原文
Faulx a
1 l'estang
2 ioinct
3 vers le
4 Sagitaire
En
5 son hault
6 AVGE7 de l'exaltation
8,
Peste, famine
9, mort de main militaire
10:
Le siecle
11 approche
12 de renouation.
異文
(1) a 1555 : à T.A.Eds. (sauf : â 1716PRa)
(2) l'estang : l'estan 1557B, l'estrang 1588-89, lestang 1590Ro, l'Estang 1594JF 1605sn 1649Xa 1672Ga, l’estranger 1612Me, lE'stang 1628dR
(3) ioinct : ioincte 1611A 1611B 1981EB
(4) le : la 1672Ga
(5) En : Et 1557B 1627Ma 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba
(6) hault : heut 1653AB, heur 1665Ba
(7) AVGE : Ange 1588-89, Auge 1589PV 1590Ro 1612Me 1667Wi 1672Ga, auge 1590SJ 1594JF 1605sn 1628dR 1649Ca 1649Xa 1650Le 1668
(8) de l'exaltation : & exaltation 1594JF 1605sn 1628dR 1649Xa, de l'Exaltation 1672Ga
(9) famine : Famine 1672Ga
(10) militaire : Militaire 1672Ga
(11) siecle : Siecle 1590SJ 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668 1672Ga
(12) approche : approcher 1589PV 1590SJ 1649Ca 1650Le 1668 1672Ga
(注記)1597Brは比較できず
校訂
日本語訳
鎌が人馬宮の辺りで錫と結びつく、
その昂揚の高い遠点において。
悪疫、飢餓、軍の手による死。
時代は刷新に近づく。
訳について
AVGEを「遠点」としたのは、「遠日点」「遠地点」のいずれなのかについて、実証的な論者の間でも見解が分かれていることから、どちらとも取れるようにするためである。
既存の訳についてコメントしておく。
大乗訳はまず区切り方がおかしい。最初の3行「魚のいる池は干あがり/射手座が天にのぼるとき/それは栄えある高貴な飼い葉桶のようで」にはいくつもの問題が含まれている。
estang を伝統的な読みどおり「池」と訳すのは許容範囲内だが、「干あがり」は誤訳。
ヘンリー・C・ロバーツの前半の英訳 When a fish pond that was a meadow shall be mowed, / Sagittarius being in the ascendant を訳そうとしたのだと思われるが、その英訳自体が原文にない言葉を付け加えている一方で言葉を省きまくっていて問題がある(ロバーツの訳は、原文から想像を膨らませた
ガランシエールの解釈を大幅に取り込んでいるために、そんな訳になっている)。
ロバーツは2行目の auge を ascendant と解釈したガランシエールの読み方を踏まえたので上のような訳になっているが、大乗訳はなぜかそれと重複して auge を「飼い葉桶」の意味でも訳出しようとしたために、1行分多くなっている。
その結果、4行目は「ペスト 飢きん 戦いによる死によって 新しき時代の近きを告げる」と、原文の3、4行目を無理に1行にまとめる形になってしまった。ちなみに、その訳は少々言葉を補いすぎに思える。
山根訳の前半「大鎌がそのもっとも高い星位において/射手座の池と結びつく」は、伝統的な信奉者側の読み方としては標準的なものである。後半も特に問題はない。
五島訳についてもコメントしておく。
1行目「エスタンはむなしくなり、サジテールといっしょになる」は、「むなしくなり」が何を訳したものか不明。後述の
中村惠一の訳にも「むなしい」と出てくるが、Faux は「偽の」とも訳せることから、そこから連想させたものか。
また、Sagitaire の直前に vers (~の方で、~の辺りで)があるので、「サジテールと」とは訳せない。ちなみに、
飛鳥昭雄は「サジュール」という根拠のよく分からない表記を多用しているが、五島訳の「サジテール」を見間違えたのではないだろうか。
同4行目「大いなる世紀があらたまるすぐ前に」は、原文が Le Siecle だからという理由で「大いなる」を付けたとのことだが、不適切である。
信奉者側の見解
従来の信奉者はいずれも estang を「池」と読んでおり、しばしば宝瓶宮と結び付けられた。
ジャン=エメ・ド・シャヴィニー(1594年)は、「鎌」を
土星と解釈し、土星が昂揚するのは天秤宮にある時で1569年と1570年を指し、土星が遠点にあるのは人馬宮においてで1574年と1575年を指し、宝瓶宮にあるのは1580年以降のことを指すとし、神の怒りが示された戦争、飢餓、ペストなどの災厄が年々ひどくなっていくことの予言とした。
ノストラダムスの模倣者であった占星術師
アンベール・ド・ビイイ(未作成)は、1603年12月に、人馬宮で遠点に位置する土星と、人馬宮の支配星である木星が合となることと解釈していた。
テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、「かつて魚のいる池だった牧草地が刈り取られ、人馬宮が auge すなわちアセンダントにあるとき、ペスト、飢餓、戦争が支配し、ある世紀が終わり、別の世紀にあらたまる」と解釈した。「かつて魚のいる池だった牧草地が刈り取られ」というのがどこから出てきた発想なのかよく分からないが、おそらく1行目の「鎌」と「池」から大幅に想像を膨らませた結果なのだろう。前述の通り、この解釈はロバーツの英訳に影響を及ぼした。
アンドレ・ラモン(1943年)は、土星が水の宮である天蠍宮に位置し、人馬宮の方に動く1953年に、第二次世界大戦後の新たな世界的衝突が起こると解釈していた。
ヘンリー・C・ロバーツ(1949年)は「時代(世紀)の刷新」を1999年と解釈し、その年の射手座の時期(11月23日から12月21日)に特にひどい戦争が勃発すると解釈していた。
セルジュ・ユタン(1978年)も似たようなもので、20世紀末に「黙示録の時代」が到来すると解釈していたが、
ボードワン・ボンセルジャンの補注(2002年)では、20世紀末という時期指定が削除された。
五島勉(1973年)も似たような解釈で、20世紀末の数年のうちの射手座の時期に、魚のいる場所が(汚染によって)だめになり、魚が食べられなくなることと、クリスマスの時期(五島は「飼い葉桶」を馬小屋で生まれたイエスの隠喩とした)に3行目に描かれるような戦争や疫病の流行などが起こると解釈した。
飛鳥昭雄(1999年)は、1999年末か2000年末にヨーロッパで起こる大戦争の予言と解釈した。
中村惠一(1982年)は1行目冒頭を「池がむなしい」と訳し、1行目全体として人馬宮に多くの星が集まり、双魚宮に星が全くない状態と見なして、1900年1月1日の星位と解釈した。それを踏まえて中村は、世界大戦などの災厄のあった20世紀全体の傾向に関する予言詩とした。
藤島啓章(1989年)は、「鎌」をソ連の国旗と見なし、ソ連軍が射手座の時期に開始したアフガニスタン侵攻(1979年)と解釈した。
ヴライク・イオネスク(1991年邦訳)は AVGE を VEGA とした上で、前半は土星が宝瓶宮にあって人馬宮の方へと逆行し、なおかつヴェガによって高められている天王星と海王星の合に近づく時と解釈した。彼はこの星位が1991年6月7日のことであるとし、多少の誤差はあるとしてもその時期にソ連が崩壊すると解釈した。
その2年後に出た続巻では日本語版監訳者の
竹本忠雄が、6月12日付けの産経新聞(掲載されている写真では14日)で、ロシア共和国の大統領選挙でエリツィンが大勝し、「連邦解体の序曲」の見出しが躍っていることを紹介し、大的中とした。なお、この解釈はイオネスクの原書初版本(1976年)の時点で示されていたという。
同時代的な視点
ルーサはこう書いている(昂揚、転落はそれぞれ星の影響力が強まったり弱まったりすること)。
"Parquoy semble le Monde finir bien tost, & venir à sa derniere Periode & mette. Car, ceste presente triplicité aquatique terminee (dequoy nous reste seulement, du calcul de ceste presente annee mil cinq cens quarante huict, quatre vingtz quatorze ans) viendra la triplicité du feu : & lors se conjoindront Saturne & Jupiter au Sagittaire, Signe de feu : lequel, comme desja a esté dict, de sa triplicité, est le plus fort : & adonc le pere de corruption, de mort, lamentations, douleurs, angoisses, & perdition, Saturne, au Signe de feu, sera en son auge surhaulsé & exalté, & Jupiter cheu en son detriment, sans aulcune conduicte, &, comme entre les mains de ses ennemis, de tous abandonné : & ne pourront, ne luy, ne les aultres Planetes, mitiguer ne reprimer la malice & facherie dudict Saturne. Parquoy pestilence, famine, & toutes sortes de corruptions, tant aux corps que biens, en ce Siecle redonderont. "
「ゆえに世界はほどなくして終わり、その最後の期限が来るようである。というのは、現在の水の
三角宮(の時期)が終わると― 今年1548年の計算では我らに残されているのはわずか94年 ―、火の三角宮(の時期)が来るからである。そして火の三角宮である人馬宮でサトゥルヌス(土星)とユピテル(木星)が合となるだろう。この宮は前述のように火の三角宮のうちで最も強いのである。それゆえに損傷、死、悲嘆、苦痛、煩悶、滅亡の父たるサトゥルヌスは火の三角宮にて遠点にあり、高められ昂揚するであろう。そしてユピテルはいかなる導きもなしに転落し、敵の手の内にあるかのようにすっかり見捨てられ、ユピテルであれ他のいかなる惑星であれ、前述のサトゥルヌスの悪意と敵意を減じることも鎮めることも出来なくなるのである。それによって、疫病、飢餓、そしてあらゆる種類の損傷が、肉体にも財産にも、この時代のうちに畳み掛けられるであろう。」
大まかなモチーフには明らかな一致が見られ、ルーサの見解を下敷きに1641年の合がペストや戦争を予告することを描いたものとされる。
4行目については実証的な論者の間で踏み込んだ見解が見られず、今ひとつはっきりしないが、ルーサが下敷きになっているのだとすれば、ルーサが想定していた「最後の期限」を越えて新しい時代が来ると述べたものかもしれない。
もっともルーサ自身、フランス革命を的中させたとされる予言で知られているように、1640年代初頭に世界が終わると主張していたわけではない。ちなみに、ノストラダムスの「
アンリ2世への手紙」にある「1792年」はルーサらに影響されていると見なされているが、ノストラダムスの『予言集』の中で renovation という語が用いられているのは、「アンリ2世への手紙」のその箇所とこの詩だけである。
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コメントらん
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- 磨羯宮にあった土星が逆行して人馬宮に入って、木星と合になる1782年5月20日 (あるいは土星が24度にあり、木星と会合した1782年1月1日の前後数日) 火星が最も高揚する1781年10月1日頃、アメリカ独立戦争での高揚の頂点(ピーク)で、 ジョージ・ワシントンや軍隊から死(ヨークタウンの戦い)があり 疫病(天然痘)や飢餓があり、その世紀は刷新(フランス革命)に近づく。 -- とある信奉者 (2012-02-20 13:39:22)
- AVGEが大文字で書かれているのは、それがGEorge WAshingtonの省略形アナグラムだから -- とある信奉者 (2012-02-20 13:43:07)
最終更新:2018年06月23日 23:43