ヘーゲル

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  • ヘーゲル
    概説 心の哲学についてのヘーゲルの思想 概説 ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel、1770年8月27日 - 1831年11月14日)は、ドイツの哲学者。ドイツ観念論哲学の完成者といわれる思想家である。 デカルト的二元論を克服するためにシェリングから「世界精神」の概念を受け継ぎ、心的なものと物理的なものが精神という新たな綜合において存在しているという独自の「絶対的観念論」を提唱した。 ヘーゲル哲学を批判的に継承・発展させた人物としては、セーレン・キェルケゴール、カール・マルクスなどがいる。ポストモダン思想においては、マルクス主義国家における全体主義的傾向は、理性によって人間を含む世界の全体を把握できるとするヘーゲル思想に由来している、という見方がされている。 心の哲学についてのヘーゲルの思想...
  • 観念論
    ...リングなどを経由し、ヘーゲルによってドイツ観念論として一応の完成を見た。ヘーゲル左派のフォイエルバッハ、その思想を継承するカール・マルクスやレーニンは唯物論者であるものの、人間が直接経験できない「物質」を実在するものと措定しているため、このタイプの観念論の系統の哲学者である。彼らの「弁証法的唯物論」の基本構成は、ヘーゲルの弁証法における「精神」を「物質」に置き換えたものである。 (2)人間が直接経験できる感覚や観念だけが実在している、または直接経験できないものを語ることは無意味であるとする経験主義的立場。ジョージ・バークリーに始まる。バークリーの観念論はデイヴィッド・ヒュームに継承され、そのヒュームにおいては人間が直接経験できない「自我」の存在も否定された(自我は感覚を対象化する作用であり、自らは対象化されないからである)。英国経験論の方法論は、オーギュスト・コントの実証主義...
  • 実体
    ...ノザ ライプニッツ ヘーゲル 仏教 (管理者がWikipediaの文を加筆修正) 概説 実体とは、哲学用語で真に実在するものの意。性質や様態のように何かに属していたり、何かによって構成されているようなものではなく、「真に在るもの」を指していう。その様々な特性が、属性と呼ばれる。 ギリシア哲学におけるアルケー、またはウーシアとその同義語としてのヒュポスタシスに由来し、「本質」および「実在」とは語源的にも哲学的にも深い関連を有する。 実体概念の誕生と変遷 エレア派 実体の概念はエレア派の存在についての思考に負うところが大きい。エレア派は物事を考える上で誰しも前提にせざるを得ない同一律、矛盾律を厳密に突き詰めれば、生成変化は有り得ないとと考えた。 パルメニデスはいう「事物は在るか無いかである。在るものは在るし、無いものは無い」 ところが、事...
  • 汎神論
    ...ピノザ、シェリング、ヘーゲルの思想がこれに属する。 汎神論を意味する英語の pantheism は、ギリシア語の pan(全て)と theos(神)を語源にする語で、文字どおり「全ては神」、または「神は全て」を意味する。 汎心論は万物に心的なものが宿っているという考えであり、汎神論の「神」を「心」に置き換えただけとも解釈できるが、大きな違いは、汎神論の場合は世界全体に統一的な意思の存在を想定している点である。ヘーゲルの「絶対精神」はその典型である。 心の哲学における汎神論 心の哲学においては、スピノザの汎神論的な心身並行説は中立一元論の原型とみなされている。スピノザにおいては神だけが唯一の実体であり、その実体は「意識」と、デカルトが延長と呼んだ「大きさ」をもつとされる。もちろん我々人間の意識も神の一部なのである。この世界を広がりを持つものとして考えれば「自然」...
  • メニュー
    ...ヌエル・カント ├ヘーゲル ├バートランド・ラッセル ├ウィトゲンシュタイン ├ギルバート・ライル ├ドナルド・デイヴィッドソン ├ピーター・ストローソン ├ジョン・サール ├ダニエル・デネット └デイヴィッド・チャーマーズ □永井均 □渡辺恒夫 □大森荘蔵 □廣松渉 □Wikipediaの関連項目リンク ├究極の問い ├形而上学 ├存在論 ├科学哲学 ├自我 ├インド哲学 ├唯識 ├時空の哲学 ├可能世界 ├普遍論争 ├現象学 ├ホーリズム ├アフォーダンス ├量子脳理論 ├隙間の神 ├人工意識 ├操作主義 └自由意志 ■お勧めサイト ├WEBで読む西洋テツガク史 └対戦型哲学史 メニュー編集
  • 唯心論
    ...フィテ、シェリング、ヘーゲルなどに影響を与え、彼らは自らの観念論を展開させた。 近代において、論理的な思考方法で唯心論を主張したのはジョージ・バークリーである。彼は自分に経験できるものは、客観的に実在しているとされる物質でさえ一種の知覚であることから、実在という概念が観念発生を説明できていないと考え、唯心論的な観念論を主張した。この唯心論は独我論と同一視される。 仏教の唯識論との違い 仏教にも華厳経に唯心(三界唯一心)が説かれたことから、唯識論が生れている。しかし仏教ではその識(心の作用)も仮のもので夢幻の存在であるとして否定する。 参考サイト http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E5%BF%83%E8%AB%96 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3...
  • 一元論
    ...スピノザの汎神論や、ヘーゲルの形而上学に継承されている。 参考文献 三浦要『パルメニデスにおける真理の探究』京都大学出版会 2011年
  • コウモリの視点
    アメリカの哲学者トマス・ネーゲル(Thomas Nagel, 1937年7月4日 - )は、論文「コウモリであるとはどのようなことか?」(1974年)で、機能主義的な物理主義に対する反論として、意識・クオリアの主観性をコウモリを例にして主張した。 コウモリはどのように世界を感じているのか。コウモリは口から超音波を発し、その反響音を元に周囲の状態を把握している(反響定位)。コウモリはこの反響音をいったい「見える」ようにして感じるのか、それとも「聞こえる」ようにして感じるのか、または全く違った風に感じるのか……。コウモリの感じ方を問うことは出来るが、しかし人間はその答えを知る術を持ってはいない。 この問いで注意すべきなのは、人間がコウモリのような生活をしたらどのように感じるかということではない。それは人間である私にとってどのようなことか、という「私の視点」にすぎない。ネーゲルが...
  • スピノザ
    ...響を与えた。近代ではヘーゲルがスピノザ実体概念を自分の絶対的な主体へ発展させている。またスピノザの思想は無神論ではなく、むしろ神のみが存在すると主張する無世界論(Akosmismus)であると評している。 スピノザの形而上学の中核は「実体」概念であり、それはアリストテレスからスコラ学者を経てデカルトへ受け継がれてきた実体概念の影響を受けている。スピノザは主著『エチカ』において実体とそれに関連する概念を以下のように定義している。 「実体」とは、それ自身の内にありかつそれ自身によって考えられるもの、言い換えればその概念を形成するのに他の概念を必要としないもの、と解する。(定義3) 「属性」とは、知性が実体についてその本質を構成していると知覚するもの、と解する。(定義4) 「様態」とは、実体の変状、すなわち他のものの内にありかつ他のものによって考えられるもの、と解する。(...
  • 意識の超難問
    概説 心理学的分析 分析哲学からの批判 人格の同一性問題から派生する意識の超難問 概説 意識の超難問(harder problem of consciousness)とは、オーストラリアの人工知能学者ティム・ロバーツが提起した問題で、「なぜ私は他の誰かではないのか?」というような、高度な自己意識(自我体験)に関するものである。 第一回と第二回のツーソン会議でデイヴィッド・チャーマーズが、意識のイージープロブレム( easy problem of consciousness )と意識のハードプロブレム(hard problem of consciousness)の問題提起をして大きな影響を及ぼした。ティム・ロバーツは1998年の第三回ツーソン会議で、意識のハードプロブレムよりも、さらに難しい問題として「意識の超難問」を以下のように提起した。 たとえいわゆる意識の「難問」...
  • 新神秘主義
    新神秘主義(英 New mysterianism)は、心身問題、つまり心的な意識現象と物質的な脳がどのように関わりあっているのか解明するのは不可能だとする立場のこと。代表的な論者にコリン・マッギンがいる。トマス・ネーゲルも新神秘主義者に分類されることがある。 マッギンは認知的閉鎖説を提唱し、人間が意識の謎、つまり意識のハードプロブレムが解明される可能性に懐疑的である。トマス・ハックスリーは1886年に、「神経組織の活動によって意識状態という驚くべきものが出現することは、物語のアラジンが魔法のランプをこすれば魔人が現れることのようだ」と心と脳の関係を表現した。このハックスリーの言葉は意識現象がいかに奇跡的であるかうまく捉えていたとマッギンはいう。そしてマッギンは心的特性を物理特性に還元する物理主義を批判し、また心的なものの排他性を強調する二元論は脳から心を切り離すようなものだと批判...
  • パルメニデス
    ...であった。 ヘーゲルはゼノンのパラドックスに対し、そこから帰結するのは、運動が存在しないということでなく、運動は定有する矛盾であるということだと結論している。もちろんヘーゲルの場合は、独自の弁証法によってその矛盾が解消されることを展望していると考えられる。 20世紀ではマクタガートが時間の実在性を否定する主張を展開している。マクタガートの主張を簡略に説明すると、われわれが理解する時間の概念は、「現在、過去、未来」という時制述語によって理解される「A系列」の時間と、「~より前、~より後」という関係語によって理解される「B系列」の時間があるが、「変化」の概念を伴っているA系列こそが時間の本質であり、B系列とはそこから派生した時間概念であるとする。その上で彼は時制述語で理解されるA系列は矛盾しているという。つまりあらゆる出来事は、「未来である」「現在である」「過去である」、...
  • バートランド・ラッセル
    ... 哲学者としては新ヘーゲル主義から経験主義に転向し、初期の論理実証主義に大きな影響を与える。無神論者であった。 ラッセルはウィトゲンシュタインの才能を早くに見抜き、親交を結んで互いに影響を与え合った。しかし後期のウィトゲンシュタインを始めとする日常言語学派には批判的であり、言語の分析を哲学の終点とみなさず、あくまで言語が指示する対象に拘り、独自に形而上学を探究した。 ラッセルは分析哲学の創始者の一人でもあり、その哲学は生涯に渡って変化を続けたものの、哲学的手法は終始一貫して分析的・論理的であった。つまりラッセルは人間の本能と直感に信を置かなかった。このことは反戦運動に尽力していたことからも伺える。戦争とは人間の闘争本能の露呈だからである。そしてラッセルにとっては、戦争をもたらすような原始的な人間の本能や直感から構成されたものが日常言語であり、それゆえに日常言語学派の...
  • 現象的意識
    現象的意識とは、意識の性質のうち、客観化できない主観的な内容のことである。心の哲学においては、客観化できる意識の機能的な側面と対比させて、現象的な側面を指す場合によく使われる。 クオリアという用語は現象的意識とほぼ同じ意味で用いられることがある。たとえば表象主義では、意識の「現象的側面(phenomenal aspect of consciousness)」がクオリアと呼ばれる。 現象的意識という用語はネド・ブロックが案出した。ブロックは「現象的意識(phenomenal consciousness)」と「アクセス意識(access consciousness)」を区別した(Block 1995)。 ブロックは現象的意識の本質を、トマス・ネーゲルが「コウモリであるとはどういうことか」という論文で述べた語句を引用して説明する。つまり「生物が意識的な心的状態をもつのは、...
  • 現象主義
    ...主義を含意しており、ヘーゲル的な世界の共通認識を前提としたマルクスとエンゲルスの弁証法的唯物論と相容れない思想であること、そしてマッハの思想がロシアのマルクス主義者たちにも浸透し、マッハとマルクスの思想を調和させようとしたボグダーノフなどが現われため、マルクス主義の分裂を危惧したことが理由だと考えられる。 マッハは現象主義の立場から原子の存在を否定し、ボルツマンと対立したが、後に原子の存在が確かめられ、原子物理学の発展によって現象主義は衰退することになった。 大森荘蔵は論理実証主義の感覚与件論は否定するが、〈立ち現われ一元論〉と〈重ね描き〉のアイデアによって、直接に知覚できない原子やクォーク、また法則や仮説などの理論を、「語り存在」として解釈して、現象主義的な方法を透徹した。つまりクォークなどの知覚できない理論的存在は、それを「語る」こと、つまり日常言語と繋がる科学用...
  • 多重実現可能性
    概説 派生問題 概説 多重実現可能性(multiple realizability)とは、心の哲学において、一つの心的現象はさまざまな脳の作用から生じうるとする説。特定の心的現象は特定の脳作用と同一であるとする心脳同一説のタイプ同一説に対する批判として、ヒラリー・パトナムが主張した。 例えば「痛み」という心的状態は何らかの脳状態で実現される。「痛み」を神経科学に還元するためには、「痛み」と何らかの脳状態との同一性を示すような「橋渡し法」(bridge law)を構築する必要がある。即ち、「痛みが生じるのは○○であるときに限る」という文を神経科学の語で完成させなければならない。例えば、「痛みが生じるのは神経線維Aが発火するそのときに限る」というようなものである。 これに対して多重実現可能性は障害になる。「痛み」を持つのは人間だけでなく各哺乳類、鳥類、爬虫類も「痛み」を...
  • ダニエル・デネット
    概説 クオリア批判 人工知能擁護 批判 概説 ダニエル・デネット(Daniel Clement Dennett, 1942年3月28日 - )はアメリカの哲学者。2005年2月現在、タフツ大学教授。同大学認知科学センター監督官。1963年ハーバード大学卒業後、1965年オックスフォード大学にてPh.D取得。ハーバードではW・V・O・クワインに、オックスフォードではギルバート・ライルに師事。心の哲学では物理主義の代表的な人物である。 他者の内省報告を観察データとして認める「ヘテロ現象学」(Heterophenomenology)を掲げ、行動主義に陥ることなく、観察可能なデータから主観的意識の問題を扱えると主張する。 デネットは意識と脳の神経的なプロセスを異なる次元のものとして考えてきた心身二元論というデカルト以来の哲学的伝統を批判する。意識をつかさどる中央処理装置カル...
  • 人格の同一性
    1 過去とのつながり 2 記憶説と身体説 3 還元主義と非還元主義 4 物理主義と反物理主義 5 三次元主義と四次元主義 6 独我論と実在論 7 独在性のアポリア 8 クオリアの同一性と非同一性 1 過去とのつながり 年始に親戚回りなどをしていると、稀に十年以上会っていなかった人物に再会することがある。前回見たときは五歳だった少年が、今は中学生になっている。当然、昔の面影は全く消えていて別人に見える。 五歳の時の少年は色白く内気な感じで、いつも携帯ゲーム機をいじっており、私が話しかけてもゲームをしながら「うん」「いいや」とガスが抜けるような気のない返事をするだけだった。ところが中学生になった少年は身体が五倍大きくなり、野球部に入って逞しく日焼けし、私が話しかけると真っ直ぐ私の眼を見て、溌剌としたスポーツマンの声でしっかり受け答えをする。 あの色白で内気だった五歳の少...
  • 機能主義
    概説 目的論的機能主義 ブラックボックス機能主義 コンピューター機能主義 機能主義に対する批判 概説 心の哲学における機能主義(英:Functionalism)とは、心的な状態とはその状態のもつ機能によって定義されるという立場。 心的状態をその因果的な役割によって説明し、「心とはどんな働きをしているのか」を考えることが「心とは何か」という問いの答えとなるという立場である。 たとえば腕を強く打ったりすることの結果として生じ、打った腕を押さえたり顔をしかめたりすることの原因となる心的状態が「痛み」であるとされる。またそのように因果作用をもたらす心的性質を機能的性質(functional property) という。つまり心的状態とは知覚入力の結果であり、行動出力の原因であり、また他の心理状態の原因や結果であると考える。 行動主義やタイプ同一説の問題点を踏まえた上で、それ...
  • 時間と空間の哲学
    ...、スピノザ、カント、ヘーゲルを挙げている。 入不二基義は、マクタガートの想定する「実在」には「変化」が一切含まれておらず、全体が一挙に永久に存在している「全体としての実在」という実在観が読み取れるとし、「実在」とは「being や is」の両方を含んだ全体であり、その部分集合として「存在(existence、exist)」が位置づけられていると見ている。(*9) マクタガートは我々が体験する一定の幅のある「現在」の知覚を、ウィリアム・ジェイムズの用語を借りて「見かけの現在(specious present)」と呼んでいる。つまりマクタガートが論じているのは、「実在する時間」は存在しないということであって、私たちの経験する時間が幻想や誤謬ということではない。そして経験される主観的な時間も、無時間的な実在を何らかの仕方で反映している、ということである。(*10) ...
  • 動物の心
    (以下は管理者の見解) 動物にも何がしか「心」のようなものがあるというのは大半の動物学者が認めていることである。根拠のひとつは振る舞いが人間と似ているということである。動物には自分の心の状態を報告する人間的な言語を持たないが、猫でも石が当たって怪我をすれば人間のように痛みを感じているよう振る舞って泣き声を上げる。もうひとつの根拠は人間同様に目、耳、鼻といった感覚器官をもち、神経構造もまた人間と似ているということである。特に哺乳類の場合は人間と類似した構造の脳――意識活動に十分と推定できる脳細胞を持っている。それらから動物にも心のようなものがあると類推することができる。 成長したチンパンジーの知能は一般的に人間の三歳児ぐらいといわれる(科学的な根拠は不明)。人間の一、二歳児に心があると認めるならチンパンジーに心がないと考えることの方が難しいだろう。しかし動物にも心があると仮...
  • 実践理性の方向
    ...思う。 私はヘーゲルの哲学をよく理解しているわけではないが、『精神現象学』には「消えることが消える」という謎めいた文があって、それを読んだときこの人は何らかの真理を捉えた哲学者なのだと思った。単に「消える」というなら消えたものがあったことになる。しかし「消えることも消える」というなら、消えたものは元から私が思っているような明晰な存在ではなかったということである。もちろんヘーゲルの場合は自らの弁証法の一段階として件の文を書いたのだろうから、私の無世界論と親和的だと解釈するのは牽強付会だと承知している。しかし「消える」こと、また「消えることが消える」ことは現象学的な事実であって、物事は全て空間的な明晰性を維持することができず、単に消えるのではなく、消えることまでが消えるという魔法のような時間変化に晒されることになる。 ものごとが消えるということはどういうことだろう。無から...
  • クオリア
    概説 意識とクオリアの違い 歴史と類義語 クオリアについての論争 還元主義的物理主義と二元論 外在主義と内在主義 クオリアに関する思考実験 クオリアの全一性 概説 クオリア(英:複数形 Qualia、単数形 Quale クワーレ、またはクアリ)とは、客観的には観察できない意識の主観的な性質のこと。日本語では感覚質と訳されることもある。もとはラテン語で「質感」を表す単語であるが、1990年代の半ばから意識の不思議さを象徴する言葉として科学者や哲学者の間で広く使われるようになった。「現象」「表象」「感覚与件」は類似の概念である。 クオリアという用語は厳密に定義されておらず、論者によって用いられ方が異なる。ブレンターノやフッサールは志向性が意識の本質だとし、心的状態は全て志向的だと考えた。この"ブレンターノ・テーゼ"に従ってクオリアも志向的であるとする論者がい...
  • カント『純粋理性批判』の検証
    ...論的な観念論であり、ヘーゲルは汎神論的な観念論である。少なくとも現代の心の哲学では物的一元論(唯物論)や二元論に対する心的一元論を指す場合に観念論という語が使われており、私はその意味で観念論という語を用いることにする。 反実在論・独我論・観念論というのは、一つの哲学立場が論点の違いによって自らの立場を表すために使い分けている語たちなのである。これ以降の論述で使用される反実在論・独我論・観念論の各語は、意味は異なっていても一つの哲学的立場から主張されているのだと考えてよい。 私は第2章「無限論」において、無限についてのパラドックスを詳細に検討した結果、反実在論は論理的に正しいと結論した。ならば夢と現実に決定的な差異がないとなる。では、なぜ私は現実世界で空を飛べないのだろう?  物理法則が牢固としてあるからだ、と単純に考えるのは間違いである。物理法則とは時間・空間...
  • 大森荘蔵
    ...エレア派、スピノザ、ヘーゲルが展望した世界観に他ならない。なお時間論に限定して一元論を主張するなら、まさに最晩年の大森が接近したアウグスティヌスの立場に他ならない。 もしアウグスティヌスの無時間論の立場を取るならば、前述のヒュームの難問は乗り越えられるかもしれない。無時間論では、過去は「あった」というのでなく、未来は「あるだろう」というのでもない。過去・現在・未来の全ての出来事は、全て平等に、一挙に「現在」として存在すると考えるのである。 エレア派のような言い方をするならば、過去が「ある」ものであるならば「ない」ものになることはできない。未来が「ない」ものならば「ある」ものになることはできない。世界の全体は「ある」もので満ちていなければならない。パルメニデスは以下のような詩を残している(井上忠 訳)。 それはかつてあったのでも、いつかあるだろう、でもない。なぜな...
  • 廣松渉
    認識論 心身問題 廣松渉(ひろまつ わたる、1933年8月11日 - 1994年5月22日)は日本の哲学者。東京大学名誉教授。 高校進学と同時に日本共産党に入党。東京学芸大学に入学するが、中退して東京大学に再入学する。当初はエルンスト・マッハに対する関心が強かったが、指導教官の勧めなどがあってカント研究に専念。東京大学大学院に進学し、1965年に博士後期課程を単位取得退学している。共産党との関係では、1955年の六全協を受け復党するも、翌1956年に出版した共著書『日本の学生運動』が問題とされ離党した。1958年12月に共産党と敵対する共産主義者同盟(ブント)が結成されて以降、理論面において長く支援し続けた。 認識論 廣松は主観・客観図式による伝統的な認識論を批判する。主観・客観とされているいずれの側も二重になっており、全体として世界の存在構造は四肢的だと指摘し、...
  • 行動主義
    概説 歴史 心の哲学における行動主義 行動主義への批判 概説 行動主義とは、心理状態は行動状態にほかならないとする理論である。心の哲学においては物理主義の一種である。元は心理学のアプローチの一つで、観察不可能な心の私秘的性質に依拠せず、観察可能な行動を研究することで人間の心理を科学の対象とする試みだった。従って行動主義においては、人に意識現象があるとみなせるのは、自分に知覚や意識があると報告可能な場合に限られる。 行動主義においては、意識において志向対象とならなかった表象やクオリアは、報告不可能なため研究の対象とならない。このため心の哲学における行動主義は1960年代には衰退し、心脳同一説にとって代わられていった。だが、行動主義の方法論のいくつかは機能主義に受け継がれている。 歴史 20世紀、精神分析学のムーブメントと同時期に、行動主義学派は心理学に浸透した。 行動...
  • マリーの部屋
    概説 知識論法 三種類の応答タイプA タイプB タイプC 派生問題 概説 マリーの部屋(英:Mary s Room)、またはスーパー科学者マリー(英:Mary the super-scientist)とは、1982年にフランク・ジャクソンが提示した物理主義、特に機能主義を批判する内容の思考実験である。 マリーは聡明な科学者であるが、なんらかの事情により、白黒の部屋に閉じこもり、白黒のテレビ画面を通してのみ世界を調査している。彼女の専門は視覚に関する神経生理学であり、我々が熟したトマトや晴れた空を見るときに感じる「色彩」についての全ての物理学的、神経生理学的情報を知っている。また「赤い」や「青い」という言葉が我々の日常生活でどのように用いられ、機能しているかも知っている。さて、彼女が白黒の部屋から解放されたり、テレビがカラーになったとき、何が起こるだろう。彼女は何か新しいこと...
  • 現象的意識の非論理性
    1 「変化」という矛盾 2 心の哲学における「変化」の説明 3 実在論の無意味 4 物理法則の内在性 5 心脳問題 6 現象主義的心脳同一説 7 時間・因果の非実在 8 無時間論の可能性 9 補足 1 「変化」という矛盾 目を閉じると闇になる。私はその闇に美女でも戦車でも銀河系でも思い浮かべることができる。そして次にはその美女も戦車も銀河系も消すことができる。これは魔法や奇跡としか形容しようのない不思議なことである。 意識に現れる現象は次々に変化する。これは一般人には当たり前のことと思われている。しかしその変化なるものは紀元前にパルメニデスが指摘したように、論理を逸脱した不思議なものである。変化とは「ある」ものが「ない」ものになることであり、「ない」ものが「ある」ものになることである。「無からは何も生じない」というのは世界の基本原理である。逆に言えば存在していた何かが無にな...
  • 無限論
    1 はじめの一歩 2 無限論と実在論 3 ゼノンのパラドックスの終着点 4 カントによる無限批判 5 形而上学無限の不可能性 6 物理学による形而上学的無限の回避可能性 7 数学的無限と形而上学的無限の不調和 8 結論――実在論の最期 9 無限の派生問題 1 はじめの一歩 人生の道を一歩踏み外せば奈落に落ちる。僅か一歩には生死を分ける重大さがある。それは学問の道でも同様であろう。しかし哲学での無限についての議論では、その一歩の重大さが忘れられているように思える。はじめの一歩を踏み間違えていたなら、その後いくら懸命に歩を進めようと間違った地に行く着くしかない。 ゼノンのパラドックスは二千年以上にわたって夥しい学者たちが反駁を試みてきたが、今日でもなお議論が続いており、未だ万人が納得する解決法が発見されていないように思える。大森荘蔵は、ゼノンの主張は詭弁であるという前提からパラ...
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