百詩篇第7巻6番


原文

Naples, Palerme1, & toute la Secille2,
Par main barbare3 sera inhabitee,
Corsicque4, Salerne & de Sardeigne5 l’isle6,
Faim peste, guerre fin de7 maulx intẽptee8.

異文

(1) Palerme : Palerne 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1716
(2) Secille : Secile 1557B, Sicille 1600 1610 1627 1650Ri 1716, Cecile 1605 1611A 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668, Cicile 1611B 1981EB, Sicile 1644 1653 1665 1672 1712Guy 1840
(3) barbare : Barbare 1557B 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1672 1716 1840
(4) Corsicque :Corsegue 1712Guy, Corique 1716
(5) Sardeigne : Sardaigne 1557B 1590Ro 1644 1649Xa 1650Ri 1653 1672 1712Guy 1772Ri 1840, Sardigne 1627
(6) l’isle1557U 1557B 1568 1590Ro 1772Ri : l’Isle T.A.Eds.
(7) de : des 1665 1840
(8) intẽptee : inteptee 1557B, intemptee 1568, intantée 1590Ro, intentee 1597 1600 1610 1611 1627 1650Ri 1981EB, intemptée 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1672 1772Ri, intentée 1644 1650Le 1653 1665 1668 1712Guy 1716 1840

(注記)4行目intempteeは、1557Bの異文との関係に示唆を与えるように思えたため、原文通りの表記 (intẽptee) とした。

日本語訳

ナポリパレルモシチリア全体が、
バルバロイの手によって無人になるだろう。
コルシカサレルノサルデーニャの島では、
飢餓、悪疫、戦争が。災厄の終焉が求められる。

訳について

 比較的平易な詩であり、読み方が分かれるとすれば4行目くらいだろう。

 ピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースは、guerre を guère (ほとんど~ない) と同一視した上で後ろに係らせ、「飢餓と悪疫。終わりのない災厄が地に広がる」 というような読み方をしている。
 しかし、ここではエドガー・レオニマリニー・ローズジャン=ポール・クレベールらの読み方のように guerre までで区切った。前半律 (最初の4音節) はそこまでなので、この区切り方は妥当なように思われる。また、ノストラダムスにとって(そして同時代の他の知識人にとって)飢餓、悪疫、戦争は災厄の三要素として実によく知られていた*1ことを考えるならば、意味の面からもレオニやローズの方が妥当に思える。

 intempteeには複数の読み方がありうる。ここではクレベールの読み方に従った。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 4行目 「疫病 飢きん 戦い そしてはてしない悪があるだろう」*2は、後半、特に intemptee をどう扱ったのかがよく分からない。

 山根訳について。
 4行目 「飢餓 悪疫 戦争 広汎な悪の終息」*3は、「広汎な」がintempteeに対応しているのは分かるが、性・数の一致からすれば、それは「悪」ではなく「終息」に係っている。山根の訳文でもそのつもりで訳出されているのかもしれないが、やや分かりづらいのではないだろうか。

信奉者側の解釈

 テオフィル・ド・ガランシエールは地名の解説をした上で、「読者は残りを容易に解釈することだろう」としか述べていなかった*4
 バルタザール・ギノーも、詩の情景をほとんどそのまま敷衍したような解釈しかつけていなかった*5。それは匿名の解釈書『暴かれた未来』(1800年)での扱いも同様だった*6

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)は近未来に起こるイスラム勢力との戦争の一場面と解釈し*7、息子のジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌも踏襲した*8

 第二次世界大戦中に解釈したアンドレ・ラモンロルフ・ボズウェルは、どちらもその大戦中のイタリア情勢と解釈した*9
 戦後もヘンリー・C・ロバーツセルジュ・ユタンらが第二次大戦中のイタリアと解釈した*10

 エリカ・チータムはノストラダムスがこの詩を書いた前後の時代には、海賊が地中海沿岸を荒らすことは頻繁に起こっており、過去を描写した可能性もあるとコメントしていた*11。チータムのコメントは、明らかに後述のエドガー・レオニの解釈をアレンジしている。

同時代的な視点

 エドガー・レオニは16世紀に多く見られた海賊行為によって、部分的に成就しているとした*12

 ピーター・ラメジャラーは南イタリアなどがイスラーム勢力によって荒らされていた当時の情勢と、『ミラビリス・リベル』に描かれた予言とが重ね合わされていると解釈した*13

 モチーフは詩百篇第2巻4番とも、ある程度共通しているように思われる。そちらの詩についての高田勇伊藤進のコメントをここでも部分的に引用しておく。
 「一五四三年に、海賊バルバロス(バルバロッサとも)率いるトルコ艦隊は」「カラブリア、サルデーニャ、コルシカ、ナポリの海岸を掠奪していった。プロヴァンスの海岸で越冬した艦隊は、帰途もプーリア地方や南イタリアの多くの村を掠奪し、その住民を奴隷にした」*14

 ただし、第2巻4番と違い、この詩にはまた戦争、悪疫、飢餓という災厄の三要素が登場している。

【画像】 関連地図。ナポリに比較的近いサレルノは割愛。


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最終更新:2021年09月29日 01:59

*1 高田・伊藤 [1999] pp.81-82, 118-121

*2 大乗 [1975] p.203

*3 山根 [1988] p.243

*4 Garencieres [1672]

*5 Guynaud [1712] pp.273-274

*6 L'Avenir..., p.15

*7 Fontbrune (1938)[1939] p.240

*8 Fontbrune (1980)[1982], Fontbrune [2006] p.474

*9 Lamont [1943] p.193, Boswell [1943] p.275

*10 Roberts (1947)[1949], Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]

*11 Cheetham [1973]

*12 Leoni [1961]

*13 Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]

*14 高田・伊藤 [1999] p.115