百詩篇第2巻28番

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*原文 Le penultime&sup(){1} du surnom&sup(){2} du prophete&sup(){3} Prendra Diane&sup(){4} pour son iour & repos: Loing&sup(){5} vaguera par frenetique&sup(){6} teste, Et&sup(){7} deliurant vn grand peuple d'impos&sup(){8}. **異文 (1) penultime 1555 1589PV 1840 : penultiue 1649Ca 1792Du, penultiesme &italic(){T.A.Eds.} (2) du surnom : du sur nom 1650Le, de Surnom 1672 (3) du prophete : du Prophete 1588-89 1594JF 1600 1610 1611B 1627 1644 1650Ri 1660 1716 1772Ri, de prophete 1650Le 1653 1665 1668 1792Du, de Prophete 1605 1628 1649Xa 1672 (4) Diane : [[Dial]] &italic(){conj.(PB)} (5) Loing : LOIN 1594JF (6) frenetique : frenatique 1590Ro, ferentique 1594JF, Frenetique 1672 (7) Et : En 1594JF 1660 (8) d'impos : d'imposts 1649Ca 1650Le 1668 1792Du, d'Impos 1672 (注記)1792Du は1792年ヴァン・デュレン版の異文。 **校訂  1行目 penultime は penultiesme(pénultième)の方が良い。  2行目 Diane を [[Dial]] とするかは難しいところである。[[ブリューノ・プテ=ジラール]]は支持しているが、[[ピーター・ラメジャラー]]は疑問符つきで言及するにとどまる。他の詩との関連で言うならば、[[ピエール・ブランダムール]]の推察は十分に根拠がある。  4行目 impos は imposts と同じことである。 *日本語訳 予言者の異名をとる最後から二番目の者が、 ユピテルの日を自分の安息日とするだろう。 譫妄〔せんもう〕の頭で遠くへと彷徨し、 多くの人々を租税から解放するだろう。 **訳について  詩の意味が確定していないだけに1行目の訳が難しい。「予言者と呼ばれる人々の中の最後から二番目の人物」とも読めるし、「ある特定の予言者名の綴りの最後から二番目の音節」(が暗示する人物)とも読める。[[エヴリット・ブライラー]]などは後者の意味にとっているが、ここでは[[ピエール・ブランダムール]]、[[高田勇]]・[[伊藤進]]らの読み方に従い、前者の意味にとった。  2行目の直訳は「ディアナの日(=月曜日)を自分の安息日とするだろう」となるが、ここではブランダムールの校訂を受け入れた。  3行目 frenetique(狂躁の、熱狂的な)に「譫妄」という訳語をあてたのは高田勇・伊藤進の訳を参照したものである。  さて、既存の全訳本についてだが、山根訳は特に問題はない。その4行目「大いなる国民を従属から解放するだろう」は当「大事典」の訳と異なるが、un grand peuple は「多くの人々」とも「偉大な人々」とも訳せるので誤りではない。「多くの人々」と訳したのは、ブランダムールや高田・伊藤の読み方を踏まえたもの。  大乗訳の場合、3行目以外は誤訳。1、2行目「予言者の異名の末尾は/安息日のためダイアナと呼ばれ」((大乗 [1975] p.78. 以下、この詩の引用は同じページから。))は、[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳 The last but one, of the surname of Prophet, / Shall take Diana for his day and his rest,((Roberts [1949] p.52.))の last but one(最後から二番目)や take...for(~を~と見なす)を正しく把握しないまま訳し間違えたのだろう。ロバーツは詩に添えた解説でも、その人物が月曜日を安息日にするという趣旨のことをきちんと述べているのだが、日本語版ではこの解説の訳もまるで意味不明のものになってしまっている。  それに比べれば4行目の「そしてあざむきから人々を救うだろう」はささいな誤訳だが、impos(impôts)を「あざむき」と訳すのには無理がある。ロバーツが英訳に使った impositions は確かにそうも訳せるが、フランス語の impôts には当時も今もそんな意味はなく、重訳が招いた誤訳のひとつといえるだろう。なお、un grand peuple を「人々」と訳すのも、grand のニュアンスが含まれていないので不適切だろう。 *信奉者側の見解  [[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]は1567年の政治情勢と解釈した。  彼は「予言者の異名を取る最後から二番目の者」を旧約聖書に出てくる十二小預言者の一人ミカ(Michaeas)と捉え、それを宰相ミシェル・ド・ロピタル(Michel de l'Hospital)と関連付け、彼が王太后(une grande dame)や王妃(princesse)に重用されていた事を指すとした。シャヴィニーは王妃のことが Diane と表現されているというが、根拠は示していない。  さらに、3行目 LOIN をルイ(ロワ)・ド・ブルボン(Loys de Bourbon)と関連づけ、彼が重税に苦しむ人々の税を軽減すべきと国王に進言したことと解釈した((Chavigny [1594] p.166))。  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、月曜日を安息日とし、人々に一切税を払わせないように扇動する偽預言者について書かれたものと解釈した。ちなみに、この解釈は[[ヘンリー・C・ロバーツ]]がほぼそのまま引き写すことになる((Garencieres [1672], Roberts [1949]))。  [[アンドレ・ラモン]]は、月曜日を安息日としてパレスティナでユダヤ人を導くことになる新しいユダヤ人指導者の出現を預言していると解釈した((Lamont [1943] p.310))。  [[エリカ・チータム]]はムハンマド(Ma-ho-met / Mu-ham-med)ないしノストラダムス(Nos-tra-da-mus)の名前の最後から二番目の音節、つまり ho, ham, da で始まる名前を暗示しているのではないかとしていたが、この解釈は[[エドガー・レオニ]]の読み方をそのまま剽窃したにすぎない。日本語版では、イランのルホラ・ホメイニと関連付ける解釈に差し替えられている((Cheetham [1973], チータム [1988]))。  後には、ほかの解釈者たちの説として、統一教会と関連付ける解釈も紹介している。統一教会の指導者サン・ミョン・ムーン(Sun Myung Moon, 文鮮明)は月(Moon)の女神ディアナとの言葉遊びが可能だから、というのがその理由である。ただし、チータム自身は統一教会を「破壊的カルト」(subversive cult)と位置づけ、4行目に描写されているような、人々を重い負担から解放する存在とは対極だとして、その解釈には否定的だった((Cheetham [1990]))。  宗教指導者関連の解釈としては、オショウ・ラジニーシと関連付ける者もいる。彼の本名(ラジニーシ・チャンドラ・モーハン)の最後から二番目、つまりミドルネームはチャンドラ(「月」の意味)で、2行目のディアナと結びつくとされる。後半は1985年にラジニーシが世界各国を回り宣教したことを指すという。こうした解釈は[[ピーター・ローリー]]、[[ジョン・ホーグ]]などが展開した((Hogue [1997/1999], ローリー『ノストラダムス大予言・世紀末への警告』pp.186-192))。  イギリスのダイアナ元皇太子妃が1997年に事故で死ぬと、日本ではそのことを予言していたと解釈する者たちが現れた。[[五島勉]]、[[池田邦吉]]などである。[[武田崇元]]も同種の解釈に言及している。  それらの解釈では2行目の Diane が英語式にはダイアナ(Diana)となることから、ダイアナが安息(=死)の日を迎えることと解釈されるが、ほかの行、特に1行目の理解の仕方はまちまちである。  池田は1行目の「予言者の名前」をノストラダムスのことと理解し、それを音節に分解するとノス・トラ・ダム・スになると主張し、その最後から2番目 damu を dame(貴婦人)として、イギリス女王エリザベス2世に結びつけた((池田『ノストラダムスの預言書・解読I』pp.73-76, 同『解読III』pp.284-286))。  五島勉はノストラダムスが宮廷で王妃カトリーヌに仕えていたときに「王国を乗っ取ろうとする陰謀家」だと陰口を叩かれていたとして、その最後から2番目(=語尾を除いたもの)である「王国を乗っ取ろうとする陰謀」を指しているとした((五島『ノストラダムスの大予言・最終解答編』pp.75-80))。  武田は「予言者」がムハンマドを指し、ダイアナの交際相手ドディ・アルファイドの父である富豪ムハンマド・アルファイドにつながるという解釈を紹介した(ただし、武田は懐疑的なコメントもつけている)((武田「ノストラダムスの背後に広がるヨーロッパの闇」(『時の旅人ノストラダムス』巻末解説)))。 **懐疑的な視点  シャヴィニーの解釈について。面白い解釈ではあるが、ヘブライ原典であれギリシャ語訳であれミカ書が最後から二番目に来ることはないようである((cf. 『十二小預言書・下』岩波文庫所収の関根正雄による解説))。ちなみに十二小預言の最後から二番目はゼカリヤ書である。  池田の読み方は「音節の区切り方」ではない。単純な音節の区切り方なら、エドガー・レオニのように da が最後から二番目になる。Dame を引き出したいのなら、「意味のまとまり」の最後から二番目とでもすべきであろう。それならば Nostra-Dam(e)-us と区切ることができる。同じ指摘は後述のブライラーの解釈にも当てはまる。  五島の主張は、ノストラダムスが宮廷に出仕していた時期自体が存在しないため、論外である。当然「王国を乗っ取ろうとする陰謀家」などという渾名は五島が勝手につけたものとしか考えられず、そのようなご都合主義的な渾名に立脚した解釈は正当性を持ちえないだろう。  武田が紹介した解釈は、彼自身が冷静に指摘しているように、ムハンマド・アルファイドの子供の中で、ドディが最後から二番目に当たるわけではなく、結びつけるのは難しい。 *同時代的な視点  [[エヴリット・ブライラー]]は、1行目をノストラダムスの音節の最後から二番目つまり dam か、ノートルダム(Nostredame)の最後から二文字目つまり m のどちらかを意味していると考え、(dam ならば AdM とアナグラムして)当時の大元帥アンヌ・ド・モンモランシーのイニシャルと解釈した。そして、Diane はそのまま時の寵姫ディアーヌ・ド・ポワチエ(Diane de Poitiers)と解釈した。当時の宮廷ではディアーヌとエタンプ夫人が対立していたが、モンモランシーはディアーヌの側についていた。  後半はモンモランシーが1548年の反塩税一揆の際に鎮圧軍の指揮官として多くの蜂起民を虐殺し、死によって重税の苦しみから「解放」したことを指すとした((LeVert [1979]))。  [[ピエール・ブランダムール]]は、他の詩にも登場する木曜日を祝日とする者に関する予言と解釈している。当時プロテスタントがそのような偏見で見られていたことから、この木曜日を祝日とする人物はプロテスタントに対する偏見から生まれたモチーフともされる。  3行目にあるようにここで描写されている人物は譫妄状態にある狂人だが、予言者の仲間に入れられている。これは古来、キケロなどによって譫妄と予言能力が結び付けられてきたことを踏まえているらしい。  4行目は唐突なようだが、プロテスタントがしばしば重税に苦しむ農民たちの運動などと結びついていたことなどと関連付けている((Brind'Amour [1996], 高田・伊藤 [1999]))。 ---- #comment
*原文 Le penultime&sup(){1} du surnom&sup(){2} du prophete&sup(){3} Prendra Diane&sup(){4} pour son iour & repos: Loing&sup(){5} vaguera par frenetique&sup(){6} teste, Et&sup(){7} deliurant vn grand peuple d'impos&sup(){8}. **異文 (1) penultime 1555 1589PV 1840 : penultiue 1649Ca 1792Du, penultiesme &italic(){T.A.Eds.} (2) du surnom : du sur nom 1650Le, de Surnom 1672 (3) du prophete : du Prophete 1588-89 1594JF 1600 1610 1611B 1627 1644 1650Ri 1660 1716 1772Ri, de prophete 1650Le 1653 1665 1668 1792Du, de Prophete 1605 1628 1649Xa 1672 (4) Diane : [[Dial]] &italic(){conj.(PB)} (5) Loing : LOIN 1594JF (6) frenetique : frenatique 1590Ro, ferentique 1594JF, Frenetique 1672 (7) Et : En 1594JF 1660 (8) d'impos : d'imposts 1649Ca 1650Le 1668 1792Du, d'Impos 1672 (注記)1792Du は1792年ヴァン・デュレン版の異文。 **校訂  1行目 penultime は penultiesme(pénultième)の方が良い。  2行目 Diane を [[Dial]] とするかは難しいところである。[[ブリューノ・プテ=ジラール]]は支持しているが、[[ピーター・ラメジャラー]]は疑問符つきで言及するにとどまる。他の詩との関連で言うならば、[[ピエール・ブランダムール]]の推察は十分に根拠がある。  4行目 impos は imposts と同じことである。 *日本語訳 予言者の異名をとる最後から二番目の者が、 ユピテルの日を自分の安息日とするだろう。 譫妄〔せんもう〕の頭で遠くへと彷徨し、 多くの人々を租税から解放するだろう。 **訳について  詩の意味が確定していないだけに1行目の訳が難しい。「予言者と呼ばれる人々の中の最後から二番目の人物」とも読めるし、「ある特定の予言者名の綴りの最後から二番目の音節」(が暗示する人物)とも読める。[[エヴリット・ブライラー]]などは後者の意味にとっているが、ここでは[[ピエール・ブランダムール]]、[[高田勇]]・[[伊藤進]]らの読み方に従い、前者の意味にとった。  2行目の直訳は「ディアナの日(=月曜日)を自分の安息日とするだろう」となるが、ここではブランダムールの校訂を受け入れた。  3行目 frenetique(狂躁の、熱狂的な)に「譫妄」という訳語をあてたのは高田勇・伊藤進の訳を参照したものである。  さて、既存の全訳本についてだが、山根訳は特に問題はない。その4行目「大いなる国民を従属から解放するだろう」は当「大事典」の訳と異なるが、un grand peuple は「多くの人々」とも「偉大な人々」とも訳せるので誤りではない。「多くの人々」と訳したのは、ブランダムールや高田・伊藤の読み方を踏まえたもの。  大乗訳の場合、3行目以外は誤訳。1、2行目「予言者の異名の末尾は/安息日のためダイアナと呼ばれ」((大乗 [1975] p.78. 以下、この詩の引用は同じページから。))は、[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳 The last but one, of the surname of Prophet, / Shall take Diana for his day and his rest,((Roberts [1949] p.52.))の last but one(最後から二番目)や take...for(~を~と見なす)を正しく把握しないまま訳し間違えたのだろう。ロバーツは詩に添えた解説でも、その人物が月曜日を安息日にするという趣旨のことをきちんと述べているのだが、日本語版ではこの解説の訳もまるで意味不明のものになってしまっている。  それに比べれば4行目の「そしてあざむきから人々を救うだろう」はささいな誤訳だが、impos(impôts)を「あざむき」と訳すのには無理がある。ロバーツが英訳に使った impositions は確かにそうも訳せるが、フランス語の impôts には当時も今もそんな意味はなく、重訳が招いた誤訳のひとつといえるだろう。なお、un grand peuple を「人々」と訳すのも、grand のニュアンスが含まれていないので不適切だろう。 *信奉者側の見解  [[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]は1567年の政治情勢と解釈した。  彼は「予言者の異名を取る最後から二番目の者」を旧約聖書に出てくる十二小預言者の一人ミカ(Michaeas)と捉え、それを宰相ミシェル・ド・ロピタル(Michel de l'Hospital)と関連付け、彼が王太后(une grande dame)や王妃(princesse)に重用されていた事を指すとした。シャヴィニーは王妃のことが Diane と表現されているというが、根拠は示していない。  さらに、3行目 LOIN をルイ(ロワ)・ド・ブルボン(Loys de Bourbon)と関連づけ、彼が重税に苦しむ人々の税を軽減すべきと国王に進言したことと解釈した((Chavigny [1594] p.166))。  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、月曜日を安息日とし、人々に一切税を払わせないように扇動する偽預言者について書かれたものと解釈した。ちなみに、この解釈は[[ヘンリー・C・ロバーツ]]がほぼそのまま引き写すことになる((Garencieres [1672], Roberts [1949]))。  [[アンドレ・ラモン]]は、月曜日を安息日としてパレスティナでユダヤ人を導くことになる新しいユダヤ人指導者の出現を預言していると解釈した((Lamont [1943] p.310))。  [[エリカ・チータム]]はムハンマド(Ma-ho-met / Mu-ham-med)ないしノストラダムス(Nos-tra-da-mus)の名前の最後から二番目の音節、つまり ho, ham, da で始まる名前を暗示しているのではないかとしていたが、この解釈は[[エドガー・レオニ]]の読み方をそのまま剽窃したにすぎない。日本語版では、イランのルホラ・ホメイニと関連付ける解釈に差し替えられている((Cheetham [1973], チータム [1988]))。  後には、ほかの解釈者たちの説として、統一教会と関連付ける解釈も紹介している。統一教会の指導者サン・ミョン・ムーン(Sun Myung Moon, 文鮮明)は月(Moon)の女神ディアナとの言葉遊びが可能だから、というのがその理由である。ただし、チータム自身は統一教会を「破壊的カルト」(subversive cult)と位置づけ、4行目に描写されているような、人々を重い負担から解放する存在とは対極だとして、その解釈には否定的だった((Cheetham [1990]))。  宗教指導者関連の解釈としては、オショウ・ラジニーシと関連付ける者もいる。彼の本名(ラジニーシ・チャンドラ・モーハン)の最後から二番目、つまりミドルネームはチャンドラ(「月」の意味)で、2行目のディアナと結びつくとされる。後半は1985年にラジニーシが世界各国を回り宣教したことを指すという。こうした解釈は[[ピーター・ローリー]]、[[ジョン・ホーグ]]などが展開した((Hogue [1997/1999], ローリー『ノストラダムス大予言・世紀末への警告』pp.186-192))。  イギリスのダイアナ元皇太子妃が1997年に事故で死ぬと、日本ではそのことを予言していたと解釈する者たちが現れた。[[五島勉]]、[[池田邦吉]]などである。[[武田崇元]]も同種の解釈に言及している。  それらの解釈では2行目の Diane が英語式にはダイアナ(Diana)となることから、ダイアナが安息(=死)の日を迎えることと解釈されるが、ほかの行、特に1行目の理解の仕方はまちまちである。  池田は1行目の「予言者の名前」をノストラダムスのことと理解し、それを音節に分解するとノス・トラ・ダム・スになると主張し、その最後から2番目 damu を dame(貴婦人)として、イギリス女王エリザベス2世に結びつけた((池田『ノストラダムスの預言書・解読I』pp.73-76, 同『解読III』pp.284-286))。  五島勉はノストラダムスが宮廷で王妃カトリーヌに仕えていたときに「王国を乗っ取ろうとする陰謀家」だと陰口を叩かれていたとして、その最後から2番目(=語尾を除いたもの)である「王国を乗っ取ろうとする陰謀」を指しているとした((五島『ノストラダムスの大予言・最終解答編』pp.75-80))。  武田は「予言者」がムハンマドを指し、ダイアナの交際相手ドディ・アルファイドの父である富豪ムハンマド・アルファイドにつながるという解釈を紹介した(ただし、武田は懐疑的なコメントもつけている)((武田「ノストラダムスの背後に広がるヨーロッパの闇」(『時の旅人ノストラダムス』巻末解説)))。 **懐疑的な視点  シャヴィニーの解釈について。面白い解釈ではあるが、ヘブライ原典であれギリシャ語訳であれミカ書が最後から二番目に来ることはないようである((cf. 『十二小預言書・下』岩波文庫所収の関根正雄による解説))。ちなみに十二小預言の最後から二番目はゼカリヤ書である。  池田の読み方は「音節の区切り方」ではない。単純な音節の区切り方なら、エドガー・レオニのように da が最後から二番目になる。Dame を引き出したいのなら、「意味のまとまり」の最後から二番目とでもすべきであろう。それならば Nostra-Dam(e)-us と区切ることができる。同じ指摘は後述のブライラーの解釈にも当てはまる。  五島の主張は、ノストラダムスが宮廷に出仕していた時期自体が存在しないため、論外である。当然「王国を乗っ取ろうとする陰謀家」などという渾名は五島が勝手につけたものとしか考えられず、そのようなご都合主義的な渾名に立脚した解釈は正当性を持ちえないだろう。  武田が紹介した解釈は、彼自身が冷静に指摘しているように、ムハンマド・アルファイドの子供の中で、ドディが最後から二番目に当たるわけではなく、結びつけるのは難しい。 *同時代的な視点  [[エヴリット・ブライラー]]は、1行目をノストラダムスの音節の最後から二番目つまり dam か、ノートルダム(Nostredame)の最後から二文字目つまり m のどちらかを意味していると考え、(dam ならば AdM とアナグラムして)当時の大元帥アンヌ・ド・モンモランシーのイニシャルと解釈した。そして、Diane はそのまま時の寵姫ディアーヌ・ド・ポワチエ(Diane de Poitiers)と解釈した。当時の宮廷ではディアーヌとエタンプ夫人が対立していたが、モンモランシーはディアーヌの側についていた。  後半はモンモランシーが1548年の反塩税一揆の際に鎮圧軍の指揮官として多くの蜂起民を虐殺し、死によって重税の苦しみから「解放」したことを指すとした((LeVert [1979]))。  [[ピエール・ブランダムール]]は、他の詩にも登場する木曜日を祝日とする者に関する予言と解釈している。当時プロテスタントがそのような偏見で見られていたことから、この木曜日を祝日とする人物はプロテスタントに対する偏見から生まれたモチーフともされる。  3行目にあるようにここで描写されている人物は譫妄状態にある狂人だが、予言者の仲間に入れられている。これは古来、キケロなどによって譫妄と予言能力が結び付けられてきたことを踏まえているらしい。  4行目は唐突なようだが、プロテスタントがしばしば重税に苦しむ農民たちの運動などと結びついていたことなどと関連付けている((Brind'Amour [1996], 高田・伊藤 [1999]))。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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