【名前】荻野麗子(おぎの れいこ)
【容姿】外ハネ気味の赤髪ショートヘア、巨乳
【生年月日】1981年11月11日
【所属】北海道日本ハムファイターズ
【利き腕】右投右打
【守備位置】捕手
【能力】2FEECBA(全盛期:2EDDBAA)
送球A、キャッチャーC、守備職人、バント〇、走塁E、ムード〇
【背番号】61(2000年-2009年)→9(2010年)→69(2011年-2019年)
【球歴】宇部商業→横浜ベイスターズ(1999年ドラフト8巡目)→北海道日本ハムファイターズ
【性格】打者の様子を見ながら、裏をかくようないやらしいリードをするキャッチャー
姉御肌で、若い時から投手や打者がベテランだとしても物怖じしない性格
一方、ベンチでは率先してチームを鼓舞したり
若手を励ましていくなど、ムードメーカーとしても役割を果たしていた

簡易プロフィール

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名前 荻野麗子
身長・体重 177cm、64kg
投打 右投げ右打ち
出身 山口県宇部市
球歴 宇部商業→横浜ベイスターズ(99D8)→北海道日本ハムファイターズ
守備位置 捕手
趣味
座右の銘 やればできる
好きな色 特にない
好きな選手 元S古田さん
好きな芸能人 近藤真彦
好きな食べ物 大体何でも
嫌いな食べ物 特にない
苦手なもの 片手フォローで思いっきり振ってくる奴
好きな異性のタイプ 弱さを指摘してくれる人
アピールポイント 送球までの速度
ウィークポイント 色々
今後の目標 コーチとか何なり

人物

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山口県出身、177cm
ワイルドな見た目から想像に容易い強気な性格
「そこらの男より強い」と口を揃えて言っている
あまりに強すぎる性格から、元ヤン説が持ち上がるが
根も葉もない噂であり、昔から活発だったというだけである
面倒見はよく、中堅やベテランの域に達してからは特に後輩に対して親しく話し
親身に接するため、かつてのチームメイトからも信頼は厚い
2006年のシーズン初のヒーローインタビューの場で
入籍したことを報告し、ファンに衝撃を与えた
その実情は、Aクラス入りした2005年のオフに婚姻届けを提出しており
相手はアナウンサーとのことだった
2007年には第一子である男児の妊娠・出産を発表した
2004年シーズン中、相手選手のタックルによって本塁クロスプレーで負傷離脱した際には
「自分のブロックが下手だっただけ」と、自らの技術の無さを悔やんでいた
一方、死球に対してはバットを投げ捨て投手を睨み付けるなど威圧的な一面も見せる

経歴

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宇部商業時代は1年秋からベンチ入り
2年に甲子園出場を果たすも、痛恨のサヨナラボークの敗戦をベンチで見ていた
3年に正捕手兼キャプテンに任命されるも甲子園出場は叶わなかった
その持ち味の守備がスカウトの目に留まり
同年のドラフトにて横浜ベイスターズより8巡目指名を受けてプロ入りを果たす、背番号は「61」
入団当時は下位指名ということもあり大きな注目がされなかった選手だが
高卒とは思えない肝の据わった強気なリードや、プロ屈指の送球動作の素早さで
次第に注目を浴び始める
その意識の高さからか、ルーキーイヤーから早くも2軍ではスタメン定着し始める
2年目以降のTBSが母体であった時代の所謂“暗黒時代”においても
後輩である内川や、1つ上の村田と共に
腐ることなくチームを牽引する(従来比)
2007年には妊娠・出産に伴い、シーズン中盤から離脱
偶然か必然か、失速したチームはプレーオフを逃してしまう
2008年には、オフの激しい自主トレも相まって
出産前ほどに筋力を取り戻すことに成功するも
首位打者や本塁打王がいたにも拘らずチームは94敗でダントツの最下位
2009年に打率.266 本塁打11本 打点29と
自身初の2桁本塁打を記録した
暗黒時代を骨の髄まで味わった彼女は、環境を変えたいと
条件を満たした2009年オフにFA権行使を決断
当時のチームメイトによれば「今シーズン(2009年)はやたらと後輩や同期に何かと教えていた」と語っており
選手を集めて「プロ野球選手になった意義をもう一度考えてみな」と喝を入れたとの話もある
Cランクだったということもあり、控え捕手の充実を計った日本ハムが獲得
背番号は「9」となった
「残留以外ならどこでもいい」と発言していたため、出番が少なくとも文句は口にしなかったものの
横浜との試合の際には案の定一部からのブーイングを受けてしまう
移籍後は環境の変化からか、さらなる向上心で
まるで週刊誌の記者かのような、対戦相手のマイナーな(主に知られたくない)情報を得て
打席でささやくことで動揺させるなど、半ば卑怯とも言える手段をとる
もちろん狙い球などの観察を欠かすこともない
だが投手にとっては頼もしく、ボールは逸らさないから思い切り投げろと
若手ベテラン問わず出番があるときは女房役としてしっかりと支える
その翌年、ホフパワー加入に伴い、球団が恐る恐る背番号の変更の打診するが、あっさり快諾
自身が69で、ホフパワーに9を譲る
日本ハムでは決して正捕手にはなりえなかったが、2番手・3番手や抑え捕手
果ては事実上のコーチのような存在、あるいはベンチを盛り上げるムードメーカーとしてチームに欠かせない存在となった
日本ハムや横浜の今後の躍進を期待しながら2019年シーズンでの引退を発表
引退後は気楽に適当に過ごすと冗談交じりで語っている
2019/09/27のオリックス・バファローズ戦にて守備交代で捕手に入り
1打席終えた後に交代した
結果は空振り三振ではあったものの、両軍ファンから惜しみない拍手を送られた
引退した現在はニュースバラエティのスポーツコーナーを担当することもあるが
主に横浜DeNAベイスターズや北海道日本ハムファイターズのホーム試合で解説を行っているが
割とユルめの喋りの雰囲気と、捕手としての経験則に基づいて話すなど視聴者にはそこそこ好評

選手としての特徴

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肩は捕手としては平均的だが、それを補うために捕球から送球までの一連の動作を
誰よりも練習したと本人は語っており
プロ屈指の送球間隔を誇りつつ
的を射抜くかのような正確な送球で
その盗塁阻止率はなかなかのもの

打力は並、あるいは並以下であったものの
バントや進塁打は巧みに打てるため
下位打線ながらその役割は果たす

応援歌

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2000年~2006年


ここで一発荻野 ここで一発荻野
ライトへレフトへホームラン
それゆけ それゆけ それゆけ荻野

2007年~2009年


走ればラッキー投げればラッキー
麗子は横浜ラッキーガール(ラッキーガール)
勝利は君に任せた
(※鈴木尚典1作目の流用)

2010年~


走塁・打撃・守備 全て兼ね備えた
頼れる仕事人 いざ進めよ荻野
(※奈良原の流用)

登場曲

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2000年~2018年、引退試合

もっと強く君を抱きしめたなら/WANDS(1:09~)


2019年

さよならエレジー/菅田将暉(1:10~)




引退スピーチ

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プロ生活20年、まずは応援ありがとうございました
同じく今日引退する田中賢介と同期で、同じ年に引退っていうのは誇れることと思います
ただFAで来たから、彼とはまた違うけど…
あたしは、ファイターズが大好きです
そして、ベイスターズも、嫌いになったことなんて一度もありません
関わった人皆、あたしの大切な仲間だと思ってます
あたしの野球選手になりたいっていう夢を受け入れてくれた両親
中学、高校と野球を教えてくれた恩師や先輩、一緒に戦った同期や後輩たち
プロに入ってからも多くの人々に支えてもらいました
そして、こんなあたしを愛してくれた男が居る
今後はもうちょっと娘に構ってやれるかなって思ってます
今のとこは何も考えてないけど、とりあえずゆっくりするかな
それじゃあ、ありがとうございました
またどこかで会えると思うんで、そん時は皆、よろしく
ありがとうございました

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最終更新:2020年10月02日 23:22