唯心論

心の哲学まとめWiki内検索 / 「唯心論」で検索した結果

検索 :
  • 唯心論
    概説 仏教の唯識論との違い 概説 唯心論(spiritualism; idealism)とは観念論の一種で、物質的なものは実在ではないと考え、心的なものだけが実在であるとする哲学の立場。その反対が唯物論である。類似の思想的立場に現象主義があるが、現象主義は経験主義から出発し、実在や神など人が経験できないものは不可知であるとするのが大きな違いである。 歴史的には三世紀頃、新プラトン主義の哲学者プロティノスが唯心論的な形而上学を残している。プロティノスの思想はプラトンのイデア論を受け継ぎながら、その二元論を克服しようとしたものである。 プラトンの『パルメニデス』に説かれた「一なるもの」(to hen)を重視し、これを神と同一視した。 彼によると、唯一にして無限の宇宙的意識である「一者」が存在し、万物(霊魂、物質)は「一者」から流出したヌース(理性)の働きによるものである(流出説...
  • 汎心論
    ...心だけであると考える唯心論。 3、心の哲学の分野において、創発説や還元主義に対立するものとして語られる汎経験説(Panexperientialism)。 心の哲学における汎経験説とは、あらゆる物質に意識、あるいは意識の元となる性質(原意識)があるとする中立一元論的な考え方であり、バートランド・ラッセルが1927年の『物質の解析』で主張した。ラッセルの考えは物理学者のアーサー・エディントンにも支持され、エディントンは1928年の『物理的世界』で「世界の素材は『心素材』である」と明言している。現代ではデイヴィッド・チャーマーズ、ガレン・ストローソン、ロジャー・ペンローズ、スチュワート・ハメロフらがこの立場である。 脳は物理的な粒子からなる。それら粒子によって特定の作用が生じた時に「痛い」や「甘い」といった主観的な現象的意識やクオリアといった性質が生じる。物理的な特...
  • メニュー
    ... ├観念論 |└唯心論 ├現象主義 | └重ね描き ├中立一元論 └汎神論・汎心論 ■思考実験 ├中国語の部屋 ├中国人民 ├逆転クオリア ├水槽の脳 ├スワンプマン ├テセウスの船 ├哲学的ゾンビ ├コウモリの視点 ├カルテジアン劇場 └マリーの部屋 ■心の哲学の問題 ├現象的意識 |├現象 |├表象 |├クオリア |└還元・創発・汎経験説 ├自己 |├意識の統一性 |└無主体論 ├還元主義 ├意識のハードプロブレム |├意識の二面性 |└意識の超難問 ├心的因果 |├付随性 |├因果的閉包性 |└現象判断のパラドックス ├説明のギャップ ├意識の境界問題 ├意識に相関した脳活動 ├多重実現可能性 ├志向性 ├命題的態度 ├固定指示子 ├ゲシュタルト構造 ├アウェアネス ├言語的批判...
  • 中立一元論
    ...だけが存在するという唯心論と対立しつつ、その両者の中間的位置を取る。バートランド・ラッセル、ウィリアム・ジェイムズ、ピーター・ストローソンがこの立場である。デイヴィッド・チャーマーズの自然主義的二元論は中立一元論の一種である。スピノザは汎神論的な一元論者であるが、心身問題に関しては中立一元論といえる。 中立一元論は、心的なものについての説明が困難な物理主義の欠点と、物理的なものの実在性と対立している観念論の欠点を、それぞれ回避しているという点で支持する者が多い理論である。 しかし現代の物理主義者は物理領域の因果的閉包性を前提に、中立一元論者がいう「性質としての心」も、因果的に排除可能だと論じており、心的因果を擁護できるか、また因果的提灯や現象判断のパラドクスを回避できるかが課題となる。 中立一元論のバリエーションの一つであるトロープ説では、心的性質と物理的性質...
  • 廣松渉
    ...の基本的セオリーを、唯心論とは同根で表裏の、一種の「オカルト」に等しいとみなしていた。 廣松はエンゲルスの、「人は将来、意識現象の本質は脳髄の分子運動に還元するであろう。だが、果たして、意識現象の本質は脳髄の分子運動ということで尽くされるであろうか」という言葉を援用し、自身も「還元」を認めるものの、意識の本質はそれでは尽くされないという。 廣松はデカルトが異質なものとして分離したように、心的なものは物理的なものと異なって空間的規定性がないことを認め、心的なものが「実体」であったとしても「状態」であったとしても、心的なものは体内に場所を占めないという。そして空間的存在たる身体と没空間的存在たる意識の間に「因果」「随伴」「並行」という概念を適用するのはカテゴリーミステイクであるとする。確かに身体が傷ついたりした場合には「痛み」など意識現象が伴うことを確認できるが、それは身...
  • 一元論
    ...またある種の観念論(唯心論)では、精神的なものだけが実体として多数存在していると考える。ライプニッツやデイヴィッド・ヒュームがこの立場である。 2、「唯一」のものだけがあるとする考え 数的一元論(numerical monism)または絶対一元論とも呼ばれる。世界には多様なものが存在しているように見えるが、実はそれは唯一の存在者の属性であると考える。インド哲学における梵我一如がその立場である。西洋ではパルメニデスが最初に主張し、パルメニデスの思想はスピノザの汎神論や、ヘーゲルの形而上学に継承されている。 参考文献 三浦要『パルメニデスにおける真理の探究』京都大学出版会 2011年
  • 観念論
    ...て、観念論はしばしば唯心論と同じ意味で使われるが、唯心論とはバークリーのタイプの観念論に限られる。また現象主義も観念論と同一視されることがあるが、現象主義とは経験主義的な方法論であって、形而上学的含意がないのが一般的である。 唯物論や物理主義の立場から二元論の立場を批判する際に、観念論は一種の蔑称のような意味で使われる。特にマルクス主義に影響を受けた学者にはその傾向が強い。これはマッハが現象主義の立場から「唯物論は非科学的で時代遅れの形而上学である」と批判し、それに対してレーニンがマルクスの弁証法的唯物論を擁護する立場から、マッハを「バークリーの焼き直しの主観的観念論者である」と批判したことに端を発する。マルクス主義哲学者であった森宏一などは、論理実証主義の系統にある分析哲学でさえ、「マッハ主義を源流のひとつとしている現代ブルジョア哲学の主流」と語っている(森宏一編集『哲学辞...
  • 心の哲学全般
    ... ├観念論 |└唯心論 ├現象主義 | └重ね描き ├中立一元論 └汎神論・汎心論 一元論対二元論の概念図(英Wikipediaより引用) 図の Cartesian Duality はデカルトの実体二元論を意味する。Physicalism は物理主義的一元論(物的一元論とも呼ばれる)、Idealism は観念論的一元論(心的一元論とも呼ばれる)、Neutral Monism は中立一元論の意味である。なお現代では「二元論」という場合、デカルトの二元論でなく性質二元論を意味することが多く、これは中立一元論とほぼ同じ立場である。現代の心の哲学では、物理主義VS中立一元論(性質二元論)という構図で論争が行われていると考えても間違いではない。 現代では心的一元論の立場を取る哲学者はほとんどいない。 ※なお上の図は一元論対二元論という構図で分類されているが、...
  • ヘーゲル
    ...である。バークリーの唯心論との違いは、心的なものと物理的なものが「精神」という新たな綜合において存在しているという見方であり、これがヘーゲルの「絶対的観念論」の特徴である。 ヘーゲルは普遍と個物について独自の主張をしており、これは心身問題に関わってくる。物理的な世界はある意味で心の具体例だと考え、『精神の哲学』において以下のように述べている。 非物質的なものは、物質的なものに対し、個別対個別として関係しているのではない。個別を橋かけ、個別を抱く真の普遍として、個別に関係しているのである。 人間的表現という名目のもとには、たとえば、直立した姿勢一般、手足とくに究極の道具としての手の仕組み、全身に注がれた精神的音調が属している。この精神的音調は、身体がより気高い本性の表れであることを告げているのである。 これらの考えはバークリーの、「存在するとは知覚される...
  • 汎神論
    概説 心の哲学における汎神論 汎神論論争 概説 汎神論(英 Pantheism)とは、宗教・哲学における神の解釈の一種で、全ての物体・法則に神性が宿っている、または一切が神そのものである、とするものである。万有神論ともいわれる。古くはウパニシャッドの梵我一如、ストア学派の哲学、近代ではスピノザ、シェリング、ヘーゲルの思想がこれに属する。 汎神論を意味する英語の pantheism は、ギリシア語の pan(全て)と theos(神)を語源にする語で、文字どおり「全ては神」、または「神は全て」を意味する。 汎心論は万物に心的なものが宿っているという考えであり、汎神論の「神」を「心」に置き換えただけとも解釈できるが、大きな違いは、汎神論の場合は世界全体に統一的な意思の存在を想定している点である。ヘーゲルの「絶対精神」はその典型である。 心の哲学における汎神論 心...
  • 還元・創発・汎経験説
    概説 還元説 創発説デイヴィッド・チャーマーズによる解説 汎経験説 諸説への批判 概説 クオリアというものが一体どこから、どのようにして生じているのかは全くの謎である。現代の科学においても、脳の神経細胞の作用に対応して存在していることだけが事実として認められている。言い換えると脳科学が明らかにしたのは、心的現象と脳の作用に因果的な隣接関係が見出せるということのみであり、脳の作用は心的現象を生じさせる十分条件であると論証できないどころか、必要条件の一つであるとも論証できないのである。多数の哲学者や科学者たちを取材したスーザン・ブラックモアは、学者たちの間では旧来の「脳が意識を生み出す」という表現から、「脳と意識は相関する」という表現に変えるのが流行しているという。 歴史的には心的現象は「魂」の作用であるとする二元論的な立場と、心的現象は物質の運動に還元されるとする原子論的な立...
  • デイヴィッド・チャーマーズ
    概説 意味の一次内包と二次内包 構造的コヒーレンスの原則 構成不変の原則 情報の二相説 汎経験説 補足 概説 デイビッド・ジョン・チャーマーズ (David John Chalmers、1966年4月20日 - )はオーストラリアの哲学者。1982年、高校生のとき数学オリンピックで銅メダルを獲得する。インディアナ大学で哲学・認知科学のPh.Dを取得。2006年現在オーストラリア国立大学の哲学教授であり、同校の意識研究センターのディレクターを務めている。心の哲学において意識のハードプロブレムをはじめ多くの問題提起をし、この分野における指導的な人物の一人となっている。 チャーマーズはクオリアと呼ばれる内面的な心的体験を、実体(英 entity)的に捉え、質量やエネルギーなどと並ぶ基礎的な物理量のひとつとして扱い、その振る舞いを記述する新しい物理学を構築すべきだと主張する。そして...
  • バートランド・ラッセル
    概説 心の哲学におけるラッセルの見解 自我論 概説 バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(Bertrand Arthur William Russell,OM,FRS 1872年5月18日 - 1970年2月2日)はイギリス生まれの論理学者、数学者、哲学者。 哲学者としては新ヘーゲル主義から経験主義に転向し、初期の論理実証主義に大きな影響を与える。無神論者であった。 ラッセルはウィトゲンシュタインの才能を早くに見抜き、親交を結んで互いに影響を与え合った。しかし後期のウィトゲンシュタインを始めとする日常言語学派には批判的であり、言語の分析を哲学の終点とみなさず、あくまで言語が指示する対象に拘り、独自に形而上学を探究した。 ラッセルは分析哲学の創始者の一人でもあり、その哲学は生涯に渡って変化を続けたものの、哲学的手法は終始一貫して分析的・論理的であった。...
  • 現象的意識の非論理性
    ...義や観念論、あるいは唯心論と呼ばれる。 心的一元論に対しては、物的なものの実在を否定するものだという批判がある。しかしそれは素朴な誤解である。先に紹介した大森の文の主旨は、人が使用している「実在」という語の意味はあくまで経験世界内部にあるもので、「経験を超えた実在」を措定することは無意味だということである。たとえば私の前にはパソコンのモニターがある。目を閉じるとモニターは消える。しかし目を開けると再びモニターが見える。――このようなクオリア経験の秩序や規則を説明するために制作されたのが実在という概念である。私が見ることができる「実在のモニター」は他人も見る事ができる。だからモニターが故障した場合は修理に出して他人によって直してもらうことができる。――このような一連の経験の連鎖のどこにも「形而上学的な実在」というものは登場しない。大森の言っているのはそういうことである。 ...
  • 現象主義
    概説 前史 方法論論理実証主義 批判と補足 概説 現象主義(英 Phenomenalism)とは、われわれの認識の対象は〈現象〉の範囲に限られるとし、現象外部の存在については不可知である、とする哲学上の方法論である。現象論ともいう。実在論と対極の思考法である。経験主義的な方法を徹底したものであり、英国経験論を代表するジョージ・バークリーに始まり、デイヴィッド・ヒュームにおいてひとつの哲学的立場として完成した。実在論が意識から超越した実在を認めるのに対し、現象主義は意識内在主義の立場を取り、世界および自我を「知覚現象の束」として説明する。近代における代表的な論者はエルンスト・マッハであり、マッハの思想はアインシュタインなどの科学者や、フッサールやウィーン学団の哲学者、論理実証主義者たちに影響を与えた。日本では大森荘蔵が現象主義の方法論を透徹し、〈立ち現われ一元論〉を主張した。 ...
  • @wiki全体から「唯心論」で調べる

更新順にページ一覧表示 | 作成順にページ一覧表示 | ページ名順にページ一覧表示 | wiki内検索