研究室の中で、スカリエッティは複数のモニターを前に座っていた。
 映し出されている映像は、彼の最高傑作ゾディアック・ナンバーズが次々と敗北していく姿。しかし、スカリエッティは動揺を感じさせない冷徹な眼差しで、モニターをじっと観察していた。
「トーレとクアットロの様子は?」
 スカリエッティは通信画面越しにウーノに話しかける。
『現在、敵の追跡を受け、帰還がままならない状況です。通信をつなぎますか?』
 スカリエッティが頷くと、画面に新たにトーレが映し出される。姿を消して逃走しているクアットロは音声のみだ。
「二人とも、問題は?」
『機械に損傷はありません。正常に作動しています』
 トーレが掠れた声で答えた。
 自制心の強いトーレが疲労を隠し切れないのだから、フェイトの一撃が相当に堪えたのだろう。
 トーレがタウラスの聖衣を失わずに済んだのは、偶然によるところが大きい。グレートホーン・インパルスで突進の勢いを削いだのは確かだが、もしフェイトが腹部ではなく機械のある胸部を狙っていたら、あるいはトーレの体格がもっと小柄だったら機械は砕かれていた。
『申し訳ありません、ドクター。こっちは積尸気冥界波が使えなくなってしまいました。戻り次第、修理をお願いします』
 廬山昇龍覇にやられてからというもの、機械が不具合を起こしていた。直撃を避けてもこれだけの影響を及ぼすのだから、ドラゴンの奥義がいかに恐ろしいかよくわかる。
「積尸気冥界波は扱いの難しい特殊な技だからね。聖衣が無事だっただけでも、よしとしよう」
『乙女の柔肌に痣をつけるなんて、あの男、次の機会には八つ裂きにして差し上げますわ!』
 敗北したのが余程屈辱だったのだろう。クアットロは憤懣やるかたない様子だ。
 スカリエッティは二人との通信を終えると、ウーノに指示を出す。
「ガジェットの発進用意をしてくれ」
『妹たちの撤退支援ですね?』
「そうだ。ここの防衛に一部残して、残りは支援ついでに適当な町でも襲わせてくれ」
『わかりました』
 アジトの地下で、ずっと眠っていた兵器群に光が灯っていく。
 対時空管理局用に数だけは揃えている。AMFの意味がない聖闘士たちが相手でも、時間稼ぎくらいなら出来るだろう。
 それでも修理の時間まで確保できるかどうかは怪しい。この場所にも徐々に敵が接近してきているのだから。
 スカリエッティの顔に歪な笑みが浮かんだ。
「ああ、後少しだ。もうじき私の夢が叶う」
 事ここに至っても、スカリエッティは自らの夢の達成を微塵も疑っていなかった。

 広い湖の上で、シグナムは敵を迎え撃つべく待機していた。
「すまないな、アギト。不満はあるだろうが、まずはこちらの任務に付き合ってくれ」
 シグナムは隣のアギトに話しかける。
 本来ならドゥーエの対処をするはずだったのだが、今のところ所在が確認されていない。
「いないもんはしょうがねぇ。こいつを倒してあぶり出してやるぜ」
 シグナムとアギトがユニゾンする。シグナムの騎士服の上着が消失し、背中に四枚の炎の羽が出現する。
「あなたが、わたしの相手ですか」
 カプリコーンの聖衣をまとったディードが、湖の端に到達する。ディードの両手には、赤い光の刀身を持つ双剣が握られていた。前回の戦闘では使われなかったディードの固有武装ツインブレイズだ。
「そうだ」
 頷き、シグナムが左手を開く。掌の上には、ゼストの形見の指輪が乗せられていた。
『旦那』
「騎士ゼスト、あなたの魂をお借りする」
 指輪が輝き、形を変える。柄を縮め、まるで短刀のような姿になったゼストの槍を、シグナムは逆手に構える。
「エクスカリバー!」
 ディードがツインブレイズを使い聖剣を放つ。
 それよりわずかに早く、ゼストの槍がフルドライブを発動させる。急加速したシグナムの真横を走り抜けた斬撃が、湖を割り大量の水しぶきを上げる。
 エクスカリバーの威力を目の当たりにしながら、シグナムは不可解そうに眉を潜めた。
「一つ尋ねるが、エクスカリバーは手刀を使って放つ技ではなかったか?」
 カプリコーンの黄金聖闘士は四肢を刃のように研ぎ澄ませる。中でも手刀は、聖剣の名にふさわしい切れ味を誇る。
「ドラゴンに手刀の切れ味が悪いと指摘されましたので、武器で補わせていただきました」
「…………剣を使ったのは、それだけの理由か?」
「はい。どのような形であれ、技が使えるなら問題ないでしょう」
「ほう」
 口調こそ穏やかだが、シグナムの瞳が獲物を見つけた猛禽のように鋭くなる。
『シ、シグナム?』
 ユニゾンしているアギトが、シグナムの変化を感じ取り、やや怯えた声を出す。
「実はな、私はお前の相手はドラゴンに譲るべきかと思っていたんだ」
 カプリコーンの黄金聖闘士シュラは、強大な敵として青銅聖闘士たちの前に立ちはだかった。しかし、紫龍の覚悟に打たれたシュラは最後に改心し、諸共に死ぬはずだった紫龍を助け、たった一人で死んでいった。紫龍にとって恩義のある相手だ。
「だが、私にもお前と戦う理由ができた。お前は聖闘士でも騎士でもない。お前に聖剣を扱う資格はない」
「私の技に不満がおありですか?」
「大ありだ!」
 レヴァンティンがカートリッジをロードし、刀身が炎に包まれる。あたかもシグナムの怒りを体現するかのように。
 シュラがエクスカリバーをいかに誇りに思っていたか、紫龍の話だけで察するに余りある。
 武器も技もただの道具としか考えられない輩に、その誇りが弄ばれている。聖闘士と騎士の違いはあれど、同じく剣に誇りを持つ者として、シグナムに見過ごすことなどできない。
「貴様のまとう黄金聖衣、早々に聖闘士たちに返してもらおう」
 犯罪者の手に落ちた聖剣と、正義の騎士が振るう炎の魔剣が激突する。

 安全装置を解除したゼストの槍の性能と、ユニゾンによる負担の分担によって、シグナムは光速に近い速度を出せるようになっていた。
 最高速度はフェイト、なのは、キャロの支援を受けたエリオにわずかに劣る。だが、機動力では、なのはを抜いて三番手に位置し、攻撃と防御、速度のバランスはもっとも取れている。
 常人には視認できない速度で、二人は斬り結ぶ。レヴァンティンの炎とツインブレイズの光だけが長い尾を残し、まるで湖の上で炎と光の竜が暴れ狂っているかのようだった。
 シグナムはツインブレイズを的確に捌いていく。時折、刃が掠め肌を浅く切り裂くが、戦闘の趨勢に影響するようなものではない。
 通常の斬撃だけで勝てるだろうと高をくくっていたディードだが、シグナムの技の冴えに思わず目を見張る。
「私の方が速いはず…………なのに、どうしてついてこられるのですか!?」
 ツインブレイズを左右から挟み込むように振るう。シグナムは両腕の武器で受け止めると、すかさずディードを蹴り飛ばす。
「生憎と、自分より速い敵を相手にするのは慣れていてな」
 長年フェイトと競い合ってきたおかげで、スピードで勝る相手にどう対処すればいいかは、頭と体に叩き込まれている。
まして、ディードがツインブレイズを実戦で使うのはこれが初めてだ。ナンバーズは戦闘データの共有ができるらしいが、長剣を装備している者は他にいない。ただでさえ習熟の難しい二刀流だ。ディードの剣技は拙さこそないが、動きが素直で読みやすい。
 剣の騎士の二つ名を持つシグナムの技量があれば、速度の差は埋められる。いっそでたらめに振りまわしていた方が、シグナムは苦戦しただろう。
「それなら――」
 ディードが双剣を大上段に振りかぶる。最大威力でデバイスごと両断するつもりだ。
「エクスカリバー!」
「レヴァンティン!」
 シグナムの剣がツインブレイズの横腹を叩き、強引に軌道を変える。
 紛い物でも、エクスカリバーの切れ味は侮れない。シグナムに防御の手段はなく、斬撃の軌道をそらすか、かわすしか選択肢はない。
 ディードがエクスカリバーを織り交ぜながら攻め立ててくる。
 シグナムにしてみれば、防具もなしに真剣で斬り結んでいるようなものだ。一手でも読み違えれば、即命取りとなる。それをこれまで経験したことのない光速の領域で実践せねばならない。
 シグナムは激しい怒りを感じる一方で、ぎりぎりの緊張感に心が躍るのを抑えられなかった。
「エクスカリバー!」
 横一文字に振るわれた聖剣を、今度は急上昇してやり過ごす。
「言ったはずだ。お前に聖剣を扱う資格はない」
 シグナムがディードを見下ろしながら厳しく言い放つ。
 人が武器を持つのは、素手以上のリーチと殺傷力を得られるからだ。しかし、その代償に動きは多少なりとも制限されてしまう。
 素手でありながら武器以上の切れ味を持ち、拳圧によって離れた敵を攻撃できるエクスカリバーは、究極の一つの形だ。
 ディードは武器によって威力は補えたが、斬撃が大振りとなり、聖剣本来の使いやすさを捨て去ってしまったのだ。
「お前の剣には魂がこもっていない。そんなもので、私を倒すことはできん」
「おかしなことを言いますね。ツインブレイズはデバイスではありません。魂がなくて当然ではないですか」
「そういう意味ではない!」
 ディードがツインブレイズを強く握りこむ。それがエクスカリバーの前兆であると、シグナムはすでに看破していた。
 シグナムは最大速度で敵の懐へと飛び込み、今まさに振り下ろされようとしていたディードの両腕をゼストの槍ではね上げる。
「これで終わりだ」
 レヴァンティンの炎が唸りを上げて逆巻く。
「紫電一閃!」
 袈裟がけの一閃が炸裂し、ディードを炎が呑みこむ。
 剣に乗せられた魔力が黄金聖衣を突き抜け、内側に取り付けられた機械を砕く。
 勝利の手応えを感じた瞬間、炎を突き破りディードのつま先がシグナムの両脇を引っかけた。
「これは――」
 シグナムの体が減速せずに、ディードに引っ張られるように加速していく。単純な拘束に見えるが、どうやっても外すことができない。
 シュラの使うもう一つの技、ジャンピングストーン。相手の勢いを利用して吹き飛ばすカウンター技だ。
 ディードから次々と黄金聖衣が離れていく。ディードは聖衣が完全に失われる前に、最後の執念で技を発動させたのだ。
「なるほど」
 シグナムは相手の顔を見上げるが、すでに昏倒した後だった。
 騎士であるシグナムの盲点だった。まさか最後に頼るのが、剣ではなく足技だとは。
「お前は聖闘士でも騎士でもない…………だが、戦士ではあったのだな」
 シグナムのように己の武器や技に誇りを持つ者がいる一方で、武器も技も、己自身すら道具と割り切る者がいる。両者が相容れることは決してない。ただ強さで、己の正しさを証明するのみだ。
「見事だ。次はお互い、借り物なしで手合わせ願いたいものだな」
 シグナムは不思議と穏やかな心境で、敵の勝利への執念を称賛する。
「シグナム!?」
 シグナムからアギトが分離する。ゼストの指輪を抱え、アギトは戸惑いの声を上げる。
「行け。お前の使命を果たせ!」
 アギトの眼前で、シグナムの体が光速で蹴り上げられ、岸壁へと叩きつけられた。

 現場にヴィータとリインが到着した時、戦闘はとっくに終わった後だった。
 湖の岸辺に倒れたディードと、傍らに鎮座する黄金の山羊のオブジェ。そして、岸壁に深く穿たれた穴の底で、土に半ば埋もれるようにしてシグナムが横たわっていた。
 アギトの姿はどこにもない。
「……シグナム?」
 ヴィータがシグナムの隣に立ち、顔にかかっていた土を払ってやる。
「おい、起きろよ」
 シグナムの表情は穏やかで眠っているようにしか見えない。しかし、よほど深く傷ついているのか、呼びかけても反応はない。
 すでにこの結果は、アースラから伝えられていた。それでも実際にこの目で見るまでは信じたくはなかった。
 傍らのリインは口元を押さえて瞳を潤ませている。
「……またかよ」
 ヴィータの足元に滴が落ちる。
 脳裏に、ザフィーラとシャマルが闇に呑まれた姿が、子供の様に泣きながら倒れたはやての姿が蘇ってくる。
「どうして……」
 ヴィータは己の手を見つめた。記憶はさらに過去にさかのぼる。八年前、ヴィータの目の前でなのはが撃墜された。なのはの血で赤く染まった掌を、ヴィータは一日たりとて忘れたことはない。
 ヴィータはあの日のなのはようにシグナムを抱き上げた。
「どうして私は、誰一人助けることができないんだよ!」
 ヴィータの嘆きの声が、湖畔に響き渡った。

「ピラニアンローズ!」
「サンダーウェーブ!」
 黒バラを貫き、瞬のネビュラチェーンが稲妻の軌跡を描いて飛ぶ。
「IS発動、ランブルデトネイター」
 チンクが指を弾くと、貫かれた黒バラが爆発し、ネビュラチェーンの勢いを削ぐ。
「くっ!」
 瞬はやむなく鎖を手元に引き戻す。
 チンクが同時に四つの黒バラを投擲する。
「ローリングディフェンス!」
 瞬の鎖がまるで竜巻のように回転し、黒バラも、続いて起きた爆風も全て吹き散らす。
 都心から離れた場所に存在する研究施設。資材搬入用の大きな通路の中で、瞬とチンクは戦っていた。
「まさか、たった数日でランブルデトネイターを防げるようになるとはな」
「なのはさんたちのおかげだよ」
 訓練の間、なのはやフェイトたちの砲撃魔法を受け続けたのだ。ネビュラチェーンが過剰反応しないよう闘志を抑えて攻撃できるのだから、六課隊長たちの実力はさすがだ。
 瞬は呼吸を整えながら、チンクの攻略法を模索する。
 ランブルデトネイターが強力な武器であることはわかっていたが、まさか強固な盾にもなるとは思わなかった。爆発で鎖を防ぐ様は、まるで炎でできた大輪のバラの盾だ。ネビュラチェーンは、バラの盾によってことごとく無効化されていた。
 互いに攻防一体、否、防御の比重の方が大きい。ゆえに、戦いはどちらも決め手に欠けるまま、三十分が経過した。
 六課のみんなには一時間という時間制限がある。もしもの場合に援護に行けるよう、これ以上ここで時間をかけるわけにはいかない。
 瞬はコスモを燃やし、鎖を構えた。

 死力を尽くして戦う二人の様子を、物陰からひっそりと窺う者がいた。兜についたサソリの尾が音もなく揺れる。
 瞬が攻撃に意識を傾けた瞬間、ドゥーエは地面を滑るように動き出した。真紅に塗られたピアッシングネイルが、瞬の脇腹を狙って突き出される。
「なっ!」
 突然の乱入者に、瞬だけでなくチンクまでもが驚く。
 瞬のサークルチェーンが防御しようとするが、刹那の差で間に合わない。ドゥーエの爪が瞬に迫り――

 ヒュッ。

 風を切り飛来した金属片が、ドゥーエの爪にぶつかり動きを止めた。
「誰!?」
 ドゥーエは手首を押さえて、誰何の声を上げる。金属片は鳥の尾羽のような形をしていた。
「盗人だけでは飽き足らず、一対一の真剣勝負に横槍を入れるとは、どこまでも見下げ果てた奴よ」
 驚くほど攻撃的なコスモが顕現する。全てを焼き尽くす業火の様なコスモが、不死鳥の姿を形作る。
 通路の奥から、眉間に傷を持つ精悍な顔立ちの男が歩いてくる。身にまとうのは、不死鳥の尾羽がついた白と濃紺の聖衣。
 男を見て、瞬は喜びに顔を輝かせる。
「兄さん、やっぱり来てくれたんだね」
 男は瞬にほのかに笑いかけると、一転して強烈な殺気をドゥーエに向けて放つ。
「貴様には、このフェニックス一輝が天誅を下してくれる!」
 瞬の兄にして、青銅聖闘士最強の男、一輝がミッドチルダの大地に降り立った。

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最終更新:2013年11月03日 23:00