激痛に意識が遠のいたかと思えば、更なる激痛に意識を繋ぎ止められる。それの繰り返しだった。
全身に激痛が走る度、道化師は哂う。恍惚と嘲りを込めて。
現在のティアナの命はまさに吹けば飛ぶほどに軽量であり、また血液が零れ落ちるたび更に軽くなってゆく。
腹から突き出ている汚穢なる触手をどうにかしなければならない。だが、もうどうにもならないだろう。
如何に未熟で即席の魔術師が招喚した鬼械神であったとしても、人間には図り知ることが出来ぬほどにその神力(ちから)は超絶なのだ。
その一撃を受け、焼滅してもすぐさま復活を遂げる道化師は余りにも理不尽だった。
だんだんティアナの体から力が抜けてゆく。四肢と頭部が力なく垂れ下がる。
もう駄目なのか。そんな諦念。
薄れゆく視界に映ったのは、エリオとキャロ、そしてスバル。
スバルは泣きそうになりながら道化師を殴り続けていた。エリオとキャロも涙を流しながら懸命に戦っている。
其処にあるのは理不尽に対するささやかすぎる抵抗。諦めの―――拒絶。
第六話 はんげきのお時間
―――そうだ、諦めてどうする。あの子達だって諦めてないのに……あたし一人がこんな所で諦められる訳、ないじゃないっ!
力の篭らぬ筈の腕に渾身の力と魔力を篭める。それと同時に複数の術式を検索、構築。
それらは使ったことのある術式もあれば、無い術式もあった。その上複数の術式を並列展開。出来る保障はもとより無い。しかしやるより他には無いし、やってみる価値はあった。
「力を……与えよ!」
右手に鍛造されたのはバルザイの偃月刀。
それを振るい、道化師の腸を切断する。あれほどの硬度と強度誇った腸は、殆ど抵抗を感じる事無くまるで豆腐を切るように切断されていった。
空中に躍り出たティアナの左手には相棒、クロスミラージュ。
非殺傷設定は最初から解除済み。渾身の魔力を込めて道化師の頭部を撃つ、撃つ、撃つ。
仮面が砕け、半ば白骨化した頭部が剥き出しになる。
更に連射。頭部が砕け散っても尚連射。
その連射の最中、右手に持った偃月刀を投げつけ道化師の体を縦に二分割する。
だがまだ止まらない。もう一挺のクロスミラージュでカートリッジを二発ロード。
「クロスファイアシュート!」
八つの魔力スフィアが同時に着弾し、爆発と爆煙が上がった。
肩で大きく息をしながら着地。がくりと片膝を付く。
これが最後のチャンスだった。掛かってくれなければ、もうティアナに後は―――無い。
※~~・~~◎~~・~~※
「づぅぁああっ!」
這い蹲ったティアナが苦悶の声と共に突き刺さった腸を引き抜いたその時、爆煙の中から何かが飛び出した。
それは喩えるならば独楽。超高速で回転する巨大な鉤爪の付いた、剣呑極まる独楽。
そしてその独楽は、未だに立ち上がることの出来ないティアナの華奢な体を、防御に回したマギウスウィングごと真っ二つに叩き潰した。
くる、くる、くる、くる。
ティアナの上半身と下半身が、臓腑と骨と血液を撒き散らしながら舞う。
三人はそれを呆然としながら見ていた。
何かが、どちゃっ、と言う形容しがたい音と共に落下する。スバルたちの目前に。
それの頭部に張り付いているのは、苦悶の表情を浮かべた紛れも無いティアナのものだった。
「ひぃ――ッ」
キャロが息を飲み、そしてまたしても気を失った。エリオも同様に。
スバルは目の前の光景を信じたくなかった。
しかし如何に信じたくなくともそれは非情な現実であり、また決して変えられぬ事実である。
「殺す気なんてぜ~んぜん無かったんだけどぉ、めっちゃウザイからつい殺しちゃったのよぉ。ごめんなさいね☆」
そう言いながら道化師はティアナだったものの頭部へ足を乗せ、ゆっくりと力を込めてゆく。
外部からの圧力に耐えられなくなった頭部が、音を立てながら少しずつ形状を変化させそして、弾けた。
「あ……」
何かが飛び出した。ピンク色をした器官。意思を内包した器官。脳。
スバルはそれをぼんやりと眺める。
感情が凍りつく。
理解が及ばない。
目の前で起こった事が信じられなかった。
奴は何をした? 誰を殺した?
殺した。ティアを。
現状を理解すると同時に、スバルがこれまで感じたことの無い何かが込み上げて来る。
それはどす黒い感情のうねりとでも表現するべきだろうか? 心より誰かを殺したいと言う殺意。こいつだけは許せないと言う怒り。大切な人を喪う悲しみ。それらが綯い交ぜになって、スバルの心を埋め尽くしていった。
―――絶対に赦さない。こいつは、こいつだけは私の手で、この手で引導を渡してやるっ!
「赦さない」
スバルはやおら立ち上がり道化師を睨み付ける。
「お前だけは絶対に赦さないっ!」
彼女の中で何かのスイッチが入る。ソレは今までスバルがティアナにも隠し通していた、戦闘機人としての彼女を表出させた。
涙に濡れる緑の瞳が金色へと変化し、放出される魔力も増大する。そしてロードされるカートリッジ。
「あん? なぁにマジに怒ってん……」
道化師が言葉を吐き尽すより前に、スバルのリボルバーナックルが道化師の胸部へとめり込む。
更に追撃の左ストレートが顎を捉え、堪らず道化師は吹き飛ばされた。
「ぶぎゃらばっ!」
全速で殴り飛ばした道化師を追いかける。マッハキャリバーはスバルの意思に呼応し、自身の許容限界を超える速度を出す。駆動部分から火花が散った。
追いついたスバルは道化師を殴る。殴る。殴る。
拳が腐った皮膚を裂き、骨を砕き、内臓を破壊する。
「『Divine』 バスタァァァァッ!!」
そして、止めとばかりにカートリッジを三発使用したディバインバスターが炸裂した。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
荒々しい息のまま、肉塊としか表現しようの無い姿になった道化師を睨み付ける。
流石にここまでやれば、と言う考えがスバルの脳裏を過ぎるが、現実とは常に非情である。
スバルの拳打も全力を賭したディバインバスターも殆ど意味を為していなかった。意味が有ったとすれば、道化師を怒らせたことくらいだろうか。
「まったく、オイタが過ぎるったらありゃしないわ。でも良かったわね、アタシに制約(ギアス)が掛かってて。でなきゃスバルちゃん、アンタ確実にアレのお仲間よん☆」
道化師が指で示した先にあるのは、無残な姿へと変えられてしまったティアナの残骸。
「……ああ、そうそう、この手があったわぁ! ティアナちゃんを蘇らせて、スバルちゃんを殺してもらいましょ! アタシってば天才ねッ!!」
道化師が取り出したのは魔導書と、その陰に隠した小さな壜。
させじと、再び殴り掛かろうとするスバルだったが、体がある一点に達すると動かなくなった。
まるで体中に焼き鏝を押し当てられたかのような耐え難い熱さがスバルを襲う。
スバルの足元では小壜が割れている。中から溢れている赤黒い液体。
「あ、が、がぁ……」
満足な呼吸も出来ないのか、その喉は呻きを漏らすだけで怨嗟の言葉を紡ぐことも無く、ついにスバルは地面へと倒れ込んだ。
「アタシ特製のバッドトリップワインのお味はいかが? お気に召したかしら?」
ケタケタ、ケタケタと道化師が哂う。無様に倒れ臥したスバルを見ながら。
どうしようもないほどの悔しさだった。
バッドトリップワインが視覚を侵し始めたのか、視界が闇に覆われてゆく。指一本動かすことが出来ない。呼吸すら侭ならない。そんな自分自身が情けなかった。
何より、ティアナの仇を討つことが出来ないのが悔しくて堪らなかった。
自然と涙が溢れてくる。
ごめん、ごめんと、スバルは心の中でティアナに何度も謝っていた。
そして妖蛆の秘密を手に詠唱を始めたその時、スバルの名を呼ぶ声と同時に道化師の頭部が爆ぜた。
※~~・~~◎~~・~~※
「はっ、はっ、はっ……っぐぅっ……」
彼女は虫の息だった。
腹には大穴が開き、其処から容赦なく空気が入ってくる。激痛と共に。
蹂躙された内臓が腹圧により傷口から溢れ出そうとしている。思わず手で押さえると更に痛みが走った。
余りの激痛に涙が溢れて止まらない。
大声を上げて泣きたかった。痛い痛いと叫びたかった。何でこんな目にと嘆きたかった。このまま目を閉じて永い眠りに就きたかった。
だが、それをやるのは終わってからだ。あの道化師を倒してからだ。
それには先ず傷の修復をしなければならない。
実に幸いな事に、道化師はニトクリスの鏡により作り出されたニセモノに見事引っ掛かり、それにご執心だ。
今ならば恐らくではあるが、感付かれる事もないだろう。チャンスはこの時しか無かった。
「―――ド・マリニーの時計よ」
喚び出されたのは棺のような形をした時計。捩れた四本の針が無秩序に時を刻む奇妙極まる時計。ド・マリニーの時計。
ティアナはその時計の針を逆しまに回す。
その瞬間、何かを視た気がした。
それは人類の、否。正常な生物には理解不可能な異常極まる空間と次元に属する諸力の結合点に位置すると言われるハリ湖の湖水。その中でぶくぶく、ぶくぶくと泡が幾筋か立ち上る。泡の根源には何かが居る。
それは、それは―――
気付けば、ティアナの肉体の時間が『戻っていた』。
大穴の開いていた腹は元通り術衣に覆われており、傷一つ無い。
しかし、戻せた時間はほんの数分だった。アイオーンの機動に因る内臓、骨格に対するダメージも、アルハザードのランプにくべた生命も戻ることは無い。
その上時計を使った際の反動か、凄まじい倦怠感が体を襲ってくる。指一本動かすのにも途轍もない労力を要する。
でも、それで十分すぎた。先程までの半死人状態と比すれば格段に良いと言えるだろう。
木の幹に体を預けながらゆっくりと立ち上がる。
膝が震える。
目も霞んでいる。
体を襲う倦怠感は如何ともし難い。
再びずるずると体が沈んでゆく。抗いがたい睡魔がこの上ない甘美な何かと共に襲い掛かり、何度も瞼が落ちそうになる。
塞がり掛けた瞳に映るのは、単独で戦うスバルの姿。その姿を見ていたら、ほんの少しだけ力が湧いた。
再び両脚に力を篭める。今度は震えない。
ぼやけていた視界も次第にはっきりしてゆく。
倦怠感は酷いが、もう耐えられないほどではない。
彼女が立ち上がるのと、スバルが倒れるのはほぼ同時だった。
「スバルッ!」
すぐさまマギウスウィングを展開し飛翔、同時にクロスミラージュを引き抜き、道化師の頭部へとポインティング。そして容赦の無い銃撃を見舞う。
激しい銃撃は止まる気配を見せず、頭部を失った道化師を更に更に更に削り落とし屑肉へと変えてゆく。
だが、足りない。
足りない。
足りない。
この道化師を葬るには全くといっていいほどに足りなかった。
ティアナはスバルの隣へと着地し、彼女を肩に担ぎ再び飛翔する。その間も銃撃がとまることは無かった。
「ちょっと待ってて。すぐに解呪(ディスペル)するから」
スバルの体を何かが包み込んでゆく。ソレは暖かくも冷たくもあり有機質で無機質で数式のようであり文章のようであり苦痛のようであり快楽のようであった。
しかしその混沌の如き感覚は長く続かず、ものの数秒で終焉を迎えた。
「あ、う、動く……ってティアっ!? し、死んだ筈じゃ?」
「バカスバル、勝手にあたしを殺すな! ……でも良かった、成功みたいね」
確かにスバルは復活したが、事態は全く好転していない。ティアナの魔力は既に底を尽く寸前で、スバルの体力も同じく限界に近い。
その上道化師は再生を終え、こちらに迫ってきている。
だが、それがどうしたと言うのだ。三年間共に頑張ってきた親友が居る。それだけで二人はこの時確かに、最弱でありながらも無敵となった。
「さぁ行くわよ、スバル! ここからがあたし達の……反撃の時間よ!」
「うん!」
※~~・~~◎~~・~~※
スバルが地を駆け道化師を翻弄し、ティアナの銃弾が天より降り注ぐ。
だが、決定打には至らない。
道化師を幾度も屑肉へと変えたのだが、その都度復活してくるのである。
―――キリが無い。
そう考えるのも無理は無かった。このままではジリ貧なのだ。
だからと言ってアイオーンの焼滅呪法で今一度焼き尽くしても結果は同じだろう。しかも今のティアナの状態では招喚そのものが不可能と来ている。
何か手は無いものか? 記憶の中を検索する。この理不尽極まる存在を倒しきれる何かを。
“―――この弾丸は……そう、言うなれば一種のお守りさ。ただし一回きり、一発きりのね。
どうしようもない敵に、どうしても倒さなければならない敵に出会った時、きっと君は使う筈さ。こいつをね―――”
あの女の言葉が脳裏を過ぎった。
あの予言じみた言葉。
あの■■の言葉。
やってやろうなじゃい、そんな感情がティアナに芽生えた。
―――記述検索……発見―――
『ねぇスバル。あいつの周りにあの図形をウイングロード描くとしたらどれくらい時間が要る? 一辺あたり十メートルくらいで』
それは余りに唐突な質問だった。
あの図形、といわれてもスバルにはさっぱりだった。何しろ思い当たるものが無いのである。
それを察したのか、ティアナが補足する。
『お守りの図形よ』
少々疲れたようなティアナの声。
『えーっとね、三十秒……ううん、二十秒でいけると思う』
『オーケー、二十秒ね。……スバル、これはかなり分の悪い賭けなの。降りるなら今よ?』
『やーだよ。今まで一緒にやってきたんだから、こんなところで降りられないよ』
その返答にティアナは苦笑するより他は無かったが、同時にこの上なく頼もしい言葉だった。
ならば、もう迷うまい。
右手にバルザイの偃月刀を鍛造し、一直線に道化師へと突撃を掛ける。
迎撃の為に飛び出してくる腸を、身体を僅かに捻るだけで回避し、更に接近。そして零距離。
偃月刀を思考に追いつけとばかりに振るう。
疾く。
疾く。
更に疾く。
道化師はまるでミキサーにでも掛けられたかのように、瞬く間に挽肉へと変換されてゆく。
だが、斬る最中であっても道化師は再生するのだ。その再生に負けじと更に振るう速度を上げてゆく。
「このバラ餓鬼がっ!」
道化師の怒りの声と共に振るわれた鉤爪がティアナを捉え吹き飛ばす。
今度は偃月刀で防御したため、胴体を引き千切られることは無かったがそれでも今のティアナにとって大きなダメージであるのは確かなことだった。
しかし、道化師の注意が完全にティアナに向いたのはまさに好機といえた。スバルが完全にフリーになっていたのである。
スバルの術式が完成し、道化師を中心としてウイングロードが五芒星を描く。
斜めに走り折れ曲がること四回、スバルの元にウイングロードが戻り旧き印が完成した。
ティアナは五芒星完成直前に、アトラック・ナチャを置き土産とし離脱。
すぐさまクロスミラージュへと持ち替え、カートリッジをロードすること実に四発。まだ終わらない。リロードし、更にカートリッジをロードした。計八発。
圧縮された魔力を即座に開放する。本来ならば、此れを攻撃用魔法の魔力とするのだが今回は違う。此れは供物であり制御用の魔力なのだ。
そして、ティアナの左手に鈍く輝く弾丸が招喚される。部屋においてある筈の弾丸だった。
ティアナとスバルの口から、全く違う二種類の呪文が唱えられる。
「第四の結印は」「ふんぐるい・むぐるうなふ」
「エルダーサイン」「くとぅぐあ」
呪文と共にクロスミラージュに異変が起こる。
高密度の術式に対応するために自己の能力を退化、先鋭化させているのだ。
制御に不必要な機能を次々に封印しリソースを稼ぐ。
元々二挺の拳銃であるクロスミラージュが一挺の旧式拳銃へと退化する。それは―――
重厚なる黒。苛烈なる赤。装飾を施されながらも無骨。何より凶暴。
前面下方に設置された弾倉に闘志を装填する破壊の象徴。自動拳銃(オートマチック)『クトゥグァ』
ティアナが左手に持っていた弾丸は光となりクロスミラージュへと吸い込まれてゆく。此処に全ての準備が整った。
「あらゆる邪と脅威を」「ふぉまるはうと・んがあぐあ・なふるたぐん」
「祓うものなり!!」「いあ・くとぅぐあ!!」
地上に恒星が産まれた。
それはスバルが構成した旧き印の内側に留まり、道化師を焼き滅ぼし、蒸発させてゆく。
たとえ再生しようとも、再生したそばから焼滅させられる。
スバルがその星を見続けていたとき、何かの倒れる音が聞こえた。ティアナだ。周りには本の頁が舞っている。
それら一枚一枚が空中渦を巻き、重なり一冊の本を形成した。
うつ伏せに倒れたティアナへと駆け寄り、仰向けにした時スバルは、ひっ、という短い悲鳴を上げた。
ティアナの閉じられた目からは血の涙が止め処なく溢れていたのだ。
つづく。
最終更新:2008年04月14日 23:55