固定指示子

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  • 固定指示子
    固定指示子(rigid designators)とは、ソール・クリプキが主張する概念。全ての可能世界において、つねに同一の対象を指し示す表現と定義される。人物の名前などがこれにあたる。心の哲学では心脳同一説に対する批判として用いられる。 サマータイムの発案者であるベンジャミン・フランクリンは固定指示子である。しかし「サマータイムの発案者」という表現はベンジャミン・フランクリンを指し示すものであっても固定指示子ではない。ベンジャミン・フランクリンがサマータイムの発案者でない可能世界は容易に想像できるからだ。なおこの場合、固有名の用い方は現実世界に準拠しているという点が重要である。ベンジャミン・フランクリンという名の猫がいる可能世界が仮にあったとしても、その猫は何の関係もない。 固定指示子の概念からクリプキは同一性文「AはBである(AとBが同一であることを示す文)」の考察を進め...
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    ... ├命題的態度 ├固定指示子 ├ゲシュタルト構造 ├アウェアネス ├言語的批判 | └カテゴリー錯誤 ├動物の心 ├実在 |├知覚因果説 |└イデア論 ├独我論 └独今論 ■人物 ├ヤージュニャヴァルキヤ ├パルメニデス ├シャンカラ ├ルネ・デカルト ├ライプニッツ ├スピノザ ├ジョージ・バークリー ├デイヴィッド・ヒューム ├イマヌエル・カント ├ヘーゲル ├バートランド・ラッセル ├ウィトゲンシュタイン ├ギルバート・ライル ├ドナルド・デイヴィッドソン ├ピーター・ストローソン ├ジョン・サール ├ダニエル・デネット └デイヴィッド・チャーマーズ □永井均 □渡辺恒夫 □大森荘蔵 □廣松渉 □Wikipediaの関連項目リンク ├究極の問い ├形而上学 ├存在論 ├科学哲学 ├...
  • 物理主義
    ...、ソール・クリプキは固定指示子の概念で論じた。このクリプキの議論はデイヴィッド・チャーマーズなど、物理主義に反対する立場の哲学者たちの理論的支柱の一つとなっている。 大森荘蔵の洞察もクリプキと類似している。大森は物理主義、特に知覚因果説を「脳産教理」と呼んで批判し、心身問題を「重ね描き」の概念で解消しようとした。たとえば「青い」という知覚現象が生じる過程を科学用語で説明しても、そこに「青い」という感覚は描けていない(これはマリーの部屋の思考実験と同じ洞察である)。科学用語と重ねて「青い」という日常言語を描かなければ、本当に「青い」という知覚現象を描いたことにはならない。科学描写とは、日常言語で描写されたものを特有の言葉で改めて語り直すものなのである。換言すれば、われわれの体験には日常言語と科学用語という、二種類の言葉での説明方法があるということである。 参考文献 大...
  • 心脳同一説
    ... ソール・クリプキは固定指示子によって、心的状態と脳状態の厳密な一致を論証することが不可能であることを示した。 参考文献・論文 S・プリースト『心と身体の哲学』河野哲也・安藤道夫・木原弘行・真船えり・室田憲司 訳 勁草書房 1999年 信原幸弘――編『シリーズ心の哲学Ⅰ人間篇』勁草書房 2004年 武田 一博「D.チャーマーズは心の唯物論を論駁したか」2003年
  • 還元・創発・汎経験説
    ...ウル・クリプキによる固定指示子の概念である。彼の概念を援用して創発説の主張をたとえるなら、「1に2をプラスする過程で愛情が生まれる」と言っているようなものであり、これは単純にナンセンスである。 汎経験説は意識についての原子論的還元主義である。この立場ではトースターやサーモスタットにも意識のようなものを認めざるを得ないため、意識に相関した脳活動を前提にした脳科学や神経科学からは批判があり、また組み合わせ問題や意識の境界問題がアポリアとなる。汎経験説の主張をたとえるなら、「赤4つに甘さ3つを加えると愛情になる」というようなものであり、創発説同様の単純なナンセンスである。 参考文献 河村次郎『自我と生命』萌書房 2007年 スーザン・ブラックモア『「意識」を語る』山形浩生 森岡桜 訳 NTT出版 2009年 ティム・クレイン『心の哲学』植原亮 訳 勁草書房 2010年...
  • デイヴィッド・チャーマーズ
    ...はソール・クリプキの固定指示子の影響を強く受けている。 以上のように、意識が物理理論に論理的に付随しないことを根拠に、チャーマーズは還元主義的物理主義を否定し、自然主義的二元論を提唱することになる。 構造的コヒーレンスの原則 構造的コヒーレンスの原則(英:The principle of structural coherence)とは、チャーマーズが提唱している意識に関する原理のひとつ。意識体験のある所には「気づき(アウェアネス)」があり、適切な種類の気づきのある所には意識体験がある。意識の構造的特徴は気づきに現れる構造的特徴に直接対応している。この意識と認知の相関関係(コヒーレンス)と並んで、意識の構造は気づきの構造によって映し出され、そして気づきの構造は意識の構造によって映し出されているという相関関係から、チャーマーズは構造的コヒーレンスの原則を提唱した。 ...
  • パルメニデス
    ...ウル・クリプキによる固定指示子の概念である。還元説をたとえるなら「1に2をプラスすることが愛情である」というようなものであり、創発説をたとえるなら「1に2をプラスする過程で愛情が生まれる」というようなものであり、いずれも意味論的にナンセンスである。 また物理的なものは生成消滅しているように見えても、実は他の元素や素粒子が組み合わさったり、分解されているだけであり、因果性やエネルギー保存則は保たれている。しかし心的現象はそのような法則が発見できないことが最大の問題なのである。私が机の上に「美女」の姿を思い描いたとする。次にその美女を消して「戦車」を思い描いたとする。では、先ほどの美女はどこに消えたのか?  物質が「脳」を構成してそれが動作したらクオリアが生じるというのは、法則的な説明が全くなされておらず、これは無から何かが生じていると主張するに等しいナンセンスである。たとえるな...
  • 還元主義
    概説 還元の種類 概説 心の哲学における還元主義(Reductionism)とは、心的なものの存在は物理的なものの存在に還元できるという唯物論的な考え方であり、心脳同一説及びトークン同一説を前提とした機能主義や表象主義がその立場である。 還元主義な方法では現象的意識やクオリアは説明できず、心身問題は解決できないとする立場が二元論や中立一元論である。なお唯物論であっても消去主義はクオリアを消去しようとする立場なので還元主義とはいえない(ただし後述する「定義的還元」に該当する可能性がある)。また心理学的な行動主義やブラックボックス機能主義は、クオリアの存在論的身分を棚上げするので還元主義には該当しない。 スティーブン・ホーストは自然科学における還元の限界が心の哲学の議論にも適用できるのではないかと主張している。デイヴィッド・チャーマーズは『意識する心』で、意識が物理的な...
  • 意識の超難問
    概説 心理学的分析 分析哲学からの批判 人格の同一性問題から派生する意識の超難問 概説 意識の超難問(harder problem of consciousness)とは、オーストラリアの人工知能学者ティム・ロバーツが提起した問題で、「なぜ私は他の誰かではないのか?」というような、高度な自己意識(自我体験)に関するものである。 第一回と第二回のツーソン会議でデイヴィッド・チャーマーズが、意識のイージープロブレム( easy problem of consciousness )と意識のハードプロブレム(hard problem of consciousness)の問題提起をして大きな影響を及ぼした。ティム・ロバーツは1998年の第三回ツーソン会議で、意識のハードプロブレムよりも、さらに難しい問題として「意識の超難問」を以下のように提起した。 たとえいわゆる意識の「難問」...
  • カテゴリー錯誤
    カテゴリー錯誤(カテゴリー・ミステイク,英:category mistake, category error)とは、ある対象に固有の属性を、その属性を持つことのできないものに帰すという誤りである。ギルバート・ライルが著書『心の概念』(1949年)で、心身問題解決の鍵として提起したものである。 例えばケンブリッジ市のハーバードを訪れ、さまざまな学部や実験室などの各施設、そして教員や生徒を見たある人物が、最後に「それで、肝心のハーバード大学はどこなんです?」と聞くとする。その人は自分が見てきたものの他に「大学」そのものがあると思い込んでいる。しかしその人は実感していないものの、既にハーバード大学を見知っていることになる。大学という用語はそれぞれの学部や各施設、構成員を指示する言葉だからである。その人の思い込みこそがカテゴリー錯誤である。大学という言葉は学部や教員という言葉とは同じカテゴ...
  • 現象判断のパラドックス
    現象判断のパラドックス(英:Paradox of phenomenal judgement)とは、心の哲学において議論される意識についてのパラドックスである。現象報告のパラドックスとも呼ばれる。「現象」とは意識の主観的側面である現象的意識やクオリアのことである。デイヴィッド・チャーマーズが意識のハードプロブレムについて論じた文脈で言及したパラドックスであり、「現象的意識が脳の物理状態に対して何の影響も及ぼさないなら、なぜ私達は現象的意識やクオリアについて判断でき、また語れているのか?」という問題である。 このパラドックスは意識というものを、機能的意識と現象的意識という二つの概念(意識の二面性)に分離することから生じるものである。二元論の立場では、現象的意識は物理的性質には還元できないものとするが、同時に物理的なものが因果的に閉じていること(物理領域の因果的閉包性)を認めるならば、現...
  • 無内包の現実性
    無内包の現実性 本稿は拙論「映画『マトリックス』で考える現実と真実」から第6節「無内包の現実性」を抜粋し、atwiki用に修正したものである。 本稿に対する入不二氏のコメントも参照されたし。 本稿に関連したものとして本サイトの『現代哲学ラボ 第4号 永井均の無内包の現実性とは?』の書評も参照されたし。 無内包の現実性 入不二基義と永井均の「無内包の現実性」の相違と問題点を検証する。 入不二によれば「現実に」と言う場合、その「現実に」は遍在的に作用し、夢や幻などの非現実も包括し、さらに可能性や必然性といった様相をも包括する極限的に広い意味であり、「絶対現実」と呼ばれるている。絶対現実はただ「あるようにある」だけであり、現実であることは現実の内容に依存しないので、その意味で絶対現実は無内包の現実性とも言い換えられている(*1)。無内包の現実性は世界の「...
  • 命題的態度
    概説 解釈主義 概説 命題的態度(propositional attitude)とは、その内容を示す命題とそれに対する態度という構造をもつ心的状態のことである。バートランド・ラッセルが案出した。 たとえば地球は丸いという信念は、「地球は丸い」という命題に対して「信じる」という態度をとる心的状態である。水を飲みたいという欲求は「水を飲む」という命題に対して「欲する」という態度をとる心的状態である。 命題的態度は以下のような形式を持つ(*1)。 x は p を信じる y は q を望む。 z は r かどうか疑っている。 「x、y、z」が志向的システムを指すもの。「信じる、望む、疑う」が志向的システムが持つ態度。「p、q、r」がその態度の内容、すなわち命題である。 命題とは、人々が信念を固定したり測定したりするのに用いられる理論上の対象であ...
  • 多重実現可能性
    概説 派生問題 概説 多重実現可能性(multiple realizability)とは、心の哲学において、一つの心的現象はさまざまな脳の作用から生じうるとする説。特定の心的現象は特定の脳作用と同一であるとする心脳同一説のタイプ同一説に対する批判として、ヒラリー・パトナムが主張した。 例えば「痛み」という心的状態は何らかの脳状態で実現される。「痛み」を神経科学に還元するためには、「痛み」と何らかの脳状態との同一性を示すような「橋渡し法」(bridge law)を構築する必要がある。即ち、「痛みが生じるのは○○であるときに限る」という文を神経科学の語で完成させなければならない。例えば、「痛みが生じるのは神経線維Aが発火するそのときに限る」というようなものである。 これに対して多重実現可能性は障害になる。「痛み」を持つのは人間だけでなく各哺乳類、鳥類、爬虫類も「痛み」を...
  • 無限論
    1 はじめの一歩 2 無限論と実在論 3 ゼノンのパラドックスの終着点 4 カントによる無限批判 5 形而上学無限の不可能性 6 物理学による形而上学的無限の回避可能性 7 数学的無限と形而上学的無限の不調和 8 結論――実在論の最期 9 無限の派生問題 1 はじめの一歩 人生の道を一歩踏み外せば奈落に落ちる。僅か一歩には生死を分ける重大さがある。それは学問の道でも同様であろう。しかし哲学での無限についての議論では、その一歩の重大さが忘れられているように思える。はじめの一歩を踏み間違えていたなら、その後いくら懸命に歩を進めようと間違った地に行く着くしかない。 ゼノンのパラドックスは二千年以上にわたって夥しい学者たちが反駁を試みてきたが、今日でもなお議論が続いており、未だ万人が納得する解決法が発見されていないように思える。大森荘蔵は、ゼノンの主張は詭弁であるという前提からパラ...
  • 人格の同一性
    1 過去とのつながり 2 記憶説と身体説 3 還元主義と非還元主義 4 物理主義と反物理主義 5 三次元主義と四次元主義 6 独我論と実在論 7 独在性のアポリア 8 クオリアの同一性と非同一性 1 過去とのつながり 年始に親戚回りなどをしていると、稀に十年以上会っていなかった人物に再会することがある。前回見たときは五歳だった少年が、今は中学生になっている。当然、昔の面影は全く消えていて別人に見える。 五歳の時の少年は色白く内気な感じで、いつも携帯ゲーム機をいじっており、私が話しかけてもゲームをしながら「うん」「いいや」とガスが抜けるような気のない返事をするだけだった。ところが中学生になった少年は身体が五倍大きくなり、野球部に入って逞しく日焼けし、私が話しかけると真っ直ぐ私の眼を見て、溌剌としたスポーツマンの声でしっかり受け答えをする。 あの色白で内気だった五歳の少...
  • 夢と現実と真実と
    1 夢の懐疑 2 現象主義と可能世界論 3 マクタガートに見る「変化」の難問 4 変化のパラドックス――四次元主義の破綻 5 独今論 6 無世界論 7 真実の行方 8 私の死と世界の死 9 夢と現実と真実の狭間で 1 夢の懐疑 幼い頃に恐ろしい体験をした。或る真夏の夜、私は両親と二人の兄弟と共に、家族五人で一つの部屋で寝ていた。家の一階北側の部屋で、中庭に面した窓を網戸にして涼を取っていた。エアコンがまだ高価だった昭和の時代のことである。 深夜、どさっと何かが落ちるような音がして目が覚めた。見ると畳の上でどす黒い異形のものが蠢いていた。蛇だった。一匹の大きな蛇が長い総身を奇怪に絡めて波打っているのだった。誰かが悲鳴を上げた。父が大急ぎで網戸を外して手に持ち、その網戸で蛇をつついたり掬ったりして、なんとか掃き出し窓から庭へ払い出した。そしてガラス戸を厳重に閉めた。どこから蛇が...
  • 実在論論争
    概説 実在論の種類観念実在論 素朴実在論 形而上学的実在論と内在的実在論 科学的実在論 介入実在論 構造実在論 反実在論構成的経験主義 自然主義 非実在論現象主義・懐疑主義・実証主義 規約主義・道具主義・操作主義 社会構成主義・相対主義 心の哲学と実在論論争 概説 実在論(Realism)とは、われわれが認識する現象から独立して、現象を成り立たせている物質や普遍的概念(イデア)などが世界に実在しているという立場である。物質や外界が実在するという場合は、素朴実在論や科学的実在論になり、普遍が実在するという場合は観念実在論になる。実在論と対立する立場は現象主義や観念論である。 歴史的には紀元前のパルメニデスが、感覚で捉えられる現象世界は生成変化を続けるが、そもそも「変化」とは有るものが無いものになることであり、無いものが有るものになることであり、これは矛盾であるとし、感覚を超越...
  • マリーの部屋
    概説 知識論法 三種類の応答タイプA タイプB タイプC 派生問題 概説 マリーの部屋(英:Mary s Room)、またはスーパー科学者マリー(英:Mary the super-scientist)とは、1982年にフランク・ジャクソンが提示した物理主義、特に機能主義を批判する内容の思考実験である。 マリーは聡明な科学者であるが、なんらかの事情により、白黒の部屋に閉じこもり、白黒のテレビ画面を通してのみ世界を調査している。彼女の専門は視覚に関する神経生理学であり、我々が熟したトマトや晴れた空を見るときに感じる「色彩」についての全ての物理学的、神経生理学的情報を知っている。また「赤い」や「青い」という言葉が我々の日常生活でどのように用いられ、機能しているかも知っている。さて、彼女が白黒の部屋から解放されたり、テレビがカラーになったとき、何が起こるだろう。彼女は何か新しいこと...
  • バートランド・ラッセル
    概説 心の哲学におけるラッセルの見解 自我論 概説 バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(Bertrand Arthur William Russell,OM,FRS 1872年5月18日 - 1970年2月2日)はイギリス生まれの論理学者、数学者、哲学者。 哲学者としては新ヘーゲル主義から経験主義に転向し、初期の論理実証主義に大きな影響を与える。無神論者であった。 ラッセルはウィトゲンシュタインの才能を早くに見抜き、親交を結んで互いに影響を与え合った。しかし後期のウィトゲンシュタインを始めとする日常言語学派には批判的であり、言語の分析を哲学の終点とみなさず、あくまで言語が指示する対象に拘り、独自に形而上学を探究した。 ラッセルは分析哲学の創始者の一人でもあり、その哲学は生涯に渡って変化を続けたものの、哲学的手法は終始一貫して分析的・論理的であった。...
  • 無主体論
    概説 非人称表現 直接経験 デカルト的自我との対比 シュリックの無主体論 ウィトゲンシュタインの無主体論 ラッセルの無主体論 派生問題 概説 無主体論(英 No ownership theory / No subject theory)とは、意識作用について、思考したり知覚したりする「主体」を想定する必要はないとする説である。 たとえば感覚などは、一般的には「私は痛い」というように表現するが、実際の痛みは現れた時点で誰のものであるか決定しており所有関係を問うことは出来ない。つまり「私は痛い」という文の「私は」という語は、何の機能も果たしていないため、不要であると考える。これはルネ・デカルトが懐疑主義的方法の果てに見出した「我思うゆえに我あり」を批判的に検証し、認識の主体である「我」の存在を必要としないとするものである。認識の所有者の存在を否定するため「非所有論」とも呼ばれる...
  • 中国語の部屋
    概説 思考実験の意味 中国語の部屋に対する反論 コンピューターは「心」を持てるか? 概説 中国語の部屋(英 Chinese Room)とは、ジョン・サールが機能主義を批判し、強いAIの実現可能性を否定するため考案した思考実験である。 中国語が理解できない英国人に、沢山の中国語のカードが入った箱と、そのカードの使い方が書かれた分厚い英語のマニュアルを持って部屋に入ってもらう。部屋には小さな穴が開いていて、そこから英国人は中国語で書かれた質問を受け取る。そして英語のマニュアルに従って、決められた中国語のカードを返す。その英国人は中国語の質問と返答の「意味」がわからないにも関わらず、中国語によるコミュニケーションを成立させており、外部の人からは中国語を理解しているかのように見える。 この思考実験でサールが主張するのは、コンピューターが「計算」することと、「意味」を「理解」...
  • クオリア
    概説 意識とクオリアの違い 歴史と類義語 クオリアについての論争 還元主義的物理主義と二元論 外在主義と内在主義 クオリアに関する思考実験 クオリアの全一性 概説 クオリア(英:複数形 Qualia、単数形 Quale クワーレ、またはクアリ)とは、客観的には観察できない意識の主観的な性質のこと。日本語では感覚質と訳されることもある。もとはラテン語で「質感」を表す単語であるが、1990年代の半ばから意識の不思議さを象徴する言葉として科学者や哲学者の間で広く使われるようになった。「現象」「表象」「感覚与件」は類似の概念である。 クオリアという用語は厳密に定義されておらず、論者によって用いられ方が異なる。ブレンターノやフッサールは志向性が意識の本質だとし、心的状態は全て志向的だと考えた。この"ブレンターノ・テーゼ"に従ってクオリアも志向的であるとする論者がい...
  • 書評2
    『現代哲学ラボ 第4号 永井均の無内包の現実性とは?』 『現代哲学ラボ 第4号 永井均の無内包の現実性とは?』 本書は永井均の「無内包の現実性」という概念をテーマに、2016年9月23日早稲田大学で行われた永井均、入不二基義、森岡正博の三者による議論を電子書籍化したものである。 「無内包の現実性」には自我論と時間論という二つの論点があり、この二つは私の関心の対象でもあるので、それぞれを論じてみたい。 ※なお本書はamazonのkindle版につき表示環境によってページ数が異なると思われるので、引用の際のページ表記は省略する ・〈私〉の存在論 永井は「現実の〈私〉が一人だけいる」という事実は「事象内容的な問題と無関係」と語る。たとえば自分の複製人間がいて、自分と同じ物理構造をしていて同じ意識現象があっても、〈私〉は端的に一人である。つまり物理構造や意識という事象内...
  • ウィトゲンシュタイン
    心の哲学との関係 独我論 独我論と言語 補足 ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ウィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein 1889年4月26日 - 1951年4月29日)はオーストリア・ウィーン出身の哲学者。言語哲学、分析哲学に強い影響を与えた。 ウィトゲンシュタインの哲学は難解で多様な解釈が可能であり、研究者たちの間で甚だしい見解の隔たりがあることが多い。 前期の著書『論理哲学論考』(以下『論考』と略す)には、「語りえぬものには沈黙しなければならない」という有名な言葉がある。ウィトゲンシュタインは「語りうるもの」と「語りえぬもの」を峻別していた。「語りうるもの」とは思考の表現としての「言語」を指しており、その言語の射程が及ばない領域について語ることは無意味であるということである。『哲学的考察』には、「世界の本質に属する...
  • カント『純粋理性批判』の検証
    1 観念論の困難 2 『純粋理性批判』の目論見1――世界の観念性の証明 3 『純粋理性批判』の目論見2――自然科学の根拠付け 4 純粋理性と実践理性の境界 1 観念論の困難 私は超能力で自由自在に空を飛べる。何年か前には地上から三千メートルぐらいの高空を飛んだことがある。綿のような白い雲を突きぬけ遥か下方の街並みを見ながら飛び続けたのだが、飛んでいる最中ふいに超能力が消えて転落してしまうのではないかという不安もよぎった。そんな不安を駆逐するように自分は空を飛べるのだと強く信じて風を切りながらひたすら飛び続けた。転落の恐怖と戦いながら遥かな高空を飛び続けるのは痺れるほどの快感であり、これは人生で五番目ぐらいの素晴らしい経験だった。 夢での経験を上のように位置づけていけない理由はない。特に私は存在論的に反実在論の立場である。この立場では夢の経験も現実の経験も「経験」ということで...
  • 時間と空間の哲学
    概説 歴史マクタガートの時間論 科学における「絶対説」と「関係説」 相対性理論の時間・空間論「時間の流れ」の問題 哲学者の相対性理論解釈 存在論的派生問題 補足 空間論 心の哲学との関連 概説 時間と空間の哲学(philosophy of space and time)とは、時間と空間――時空についての哲学的な考察である。現代では哲学と物理学との学際領域である。分析哲学ではジョン・マクタガートの時間論を巡って活発に議論が行われている。 時空の哲学では以下のような問題が考察されている。  時間や空間はその中にある物体と独立に実在するのか、それとも物体と物体の関係としてしか存在しないのか? 独立に存在すると考えるのがニュートンの絶対時間・絶対空間の立場であり、物質たちの関係としてしか存在しないと考えるのがライプニッツやマッハの関係説の立場である。アインシュタインの相対...
  • 書評1
    中島義道『生き生きとした過去――大森荘蔵の時間論、その批判的解読』 戸田山和久『哲学入門』 鈴木貴之『ぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう 意識のハード・プロブレムに挑む』 入不二基義『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』 中島義道『生き生きとした過去――大森荘蔵の時間論、その批判的解読』 強引、というより無理過ぎる大森哲学解釈、という印象を受けた。中島は大森の弟子であり、大森と幾度も対話を重ねている。大森に会ったこともない私が異論を挟むのはおこがましい感もあるのだが、大森と同様の現象一元論者として、あえて本書を批評したい。 概説すると、中島が大森哲学批判を通じて主張したのは、「過去時間」と「意識作用」の実在性を認めるしかないということである。穿った見方をするならば、それらの実在性を前提にし、意図的に偏った大森哲学解釈をしたと思える。なに...
  • 現象的意識の非論理性
    1 「変化」という矛盾 2 心の哲学における「変化」の説明 3 実在論の無意味 4 物理法則の内在性 5 心脳問題 6 現象主義的心脳同一説 7 時間・因果の非実在 8 無時間論の可能性 9 補足 1 「変化」という矛盾 目を閉じると闇になる。私はその闇に美女でも戦車でも銀河系でも思い浮かべることができる。そして次にはその美女も戦車も銀河系も消すことができる。これは魔法や奇跡としか形容しようのない不思議なことである。 意識に現れる現象は次々に変化する。これは一般人には当たり前のことと思われている。しかしその変化なるものは紀元前にパルメニデスが指摘したように、論理を逸脱した不思議なものである。変化とは「ある」ものが「ない」ものになることであり、「ない」ものが「ある」ものになることである。「無からは何も生じない」というのは世界の基本原理である。逆に言えば存在していた何かが無にな...
  • 実践理性の方向
    1 実践理性の方向 2 実在論の可能性 3 心脳問題と他我問題 4 無世界論と実在論 5 死と実践理性の彷徨 1 実践理性の方向 その昔、自宅のテレビで映画『2001年宇宙の旅』を見た。映画にモノリスが登場したとき、私は大いなる哲学的驚愕に打ち震えた。宇宙には人知を遥かに超越した何かが確かにあって、モノリスがその何かを象徴していることは、青年だった私にも理解できた。映画を見終えても、私はしばらくテレビの前で呆然としていた。映画を通じて宇宙の神秘を垣間見たという感慨を堪能していたのだ。 ところがそれから何十年も経ち、今DVDで『2001年宇宙の旅』を見直しても、私は大した感慨を得ることができない。 それは今の私が哲学をやっているからである。宇宙にモノリスがあろうとアリスが迷い込んだ不思議の国があろうと、存在するものは単に存在するだけで、「不思議」とは人の心にのみあるの...
  • 大森荘蔵
    二元論の否定 普遍概念と無限集合 重ね描き 立ち現れ一元論 実在論批判 自我と他我 時間論 無主体論と無時間論 大森荘蔵(おおもり しょうぞう、1921年8月1日 - 1997年2月17日)は日本の哲学者。独自の現象主義的な思考方法によって、独我論的な「立ち現れ」一元論を主張した。中島義道は大森哲学を「独我論的現象一元論」と定義している(*1)。 1944年東京帝国大学理学部物理学科を卒業。その後1949年東京大学文学部哲学科を卒業する。戦後アメリカのスタンフォード大学、ハーバード大学に留学し、分析哲学の影響を受ける。帰国後東京大学教養学部助手を経て、さらに留学後、東京大学教養学部教授(科学史・科学哲学科)に就任。現在第一線で活躍中の多くの日本の哲学者たちを育て、影響を与えることとなった。 大森の弟子たちによると、「哲学とは、額に汗して考え抜くことである」という信念...
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