真言宗
(1)
空海を開祖とする。東寺を根本道場としたため、『台密』(
天台宗の密教)に対して『東密』とも呼ばれる。現世利益を目的とした加持祈祷が多く知られるが、『即身成仏(この世で生きながらにして悟りを得る)』ことを根本として掲げている。
真言宗には二つの流儀が存在し、実践派を説く『小野流』と教儀・儀記を重んじる『広沢流』とに別れる。小野流は根本道場が京都の小野の地にあり、広沢流は広沢の池近くに根本道場が置かれた。小野流の代表として『醍醐寺』『随心院』『勧修寺』『安祥寺』などが挙げられ(『醍醐寺』を抜いた三つの本山を小野流と呼ぶ場合もある)、『仁和寺』『大覚寺』が広沢流の代表として挙げられる。
ちなみに『東寺』はどちらの流派も共存しており、一月に行われる後七日御修法は『仁和寺』に伝わる流儀、もしくは『勧修寺』に伝わる流儀で行われる。
高野山はどちらにも属しない。
上に挙げた流儀を『古義真言宗』とよび、後に
覚鑁が拓いた流儀を『真義真言宗』と呼ぶ。
『真義真言宗』は『智山派』と『豊山派』とに分かれている。
また既に失伝しているが、『邪教』として知られる
真言立川流というものもある。過去には立川流以外でも『邪教』とされた流儀がある(天王寺邪流など)が、それらは現在では全て失伝している。
○四国八十八カ所廻り
空海が若かりし頃、修業した霊山や聖地を巡回すること。俗説では発祥を、右衛門三郎とする。
強欲でケチだった右衛門三郎のもとを、みすぼらしい出で立ちの僧が訪ね托鉢をしていた。右衛門三郎は激怒し、僧の托鉢用の鉢を八つにたたき割り、その僧を追い返すと、右衛門三郎の子供八人が八日間の間に次々と亡くなった。驚いた右衛門三郎は懺悔し、追い返した僧を追い、四国を順廻り(反時計回り)に二十回廻ったが、それでも僧と会う事が出来なかった。そこで、反対廻りに廻りきったところ、あの時の僧(
空海)が現れ、右衛門三郎に「この四国巡礼の旅で受けた功徳で、あなたの罪障は消滅しました。終わった印に何か願いを叶えよう」と言い、右衛門三郎は「生まれ変わったら、金持ちになりたい」と僧に頼むと、僧は小石を拾い「右衛門三郎再来」と書き、右衛門三郎に渡すと、右衛門三郎は安らかになくなったという。
後、河野家と言う大名のもとに生まれた子供が、その石を握って生まれたという。
参考
ナツメ社 図解雑学『空海』
松長有慶著 『密教とコスモポリタン』
最終更新:2008年04月15日 21:55