1558年向けの暦書はルーアンでも出版された可能性がある。ジョルジュ・ルプルーの『ガリア・テュポグラピカ』によれば、1557年10月30日にルーアン高等法院が、
ジョルジュ・ロワズレ(未作成)、
トマ・マラール(未作成)、
ラウラン・ブランク(未作成)という三人の業者に、「プロヴァンス州サロンの医学博士ミシェル・ド・ノストラダムスによる、いくつかの1558年向けの占筮・暦および予兆 」(certaine pronostication, almanach et présages pour l'année 1558, le tout composé par Michel de Nostradamus, docteur en médecine, de Salon, en Provence)に印刷許可を与えたという)。
定冠詞をつけず「いくつかの」(certaine)としている点や、現存している『1557年向けの暦』『1557年向けの予兆』『1557年向けの占筮』は同じような書式でまとめて特認が出されていることを踏まえると、ルーアンで『1558年向けの占筮』『1558年向けの暦』『1558年向けの予兆』の3つが出版された可能性がある。ただし、ルプルーが見つけ出した特認記録以外に、これらの文献の存在を示唆する資料は確認できない。
最終更新:2010年04月12日 22:31