意識の二面性

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  • 意識の二面性
    意識の二面性、または意識の多義性とは、「意識」というものには本人にしか知られない主観的側面と、第三者からも観測できる客観的な側面の二つがあるということ。またそのために「意識」という用語がさまざまな意味で使われているという状況を指す。 このような混乱した状況は心の哲学の研究にとって障害となるため、デイヴィッド・チャーマーズは意識という概念を以下のように「機能的意識」と「現象的意識」の二種類に分けた。 1、機能的意識 機能的意識とは、「人間が外部の状況に対して反応する能力」のことである。脳を物体として捉える観点から言えば、入力信号に対して出力信号を返す脳の特性としての意識であり、外面的に観測することができる客観的な特性である。心理学的意識とも言われる。 2、現象的意識 現象的意識とは、「主観的で個人的な体験」のことであり、他者からは観測できない個人の主観的な特性とし...
  • 現象的意識
    ...と機能的側面の違い(意識の二面性)に着目して、哲学的ゾンビの思考実験を行っている。 現象的意識は現在の物理学に還元できる特性のひとつでしかないと考える物理主義的立場と、そうした還元は出来ないと考える二元論的立場の間で、その存在論的位置づけを巡って激しい論争が繰り広げられている。(論争の詳細はクオリアを参照のこと)
  • 意識のハードプロブレム
    ...識」に分けた。これが意識の二面性(多義性)と呼ばれるものである。 例えば、誰かが転んで「痛い」と言ったなら、その人には意識があるというのが第三者にもわかる。しかしその人が本当に痛さの感覚体験をしているかどうかは第三者には決してわからない。主観的にしか体験できないその痛さこそが現象的意識である。また仮にその人が、実は人間そっくりのロボットだとしたら痛さの体験をしていないことになるのだが、痛さを体験できないロボットでも、プログラムによって人間同様に痛みを感じているよう振舞うことができる。そのプログラムは意識の「機能」を持っているということである。その機能的意識と対比させられるのが現象的意識というわけである。なお、実はその人がロボットであっても人間であっても、第三者にとっては機能的な意識しか観測できないという点では同じである。仮にその人の脳をどんなに詳細に調べても、第三者にわかるの...
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    ...ドプロブレム |├意識の二面性 |└意識の超難問 ├心的因果 |├付随性 |├因果的閉包性 |└現象判断のパラドックス ├説明のギャップ ├意識の境界問題 ├意識に相関した脳活動 ├多重実現可能性 ├志向性 ├命題的態度 ├固定指示子 ├ゲシュタルト構造 ├アウェアネス ├言語的批判 | └カテゴリー錯誤 ├動物の心 ├実在 |├知覚因果説 |└イデア論 ├独我論 └独今論 ■人物 ├ヤージュニャヴァルキヤ ├パルメニデス ├シャンカラ ├ルネ・デカルト ├ライプニッツ ├スピノザ ├ジョージ・バークリー ├デイヴィッド・ヒューム ├イマヌエル・カント ├ヘーゲル ├バートランド・ラッセル ├ウィトゲンシュタイン ├ギルバート・ライル ├ドナルド・デイヴィッドソン ├ピーター・ストローソン ├ジョン...
  • 現象判断のパラドックス
    ...識という二つの概念(意識の二面性)に分離することから生じるものである。二元論の立場では、現象的意識は物理的性質には還元できないものとするが、同時に物理的なものが因果的に閉じていること(物理領域の因果的閉包性)を認めるならば、現象意識やクオリアは何の機能ももたず、因果的に全く関わっていないという事になりパラドックスが生じる。しかし物理主義では機能的意識と現象的意識という分離を認めず、心脳同一説を前提にしているためパラドックスは生じない。また現象主義や観念論といった立場では実在論を否定するので、やはりパラドックスは生じない。 哲学的ゾンビおよび逆転クオリアの問題と、現象判断に関する問題は、一般に対になって語られる。クオリアについての判断や発言は、私たちの物理的同型体である哲学的ゾンビにおいてもまったく同様に行われる。 普通の人間「この赤さこそ問題だ」 哲学的ゾンビ「そうだ。こ...
  • 意識の超難問
    概説 心理学的分析 分析哲学からの批判 人格の同一性問題から派生する意識の超難問 概説 意識の超難問(harder problem of consciousness)とは、オーストラリアの人工知能学者ティム・ロバーツが提起した問題で、「なぜ私は他の誰かではないのか?」というような、高度な自己意識(自我体験)に関するものである。 第一回と第二回のツーソン会議でデイヴィッド・チャーマーズが、意識のイージープロブレム( easy problem of consciousness )と意識のハードプロブレム(hard problem of consciousness)の問題提起をして大きな影響を及ぼした。ティム・ロバーツは1998年の第三回ツーソン会議で、意識のハードプロブレムよりも、さらに難しい問題として「意識の超難問」を以下のように提起した。 たとえいわゆる意識の「難問」...
  • 意識の統一性
    概説 人格の同一性問題との関連 意識の時間的統一の問題 概説 人間には五感がある。しかし同時に複数の感覚があった場合、それらは独立して存在しているのでなく統一された意識の内部にある。たとえば繁華街を歩いていると様々なものが見え、同時に様々な音が聞こえ、同時に様々な匂いがある。それらの感覚は統一的な意識の内部にあり、意識は全一的なものとして存在している。これが意識の統一性である。 ジョン・サールは次のように論じている。 いま私は、指先の感覚や首まわりのシャツの圧迫感、落葉の風景だけを経験しているわけではない。これらすべてを単一の統合された意識野の一部として経験している。病理的なところのない通常の意識は、統合された構造とともにある。カントはこの意識野の統合を「統覚の超越論的統一」と呼び、そこから多くのことを引き出した。そして彼は正しかった。これから見ていくように、それは...
  • 意識の境界問題
    概説 意識の統一性 中心と周辺 組み合わせ問題 きめの問題 解決へのアプローチ 概説 意識の境界問題(英:Boundary Problem of Consciousness)とは、人間の意識が宇宙の構造のあるレベル、つまり「脳」という単位において、統一的に、かつ境界をもって存在しているのはなぜなのかという問題。心の哲学において意識のハードプロブレムと関わる問題のひとつとして議論される。2004年にアメリカの哲学者グレッグ・ローゼンバーグによって提起された。 個人が体験するのはこの世界にある意識体験のごく一部である。例えば隣にいる他人が酷い虫歯の痛みに苦しめられていたとしても、自分がその痛みを感じるということはないし、また地球の裏側で誰かが幸福の絶頂を噛み締めていたとしても、自分がその喜びを感じるということはない。つまり意識体験は境界を持って個別化されている。 意識は...
  • 表象主義
    ...思われるためである(意識の二面性と説明のギャップ)。これに対して表象理論は、意識の現象的特徴を端的に表象対象の特徴であると見なすことで、この困難を克服しようとするのである。表象理論を提案するマイケル・タイは、現象的特徴が表象内容であるとし、現象的特徴とは認知的利用のために準備された志向的表象内容であるとしている。 表象主義者によれば、クオリアはとは、信念と欲求の形成という高次認知処理にとって利用可能であるように準備された表象内容であると考える。また微細物理レベルまで同じ双子がいた場合、彼らの表象的な内容の違いとは、双子それぞれの環境での主体と対象との関連である。表象理論では、クオリアは「主体が直接的に意識している観念の内在的特質」ではなく、むしろ「個人とその環境との間の外的な関係によって決定付けられる外在的特質」である。クオリアは表象的特質と同一である。ゆえに表象的内容が同一...
  • 現象的意識の非論理性
    1 「変化」という矛盾 2 心の哲学における「変化」の説明 3 実在論の無意味 4 物理法則の内在性 5 心脳問題 6 現象主義的心脳同一説 7 時間・因果の非実在 8 無時間論の可能性 9 補足 1 「変化」という矛盾 目を閉じると闇になる。私はその闇に美女でも戦車でも銀河系でも思い浮かべることができる。そして次にはその美女も戦車も銀河系も消すことができる。これは魔法や奇跡としか形容しようのない不思議なことである。 意識に現れる現象は次々に変化する。これは一般人には当たり前のことと思われている。しかしその変化なるものは紀元前にパルメニデスが指摘したように、論理を逸脱した不思議なものである。変化とは「ある」ものが「ない」ものになることであり、「ない」ものが「ある」ものになることである。「無からは何も生じない」というのは世界の基本原理である。逆に言えば存在していた何かが無にな...
  • デイヴィッド・チャーマーズ
    概説 意味の一次内包と二次内包 構造的コヒーレンスの原則 構成不変の原則 情報の二相説 汎経験説 補足 概説 デイビッド・ジョン・チャーマーズ (David John Chalmers、1966年4月20日 - )はオーストラリアの哲学者。1982年、高校生のとき数学オリンピックで銅メダルを獲得する。インディアナ大学で哲学・認知科学のPh.Dを取得。2006年現在オーストラリア国立大学の哲学教授であり、同校の意識研究センターのディレクターを務めている。心の哲学において意識のハードプロブレムをはじめ多くの問題提起をし、この分野における指導的な人物の一人となっている。 チャーマーズはクオリアと呼ばれる内面的な心的体験を、実体(英 entity)的に捉え、質量やエネルギーなどと並ぶ基礎的な物理量のひとつとして扱い、その振る舞いを記述する新しい物理学を構築すべきだと主張する。そして...
  • 自然主義的二元論
    概説 自然主義的二元論(英 Naturalistic dualism)とは、デイヴィッド・チャーマーズが意識のハードプロブレム、すなわち物質としての脳からどのようにして現象的意識やクオリアなどが生まれるのか、という問題に対して取る自分の立場を呼ぶ名称であり、その問題の解決のためには物理学の理論の存在論的拡張が必要だという主張のことである。 自然主義とは、自然が存在するものの全てであり、心的現象を含む一切は自然科学の方法で説明できるとする哲学的立場のことである。 チャーマーズは意識が物理理論に論理的に付随しないことを哲学的ゾンビの思考実験などで論じ、それを理由に、物理特性以外にさらにこの世界を形作っているものがあるとして、以下のように唯物論を批判する。 1、我々の世界には意識体験がある。 2、物理的には我々の世界と同一でありながら、意識体験が無い世界が論理的に存在...
  • ジョン・サール
    概説 心の哲学におけるサールの見解 意味論的外在主義に対する批判 概説 ジョン・サール(John Rogers Searle 1932年7月31日- )は言語哲学および心の哲学を専門とする哲学者。カリフォルニア大学バークレー校教授。ニクソン大統領時代には大学問題大統領特別顧問としても活動した。 人工知能批判で知られ、チューリングテストに対する反論として中国語の部屋という思考実験を提案した。また、言語表現が間接的に果たす遂行的機能(間接発話行為)の研究を行い、ジョン・L・オースティンの後継者と称された。 2000年にジャン・ニコ賞を受賞。 心の哲学におけるサールの見解 サールは心の哲学における自分の立場を「生物学的自然主義(biological naturalizm)」と呼んでいる。これは意識が自然現象のひとつであることを強調するものである。たとえば胃が胃液を...
  • 心の哲学全般
    概説 心の哲学の用語 自然主義 根本問題 概説 心の哲学(英 Philosophy of mind)とは哲学の一分科で、現象的意識やクオリアなど心的なものと、物質的な脳や身体との関係、そしてそれらの存在論的な位置づけを研究する学問である。 心の哲学の基本的なテーマは心身問題と心的因果であるが、心身問題は科学の領域では心脳問題として研究の対象となっている。歴史的には心身問題は心脳問題の前史としてあったということになる。 デイヴィッド・チャーマーズは、心的現象と脳の活動の対応関係を研究する神経科学の問題を「イージー・プロブレム」と呼び、その脳の活動からどのようにしてクオリアなどの心的現象が生まれるのか、またその心的なものは物理的な脳とどのような因果関係(心的因果)があるのかという問題を「ハード・プロブレム」と呼んでいる。近年の心の哲学ではその意識のハード・プロブレム...
  • 哲学的ゾンビ
    概説 想像可能性論法 2つの哲学的ゾンビ 意識の定義――機能的意識と現象的意識 ゾンビ論法的思考実験の歴史 物理主義からの批判 補足 概説 哲学的ゾンビ(英:Philosophical Zombie) とは、デイヴィッド・チャーマーズによって提起された心の哲学における思考実験である。外面的には普通の人間と全く同じように振る舞うが、内面的な経験(現象的意識、クオリア)を全く持っていない人間と定義される。ホラー映画に出てくるゾンビと区別するために、哲学的ゾンビ(または現象ゾンビ)と呼ばれる。おもに性質二元論(または中立一元論)の立場から物理主義とその範疇にある行動主義や機能主義の立場を批判する際に用いられる。 哲学的ゾンビは、フランク・ジャクソンによるマリーの部屋の思考実験の発展型である。チャーマーズ自身も、マリーの部屋の「知識論証」は「ゾンビ論証」とペアになったときに最も力を...
  • カルテジアン劇場
    概説 オーウェル主義的モデルとスターリン主義的モデル 概説 カルテジアン劇場 (Cartesian Theater) とは、アメリカの哲学者・認知科学者のダニエル・デネットが、古典的な意識についての考え方である意識のホムンクルス・モデルを批判するために提唱した思考実験。人間の脳の中には小人(ホムンクルス)が住んでいる劇場があり、そのスクリーン上に人間の身体が経験した感覚的データが上映される。それが人間の精神現象であるとする。では、その小人の脳の中はどうなっているのか、さらに小さな小人がいるのか――デカルトのいうような、精神は身体に還元できない実体であるとする実体二元論は、意識の説明について無限後退に陥るという批判である。 カルテジアンとは「デカルトの」という意味の英語で、他にデカルト劇場、デカルトの劇場とも呼ばれる。デネットの1991年の著作『解明される意識』(Consci...
  • デイヴィッド・ヒューム
    概説 知覚――印象と観念 因果関係論 実体 自我の否定 ヒュームの観念論と自然科学の関係 派生問題――知覚の同一性と意識の連続性 概説 デイヴィッド・ヒューム(David Hume, 1711-1776)は、スコットランド・エディンバラ出身の、英国経験論を代表する哲学者。スコットランド啓蒙の代表的存在とされる。ジョージ・バークリーの観念論と現象主義を継承して発展させ、自我さえも「感覚の束」であるとしてその実在性を否定した。この自我論は後に無主体論とも呼ばれ、現代の心の哲学では主流の立場になる。 ヒュームは懐疑主義を徹底し、それまでの哲学が自明としていた知の成立過程の源泉を問い、それまで無条件に信頼されていた因果律を、論理的なものでなく連想の産物であると見なし、数学を唯一確実な学問とした。また科学哲学においては自然の斉一性仮説を提唱した。 知覚――印象と観念 ヒューム...
  • ヘーゲル
    概説 心の哲学についてのヘーゲルの思想 概説 ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel、1770年8月27日 - 1831年11月14日)は、ドイツの哲学者。ドイツ観念論哲学の完成者といわれる思想家である。 デカルト的二元論を克服するためにシェリングから「世界精神」の概念を受け継ぎ、心的なものと物理的なものが精神という新たな綜合において存在しているという独自の「絶対的観念論」を提唱した。 ヘーゲル哲学を批判的に継承・発展させた人物としては、セーレン・キェルケゴール、カール・マルクスなどがいる。ポストモダン思想においては、マルクス主義国家における全体主義的傾向は、理性によって人間を含む世界の全体を把握できるとするヘーゲル思想に由来している、という見方がされている。 心の哲学についてのヘーゲルの思想...
  • 新神秘主義
    新神秘主義(英 New mysterianism)は、心身問題、つまり心的な意識現象と物質的な脳がどのように関わりあっているのか解明するのは不可能だとする立場のこと。代表的な論者にコリン・マッギンがいる。トマス・ネーゲルも新神秘主義者に分類されることがある。 マッギンは認知的閉鎖説を提唱し、人間が意識の謎、つまり意識のハードプロブレムが解明される可能性に懐疑的である。トマス・ハックスリーは1886年に、「神経組織の活動によって意識状態という驚くべきものが出現することは、物語のアラジンが魔法のランプをこすれば魔人が現れることのようだ」と心と脳の関係を表現した。このハックスリーの言葉は意識現象がいかに奇跡的であるかうまく捉えていたとマッギンはいう。そしてマッギンは心的特性を物理特性に還元する物理主義を批判し、また心的なものの排他性を強調する二元論は脳から心を切り離すようなものだと批判...
  • 廣松渉
    認識論 心身問題 廣松渉(ひろまつ わたる、1933年8月11日 - 1994年5月22日)は日本の哲学者。東京大学名誉教授。 高校進学と同時に日本共産党に入党。東京学芸大学に入学するが、中退して東京大学に再入学する。当初はエルンスト・マッハに対する関心が強かったが、指導教官の勧めなどがあってカント研究に専念。東京大学大学院に進学し、1965年に博士後期課程を単位取得退学している。共産党との関係では、1955年の六全協を受け復党するも、翌1956年に出版した共著書『日本の学生運動』が問題とされ離党した。1958年12月に共産党と敵対する共産主義者同盟(ブント)が結成されて以降、理論面において長く支援し続けた。 認識論 廣松は主観・客観図式による伝統的な認識論を批判する。主観・客観とされているいずれの側も二重になっており、全体として世界の存在構造は四肢的だと指摘し、...
  • ダニエル・デネット
    概説 クオリア批判 人工知能擁護 批判 概説 ダニエル・デネット(Daniel Clement Dennett, 1942年3月28日 - )はアメリカの哲学者。2005年2月現在、タフツ大学教授。同大学認知科学センター監督官。1963年ハーバード大学卒業後、1965年オックスフォード大学にてPh.D取得。ハーバードではW・V・O・クワインに、オックスフォードではギルバート・ライルに師事。心の哲学では物理主義の代表的な人物である。 他者の内省報告を観察データとして認める「ヘテロ現象学」(Heterophenomenology)を掲げ、行動主義に陥ることなく、観察可能なデータから主観的意識の問題を扱えると主張する。 デネットは意識と脳の神経的なプロセスを異なる次元のものとして考えてきた心身二元論というデカルト以来の哲学的伝統を批判する。意識をつかさどる中央処理装置カル...
  • クオリア
    概説 意識とクオリアの違い 歴史と類義語 クオリアについての論争 還元主義的物理主義と二元論 外在主義と内在主義 クオリアに関する思考実験 クオリアの全一性 概説 クオリア(英:複数形 Qualia、単数形 Quale クワーレ、またはクアリ)とは、客観的には観察できない意識の主観的な性質のこと。日本語では感覚質と訳されることもある。もとはラテン語で「質感」を表す単語であるが、1990年代の半ばから意識の不思議さを象徴する言葉として科学者や哲学者の間で広く使われるようになった。「現象」「表象」「感覚与件」は類似の概念である。 クオリアという用語は厳密に定義されておらず、論者によって用いられ方が異なる。ブレンターノやフッサールは志向性が意識の本質だとし、心的状態は全て志向的だと考えた。この"ブレンターノ・テーゼ"に従ってクオリアも志向的であるとする論者がい...
  • 汎心論
    概説 原意識 組み合わせ問題 概説 汎心論(英:Panpsychism)とは、哲学・宗教において、世界のあらゆるものが心的な性質を持つとする考え方。 汎心論と呼ばれる思想は多様であるが、大きく分けて次の三種類のものがある。 1、原始信仰としてのアニミズム的世界観。およびそれに類するもの。 2、世界にあるものは心だけであると考える唯心論。 3、心の哲学の分野において、創発説や還元主義に対立するものとして語られる汎経験説(Panexperientialism)。 心の哲学における汎経験説とは、あらゆる物質に意識、あるいは意識の元となる性質(原意識)があるとする中立一元論的な考え方であり、バートランド・ラッセルが1927年の『物質の解析』で主張した。ラッセルの考えは物理学者のアーサー・エディントンにも支持され、エディントンは1928年の『物理的世界』で「...
  • 認知的閉鎖
    認知的閉鎖(英 cognitive closure)とは、イギリスの哲学者コリン・マッギンによって提唱された意識のハードプロブレム、すなわち物理的な脳からいかにして現象的意識やクオリアが生み出されるのかという問題への一回答であり、人間の精神・知性はこの問題に関して「閉鎖」されている、人間の理解できる領域ではないとする可能性のことである。 人間による理解が現段階において科学的に不十分であったりするためではなく、人間の精神・知性にはそれらを理解するキャパシティーが端的に欠けているためである。マッギンによると、私たちは五感による知覚などの認知能力が備わっているが、逆に言えば私たちはそれら認知能力によって理解できる事柄以外は認知できないということになる。これはマリーの部屋の思考実験からも類推することができる。宇宙には人類以外にも多数の生命体がいて、彼らは人間にとって未知のクオリアを体験して...
  • 動物の心
    (以下は管理者の見解) 動物にも何がしか「心」のようなものがあるというのは大半の動物学者が認めていることである。根拠のひとつは振る舞いが人間と似ているということである。動物には自分の心の状態を報告する人間的な言語を持たないが、猫でも石が当たって怪我をすれば人間のように痛みを感じているよう振る舞って泣き声を上げる。もうひとつの根拠は人間同様に目、耳、鼻といった感覚器官をもち、神経構造もまた人間と似ているということである。特に哺乳類の場合は人間と類似した構造の脳――意識活動に十分と推定できる脳細胞を持っている。それらから動物にも心のようなものがあると類推することができる。 成長したチンパンジーの知能は一般的に人間の三歳児ぐらいといわれる(科学的な根拠は不明)。人間の一、二歳児に心があると認めるならチンパンジーに心がないと考えることの方が難しいだろう。しかし動物にも心があると仮...
  • 説明のギャップ
    表象説 説明のギャップ(英:explanatory gap)とは、主に神経科学や心の哲学の分野で使われる言葉で、脳に関する客観的で物理的な記述と、意識の主観的な性質(現象的意識やクオリア)に関する記述との、つながりの欠如のこと。アメリカの哲学者ジョセフ・レヴァイン(Joseph Levine)が、1983年の論文 "Materialism and qualia The explanatory gap" の中で使用した言葉。 例えば「透明な青い海」を見ている時の神経状態を記述したする。しかしその記述には「透明な青い海」を見た時の心的現象が描かれていない。物理的記述と心的記述には大きなギャップがある。フランク・ジャクソンはマリーの部屋という思考実験で、このギャップを浮き彫りにすることにより、物理主義はクオリアの問題を取りこぼしていると主張した。逆にギルバー...
  • アウェアネス
    概説 意識とアウェアネスの違い 概説 アウェアネス(英 awareness)とは、認知科学や心の哲学の用語で、人が自分の精神や知覚の情報にアクセスできて、その情報を直接的に行動のコントロールに利用できる状態(direct availability for global control)」のことを言い、日本語で「気づき」とも訳される。自覚状態を指すため「覚醒」という意味もある。 茂木健一郎は以下のように説明している。 部屋で本を読んでいる時など、突然、換気扇の音や、冷蔵庫の音に注意が向けられることがある。これらの音は、アウェアネスの中ではクオリアとして成り立っていたのであるが、注意が向けられていなかったので、それと把握されたり、言語化されたり、記憶に残ったりすることがなかったのである。(茂木 2004 50) 電車でぼんやり窓外を見ていると、さまざまな光景が...
  • 渡辺恒夫
    遍在転生観 永井均に対する批判 遍在転生観の問題 観念論的アプローチ 他我問題 渡辺恒夫は1946年生まれ。東邦大学理学部教授。専門は心理学。京都大学文学部で哲学を、同大学院文学研究科で心理学を専攻した。 自我体験、独我論的体験、意識の超難問の体験を心理学の立場から統計的に調査研究している。そして意識の超難問の解答として梵我一如思想を背景にした「遍在転生観」を提唱している。 遍在転生観 遍在転生観とは、渡辺恒夫が考える輪廻転生のあり方。全ての個人がそれぞれ所有しているように見える自己・自我というものは、実は唯一存在するだけであり、それが各個人に現れているのだと考える。 「なぜ〈私〉は21世紀の〈今〉というときに、〈ここ〉地球星の日本という島に生きているのか?」という意識の超難問的な問いに対しては、過去・未来・同時代のあらゆる知的生命体は、唯一の私が輪廻転生を...
  • 還元・創発・汎経験説
    概説 還元説 創発説デイヴィッド・チャーマーズによる解説 汎経験説 諸説への批判 概説 クオリアというものが一体どこから、どのようにして生じているのかは全くの謎である。現代の科学においても、脳の神経細胞の作用に対応して存在していることだけが事実として認められている。言い換えると脳科学が明らかにしたのは、心的現象と脳の作用に因果的な隣接関係が見出せるということのみであり、脳の作用は心的現象を生じさせる十分条件であると論証できないどころか、必要条件の一つであるとも論証できないのである。多数の哲学者や科学者たちを取材したスーザン・ブラックモアは、学者たちの間では旧来の「脳が意識を生み出す」という表現から、「脳と意識は相関する」という表現に変えるのが流行しているという。 歴史的には心的現象は「魂」の作用であるとする二元論的な立場と、心的現象は物質の運動に還元されるとする原子論的な立...
  • 梵我一如
    概説 ブラフマン アートマン 参考 概説 梵我一如とは、宇宙全体としての「梵(ブラフマン)」と、個体としての「我(アートマン)」が本質的には同一であるとする思想。また、同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想。古代インドにおけるヴェーダ哲学の究極の悟りとされる。代表的な思想家は、シャーンディリヤ、ウッダーラカ・アールニ、ヤージュニャヴァルキヤなどである。 ブラフマンとは普遍的に存在する万物の原理・生命の源と考えられている。宇宙全体、宇宙精神ともいうべきニュアンスがある。アートマンとは単なる自我というより、真の自己(真我)、といったニュアンスがある。この世に多数の人間として存在しているように見える多数の自我はマーヤー(幻)であり、真我はひとつとされる。 人間が梵を吸収することにより生命力が増すという思想もある。 ヴェーダにおける解脱とは...
  • 書評1
    中島義道『生き生きとした過去――大森荘蔵の時間論、その批判的解読』 戸田山和久『哲学入門』 鈴木貴之『ぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう 意識のハード・プロブレムに挑む』 入不二基義『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』 中島義道『生き生きとした過去――大森荘蔵の時間論、その批判的解読』 強引、というより無理過ぎる大森哲学解釈、という印象を受けた。中島は大森の弟子であり、大森と幾度も対話を重ねている。大森に会ったこともない私が異論を挟むのはおこがましい感もあるのだが、大森と同様の現象一元論者として、あえて本書を批評したい。 概説すると、中島が大森哲学批判を通じて主張したのは、「過去時間」と「意識作用」の実在性を認めるしかないということである。穿った見方をするならば、それらの実在性を前提にし、意図的に偏った大森哲学解釈をしたと思える。なに...
  • 観念論
    概説観念論に対する批判 各種の観念論超越論的観念論 ドイツ観念論 イギリスの観念論 主観的観念論と客観的観念論 概説 観念論(idealism)という語は実に多義的であるが、通俗的な意味においては、観念的なものを物質的なものに優先する立場を観念論といい、唯物論に対立する用語として使われる。なお「観念論者(idealist)」の語を最初に用いたのはライプニッツである。 しかし哲学用語としての観念論は、歴史的に以下のような二つの対極的な立場で使われている。 (1)人間が直接経験できないものが実在し、それがわれわれの認識を成り立たせているとする思弁的な立場。プラトンのイデア主義に起源をもつ。新プラトン主義のプロティノスや大陸合理論のスピノザやライプニッツを経て、イマヌエル・カントの超越論的観念論を近代の転換点とする。超越論的観念論はフィヒテやシェリングなどを経由し、ヘーゲ...
  • コウモリの視点
    アメリカの哲学者トマス・ネーゲル(Thomas Nagel, 1937年7月4日 - )は、論文「コウモリであるとはどのようなことか?」(1974年)で、機能主義的な物理主義に対する反論として、意識・クオリアの主観性をコウモリを例にして主張した。 コウモリはどのように世界を感じているのか。コウモリは口から超音波を発し、その反響音を元に周囲の状態を把握している(反響定位)。コウモリはこの反響音をいったい「見える」ようにして感じるのか、それとも「聞こえる」ようにして感じるのか、または全く違った風に感じるのか……。コウモリの感じ方を問うことは出来るが、しかし人間はその答えを知る術を持ってはいない。 この問いで注意すべきなのは、人間がコウモリのような生活をしたらどのように感じるかということではない。それは人間である私にとってどのようなことか、という「私の視点」にすぎない。ネーゲルが...
  • 知覚因果説
    知覚因果説とは、客観的に実在している物質などの対象を原因とし、人の感覚器官がそれら対象の情報を受け取り、脳がその情報を処理した結果として知覚が生じる、とする説である。知覚を外界の「写し」と考えるので「カメラ・モデル」ともいわれる。表象主義が採用している知覚理論である。現象主義では知覚因果を否定する。 かつて知覚因果説は実体二元論と唯物論(物理主義)の立場から主張されていた。しかし現代のほとんどの心の哲学者は、性質二元論の立場でも科学的実在論を前提としているので、知覚因果説を採用していることになる。 知覚因果説では、知覚というものを認識主体と認識対象の相互作用として考える。この場合の認識主体とは自我ではなく、感覚器官と、その器官から受け取った情報を処理する脳という身体全体を指す。なおイマヌエル・カントのように物自体に加えて自我を想定する場合は、知覚というものを認識主体、認識対...
  • イマヌエル・カント
    概説 物自体と認識の形式 統覚 アンチノミー 補足 概説 イマヌエル・カント(Immanuel Kant, 1724年4月22日 - 1804年2月12日)は、プロイセン王国出身の思想家で大学教授である。『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書が有名である。認識論における「コペルニクス的転回」という方法論は、経験そのものでなく経験を成り立たせている条件を考究するものであり、「超越論的哲学」と呼ばれる。「超越論的」を「先験的」と訳すこともある。また認識の構造と形式だけを扱うので「形式主義」とも呼ばれる。ドイツ観念論の哲学者たちは超越論的哲学を引き継いでおり、カントは近代において最も影響力の大きな哲学者の一人である。 カントはイギリス経験論、特にデイヴィッド・ヒュームの懐疑主義に強い影響を受けた。そしてライプニッツ=ヴォルフ学派の形而上学を「独断論のまどろみ...
  • ゲシュタルト構造
    (参考文献:ジョン・R・サール『MiND 心の哲学』) 二〇世紀初頭、心理現象は個別の要素の結合からなるとする従来の心理学に対して、心理現象には要素の総和には還元できない全体性がある、と考える学説が提唱された。この心理現象が備える全体的な性質を「ゲシュタルト」と呼び、ゲシュタルトから心理を研究する立場は「ゲシュタルト心理学」と呼ばれる。 意識体験は無秩序な混乱として生じるのでなく、統一されたひとつの全体として生じる。例えば木のテーブルを見るとき、部分としての木の部品や、テーブルに付いた染みでなく、全体としての木のテーブルが意識体験として生じる。そして、そうした対象の断片のみを見ても統一されたひとつの全体をイメージできる。例えば車のタイヤだけを見ても車全体をイメージできる。脳は不十分な情報でも、それを一貫性のある全体へと組織する能力を備えているのだ。 さらに、脳は受...
  • 言語的批判
    概説 拡張解釈 ウィトゲンシュタインの誤用 概説 心身問題を解決しようとする試みは、物理主義であっても性質二元論であっても、大きな難問を抱え込むことになる。ウィトゲンシュタインの言語的哲学の影響を受けたギルバート・ライルなどの人々は、そうなってしまうのは概念的な混乱――カテゴリー錯誤が背後にあるからだとして、心身問題を消去しようとする。 ライルによれば、心的状態を記述する言語のカテゴリーは、物理的な脳を記述する言語のカテゴリーとは異なっている。従って心的状態と生物学的状態が適合するかどうかと問うのは間違いである。脳の心的状態を探し求めるのはカテゴリー錯誤、つまり推論の誤謬なのである。 ウィトゲンシュタインは「私的言語」や、意識の「私秘性」について語ることに反対している。彼にとって言葉の意味とは使用法であり、心の中にあるものではない。心的状態は公的な言語では表せない。...
  • 心的因果
    心の哲学における心的因果の問題とは、現象的意識やクオリアなどの心的現象が、いかにして物理的な身体に作用することが出来るのかという、心と体の因果関係の問題であり、これは心的なものと物理的身体は別のものだとする二元論を前提にしたとき生じる問題である。そしてこの問題は、物理的な存在である脳の作用がいかにして現象的意識やクオリアといった心的なものを生じさせるのかという逆の問題(意識のハードプロブレム)と表裏の関係にある。歴史上はじめてこの問題に言及したのはルネ・デカルトであり、彼は実体二元論を前提にして、心的現象と物理的現象は相互に作用しあうとする相互作用二元論を主張した。 現代の脳科学では、心的現象は脳の作用から生じると考えるが、物理領域の因果的閉包性の原理を前提に、その脳から生じた心的現象が、逆に脳に作用するということを認めることができない。従って一部の哲学者は、心的なものは脳の作用に...
  • 意識に相関した脳活動
    意識に相関した脳活動(英 NCC、Neural correlates of consciousness)とは、特定の意識的知覚を生み出したり意識的な記憶を引き起こすのに十分な、最小の神経メカニズムとして定義される。 物理主義的な立場から心脳問題の解決に向け、「心」についての哲学的な問題を保留して、実験的に扱うことの出来ることに集中しようとする立場である。脳についての神経科学的な解明の鍵となるのが、意識に相関した脳活動である。 最小限という概念がポイントである。脳活動全体は明らかに意識を引き起こすのに十分であり、その内のどの下位構成要素が意識的な体験を引き起こすのに必要かという問題だ。 全ての感覚、精神状態は意識に相関した脳活動に関連付けられる。もしも、神経外科手術の際などの大脳皮質の微小刺激などによって、意識に相関した脳活動を人工的に引き起こすことが出来れば、被験...
  • 志向性
    概説 ジョン・サールの見解 概説 志向性(Intentionality)とは、人間の意識が外部の世界の何か(志向対象)に対して注意を向ける能力、または心的状態を関連付ける能力である。ブレンターノやフッサールの現象学においては、志向性とは意識のあらゆる活動に伴うものであり、すなわち心的現象の本質的な特性であって、心的現象は志向性によって物質的現象から区別できるとされた。 たとえば「愛」とは何ものかを愛することであり、「欲求」とは何ものかを欲っすることであり、「嫌悪」とは何ものかを嫌うことである。心的現象は常に志向対象をもつという説は「ブレンターノ・テーゼ」とも呼ばれる。 また志向的状態は、思考対象とそのアスペクト形態(aspectual shape)をもっている。アスペクト(aspect)とは人が認知をする際の、対象となる事物の現れ方のことである。例えば金星は、ある時...
  • カント『純粋理性批判』の検証
    1 観念論の困難 2 『純粋理性批判』の目論見1――世界の観念性の証明 3 『純粋理性批判』の目論見2――自然科学の根拠付け 4 純粋理性と実践理性の境界 1 観念論の困難 私は超能力で自由自在に空を飛べる。何年か前には地上から三千メートルぐらいの高空を飛んだことがある。綿のような白い雲を突きぬけ遥か下方の街並みを見ながら飛び続けたのだが、飛んでいる最中ふいに超能力が消えて転落してしまうのではないかという不安もよぎった。そんな不安を駆逐するように自分は空を飛べるのだと強く信じて風を切りながらひたすら飛び続けた。転落の恐怖と戦いながら遥かな高空を飛び続けるのは痺れるほどの快感であり、これは人生で五番目ぐらいの素晴らしい経験だった。 夢での経験を上のように位置づけていけない理由はない。特に私は存在論的に反実在論の立場である。この立場では夢の経験も現実の経験も「経験」ということで...
  • 還元主義
    概説 還元の種類 概説 心の哲学における還元主義(Reductionism)とは、心的なものの存在は物理的なものの存在に還元できるという唯物論的な考え方であり、心脳同一説及びトークン同一説を前提とした機能主義や表象主義がその立場である。 還元主義な方法では現象的意識やクオリアは説明できず、心身問題は解決できないとする立場が二元論や中立一元論である。なお唯物論であっても消去主義はクオリアを消去しようとする立場なので還元主義とはいえない(ただし後述する「定義的還元」に該当する可能性がある)。また心理学的な行動主義やブラックボックス機能主義は、クオリアの存在論的身分を棚上げするので還元主義には該当しない。 スティーブン・ホーストは自然科学における還元の限界が心の哲学の議論にも適用できるのではないかと主張している。デイヴィッド・チャーマーズは『意識する心』で、意識が物理的な...
  • 現象主義
    概説 前史 方法論論理実証主義 批判と補足 概説 現象主義(英 Phenomenalism)とは、われわれの認識の対象は〈現象〉の範囲に限られるとし、現象外部の存在については不可知である、とする哲学上の方法論である。現象論ともいう。実在論と対極の思考法である。経験主義的な方法を徹底したものであり、英国経験論を代表するジョージ・バークリーに始まり、デイヴィッド・ヒュームにおいてひとつの哲学的立場として完成した。実在論が意識から超越した実在を認めるのに対し、現象主義は意識内在主義の立場を取り、世界および自我を「知覚現象の束」として説明する。近代における代表的な論者はエルンスト・マッハであり、マッハの思想はアインシュタインなどの科学者や、フッサールやウィーン学団の哲学者、論理実証主義者たちに影響を与えた。日本では大森荘蔵が現象主義の方法論を透徹し、〈立ち現われ一元論〉を主張した。 ...
  • ライプニッツ
    概説 オプティミズム(最善観) モナド(Monades)モナドとモナドとの関係 自我と魂 概説 ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz, 1646年7月1日(グレゴリオ暦)/6月21日(ユリウス暦) - 1716年11月14日)はドイツ・ライプツィヒ生まれの哲学者・数学者。「モナドロジー(単子論)」を提唱した。心の哲学においてライプニッツのモナド論は「予定調和説」として位置づけられる。 ライプニッツの思想は、哲学、形而上学の範囲にとどまらず、論理学、記号学、心理学、数学、自然科学などの極めて広い領域に広がる。また同時に、それらを個々の学問として研究するだけでなく、「普遍学」として体系づけることを構想していた。ライプニッツは通常、デカルトにはじまる大陸合理論に位置づけられるが、ジョン・ロックの経験論にも学んでいる。精神と...
  • 心身並行説
    心身並行説(英 Psycho-Physical Parallelism)、または単に並行説とは、心と体は存在論的に別の性質としてあるが、お互いがお互いに影響を与えることは出来ないという考え。心的な現象は他の心的な現象と相互作用し、脳で起きた物理的現象は他の脳での現象と相互作用するが、心と物的なものは並行して進んでおり、お互いに影響を与え合っているように見えるのは見かけ上だけであるとする。 この考え方を取った最も有名な人物はスピノザであり、彼は心と体は同一の実体の二つの側面であると考えた。マルブランシュの機会原因論も類似の考えである。 対比される考え方として、心的なものと物的なものがお互いに影響を及ぼしあっているという相互作用二元論、そして心的なものは物的なものに完全に付随して生まれているという随伴現象説がある。 スピノザの心身並行説は、現代の心の哲学においては心的現象と物...
  • 人格の同一性
    1 過去とのつながり 2 記憶説と身体説 3 還元主義と非還元主義 4 物理主義と反物理主義 5 三次元主義と四次元主義 6 独我論と実在論 7 独在性のアポリア 8 クオリアの同一性と非同一性 1 過去とのつながり 年始に親戚回りなどをしていると、稀に十年以上会っていなかった人物に再会することがある。前回見たときは五歳だった少年が、今は中学生になっている。当然、昔の面影は全く消えていて別人に見える。 五歳の時の少年は色白く内気な感じで、いつも携帯ゲーム機をいじっており、私が話しかけてもゲームをしながら「うん」「いいや」とガスが抜けるような気のない返事をするだけだった。ところが中学生になった少年は身体が五倍大きくなり、野球部に入って逞しく日焼けし、私が話しかけると真っ直ぐ私の眼を見て、溌剌としたスポーツマンの声でしっかり受け答えをする。 あの色白で内気だった五歳の少...
  • バートランド・ラッセル
    概説 心の哲学におけるラッセルの見解 自我論 概説 バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(Bertrand Arthur William Russell,OM,FRS 1872年5月18日 - 1970年2月2日)はイギリス生まれの論理学者、数学者、哲学者。 哲学者としては新ヘーゲル主義から経験主義に転向し、初期の論理実証主義に大きな影響を与える。無神論者であった。 ラッセルはウィトゲンシュタインの才能を早くに見抜き、親交を結んで互いに影響を与え合った。しかし後期のウィトゲンシュタインを始めとする日常言語学派には批判的であり、言語の分析を哲学の終点とみなさず、あくまで言語が指示する対象に拘り、独自に形而上学を探究した。 ラッセルは分析哲学の創始者の一人でもあり、その哲学は生涯に渡って変化を続けたものの、哲学的手法は終始一貫して分析的・論理的であった。...
  • 中国語の部屋
    概説 思考実験の意味 中国語の部屋に対する反論 コンピューターは「心」を持てるか? 概説 中国語の部屋(英 Chinese Room)とは、ジョン・サールが機能主義を批判し、強いAIの実現可能性を否定するため考案した思考実験である。 中国語が理解できない英国人に、沢山の中国語のカードが入った箱と、そのカードの使い方が書かれた分厚い英語のマニュアルを持って部屋に入ってもらう。部屋には小さな穴が開いていて、そこから英国人は中国語で書かれた質問を受け取る。そして英語のマニュアルに従って、決められた中国語のカードを返す。その英国人は中国語の質問と返答の「意味」がわからないにも関わらず、中国語によるコミュニケーションを成立させており、外部の人からは中国語を理解しているかのように見える。 この思考実験でサールが主張するのは、コンピューターが「計算」することと、「意味」を「理解」...
  • 独我論
    概説 各種の独我論 概説 独我論(英 solipsism)とは哲学における認識論の立場の一つ。自分にとって存在していると確信できるのは自分の精神現象だけであり、それ以外のあらゆる存在は疑いうると考える。デカルトが「方法的懐疑」で到達した「今私が考えているということ以外全て疑いうる」という極限の懐疑主義を出発点とし、ジョージ・バークリーの「存在するとは知覚されることである」という現象主義を経て発展した。哲学の歴史上、独我論は認識論における一つの方法論として機能してきた。 各種の独我論 ジョン・R・サールは独我論を以下の三タイプに分けている。 1、心的状態を持つのは自分だけであり、他者とは私の心に現れる現象に過ぎないとする立場。 2、他人も心的状態を持っているかもしれないが、それを確かめる事はできなとする立場。 3、他人も心的状態を持っているとしても、その内容は私と違...
  • 多重実現可能性
    概説 派生問題 概説 多重実現可能性(multiple realizability)とは、心の哲学において、一つの心的現象はさまざまな脳の作用から生じうるとする説。特定の心的現象は特定の脳作用と同一であるとする心脳同一説のタイプ同一説に対する批判として、ヒラリー・パトナムが主張した。 例えば「痛み」という心的状態は何らかの脳状態で実現される。「痛み」を神経科学に還元するためには、「痛み」と何らかの脳状態との同一性を示すような「橋渡し法」(bridge law)を構築する必要がある。即ち、「痛みが生じるのは○○であるときに限る」という文を神経科学の語で完成させなければならない。例えば、「痛みが生じるのは神経線維Aが発火するそのときに限る」というようなものである。 これに対して多重実現可能性は障害になる。「痛み」を持つのは人間だけでなく各哺乳類、鳥類、爬虫類も「痛み」を...
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