刊行年の記載はないので、推測するほかはないが、論者によってまちまちである。
19世紀にはフランス帝国図書館(現・国立図書館)に所蔵されていた Chez の版を利用したアナトール・ル・ペルチエが、そこに書き込まれていた手書きの年代(上掲の画像参照)をもとに、第一部を1558年、第二部を1566年の刊行と推測した(*3)。
20世紀以降でもシャルル・レノー=プランス、ヴライク・イオネスク、竹本忠雄など、ル・ペルチエの見解を引き継いだ者たちはいるが(*4)、不適切である。ピエール・リゴーは1600年ごろから自身の出版活動を本格化させており、1566年の時点では生まれていないか、かなり幼かった。
実証的な年代推定はカール・フォン・クリンコフシュトレム(1913年)を嚆矢とする。彼はル・ペルチエ同様 Chez のみ認識していたが、それについて1601年から1608年の間でおそらく1605年頃としていた(*5)。
エドガー・レオニは Par のみに言及しており、1580~1625年の間でおそらく1601~1605年頃としていた。ただし、彼の場合、その所蔵先をフランス国立図書館としていたことから、Chez と混同していた可能性もある(*6)。
ダニエル・ルソは PAR を1604年頃、Par を1608年頃、Chez を1614年より前で1611年頃としていた(*7)。
ミシェル・ショマラは PAR を1604年頃、Par と Chez は1610年頃とした(*8)。
ロベール・ブナズラは全て1600年頃として扱っている(*9)。
パトリス・ギナール(未作成)は PAR を1601年頃、Par を1603年頃、Chez を1606年頃とした(*10)。
諸論者に細かな違いはあるが、1600年頃から1610年頃に PAR, Par, Chez の順に出されたらしいということはいえるだろう。