因果的閉包性

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  • 因果的閉包性
    物理的領域の因果的閉包性(英 Causal closure of physics)とは、「どんな物理現象も物理現象のほかには一切の原因を持たない」とする原理のこと。物理的閉鎖(英 physical closure)、物理的な閉鎖(英 closed under physics)などとも呼ばれる。 心の哲学においては心的因果の問題、つまり現象的意識やクオリアが物理的な身体や脳に、いかに作用するかという議論において、二元論への批判として提示される概念であり、クオリアなどを持ち出さなくても、脳細胞に起こっている現象を解明すれば人間の行動は神経科学的に説明できるという物理主義的な立場である。 物理的なものが本当に因果的に閉じているのかという点については、少なからぬ学者・科学者から大いに疑問視されている。例えばカール・ポパーは「宇宙というのは一部には因果的であり、一部には確率的であり、...
  • トロープ説
    ...ある = 物理領域の因果的閉包性 3、心的性質は物理的出来事に因果的に関連することが出来る = 関連性 この三つの原則をを矛盾無く成立させるためにロブは、「性質」概念をタイプとトロープの二つに分け、そして心的トロープは物理的トロープと同一の出来事として存在しているので、物理的タイプに因果的に作用できると考える。 ドナルド・デイヴィドソンは、心的出来事と物理的出来事とを同一とみなすトークン一元論によって、出来事が因果的に過剰決定される問題(心的原因と物理的原因が重複する問題)を解決しようとした。しかし出来事が心的性質と物理的性質を併せ持っているとしても、物理領域の因果的閉包性によって、因果的効力を持つのは結局、物理的性質のみであることが指摘された。 デイヴィドソンの難点は、出来事の心的側面を特徴づける役割と、因果的効力を発揮させる役割を同じ「性質」という存在者...
  • 随伴現象説
    ...のである。物理領域の因果的閉包性を前提にして主張される。 T.H.ハクスリーは随伴現象説のセオリーを「警笛と機関車」の例えで説明している。機関車は警笛を鳴らすことができるが、警笛は機関車を動かすことはできない。「警笛と機関車」を「物質と意識」に置き換えればわかりやすい。 心的なものの状態は脳の物理的な状態によって決まるが、心的なものは脳の物理的な状態に対して何の影響も及ぼさない。 これが随伴現象説の主張である。 随伴現象説は還元主義的な物理主義と対立し、物質と意識は別の存在であるとする二元論の一種である。哲学の歴史では、ルネ・デカルトの実体二元論を解消しようとした18世紀の唯物論者、ラ・メトリーに随伴現象説の原型がある。そして19世紀後半から生物学と神経科学の発展により、唯物論と知覚因果説が支配的になるのを受け、T.H.ハクスリーが今日的な意味での随伴...
  • 実体二元論
    ...問題は、物理的領域の因果的閉包性(英 Causal closure of physics)と相克するということである。因果的閉包性とは「どんな物理現象も物理現象のほかには一切の原因を持たない」とする経験から推測された原理のこと。物理的閉鎖(英 physical closure)、物理的な閉鎖(英 closed under physics)などとも呼ばれ、科学哲学の分野で扱われている。心的なものは物理的なものに対して影響を与えるとする実体二元論は、因果的閉包性が事実なら否定されることになる。 エネルギー保存則の問題 アメリカの哲学者ダニエル・デネットは、1992年の著作 "Consciousness Explained"(邦訳「解明される意識」)の中で、心身の相互作用がもしあるとすれば、エネルギー保存則を破ることになると説明した。仮に脳内の分子が何の物理的な...
  • 相互作用二元論
    ...おいては、物理領域の因果的閉包性が主張されているため、また心的なものと物理的な脳との相互作用のメカニズムが解き難いという問題があるため、相互作用二元論を擁護する論者は非常に少ない。しかし有名な論者としてカール・ポパー、ジョン・エックルスなどがおり、物理学的には量子脳理論が脳と心の因果作用の可能性を示唆している。 ※ポパーとエックルスについては以下のサイトが詳しい。 http //www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1059.html
  • 中立一元論
    ...理主義者は物理領域の因果的閉包性を前提に、中立一元論者がいう「性質としての心」も、因果的に排除可能だと論じており、心的因果を擁護できるか、また因果的提灯や現象判断のパラドクスを回避できるかが課題となる。 中立一元論のバリエーションの一つであるトロープ説では、心的性質と物理的性質はコインの表裏のように不可分なものとして心的因果を擁護しようとするが、しかしその不可分性の強調は、心的性質の物理的性質への依存に過ぎないと物理主義者は批判している。 参考文献 S・プリースト『心と身体の哲学』河野哲也・安藤道夫・木原弘行・真船えり・室田憲司 訳 1999年 参考サイト http //en.wikipedia.org/wiki/Neutral_monism
  • 現象判断のパラドックス
    ...いること(物理領域の因果的閉包性)を認めるならば、現象意識やクオリアは何の機能ももたず、因果的に全く関わっていないという事になりパラドックスが生じる。しかし物理主義では機能的意識と現象的意識という分離を認めず、心脳同一説を前提にしているためパラドックスは生じない。また現象主義や観念論といった立場では実在論を否定するので、やはりパラドックスは生じない。 哲学的ゾンビおよび逆転クオリアの問題と、現象判断に関する問題は、一般に対になって語られる。クオリアについての判断や発言は、私たちの物理的同型体である哲学的ゾンビにおいてもまったく同様に行われる。 普通の人間「この赤さこそ問題だ」 哲学的ゾンビ「そうだ。この赤さこそ問題だ」 現象判断が意識とは無関係な理由で生じるとしたら、クオリアについて私たちが行う判断や発言には、一体どういう意味があるのか? チャーマーズは、例えば...
  • 心的因果
    ...考えるが、物理領域の因果的閉包性の原理を前提に、その脳から生じた心的現象が、逆に脳に作用するということを認めることができない。従って一部の哲学者は、心的なものは脳の作用にただ随伴して生じるのみであるとする随伴現象説を主張する。 しかし随伴現象説は直感に反しているよう思われる。一般の人が前提にしている素朴心理学的な立場では、心的因果は当たり前の現象である。誰しも歩きたいと心で思ったら体は歩くのであり、歩き始めてから歩きたいと思うのではないからだ。 もし意識現象が物理的なものではないとするなら、意識が体を動かすことを説明することは困難である。従って物理主義の立場からは意識現象を物理現象に還元する心脳同一説が主張される。 ジョン・サールは心的因果について、つじつまの合わない以下の四つの命題があると主張する。 (1)心身という区別――心的なものと物理的なものは、...
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  • 物理主義
    ...のであり、物理領域の因果的閉包性といわれる。またデイヴィッド・パピノーやティム・クレインは「物理学の完全性」と呼んでいる。 物理主義の極端な形が「機械論的唯物論(mechanical materialism)」であり、人間の精神をも物質に還元し、全て力学的な法則によって説明しようとする。無神論でもある。古代ギリシャのレウキッポスの原子論に始まり、近代においてホッブス、ラ・メトリー、エルヴェシウス、ドルバック、ディドロ等フランスの唯物論者が機械論に基づく唯物論を徹底する。 物理主義には行動主義、心脳同一説、機能主義、非法則一元論、表象主義など多様な立場があるが、どの立場も以下の主要な三つの原理を前提としている。 (1)唯物性の原理、反デカルト主義の原理 この世界に存在する全てのものは物理的であり、心的なものも実際は物理的なものであり、デカルトのいうような純粋に非...
  • 意識のハードプロブレム
    ...いる」とは物理領域の因果的閉包性のことである。 ※「錬心術」とは錬金術をもじった言葉であり、化学の根本的な原理を知らずに金を作ろうとした中世の錬金術師に科学者をなぞらえている。 ハードプロブレムに対してはさまざまな哲学者から応答、また議論があり、チャーマーズ各種の哲学的な立場を、A, B, C, D, E, Fの6つに分類している。 物理的な身体と心的なものの区別、またその関係についての哲学的考察は紀元前にまで遡る(詳細はWikipediaを参照されたし)。 そもそもハードプロブレムという概念があえて提唱されるに至ったのには、「意識」という言葉が様々な意味を持った多義語として使われているという混乱した状況が背景にある。つまりそれぞれの研究者が、同じ「意識」という言葉を使っていながら、全く違った意味を持たせていることがあり、それが様々な議論上の混乱を生んでいる...
  • 還元・創発・汎経験説
    ...を認めず、物理領域の因果的閉包性も否定しない。クオリアは脳の作用に随伴して生じるだけのものであると考える。つまり創発説は、全ての事物は物理学に還元可能だとする物理学の完全性を否定しながらも、物理主義的な一元論を擁護しようとする立場から主張される。すなわち創発とは、還元主義と実体二元論の双方を否定する概念である。 創発は、創発物の出現が事物の部分についての知識からは予測できないとされる。局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いに還元できないようなシステムが構成されると考える。全体は部分の総和を越えるという考えはアリストテレスにまで遡る。この世界の大半のもの、生物等は多層の階層構造を含んでいるものであり、その階層構造体においては、仮に決定論的かつ機械論的な世界観を前提にしたとしても、下層の要素とその振る舞いの記述をしただけでは、上層の挙動は予測困難だと...
  • マリーの部屋
    ...しかし彼は物理領域の因果的閉包性を認め、全ての行動はなんらかの物理的作用によって引き起こされる、とする広い意味での物理主義者だった。それゆえジャクソンは心身関係論については随伴現象説の立場をとっていた。 しかしジャクソンは後に立場を変え、クオリアについて表象主義の立場をとる。なぜなら、マリーは最初に赤い色を見るとき驚愕するからであり、その「原因」となるのはやはりクオリアでなければならない。このことは随伴現象説と矛盾する。この問題は後にデイヴィッド・チャーマーズによって現象判断のパラドックスという名前で定式化され、二元論の立場から解答が与えられなければならない最も重要なパラドックスと位置づけられた。 なお、ジャクソンが知識論法を放棄したため、現在ではチャーマーズが知識論法の代表的支持者になっている。 参考文献・論文 信原幸弘――編『シリーズ心の哲学Ⅰ人間篇』...
  • 現象的意識の非論理性
    ... ここで「物理領域の因果的閉包性」という原理が大問題となる。物的なものは物的なもののみを原因として作用し、心的なものは物的なものに作用しない(より正確には、心的なものの作用を想定しなくても物的なもののみで因果関係の説明は完結する)という原理である。これは経験的にほぼ確かめられている。神経科学的な説明はニューロンの発火や神経伝達物質の作用など物的なもののみで完結している。また念動力のような超能力によって物体を動かすことに成功した人物は公式には確認されていないからだ。すると念動力、つまり「心」でボールを浮かしたりスプーンを曲げたりすることができないというのは、「心」で脳細胞を動かすことはできないというのと同じことになる。脳細胞もスプーン同様に「物的」なものなのだから。したがって心的なものは物的なものと異なると考えると、心的因果は不可能になる。 心的なものと物的なものは異なる実体だ...
  • 実践理性の方向
    ...。それは「物理領域の因果的閉包性」という原理に反するということである。 物理領域の因果的閉包性: 物理的現象は、物理的現象以外のものを原因として持たない この原理は経験的に確かめられ、ほぼ確実な原理だとされている。すると心的なものは、それを実体とみなすにせよ、性質とみなすにせよ、物理領域の因果的閉包性によって物的なものに作用することができないということになり、心的なものがなぜ存在するのかわからなくなるのである。 いや、それを言うなら③の物的一元論も同じことではないか、と思う人もいるだろう。物質だけが実体的ならば、実体でない心的なものがなぜ存在するかわからないはずだ、と。ところがそうではない。現代の精練された物的一元論(唯物論)は、心的なものなど幻か錯覚のようなものだと存在を否定したりしない。物的なものと心的なものは同一の対象であり、観測のされ方が異なるだけだ...
  • 還元主義
    概説 還元の種類 概説 心の哲学における還元主義(Reductionism)とは、心的なものの存在は物理的なものの存在に還元できるという唯物論的な考え方であり、心脳同一説及びトークン同一説を前提とした機能主義や表象主義がその立場である。 還元主義な方法では現象的意識やクオリアは説明できず、心身問題は解決できないとする立場が二元論や中立一元論である。なお唯物論であっても消去主義はクオリアを消去しようとする立場なので還元主義とはいえない(ただし後述する「定義的還元」に該当する可能性がある)。また心理学的な行動主義やブラックボックス機能主義は、クオリアの存在論的身分を棚上げするので還元主義には該当しない。 スティーブン・ホーストは自然科学における還元の限界が心の哲学の議論にも適用できるのではないかと主張している。デイヴィッド・チャーマーズは『意識する心』で、意識が物理的な...
  • ジョン・サール
    概説 心の哲学におけるサールの見解 意味論的外在主義に対する批判 概説 ジョン・サール(John Rogers Searle 1932年7月31日- )は言語哲学および心の哲学を専門とする哲学者。カリフォルニア大学バークレー校教授。ニクソン大統領時代には大学問題大統領特別顧問としても活動した。 人工知能批判で知られ、チューリングテストに対する反論として中国語の部屋という思考実験を提案した。また、言語表現が間接的に果たす遂行的機能(間接発話行為)の研究を行い、ジョン・L・オースティンの後継者と称された。 2000年にジャン・ニコ賞を受賞。 心の哲学におけるサールの見解 サールは心の哲学における自分の立場を「生物学的自然主義(biological naturalizm)」と呼んでいる。これは意識が自然現象のひとつであることを強調するものである。たとえば胃が胃液を...
  • 付随性
    付随性(ふずいせい、英 Supervenience)とは、ある現象が、それと異なる現象に依存している性質であり、現象同士の非対称的な依存関係を指す。現象Aが現象Bに付随しているということは、Aのどんな変化も、Bの特定の変化に対応しているということであり、Aが完全にBに依存しているということである。逆にBはAに依存せずに変化できる。これが非対称的な依存関係である。 心の哲学における付随性とは、クオリアや現象的意識など心的な性質(高次の存在者)は、ニューロンの活動など脳の物理的な状態(低次の存在者)に付随(supervene)しているという仮説である。心的な存在を「高次」、物理的存在を「低次」とするのは、物理的存在を基礎にして、その上に心的な存在が成り立つという物理主義的前提を含意している。この仮説からは心的因果の問題が派生することになり、さまざまな議論がなされている。 近年...
  • 認知的閉鎖
    認知的閉鎖(英 cognitive closure)とは、イギリスの哲学者コリン・マッギンによって提唱された意識のハードプロブレム、すなわち物理的な脳からいかにして現象的意識やクオリアが生み出されるのかという問題への一回答であり、人間の精神・知性はこの問題に関して「閉鎖」されている、人間の理解できる領域ではないとする可能性のことである。 人間による理解が現段階において科学的に不十分であったりするためではなく、人間の精神・知性にはそれらを理解するキャパシティーが端的に欠けているためである。マッギンによると、私たちは五感による知覚などの認知能力が備わっているが、逆に言えば私たちはそれら認知能力によって理解できる事柄以外は認知できないということになる。これはマリーの部屋の思考実験からも類推することができる。宇宙には人類以外にも多数の生命体がいて、彼らは人間にとって未知のクオリアを体験して...
  • 機会原因論
    機会原因論(Occasionalism)はフランスの哲学者ニコラ・ド・マルブランシュ(Nicolas de Malebranche、1638年8月6日-1715年10月13日)によって唱えられた神学的な説で、物理現象のもつ因果関係、そして心的な現象が物理現象に作用する因果関係について、すべて本物の因果関係ではなく、真の原因は神であるとする考え方。 偶因論ともいう。 デカルト流の合理主義哲学を引き継ぎ、心的な存在と物質的な存在を二種類の異なる存在として認めながらも、そうした対象の変化を実際に引き起こしているのは神であるとし、デカルトの心身二元論が直面した心身の因果関係の問題を解決しようと試みた。そして心と身体との相互作用の原因を解明しようとしたデカルトに対し、心身の結合の原因は神であるゆえに、人間には理解不可能であるとした。 マルブランシュはアウグスティヌス主義者であり、その...
  • ドナルド・デイヴィッドソン
    概説 出来事 心の全体論 概説 ドナルド・ハーバート・デイヴィッドソン(Donald Davidson,1917年3月6日 -- 2003年8月30日)はアメリカの哲学者。意味論と行為論を中心に言語哲学を研究。主著に『行為と出来事』、『真理と解釈』がある。心の哲学においては行動主義を批判して、トークン同一説の一種である非法則一元論を主張した。人格の同一性問題に関してはスワンプマンの思考実験を考案している。 デイヴィッドソンは唯物論者であり、どんな心的出来事も物理的に正しく記述できるという立場であるが、実際には人間は自由意志で行動しており、従ってその自由意志を包括した唯物論が見出されなければならないと考えた。心的なものと物理的なものは事実として相互作用している。相互作用するならばその科学法則は決定論的――法則論的であるはずである。しかし心的出来事は非法則的である。これは一見矛...
  • 非法則一元論
    非法則一元論とは、心の哲学における物理主義的な立場のひとつ。ドナルド・デイヴィッドソンにより主張された。「非法則的」とは「法則論的」の逆の意味であり、心的出来事に法則が当てはまらないとすることで「非法則的」であるが、心的出来事が物理現象(脳の状態)と同一であるとすることで「一元論」である。 非法則一元論は、物理主義でありながら、心的なものを物質的なものに還元できないと考える。このようなタイプの物理主義を「非還元的物理主義」という。心的性質を物理的性質と同等のものとみなすため、非還元的物理主義は物理主義的一元論を自称していても性質二元論の一種とみなされることもある。 デイヴィッドソンは、心身の関係には以下の三つの原理があるとする。 (1)因果的相互作用の原理――心身の(限定的な)相互作用 (2)因果性の法則論的性格――出来事の原因と結果の厳密な法則性 (3)心的な...
  • 知覚因果説
    知覚因果説とは、客観的に実在している物質などの対象を原因とし、人の感覚器官がそれら対象の情報を受け取り、脳がその情報を処理した結果として知覚が生じる、とする説である。知覚を外界の「写し」と考えるので「カメラ・モデル」ともいわれる。表象主義が採用している知覚理論である。現象主義では知覚因果を否定する。 かつて知覚因果説は実体二元論と唯物論(物理主義)の立場から主張されていた。しかし現代のほとんどの心の哲学者は、性質二元論の立場でも科学的実在論を前提としているので、知覚因果説を採用していることになる。 知覚因果説では、知覚というものを認識主体と認識対象の相互作用として考える。この場合の認識主体とは自我ではなく、感覚器官と、その器官から受け取った情報を処理する脳という身体全体を指す。なおイマヌエル・カントのように物自体に加えて自我を想定する場合は、知覚というものを認識主体、認識対...
  • スワンプマン
    スワンプマン(英 Swampman、「沼男」の意味)とは、1987年にアメリカの哲学者ドナルド・デイヴィッドソンが考案した、人格の同一性問題を考えるための思考実験。 ある男が沼にハイキングに出かける。この男は不運にも沼の傍で突然雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷がすぐ傍に落ち、沼の汚泥に不思議な化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一形状の人物を生み出してしまう。 この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。スワンプマンは原子レベルまで死んだ瞬間の男と同一の構造をしており、見かけも全く同一である。もちろん脳の状態も完全なるコピーであることから、記憶も知識も全く同一である。沼を後にしたスワンプマンは死んだ男が住んでいた家に帰り、死んだ男の家族と話をし、死んだ男が読んでいた本の続きを読みながら眠りにつく。そして翌朝、死んだ男が通ってい...
  • 時間と空間の哲学
    ...とすると、物理領域の因果的閉包性によって、心的因果が排除され、現象判断のパラドクスという問題が生じてしまう。そして物質的な脳からいかにクオリアが生じるのかという意識のハードプロブレムも解決困難な難問として残存したままの状態である。 しかし、時間・生成・変化といったものの非実在を主張するブロック宇宙説では、それら心の哲学の難問が一挙に解決する可能性がある。ブロック宇宙説では因果関係や時間の矢を問うことは無意味なので、心身関係や心的因果を云々する意味がない。橋元淳一郎がいうように「あらゆる事象は在るがままに在る」のだから、脳の状態と対応関係にあるように見えるクオリアが、ただ存在しているだけということになり、物質的な脳からいかにクオリアが生じるのかというハードプロブレムも消滅することになる。 時間の実在性を否定した場合、青山拓央がいうように「狂気」としか表現できないような、...
  • 人格の同一性
    ...とする「物理的領域の因果的閉包性」という原理があるために、クオリアは物理的世界に何の影響も与えないという指摘がある。これが現代二元論の最大の難点であるが、同一説ではクオリアは脳の物理的状態と同一なのだから、物理的出来事と同一であることによってクオリアが因果的に作用していると物理主義では考えることができる。 しかし心的なものと物的なものは同一の出来事だと考えても、物理的出来事の連鎖は全て物的なものだけで説明できるのならば、クオリアなど心的なものは仮に存在しなくても物理的世界は何も変わらないということになるかもしれない。その問題を指摘したのがデイヴィッド・チャーマーズによる「哲学的ゾンビ」である。 哲学的ゾンビとは、物理状態は人間と同じで人間同様に行動したり会話したりするにも関わらず、クオリアなど心的なものが欠如した存在と定義される。実際、物理主義では心的なものが物理状態...
  • ピーター・ストローソン
    ピーター・フレデリック・ストローソン(Peter Frederick Strawson, 1919年11月23日 - 2006年2月13日)は、日常言語学派後期のリーダー的哲学者。日常言語の論理的特徴について非形式的な哲学分析を行った。また、カント的な方法でユニークな形而上学も構築した。主著は『個体と主語』である。 ストローソンによれば、われわれが「心的」や「物理的」という概念を使用できるのは、「人格(person)」という根本的概念を使用できるからである。自己と他者の概念も人格の概念に依存している。それが心的なものと物理的なものの区別に繋がるのである。すなわちデカルトの推論とは全く異なり、主観性と客観性の問題は心身問題に先立つと考えたのである。 では一体、われわれはどうして「自己」という概念を持ちうるのか。ストローソンは経験には多種多様なものがあり、「自己」は経験のうちの...
  • 機能主義
    概説 目的論的機能主義 ブラックボックス機能主義 コンピューター機能主義 機能主義に対する批判 概説 心の哲学における機能主義(英:Functionalism)とは、心的な状態とはその状態のもつ機能によって定義されるという立場。 心的状態をその因果的な役割によって説明し、「心とはどんな働きをしているのか」を考えることが「心とは何か」という問いの答えとなるという立場である。 たとえば腕を強く打ったりすることの結果として生じ、打った腕を押さえたり顔をしかめたりすることの原因となる心的状態が「痛み」であるとされる。またそのように因果作用をもたらす心的性質を機能的性質(functional property) という。つまり心的状態とは知覚入力の結果であり、行動出力の原因であり、また他の心理状態の原因や結果であると考える。 行動主義やタイプ同一説の問題点を踏まえた上で、それ...
  • 形而上学
    形而上学(metaphysics)とは世界の実在や原理についての仮説である。形而上学はmeta-physicsの字義通り物理学(physics)の制約に囚われず、思弁的方法によって世界の真理を探求する。しかし物理学に反するものではなく、形而上学は物理学の知見を包括するものである。 形而上学の多くを占めるのは存在論であるが、認識論も一部含まれる。存在の認識は人の認識能力に制限されるからである。とりわけカント哲学においては存在論と認識論は一致する。カントによれば人の認識はアプリオリな形式によって制限され、現象世界はその形式に従って現れる。しかし物自体(実在)は人間理性が到達できない不可知の存在である。 カント哲学に限らず、形而上学とは認識論と存在論が重心を異にしながらも重なり合った構図となる。ただし近年の認識論は独自に発展して多くの問題領域を持ち、それら問題は個別に議論されてい...
  • 心脳同一説
    概説 タイプ同一説 トークン同一説 同一説への批判 概説 同一説(英:Identity theory)、または心脳同一説とは、心身問題に関する立場の一つで、「心の状態やプロセスとは、脳の状態やプロセスそのもののことだ」という考え方のことである。心的なものの存在を物理的なものの存在に還元して説明しようとする還元主義でもある。英語圏では「Mind is Brain」と、be動詞を強調することによって心と脳の同一性を表現する。心の哲学においては、行動主義の失敗を反省し、物理主義の一種として二元論一般と対立する文脈で語られる。 心脳同一説は性質二元論や中立一元論の考えに似ているよう思えるが、大きな違いがある。性質二元論や中立一元論では、心的状態と脳状態は同一の実体の二つの側面であり、たとえるならコインの表裏の関係である。しかし心脳同一説では、「雲とは水粒である」「稲妻は電荷の運動で...
  • スピノザ
    概説 心身関係論 自我と自由意志 概説 バールーフ・デ・スピノザ(Baruch De Spinoza, ラテン語名ベネディクトゥス・デ・スピノザ Benedictus De Spinoza, 1632年11月24日 - 1677年2月21日)はオランダの哲学者、神学者。デカルト、ライプニッツと並ぶ合理主義哲学者として知られ、その哲学体系は「神即自然 (deus sive natura) 」といわれる汎神論的な一元論である。 一元的汎神論や能産的自然という思想は後の哲学者に強い影響を与えた。近代ではヘーゲルがスピノザ実体概念を自分の絶対的な主体へ発展させている。またスピノザの思想は無神論ではなく、むしろ神のみが存在すると主張する無世界論(Akosmismus)であると評している。 スピノザの形而上学の中核は「実体」概念であり、それはアリストテレスからスコラ学者を経てデ...
  • 新神秘主義
    新神秘主義(英 New mysterianism)は、心身問題、つまり心的な意識現象と物質的な脳がどのように関わりあっているのか解明するのは不可能だとする立場のこと。代表的な論者にコリン・マッギンがいる。トマス・ネーゲルも新神秘主義者に分類されることがある。 マッギンは認知的閉鎖説を提唱し、人間が意識の謎、つまり意識のハードプロブレムが解明される可能性に懐疑的である。トマス・ハックスリーは1886年に、「神経組織の活動によって意識状態という驚くべきものが出現することは、物語のアラジンが魔法のランプをこすれば魔人が現れることのようだ」と心と脳の関係を表現した。このハックスリーの言葉は意識現象がいかに奇跡的であるかうまく捉えていたとマッギンはいう。そしてマッギンは心的特性を物理特性に還元する物理主義を批判し、また心的なものの排他性を強調する二元論は脳から心を切り離すようなものだと批判...
  • ルネ・デカルト
    概説 心身二元論 「我思う、ゆえに我あり」についての解釈と批判 概説 ルネ・デカルト(仏 Rene Descartes, 1596年3月31日 - 1650年2月11日)は、フランス生まれの哲学者であり、数学者でもある。近代哲学の父とも称される。1637年の著作『方法序説』によって、真理を探究するための方法としての懐疑主義を透徹し、精神に現れた全ての事象が疑いうるものだと仮定しても、その疑っている何かが存在することは否定できないとし、「我思う、ゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム、Cogito ergo sum)」という根本的な原理を導き出す。デカルトの方法は、もっぱら数学・幾何学の研究によって培われた明晰・判明さに依拠し、その上に哲学体系を構築しようとするものであった。それゆえ彼の哲学体系は人文学系の学問を含まない。 Cogito ergo sumはフランス語で書かれた...
  • 心の哲学全般
    概説 心の哲学の用語 自然主義 根本問題 概説 心の哲学(英 Philosophy of mind)とは哲学の一分科で、現象的意識やクオリアなど心的なものと、物質的な脳や身体との関係、そしてそれらの存在論的な位置づけを研究する学問である。 心の哲学の基本的なテーマは心身問題と心的因果であるが、心身問題は科学の領域では心脳問題として研究の対象となっている。歴史的には心身問題は心脳問題の前史としてあったということになる。 デイヴィッド・チャーマーズは、心的現象と脳の活動の対応関係を研究する神経科学の問題を「イージー・プロブレム」と呼び、その脳の活動からどのようにしてクオリアなどの心的現象が生まれるのか、またその心的なものは物理的な脳とどのような因果関係(心的因果)があるのかという問題を「ハード・プロブレム」と呼んでいる。近年の心の哲学ではその意識のハード・プロブレム...
  • ジョージ・バークリー
    概説 経験主義から観念論へ 神と魂 概説 ジョージ・バークリー(George Berkeley, 1685年3月12日 - 1753年1月14日)はアイルランドの哲学者、聖職者である。英国経験論の代表的人物であり、現象主義の方法により物質の実在性を否定し、「存在することは知覚されることである(ラテン語"Esse is percipi"、エッセ・イス・ペルキピ、英語“To be is to be perceived”)」という基本原則の観念論を提唱した。 バークリーの思考法はオッカムの剃刀に類似したものである。オッカムは、現象を説明するために真に必要な最小限の原因のみを認め、不要な原因は放棄すべきだとし、「存在は必要もなく増やしてはならない」という原則を主張した。バークリーはこの思考法によって、「物質」なるものは観念の存在と生成に「不要」とみなし、またニュ...
  • 書評2
    『現代哲学ラボ 第4号 永井均の無内包の現実性とは?』 『現代哲学ラボ 第4号 永井均の無内包の現実性とは?』 本書は永井均の「無内包の現実性」という概念をテーマに、2016年9月23日早稲田大学で行われた永井均、入不二基義、森岡正博の三者による議論を電子書籍化したものである。 「無内包の現実性」には自我論と時間論という二つの論点があり、この二つは私の関心の対象でもあるので、それぞれを論じてみたい。 ※なお本書はamazonのkindle版につき表示環境によってページ数が異なると思われるので、引用の際のページ表記は省略する ・〈私〉の存在論 永井は「現実の〈私〉が一人だけいる」という事実は「事象内容的な問題と無関係」と語る。たとえば自分の複製人間がいて、自分と同じ物理構造をしていて同じ意識現象があっても、〈私〉は端的に一人である。つまり物理構造や意識という事象内...
  • 無主体論
    概説 非人称表現 直接経験 デカルト的自我との対比 シュリックの無主体論 ウィトゲンシュタインの無主体論 ラッセルの無主体論 派生問題 概説 無主体論(英 No ownership theory / No subject theory)とは、意識作用について、思考したり知覚したりする「主体」を想定する必要はないとする説である。 たとえば感覚などは、一般的には「私は痛い」というように表現するが、実際の痛みは現れた時点で誰のものであるか決定しており所有関係を問うことは出来ない。つまり「私は痛い」という文の「私は」という語は、何の機能も果たしていないため、不要であると考える。これはルネ・デカルトが懐疑主義的方法の果てに見出した「我思うゆえに我あり」を批判的に検証し、認識の主体である「我」の存在を必要としないとするものである。認識の所有者の存在を否定するため「非所有論」とも呼ばれる...
  • デイヴィッド・チャーマーズ
    概説 意味の一次内包と二次内包 構造的コヒーレンスの原則 構成不変の原則 情報の二相説 汎経験説 補足 概説 デイビッド・ジョン・チャーマーズ (David John Chalmers、1966年4月20日 - )はオーストラリアの哲学者。1982年、高校生のとき数学オリンピックで銅メダルを獲得する。インディアナ大学で哲学・認知科学のPh.Dを取得。2006年現在オーストラリア国立大学の哲学教授であり、同校の意識研究センターのディレクターを務めている。心の哲学において意識のハードプロブレムをはじめ多くの問題提起をし、この分野における指導的な人物の一人となっている。 チャーマーズはクオリアと呼ばれる内面的な心的体験を、実体(英 entity)的に捉え、質量やエネルギーなどと並ぶ基礎的な物理量のひとつとして扱い、その振る舞いを記述する新しい物理学を構築すべきだと主張する。そして...
  • 意識の超難問
    概説 心理学的分析 分析哲学からの批判 人格の同一性問題から派生する意識の超難問 概説 意識の超難問(harder problem of consciousness)とは、オーストラリアの人工知能学者ティム・ロバーツが提起した問題で、「なぜ私は他の誰かではないのか?」というような、高度な自己意識(自我体験)に関するものである。 第一回と第二回のツーソン会議でデイヴィッド・チャーマーズが、意識のイージープロブレム( easy problem of consciousness )と意識のハードプロブレム(hard problem of consciousness)の問題提起をして大きな影響を及ぼした。ティム・ロバーツは1998年の第三回ツーソン会議で、意識のハードプロブレムよりも、さらに難しい問題として「意識の超難問」を以下のように提起した。 たとえいわゆる意識の「難問」...
  • 大森荘蔵
    二元論の否定 普遍概念と無限集合 重ね描き 立ち現れ一元論 実在論批判 自我と他我 時間論 無主体論と無時間論 大森荘蔵(おおもり しょうぞう、1921年8月1日 - 1997年2月17日)は日本の哲学者。独自の現象主義的な思考方法によって、独我論的な「立ち現れ」一元論を主張した。中島義道は大森哲学を「独我論的現象一元論」と定義している(*1)。 1944年東京帝国大学理学部物理学科を卒業。その後1949年東京大学文学部哲学科を卒業する。戦後アメリカのスタンフォード大学、ハーバード大学に留学し、分析哲学の影響を受ける。帰国後東京大学教養学部助手を経て、さらに留学後、東京大学教養学部教授(科学史・科学哲学科)に就任。現在第一線で活躍中の多くの日本の哲学者たちを育て、影響を与えることとなった。 大森の弟子たちによると、「哲学とは、額に汗して考え抜くことである」という信念...
  • デイヴィッド・ヒューム
    概説 知覚――印象と観念 因果関係論 実体 自我の否定 ヒュームの観念論と自然科学の関係 派生問題――知覚の同一性と意識の連続性 概説 デイヴィッド・ヒューム(David Hume, 1711-1776)は、スコットランド・エディンバラ出身の、英国経験論を代表する哲学者。スコットランド啓蒙の代表的存在とされる。ジョージ・バークリーの観念論と現象主義を継承して発展させ、自我さえも「感覚の束」であるとしてその実在性を否定した。この自我論は後に無主体論とも呼ばれ、現代の心の哲学では主流の立場になる。 ヒュームは懐疑主義を徹底し、それまでの哲学が自明としていた知の成立過程の源泉を問い、それまで無条件に信頼されていた因果律を、論理的なものでなく連想の産物であると見なし、数学を唯一確実な学問とした。また科学哲学においては自然の斉一性仮説を提唱した。 知覚――印象と観念 ヒューム...
  • 命題的態度
    概説 解釈主義 概説 命題的態度(propositional attitude)とは、その内容を示す命題とそれに対する態度という構造をもつ心的状態のことである。バートランド・ラッセルが案出した。 たとえば地球は丸いという信念は、「地球は丸い」という命題に対して「信じる」という態度をとる心的状態である。水を飲みたいという欲求は「水を飲む」という命題に対して「欲する」という態度をとる心的状態である。 命題的態度は以下のような形式を持つ(*1)。 x は p を信じる y は q を望む。 z は r かどうか疑っている。 「x、y、z」が志向的システムを指すもの。「信じる、望む、疑う」が志向的システムが持つ態度。「p、q、r」がその態度の内容、すなわち命題である。 命題とは、人々が信念を固定したり測定したりするのに用いられる理論上の対象であ...
  • 実在論論争
    概説 実在論の種類観念実在論 素朴実在論 形而上学的実在論と内在的実在論 科学的実在論 介入実在論 構造実在論 反実在論構成的経験主義 自然主義 非実在論現象主義・懐疑主義・実証主義 規約主義・道具主義・操作主義 社会構成主義・相対主義 心の哲学と実在論論争 概説 実在論(Realism)とは、われわれが認識する現象から独立して、現象を成り立たせている物質や普遍的概念(イデア)などが世界に実在しているという立場である。物質や外界が実在するという場合は、素朴実在論や科学的実在論になり、普遍が実在するという場合は観念実在論になる。実在論と対立する立場は現象主義や観念論である。 歴史的には紀元前のパルメニデスが、感覚で捉えられる現象世界は生成変化を続けるが、そもそも「変化」とは有るものが無いものになることであり、無いものが有るものになることであり、これは矛盾であるとし、感覚を超越...
  • パルメニデス
    概説 思想とその影響 「ある」の解釈 パルメニデスのアポリア 心の哲学におけるパルメニデスのアポリア 概説 パルメニデス( Parmenide-s 紀元前500年か紀元前475年-没年不明)はギリシアの哲学者で、エレア派の祖。「ある」と「ない」の概念を考究し、西洋哲学において最初に一元論を主張した。形而上学の創始者といわれ、また感覚よりも理性による判断に重きを置いたため合理主義の祖であるともいわれる。アナクサゴラスの弟子クセノパネスに学んだとも、ピュタゴラス学派のアメイニアス(Ameinias)に師事したとも伝えられる。 「あるものはある」「ないものはない」という自明な前提から、存在を論理的に限界まで考究したパルメニデスの哲学は、それまでの哲学の常識を覆す途方もない試みであり、生成消滅、運動変化、多数性といった自然現象の根本原理を否定するものだった。 プラトンによれ...
  • 現象主義
    概説 前史 方法論論理実証主義 批判と補足 概説 現象主義(英 Phenomenalism)とは、われわれの認識の対象は〈現象〉の範囲に限られるとし、現象外部の存在については不可知である、とする哲学上の方法論である。現象論ともいう。実在論と対極の思考法である。経験主義的な方法を徹底したものであり、英国経験論を代表するジョージ・バークリーに始まり、デイヴィッド・ヒュームにおいてひとつの哲学的立場として完成した。実在論が意識から超越した実在を認めるのに対し、現象主義は意識内在主義の立場を取り、世界および自我を「知覚現象の束」として説明する。近代における代表的な論者はエルンスト・マッハであり、マッハの思想はアインシュタインなどの科学者や、フッサールやウィーン学団の哲学者、論理実証主義者たちに影響を与えた。日本では大森荘蔵が現象主義の方法論を透徹し、〈立ち現われ一元論〉を主張した。 ...
  • 無限論
    1 はじめの一歩 2 無限論と実在論 3 ゼノンのパラドックスの終着点 4 カントによる無限批判 5 形而上学無限の不可能性 6 物理学による形而上学的無限の回避可能性 7 数学的無限と形而上学的無限の不調和 8 結論――実在論の最期 9 無限の派生問題 1 はじめの一歩 人生の道を一歩踏み外せば奈落に落ちる。僅か一歩には生死を分ける重大さがある。それは学問の道でも同様であろう。しかし哲学での無限についての議論では、その一歩の重大さが忘れられているように思える。はじめの一歩を踏み間違えていたなら、その後いくら懸命に歩を進めようと間違った地に行く着くしかない。 ゼノンのパラドックスは二千年以上にわたって夥しい学者たちが反駁を試みてきたが、今日でもなお議論が続いており、未だ万人が納得する解決法が発見されていないように思える。大森荘蔵は、ゼノンの主張は詭弁であるという前提からパラ...
  • 書評1
    中島義道『生き生きとした過去――大森荘蔵の時間論、その批判的解読』 戸田山和久『哲学入門』 鈴木貴之『ぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう 意識のハード・プロブレムに挑む』 入不二基義『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』 中島義道『生き生きとした過去――大森荘蔵の時間論、その批判的解読』 強引、というより無理過ぎる大森哲学解釈、という印象を受けた。中島は大森の弟子であり、大森と幾度も対話を重ねている。大森に会ったこともない私が異論を挟むのはおこがましい感もあるのだが、大森と同様の現象一元論者として、あえて本書を批評したい。 概説すると、中島が大森哲学批判を通じて主張したのは、「過去時間」と「意識作用」の実在性を認めるしかないということである。穿った見方をするならば、それらの実在性を前提にし、意図的に偏った大森哲学解釈をしたと思える。なに...
  • 夢と現実と真実と
    1 夢の懐疑 2 現象主義と可能世界論 3 マクタガートに見る「変化」の難問 4 変化のパラドックス――四次元主義の破綻 5 独今論 6 無世界論 7 真実の行方 8 私の死と世界の死 9 夢と現実と真実の狭間で 1 夢の懐疑 幼い頃に恐ろしい体験をした。或る真夏の夜、私は両親と二人の兄弟と共に、家族五人で一つの部屋で寝ていた。家の一階北側の部屋で、中庭に面した窓を網戸にして涼を取っていた。エアコンがまだ高価だった昭和の時代のことである。 深夜、どさっと何かが落ちるような音がして目が覚めた。見ると畳の上でどす黒い異形のものが蠢いていた。蛇だった。一匹の大きな蛇が長い総身を奇怪に絡めて波打っているのだった。誰かが悲鳴を上げた。父が大急ぎで網戸を外して手に持ち、その網戸で蛇をつついたり掬ったりして、なんとか掃き出し窓から庭へ払い出した。そしてガラス戸を厳重に閉めた。どこから蛇が...
  • 廣松渉
    認識論 心身問題 廣松渉(ひろまつ わたる、1933年8月11日 - 1994年5月22日)は日本の哲学者。東京大学名誉教授。 高校進学と同時に日本共産党に入党。東京学芸大学に入学するが、中退して東京大学に再入学する。当初はエルンスト・マッハに対する関心が強かったが、指導教官の勧めなどがあってカント研究に専念。東京大学大学院に進学し、1965年に博士後期課程を単位取得退学している。共産党との関係では、1955年の六全協を受け復党するも、翌1956年に出版した共著書『日本の学生運動』が問題とされ離党した。1958年12月に共産党と敵対する共産主義者同盟(ブント)が結成されて以降、理論面において長く支援し続けた。 認識論 廣松は主観・客観図式による伝統的な認識論を批判する。主観・客観とされているいずれの側も二重になっており、全体として世界の存在構造は四肢的だと指摘し、...
  • イマヌエル・カント
    概説 物自体と認識の形式 統覚 アンチノミー 補足 概説 イマヌエル・カント(Immanuel Kant, 1724年4月22日 - 1804年2月12日)は、プロイセン王国出身の思想家で大学教授である。『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書が有名である。認識論における「コペルニクス的転回」という方法論は、経験そのものでなく経験を成り立たせている条件を考究するものであり、「超越論的哲学」と呼ばれる。「超越論的」を「先験的」と訳すこともある。また認識の構造と形式だけを扱うので「形式主義」とも呼ばれる。ドイツ観念論の哲学者たちは超越論的哲学を引き継いでおり、カントは近代において最も影響力の大きな哲学者の一人である。 カントはイギリス経験論、特にデイヴィッド・ヒュームの懐疑主義に強い影響を受けた。そしてライプニッツ=ヴォルフ学派の形而上学を「独断論のまどろみ...
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