カント『純粋理性批判』の検証

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  • カント『純粋理性批判』の検証
    1 観念論の困難 2 『純粋理性批判』の目論見1――世界の観念性の証明 3 『純粋理性批判』の目論見2――自然科学の根拠付け 4 純粋理性と実践理性の境界 1 観念論の困難 私は超能力で自由自在に空を飛べる。何年か前には地上から三千メートルぐらいの高空を飛んだことがある。綿のような白い雲を突きぬけ遥か下方の街並みを見ながら飛び続けたのだが、飛んでいる最中ふいに超能力が消えて転落してしまうのではないかという不安もよぎった。そんな不安を駆逐するように自分は空を飛べるのだと強く信じて風を切りながらひたすら飛び続けた。転落の恐怖と戦いながら遥かな高空を飛び続けるのは痺れるほどの快感であり、これは人生で五番目ぐらいの素晴らしい経験だった。 夢での経験を上のように位置づけていけない理由はない。特に私は存在論的に反実在論の立場である。この立場では夢の経験も現実の経験も「経験」ということで...
  • イマヌエル・カント
    概説 物自体と認識の形式 統覚 アンチノミー 補足 概説 イマヌエル・カント(Immanuel Kant, 1724年4月22日 - 1804年2月12日)は、プロイセン王国出身の思想家で大学教授である。『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書が有名である。認識論における「コペルニクス的転回」という方法論は、経験そのものでなく経験を成り立たせている条件を考究するものであり、「超越論的哲学」と呼ばれる。「超越論的」を「先験的」と訳すこともある。また認識の構造と形式だけを扱うので「形式主義」とも呼ばれる。ドイツ観念論の哲学者たちは超越論的哲学を引き継いでおり、カントは近代において最も影響力の大きな哲学者の一人である。 カントはイギリス経験論、特にデイヴィッド・ヒュームの懐疑主義に強い影響を受けた。そしてライプニッツ=ヴォルフ学派の形而上学を「独断論のまどろみ...
  • ヘーゲル
    概説 心の哲学についてのヘーゲルの思想 概説 ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel、1770年8月27日 - 1831年11月14日)は、ドイツの哲学者。ドイツ観念論哲学の完成者といわれる思想家である。 デカルト的二元論を克服するためにシェリングから「世界精神」の概念を受け継ぎ、心的なものと物理的なものが精神という新たな綜合において存在しているという独自の「絶対的観念論」を提唱した。 ヘーゲル哲学を批判的に継承・発展させた人物としては、セーレン・キェルケゴール、カール・マルクスなどがいる。ポストモダン思想においては、マルクス主義国家における全体主義的傾向は、理性によって人間を含む世界の全体を把握できるとするヘーゲル思想に由来している、という見方がされている。 心の哲学についてのヘーゲルの思想...
  • 無限論
    1 はじめの一歩 2 無限論と実在論 3 ゼノンのパラドックスの終着点 4 カントによる無限批判 5 形而上学無限の不可能性 6 物理学による形而上学的無限の回避可能性 7 数学的無限と形而上学的無限の不調和 8 結論――実在論の最期 9 無限の派生問題 1 はじめの一歩 人生の道を一歩踏み外せば奈落に落ちる。僅か一歩には生死を分ける重大さがある。それは学問の道でも同様であろう。しかし哲学での無限についての議論では、その一歩の重大さが忘れられているように思える。はじめの一歩を踏み間違えていたなら、その後いくら懸命に歩を進めようと間違った地に行く着くしかない。 ゼノンのパラドックスは二千年以上にわたって夥しい学者たちが反駁を試みてきたが、今日でもなお議論が続いており、未だ万人が納得する解決法が発見されていないように思える。大森荘蔵は、ゼノンの主張は詭弁であるという前提からパラ...
  • 時間の哲学の未解決問題
    本論は森田邦久編著『〈現在〉という謎―時間の空間化批判』と、それに関連した谷村省吾氏の補足ノート『一物理学者が観た哲学』を批判的に検証することによって時間の哲学の未解決問題が何であるかを析出しようとする試みである。  時間の哲学の未解決問題 第2版 pdf Google Booksにもpdfを置いてますが、Google Booksの仕様でハイパーリンクが無効になっています。ハイパーリンクを利用されたい方は上のpdfをご利用ください。 2019年12月5日公開 2019年12月20日第2版公開(第6章を谷村氏への反論として加筆)
  • 現象的意識の非論理性
    1 「変化」という矛盾 2 心の哲学における「変化」の説明 3 実在論の無意味 4 物理法則の内在性 5 心脳問題 6 現象主義的心脳同一説 7 時間・因果の非実在 8 無時間論の可能性 9 補足 1 「変化」という矛盾 目を閉じると闇になる。私はその闇に美女でも戦車でも銀河系でも思い浮かべることができる。そして次にはその美女も戦車も銀河系も消すことができる。これは魔法や奇跡としか形容しようのない不思議なことである。 意識に現れる現象は次々に変化する。これは一般人には当たり前のことと思われている。しかしその変化なるものは紀元前にパルメニデスが指摘したように、論理を逸脱した不思議なものである。変化とは「ある」ものが「ない」ものになることであり、「ない」ものが「ある」ものになることである。「無からは何も生じない」というのは世界の基本原理である。逆に言えば存在していた何かが無にな...
  • 実践理性の方向
    1 実践理性の方向 2 実在論の可能性 3 心脳問題と他我問題 4 無世界論と実在論 5 死と実践理性の彷徨 1 実践理性の方向 その昔、自宅のテレビで映画『2001年宇宙の旅』を見た。映画にモノリスが登場したとき、私は大いなる哲学的驚愕に打ち震えた。宇宙には人知を遥かに超越した何かが確かにあって、モノリスがその何かを象徴していることは、青年だった私にも理解できた。映画を見終えても、私はしばらくテレビの前で呆然としていた。映画を通じて宇宙の神秘を垣間見たという感慨を堪能していたのだ。 ところがそれから何十年も経ち、今DVDで『2001年宇宙の旅』を見直しても、私は大した感慨を得ることができない。 それは今の私が哲学をやっているからである。宇宙にモノリスがあろうとアリスが迷い込んだ不思議の国があろうと、存在するものは単に存在するだけで、「不思議」とは人の心にのみあるの...
  • 形而上学
    形而上学(metaphysics)とは世界の実在や原理についての仮説である。形而上学はmeta-physicsの字義通り物理学(physics)の制約に囚われず、思弁的方法によって世界の真理を探求する。しかし物理学に反するものではなく、形而上学は物理学の知見を包括するものである。 形而上学の多くを占めるのは存在論であるが、認識論も一部含まれる。存在の認識は人の認識能力に制限されるからである。とりわけカント哲学においては存在論と認識論は一致する。カントによれば人の認識はアプリオリな形式によって制限され、現象世界はその形式に従って現れる。しかし物自体(実在)は人間理性が到達できない不可知の存在である。 カント哲学に限らず、形而上学とは認識論と存在論が重心を異にしながらも重なり合った構図となる。ただし近年の認識論は独自に発展して多くの問題領域を持ち、それら問題は個別に議論されてい...
  • 言語的批判
    概説 拡張解釈 ウィトゲンシュタインの誤用 概説 心身問題を解決しようとする試みは、物理主義であっても性質二元論であっても、大きな難問を抱え込むことになる。ウィトゲンシュタインの言語的哲学の影響を受けたギルバート・ライルなどの人々は、そうなってしまうのは概念的な混乱――カテゴリー錯誤が背後にあるからだとして、心身問題を消去しようとする。 ライルによれば、心的状態を記述する言語のカテゴリーは、物理的な脳を記述する言語のカテゴリーとは異なっている。従って心的状態と生物学的状態が適合するかどうかと問うのは間違いである。脳の心的状態を探し求めるのはカテゴリー錯誤、つまり推論の誤謬なのである。 ウィトゲンシュタインは「私的言語」や、意識の「私秘性」について語ることに反対している。彼にとって言葉の意味とは使用法であり、心の中にあるものではない。心的状態は公的な言語では表せない。...
  • 観念論
    概説観念論に対する批判 各種の観念論超越論的観念論 ドイツ観念論 イギリスの観念論 主観的観念論と客観的観念論 概説 観念論(idealism)という語は実に多義的であるが、通俗的な意味においては、観念的なものを物質的なものに優先する立場を観念論といい、唯物論に対立する用語として使われる。なお「観念論者(idealist)」の語を最初に用いたのはライプニッツである。 しかし哲学用語としての観念論は、歴史的に以下のような二つの対極的な立場で使われている。 (1)人間が直接経験できないものが実在し、それがわれわれの認識を成り立たせているとする思弁的な立場。プラトンのイデア主義に起源をもつ。新プラトン主義のプロティノスや大陸合理論のスピノザやライプニッツを経て、イマヌエル・カントの超越論的観念論を近代の転換点とする。超越論的観念論はフィヒテやシェリングなどを経由し、ヘーゲ...
  • 書評1
    中島義道『生き生きとした過去――大森荘蔵の時間論、その批判的解読』 戸田山和久『哲学入門』 鈴木貴之『ぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう 意識のハード・プロブレムに挑む』 入不二基義『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』 中島義道『生き生きとした過去――大森荘蔵の時間論、その批判的解読』 強引、というより無理過ぎる大森哲学解釈、という印象を受けた。中島は大森の弟子であり、大森と幾度も対話を重ねている。大森に会ったこともない私が異論を挟むのはおこがましい感もあるのだが、大森と同様の現象一元論者として、あえて本書を批評したい。 概説すると、中島が大森哲学批判を通じて主張したのは、「過去時間」と「意識作用」の実在性を認めるしかないということである。穿った見方をするならば、それらの実在性を前提にし、意図的に偏った大森哲学解釈をしたと思える。なに...
  • 現象主義
    概説 前史 方法論論理実証主義 批判と補足 概説 現象主義(英 Phenomenalism)とは、われわれの認識の対象は〈現象〉の範囲に限られるとし、現象外部の存在については不可知である、とする哲学上の方法論である。現象論ともいう。実在論と対極の思考法である。経験主義的な方法を徹底したものであり、英国経験論を代表するジョージ・バークリーに始まり、デイヴィッド・ヒュームにおいてひとつの哲学的立場として完成した。実在論が意識から超越した実在を認めるのに対し、現象主義は意識内在主義の立場を取り、世界および自我を「知覚現象の束」として説明する。近代における代表的な論者はエルンスト・マッハであり、マッハの思想はアインシュタインなどの科学者や、フッサールやウィーン学団の哲学者、論理実証主義者たちに影響を与えた。日本では大森荘蔵が現象主義の方法論を透徹し、〈立ち現われ一元論〉を主張した。 ...
  • 無主体論
    概説 非人称表現 直接経験 デカルト的自我との対比 シュリックの無主体論 ウィトゲンシュタインの無主体論 ラッセルの無主体論 派生問題 概説 無主体論(英 No ownership theory / No subject theory)とは、意識作用について、思考したり知覚したりする「主体」を想定する必要はないとする説である。 たとえば感覚などは、一般的には「私は痛い」というように表現するが、実際の痛みは現れた時点で誰のものであるか決定しており所有関係を問うことは出来ない。つまり「私は痛い」という文の「私は」という語は、何の機能も果たしていないため、不要であると考える。これはルネ・デカルトが懐疑主義的方法の果てに見出した「我思うゆえに我あり」を批判的に検証し、認識の主体である「我」の存在を必要としないとするものである。認識の所有者の存在を否定するため「非所有論」とも呼ばれる...
  • 水槽の脳
    概説 派生問題 概説 水槽の脳(すいそうののう、Brain in a vat)とは、自分が体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ているバーチャルリアリティなのではないか、という懐疑主義的な思考実験で、1982年哲学者ヒラリー・パトナムによって定式化された。物事の実在性を哲学的に問う際に使用される。水槽脳仮説とも呼ばれる。デカルトが『省察』において、方法的懐疑として行った「夢の懐疑」と同型のものである。 ある科学者が人から脳を取り出し、脳が死なないような成分の培養液で満たした水槽に入れる。脳の神経細胞を電極を通して脳波を操作できる高性能なコンピュータにつなぐ。意識は脳の活動によって生じるから水槽の脳はコンピューターの操作で通常の人と同じような意識が生じる。われわれが現実に存在すると思っている世界は、実はこのような水槽の中の脳が見ている仮想現実かもしれない。世界が実は...
  • 行動主義
    概説 歴史 心の哲学における行動主義 行動主義への批判 概説 行動主義とは、心理状態は行動状態にほかならないとする理論である。心の哲学においては物理主義の一種である。元は心理学のアプローチの一つで、観察不可能な心の私秘的性質に依拠せず、観察可能な行動を研究することで人間の心理を科学の対象とする試みだった。従って行動主義においては、人に意識現象があるとみなせるのは、自分に知覚や意識があると報告可能な場合に限られる。 行動主義においては、意識において志向対象とならなかった表象やクオリアは、報告不可能なため研究の対象とならない。このため心の哲学における行動主義は1960年代には衰退し、心脳同一説にとって代わられていった。だが、行動主義の方法論のいくつかは機能主義に受け継がれている。 歴史 20世紀、精神分析学のムーブメントと同時期に、行動主義学派は心理学に浸透した。 行動...
  • バートランド・ラッセル
    概説 心の哲学におけるラッセルの見解 自我論 概説 バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(Bertrand Arthur William Russell,OM,FRS 1872年5月18日 - 1970年2月2日)はイギリス生まれの論理学者、数学者、哲学者。 哲学者としては新ヘーゲル主義から経験主義に転向し、初期の論理実証主義に大きな影響を与える。無神論者であった。 ラッセルはウィトゲンシュタインの才能を早くに見抜き、親交を結んで互いに影響を与え合った。しかし後期のウィトゲンシュタインを始めとする日常言語学派には批判的であり、言語の分析を哲学の終点とみなさず、あくまで言語が指示する対象に拘り、独自に形而上学を探究した。 ラッセルは分析哲学の創始者の一人でもあり、その哲学は生涯に渡って変化を続けたものの、哲学的手法は終始一貫して分析的・論理的であった。...
  • 夢と現実と真実と
    1 夢の懐疑 2 現象主義と可能世界論 3 マクタガートに見る「変化」の難問 4 変化のパラドックス――四次元主義の破綻 5 独今論 6 無世界論 7 真実の行方 8 私の死と世界の死 9 夢と現実と真実の狭間で 1 夢の懐疑 幼い頃に恐ろしい体験をした。或る真夏の夜、私は両親と二人の兄弟と共に、家族五人で一つの部屋で寝ていた。家の一階北側の部屋で、中庭に面した窓を網戸にして涼を取っていた。エアコンがまだ高価だった昭和の時代のことである。 深夜、どさっと何かが落ちるような音がして目が覚めた。見ると畳の上でどす黒い異形のものが蠢いていた。蛇だった。一匹の大きな蛇が長い総身を奇怪に絡めて波打っているのだった。誰かが悲鳴を上げた。父が大急ぎで網戸を外して手に持ち、その網戸で蛇をつついたり掬ったりして、なんとか掃き出し窓から庭へ払い出した。そしてガラス戸を厳重に閉めた。どこから蛇が...
  • 無内包の現実性
    無内包の現実性 本稿は拙論「映画『マトリックス』で考える現実と真実」から第6節「無内包の現実性」を抜粋し、atwiki用に修正したものである。 本稿に対する入不二氏のコメントも参照されたし。 本稿に関連したものとして本サイトの『現代哲学ラボ 第4号 永井均の無内包の現実性とは?』の書評も参照されたし。 無内包の現実性 入不二基義と永井均の「無内包の現実性」の相違と問題点を検証する。 入不二によれば「現実に」と言う場合、その「現実に」は遍在的に作用し、夢や幻などの非現実も包括し、さらに可能性や必然性といった様相をも包括する極限的に広い意味であり、「絶対現実」と呼ばれるている。絶対現実はただ「あるようにある」だけであり、現実であることは現実の内容に依存しないので、その意味で絶対現実は無内包の現実性とも言い換えられている(*1)。無内包の現実性は世界の「...
  • ウィトゲンシュタイン
    心の哲学との関係 独我論 独我論と言語 補足 ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ウィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein 1889年4月26日 - 1951年4月29日)はオーストリア・ウィーン出身の哲学者。言語哲学、分析哲学に強い影響を与えた。 ウィトゲンシュタインの哲学は難解で多様な解釈が可能であり、研究者たちの間で甚だしい見解の隔たりがあることが多い。 前期の著書『論理哲学論考』(以下『論考』と略す)には、「語りえぬものには沈黙しなければならない」という有名な言葉がある。ウィトゲンシュタインは「語りうるもの」と「語りえぬもの」を峻別していた。「語りうるもの」とは思考の表現としての「言語」を指しており、その言語の射程が及ばない領域について語ることは無意味であるということである。『哲学的考察』には、「世界の本質に属する...
  • ルネ・デカルト
    概説 心身二元論 「我思う、ゆえに我あり」についての解釈と批判 概説 ルネ・デカルト(仏 Rene Descartes, 1596年3月31日 - 1650年2月11日)は、フランス生まれの哲学者であり、数学者でもある。近代哲学の父とも称される。1637年の著作『方法序説』によって、真理を探究するための方法としての懐疑主義を透徹し、精神に現れた全ての事象が疑いうるものだと仮定しても、その疑っている何かが存在することは否定できないとし、「我思う、ゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム、Cogito ergo sum)」という根本的な原理を導き出す。デカルトの方法は、もっぱら数学・幾何学の研究によって培われた明晰・判明さに依拠し、その上に哲学体系を構築しようとするものであった。それゆえ彼の哲学体系は人文学系の学問を含まない。 Cogito ergo sumはフランス語で書かれた...
  • 実在論論争
    概説 実在論の種類観念実在論 素朴実在論 形而上学的実在論と内在的実在論 科学的実在論 介入実在論 構造実在論 反実在論構成的経験主義 自然主義 非実在論現象主義・懐疑主義・実証主義 規約主義・道具主義・操作主義 社会構成主義・相対主義 心の哲学と実在論論争 概説 実在論(Realism)とは、われわれが認識する現象から独立して、現象を成り立たせている物質や普遍的概念(イデア)などが世界に実在しているという立場である。物質や外界が実在するという場合は、素朴実在論や科学的実在論になり、普遍が実在するという場合は観念実在論になる。実在論と対立する立場は現象主義や観念論である。 歴史的には紀元前のパルメニデスが、感覚で捉えられる現象世界は生成変化を続けるが、そもそも「変化」とは有るものが無いものになることであり、無いものが有るものになることであり、これは矛盾であるとし、感覚を超越...
  • 新神秘主義
    新神秘主義(英 New mysterianism)は、心身問題、つまり心的な意識現象と物質的な脳がどのように関わりあっているのか解明するのは不可能だとする立場のこと。代表的な論者にコリン・マッギンがいる。トマス・ネーゲルも新神秘主義者に分類されることがある。 マッギンは認知的閉鎖説を提唱し、人間が意識の謎、つまり意識のハードプロブレムが解明される可能性に懐疑的である。トマス・ハックスリーは1886年に、「神経組織の活動によって意識状態という驚くべきものが出現することは、物語のアラジンが魔法のランプをこすれば魔人が現れることのようだ」と心と脳の関係を表現した。このハックスリーの言葉は意識現象がいかに奇跡的であるかうまく捉えていたとマッギンはいう。そしてマッギンは心的特性を物理特性に還元する物理主義を批判し、また心的なものの排他性を強調する二元論は脳から心を切り離すようなものだと批判...
  • 機能主義
    概説 目的論的機能主義 ブラックボックス機能主義 コンピューター機能主義 機能主義に対する批判 概説 心の哲学における機能主義(英:Functionalism)とは、心的な状態とはその状態のもつ機能によって定義されるという立場。 心的状態をその因果的な役割によって説明し、「心とはどんな働きをしているのか」を考えることが「心とは何か」という問いの答えとなるという立場である。 たとえば腕を強く打ったりすることの結果として生じ、打った腕を押さえたり顔をしかめたりすることの原因となる心的状態が「痛み」であるとされる。またそのように因果作用をもたらす心的性質を機能的性質(functional property) という。つまり心的状態とは知覚入力の結果であり、行動出力の原因であり、また他の心理状態の原因や結果であると考える。 行動主義やタイプ同一説の問題点を踏まえた上で、それ...
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    TOPページ ※このサイトについて ▼メニュー ■形而上学 ■心の哲学全般  ├実在論論争  ├時間と空間の哲学  └心身問題 ■二元論 ├実体二元論 | ├相互作用二元論 | ├予定調和説 | └機会原因論 ├性質二元論 | ├心身並行説 | ├自然主義的二元論 | └トロープ説 ├随伴現象説 └新神秘主義  └認知的閉鎖 ■一元論 ├物理主義 | ├行動主義 | ├心脳同一説 | ├機能主義 | ├表象主義 | ├非法則一元論 | └消去主義的唯物論 ├観念論 |└唯心論 ├現象主義 | └重ね描き ├中立一元論 └汎神論・汎心論 ■思考実験 ├中国語の部屋 ├中国人民 ├逆転クオリア ├水槽の脳 ├スワンプマン ├テセウスの船 ├哲学的ゾンビ ├コウモリの視点 ├カルテジアン劇...
  • ジョージ・バークリー
    概説 経験主義から観念論へ 神と魂 概説 ジョージ・バークリー(George Berkeley, 1685年3月12日 - 1753年1月14日)はアイルランドの哲学者、聖職者である。英国経験論の代表的人物であり、現象主義の方法により物質の実在性を否定し、「存在することは知覚されることである(ラテン語"Esse is percipi"、エッセ・イス・ペルキピ、英語“To be is to be perceived”)」という基本原則の観念論を提唱した。 バークリーの思考法はオッカムの剃刀に類似したものである。オッカムは、現象を説明するために真に必要な最小限の原因のみを認め、不要な原因は放棄すべきだとし、「存在は必要もなく増やしてはならない」という原則を主張した。バークリーはこの思考法によって、「物質」なるものは観念の存在と生成に「不要」とみなし、またニュ...
  • ギルバート・ライル
    ギルバート・ライル(Gilbert Ryle、1900年8月19日 - 1976年10月6日)はイギリスの哲学者。ウィトゲンシュタインの言語観に想を得たイギリスの日常言語学派の代表的人物とされている。自身の思想の一部を「行動主義」と表現した。しかし唯物論者ではないことは強調している。1949年の著書『心の概念』におけるデカルト批判は、現代の英語圏の心の哲学の幕開けといわれる。 ライルは、心身二元論は日常言語の誤用によって生み出された幻想であり、カテゴリー錯誤であると断じた。心が独立した存在であるとか、心は身体の中にありながら身体を支配しているといった考え方は、生物学の発達以前の直写主義がそのまま持ち越されたものにすぎず、退けられるべきであるという。 たとえばスポーツでいう「チーム意識」とは、投げたり、打ったり、守ったりという技術的な概念とは全く異なるカテゴリーに属する概念で...
  • 渡辺恒夫
    遍在転生観 永井均に対する批判 遍在転生観の問題 観念論的アプローチ 他我問題 渡辺恒夫は1946年生まれ。東邦大学理学部教授。専門は心理学。京都大学文学部で哲学を、同大学院文学研究科で心理学を専攻した。 自我体験、独我論的体験、意識の超難問の体験を心理学の立場から統計的に調査研究している。そして意識の超難問の解答として梵我一如思想を背景にした「遍在転生観」を提唱している。 遍在転生観 遍在転生観とは、渡辺恒夫が考える輪廻転生のあり方。全ての個人がそれぞれ所有しているように見える自己・自我というものは、実は唯一存在するだけであり、それが各個人に現れているのだと考える。 「なぜ〈私〉は21世紀の〈今〉というときに、〈ここ〉地球星の日本という島に生きているのか?」という意識の超難問的な問いに対しては、過去・未来・同時代のあらゆる知的生命体は、唯一の私が輪廻転生を...
  • 永井均
    独在性 累進構造 脱人格的自我 非還元主義 永井均に対する批判と疑問 永井 均(ながい ひとし、1951年11月10日 - )は、日本の哲学者。日本大学教授。自我論・倫理学などを専門分野とする。歴史上のあらゆる哲学は「なぜ私は私なのか、なぜ私は他の誰かではないのか?」というアポリアに答えを与えられず、その意味で哲学は始まってすらいないと言い、「独在性」という概念によって、独自の独我論を展開する。独在性の問題は意識の超難問の一種といえる。永井の独我論はウィトゲンシュタインに大きな影響を受けている。 永井の主張は大きく分けると二つあり、ひとつは「なぜ私は他の誰かではないのか?」という問いが擬似問題ではなく真性の問題であるということ。もうひとつはその「私」の本質は決して他人に理解されてはいけないということである。 独在性 独在性とは永井均の自我論・独我論において用いられる...
  • デイヴィッド・ヒューム
    概説 知覚――印象と観念 因果関係論 実体 自我の否定 ヒュームの観念論と自然科学の関係 派生問題――知覚の同一性と意識の連続性 概説 デイヴィッド・ヒューム(David Hume, 1711-1776)は、スコットランド・エディンバラ出身の、英国経験論を代表する哲学者。スコットランド啓蒙の代表的存在とされる。ジョージ・バークリーの観念論と現象主義を継承して発展させ、自我さえも「感覚の束」であるとしてその実在性を否定した。この自我論は後に無主体論とも呼ばれ、現代の心の哲学では主流の立場になる。 ヒュームは懐疑主義を徹底し、それまでの哲学が自明としていた知の成立過程の源泉を問い、それまで無条件に信頼されていた因果律を、論理的なものでなく連想の産物であると見なし、数学を唯一確実な学問とした。また科学哲学においては自然の斉一性仮説を提唱した。 知覚――印象と観念 ヒューム...
  • 大森荘蔵
    二元論の否定 普遍概念と無限集合 重ね描き 立ち現れ一元論 実在論批判 自我と他我 時間論 無主体論と無時間論 大森荘蔵(おおもり しょうぞう、1921年8月1日 - 1997年2月17日)は日本の哲学者。独自の現象主義的な思考方法によって、独我論的な「立ち現れ」一元論を主張した。中島義道は大森哲学を「独我論的現象一元論」と定義している(*1)。 1944年東京帝国大学理学部物理学科を卒業。その後1949年東京大学文学部哲学科を卒業する。戦後アメリカのスタンフォード大学、ハーバード大学に留学し、分析哲学の影響を受ける。帰国後東京大学教養学部助手を経て、さらに留学後、東京大学教養学部教授(科学史・科学哲学科)に就任。現在第一線で活躍中の多くの日本の哲学者たちを育て、影響を与えることとなった。 大森の弟子たちによると、「哲学とは、額に汗して考え抜くことである」という信念...
  • 動物の心
    (以下は管理者の見解) 動物にも何がしか「心」のようなものがあるというのは大半の動物学者が認めていることである。根拠のひとつは振る舞いが人間と似ているということである。動物には自分の心の状態を報告する人間的な言語を持たないが、猫でも石が当たって怪我をすれば人間のように痛みを感じているよう振る舞って泣き声を上げる。もうひとつの根拠は人間同様に目、耳、鼻といった感覚器官をもち、神経構造もまた人間と似ているということである。特に哺乳類の場合は人間と類似した構造の脳――意識活動に十分と推定できる脳細胞を持っている。それらから動物にも心のようなものがあると類推することができる。 成長したチンパンジーの知能は一般的に人間の三歳児ぐらいといわれる(科学的な根拠は不明)。人間の一、二歳児に心があると認めるならチンパンジーに心がないと考えることの方が難しいだろう。しかし動物にも心があると仮...
  • 意識の統一性
    概説 人格の同一性問題との関連 意識の時間的統一の問題 概説 人間には五感がある。しかし同時に複数の感覚があった場合、それらは独立して存在しているのでなく統一された意識の内部にある。たとえば繁華街を歩いていると様々なものが見え、同時に様々な音が聞こえ、同時に様々な匂いがある。それらの感覚は統一的な意識の内部にあり、意識は全一的なものとして存在している。これが意識の統一性である。 ジョン・サールは次のように論じている。 いま私は、指先の感覚や首まわりのシャツの圧迫感、落葉の風景だけを経験しているわけではない。これらすべてを単一の統合された意識野の一部として経験している。病理的なところのない通常の意識は、統合された構造とともにある。カントはこの意識野の統合を「統覚の超越論的統一」と呼び、そこから多くのことを引き出した。そして彼は正しかった。これから見ていくように、それは...
  • 中立一元論
    中立一元論(英:Neutral monism)とは、心身問題についての考え方のひとつで、心的だとか物理的だとかいうものは、ある一つの実体、または出来事の、二つの性質のことだとする理論である。性質二元論はほぼ同じ立場である。 中立一元論は物質的なものと心的なものが実在するとする実体二元論と対立する。また存在論的には一元論であるが、物理的なものだけが存在するとする物理主義や、心的なものだけが存在するという唯心論と対立しつつ、その両者の中間的位置を取る。バートランド・ラッセル、ウィリアム・ジェイムズ、ピーター・ストローソンがこの立場である。デイヴィッド・チャーマーズの自然主義的二元論は中立一元論の一種である。スピノザは汎神論的な一元論者であるが、心身問題に関しては中立一元論といえる。 中立一元論は、心的なものについての説明が困難な物理主義の欠点と、物理的なものの実在性と対立してい...
  • 現象
    現象(英 phainomenon)とは、人間の意識に「現れ」るもののことである。人間によって知覚・理解される全てのものごとは現象である。対義語は「本質」または「実在」。 人間は実在を理解することは不可能であり、現象のみを理解できるのだから、実在を想定することは無意味だとする立場が現象主義である。 現象は外的知覚による物的現象と内観による心的現象とが区別される。「表象」や「クオリア」、また「観念」や「思惟」と呼ばれるものは、全て現象の一種といえるものであり、その現れ方や性質によって分類されているにすぎない。 現象に対する立場には以下のようにいくつかの立場がある。 (1)現象をもたらす普遍的実体があることを想定する観念論的立場。プラトン、プロチノス、J.ヘルバルト、R.ロッツェなどに代表される。 (2) 現象界を叡智界から区別し、現象をもたらす実在・...
  • ピーター・ストローソン
    ピーター・フレデリック・ストローソン(Peter Frederick Strawson, 1919年11月23日 - 2006年2月13日)は、日常言語学派後期のリーダー的哲学者。日常言語の論理的特徴について非形式的な哲学分析を行った。また、カント的な方法でユニークな形而上学も構築した。主著は『個体と主語』である。 ストローソンによれば、われわれが「心的」や「物理的」という概念を使用できるのは、「人格(person)」という根本的概念を使用できるからである。自己と他者の概念も人格の概念に依存している。それが心的なものと物理的なものの区別に繋がるのである。すなわちデカルトの推論とは全く異なり、主観性と客観性の問題は心身問題に先立つと考えたのである。 では一体、われわれはどうして「自己」という概念を持ちうるのか。ストローソンは経験には多種多様なものがあり、「自己」は経験のうちの...
  • 意識の超難問
    概説 心理学的分析 分析哲学からの批判 人格の同一性問題から派生する意識の超難問 概説 意識の超難問(harder problem of consciousness)とは、オーストラリアの人工知能学者ティム・ロバーツが提起した問題で、「なぜ私は他の誰かではないのか?」というような、高度な自己意識(自我体験)に関するものである。 第一回と第二回のツーソン会議でデイヴィッド・チャーマーズが、意識のイージープロブレム( easy problem of consciousness )と意識のハードプロブレム(hard problem of consciousness)の問題提起をして大きな影響を及ぼした。ティム・ロバーツは1998年の第三回ツーソン会議で、意識のハードプロブレムよりも、さらに難しい問題として「意識の超難問」を以下のように提起した。 たとえいわゆる意識の「難問」...
  • 非法則一元論
    非法則一元論とは、心の哲学における物理主義的な立場のひとつ。ドナルド・デイヴィッドソンにより主張された。「非法則的」とは「法則論的」の逆の意味であり、心的出来事に法則が当てはまらないとすることで「非法則的」であるが、心的出来事が物理現象(脳の状態)と同一であるとすることで「一元論」である。 非法則一元論は、物理主義でありながら、心的なものを物質的なものに還元できないと考える。このようなタイプの物理主義を「非還元的物理主義」という。心的性質を物理的性質と同等のものとみなすため、非還元的物理主義は物理主義的一元論を自称していても性質二元論の一種とみなされることもある。 デイヴィッドソンは、心身の関係には以下の三つの原理があるとする。 (1)因果的相互作用の原理――心身の(限定的な)相互作用 (2)因果性の法則論的性格――出来事の原因と結果の厳密な法則性 (3)心的な...
  • イデア論
    ヘラクレイトスは万物は流転すると説き、ソフィスト達はすべての物は主観に依存し、客観的な真理は存在しないことを説いていた。ソクラテスの弟子であるプラトンは、師と同様に相対主義に反対し、ノモス(人為的なもの)を超えたフュシス(自然・万物・本質)的なものを追求する。現象面では生成変化を認めざるを得ないにしても、現象を超えたところに永遠不動の何かがあると考えたのだ。それがイデアである。 イデアとは最高度に抽象的な完全不滅の実であり、感覚的事物はその影であるとする。イデアが存在しているのがイデア界(本質界)で、その陰が投影されているのがわれわれ人間の住む現実界となる。 ソクラテスが徳や善に限って普遍的なものを追求したのに対し、プラトンは道徳的なものだけでなくありとあらゆるものに対して普遍的なものを追求していった。 まず、イデアとは「普遍概念」の意味がある。「赤い花」「赤い血」...
  • 認知的閉鎖
    認知的閉鎖(英 cognitive closure)とは、イギリスの哲学者コリン・マッギンによって提唱された意識のハードプロブレム、すなわち物理的な脳からいかにして現象的意識やクオリアが生み出されるのかという問題への一回答であり、人間の精神・知性はこの問題に関して「閉鎖」されている、人間の理解できる領域ではないとする可能性のことである。 人間による理解が現段階において科学的に不十分であったりするためではなく、人間の精神・知性にはそれらを理解するキャパシティーが端的に欠けているためである。マッギンによると、私たちは五感による知覚などの認知能力が備わっているが、逆に言えば私たちはそれら認知能力によって理解できる事柄以外は認知できないということになる。これはマリーの部屋の思考実験からも類推することができる。宇宙には人類以外にも多数の生命体がいて、彼らは人間にとって未知のクオリアを体験して...
  • 心脳同一説
    概説 タイプ同一説 トークン同一説 同一説への批判 概説 同一説(英:Identity theory)、または心脳同一説とは、心身問題に関する立場の一つで、「心の状態やプロセスとは、脳の状態やプロセスそのもののことだ」という考え方のことである。心的なものの存在を物理的なものの存在に還元して説明しようとする還元主義でもある。英語圏では「Mind is Brain」と、be動詞を強調することによって心と脳の同一性を表現する。心の哲学においては、行動主義の失敗を反省し、物理主義の一種として二元論一般と対立する文脈で語られる。 心脳同一説は性質二元論や中立一元論の考えに似ているよう思えるが、大きな違いがある。性質二元論や中立一元論では、心的状態と脳状態は同一の実体の二つの側面であり、たとえるならコインの表裏の関係である。しかし心脳同一説では、「雲とは水粒である」「稲妻は電荷の運動で...
  • 物理主義
    概説 歴史 物理主義の問題 概説 物理主義(英 Physicalism)とは、この世界の全ての物事は物理的であり、また世界の全ての現象は物理的な性質に還元できるとする哲学上の立場である。心の哲学においては心的なものの実在性を否定して、物理的なものだけが実在するとし、心的因果を否定する。一元論の一種。物質一元論とも呼ばれる。 「唯物論(Materialism)」は同じ立場の思想であり、物理主義という語と互換的に用いられている。唯物論という用語は17世紀のライプニッツによるものであるが、物理主義とは20世紀のオットー・ノイラートの定義によるもので、論理実証主義から派生した概念であり、歴史的脈絡が異なるというだけである。 「物理的」という言葉の定義は、時空間的であり運動できるもの、とされている。 柴田正良によれば、人間の精神を素粒子群の運動や配置に還元するのが素朴...
  • ライプニッツ
    概説 オプティミズム(最善観) モナド(Monades)モナドとモナドとの関係 自我と魂 概説 ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz, 1646年7月1日(グレゴリオ暦)/6月21日(ユリウス暦) - 1716年11月14日)はドイツ・ライプツィヒ生まれの哲学者・数学者。「モナドロジー(単子論)」を提唱した。心の哲学においてライプニッツのモナド論は「予定調和説」として位置づけられる。 ライプニッツの思想は、哲学、形而上学の範囲にとどまらず、論理学、記号学、心理学、数学、自然科学などの極めて広い領域に広がる。また同時に、それらを個々の学問として研究するだけでなく、「普遍学」として体系づけることを構想していた。ライプニッツは通常、デカルトにはじまる大陸合理論に位置づけられるが、ジョン・ロックの経験論にも学んでいる。精神と...
  • 哲学的ゾンビ
    概説 想像可能性論法 2つの哲学的ゾンビ 意識の定義――機能的意識と現象的意識 ゾンビ論法的思考実験の歴史 物理主義からの批判 補足 概説 哲学的ゾンビ(英:Philosophical Zombie) とは、デイヴィッド・チャーマーズによって提起された心の哲学における思考実験である。外面的には普通の人間と全く同じように振る舞うが、内面的な経験(現象的意識、クオリア)を全く持っていない人間と定義される。ホラー映画に出てくるゾンビと区別するために、哲学的ゾンビ(または現象ゾンビ)と呼ばれる。おもに性質二元論(または中立一元論)の立場から物理主義とその範疇にある行動主義や機能主義の立場を批判する際に用いられる。 哲学的ゾンビは、フランク・ジャクソンによるマリーの部屋の思考実験の発展型である。チャーマーズ自身も、マリーの部屋の「知識論証」は「ゾンビ論証」とペアになったときに最も力を...
  • 人格の同一性
    1 過去とのつながり 2 記憶説と身体説 3 還元主義と非還元主義 4 物理主義と反物理主義 5 三次元主義と四次元主義 6 独我論と実在論 7 独在性のアポリア 8 クオリアの同一性と非同一性 1 過去とのつながり 年始に親戚回りなどをしていると、稀に十年以上会っていなかった人物に再会することがある。前回見たときは五歳だった少年が、今は中学生になっている。当然、昔の面影は全く消えていて別人に見える。 五歳の時の少年は色白く内気な感じで、いつも携帯ゲーム機をいじっており、私が話しかけてもゲームをしながら「うん」「いいや」とガスが抜けるような気のない返事をするだけだった。ところが中学生になった少年は身体が五倍大きくなり、野球部に入って逞しく日焼けし、私が話しかけると真っ直ぐ私の眼を見て、溌剌としたスポーツマンの声でしっかり受け答えをする。 あの色白で内気だった五歳の少...
  • 廣松渉
    認識論 心身問題 廣松渉(ひろまつ わたる、1933年8月11日 - 1994年5月22日)は日本の哲学者。東京大学名誉教授。 高校進学と同時に日本共産党に入党。東京学芸大学に入学するが、中退して東京大学に再入学する。当初はエルンスト・マッハに対する関心が強かったが、指導教官の勧めなどがあってカント研究に専念。東京大学大学院に進学し、1965年に博士後期課程を単位取得退学している。共産党との関係では、1955年の六全協を受け復党するも、翌1956年に出版した共著書『日本の学生運動』が問題とされ離党した。1958年12月に共産党と敵対する共産主義者同盟(ブント)が結成されて以降、理論面において長く支援し続けた。 認識論 廣松は主観・客観図式による伝統的な認識論を批判する。主観・客観とされているいずれの側も二重になっており、全体として世界の存在構造は四肢的だと指摘し、...
  • 書評2
    『現代哲学ラボ 第4号 永井均の無内包の現実性とは?』 『現代哲学ラボ 第4号 永井均の無内包の現実性とは?』 本書は永井均の「無内包の現実性」という概念をテーマに、2016年9月23日早稲田大学で行われた永井均、入不二基義、森岡正博の三者による議論を電子書籍化したものである。 「無内包の現実性」には自我論と時間論という二つの論点があり、この二つは私の関心の対象でもあるので、それぞれを論じてみたい。 ※なお本書はamazonのkindle版につき表示環境によってページ数が異なると思われるので、引用の際のページ表記は省略する ・〈私〉の存在論 永井は「現実の〈私〉が一人だけいる」という事実は「事象内容的な問題と無関係」と語る。たとえば自分の複製人間がいて、自分と同じ物理構造をしていて同じ意識現象があっても、〈私〉は端的に一人である。つまり物理構造や意識という事象内...
  • 時間と空間の哲学
    概説 歴史マクタガートの時間論 科学における「絶対説」と「関係説」 相対性理論の時間・空間論「時間の流れ」の問題 哲学者の相対性理論解釈 存在論的派生問題 補足 空間論 心の哲学との関連 概説 時間と空間の哲学(philosophy of space and time)とは、時間と空間――時空についての哲学的な考察である。現代では哲学と物理学との学際領域である。分析哲学ではジョン・マクタガートの時間論を巡って活発に議論が行われている。 時空の哲学では以下のような問題が考察されている。  時間や空間はその中にある物体と独立に実在するのか、それとも物体と物体の関係としてしか存在しないのか? 独立に存在すると考えるのがニュートンの絶対時間・絶対空間の立場であり、物質たちの関係としてしか存在しないと考えるのがライプニッツやマッハの関係説の立場である。アインシュタインの相対...
  • マリーの部屋
    概説 知識論法 三種類の応答タイプA タイプB タイプC 派生問題 概説 マリーの部屋(英:Mary s Room)、またはスーパー科学者マリー(英:Mary the super-scientist)とは、1982年にフランク・ジャクソンが提示した物理主義、特に機能主義を批判する内容の思考実験である。 マリーは聡明な科学者であるが、なんらかの事情により、白黒の部屋に閉じこもり、白黒のテレビ画面を通してのみ世界を調査している。彼女の専門は視覚に関する神経生理学であり、我々が熟したトマトや晴れた空を見るときに感じる「色彩」についての全ての物理学的、神経生理学的情報を知っている。また「赤い」や「青い」という言葉が我々の日常生活でどのように用いられ、機能しているかも知っている。さて、彼女が白黒の部屋から解放されたり、テレビがカラーになったとき、何が起こるだろう。彼女は何か新しいこと...
  • 逆転クオリア
    概説 逆転地球 思考実験のアレンジ 概説 逆転クオリア(Inverted qualia)とは、自分と同じ物理現象を体験している他者が、自分とは異なるクオリアを体験している論理的可能性を指摘するもので、哲学的ゾンビ同様の想像可能性論法である。思考実験では同じ波長の光を受け取っている異なる人間が、異なる「色」を経験するパターンがよく用いられる。逆転スペクトル(Inverted spectrum)やスペクトルの反転とも呼ばれる。 例えば自分と他者が同じリンゴを見ていても、自分には赤く見えるが他者には青く見えている可能性があると考える。この場合、その他者には「赤」という言葉がそのリンゴの「青い色」を指しているのだから言葉ではクオリアの逆転を知ることはできない。リンゴの青と他の色とを区別できるのだから色盲テストもパスできるし、信号が赤に変わればその他者は自分と同じように停まる。自分と...
  • 表象主義
    概説 志向性と表象 機能主義と表象主義の関係 批判 概説 表象主義(Representationalism)とは、人が何かを知覚した場合、その知覚は実在する対象を表すイメージだと考える哲学的立場である。たとえばテーブルを見た場合、光がテーブルという物体に反射して人の視覚で捉えられ、テーブルの知覚像が作られると考える。 近代では心身二元論の立場から、知覚像は物質からもたらされるという表象主義が主張されてきたが、この立場には知覚因果のメカニズムが解き難いという問題が指摘されてきた。 表象主義は近代哲学と現代の分析哲学では大きく異なっている。分析哲学では「表象理論」と呼ばれることが多い。近代哲学では物質的対象に属するのは質量や延長量(一時性質)のみとされていたが、分析哲学の表象理論では色や音や味(二次性質)も物質的対象に属すると考える。 以降は分析哲学での表象主義...
  • @wiki全体から「カント『純粋理性批判』の検証」で調べる

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