志向性

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  • 志向性
    概説 ジョン・サールの見解 概説 志向性(Intentionality)とは、人間の意識が外部の世界の何か(志向対象)に対して注意を向ける能力、または心的状態を関連付ける能力である。ブレンターノやフッサールの現象学においては、志向性とは意識のあらゆる活動に伴うものであり、すなわち心的現象の本質的な特性であって、心的現象は志向性によって物質的現象から区別できるとされた。 たとえば「愛」とは何ものかを愛することであり、「欲求」とは何ものかを欲っすることであり、「嫌悪」とは何ものかを嫌うことである。心的現象は常に志向対象をもつという説は「ブレンターノ・テーゼ」とも呼ばれる。 また志向的状態は、思考対象とそのアスペクト形態(aspectual shape)をもっている。アスペクト(aspect)とは人が認知をする際の、対象となる事物の現れ方のことである。例えば金星は、ある時...
  • 表象主義
    概説 志向性と表象 機能主義と表象主義の関係 批判 概説 表象主義(Representationalism)とは、人が何かを知覚した場合、その知覚は実在する対象を表すイメージだと考える哲学的立場である。たとえばテーブルを見た場合、光がテーブルという物体に反射して人の視覚で捉えられ、テーブルの知覚像が作られると考える。 近代では心身二元論の立場から、知覚像は物質からもたらされるという表象主義が主張されてきたが、この立場には知覚因果のメカニズムが解き難いという問題が指摘されてきた。 表象主義は近代哲学と現代の分析哲学では大きく異なっている。分析哲学では「表象理論」と呼ばれることが多い。近代哲学では物質的対象に属するのは質量や延長量(一時性質)のみとされていたが、分析哲学の表象理論では色や音や味(二次性質)も物質的対象に属すると考える。 以降は分析哲学での表象主義...
  • 物理主義
    ...な問題は、クオリアや志向性を物理的に説明することである。 しかし近代・現代の科学とは、その創始者であるガリレオやデカルトによって規定されたように、人間が知覚できる個別的な現象世界全てを記述しようとするものでなく、それら現象のうち数量化、普遍化できるもののみ記述しようとするものである。つまり科学の基本的規範とは人間が知覚できる現象のうち、クオリアや志向性を捨象することによって成り立っているゆえに、科学にクオリアや志向性の説明を求めるのは筋違いという考え方もできる。 心的なものを物理的なものという異なるカテゴリーの概念で説明することの不可能性を、ソール・クリプキは固定指示子の概念で論じた。このクリプキの議論はデイヴィッド・チャーマーズなど、物理主義に反対する立場の哲学者たちの理論的支柱の一つとなっている。 大森荘蔵の洞察もクリプキと類似している。大森は物理主義、特...
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    ...多重実現可能性 ├志向性 ├命題的態度 ├固定指示子 ├ゲシュタルト構造 ├アウェアネス ├言語的批判 | └カテゴリー錯誤 ├動物の心 ├実在 |├知覚因果説 |└イデア論 ├独我論 └独今論 ■人物 ├ヤージュニャヴァルキヤ ├パルメニデス ├シャンカラ ├ルネ・デカルト ├ライプニッツ ├スピノザ ├ジョージ・バークリー ├デイヴィッド・ヒューム ├イマヌエル・カント ├ヘーゲル ├バートランド・ラッセル ├ウィトゲンシュタイン ├ギルバート・ライル ├ドナルド・デイヴィッドソン ├ピーター・ストローソン ├ジョン・サール ├ダニエル・デネット └デイヴィッド・チャーマーズ □永井均 □渡辺恒夫 □大森荘蔵 □廣松渉 □Wikipediaの関連項目リンク ├究極の問い ├形而上学 ...
  • 機能主義
    ...、還元主義的な方法で志向性を自然化する試みの一つである。志向的な心的状態は心臓や肺などと同じく生物学的な器官の一種であり、「心臓は血液を循環させることが目的である」というように、生物学的な器官のはたらきがその特定の生物学的機能の観点から説明されるように、志向的な心的状態のもつ表象能力も、それがどうのような生物学的機能に由来するのかを明らかにすることによって説明される、とする。ルース・ミリカンらがこの立場である。 固有の機能は、その機能をもつ事物が実際に「行うこと」でなく「行うべきこと」によって説明される。たとえば多数の精子は実際に卵子と受精することはないが、それでも卵子と受精することが精子の機能である。また心臓は血液を循環させるだけでなく、その持ち主の健康状態を鼓動によって医師に知らせることができるが、それは心臓の本来の機能ではない。 目的論的機能主義のメリットの一つ...
  • アウェアネス
    ...ける状態に移行する(志向性)。その移行の際に意識が発生する。この一連の過程がアウェアネスである。 意識とアウェアネスの違い 「意識(consciousness)」と「アウェアネス(awareness)」という語の意味は類似しているが、認知科学や心の哲学では論者によって微妙に用いられ方が異なる。 ジョン・サールは「意識(consciousness)」というものを以下のように定義している。 「意識」という言葉で私が意味するのは、典型的には夢のない眠りから覚めたときに始まり、再び眠りにつくまで日中続く、感覚や気付きのこうした状態である(Searle 1999 40-41) サールからすると、アウェアネスとは意識の一つの状態ということになる。 茂木健一郎は以下のように説明している。 アウェアネスの中で多彩なクオリアが同時に感じられるという意識の側...
  • クオリア
    ...ターノやフッサールは志向性が意識の本質だとし、心的状態は全て志向的だと考えた。この"ブレンターノ・テーゼ"に従ってクオリアも志向的であるとする論者がいる。しかしクオリアは非志向的であるとし、意識の「高階の性質」としてクオリアを定義する者もいる。たとえばティム・クレインは、「歯痛」とは歯に対する有向性(志向性)と、歯痛特有の性質(クオリア)を持っているとする。またジョン・サールは、全ての意識状態はクオリアを持つとしながら、「痛み」を感じている場合、「痛み」はそれ自身を超えるものを何も表していないので、志向的ではないとしている。 茂木健一郎によると、クオリアには階層構造がある。クオリアが階層的に集合してより複雑な表象(representation, vorstellung)が生じる。例えばガラスの透明な質感や、ガラスの表面の色はクオリアであり、このようなクオリ...
  • 現象主義
    ...ールがマッハに対し、志向性の観点が欠けていると批判したのも類似の観点からである。また後期のウィトゲンシュタインは、言語分析を通じて視覚経験の中にある「~として見る(seeing as)」という解釈的契機を重視し、視覚経験を要素的感覚のモザイクとして説明する感覚与件理論を批判した。このように20世紀なかばの哲学においては、純粋な感覚なるものは分析の都合上抽象された仮説的存在にすぎないとし、意味をもった知覚こそがわれわれの〈経験〉であるとする考えが有力になった。また科学哲学の観点からは、物理的事物に関する命題が有限個の感覚与件命題には分析し尽くせないことなどが指摘されている。 ただし人間の心理は基本的な要素に還元できないとするゲシュタルト心理学は、マッハが著書『感覚の分析』において、音楽のメロディや、いわゆる〈反転図形〉にゲシュタルト質があることを指摘し、その着想に示唆されたエー...
  • 書評1
    ...知覚や思惟、主観性や志向性といったものを対象としないという方法論が自然科学なのであり、それらを自然化しようとする定義3の物理主義的自然主義は自然科学の方法と対立しているということになる。つまり定義3は「自然主義」を自称すること自体が既に矛盾であると考えることもできる。 ところが鈴木はこの最初の矛盾に全く言及していない。定義3の偏狭な自然主義に対する批判は、上述の小林だけでなく大森荘蔵や大陸哲学の論者からも頻繁になされているにも関わらずである。これは鈴木の議論がクワイン以降の分析哲学に限定されているからだと思われる。もちろん範囲を限定することは鈴木の勝手であるが、近代科学の方法論の成立について最低限紹介しておくのが読者に対する良心だったと思う。 鈴木は、意識の自然化は不可能だと主張する論者は二つの論証を提示しているとして、「思考可能性論証」と「知識論証」を紹介している。...
  • 説明のギャップ
    表象説 説明のギャップ(英:explanatory gap)とは、主に神経科学や心の哲学の分野で使われる言葉で、脳に関する客観的で物理的な記述と、意識の主観的な性質(現象的意識やクオリア)に関する記述との、つながりの欠如のこと。アメリカの哲学者ジョセフ・レヴァイン(Joseph Levine)が、1983年の論文 "Materialism and qualia The explanatory gap" の中で使用した言葉。 例えば「透明な青い海」を見ている時の神経状態を記述したする。しかしその記述には「透明な青い海」を見た時の心的現象が描かれていない。物理的記述と心的記述には大きなギャップがある。フランク・ジャクソンはマリーの部屋という思考実験で、このギャップを浮き彫りにすることにより、物理主義はクオリアの問題を取りこぼしていると主張した。逆にギルバー...
  • 命題的態度
    概説 解釈主義 概説 命題的態度(propositional attitude)とは、その内容を示す命題とそれに対する態度という構造をもつ心的状態のことである。バートランド・ラッセルが案出した。 たとえば地球は丸いという信念は、「地球は丸い」という命題に対して「信じる」という態度をとる心的状態である。水を飲みたいという欲求は「水を飲む」という命題に対して「欲する」という態度をとる心的状態である。 命題的態度は以下のような形式を持つ(*1)。 x は p を信じる y は q を望む。 z は r かどうか疑っている。 「x、y、z」が志向的システムを指すもの。「信じる、望む、疑う」が志向的システムが持つ態度。「p、q、r」がその態度の内容、すなわち命題である。 命題とは、人々が信念を固定したり測定したりするのに用いられる理論上の対象であ...
  • ダニエル・デネット
    概説 クオリア批判 人工知能擁護 批判 概説 ダニエル・デネット(Daniel Clement Dennett, 1942年3月28日 - )はアメリカの哲学者。2005年2月現在、タフツ大学教授。同大学認知科学センター監督官。1963年ハーバード大学卒業後、1965年オックスフォード大学にてPh.D取得。ハーバードではW・V・O・クワインに、オックスフォードではギルバート・ライルに師事。心の哲学では物理主義の代表的な人物である。 他者の内省報告を観察データとして認める「ヘテロ現象学」(Heterophenomenology)を掲げ、行動主義に陥ることなく、観察可能なデータから主観的意識の問題を扱えると主張する。 デネットは意識と脳の神経的なプロセスを異なる次元のものとして考えてきた心身二元論というデカルト以来の哲学的伝統を批判する。意識をつかさどる中央処理装置カル...
  • スワンプマン
    スワンプマン(英 Swampman、「沼男」の意味)とは、1987年にアメリカの哲学者ドナルド・デイヴィッドソンが考案した、人格の同一性問題を考えるための思考実験。 ある男が沼にハイキングに出かける。この男は不運にも沼の傍で突然雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷がすぐ傍に落ち、沼の汚泥に不思議な化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一形状の人物を生み出してしまう。 この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。スワンプマンは原子レベルまで死んだ瞬間の男と同一の構造をしており、見かけも全く同一である。もちろん脳の状態も完全なるコピーであることから、記憶も知識も全く同一である。沼を後にしたスワンプマンは死んだ男が住んでいた家に帰り、死んだ男の家族と話をし、死んだ男が読んでいた本の続きを読みながら眠りにつく。そして翌朝、死んだ男が通ってい...
  • 大森荘蔵
    ... 立ち現れは常に志向性をもっていると大森は考えていたようである。 「知覚されている」とはかならず「思いをこめて知覚されている」ことなのである。(*19) 思いが全くこもらない知覚(知覚的立ち現れ)はありえない(悟性的要素を全く排除した直観の多様などありえない)。しかし、たとえ思いがいかに濃密にこもっていようとも、机を「見る」こと「触れる」ことと、見も触れもしないでただ(心に、頭に)「思う」こととの分別は子供にも見誤ることのない歴然たるものである。ただ全く純粋な知覚的立ち現れとは、感覚与件と同様考えることのできぬものであり、すべての知覚は思いのこもった知覚である、このことを忘れてはならない。いかなる知覚も思いをこめての知覚なのである。(*20) この考えは、われわれが事物の断面を見た時の意識を考えればわかるかもしれない。たとえば家や車、机や椅子を見るとき、われわれは...
  • 逆転クオリア
    概説 逆転地球 思考実験のアレンジ 概説 逆転クオリア(Inverted qualia)とは、自分と同じ物理現象を体験している他者が、自分とは異なるクオリアを体験している論理的可能性を指摘するもので、哲学的ゾンビ同様の想像可能性論法である。思考実験では同じ波長の光を受け取っている異なる人間が、異なる「色」を経験するパターンがよく用いられる。逆転スペクトル(Inverted spectrum)やスペクトルの反転とも呼ばれる。 例えば自分と他者が同じリンゴを見ていても、自分には赤く見えるが他者には青く見えている可能性があると考える。この場合、その他者には「赤」という言葉がそのリンゴの「青い色」を指しているのだから言葉ではクオリアの逆転を知ることはできない。リンゴの青と他の色とを区別できるのだから色盲テストもパスできるし、信号が赤に変わればその他者は自分と同じように停まる。自分と...
  • 行動主義
    概説 歴史 心の哲学における行動主義 行動主義への批判 概説 行動主義とは、心理状態は行動状態にほかならないとする理論である。心の哲学においては物理主義の一種である。元は心理学のアプローチの一つで、観察不可能な心の私秘的性質に依拠せず、観察可能な行動を研究することで人間の心理を科学の対象とする試みだった。従って行動主義においては、人に意識現象があるとみなせるのは、自分に知覚や意識があると報告可能な場合に限られる。 行動主義においては、意識において志向対象とならなかった表象やクオリアは、報告不可能なため研究の対象とならない。このため心の哲学における行動主義は1960年代には衰退し、心脳同一説にとって代わられていった。だが、行動主義の方法論のいくつかは機能主義に受け継がれている。 歴史 20世紀、精神分析学のムーブメントと同時期に、行動主義学派は心理学に浸透した。 行動...
  • ジョン・サール
    概説 心の哲学におけるサールの見解 意味論的外在主義に対する批判 概説 ジョン・サール(John Rogers Searle 1932年7月31日- )は言語哲学および心の哲学を専門とする哲学者。カリフォルニア大学バークレー校教授。ニクソン大統領時代には大学問題大統領特別顧問としても活動した。 人工知能批判で知られ、チューリングテストに対する反論として中国語の部屋という思考実験を提案した。また、言語表現が間接的に果たす遂行的機能(間接発話行為)の研究を行い、ジョン・L・オースティンの後継者と称された。 2000年にジャン・ニコ賞を受賞。 心の哲学におけるサールの見解 サールは心の哲学における自分の立場を「生物学的自然主義(biological naturalizm)」と呼んでいる。これは意識が自然現象のひとつであることを強調するものである。たとえば胃が胃液を...
  • ウィトゲンシュタイン
    心の哲学との関係 独我論 独我論と言語 補足 ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ウィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein 1889年4月26日 - 1951年4月29日)はオーストリア・ウィーン出身の哲学者。言語哲学、分析哲学に強い影響を与えた。 ウィトゲンシュタインの哲学は難解で多様な解釈が可能であり、研究者たちの間で甚だしい見解の隔たりがあることが多い。 前期の著書『論理哲学論考』(以下『論考』と略す)には、「語りえぬものには沈黙しなければならない」という有名な言葉がある。ウィトゲンシュタインは「語りうるもの」と「語りえぬもの」を峻別していた。「語りうるもの」とは思考の表現としての「言語」を指しており、その言語の射程が及ばない領域について語ることは無意味であるということである。『哲学的考察』には、「世界の本質に属する...
  • ライプニッツ
    概説 オプティミズム(最善観) モナド(Monades)モナドとモナドとの関係 自我と魂 概説 ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz, 1646年7月1日(グレゴリオ暦)/6月21日(ユリウス暦) - 1716年11月14日)はドイツ・ライプツィヒ生まれの哲学者・数学者。「モナドロジー(単子論)」を提唱した。心の哲学においてライプニッツのモナド論は「予定調和説」として位置づけられる。 ライプニッツの思想は、哲学、形而上学の範囲にとどまらず、論理学、記号学、心理学、数学、自然科学などの極めて広い領域に広がる。また同時に、それらを個々の学問として研究するだけでなく、「普遍学」として体系づけることを構想していた。ライプニッツは通常、デカルトにはじまる大陸合理論に位置づけられるが、ジョン・ロックの経験論にも学んでいる。精神と...
  • 人格の同一性
    ...しているものである。志向性を持つ存在が志向対象と独立して存在しているというのはあまりに不自然すぎる。したがって個別の音のクオリアたちは浸透し合った一つの存在者でなければならない。そして、今のクオリアと一秒前のクオリアが浸透し合っているとするならば、数十年前のクオリアとも浸透し合っているかもしれない。――これが私の直観的な結論である。 そのクオリアの同一性という直観を、論理的な「形」にすることが、今後の私の課題になる。それはクオリアの「変化」というものを合理的に説明することである。ベルクソンは純粋持続を想定することによって、クオリアたちの「つながり」を説明することに成功したように思える。しかしクオリアがどのような原理で変化するのかという問題は解消していない。 哲学史上、クオリアの変化について合理的に説明した者はいない。クオリアとは人の最初の「経験」であり、全ての思考の出...
  • 無内包の現実性
    無内包の現実性 本稿は拙論「映画『マトリックス』で考える現実と真実」から第6節「無内包の現実性」を抜粋し、atwiki用に修正したものである。 本稿に対する入不二氏のコメントも参照されたし。 本稿に関連したものとして本サイトの『現代哲学ラボ 第4号 永井均の無内包の現実性とは?』の書評も参照されたし。 無内包の現実性 入不二基義と永井均の「無内包の現実性」の相違と問題点を検証する。 入不二によれば「現実に」と言う場合、その「現実に」は遍在的に作用し、夢や幻などの非現実も包括し、さらに可能性や必然性といった様相をも包括する極限的に広い意味であり、「絶対現実」と呼ばれるている。絶対現実はただ「あるようにある」だけであり、現実であることは現実の内容に依存しないので、その意味で絶対現実は無内包の現実性とも言い換えられている(*1)。無内包の現実性は世界の「...
  • 現象的意識の非論理性
    1 「変化」という矛盾 2 心の哲学における「変化」の説明 3 実在論の無意味 4 物理法則の内在性 5 心脳問題 6 現象主義的心脳同一説 7 時間・因果の非実在 8 無時間論の可能性 9 補足 1 「変化」という矛盾 目を閉じると闇になる。私はその闇に美女でも戦車でも銀河系でも思い浮かべることができる。そして次にはその美女も戦車も銀河系も消すことができる。これは魔法や奇跡としか形容しようのない不思議なことである。 意識に現れる現象は次々に変化する。これは一般人には当たり前のことと思われている。しかしその変化なるものは紀元前にパルメニデスが指摘したように、論理を逸脱した不思議なものである。変化とは「ある」ものが「ない」ものになることであり、「ない」ものが「ある」ものになることである。「無からは何も生じない」というのは世界の基本原理である。逆に言えば存在していた何かが無にな...
  • 夢と現実と真実と
    1 夢の懐疑 2 現象主義と可能世界論 3 マクタガートに見る「変化」の難問 4 変化のパラドックス――四次元主義の破綻 5 独今論 6 無世界論 7 真実の行方 8 私の死と世界の死 9 夢と現実と真実の狭間で 1 夢の懐疑 幼い頃に恐ろしい体験をした。或る真夏の夜、私は両親と二人の兄弟と共に、家族五人で一つの部屋で寝ていた。家の一階北側の部屋で、中庭に面した窓を網戸にして涼を取っていた。エアコンがまだ高価だった昭和の時代のことである。 深夜、どさっと何かが落ちるような音がして目が覚めた。見ると畳の上でどす黒い異形のものが蠢いていた。蛇だった。一匹の大きな蛇が長い総身を奇怪に絡めて波打っているのだった。誰かが悲鳴を上げた。父が大急ぎで網戸を外して手に持ち、その網戸で蛇をつついたり掬ったりして、なんとか掃き出し窓から庭へ払い出した。そしてガラス戸を厳重に閉めた。どこから蛇が...
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