概要
アンリ・ボードリエは、これを言葉どおりに受け止めて、1555年にアヴィニョンでも予言集が出版されたと見なしたが、クリンコフシュトレムはルーの出版事業開始が1557年であることを指摘した。この点はアヴィニョンの出版業史をまとめたピエール・パンシエの研究書でも裏付けとなる史料とともに追認されており、パンシエがまとめたルーに関する書誌には、1555年版の予言集は含まれていない。
20世紀後半以降では、1555年にアヴィニョンでも予言集が出版されたと見なす論者は、その出版業者に
バルテルミー・ボノム(未作成)を想定することがある。バルテルミーは正規の『予言集』初版を出版した
マセ・ボノム(未作成)の弟で、兄の協力を受ける形で1553年から1556年にアヴィニョンで出版事業を営んでいたからである。
アヴィニョン版の特色
アヴィニョン版の実在が議論の対象になるのは、それを基にしたと主張する1590年アントウェルペン版や、類似の系統とされる
1589年ルーアン版などが、他の多くの版と異なる特色を備えているからである。
タイトル自体が異なっていることもそうだが、序文の日付が「1555年6月22日」になっていることなどもそうである。これについてブランダムールは、ボノム版での日付「3月1日」は土星が白羊宮に入った時に合わせたものであったはずなのに対し、「6月22日」は夏至に合わせたものだろうという。その一方で、彼は、その日付が夏至として意味を持つのはグレゴリオ暦導入後(ノストラダムスの死後16年後)であることも指摘している。この指摘が正しいのなら、仮にルーが出版していたとしても、偽年代版であった可能性が浮上する。
最終更新:2009年10月09日 23:03