予兆詩第96番

予兆詩第96番(旧86番) 1563年7月について

原文

De quel, non mal,1 inexcusable suite.
Le feu, non dueil2, le Legat hors confus.
Au plus blessé ne sera faite luite.
La fin de Juin3 le fil coupé du fus. *1

異文

(1) non mal, 1563Ro : non mal ? T.A.Eds.
(2) dueil 1563Ro : deul 1594JF 1628 1649Ca 1650Le, duel 1605 1649Xa 1668
(3) Juin : Iuing 1563Ro, Iun 1594JF

(注記)1563Roは『1563年向けの暦』の異文。ただし、ここではオリジナルではなく1905年の復刻版を利用している。1589Rec はジャン=エメ・ド・シャヴィニーの手稿『散文予兆集成』の異文。

日本語訳

悪くないものによる許せない結末。
火、愁嘆はなく、教皇特使は外で困惑する。
一番傷ついた者に戦いが仕掛けられることはないだろう。
六月の終わり、糸は木で切られる。

信奉者側の見解

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニーは、1563年6月の状況に当てはめた。前半はカトリックもプロテスタントも災いのことを話題にするなかで、フランスからローマに派遣された教皇特使が1563年の様々な変化に戸惑ったことを描写しているという。
 後半について、「一番傷ついた者」は集合的に「民衆」(le peuple)を指し、1563年3月の和解王令で終結した第一次ユグノー戦争の後、散発的に続いていた戦いも6月を以って終わったことと解釈した*2

 ピエール・ヴァンサンチ・ピオブ(未作成)は、1791年6月のヴァレンヌ逃亡事件と解釈したらしい*3

 加治木義博は「死のちょうど三年前、一五六三年七月に『暦(アルマナ)』に書いた六行詩には、「六月一ぱいの命」と書いた*4と主張しており、ノストラダムス自身の死が予言されていると捉えていた。

懐疑的な見解

 加治木はこの詩を六行詩と誤って紹介している(1567年11月向けの予兆詩に至ってはわざわざ6行に分けて訳しているので、これは誤植ではない)。そのため、彼はオリジナルを読んだのではなく、誰か別の解釈者の見解を転用したのだろうと推測できる。ただし、その出典はよく分からない。

 確かに「糸が切られる」という言葉は命が終わる比喩と解釈することも可能である。ただし、ノストラダムスが死んだのは7月2日未明、つまり「7月の初め」であって「6月の終わり」ではない。「6月いっぱい」という曖昧な訳し方をすれば当たっているようにも見えるが、原文に忠実に訳せば時期がずれている。


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最終更新:2010年04月05日 22:59

*1 原文は Chevignard [1999] p.160 による。

*2 Chavigny [1594] p.128

*3 Chevignard [1999]

*4 加治木『真説ノストラダムスの大予言2』pp.104-105