも区別はつかない。もし厳勝の幼名にも「壱」の字が与えられていたのであれば、上記の疑問は氷塊する。そしてこれが継国家の伝統として末裔である時透家に伝わっていたとすると、双子兄弟の両方に「一」の字が含まれている事とも整合性がつく。 -ケース3:次男を長男の身代わりの魔除けとする目的で命名の順番を狂わせた。ただしこの場合、厳勝にも2番目以降の名前、例えば「縁次」などの名前を付ける必要がある。 -ケース4:作者が縁壱=長男と思わせる叙述トリックに使いたかっただけ ただし現状では厳勝および縁壱が生名であるとも元服後の名前とも通称とも判明していないため、これらの可能性は「妄想」に過ぎない事に注意。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **黒死牟こと継国厳勝(つぎくにみちかつ)の人生 彼について判明していることは下記の通り。 ・1916年→最終決戦(本編を前述の考察に乗っ取り、1916年と仮定する) ・1916年→獪岳に鬼無辻無惨の血を分け与える(最終決戦から一年以内) ・1803年→前回の上弦招集会議(半天狗の発言) ・1616年→鬼喰いをしていた剣士の胴を割り、絶命させる(300年以上前との発言あり) ・1516年→縁壱との最後の切り合い。縁壱絶命(400年ぶりとの発言あり) ・1456年→厳勝が鬼無辻無惨に降り、血を得て3日間の後に鬼になる(縁壱絶命の60年以上前) ・1432年→厳勝誕生。縁壱も同日誕生。(痣者である厳勝は鬼化時点で25歳未満。戦国時代当時は数え年なので満年齢では24歳未満) さて、上記は全体的に「~年以上前」が多いが、ここでは最も短いケースで考えるものとする。 この最短の場合でも継国兄弟の活躍時期は15世紀中盤となり、戦国時代とは言い難い。 ただし舞台となる関東地方はそれ以前の享徳3年(1454年)から関東管領と鎌倉公方による内乱状態であったともされ、この地方の戦国時代はそれより早く始まったとする学説もある。 その学説に則るのであれば、継国兄弟は15世紀中盤の戦国時代草創期に関東地方で鬼狩りをしていたという説が成り立つ。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **継国兄弟の最後の決戦地 継国兄弟の最後の決戦地には、赤い月とともに七重塔があった。 日本において五重塔は現存するものも含めて珍しくないが、七重塔はかなり珍しい。(多くは聖武天皇によって全国各地に作られた「国分寺」とセットで建設された。神奈川県海老名市には駅前に七重塔の1/3レプリカが復元されている) 少なくとも近世以前に建立された七重塔は現存しないという。 では作中で、継国兄弟の最後の手合わせが行われた時期(15世紀中盤以前)においては存在したのか?について調べてみたところ、ほとんどのすべての七重塔は当時、既に焼失(特に落雷による火災が多い)したり戦乱に巻き込まれていたりという。 しかしその中の唯一の例外が、足利義満によって応永6年(1399年)に建てられた京都相国寺の七重大塔である。 この塔は二度の焼失したがその都度再建され、文明2年(1470年)に三度焼失するまでの間、存在し続けたという。 先述の考察では、継国兄弟の最後の手合わせを1516年と仮定したが、これが40年強ほど前にズラせば、相国寺七重大塔が存在した時期と一致する。 というよりも、この時期に存在した七重大塔は相国寺七重大塔のみである。 このため、継国兄弟の最後の決戦地は京都である事が確定する。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **愈史郎はなぜ珠世様の死と同時に消滅しなかったのか? 作中では「鬼舞辻無残が死ぬとその他の鬼が死ぬ」と産屋敷によって明らかになっている。 これが「鬼の始祖が死ぬと、その眷属の鬼も同時に死ぬ」という意味であるならば、珠世様が死んだ場合に愈史郎も死なないとおかしいのではないか?という疑問が出てくる。 ここではなぜ愈史郎が珠世様と同時に死ぬことがなかったのかについて妄想してみる。 ・説1:愈史郎が死ぬことは確定しているが、それは悲鳴嶋のように即座にではなくある程度時間が経ってから? ・説2:愈史郎は珠世様の血によってではなく、別の手段(例えば「青い彼岸花」)によって鬼化させられたから? ・説3:愈史郎は珠世様の血によってではなく、鬼舞辻無惨の血によって鬼化させられたから?(作中の黒死牟→獪岳、童麿→妓夫太郎のケース) ・説4:愈史郎は珠世様の血によって鬼化したが、珠世様の支配を外した、またはそもそも支配を受けないよう設計されたから? ・説5:珠世様はそもそもまだ死んでいない? ・説6:そもそも消滅するのは鬼舞辻の口外の呪い等を掛けられている鬼限定? いずれの場合も現時点では妄想に過ぎないものの、物語が進めば明らかになると思われる。 追記:鬼舞辻無惨が縁壱によって弱らされた際、珠世様は鬼舞辻無惨の支配を一時的にとはいえ脱していたことが描写されていた。このことから始祖は自らの意思によって支配を外せる、あるいは始祖が命の危険を察した時に支配権を放棄することで支配の為に使っていた力を自らに戻すことができるのかもしれない。この時点では具体的に何が正解だったのかは判明しないものの、「愈史郎はなぜ珠世様の死と同時に消滅しなかったのか?」の疑問の答えは、「鬼舞辻無惨の支配下にいた珠世様は、彼の支配が外れる瞬間を見たことがあるため、その手段を研究することが可能だったから」ということとなる。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **伊黒の生家についての考察 伊黒の過去回想が描かれたことにより、伊黒の生家に関する情報が一気に増えたため整理する。 ・座敷牢があるほど巨大な家が存在する ・強奪する余地があるほどの分限者が多数存在する(もしくは富裕層が訪れるような観光地) ・白米や揚げ物を無駄に出来るほどの流通網がある ・白蛇(鏑丸)が迷い込んでくるほど近くに森がある ・実家の女たちは和服を着ている さて、伊黒の出身地である八丈島で上記が成り立つのかについて考察してみよう。 八丈島は江戸時代までは罪人の流刑地として扱われており、明治時代において決して裕福な地域とは言えなかった。 このため、島民の金品を強奪して豪勢な生活を尽くすというのは現実的に難しい。 また当時から観光地であったとはいえ、わざわざ富裕層が大量に訪れるような土地でもない。 八丈島は山手線内ほどの面積があるとはいえ、人口8000人足らずの狭い地域で大量の強盗殺人を隠しきるのは無理がある。 また流通網も決して恵まれてはいなかったため、豪勢な着物や白米を大量に仕入れることも難しかった。 ただし、八丈島には名前の由来になった大蛇伝説がある。 これは八丈(約24メートル)もの蛇を退治した伝説であり、これは作中に登場した蛇鬼のサイズと合致するかもしれない。 また大正時代には日本初のバターの生産が始まったという史実もあるため、甘露寺がバターを好んで食する理由として納得できるかもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- //公共wikiでは視認性重視で説番号は漢数字ではなくアラビア数字を使用願います。(大正風で表現したい気持ちは分かりますがご遠慮願います) ---- *コメント 最新の20件を表示しています。 #comment_num2(noname,size=75,num=20)
*鬼滅の刃考察 鬼滅の刃の考察等適当にまとめ。 ---- #contents(fromhere) ---- **時代設定 「大正時代」の日本が舞台となっている。 さらに詳しく考察するなら、 ① あらすじでは1話の時点で「時は大正時代」と明記してある。 ② 2年後の手鬼「47年前は江戸時代慶応だった」との発言。 両方の条件が成り立つ年を逆算すると、 作中は1話時点で大正元年~3年(西暦1912~1914年)辺り、2年後の選抜試験が西暦1914~1916年辺りと推測される。((第一次世界大戦が1914~1918年、日本は第2次大隈重信内閣ぐらいの頃である。世界と日本の関わりで言うなら所謂21ヶ条の要求を中華民国の袁世凱に突きつけた頃である。)) ③ さらに年号改変日から詳しく考察すると、より具体的な時期が見えてくる。 ・竈門家襲撃直前に、炭治郎が「正月ぐらいは腹いっぱい食わせてやりたい」と発言している事から、第1話は旧正月前((※大正時代はまだ旧正月を祝う事が一般的。かつ第2話の時点で下山すると雪がほとんど融けているため、12月とは考えにくい。))の2月上旬ごろ。 ・大正元年は1912年7月30日始まりなので、第一話の時点での最短は1913年2月。 ・慶応年間のおしまい(=明治開始)は、公式には1868年1月だが、この年の9月に、1/1に遡って明治にするように交付されたため、年号鬼が慶応年間と認識しうるのは、1865年5月~1868年9月の範囲となる。従って狭霧山の隊士選抜試験は1912年5月~1915年9月が範囲となる。1話時点ですでに大正時代なのだとすると、竈門家襲撃は1913年2月と確定する。((1914年以降であると、2年後が1916年になってしまい、年号鬼が47年前に捕まったという事実と矛盾してしまうため)) ・隊士選抜最終試験では、「藤の花が咲く季節じゃないのに」と炭治郎が発言していることから、藤の花が本来咲く時期である4~5月を除外する。すると選抜試験は1915年6月~1915年9月に行われたと断定できる。 ・上記の考察が正しいとすると、年号鬼が鱗滝に捕まったのは1868年。((本人の認識はともあれ、実際には明治期につかまったことになる。 ※47年前と具体的に覚えているならば明治何年かを聞く必要はなかったのでは……)) 年号鬼が捕まった時期についての具体的な年表 ※明治6年までは太陰暦なので、大正時代とは1か月弱ほどズレる ---------------------------------------- ×1865/05/01 慶応開始だが、47年後がまだ明治になってしまうので排除 〇1865/07/30 慶応年間かつ47年前の最短 〇1868/01/01 明治適用だが、遡って適用されたため、「慶応年間に捕まった」との認識とは矛盾しない 〇1868/09/08 明治発表 ×1868/10/23 実際の明治適用だが、1/1に遡って適用されることがすでに9/8に公布されているため「慶応年間に捕まった」とは言いがたい 隊士選抜試験の時期についての具体的な年表 ------------------------------------- ×1912/05/01 慶応から47年後の最短だが大正以前につき除去 〇1912/07/30 大正開始 〇1915/01/01 明治適用から数えて47年後 〇1915/09/08 明治発表から数えて47年後 ×1915/10/23 慶応から47年後の最長だが慶応年間と矛盾するため除去 竈門家襲撃の時期についての具体的な年表 ------------------------------------- ×1912/07/30 大正開始だがまだ夏 〇1913/02ごろ 1913年の旧正月が、2月6日なのでその直前か ×1914/02ごろ 季節的には問題ないが、2年後が1916年になってしまう。 ただし、大正後期のモダンガール服装等も登場しているので、 &bold(){&color(blue){厳密には史実に合わせた設定ではなく、あくまでパラレルの大正時代っぽい世界観だと思われる。}} &bold(){&color(blue){いわゆる大正ロマン表現。}} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **政府と鬼殺隊の関係 鬼殺隊は「政府から正式に認められていない組織」と明記されているが、 ① 公務員ではない鬼殺隊が帯刀しているのにスルーしているように見える。しかし、54話にて警官に帯刀をしているため警戒されていた ことから政府のごく一部の人のみが知っている可能性が高い。 ② 鬼殺隊への給金の資金提供の謎。(実は政府からこっそり援助?) ③ 読み切りの設定では鬼殺隊のことを警官も知っていたので政府が裏で公認していた。 読み切り時の設定から大きく変化していなければ政府が裏で援助している可能性が高い。 というか鬼が各地に多数存在している=各地で大量に人が死んでいると考えられるので、 政府に全く情報が入っていないほうが不自然。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **作中登場地について ***竈門家の場所 本編では「山奥で雪深い場所」「巨大なツキノワグマが出る」ぐらいしか描写がなかったが、冨岡義勇外伝において、「マタギ文化を有する山村の隣山」という描写を確認。但し、別作者外伝につき解釈ミスの可能性有り。 追記:公式ファンブックによると竈門家の場所は東京府 奥多摩郡 雲取山(現:西多摩郡 雲取山)で確定。 なお、当時から既に多摩には青梅線が開通しており、少し街に出れば汽車を見る事は可能である。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- ***狭霧山の場所 竈門家との位置関係は明らかになっていないものの、1話であれほど雪深かったにもかかわらず、 下山後には全く雪が見えなかったことを考えると、竈門家からは徒歩(13歳の少年が幼児程度の荷物を籠で背負って)で1か月以上の道のりがあるほど遠いと推測される。 現実で考えれば高地トレーニング可能で、しかも霧が濃い山地といえば、長野県の「御嶽山」あたりか。 霧のほうに重点を置くならばその近くの「霧ヶ峰」も候補かもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- ***藤襲山の場所 藤襲山の場所は明らかになっていないが、最終試験合格後の炭治郎が「筋肉痛が癒えないうちに」狭霧山の鱗滝宅に到着していることから、狭霧山からは徒歩で半日~2日ほどの場所にあると想定される。また「日輪刀が出来上がるまで10~15日」かかるとされる中で、「玉鋼を鍛冶の里まで運ぶ」「完成した日輪刀を狭霧山の鱗滝宅に運ぶ」の期間を含めても、炭治郎が鱗滝宅到着から15日後に日輪刀が届いていることから、鍛冶の里からも決してそう遠く離れているわけではない事が推測される。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- ***鱗滝左近次の出身地 -鱗滝が常に天狗の面を身に着けている -「日輪刀を折ればお前の骨を折る」と言うほど日輪刀を大事にしている。&br()※鬼との戦いで日輪刀が破損するのはよくある事 -「相変わらず人の話を聞かん男だな」との発言から、鉄鋼塚と親交が深そう。 -藤襲山から鍛冶の里までそれほど遠く離れていない 以上の根拠から、鱗滝は鍛冶の里の出身ではないかと推測される。 追記:アニメ大正こそこそ噂話にて、常時天狗の面の理由は「顔立ちが優しいので鬼に馬鹿にされないように」との理由と判明。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- ***少女が消える北西の街の場所 炭治郎の最初の任務の場所であるが、狭霧山から見て北西の街だという事は明らかになっているものの、距離が不明である。しかし次の任務が東京府浅草であり、しかも炭治郎はこの街を深夜に出発してから2日後に到着していることから、この街は北関東のどこかと思われる。 追記:アニメではこの街に電線がかなり普及していることが表現されていた。史実では大正時代前半は、雨後の筍のごとく電線製造所が創立された時期である。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- ***鼓屋敷の場所 鼓屋敷は浅草から南南東の箇所にある山間の屋敷である。浅草から南南東の場所に実際にあるのは浦安あたりか(但し、浦安には埋立地で山がなく、山間部は存在しない)。東京湾を迂回し、房総半島の山間部に向かうルートであれば、鎹烏は「南南東」とは言わないだろう 房総半島は平野部ばかりで山といえるものはほぼないのだが、強いて候補を挙げれば400メートル級の愛宕山辺り? &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- ***那田蜘蛛山の場所 鼓屋敷での激闘を終え、藤の家で骨折が完治するころに、緊急指令として向かうように指示されたことから、那田蜘蛛山に近い隊員が緊急出動と仮定すると鼓屋敷からそれほど離れていない場所だと推測される。 浅草から南南東の箇所から最も山地に近いのは房総半島の愛宕山辺りだろうか。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼舞辻無惨が竈門家を襲った理由 鬼舞辻無惨と竈門一族に因縁がある為、まるで竈門家を狙って襲撃したように見えるが、 ①浅草で炭治郎の耳飾りを見て、初めて「過去に鬼舞辻無惨を追い詰めた剣士の末裔」だと認識。 ②浅草で部下に指示を出す際に炭治郎の名前を知らなかった。 よって、竈門家の情報を予め知っていたわけではなく、偶然立ち寄った可能性が高い。 とはいえ、理由も無く山中の竈門家に偶然立ち寄ったという事も考えにくい為、 追っ手を巻く為に鬼を創った可能性も考えられる。たまたま逃走ルートに竈門家があったのかも? あるいは本当に竈門家を狙って襲撃したが、家族構成までは把握していなかったので、外出中の炭治郎の存在を知らずに一族全員を根絶やしにできたと思い込んだ可能性もある。 また鬼舞辻無惨は、「太陽を克服した鬼を作り出し、取り込むため」と「青い彼岸花を捜索させる」の二つの目的((それを阻む鬼殺隊および柱を誅殺する、というのはこの二つの目的を達成するための「手段」であり、副次的になものであって主たる目的ではない))で増やしたくもない同類を増やしていることが判明した。 いずれの目的も人を喰らう鬼の存在が世間に露呈しては都合が悪く、また作り出した鬼がすぐに討伐されても意味がない。 そして悲鳴嶼の出身地のように「夜は鬼が入ってこないように対策する」事が当たり前になっているところでは鬼も活動しにくい。 このため鬼舞辻無惨は必然的に「鬼の存在が知られておらず、しかも殺人事件がすぐには露呈しないような人里離れた場所」に新しい鬼を配置することになる。 さらに「青い彼岸花」の捜索範囲を広げるというメリットもあるため、鬼舞辻無惨が「鬼の伝承のない辺鄙な場所の、人里離れた一軒家」を狙うのは自然なことと言える。 まぁどちらにせよ、現時点ではどの説も推測の域を出ないのだが。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼舞辻無惨は何故禰豆子だけ鬼にしたのか 鬼に変貌した直後は極度の飢餓状態になるので、食糧(人間)が必要となる。 よって、適当に1人だけ鬼にして、残りの家族を食糧用としてあえて鬼にしていないと考えられる。 他の鬼の回想から見ても、鬼にされた者は一番初めに家族を喰べている描写が多々ある。 実は鬼舞辻無惨が家族同士で食人させたいだけの悪趣味な遊びかもしれない。 //あるいは、日の呼吸の協力者だった竈門一族の最後の一人を鬼にすることで、一族を貶めて憂さを晴らしたという線もあり得る。 //↑無惨様は日の呼吸トラウマがあるので自ら足を運ばない気がします。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼舞辻無惨が浅草にいた理由 設定上、鬼舞辻無惨自ら鬼を造る必要があるので、 全国に鬼が存在するならば、鬼舞辻無惨は全国を行脚していると考えるのが妥当である。 よって、浅草に住んでいるのではなく、行脚中にたまたま浅草に寄った可能性が高い。 家族には商談と説明しているシーンがあるので、商談行脚に装っていると推測される。 追記:堕姫を配置した吉原にも程近いため、情報収集に適した場所でもある。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **浅草の鬼舞辻無惨と累回想の鬼舞辻無惨が別人に見える件について 浅草の鬼舞辻無惨と累回想の鬼舞辻無惨では明らかに髪質が違う為、別人のように見える。 よって、本物の「月彦(人間)」を殺害し、月彦の姿に擬態して成り代わっているのではないかと推察されている。 追記:第51話では女性の姿に擬態していたことから、月彦の姿も擬態していた可能性が濃厚となった。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼舞辻無惨の装いから見る鬼達の事情 鬼舞辻無惨は千年以上の永い時を生き、人間を装って生きている以上一定の周期で姿を変え、時代に即した服装をすることは当然だとおもわれる。 例えば彼が産まれた平安時代であれば和服の礼装、狛治を鬼に変えた江戸時代には着流し、作中の現代である大正時代には洋装をしている。(何故かほぼ全てペイズリー柄) つまりここから逆説的に、無惨の服装が近ければ時代も近いという仮説(妄想)を立ててみる。 例えば狛治と半天狗(生前)の前に現れた無惨の姿(着物、長襦袢、顔の造形、髪型)が一致する。 また、累と響凱の前に現れた無惨の服装は帽子とリボンタイが一致しており、寝間着、全裸・半裸、俊國に次ぐ貴重なペイズリーオフ。 つまり、響凱のリストラと累の鬼化が近い時期の可能性がある。 続いて沼鬼の回想シーンでは『頭に角がなく(人間時)』『忍者らしい服装』の彼が、『襟にペイズリー柄のジャケット』の無惨に口止めをされていた。その時の無惨の服装が浅草に潜む『月彦』と同じ。 つまり有能な血鬼術(分身・沼空間)を2つも備えた沼鬼だが、鬼になってまだ数年という可能性がある。 とはいえメタ的な視点で見るのであれば登場順としては 『沼鬼の回想』→『浅草の月彦』→『響凱の回想』→『累の回想』→『女装』となるため、 響凱と累の回想に登場した無惨の姿は、単に彼が自在に姿を変えることへの伏線として仕込まれただけなのかもしれない。 #region(作中登場した無惨様の服装など) 作中登場した無惨様の服装など(筆者確認の限り) |作中登場順|作中時系列(推測)|体型|内容|髪質| |鱗滝さんのイメージ|不明(作中現代?)|男性|白い帽子 ネクタイ白 黒シャツ 襟がペイズリー柄の黒いジャケット|パーマ| |沼鬼の回想|不明(作中現代?)|男性|白い帽子 ネクタイ白 黒シャツ 襟がペイズリー柄の黒いジャケット|パーマ| |浅草の月彦|作中現代1|男性|白い帽子 ネクタイ白 黒シャツ 襟がペイズリー柄の黒いジャケット|パーマ| |無惨の回想|戦国時代|男性?|ペイズリー柄の着物 白袴|パーマ?| |響凱の回想|不明|男性|白い帽子 リボンタイ黒 白シャツ 白ジャケット 黒チョッキ|パーマ| |累の回想(勧誘)|不明|男性|リボンタイ黒 白シャツ 白ジャケット グレーチョッキ 裁着袴黒|ストレート| |同(励まし)|上の直後|男性|リボンタイ黒 白シャツ 襟が黒い白ジャケット グレーチョッキ ズボン白|ストレート| |下弦解体時|作中現代2|女性|花模様の着物 ペイズリー柄の帯|パーマ| |俊國少年|作中現代3|少年|白シャツ 半ズボン黒|パーマ?| |堕姫訪問時|作中現代4|男性|白い帽子 ネクタイ白 黒シャツ 襟がペイズリー柄の黒いジャケット|パーマ| |上弦招集時|作中現代5|男性|ネクタイ黒 白シャツ ペイズリー柄のチョッキ ズボン黒|パーマ| |半天狗の走馬灯|江戸時代?|男性|ペイズリー柄の着流し 白い長襦袢 黒い帯 長髪|パーマ| |禰豆子太陽克服時|作中現代6|少年→男性|白シャツ→黒シャツ 半ズボン黒→ズボン白|パーマ?→パーマ| |無惨の過去(治療中)|平安時代1|男性|白い長襦袢(病人衣)?|パーマ| |同(治療後)|平安時代2|男性|ペイズリー柄の和装礼服 烏帽子|?| |産屋敷邸訪問|作中現代7|男性|ネクタイ黒 白シャツ ペイズリー柄のチョッキ 白ジャケット 黒コート(マント?) ズボン白|パーマ| |産屋敷邸自爆|作中現代8|男性|上裸 ズボン白|パーマ| |狛治との相対時|江戸時代?|男性|ペイズリー柄の着流し 白い長襦袢 黒い帯 長髪|パーマ| |厳勝の回想|戦国時代|男性|ペイズリー柄の着物 黒い長襦袢 黒袴|パーマ| |現在|作中現代9|男性|全裸 白い長髪|パーマ| なお、禰豆子太陽克服時に興奮して大人の姿になったときのベルトのバックルと、産屋敷邸が自爆した後のベルトのバックルは同じ形をしている。 一部の服は顔を変化させるように自らの体から生み出している可能性もある。 #endregion &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **冨岡義勇の「傷口に鬼の血を浴びたから鬼になった」発言 まるで「その辺の鬼の血を浴びたら鬼になってしまう」的な発言だが、 実際は鬼にできるのは「鬼舞辻無惨」の血液のみ。(一部例外有り) 一見、義勇さんの説明が間違っているような印象を受けるが、 鬼の存在を初めて知ったばかりの人間に 「傷口に"鬼舞辻無惨"の血を浴びたから鬼になった」と説明してもピンと来ないはず。 //さらに珠世様の研究によれば、鬼には鬼舞辻無惨の血液が量の大小を問わず必ず含まれているため、一般人が鬼から血液を浴びた際に、その血液中に運悪く鬼舞辻無惨の血液が含まれてた場合には鬼化してしまう可能性は十分にある。((実際に不死川玄弥はこの特性を利用して鬼化していると思われる)) //↑現時点では一般人が鬼から血液を浴びた際に鬼化する描写が出てないのでコメントアウトします このため鬼の関して無知な一般人にも解り易く説明するなら 作中通り「傷口に鬼の血を浴びたから鬼になった」が妥当ということですね。"わかるよ" &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **冨岡義勇は本当に遅刻キャラなのか 「あと半日早く来ていれば(略)」との描写がある為、一見任務に遅刻して無惨を獲り逃したように見える。 しかし、元々の目的地が竈門家もしくは鬼舞辻無惨を追っていたとは明言していない。 仮に目的が竈門家の警護だったと仮定すると、生き残りの炭治郎を保護するはずなので、おそらく違う。 また、鬼舞辻無惨を追っていたのなら、のんびり炭治郎が起きるのを待つのもおかしいので、これもおそらく違う。 よって、別の任務の帰り道だった、もしくは鱗滝さんに挨拶をしてきた帰り道等に「偶然」炭治郎と遭遇しただけの可能性がある。 つまり「あと半日早く来ていれば(略)」=「あと半日早く(ここを偶然通って)いれば(略)」なのかもしれない。 さらに言えば、本当に無惨を追っていたとしてもそもそも発見報告そのものが遅かった可能性もある。 結論として、&bold(){&color(blue){「義勇さんは遅刻してない!」}}←結局これが言いたかった為に理屈をこねたのです。"わかるよ" &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **冨岡義勇の手紙の違和感 鱗滝に宛てた手紙に''「鬼殺の剣士になりたいという少年をそちらに向かわせました」''の一文があるが、 1話時点では、 ①「鬼」なら禰豆子を元に戻す方法を知っているかもしれない。 ② 弱いままでは「鬼」から情報を得られない。 ③ 狭霧山の鱗滝左近次に会え。(会う理由は伝えず) 以上、3点しか炭治郎に伝えていません。 実際に「鬼」から情報を得る為には鬼よりも強くなる必要があるので「鬼殺の剣士」になるべきという論理は正しいが、 炭治郎は1話時点では「鬼殺の剣士以外だと鬼を殺せない」ことを知らないので、「鬼殺の剣士になりたい」とは義勇に一言も伝えていない。 この時点では義勇は炭治郎の心情を知り得ないはずので、この手紙の一文は齟齬をきたしている。 ※読者視点では炭治郎が「なんらかの方法で強くなる決意をした」描写はあるが、具体的に「鬼殺の剣士を目指す」ことを伝えた描写はない。 ※炭治郎視点では「鱗滝左近次という人物の正体は不明だが、とりあえず助言に従ってみる」形になる。 しかし、3話に登場した鱗滝さんの「鬼殺の剣士の適正を試す」発言に炭治郎が疑問を持たず従っている。 読者視点ではここで初めて炭治郎が1話最後の時点で「鬼殺の剣士」を目指す決意をしていたことを知ることになるので、 炭治郎が「鬼殺の剣士」を目指したい心情と義勇さんの「鬼殺の剣士」への推薦が偶然噛み合っただけ=結果オーライという現象になっている。 結果論では手紙の内容は正解だったが、義勇さんはどのようにして炭治郎の心情を知り得たのか。 この部分の展開のズレを整合させる為に考察するなら、 &bold(){&color(blue){説①:義勇さんが炭治郎や善逸のように心情が読める能力持ちで『炭治郎が鬼殺の剣士になりたい』感情を読み取った。(これなら一切問題無し)}} &bold(){&color(blue){説②:手紙は義勇さんの先走りだが、炭治郎の嗅覚で『鬼殺の剣士を勧める匂いがした!』(炭治郎の嗅覚パネェ論)}} &bold(){&color(blue){説③:手紙は義勇さんの先走りだが、炭治郎の希望と偶然合っていた。(運命論)}} &bold(){&color(blue){説④:義勇さんが「俺が全部ちゃんとするから(炭治郎)」=「何でもしますから」の意と判断した。(解釈違い論)}} &bold(){&color(blue){説⑤:義勇さんが「炭治郎に直接鬼殺の剣士を勧める話をした」と思い込んでいた。(うっかりです、てへ論)}} &bold(){&color(blue){説⑥:吾峠先生は天然だから。(ド本命)}} 以上のどれかの説で解決。 え?フォローが苦しい?"わかるよ" 余談:単行本5~6巻あたりの描写では義勇さんがかなり天然っぽいので、説⑤が本命の可能性が濃厚に?"わかるよ" &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **『錆兎を斬ったと思ったら岩が斬れていた』描写のモデル 奈良県天石立神社:&bold(){&color(blue){『一刀石』の伝説}}がモデルになっていると思われる。 #blockquote(){&bold(){柳生新陰流の始祖・石舟斎(柳生宗厳)が戸岩谷(といわだに)の山で三年間、天狗を相手に剣術修行を重ねる。&br()最後に天狗と試合をし、一刀のもとに斬り捨てたと思いきや、天狗の姿が消えて2つに割れた巨石が残ったという逸話。}} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **『厄除の面』は『厄寄せ』の面だったのか 皮肉にも『厄除の面』が手鬼のターゲット目印となっていたので、逆に厄を呼び寄せているように見える。 しかし、炭治郎も手鬼に狙われたが、初撃を受けた際に『厄除の面』が割れていることから、 本来なら即死のところを『厄除の面』が身代わりになってくれたのかもしれない。 ※初撃で&bold(){&color(red){「顔面を抉る攻撃」と「ボディーブロー」の二点同時攻撃}}を喰らっており、   『厄除の面』と同箇所に痕が残る程の深い傷を負っているので&bold(){&color(red){『厄除の面』がなければ即死していた可能性が高い。}} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **第6話最終選別開始時のクール系強キャラに見える善逸 開始前から顔を怪我しており、一見歴戦の猛者に見える。 しかし、善逸の性格が判明した現在では どう考えても最終選別の参加を渋って育手のじいちゃんに顔をゴチンゴチンされたとしか思えない。 追記:アニメの大正コソコソ噂話でこの説が事実と確定した。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **第9話にて禰豆子が鱗滝さんの玄関戸を蹴り飛ばした理由 鬼になってから頭の働きが鈍っているとはいえ、他にも原因があるのかもしれない。 説①:炭治郎が帰ってきた気配を感じてテンションが上がった。 説②:建付けが悪くて中々開かなかったのでイラッとして蹴り飛ばした。 説③:人間だった頃も意外と足癖が悪くて障子とか足で開けていた。   (よく六太をおんぶして両手が塞がっていたので) &bold(){&color(blue){結論、扉を蹴り飛ばす禰豆子がお転婆可愛いからどうでも良い。}} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **何故鎹鴉は人語を話すのか 一切謎。品種改良した鴉とか?鬼殺隊当主:産屋敷耀哉の術とか? 実際に人語を話す鴉は存在するが、このような鴉の共通点は人に保護されていることである。 これは人の環境に適応するためと考えられており、この条件を満たすような鴉を話せるように 教育することは可能である。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **何故善逸の鎹鴉のみ雀なのか 一切謎。まあ善逸だしね… 追記:あえて「善逸に鎹雀が割り当てられた理由」を推測してみると…… 「聴力に優れており、音によって感情を推察することが可能な善逸ならば、チュン太郎の言葉を理解できるはず」という期待の元、チュン太郎が割り当てられたのかもしれない。 あるいは歴代の雷柱、鳴柱、音柱にそれができた実績があったのかもしれない。 しかし本編の描写を見る限り、善逸は音によって相手の強さや状態を測る事は得意であるものの、感情の読み取りはあまり得意ではない描写がある(しのぶさんの音を「規則性がなくてちょっとこわい」と表現しており、しのぶさんの内に秘めた怒りを見いだせなかった)。 むしろ嗅覚に秀でた炭治郎のほうが動物との意思疎通に長けている描写がある。 結果論だが、鎹雀はむしろ炭治郎に割り当てられるべきであった。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **何故チュン太郎の鳥語が炭治郎のみ理解できるのか 聴覚特化なのに善逸が鳥語を理解できず、嗅覚特化の炭治郎が鳥語を理解できる理由は一切謎。 5巻オマケページでは、柱であるしのぶさんにすら鳥語が通じてない為、炭治郎だけが特別に鳥語を理解出来る模様。 長男すごい。 追記:前述の通り、善逸は他者の感情を音で読み取れるが炭治郎と比較して一歩劣る可能性があり、むしろ炭治郎のほうが的確に感情を読み取ることが出来ることから、炭治郎が鳥語を理解するのは当然と言えるかもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **珠世様の年齢について 鬼化の研究に200年以上掛かったとの発言から、 少なくとも&bold(){&color(red){《この先の文章は浅草のYさんによって目隠しされました》}} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **珠世様と鬼舞辻無惨の関係について 珠世様は鬼舞辻無惨の呪いを解除に成功する程に「鬼舞辻無惨に対しての理解」が深い。 また、鬼舞辻無惨の性格を熟知している発言、鬼舞辻陣営からは「逃れ者」と呼ばれていることから、 元々は鬼舞辻無惨に近しい関係だった可能性がある。 具体的に言えば元十二鬼月とか鬼舞辻無惨の血縁者とか元妻とか元恋&bold(){&color(red){《この先の文章は浅草のYさんによってズンッされました》}} また、メタ的な考察として2巻表紙と表紙カバー下の同ポーズの対比が挙げられる。 2巻表紙の炭治郎は表紙カバー下では禰豆子に、 表紙の鬼舞辻無惨は表紙カバー下では珠世様にそれぞれ差し替わっている。 この部分が作者の隠しメッセージだと仮定すると、 &bold(){表紙:炭治郎&bold(){&color(blue){(兄)}}→表紙カバー下:禰豆子&bold(){&color(red){(妹)}}なので、} &bold(){同様に表紙:鬼舞辻無惨=&bold(){&color(blue){(兄)}}→表紙カバー下:珠世様=&bold(){&color(red){(妹)}}で&bold(){&color(red){兄妹}}の可能性があるという説。} まあ、ただ単に表紙が男同士だったから表紙カバー下を女同士にしただけで深い意図はないかもしれないけれども。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **しのぶさんの持つ鬼殺しの毒について しのぶさんの持つ鬼殺しの毒は、本来なら「日輪刀で頸を斬らない限り絶対に死なない鬼」を、頸を斬る力のない人間でも殺せるようになるという代物。これが本当ならば、この毒を鬼殺隊の全隊員に配布すれば、鬼の頸を斬るだけの力はなくとも俊敏で体術に長けたものでも即戦力になるはずである。%%しかし、現段階でこの毒を使っているのはしのぶさんただ一人である。%% 説①:「蟲の呼吸」を使えなければ扱えない毒であり、「蟲の呼吸」を習得していなければ使用者に副作用が起こる。 説②:非常に希少、または作るのに手間がかかるため柱であるしのぶさんの使用分ほどしか確保できない。 説③:思惑があってしのぶさんが製造方法を秘密にしている。 追記: 宇髄天元の嫁のひとりである雛鶴さんが、藤の花から抽出された毒をクナイに塗って射出武器として運用している。 明言こそされていないものの、鬼殺の剣士以外の非戦闘員用武器として、しのぶさんの鬼殺しの毒が実用化されている可能性がある。 また緊急出動が当たり前である鬼殺の剣士は、頻繁な補給を見込めないため、消耗品に頼る事は好ましくないのかもしれない。 さらに藤の花にはマメ科特有の毒性物質であるレクチンなどの有毒成分が含まれており、非加熱で高濃度に抽出した場合、人体に悪影響を及ぼす可能性がある。 このため、元忍や野生児のように対毒耐性の高い隊士以外は使用しないほうが安全である。 ※補足:鬼が嫌うものといえば一般的には『魔滅(まめ)』の言葉に掛けた大豆である。マメ科植物特有のレクチンが鬼の弱点である可能性がある。 再追記: 上弦の弐、童麿は那田蜘蛛山でしのぶさんが使った毒の情報を収集済みであり、その毒効も把握していていた。(彼女の毒で倒された鬼は肉体が崩壊しないため、情報収集が可能だった) しのぶさんはその状況を「やはり」と評し、しかも「毒は諸刃の剣」とまで言っていることから、毒の対策がなされてしまう事を案じていたと思われる。 鬼殺隊が毒の優位性を保ち、さらに標的の童麿を倒すための作戦を実行するためには、他の隊士にとって非情ながらもこの状況は已む無しだったと思われる。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **カナヲが毒使いではない件について カナヲはしのぶの継子だが禰豆子を倒そうとした際に普通の日輪刀で頸を斬ろうとした。理由として、以下 説①:カナヲの場合、頸を斬れるだけの力があったため。(しのぶは呼吸を教えるだけ?) 説②:毒を扱うのはしのぶの実験的なものである。 説③:わざとしのぶが呼吸法しか教えていない(剣術はあった、実戦での調達の考慮等) 追記: カナヲは蟲の呼吸ではなく、花の呼吸の使い手であることが判明した。蟲の呼吸が花の呼吸の派生であり、しのぶさんが修行中に呼吸を派生させたのであれば、カナヲが花の呼吸の修行をしていたのも不自然ではない。 また自然界において毒は蟲の専売特許というわけではなく、たとえば蛇の呼吸の使い手が毒を扱う可能性もある。 再追記: しのぶさんが毒を使うようになったのは、姉の仇「童麿(上弦の弐)」を倒す事を目的としていたことが判明した。 敵討ちに際しては「自らの犠牲を顧みず、藤の毒に侵された状態で仇に喰われる」事を前提としていたため、未来あるカナヲを毒使いにするのは躊躇われたのかもしれない。 また、しのぶさんは非力を補うために毒使いになったという経緯があり、身体能力に長けているカナヲには少々ミスマッチな呼吸である。 むしろカナエ姉さんの呼吸法である花の呼吸を修めさせることにより、後を継いでほしかったのかもしれない。 調合作業は蝶屋敷のアオイ達に任せてもよい作業であるにも関わらず、そういった描写が無いことから、調合作業には藤の花の毒に侵される健康リスクがある可能性がある。 また、自身の体を藤の花の毒で満たす事を目的とする彼女にとって都合がよかったのかもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **カナヲの名前の由来について 引き取り人の「胡蝶カナエ」から名前の一部を貰っていると推察されるが、何故&bold(){&color(blue){「ヲ」}}の文字を選択したのか? 一部のファンの間ではこのように推察されている。 &bold(){&color(blue){【カナエ→カナヲ】⇒【「エがヲ」になる】⇒【「笑顔」になる】}}から。 流石にこじつけが過ぎるって?カナヲは可愛いから大丈夫!(正義!!) &del(){ワニ先生「あ、確かに」} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼殺隊の隊服は雑魚鬼の牙と爪では傷が付かない設定なのに列車運転手の千枚通しが刺さったのは何故? 一見矛盾しているように見えますが、実は全く矛盾していません。 現実で実際に販売されている薄型の防刃服も引っ掻きには強いですが、繊維の隙間を通る&bold(){&color(blue){針状の刺突には耐性が無いのが普通}}です。 &bold(){&color(blue){そもそも布に針と糸が通らなければ服として加工出来ませんので、針状のものは貫通するのは当然です。}} 隊服に厚みがないので、厚みのある防刃ベストのように繊維の内側に金属板などを埋めていないと推察されます。 さらに単行本7巻のオマケページにて、魘夢が人間に持たせた千枚通し(錐)は特別製で、持ち手は魘夢の骨、切っ先は魘夢の牙で出来ている&十二鬼月クラスの牙は隊服では防げないと補足説明有り。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **第85話で炭治郎と過去の葵枝が歌っていた『子守唄』について 実在する佐賀の子守唄&bold(){&color(blue){『小山の子うさぎ』}}が元ネタ。 https://www.youtube.com/watch?v=1E8JKf_AXeU #blockquote(){&bold(){こんこん小山の子うさぎは&br()なぁぜにお耳が長うござる&br()小さい時に母様(かあさま)が&br()長い木の葉を食べたゆえ&br()そーれでお耳が長うござる&br()&br()こんこん小山の子うさぎは&br()なぁぜにお目目が赤うござる&br()小さい時に母様が&br()赤い木の実を食べたゆえ&br()そーれでお目目が赤うござる}} &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **煉獄父が自分の才能に絶望した理由 本編では煉獄父は長男の杏寿郎と自らを「大して才能がない」と断言しているが、その根拠には特に触れていない。 しかし日の呼吸の使い手および痣についての説明がなされた今、「自らにも杏寿郎にも痣が現れなかったことに絶望した」と推測することが可能である。 実際に産屋敷あまねが「痣が発言しない為、思いつめてしまう方が随分いらっしゃいました」と発言していることから、煉獄父はこれに絶望した可能性が高い。 杏寿郎およびその後継にそういった絶望を与えないために、代々伝わる歴史書を破損させたと思われる。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **十二鬼月が組織された時期について -猗窩座 猗窩座 (あかざ)が鬼にされた際に、無惨様が「強い鬼を十二体ほど造ろうと思う」と発言していることから、猗窩座は十二鬼月の初期メンバーと思われる。 江戸を追放された先で花火が毎年行われていることから、猗窩座がスカウトされたのは17世紀後半以降(=1648年)の地方都市と思われる。 補足:1648年花火禁止令について 江戸において花火はかなり初期から行われている。しかし17世紀後半には江戸においては花火禁止令が出され、花火は地方都市に移っていった。 -童磨 猗窩座より後に鬼になった童磨については、新興宗教の教祖(一族)という描写から、黒住教、金光教、天理教あたりがモデルの可能性が高い。 これらも江戸時代後期(=1814年に黒住教は成立)にルーツを持つことから、19世紀初頭ごろの地方都市と思われる。(1916~1917年から数えて113年前、すなわち1803~1804年ごろに上弦の鬼の集合がかけられていることから、その頃には鬼であったと思われる。これは自身の回想の「100年以上生きた」という発言とも一致する) -堕姫・妓夫太郎 堕姫および妓夫太郎については、羅生門河岸(羅生門河岸は、いわゆる新吉原移転(1656年)後)出身であり、また童磨によって鬼にされていることから、やはり19世紀初頭後に鬼になったと思われる。 -半天狗 当道座に属していたと思われる半天狗は、時代の断定が難しい。 奉行の髷の形が時代劇でお馴染みの大銀杏であることから、江戸時代後期と思われるが、時代を断定する根拠に乏しいからである。 補足:当道座について 世界に類を見ない盲人の互助組織である当道座は、江戸時代以前から存在する。なお江戸時代以降は当道座の官位は金で買えるようになったため、江戸時代は金に汚い盲人が増えた時期とも言える。当道座には自治権があったものの、殺人等の重罪については幕府側に裁断権があったため、半天狗の裁判描写は史実どおりのリアルである。殺された盲人が「奉行所に行く」と言っていたのはおかしいが、それほど教養高かったわけではない盲人が当道座の司法権に無知であることは不思議なことではない。 -玉壷 玉壷が固執する壷は、陶器ではなく磁器のように見える。日本において磁器が伝来したのは1610年代とされている。 -黒死牟 黒死牟については、戦国時代の鬼殺の剣士が鬼に堕ちた可能性が高い。他の上弦は少なくとも江戸時代以降に鬼になっていることから、十二鬼月の結成以前から鬼であった唯一のメンバーである。 追記: 彼の人間時代の本名は「継国厳勝(つぎくにみちかつ)」であり、月の呼吸の使い手であることが判明した。さらに最低でも300年以上生きていることが判明した。 安土桃山時代(織豊政権)に生まれ、鬼狩りをしていたのではないかと推測できる。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **お館様の病状と柱が入隊した順番 お館様の病状の変化は、柱が入隊した時の回想および本編中の描写によってある程度分かる。 -悲鳴嶼:顔はキレイなまま -宇髄:左目周辺のみに病巣あり -不死川:額全体に病巣あるも右目に到達していない(目は左目のみ白濁) -甘露寺:額全体に病巣あるも左目に到達していない(目は両方とも白濁)&br()※この時期に限り、左目に病巣がない。時期によって病巣が移動しているように見える。あるいはただの作画ミスか -時透:病巣が完全に両目を覆い、右目下の病巣は頬に到達 -累撃破時:病巣が完全に両目を覆い、目は白濁し失明 -魘夢撃破時:病巣が左頬および首の左側に到達 -堕姫撃破時:病巣が頬を覆い、吐血 -柱稽古時:病巣が首に到達し、寝たきり 時透は11歳で刀を握り、そのまま2か月で柱になったことと、さらに炭治郎よりも年下であることから、現在11~14歳と思われる。 甘露寺の入隊が「2年前」と明示されており、病巣が時透の時よりも小さい事を考慮すると、13歳未満とするのが妥当か。 時透家の悲劇および甘露寺の入隊は炭治郎が鱗滝の元で修行していた時期という事がわかる。 追記:ファンブックおよび黒死牟の発言により、時透の年齢は14歳で確定。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **大正時代の科学技術知識 本作には時代に合わせた科学技術および知識が登場する。 -蒸気機関車→明治初期に品川横浜間で開業。 -遺伝→メンデルの遺伝の法則は1865年に発見、「遺伝子」の概念は1909年に発見される。 -養蜂→明治末にセイヨウミツバチによる養蜂は本格化し、大正時代には全国に普及済み。 -点滴→点滴の歴史は古く、17世紀には行われていた資料がある。しかし感染症等のリスクが高く、パスツールによる細菌学が確立するまでは普及していなかった。日本には明治初期に伝来した。 -輸血→珠代様が募っているのは「輸血」ではなく「献血」であり、さらに言えば「売血」である。日本で輸血が始まったのは1919年であり、珠代様の医学知識は当時の日本人の科学水準を超えていることになる --補足:但し、提供者の血液型を調べる必要がなく、輸血行為そのものも行わないため、それほど高度な医療技術と言うわけでもない。 -稀血→RHマイナス型などの珍しい血液型を差す医療用語。発生確率1%未満の血液型を差す言葉であり、多くの場合、遺伝とは関係なく発生する。この中でもさらに珍しい血液型も存在し、例えばボンベイ型の場合の発生確率は1/1,000,000 であるという。 -体温計→明治時代に医療施設に普及した。 --補足:当時の日本は体温計の輸入をドイツに頼っていた。しかし第一次世界大戦が起こったことで供給が長く途絶えたため、この時期の体温計は貴重品であった。 -カステラ→大正時代の高級スイーツであり、見舞いの品には十分である --補足1:卵と砂糖がふんだんに使われているため原価も高く、生菓子であるため消費期限が10日程度であるため庶民が気軽に食べられるものではない --補足2:結核などの消耗性疾患に対する一種の栄養剤という側面があった -電球→不死川兄弟の回想で、不死川母が天井の電球を破壊するシーンあり。明治末期から大正にかけては電球の普及期であり、都市では電気化が進められていた。(アニメでは街に電線が普及している描写あり) -栄養→古来からその概念そのものはあったものの、用語が統一されておらず、当時は東洋医学用語の「滋養」の方がよく使われた。また「営養」の文字も同じくよく使われた。これが「栄養」に統一されるのは大正後期から戦後にかけてである。また「栄養価」の概念はビタミンBの発見後となるため、この時点では使われていない可能性が高い。 -心臓マッサージ→村田が炭治郎に対して行った心臓マッサージ(心肺蘇生法)が、本格的に普及したのは第二次世界大戦後であるものの、19世紀中盤にクロロホルム麻酔時の心肺停止時に行われた記録も残っている。心臓機能が停止した際の手法としては感覚的に分かり易いため、村田が本能的に心臓マッサージを試みたのは医療史とはそれほど矛盾しない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **青い彼岸花の正体についての考察 名前のみで実在すら確定していない「青い彼岸花」であるが、「彼岸花」自体は本編中に3度、登場している。 ・第39話「走馬灯の中」の回で炭治郎の走馬灯 ・第146話「誇り」の回で善逸の三途の河原でのじいちゃんとの会話 ・第163話「心あふれる」の回でしのぶさんとカナエ姉さんを迎えに来た両親の足元 いずれも色が明示されていないのだが、炭治郎の回想以外は普通の赤い彼岸花として描写されている。(掲載回はジャンプ電子版に限りカラー版。但し着色作業は外注しているので、その信ぴょう性は怪しい) この描写から、青い彼岸花は実在の世界ではなく、死の淵に立たされた人間が見る精神世界にのみ存在する可能性がある。 なお、アニメ第1期の1クール目のEDでは赤い彼岸花が序盤に登場する。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼滅の刃におけるオマージュ考察一覧 作者が影響をうけた作品は”「ジョジョの奇妙な冒険」「NARUTO」「BLEACH」を筆頭に多数”と作品紹介ページ等で作者コメントしている。 ここではそれに加えて、関係のありそうな多作品を羅列する。 ※あくまで既視感があるものをやや強引に列挙しているだけなので厳密には作者のオマージュ認定ではない。 -鬼と呼吸法→もちろんジョジョの吸血鬼と波紋 -柱→主人公の所属する組織の精鋭の原型は聖闘士星矢の黄金聖闘士やブリーチの護廷十三隊 --補足:「特に護廷十三隊の話題が打ち合わせ中によく出て来ていた」と高野編集証言有り -十二鬼月→Hunter×Hunterの幻影旅団やブリーチの十刃など、敵組織の幹部は様々な作品で描かれる。 -十二鬼月の目に通番→Hunter×Hunterの幻影旅団は体に蜘蛛の刺青があり、そこには通番が振られている。 -柱の腕相撲ランキング→Hunter×Hunterの幻影旅団も同様に腕相撲のランキングがあった。 -隊士選別最終試験→ナルトの中忍試験やHunter×Hunterにおけるハンター試験 -色変わりの刀→ブリーチの斬魄刀(持ち手の個性によって刀の形状や特性が変わる)とHunter×Hunterの水見式(コップを水を入れて葉っぱを浮かべて念(発)を使うと、属性に合わせた変化が発生する)。NARUTOのチャクラ紙(チャクラを流し込むと属性により変化が現れる) -呼吸による属性→陰陽五行説と相性が良いため、東洋風ファンタジーでは定番であったが、ナルト等でも使われる -異形の肉親を人間に戻す旅→鋼の錬金術師(主人公のエドは、鎧だけの体になってしまった弟アルを人間に戻す目的で旅をしている) -キメツ学園→進撃の巨人の「進撃のスクールカースト」(進撃の巨人の巻末オマケ漫画。オマケ漫画という点でも設定が酷似している) -サイコロステーキ先輩→映画バイオハザードのレーザートラップ -爆血刀→るろうに剣心の無限刀 --補足:志々雄が持つこの刀は伊之助と同じく意図的に刀を刃こぼれさせており、火産霊神(カグヅチ)という技名は、鬼滅の刃のタイトル案の一つでもある。大型甲鉄艦の艦名が「煉獄」なのも関係あるかもしれない。 -玄弥の鬼喰い→テラフォーマーズで同じく消化力に長けたジョセフ。 -甘露寺の刀→るろうに剣心の「薄刃乃太刀」か、ベルセルクの「ウルミン」 -甘露寺の制服の着こなし方→ブリーチの松本乱菊か(和風ファンタジー日本刀持ちの巨乳女性はおっぱいを強調するのはある意味読者サービス的お約束といえる) -甘露寺の捌倍娘設定→アクマゲームと嘘喰いと喧嘩稼業にてミオスタチン関連筋肉肥大(筋肉成長抑制ホルモンの異常により、筋肉が高密度で発達する病気)は取り上げられている(フィクションでは常人と変わらない体格に高密度な筋肉と描かれることが多いが、現実では「筋肉が制限なく付く」という病気であり、甘露寺と同じように大量のカロリー摂取を必要とする) -柱稽古編における「人の背丈程もある岩を一町(約109メートル)先まで押す」修行→亀仙流修行における最終課題。 -狛冶の素手による人体破壊→シグルイにおいて、虎眼流の使い手は素手による人体破壊を頻繁に行い、また大量惨殺も珍しくない。 -不死川実弥は胸元を大きく開けるスケベ→ゴールデンカムイの谷垣。(不死川と同様に胸元を大きく開いており、作中ではスケベマタギと呼ばれている) -お館様は死んだ隊士の名前をすべて覚えている→ガンダムWのトレーズ・クリシュナーダの「聞きたいかね? 昨日までの時点では、99,822人だ」 -痣が発現した剣士は25歳で死ぬ→進撃の巨人(巨人の能力を受け継いだ者はその時点から13年後に死ぬ)やHunter×Hunterのクラピカ(寿命を削って能力を使う)が近いが、残りの寿命ではなく絶対的な享年で寿命が決まる設定なので前提が違う。 -悲鳴嶋は盲目を反響定位(エコーロケーション。動物が自分が発した音が何かにぶつかって返ってきたもの(反響)位置関係を知る能力)で補っている→ゴールデンカムイの都丹庵士 -伊之助の関節外しによる狭所通過→ジョジョ二部柱の男・サンタナおよびゴールデンカムイの白石 -肺を凍らせる血鬼術→ジョジョ一部においてディオ・ブランドーが披露している。 -指を眉間に刺して脳をグリグリ→ジョジョ三部におけるDioの「最高にハイってやつだ!」 -伊之助の伸・うねり裂き→関節外しによるリーチ延長はジョジョ一部(ジョナサンによるズームパンチ)を始め、数多くの作品で見られる。(ただしカナヲが驚いていた通り、現実には関節外しは我慢できないレベルの痛みが伴う) 上記は近年の少年漫画では王道展開・オマージュと呼べるものであり、作品を貶める理由にはならない事を念のため。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **しのぶさんの毒の致死量について しのぶさんの毒は、あの刀で「せいぜい50ミリ」の毒を打ち込むことが可能であり、「37キロは鬼の致死量のおよそ70倍」であることが判明している。※単行本第19巻では700倍に修正 しのぶさんの体重は37キログラムなので、70分の1(=0.52キログラム=520グラム)という数値が鬼の致死量と見積もっていたことになる。 しかし上記の場合、しのぶさんの体重はほぼ100パーセント藤の花で構成されることになってしまう。 生体が藤の花だけで構成されるというのは現実的ではない。 まず問題なのは、「50ミリ」が「50ミリグラム」と「50ミリリットル」のどちらを示しているのかという点である。 水(液体)の場合、1ml=1g=1000mgなので、50ミリリットルは50グラム(=50000ミリグラム(おおよそ小さめの鶏卵程度))を差す単位である。 50ミリリットルはしのぶさんの刀で打ち込む液体の総量としては難しそうな量であるが、複数の切り付けで到達しそうな量であるため、これはそれほどおかしな量ではない。(那田蜘蛛山の姉鬼に対しては4~5回ほど切りつけている) もしこの50ミリリットルが一般的な鬼の致死量であるとするならば、しのぶさんの見立てでは、童魔の致死量は3.5キログラムになる。これは刀で打ち込むのは厳しい量である。 次に、50ミリ=50ミリグラム説を検証する。 この50ミリグラムを致死量と捉えた場合、50ミリグラムという数値はまぁまぁ優秀な数値であると言える。(青酸カリの致死量は経口摂取ではあるが、成人男性で150~300ミリグラム) この場合、しのぶさんの刀で打ち込む液体は、ほんの僅かで足りる。しのぶさんの刀のように毒を打ち込むのに特化した特殊な形状ではないクナイランチャーですら上弦の鬼の自由を奪うほどの毒性を持つ事を考えれば、こちらの方が有力か。 この場合、しのぶさんの体には3500ミリグラム(50ミリグラムの70倍)の毒が蓄積されていたことになる。 人間の体重に占める血液の割合は1/13であるため、しのぶさんの血液量は2.8kgである。(そして人体における出血許容量は1/3程度なので、彼女の出血致死量はおおよそ0.9kgとなる。) 毒がすべて血液にのみ蓄積されていたとすると、彼女の血液中における毒濃度は12.5mg/dLほどになる。 血中異物の濃度という点で考えた場合、痛風の尿酸値が参考になる。常人の血中尿酸値濃度は男女ともにこの値が3.0~7.0mg/dLまでが基準値内である。8.0mgを超えると痛風のリスクが高まるとされている。 常人の血液中の藤の毒は0mg/dLであることを考えると、この数値は「高濃度の藤の花の毒が回っている状態」というのに十分である。 また、37キロというのは毒物を蓄積させることが可能な水分量の数値である可能性もある。仮にそれが全体重の7割程度(人間の水分量は成人でだいたい60~65%。成長期では70%。成人前の彼女の水分量は7割程度と仮定)程度だとすれば、彼女の元の体重は52.8キロと、非常に現実味のある数値となる。 カ ナ ヲ 追記: 本誌「37キロは鬼の致死量のおよそ70倍」→単行本第19巻にて「37キロは鬼の致死量のおよそ700倍」に修正されている。 よって、鬼の致死量は実際は1/10となる為、上記考察はほぼ意味がなくなりました。(ワニ先生のうっかりが悪い) &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **大正乙女の体格について:しのぶ編 しのぶさんの体重は37キログラムと判明したが、これは現代基準では明らかに軽く、彼女の豊満な胸部と相まって、詐称疑惑が出ている。 ただし彼女は1年以上にわたって藤の花の毒((藤の花は天ぷら等で食用されることも多いが、レクチン等の毒性があり、多量に摂取すると吐き気、嘔吐、眩暈、下痢、胃痛などを起こす。これが長期間続けば食欲どころではない))を摂取し続けており、毒の副作用によって体重が激減した可能性もある。 ここで日本人の平均身長と平均体重についての資料を。 https://honkawa2.sakura.ne.jp/2182a.html これによると、明治末期から大正前半までの日本人女性の平均身長は145~150センチほどであり、平均体重は45~50キログラムほどである。 人間の体格は遺伝によって決まるが、すべてが遺伝によって決定するわけではなく、特に幼少期の栄養状態が大きく作用する。 //特に本作のヒロインたちの幼少期は日露戦争((当時の日本としては莫大な費用を投じた戦争である。内外あわせて18億円にもおよぶ公債を発行したため、国内の経済は破綻寸前にまで陥った。この状況が改善するのは第一次世界大戦の特需であり、まさに鬼滅の刃の本編中のことである。なお、この莫大な借金は昭和末期になってようやく払い終えた))前後の時期にあたるため、栄養状態も良くなかったであろう。((もちろん甘露寺家のように裕福であればその限りではない)) //↑作中に描写がない部分は史実に即していない可能性があります。(パラレル大正ロマン作品) しのぶさんの身長は本編中で明示されていないものの、姉や妹に比べて小柄であるという描写がなされている。 なお、人買いよりも明らかに頭一つ分以上は身長が低かった。(この時は成長期前だった可能性もある。) また煉獄や冨岡に比べて頭一つ半程度小さく、成長期が来ていないと思われる時透と同程度の身長であったことから、彼女は当時の日本人女性の平均身長を大きく下回ると思われる。 彼女の身長が145センチに届かないのだとすれば、体重37キロは妥当な数値といえる。 ちなみに現代日本女性の平均体重が37キロ周辺となるのは11歳ごろであり、彼女たちの平均身長は145センチほどである。 参考: https://graphic-data.com/page/sport/001.html 追記: 公式ファンブックにて彼女の公式身長は151センチと確定した。 BMIは低体重基準の18を大幅に下回る16.23である。 %%しのぶ「いや、別に実戦は腕力じゃないですから。ねぇ?」%% %%伊黒「そうだその通り。技とは腕力ではない」%% &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **大正乙女の体格について:みつり編 常人の8倍の筋肉量((常識の範疇において、密度=質量÷体積となる。体積が常人と変わらないのであれば、密度が高い=質量が多い、ということになるため、ここでは筋肉量が8倍になると想定した。万が一公式ファンブック通り彼女の質量が常人並である場合、彼女の筋肉量は2.5kg程度となってしまう。これでは乳児並となってしまうため、考慮から外した))を持つ甘露寺蜜璃の筋肉量と体重がどれぐらいなのかを考察してみる。まず資料の提示。 https://smartlog.jp/151071 まず前提として、成人女性の平均筋肉量を17kgとし、見た目通りであれば本来の彼女の筋肉量はこの程度であると仮定する。 この場合、彼女の筋肉量は136kgになる。 これに骨や内臓等が30kgほど追加されると、彼女の体重は166kgになる。 これは2018年の大相撲幕内力士の平均体重とほぼ同等である。 https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/12/27/kiji/20181227s00005000004000c.html また、フィクションで好まれる「ミオスタチン関連筋肥大症」であるが、現実には「体に脂肪がつかず、すべて筋肉になってしまう病気」と言い換えてもよい。 このため持久力に乏しく、また筋肉の成長のために多大なカロリーを摂取し続ける必要がある。 追記: 公式ファンブックにて彼女の公式身長は167cmセンチ・56キログラムと確定した。BMIは標準体重内の20.08。 ※捌倍娘設定だが流石に体重設定はフィクションにした模様。 %%伊黒「甘露寺(の体重)に触れるな塵ども」%% &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **柱の身長ランキング 柱合会議では、しのぶさんは煉獄・冨岡よりも頭一つ半ほど小さく、時透と同じぐらいの大きさに描かれており、甘露寺はその中間ぐらいである。 本作は頭身のデフォルメがキツイ時があり、複数人が一緒のコマで描かれる場合を除いて身長の描写は信用できない。特に蝶屋敷の復帰訓練では、しのぶさんは善逸や伊之助とほぼ同じ目線であった時もある。 しのぶ≦時透<甘露寺<冨岡≦煉獄<宇髄<悲鳴嶼 不死川はこの並びにいなかったため不明だが、跪いた際の頭の高さから、煉獄や冨岡と同じぐらいの並びにありそうである。 伊黒もこの並びにおらず、また柱稽古でも身長を確認できる描写がないため不明であるが、このランキングは作中の腕相撲ランキングと一致しており、これに照らし合わせれば、伊黒の身長はしのぶさんと時透の間ぐらいとなる。 追記: 公式ファンブックにて隊士の身長・体重が確定。 大正時代前半の平均身長は、男子162センチ・女子151センチである。まだ背が伸びる余地のある同期組ですら全員が成人平均身長に達している。 作中で小柄とされたしのぶさんですら平均身長に達している。 特に柱に至っては、当時としては相当なフィジカルエリートである。 |竈門炭治郎|165センチ|61キロ| |竈門禰豆子|153センチ|45キロ| |我妻善逸|164.5センチ|58キロ| |嘴平伊之助|164センチ|63キロ| |不死川玄弥|180センチ|76キロ| |栗花落カナヲ|156センチ|46キロ| |冨岡義勇|176センチ|69キロ| |煉獄杏寿郎|177センチ|72キロ| |宇髄天元|198センチ|95キロ| |時透無一郎|160センチ|56キロ| |胡蝶しのぶ|151センチ|37キロ| |甘露寺蜜璃|167センチ|56キロ| |伊黒小芭内|162センチ|53キロ| |不死川実弥|179センチ|75キロ| |悲鳴嶼行冥|220センチ|130キロ| %%伊黒「俺は信じない」%% &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **大正時代の正しい単位呼称 作中では、炭治郎が憎珀天から距離を取るために「66尺」という単位を使っているが、これは少々おかしい。 尺貫法では距離を表す場合、6尺は1間に繰り上がるため、11間と呼ぶのが正しい。(もっと言えば、メートル法ではちょうど20メートルであるためキリがよい) あるいは長さ(ここでは木の竜の長さを示すのも間違いではないため、どちらでも正解である)を表す場合は10尺で1丈に繰り上がる。この場合は6丈6尺、あるいは6丈半強、とでも呼ぶのが正しい とはいえ、生家が農家でも大工でもない炭治郎が、尺貫法の単位を知らなくても不自然ではないし、回避するために精密な距離計測が必要であった可能性もある。 また高さを表す場合に限り、尺のまま使われることもあるため、大きく間違っているわけではない。(「アルプス一万尺」や「身長六尺」などは好例) なお、悲鳴嶋の柱稽古では大岩を1町動かす訓練があったが、これはおよそ110メートルほどである。山の中で動かすには木々が邪魔になる距離である。 続いてしのぶさんが自分の体重をキログラムでカナヲに伝えていたが、これはおそらく蝶屋敷外の一般人には通じないだろう。 日本においてメートル・グラム法が一般化するのは戦後の事であり、それまではやはり尺貫法が使われた。 重さとしての「貫」は3.75キログラムを示す単位であるため、彼女の体重は10貫弱という事になる。当時の体重計は尺貫法で記載されているため、おそらくは貫表示の体重計で図った結果なのだろう。(当時の農家では米の重さをはかるために重量計は非常に重要) ただししのぶさんは医学および薬学に精通しており、医学においては早い段階でメートル・グラム法が一般化していたため、蝶屋敷に常駐しているカナヲへの説明にはこれでよかったものと思われる。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **しのぶさんは本当に姉エミュをしているのか? 「姉エミュ(エミュレート。emulate。すなわち本物を真似てその動作をトレースし、真似ること。)」 以下、作中の描写 ・カナエ姉さん存命中のしのぶさんは怒りやすく、やや攻撃的な言動。 ・カナエ姉さん死亡後のしのぶさんは柔和な表情と態度。 ・甘露寺「しのぶちゃん怒っているみたい。珍しいわね。カッコイイわ」発言から普段から柔和な表情と態度であると推測。 ・表面上は「鬼も人もみんな仲良くすればいいのに」という発言。 ・表面上は「鬼を拷問することで罪は赦される」という言動。 ・「姉の想いを継ぐ」「姉が好きだと言ってくれた笑顔を絶やすことなく」という二つのしのぶさんの発言。 ・本音では「鬼を許せない」という相反する想い。 ・口調はカナエ姉さんと酷似しているが髪型は似せていない。 上記から「本音は鬼を嫌悪しているが、姉の意思を汲んで表面上は鬼と仲良くする言動+常に笑顔」であると推察可能だが、 =「しのぶさんはカナエ姉さんをエミュレートしている」と断言出来るほどの論拠は乏しい。 よって、 パターン① しのぶさんはカナエ姉さんをエミュレートしている。(姉エミュ正解説) パターン② 柔和な口調演技する際に姉の言動を参考にしているだけ。(ただの参考説) パターン③ しのぶさんが年を重ねた結果、姉に似て表情と態度が柔和になっただけ。(あの頃は若かった説) 等、様々な可能性が考えられる。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **しのぶさんの毒?珠代様の毒? お館様の見立てでは「服毒した胡蝶しのぶを喰わせても上弦の鬼を確実に倒せるとは限らない」であったにも関わらず、 実際には上弦の鬼を崩壊寸前にまで追い込んだことから、やはり珠世様の毒こそが決め手になった可能性が高い。 しのぶさんの服毒は一年前から始まっていたが、童魔との最後の会話では「珠世さんが協力して作ってくれたもの」という描写があった。 しかし珠世様と鬼殺隊の関係は、少なくとも産屋敷輝哉が動けなくなってから始まったものであるため、これは矛盾している。 これを解決する案は下記の通り ①「動けなくなった」は外出するのは無理(=失明した)になったという意味で、実際に烏が珠世様の家に到達したのは炭治郎と禰豆子と会ってから引っ越しした直後のことであった。このため珠代様とお館様はおよそ一年前から協力関係にあった。このため彼女の体内の毒は、珠代様ブレンドの毒のみで構成されている。 ただしこの場合、お館様の見立ては一年以上前のことになってしまうため、柱稽古直後にしのぶさんが怒っていた理由を説明できなくなってしまう。 ②柱稽古開始以降にしのぶさんが刀に仕込んだ毒こそが珠世様の毒で、藤の花の毒に対して鈍感にさせる幻惑作用(惑血の一種?)があった。これなしでは、しのぶ毒が童魔に排出されてしまうだろうとお館様は予測していた。このためしのぶさんの体内の毒は、しのぶオリジナルのみで構成されている。 ③柱稽古開始以降にしのぶさんは服毒を、しのぶブレンドから珠世様ブレンドに切り替えた。このため、しのぶさんの体内の毒は9割以上がオリジナルブレンドであり、珠代様ブレンドのおかげでお館様の予測を上回る事ができた。 追記:よく考えてみると鬼を屠る毒の調合は、珠世様にとって非常に危険な行為であり、これを研究していたとは少々考え難い。 鬼の彼女は、藤の花には触れたくもないはずだからである。 このため、説②による惑血の応用毒という方が現実的かもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **しのぶさんの怒りの理由 柱稽古開始直後、しのぶさんはカナエ姉さんの位牌を拝んで感情を制御するのが必要なほど怒りを抱えていた。 この理由として「鬼の珠代様と協力して上弦の鬼を倒す毒の製作」と命じられたことが原因かもしれない。 「鬼と仲良くする」というカナエ姉さんとの約束がありつつも、彼女の中には鬼に対する怒りが燃え上がっている状態であったため、この命令はしのぶさんにとって非常に辛いものであったと推察される。 //柱稽古に不参加だったのは、怒りもあるだろうが、むしろ新しい毒を服毒することで体調に影響が出て、稽古どころではなくなってしまう事が想定されたからではないだろうか。 //↑論理が飛躍しています。新薬の開発に忙しかっただけの可能性もあります。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **アニメ版キメツ学園しのぶさんがキツメに見える理由 アニメ版キメツ学園において、しのぶさんは18歳にはとても見えないような大人びた制服姿を見せた。%%通称キツメ学園%% これは作画の問題としては、下記の要素が挙げられる ・彼女の最大の特徴である複眼のように描かれた瞳が表現できていない ・原作では他キャラより強調されているまつ毛の長さが目立っていない ・同じく、二重まぶたも目立っていない ・原作よりも髪のウェーブが強調されており、パーマをかけたように見えてしまっている さて作画もさることながら、彼女の古めかしい髪型(夜会巻き)と、髪の毛先のみが紫の髪色であること(紫染めは現代日本において年配の女性に好まれる)、そして化粧(6巻の表紙において口紅をつけている)をしていることにも原因があるのではないかと思われる。 キメツ学園において、生徒側のキャラで化粧をしているのは彼女一人であるため、彼女だけが年齢不相応に大人びて見えたのではないかという予測が成り立つ。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **甘露寺の担当範囲が刀鍛冶の里に近かった理由 初登場時、柱は9人いたが、これは全国各地に配置された鬼を滅するには少ない数である。 柱稽古では、柱が一般隊士に稽古をつけない理由は、「警備担当範囲が広大で、単純に忙しいから」とされていたため、これは深刻な問題である。 この中で甘露寺は刀鍛冶の里の近くに警備担当範囲を割り振られている。これは彼女も知らなかったことから彼女の希望ではなく、お館様の意向によるものかも知れない。 甘露寺は常人では考えられないぐらいの食事を必要とするため、頻繁な補給が必要である。 しかしそこは鬼殺隊の柱とはいえ女の子。 相撲取りに並んで屋台で爆食していた幼少時ならいざしらず、年頃の女性が外食で凄まじい食欲を見られるのは恥ずかしいに違いない。(扉絵で伊黒と外食してたことはスルー) お館様はこの事情を察して、彼女の警備担当範囲を刀鍛冶の里の近くにした可能性。(暴論の呼吸) 彼女の正体と実績を知っている里の中であれば、好きなだけ食事を取れる上に、鬼殺隊としても街の外食よりは食費を安く済ませることができる。やったね、蜜璃ちゃん♡ %%恋柱「そうかな?今日はそんなに食べてないけど」%% メタ的観点なら作者が「温泉サービスシーン」を描きたかっただけの可能性♡(作者への感謝のやまびこ♡) 追記: 公式ファンブックでほぼ全員が東京府出身と確定したが、刀鍛冶の里も都内近郊なのだろうか? &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **大正時代の食事事情 ・1巻で炭治郎は三郎爺さんの家で食事をご馳走になっている。シイタケ・人参・大根の煮物とみそ汁と沢庵、そして白米と茶。(傘貼りをしており、かつ独り身であることから、多少の現金収入があると思われる) ・アニメ版で藤襲山に最終選別試験に向かう炭治郎に鱗滝が焼き魚と鍋を用意してくれた。中身はシメジ・シイタケ・ネギ・青菜・豆腐(あるいは鶏肉?)であり、白米こそなかったが、炭治郎が「あんなごちそうは久しぶりでした」と言っていることから、ハレの日の特別な食事であった。 ・浅草で屋台について:関東大震災によって東京の外食需要が壊滅したことで屋台が地方に散るまで、屋台は東京固有の文化であった。。山かけうどん(アニメでは1杯目を落としてしまったため2杯目と3杯目を注文した)を炭治郎が食べた。メニューは「たぬき」「きつね」「山かけ」「天ぷら」「しっぽく(玉子焼き、かまぼこ、しいたけ、くわいの類をのせたもの)」「あんぺい(しっぽくに葛醤油をかけたもの)」。メニューの最後はアニメでは炭治郎で隠れて確認できないが、おそらく「けいらん(卵とじ)」と思われる。 ・アニメ版の鼓屋敷の任務直前のオリジナルエピソードに、炭治郎は善逸に海苔を巻いた握り飯を渡しており、善逸はもらった握り飯を半分にして炭治郎に返している。 ・鼓屋敷の任務後に訪れた藤の家紋の家では炭治郎・善逸・伊之助の3人分の食事が用意された。描写上は煮物と白米が確認できる。ここで屋敷の婆さんは三人に天ぷらを振舞ったようである。特に天ぷら初体験は伊之助にとって強烈だったらしく、「反復動作」の条件に用いるほどである。 ・蝶屋敷での機能回復訓練で、かんたん三姉妹がそれぞれ「キャラメル」「あんぱん」「からからせんべい(江戸時代に山形県で生まれたせんべい生地で民芸玩具を包んで焼いたもの。昭和に普及したオマケつきの菓子の原型)」を炭治郎に手渡していた。 ・蝶屋敷では炭治郎はおにぎりを食べながらかんたん三姉妹と会話をしていた。 ・無限列車では、煉獄が「うまい!」を連呼しながら牛鍋駅弁(箱入り駅弁は明治末期には普及していたが贅沢品)を11個平らげていた。 ・無限列車での炭治郎の夢の中で、茂(三男)と花子(次女)が籠にさつまいもと思われるものを抱えていた。また食事は各人の膳に椀が2つと小皿(茂が炭治郎のたくわんを奪おうとしていたことから、おそらくたくわんと思われる)が1つ。禰豆子は山菜(ふきのとう?)を収穫し、竹雄(次男)がすり鉢で何かをすっていた。(雪深い頃であり、ふきのとうが採れる時期なので、味噌づくりのために茹でた大豆をすりつぶしていたのかもしれない)この描写から竈門家は炭焼きの現金収入のほか、少しの畑と山菜である程度自給自足していたものと思われる。 ・煉獄屋敷では千寿郎が炭治郎に茶と菓子を振舞った。 ・吉原遊郭のときと屋では、鯉夏が炭治郎にお菓子(おそらく飴玉)をあげていた。荻本屋では、まきをの部屋にうどんが置かれていた。 ・蝶屋敷では意識不明の炭治郎に、"隠し"の後藤が見舞いにカステラを持ってきていた。かんたん三姉妹からは再びあんぱんが見舞われた。その後、かんたん三姉妹はそろってかぶき揚げをボリボリ食べていた。 ・刀鍛冶の里では、炭治郎はマツタケご飯、みそ汁、たくわん、焼き魚、あと何かのおかずを食べていた。炭治郎は握り飯を玄弥に持っていこうとしていた。そして甘露寺は丼だけで24杯、大皿だけで9枚、ついでに大型のヤカン(ヤカンの形が少々現代的だが、少なくとも明治時代の軍隊では近い形で使われている)。 ・炭治郎は飲まず食わずの訓練直後、小鉄少年におにぎりと梅干しと玉露を要求していた。訓練後、玄弥と話すときにはせんべいとお茶を持って行った。 ・半天狗との戦いにおいて、炭治郎の遺伝記憶が描写された。この時、炭吉の妻すやこ(当時、女子の名前に「子」を使うのは皇室や公家などの貴人に限られていた。明治時代になり、庶民の間で「~子」が流行する。)が籠に入れたサトイモとサツマイモを持っていた。(ただし、サツマイモの伝来は江戸時代以降であり、しかも南方の温暖な気候を好むため、寒冷地方にあると思われる竈門家では栽培が難しい) ・甘露寺の回想では、幼少時に最低でも丼15杯の何かを屋台で平らげていた。空の丼が隣の相撲取り((当時、東京相撲協会と大阪相撲協会があった。甘露寺姓は京都にルーツを持つ名家であり、政府側の軍歌であるトコトンヤレ節を好んでいる事から京都出身かもしれない。ただし甘露寺家は明治に伯爵に叙されてから関東に移り住んでいる。追記:彼女の出身地は東京府 麻布區 飯倉(現:港区 麻布台)で確定))のものでなければさらに9杯、合計で24杯を平らげている。相撲取りの3倍食べるということは、彼らは5~8杯ほど食べている計算になる。 ・甘露寺と伊黒が、おそらく蕎麦屋と思われる店で食事をしているシーンでは、蕎麦8枚、天丼11杯、その他煮物・みそ汁・箸休めの小皿などがあった。小食な伊黒の前には茶のみであった。 ・再び蝶屋敷で入院中の炭治郎は握り飯を二つ食べていたが、後藤から「そんなに食べて大丈夫か」と心配されていることから、これ以上にもっと食べていたのかもしれない。 ・同じく蝶屋敷で入院中の玄弥は、アオイとかんたん三姉妹の介護を受けながら白米・煮物・玉子焼きを食べていた。 ・柱稽古開始時に宇髄の嫁3人が握り飯を作っていた。((飯盒炊爨のようにも見えるが、飯盒はあれだけの量の握り飯を作るのに向いていない。またアルミニウム製の飯盒は常用するとすぐに穴が開き、かつ高価であるため、陸軍では非常時以外には火にかけて使わないとされている)) ・冨岡義勇の回想で、膳をひっくり返すシーンがある。白米・茶・みそ汁・稲荷寿司状の何か。 ・冨岡義勇と和解((実際にはこの時点で義勇は錆兎との約束を思い出し、錆兎や姉から託されたものを次代に繋げていくという使命に目覚めたタイミングであったため、義勇にしてみればこの炭治郎の提案は「なんで?」と疑問に思うレベルの提案だった))する目的で炭治郎はざるそば早食い対決をけしかけた。 ・悲鳴嶼の柱稽古では、炭治郎が焼き魚と炊飯を担当していたようである。 ・悲鳴嶼の回想では、白米・みそ汁・たくわん 程度の貧相な食事で子供たちを養っていたようである。 ・不死川実弥はおはぎ大好き。 ・善逸の回想では、じいちゃんと獪岳に飯をよそっていたシーンがあった。3人の膳には白米のほかに漬物と焼いた鮭の切り身があった。 ・伊黒の回想では、座敷牢に豪勢な食膳が最低でも12膳並べられた。内容は揚げ物と白米が多く、「成長して喰える量が増えるまで生かされていた」という目的と合致する。 上記の通り、全体的に白米・みそ汁・たくわん・焼き魚((全体的に川魚、あるいは鮭が多い。一般に裏日本では糸魚川を境として鰤文化と鮭文化に別れる。冨岡の好物が鰤ではなく鮭であることから、彼は糸魚川よりも北部で生まれ育ったものと思われる。追記:彼は東京府 豊多摩郡 野方村(現:中野区 野方)出身が確定))・煮物が多い。これは現代基準では貧相な食事((おかずは今とは比較にならないぐらい貧相であり、特にタンパク質の補給はままならない。))に見えるが、当時の基準では決してそうではない。日本人((昭和まで、日本人は米食悲願民族と言われるほど米を愛したが、これは逆説的に「毎日米を食べる事が出来なかった」ということでもある。この状況が変わり、米を常食するのが夢ではなくなった1918年に米騒動が発生する))全員が米の飯を食べられるようになったのは戦後の事である。それまでは「かて飯」と呼ばれる他の雑穀を混ぜた飯、あるいは雑穀のみを炊いたものがメインの食事であった。あるいは鱗滝のように汁物だけで食事としていた家も沢山あった。 白米を多く食べられているということは、当時の基準では豊かであるということである。おそらく彼らは食事が貧相だとは思っていないだろう。それだけ白米食は贅沢だったということである。 本編中においては、食事事情が豊かなのは刀鍛冶の里であり、次いで蝶屋敷(医療施設でもあるため、ある程度特別扱い?)である。 竈門家は少々貧しい食事である。大正前期は薪や炭から石炭への変換期であり、炭の需要はどんどん減っていったために生活が苦しかったのかもしれない。ある程度自給自足が可能だとはいえ、病弱な父親の薬代もかさんでいた可能性もある。 そしてやはり何よりも圧巻なのは甘露寺の食欲である。 %%恋柱「そうかな?今日はそんなに食べてないけど」%% &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **柱合会議で炭治郎と禰豆子が認められなかった理由 柱合会議では中立派(甘露寺・時透・胡蝶)、擁護派(冨岡)、反対派(伊黒・不死川・煉獄・宇髄・悲鳴嶼)に立場が分かれたが、物語が進んだことで彼らの意見がこのように分かれた理由がある程度説明できる。 中立派: ・甘露寺→鬼に対する憎しみはあまりなく、特にこだわりがない ・時透→「どうせ忘れるから興味がない」 ・胡蝶→「鬼と仲良くする」という姉との約束 擁護派: ・冨岡→炭治郎と禰豆子は自らが鱗滝に紹介した責任あり 反対派: ・伊黒→そもそも猜疑心の塊のような性格 ・不死川→日輪刀無しで鬼を殺して回る程、鬼の存在を憎悪 ・煉獄→隊律と人命を優先する立場 ・宇髄→「処分したほうが派手で楽しそう」レベル ・悲鳴嶼→「子供はすぐ嘘をつき残酷なことをする我欲の塊」 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **ほとんどの隊士が東京府出身の理由 公式ファンブックによって、柱および炭治郎の同期たちの出身地が公式に明らかになった。 出身地が「不明」とされる宇髄を除いて、ほぼ全員が東京府の出身であることが確定した。 例)竈門家は奥多摩の雲取山(竈門家は代々の炭焼き小屋なので先祖代々同じ土地に住んでいる) //あまりにも不自然なまでに東京府出身者で占められている理由を考察してみる。 //そもそも鬼殺隊の目的は、「鬼から人を守る」である。すなわち鬼が出現する場所以外で活動する必要はないことになる。 //このことから鬼舞辻無惨は、東京のみに鬼を配置しているという事になる。 //これはつまり、鬼の存在を知りうるのは東京在住者に限るという事である。 //ではなぜ鬼舞辻無惨は都内限定で活動していたのか? //その理由はおそらく「青い彼岸花」の捜索にある。 //例の善良な医者は、武蔵国((東京・埼玉・神奈川の一部))で活動していた医者((あるいは祈祷師・陰陽師も医療行為を行っていた))だったのであろう。 //鬼舞辻無惨は医者を呼べるような身分であり、そしていつもの癇癪によってこの医者を殺害したわけだが、そのような蛮行を黙認されるのは中央から派遣された国司およびその親族ぐらいであろう。 //このことから鬼舞辻無惨は武蔵国の在庁官人の家系だったのだと推測できる。 //当時の医者が活動できる範囲((貴人のための薬の原料とはいえ、当時の未熟な物流で、未知の薬が遠い場所から運び込まれたとは思えないと無惨は判断したのだろう))を、鬼舞辻無惨はこの範囲((当時の武蔵国の国府は今の調布市にあり、これは東京のほぼど真ん中に位置する))に絞りこんだのである。 //このため、西は奥多摩、東は葛飾区・台東区までを捜索範囲とし、この範囲に鬼を配置している可能性がある。 //↑論理の飛躍があります。登場人物の出身地にのみ鬼が出現すると断定する根拠がありません。 明らかに中部地方から東北地方の豪雪地帯にあると思われる竈門家が奥多摩にあるというのはやはり無理がある。 甘露寺のトコトンヤレ節も、公家風の苗字と相まって京都出身なのかと思わせる演出かと思われたが、まさか当時から大使館ひしめくビジネス街の出身とは。(麻布は戦前からの高級住宅地) //日本中で青い彼岸花を探しているという無惨様の設定もこれでは台無しである。 //これなら浅草で貿易商になど化ける必要はないし、わざわざ江戸払いを受けた猗窩座をスカウトしに江戸を出たのも謎である。 //↑論理の飛躍があります。登場人物の出身地にのみ鬼が出現すると断定する根拠がありません。 宇髄の「この国は広いんだぜ」から他の柱の才能を語るシーンも、出身者が東京府内に限定されるのでは説得力がない。 なぜこんな不自然な設定が公式化したのか? 穿った見かたをすれば、「スタンプラリー企画予定」等の編集部の意向も反映されているのかもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **隊士の出身地を非公式に妄想してみる 公式に隊士の出身地が東京府内に限定されたが、あまり納得できないという人のために、「どこだったら納得できるのか?」を妄想してみようと思う。 判断基準は、作中の描写とそれに見合う歴史・文化的な背景とした。自治体が特定できそうな場合はそこまで記述する。 もちろん&bold(){&color(blue){公式とは矛盾するのであくまで妄想でしかない事}}に留意されたし。 なお、大正時代の旧自治体名ではピンとこない地名も多いため、現代の自治体に合わせている。 ・竈門家:秋田県北秋田市。雪深い山地に囲まれ、マタギの里として有名な阿仁を有する。色白な美人が多い事でも有名。ただし、佐賀県の民謡を子供に謡う母・葵枝は佐賀県から嫁いできた可能性あり。蕎麦文化の東京で、わざわざ炭治郎がうどんを注文するのは稲庭うどん((秋田県南部名産うどん。日本三大うどんに数えられる。ただし、秋田県は南北文化差が激しく、北秋田で常食されるものではない))が懐かしかったのかもしれない。 ・我妻善逸:群馬県前橋市。群馬県は養蚕が盛んであったため、生産物の輸送のために早くから鉄道が敷かれた。善逸はかまぼこ隊では唯一、汽車についての知識があり、花街を理解していたことから、都会化された地方都市の出身と推測される。さらに北関東は雷銀座と呼ばれるほど雷が多いことで有名な地域であることもポイント。(但し、統計上で一番というわけではなく、雷は日本海側北陸のほうが多いらしい) ・嘴平伊之助:奈良県天理市。教祖を神とする極楽教のモデルが天理教((自治体に非常に密着した新興宗教である。しかし特にカルト教団というわけではなく、土着の穏やかな宗派であるし、歴代の教祖が女狂いだったという事実もない))とするならば、伊之助の母が保護されうるのは天理市とその周辺の自治体か。奈良県には山も多いため、もちろん猪も出現する。 ・不死川家:石川県金沢市。不死川実弥の独特な口調である「ねェ」や「がァ」などの語尾を伸ばす方言として有名なのは金沢弁である ・宇髄天元:三重県伊賀市。忍者の里として有名なのは伊賀と甲賀である。このうち幼少時から厳しい訓練を行う事が有名なのは伊賀忍者である。 ・時透無一郎:和歌山県熊野市。紀伊の材木産業は江戸時代から続いている。一族が代々杣人をしているという描写から判断。 ・胡蝶家:富山県富山市。薬学に強い地域といえば、富山の薬売りである。生家は売薬で財を成した裕福な家なのかもしれない。富山県は大正時代にチューリップの生産を産業化したため、花の呼吸とも相性がいいかも。 ・冨岡義勇:新潟県村上市。江戸時代から鮭の増殖に成功したことから鮭が名産である。本編中で一度、外伝中で一度、任務を共にしていることから、胡蝶しのぶと出身地・担当地区が近い可能性が高い。 ・甘露寺蜜璃:京都府京都市。いかにも公家風の苗字に、新政府軍を称える「トコトンヤレ節」を好んで歌うことから、京都出身と考察。「トコトンヤレ節」は民間でも好まれた軍歌であるが、賊軍地域出身であれば好んでは歌わないだろう。 ・伊黒小芭内:山口県岩国市。アルビノが固定化された「岩国のシロヘビ」が天然記念物として有名。 ・悲鳴嶼行冥:鳥取県伯耆町。鬼の伝説を持つ自治体は数あるが、人食い鬼として最古の歴史を持つのは伯耆町の鬼住山である。 ・煉獄杏寿郎:鬼殺隊本部の近く。煉獄杏寿郎の夢の中で伊之助が「おいどん」という一人称を使っており、さつまいもを好み、また煉獄父が本格麦焼酎を好んで呑んでいたことから九州南部か?しかし鬼殺隊の本部が九州地方南部にあるというのもいまいちピンとこない。産屋敷邸では娘二人が関東地方で歌われる数え歌(上総山や吉原が出てくる歌詞)で毬遊びをしたいた。 ・栗花落カナヲ:東北の農家。すさまじい虐待を受けていたカナヲの生家を判断するヒントはなかった。しかし凶作時に娘の身売りが問題になるのは東北地方の農家である。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **猗窩座の名前の由来について 猗窩座の漢字それぞれの意味を調べると 「猗」=去勢された犬 「窩」=穴倉とか空っぽ、うろ 「座」=座る となり、初登場時点から「猗窩座=役立たずの狛犬(第155話サブタイトル)」の伏線設定となっている可能性有り。 また、植物のアカザは食後日光に当たると皮膚が火傷のようになる場合がある。 陽光から逃げる猗窩座はこの症状とも掛けたのだろうか。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **猗窩座の技名と戦闘スタイル 猗窩座は作中では唯一、徒手空拳で格闘を行う鬼である。 彼が無限城編で見せた技名には明確な命名規則がある ・冠先割(かむろさきわり) ・流閃群光(りゅうせんぐんこう) ・飛遊星千輪(ひゅうせいせんりん) ・万葉閃柳(まんようせんやなぎ) ・青銀乱残光(あおぎんらんざんこう これらは花火の玉名(ぎょくめい)、またはその一部の名称である。 これは彼が人間であったころに、元気になった恋雪と一緒に花火を見に行った記憶から取られたのだろうか。 また彼が構えを取る際に、雪の結晶のような模様が浮かび上がるが、これも恋雪の名前である「雪」が無意識に発現しているのかもしれない。 さらに彼の体には主に3本ずつの直線的な青い模様があるが、これも彼が罪人として入れられた刺青か。 いずれも猗窩座が忘れていた人間のころの悲しい記憶や後悔の象徴である。 追記: 単行本第18巻オマケページにて花火・恋雪の髪飾り・素流・入墨との関係が判明した。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **半天狗は本当に盲目偽装をしていたのか? 本編中では、既に鬼になっていたことで盲目ではなくなっていたように見える半天狗であるが、実は人間時代から盲目を装っていたのではないかと、お白州で奉行に指摘されている。 これは、本編中の描写でも確認できる。 その根拠は、半天狗の人間時代の回想である。 この回想シーンは、半天狗による主観が大半を占めているのだが、これは本来おかしい。 彼は盲目なので、本来は人間時代の映像記憶があってはならないはずだからである。 これは奉行の言う通り、彼が人間時代に盲人を装っていた事が反映されている描写である。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **響凱が人を喰えなくなっていった理由 無惨の目的は鬼狩りを滅ぼすことであり、配下にしたものの思考を読み、猗窩座の恋雪に関する記憶など、鬼狩り殺しに無関係な記憶を消す力がある。 逆に、鬼狩り殺しに必要な記憶は消さないようだ。 無惨は縁壱を大変警戒しているが、黒死牟の縁壱に関する記憶は鮮明である。 鬼狩り殺しに必要な感情を呼び起こす記憶は、無惨が嫌悪しているものでも消されない。 響凱は鬼となっても執筆を続けていたが、無惨の目的には無関係であり、執筆は記憶を元に文章を作成する行為である。 鬼として強くなるには、無惨の目的に無関係な記憶を捨てなければならない。 それが少食に繋がったのではないだろうか。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼殺隊の隊服の仕様 鬼殺隊の隊服は、いわゆる詰襟であり、男女ともに右前の仕様である。 上半身は原則的にほぼ全員同じであるが、不死川実弥と甘露寺蜜璃の二人だけは胸元が大きく開かれている。 不死川実弥はおそらく、稀血体質を活かすためと推測される。 甘露寺のほうは、これは縫製担当の前田(ゲスメガネ)の嗜好の所為であることが判明している。 なおコミック裏では時透に「さっき横から見えてましたよ」と指摘されている。 %%前田「いやドンピシャです。完璧な状態ですね。それが。」%% このほか、時透は詰襟風ではあるが、他の隊士とは異なり手元は絞られていない。 ゆったりとした和装のように見える。 さて、画一的であるべき隊服において個性豊かなのは下半身である。 ズボン、袴、スカートと比較的自由に選べるようで、それぞれ腰にベルトを当てて固定している。また時透のように普通の袴を装着している者もおり、甘露寺とカナヲに至ってはスカートである。 足元は裁っ着け袴(袴のすそを絞ることで歩きやすくしたもの。忍者の足元のイメージ)を基本としているが、その固定方法には個性があり、炭治郎や冨岡は足の裏側に恐竜のヒレのような形で布を余らせている。(もしかすると脛当てが固定されているのかもしれない。) 不死川実弥はこれを複数のベルトで固定している。 しのぶさんや煉獄は布ではなく脛当てを当てているように見える。 悲鳴嶋は足袋を履かずに草履のみ、また足元は布を巻いて絞っている。 その他、甘露寺だけは草履ではなく草鞋(わらじ)を採用している。 これは伊黒からもらった縞々の靴下との兼ね合いもあるのかもしれないが、飛んで跳ねて戦う甘露寺のスタイルでは、足首をきちんと固定できて軽量な草鞋のほうが向いているのかもしれない。 そしてカナヲはスカートにブーツという非常に先進的な出で立ちである。 さて、このように隊服に個性がある理由であるが、これは素材に伸縮性がない事が原因なのではないだろうか。 鬼の引っ掻き程度であればビクともしない素材で作られたこの生地は、普通に作れば背広のように窮屈で、運動には向いていないという可能性があるのだ。 特に下半身の窮屈さは足の可動域を損なってしまうため、全体的にゆったりと作り、必要な個所を自分の好みの手段で固定している可能性がある。 これは、まだ成長の余地のある時透のみがゆったりとした和装を採用している理由とも整合性がつく。 上記が正しい場合、甘露寺の隊服がゲスいのも違った理由が見えてくるのかもしれない。(ドンピシャです。完璧な状態ですね。それが。) &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **不死川実弥が傷だらけで胸をさらけだしている理由 作中で、「その血は鬼を酩酊させる」ということが判明した不死川であるが、これは彼が常に隊服の前を開け放っている理由を説明できる。 それは、「不死川実弥の体臭は鬼を酩酊させうる」からである。 人体において、汗は血液から作られるため、血液型を判定する事すらできる。 彼は常に隊服の前を開けることで、鬼を呼び寄せているのかもしれない。 あるいは禰豆子に対してそうしたように、自傷して血をまき散らすことで自分にとって有利な状況を作り出していたのかもしれない。 過去回想では、時透や悲鳴嶋と同様に一般人でありながら鬼となった母を殺した不死川実弥であるが、この体質に気づくきっかけが、鬼になった実の母親だったのかもしれない。 ワニ先生「いつも隊服の胸元を開けていますが、胸筋がご自慢なのかな?スケベですね」(公式ファンブックより) &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **桑島慈悟郎が雷柱ではなく鳴柱である理由 雷の呼吸の育手である「じいちゃん」こと桑島慈悟郎は、作中で元柱であることが記されており、 各所の考察では「雷柱」であると表現されることが多かったが、ファンブックにおいて「鳴柱(なりばしら)」であることが判明した。 あえて「雷柱」ではなかった理由としては、下記が考えられる。 ・かみなりばしら、の文字数が多すぎるため。(霞柱(かすみばしら)の3文字が最大?) ・らいばしら、では一聴して何のことだか分かり難いため(但し、炎柱(えんばしら)の例もある) ・いかずちばしら(いかづちばしら)とも読めてしまうため混乱を避けた。 ・じいちゃんは雷の呼吸の中でも、音の呼吸寄りであったため、鳴の字を好んだ。 ・雷の呼吸の始祖が偉大すぎるため、「雷柱」は欠番となった。(実際に、本編中で雷柱の語は登場しない) ・桑島慈悟郎の在位期間中、先任の雷柱が居た。 ・メタ的観点から「電柱」みたいで作者がダサイと感じた可能性。 ・桑島慈悟郎の左足を[[鳴雷神>鬼滅の刃|呼吸・剣術・技#id_b3a8455b]]に見立てた為。 等。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼滅の刃の吾峠ワールドに真面目にツッコミを入れる 本作は連載がそれなりに長期になったため、多少なりとも序盤の設定の粗が発生している。 また本作は大正時代と戦国時代と江戸時代を描く都合上、時代考証がやっかいな作品でもあるため、時代考証にそぐわない事もある。 もちろん、多少の粗が出てくるのはどの作品でも起こり得る話ではあり、フォローできる箇所は上記までの考察で補っているのだが、考察でフォロー出来ないレベルのものをここに列挙していく。 -隊士選抜最終試験はブラック過ぎ。合格率25%未満で、不合格者は全員死亡というのはあまりにも人道に背く。隊士候補生に再試験の道があってもよいのでは? あと手鬼はエンカウント即死レベルで難易度が高すぎる。育手はもちろん多数いるのだろうが、合格率を考えると村一つ消滅する程度に犠牲が出ているはずである。(柱稽古では最低でも数十人の隊士が確認できる。)注意:「藤の花が狂い咲く麓まで逃げれば生き残れるが不合格」、等のリタイアに関する説明は本編中にはなく、試験の目的も明らかにされておらず、隊士候補生には「この中で七日間生き抜く」以外の合格条件も語られていない。 -炭治郎が浅草で骨折していたにも関わらず、次の任務を与えるのは非人道的。新人隊士の実力が足りないなら足りないで、OJTとして先輩隊士について修行する等の配慮があってもいいはず。元・十二鬼月を含む3鬼に対して新人癸隊士3名というのはあまりにも可哀想なのでは? -善逸の実質的な任務拒否や敵前逃亡、そして伊之助の同士討ち行為にペナルティがないのは組織としてダメでは?(冨岡→しのぶさんへのヘッドロックに関してのペナルティに関しては不明) -桜餅を食べて甘露寺の髪色が変わるのはともかくとしても、それでもピンクと緑の比率がおかしい。人間の髪は部位によって伸びる速さに差はないはずなので、彼女のように「腰まである長い後ろ髪も、10cm程度の短い前髪ももみあげも、いずれも先端から2割程度の長さの色が異なる(同様の事は鬼化によって毛先だけ赤く変わったと思われる禰豆子や、服毒を続けたことによって毛先だけが紫になっているしのぶさん、さらに言えば覚醒後に毛先が赤髪になった炭治郎も似たような状況なのだが。)」というのはありえない。またザリガニの体色のように食物によって髪色が変わるのだとすると、緑髪が生えていた期間には彼女は桜餅ではなく桜の葉を食べまくっていた事になってしまう。どちらかというと生物学的な説明よりも桜餅の呪い、というほうが納得できそうな設定である。 -時代考証が少々雑。 --戦国時代にさつまいもがある --炭吉の妻すやこが公家風の名前。(~子は平安以降、貴人の娘に付ける名前である。当時のルールでいえば「すや」のほうがしっくりくる。ただし、家が畳敷きでそこそこ広い家であることから、彼女が公家出身である伏線である可能性もゼロではない) --炭吉が痣のある鬼狩りに急須でお茶を提供。 ---補足:日本独自の横手急須は18世紀に上方で発明された。 ---補足:江戸時代前期までは贅沢品扱いであり、気軽に庶民が飲めるものではない。 --炭治郎が炭吉の記憶をたどる走馬灯において、縁壱夫婦の家の床が部分的な板敷であることが確認できる。12巻の回想に出てくる炭吉の家よりも貧しい暮らしをしていたことが分かる。 --江戸時代の町人の髷が例外なく後期の型 ---補足:時代劇でおなじみの銀杏髷は、本来江戸時代後期のスタイルであり、江戸時代初期と思われる狛治の回想に出てくるのはおかしい --ただし大正時代の時代描写については比較的まとも。(特にアニメ版はうどんのメニューや電信柱など、時代設定描写がより良くなっている) 結論:吾峠先生は天然だから。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **「鈴蘭のような柴犬」に当てはまる人物を妄想 作中で炭治郎は好みの女性のタイプを「鈴蘭のような柴犬」と弟妹に述べている。 この「鈴蘭のような柴犬」について妄想。 「鈴蘭」とは、小さなベル型の花が連なり、下向きに咲く草花で、可憐な姿が愛らしく、世界中で愛されている。 また比較的強い毒性を持つことでも有名である。 花言葉は『幸福の再来(春の時期に花を咲かせる事から)』『純粋・純潔(欧州圏では聖母マリアの象徴でもあり、結婚式のブーケにも用いられる)』『謙遜(花弁の大きさが控え目であり、頭を垂れて花を咲かせることから)』。 「刺繍」の題材としても用いられやすい事も相まって、「家庭的」や「結婚」のようなイメージを持つ人もいるかもしれない。 次に「柴犬」であるが、これは日本固有の小型犬種である。 柴犬は信頼できる飼い主にだけ心を寄せるとされる。 家族に対して強い忠義心を持ち、家族を脅かす者には勇敢に立ち向かっていくことから番犬として扱われている。 両方に共通するイメージとしては、「家庭的」「謙虚・ひかえめ」と言ったところか。 鈴蘭の「毒」と柴犬の「勇敢さ」は共に、「家族を脅かす者には容赦しない」というニュアンスもあるかもしれない。 纏めると、「純粋で家庭的で謙虚でありながらも、家族の敵に対しては容赦なく戦える強い人(この人物像は容赦なく熊を惨殺した父・炭十郎にも、頭突きでイノシシを撃退したとされる母・葵枝にも当てはまる)」というような感じだろうか? 「毒」に重点を置けばしのぶさんが候補だが、「家族の敵に対して」のほうを重視すればカナヲが候補だろうか。 //もしかして:妹((繕い物が得意で、下の弟妹の面倒を良く見る家庭的な少女である。また家族をとても大事にし、弟から「人のために怒る人は自分の身を顧みない所がある」と評されることから、家族や弱者を守るために戦えるのは鬼になる以前からの気質なのだろう。)) &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **「飛車のような人」に当てはまる人物を妄想 作中で禰豆子は好みの男性のタイプを「飛車(作中では「縦と横に何マスも動ける。敵の陣地に入ると竜王になる」という解説がされている)のみたいな人」と弟に述べている。 これに当てはまる人物について妄想。 ・猪突猛進の伊之助は飛車というよりも「香車」? ・善逸は電光石火の霹靂一閃のイメージから飛車に近いかもしれないが、「それしかできない」のイメージに合致するのはどちらかというと「桂馬」? ・不死川玄弥は普段の戦闘能力は低いが、敵陣地に入ることで覚醒するという点で「歩」? ・移動力という点では申し分ないのが宇髄天元と煉獄杏寿郎? ・独特の緩急で動き、油断した敵に一撃を食らわせる時透は、移動力という点では同等の働きを見せる「角行」? //もしかして:兄((伊之助と同様の移動力を持つが、仲間の為に一歩引いたり、駆け付けたりする事が出来る。修行属性外の流儀や痣覚醒することで、ほんのすこしだけ斜め上の行動ができるのも竜王の特徴かもしれない。)) &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **不死川実弥の口調 作中、不死川実弥は非常に口汚いヤンキー口調で話している事が多い。 他の柱の前、あるいは柱稽古での訓練中においてもそれは変わる事はなかった。 しかしお館様との会話(炭治郎曰く、「知性も理性も全く無さそうだったのに、すごいきちんと喋り出したぞ」と評されている)、あるいは悲鳴嶋に助太刀された際(「はい、すいません」としおらしい返事をしている)を見る限り、本質的には素直で真面目な人格なのではないかという分析がある。 %%幼少時代の人格を見るに、このヤンキー口調は鬼殺隊に入隊後に身に着けたものではないかと推測できる。%% %%ではなぜヤンキー口調が必要だったのか?%% %%それは人間の感覚で「泥酔しているときに口汚い言葉で挑発される」という状況を作りやすいからではないだろうか?%% %%まず彼の稀血体質((その血は鬼を酩酊させることができる))は、鬼を挑発するのに都合がよく、また鬼にとっては十全の力を発揮できなくなる。%% %%この判断力を失った状態で、あのような挑発を受ければ腹も立つだろうし、頭に血が上るだろう。%% %%この状態異常を作り出すために、ヤンキー口調を始めたのではないだろうか?%% 追記:公式ファンブックにて、玄弥と離れてから鬼殺隊入隊以前に治安の悪いところを点々としていており、周囲を威嚇する為と判明。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **十二鬼月の討伐結果 |上弦の壱:黒死牟(こくしぼう)|討伐者:悲鳴嶋・不死川実弥 |討伐補助:不死川玄弥・時透無一郎(両名とも殉職。黒死牟の全方位攻撃を封じ、文字通り命を懸けて討伐の隙を作った。)| |上弦の弐:童磨(どうま)|討伐者:伊之助・カナヲ(しのぶ毒による強力なデバフが掛かっていたため、実質的には討伐補助である)|討伐補助:しのぶさん(柱三人に匹敵すると言われる上弦を、実質的にたった一人の犠牲で討伐した。無限城編において、現状での勲一等の功績である)| |上弦の参:猗窩座(あかざ)|討伐者:炭治郎(2対1であるものの、堂々たる討伐と言って良い)|討伐補助:冨岡| |上弦の肆:半天狗(はんてんぐ)|討伐者:炭治郎|討伐補助:甘露寺(敵戦力を分散させ、遅滞戦を見事に勝ち抜いた)、玄弥(力及ばなかったものの、上弦をかなり追い詰めた)、禰豆子(最も被害が重く、また決死の覚悟を見せた)| |新・上弦の肆:鳴女(なきめ)|討伐者:鬼舞辻無惨|討伐補助:愈史郎(実質的な無力化および傀儡化)、甘露寺、伊黒| |上弦の伍:玉壺:(ぎょっこ)|討伐者:時透(作中で初となる、上弦の鬼を単独撃破を達成した)|討伐補助:なし| |上弦の陸:妓夫太郎(ぎゅうたろう)&堕姫(だき)|討伐者:炭治郎・伊之助・善逸(同時撃破が必須であるため、息を合わせて三人で撃破した)|討伐補助:宇髄(実質的に負けに等しいものの、戦力を削る事に貢献した)| |新・上弦の陸:獪岳(かいがく)|討伐者:善逸(作中、二人目となる上弦の単独撃破。ただし獪岳が鬼として経験不足であったため、他の上弦に比べれば戦績は劣る)|討伐補助:なし| |下弦の壱:魘夢(えんむ)|討伐者:炭治郎・伊之助(実質的には実力による勝利というよりも、二人の幻惑耐性が高かったことが勝因)|討伐補助:煉獄(無間列車を縦横無尽に駆け回り、一人の犠牲も出さなかった)、禰豆子(炭治郎の覚醒のきっかけとなった)、善逸(目立った活躍こそないものの、一般人の安全を見事に守った)| |下弦の弐:轆轤(ろくろ)|討伐者:鬼舞辻無惨|討伐補助:| |下弦の参:病葉(わくらば)|討伐者:鬼舞辻無惨|討伐補助:| |下弦の肆:零余子(むかご)|討伐者:鬼舞辻無惨|討伐補助:| |下弦の伍:累(るい)|討伐者:冨岡(実質的な単独撃破である)|討伐補助:炭治郎・善逸・伊之助・しのぶさん(いずれも結果的には塁撃破の露払い)| |下弦の陸:釜鵺(かまぬえ)|討伐者:鬼舞辻無惨|討伐補助:| 作中で十二鬼月を単独撃破した描写が最も多いのは鬼舞辻無惨。無惨様凄い。(討伐数:5) &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **鬼滅の刃世界における切腹観 鬼滅の刃において、「切腹」について言及されたのは3度ある。 -一度目:鬼になった禰豆子を連れた炭治郎に対して、鱗滝がその覚悟を説くシーン。&br()(「禰豆子が人を喰った場合に、炭治郎は速やかに責任を取って自害すべし」という旨の警告がなされた) -二度目:禰豆子と炭治郎の処遇を話し合う柱合会議。&br()(鱗滝の手紙において、「禰豆子が人を喰った場合に、炭治郎だけでなく鱗滝左近次および冨岡義勇が腹を切ってお詫びします」という覚悟が記されていた) -三度目:善逸の師・桑島慈悟郎の自害。&br()(雷の呼吸の継承者である獪岳が鬼に堕ちたことの責任を取り、介錯もつけずに腹を切って自害した) 上記において共通するのは、鱗滝左近次と桑島慈悟郎という、いずれも60歳を超えているであろう二人の発言・行為であるという点である。 本編中、鬼殺隊サイドで江戸時代((いわゆる幕末である。江戸時代では殉死思想が蔓延した初期を除いて、それほど切腹行為は盛んではなかった。特に中後期において武士は完全に官僚階級と化し、軍人としての意識は毛ほども残っていなかった。この意識が変わるのはまさに鱗滝が鬼狩りとして活躍した慶応年間前後である))の空気を知っている二人が切腹について言及していることになる。 しかし鬼殺隊の現役隊士から切腹について言及されることはなかった。 それどころか不死川実弥からは「切腹するから何だというのだ。死にたいなら勝手に死に腐れよ」とその価値を認めない発言をお館様にする始末であり、煉獄もその発言に同意している。(煉獄は代々続く鬼狩りの一族の出身であるが、その彼ですら切腹の価値を高く見ていない。) これはこの時代における世代間のジェネレーションギャップである。 人命を尊び、また人命を守るために自らの命を投げうつ現役隊士たちにとって、「死んで責任を取る」というのは受け入れられない価値観の可能性がある。 //これはおそらく、産屋敷耀哉の思想と関係がある。 //産屋敷耀哉は自らの権威を高める事よりも、人命を尊重する事を何よりの目標に掲げて隊士たちの心を掴んでいたため、「自らの瑕疵で人命を失っても自分が責任を取って死ねば許される」という考えは理解できないのである。 //↑論理の飛躍があります。ジェネレーションギャップと産屋敷耀哉の思想が直接結びついているとは断定できません。そもそも産屋敷耀哉自身が切腹の手紙を禰豆子反対派への説得の材料にしています。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **産屋敷家97代の歴史について アニメ23話の大正コソコソ噂話において、産屋敷輝哉は97代当主であることが判明した。 産屋敷家の97代前はいつだったのかを妄想してみる。 まず、前述の通り、柱合会議時点での西暦は1916年ごろと推測される。 また、平安時代において、鬼舞辻無惨は20歳になる以前(794年に平安時代が開始のため、このシーンは最早で794年。最遅の場合は1192年である。※鎌倉幕府成立は現在基準では1185年であるが、大正時代当時の史学基準では1192年である。)に、善良な医者を病が治らない癇癪から殺害している。 このことから鬼舞辻無惨の生年は774年~1172年の間のいずれかになる。 鬼殺隊はこの時期の前後に成立したことになる。(お館様の「この千年」という発言を厳密に信用するのであれば、鬼殺隊の結成は916年の前後が正しくなる。) そしてその場合、産屋敷家の歴代当主の平均在位期間は7年から11年といった計算になる。 これは歴代の当主は30歳足らずで亡くなるという設定と合致する。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **黒死牟の刀は刺突刀? その刀は自らの肉から作られている黒死牟の刀であるが、七支刀のように刃を増やすことができることが判明した。 しかしその刀の刃の向きは、いわゆる逆刃刀のように本身とは逆についている。 この刀の向きでは、黒死牟はこの刀を刺突にしか使う事ができない。 通常通りの刀の振り方をする場合、敵に当たるのは刃のない側になってしまうからである。 またその刀身は明らかに4尺を超えており、大太刀または野太刀に分類される長刀(「なぎなた」ではなく「ちょうとう」)である。 この形状であればおそらく本来の使い方は、刺又(サスマタ)の要領で複数の敵を制圧・刺突する事と思われる。 連携攻撃を仕掛ける鬼殺隊の両方に遠距離から刺突を加えるために作り上げられた武器の可能性がある。 但し、同時に剣技の範囲が延長されているので、剣技範囲延長の効果がメインかもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **継国家のお家事情 作中で、兄弟であることが判明した黒死牟こと継国厳勝(つぎくにみちかつ)と継国縁壱(つぎくによりいち)であるが、この名前に少し違和感がある。 それは弟であるはずの縁壱に「壱(いち)」の字が入っているという事である。 「壱」には「壱岐」を表す一文字としても扱われるため、必ずしも数値として扱われるわけでもないものの、やはり「なぜ長男ではないのに一番目を表す文字が入っているのか?」には疑問が生まれる。 -長男以外の「一」例 --イチロー:野球選手。名前に反して次男 --安倍晋三:2019年現在の内閣総理大臣。名前に反して次男 --時透無一郎:兄・有一郎がいるため、名前に反して次男。 --正一:兄・清がいるため、名前に反して次男。 上記の例もある事から極端に珍しいケースと言うわけではない。 それでもあえて不自然でないケースを妄想してみる。 -ケース1:縁壱のみが正妻の子であり、厳勝が妾の子(ただし後に本編中でこれは否定された。双子である以上母親は同じである) -ケース2:縁壱のみが幼名または輩行仮名(通称)のままであり、厳勝のみが元服後に与えられた名前 --回想において、二人の名前が呼ばれる描写がなく、また縁壱は数え年10歳にならずして死亡したと思われていたため、幼名のみを名乗り続けていた可能性はある。 --継国が互いに呼び合うシーンがない事から、幼名とも元服後の名前とも区別はつかない。もし厳勝の幼名にも「壱」の字が与えられていたのであれば、上記の疑問は氷塊する。そしてこれが継国家の伝統として末裔である時透家に伝わっていたとすると、双子兄弟の両方に「一」の字が含まれている事とも整合性がつく。 -ケース3:次男を長男の身代わりの魔除けとする目的で命名の順番を狂わせた。ただしこの場合、厳勝にも2番目以降の名前、例えば「縁次」などの名前を付ける必要がある。 -ケース4:作者が縁壱=長男と思わせる叙述トリックに使いたかっただけ ただし現状では厳勝および縁壱が生名であるとも元服後の名前とも通称とも判明していないため、これらの可能性は「妄想」に過ぎない事に注意。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **黒死牟こと継国厳勝(つぎくにみちかつ)の人生 彼について判明していることは下記の通り。 ・1916年→最終決戦(本編を前述の考察に乗っ取り、1916年と仮定する) ・1916年→獪岳に鬼無辻無惨の血を分け与える(最終決戦から一年以内) ・1803年→前回の上弦招集会議(半天狗の発言) ・1616年→鬼喰いをしていた剣士の胴を割り、絶命させる(300年以上前との発言あり) ・1516年→縁壱との最後の切り合い。縁壱絶命(400年ぶりとの発言あり) ・1456年→厳勝が鬼無辻無惨に降り、血を得て3日間の後に鬼になる(縁壱絶命の60年以上前) ・1432年→厳勝誕生。縁壱も同日誕生。(痣者である厳勝は鬼化時点で25歳未満。戦国時代当時は数え年なので満年齢では24歳未満) さて、上記は全体的に「~年以上前」が多いが、ここでは最も短いケースで考えるものとする。 この最短の場合でも継国兄弟の活躍時期は15世紀中盤となり、戦国時代とは言い難い。 ただし舞台となる関東地方はそれ以前の享徳3年(1454年)から関東管領と鎌倉公方による内乱状態であったともされ、この地方の戦国時代はそれより早く始まったとする学説もある。 その学説に則るのであれば、継国兄弟は15世紀中盤の戦国時代草創期に関東地方で鬼狩りをしていたという説が成り立つ。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **継国兄弟の最後の決戦地 継国兄弟の最後の決戦地には、赤い月とともに七重塔があった。 日本において五重塔は現存するものも含めて珍しくないが、七重塔はかなり珍しい。(多くは聖武天皇によって全国各地に作られた「国分寺」とセットで建設された。神奈川県海老名市には駅前に七重塔の1/3レプリカが復元されている) 少なくとも近世以前に建立された七重塔は現存しないという。 では作中で、継国兄弟の最後の手合わせが行われた時期(15世紀中盤以前)においては存在したのか?について調べてみたところ、ほとんどのすべての七重塔は当時、既に焼失(特に落雷による火災が多い)したり戦乱に巻き込まれていたりという。 しかしその中の唯一の例外が、足利義満によって応永6年(1399年)に建てられた京都相国寺の七重大塔である。 この塔は二度の焼失したがその都度再建され、文明2年(1470年)に三度焼失するまでの間、存在し続けたという。 先述の考察では、継国兄弟の最後の手合わせを1516年と仮定したが、これが40年強ほど前にズラせば、相国寺七重大塔が存在した時期と一致する。 というよりも、この時期に存在した七重大塔は相国寺七重大塔のみである。 このため、継国兄弟の最後の決戦地は京都である事が確定する。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **愈史郎はなぜ珠世様の死と同時に消滅しなかったのか? 作中では「鬼舞辻無残が死ぬとその他の鬼が死ぬ」と産屋敷によって明らかになっている。 これが「鬼の始祖が死ぬと、その眷属の鬼も同時に死ぬ」という意味であるならば、珠世様が死んだ場合に愈史郎も死なないとおかしいのではないか?という疑問が出てくる。 ここではなぜ愈史郎が珠世様と同時に死ぬことがなかったのかについて妄想してみる。 ・説1:愈史郎が死ぬことは確定しているが、それは悲鳴嶋のように即座にではなくある程度時間が経ってから? ・説2:愈史郎は珠世様の血によってではなく、別の手段(例えば「青い彼岸花」)によって鬼化させられたから? ・説3:愈史郎は珠世様の血によってではなく、鬼舞辻無惨の血によって鬼化させられたから?(作中の黒死牟→獪岳、童麿→妓夫太郎のケース) ・説4:愈史郎は珠世様の血によって鬼化したが、珠世様の支配を外した、またはそもそも支配を受けないよう設計されたから? ・説5:珠世様はそもそもまだ死んでいない? ・説6:そもそも消滅するのは鬼舞辻の口外の呪い等を掛けられている鬼限定? いずれの場合も現時点では妄想に過ぎないものの、物語が進めば明らかになると思われる。 追記:鬼舞辻無惨が縁壱によって弱らされた際、珠世様は鬼舞辻無惨の支配を一時的にとはいえ脱していたことが描写されていた。このことから始祖は自らの意思によって支配を外せる、あるいは始祖が命の危険を察した時に支配権を放棄することで支配の為に使っていた力を自らに戻すことができるのかもしれない。この時点では具体的に何が正解だったのかは判明しないものの、「愈史郎はなぜ珠世様の死と同時に消滅しなかったのか?」の疑問の答えは、「鬼舞辻無惨の支配下にいた珠世様は、彼の支配が外れる瞬間を見たことがあるため、その手段を研究することが可能だったから」ということとなる。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- **伊黒の生家についての考察 伊黒の過去回想が描かれたことにより、伊黒の生家に関する情報が一気に増えたため整理する。 ・座敷牢があるほど巨大な家が存在する ・強奪する余地があるほどの分限者が多数存在する(もしくは富裕層が訪れるような観光地) ・白米や揚げ物を無駄に出来るほどの流通網がある ・白蛇(鏑丸)が迷い込んでくるほど近くに森がある ・実家の女たちは和服を着ている さて、伊黒の出身地である八丈島で上記が成り立つのかについて考察してみよう。 八丈島は江戸時代までは罪人の流刑地として扱われており、明治時代において決して裕福な地域とは言えなかった。 このため、島民の金品を強奪して豪勢な生活を尽くすというのは現実的に難しい。 また当時から観光地であったとはいえ、わざわざ富裕層が大量に訪れるような土地でもない。 八丈島は山手線内ほどの面積があるとはいえ、人口8000人足らずの狭い地域で大量の強盗殺人を隠しきるのは無理がある。 また流通網も決して恵まれてはいなかったため、豪勢な着物や白米を大量に仕入れることも難しかった。 ただし、八丈島には名前の由来になった大蛇伝説がある。 これは八丈(約24メートル)もの蛇を退治した伝説であり、これは作中に登場した蛇鬼のサイズと合致するかもしれない。 また大正時代には日本初のバターの生産が始まったという史実もあるため、甘露寺がバターを好んで食する理由として納得できるかもしれない。 &bold(){&link_up(▲ページ上部へジャンプ)} ---- //公共wikiでは視認性重視で説番号は漢数字ではなくアラビア数字を使用願います。(大正風で表現したい気持ちは分かりますがご遠慮願います) ---- *コメント 最新の20件を表示しています。 #comment_num2(noname,size=75,num=20)

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