【名前】北代夏緒(きたしろ なお)
【容姿】157cm、黒髪セミロング(内はね)
【所属】中日(1994~2006) →中日投手コーチ(2007~11)→四国二軍投手コーチ(13~)
【利き腕】 左投げ左打ち
【守備位置】投手(中継ぎ・抑え)
【能力】フォーム:サイドスロー15 セットポジション グラブ顔
【背番号】73→47(現役時代)→87(中日コーチ時代)→81(四国コーチ)
【年齢】45(1975年8月17日生まれ)
【球歴】大府高等学校
【性格】妥協しない(オフは選手と談笑する姿が見られる)
【その他】
活躍しだしたのは背番号が47になってからだが、入団時の背番号は73
選手時代はとにかく練習の虫といわれるほどの取り組みようで、コーチの誰かがもういいというまで投げ込みなどをこなしていた
子供の頃から負けず嫌いで少しでも上手くなりたい思いから質は大切にしていたが、練習時間も長かった
その性格から延長に入るとたびたび投入され、広島戦では抑えの南条とよく投げ合っていた
一部のファンは接戦をよく抑えていたことから「護衛艦」だと彼女を評した
05年に南条が永川ら若手の台頭を理由に引退を表明してからは「寂しい」と漏らすようになり、自身も翌年引退した
通算登板は300後半で400登板よりは少ない
中日に残り投手コーチをした後、落合監督退任と同時に自らも退任

主に女子投手を育てた功績を買われ、13年に四国から二軍投手コーチを依頼され就任
厳しいと言われることもあるが、どこができていないのか自分で投げながら説明し出来るまで練習させる姿勢は永坂(中日)・滝口(新潟)ら育てた投手たちに慕われる大きな理由となった
伊茶が能力を上げることができているのは、彼女の指導に伊茶が食らいついてそれに応えられているからである
今のところ二軍の投手起用を一任されているが、怪我人が多く一軍に投手を送った結果として能力が伸びた伊茶(スタミナD52)を先発で起用するなど苦しい台所事情が続く
19年は伊茶もシーズンはじめから一軍に帯同したが「社会人経由入団で五年目の選手なのだし最初から一軍帯同は当然のこと」と若手に目を向けていく模様である

三振を奪うピッチングを好み、目前の打者のみと勝負する投手を育てていくことを目標に指導を続ける
教えた投手たちは高速スライダーやカットボールなどを投げる投手が多く、彼女が変わった変化球を教えたがるのではないかと噂されている
永坂のオリジナルシンカーの基礎である高速シンカー・滝口のスクリュー・伊茶のスライダーがそれぞれの持ち球になったのは彼女の指導によるものとされる
四国コーチを受けるシーズン直前に生まれた娘がいるため、コーチとしての指導は春キャンプからとなってしまった

交友関係

中日コーチ時代に高校の同級生だった片山(元四国※)と結婚
※片山の現役当時、四国マリナーズの本拠地は群馬にあり、セ・リーグ球団の1つであった
大西コーチ(現京都コーチ)には3年目の活躍しはじめから指導を受け、選手への接し方などを大いに参考にして自身のコーチの仕事に活かしている
今も親しくしてもらっており、大西からは「ナツ」と呼ばれている
南条とは現役時代ほとんど交流を持てなかったが互いに引退してからは親しくしている

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最終更新:2020年08月30日 20:01