Ein Erschrecklich und Wunderbarlich zeychen

 『受難の主日にあたる3月10日土曜日の7時から8時の間に、フランス・サロンの町で多くの人に目撃された恐るべき驚異の光景』(Ein Erschrecklich und Wunderbarlich zeychen...)は、1554年頃に出版された片面刷り1ページの文献である。
 ノストラダムスが表題にある天体現象について、タンド伯クロード・ド・サヴォワに報告した書簡のドイツ語訳とされる。ニュルンベルクのヨアヒム・へラーによって翻訳・出版された。

【画像】『恐るべき驚異の光景』*1

正式名

  • Ein Erschrecklich und Wunderbarlich zeychen, so am Sambstag fur Jüdica den zehenden tag Martij zwischen siben und acht uhrn in der Stadt Schalon in Franckreych, von vielen leuten geseehen worden
  • 受難の主日にあたる3月10日土曜日の7時から8時の間に、フランス・サロンの町で多くの人に目撃された恐るべき驚異の光景

内容

 ドイツ語で書かれた書簡体の報告書である。オリジナルのフランス語書簡は確認されていないが、ノストラダムス本人のものと見なされている。
 表題にある天体現象は彗星もしくは流星の目撃談であったとされる。ノストラダムスはそれについて、燃える松明のようで銀色の火花をたなびかせ、あたかも天の川のようだった、そしてその星は東から西に流れていたが、クロー平野のアルル付近に差し掛かる前に南に方向を転じ、マルセイユなどでも目撃されたと述べている。
 ノストラダムスはこの星がエクス=アン=プロヴァンス近郊のサント=ヴィクトワール山から発したと考え、3月14日にはエクスに赴き、住民達に話を聞いたという。その結果は芳しくなかったが、地元の有力者から聞いた話を元に、サント=ヴィクトワール山から2リューの場所で出現したと結論付けた。
 その2日後にはサン=シャマで理髪業を営む男性からも話を聞き、そこではスペイン方面の海に伸びる虹のようだったという証言を得た。
 ノストラダムスはそうした証言や推論を踏まえ、この彗星はプロヴァンスや他の沿岸地域に訪れる様々な災厄の前兆であろうと読み解き、災厄の例として飢饉、戦争、火災、ペストなどを列挙している*2

 末尾の日付は1554年3月19日となっている。

 なお、木版画ではあたかも三日月から燃える矢が放たれたように描写されているが、本文にそのような記述はない。パトリス・ギナール(未作成)は木版画を作成した職人による独自の脚色だろうとしている。

その他

 ギナールは細かい綴りの違いなどを元に、少なくとも3つの異なる版が存在していることを指摘している。

所蔵先

  • 大英図書館、バンベルクの図書館(Bamberg SB)、ニュルンベルクの図書館(Nüremberg GM)、チューリヒの図書館(Zürich ZB)
    • 所蔵先の情報は Chomarat [1989] no.4 によるが、略号が何を意味するのかが示されていないため、大英図書館以外の所蔵先の正式名は分からない(バンベルクは州立図書館であろう)。

その他

 並木伸一郎 『完全版 世界のUFO現象FILE』(学研パブリッシング、2011年) では、「ノストラダムスとUFO」という項目(p.229)が、この瓦版の説明になっており、轟音を発する巨大な矢の形状をしていたということから、UFOや未知の兵器だったのではないかとしている。

 しかし、上に述べたように、本文中に巨大な矢の形状などという描写はなく、版画だけからの憶測で書いていることが明らかであろう。なお、その出来事のあった日付を「1554年2月1日」としており、月も日も誤っている。


【画像】『完全版 世界のUFO現象FILE』


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最終更新:2013年08月30日 21:55

*1 画像の出典:http://www.propheties.it/

*2 以上の要約については、パトリス・ギナールによる現代仏語訳を参照させていただいた。ギナールの二次著作権に配慮し、当「大事典」で全訳を紹介することはしない。