クニノサギリと言えばアメノサギリ同様、イザナギイザナミ夫婦の神産みによって生まれた神である。
アメノサギリは足立透の身体を拠り代にして足立の自我は残っていなかった。
が、クニノサギリは形がクニノサギリなのであろうが、明らかに生田目太郎の自我が残っている。
アメノサギリと違いクニノサギリには生田目の自我があったのは何故だろうか。

  • 察1
足立は結局のところ、自身が「出来るからやっただけ」と語るように強い信念から行動したのではなく、獲得した特別な力と自身の幼稚な思考のままに行動していた。
対して生田目は方法は間違っていたにしろ、被害者を「救う」という強い信念のもとに行動していた。
混乱し、半ば正気を失ったような状態であった天上楽土での主人公達との対峙場面においても、そのことだけには強い執着を見せている。
この2人の差が、ただアメノサギリに取り込まれ自我を失くした足立と、クニノサギリに取り込まれてなお「救う」ことを求めた生田目との違いをもたらしたのではないか。

  • 察2
或いは単に、他の登場人物達のと成り立ちを同じくする、言わば「生田目太郎の影」こそがクニノサギリではないか、とも考えられる。

  • 意見
Gにてイザナミが二つのサギリを仕込んだと発言しているので察2は間違いであると判明したため削除をした方がいいのでは?
→GはG、オリジナルはオリジナル。両者で微妙に設定が違う部分もあるので残しておいて構わないのでは。

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最終更新:2012年07月20日 22:27