borneaux は
詩百篇第9巻14番に一度だけ登場するが、このような語は現代語にも古語にもない (当時、o と ou が交換可能であったことを考慮して bourneaux と見なしたとしても同じである)。版によっては
ボルドー(Bordeaux) と綴られることもあるが、従来の論者たちは以下のような読み方を提示している。
懐疑論者や文学者らの説
- エドガー・レオニは、そういう名前の村がオート=ロワール県にあるとしていた。ただし、DNLFには見当たらない。比較的似た綴りということでは、ヴァンデ県のブルノー (Bourneau)、オート=ロワール県やアルデーシュ県のボルヌ (Borne)、ピレネー=ザトランティック県のブルノ (Bournos, ブルノス) などがある。
- ピーター・ラメジャラーは bourreaux (死刑や拷問の執行吏) と校訂していた。これは murderer と英訳した2010年でも堅持されているようである。
- ジャン=ポール・クレベールは、プロヴァンス語の borno (煙突) からと理解した。リチャード・シーバースの場合、その4行目の英訳 Boiled until the last wisp of smoke expires. からはどのように校訂したのか今ひとつ判然としないが、地名や「処刑者」などの読みに近いようには見えず、煙突に近い理解ではないかとも思える。
信奉者側の説
信奉者側では、
アンリ・トルネ=シャヴィニーの解釈が一定の支持を得た。彼は、この単語が Sept. fum extaint au canon des borneaux. という形で出てきていることと、16世紀後半の地図においてワーテルローが 7 born (Sept Born) と表記されていることとを結びつけた。
アナトール・ル・ペルチエの用語集でも、(トルネ=シャヴィニーへの言及はないが)この解釈が踏襲された。ル・ペルチエはもうひとつ、ラテン語の borinus から 「北の」 という可能性も示していた。
なお、
竹本忠雄は、従来誰一人として解読できなかった borneaux について、古地図を元に Sept-Borneaux という地名と結びつけたのは
ヴライク・イオネスクが最初だと主張した。
しかし、それは、上記のように事実に反している。そして、竹本はル・ペルチエの『
ミシェル・ド・ノートルダム神託集』を持っているどころか、それをテクストの底本としているとまで主張していたのだから、その巻末用語集を確認したことがないとは思えない。ゆえに、当然、ル・ペルチエの用語集にも出ていることは知っていたはずであろう。
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- bourreaux 死刑執行人の複数形 -- とある信奉者 (2019-08-13 06:57:53)
最終更新:2019年08月13日 06:57