物理主義

心の哲学まとめWiki内検索 / 「物理主義」で検索した結果

検索 :
  • 物理主義
    概説 歴史 物理主義の問題 概説 物理主義(英 Physicalism)とは、この世界の全ての物事は物理的であり、また世界の全ての現象は物理的な性質に還元できるとする哲学上の立場である。心の哲学においては心的なものの実在性を否定して、物理的なものだけが実在するとし、心的因果を否定する。一元論の一種。物質一元論とも呼ばれる。 「唯物論(Materialism)」は同じ立場の思想であり、物理主義という語と互換的に用いられている。唯物論という用語は17世紀のライプニッツによるものであるが、物理主義とは20世紀のオットー・ノイラートの定義によるもので、論理実証主義から派生した概念であり、歴史的脈絡が異なるというだけである。 「物理的」という言葉の定義は、時空間的であり運動できるもの、とされている。 柴田正良によれば、人間の精神を素粒子群の運動や配置に還元するのが素朴...
  • マリーの部屋
    ...ジャクソンが提示した物理主義、特に機能主義を批判する内容の思考実験である。 マリーは聡明な科学者であるが、なんらかの事情により、白黒の部屋に閉じこもり、白黒のテレビ画面を通してのみ世界を調査している。彼女の専門は視覚に関する神経生理学であり、我々が熟したトマトや晴れた空を見るときに感じる「色彩」についての全ての物理学的、神経生理学的情報を知っている。また「赤い」や「青い」という言葉が我々の日常生活でどのように用いられ、機能しているかも知っている。さて、彼女が白黒の部屋から解放されたり、テレビがカラーになったとき、何が起こるだろう。彼女は何か新しいことを知るだろうか? マリーは「色彩」を経験し、「赤」や「青」などのクオリアの存在を知るはずである。ならばクオリアというものを除外した上で成り立っている物理主義は間違っている、というのがジャクソンの主張である。 ジャク...
  • 非法則一元論
    非法則一元論とは、心の哲学における物理主義的な立場のひとつ。ドナルド・デイヴィッドソンにより主張された。「非法則的」とは「法則論的」の逆の意味であり、心的出来事に法則が当てはまらないとすることで「非法則的」であるが、心的出来事が物理現象(脳の状態)と同一であるとすることで「一元論」である。 非法則一元論は、物理主義でありながら、心的なものを物質的なものに還元できないと考える。このようなタイプの物理主義を「非還元的物理主義」という。心的性質を物理的性質と同等のものとみなすため、非還元的物理主義物理主義的一元論を自称していても性質二元論の一種とみなされることもある。 デイヴィッドソンは、心身の関係には以下の三つの原理があるとする。 (1)因果的相互作用の原理――心身の(限定的な)相互作用 (2)因果性の法則論的性格――出来事の原因と結果の厳密な法則性 (3)心的な...
  • 付随性
    ...存在が成り立つという物理主義的前提を含意している。この仮説からは心的因果の問題が派生することになり、さまざまな議論がなされている。 近年の神経科学の急速な発達により、心的とされる性質のほとんどがニューロンの活動など脳の物理状態に付随するものだ考えられるようになった。つまり脳状態の変化に対応することなく心的状態が自律的に変化することは無いということである。 歴史的に supervene(スーパーヴィーン)という語を哲学的な意味で初めて用いたのは、20世紀初頭の心理学者、ロイド・モーガンであり、彼は創発主義の立場からこの語を使用した。心の哲学においてはドナルド・デイヴィッドソンが、心的因果を認めながら物理主義を擁護する非法則一元論を提唱する際にこの語を用いた(非還元的物理主義)。 ジェグォン・キムは、デイヴィッドソンが主張した非法則一元論には、心的なものの原因性が...
  • 自然主義的二元論
    ...う言葉は唯物論または物理主義の否定を表す。つまり意識の問題を還元主義によって解決することは出来ない、という立場である。そして自然主義という言葉でデカルト的な実体二元論の否定を表す。つまり霊や魂といった超自然(Supernatural)的な概念を用いず、意識の問題に自然主義的、科学的な説明を与えるべきだ、という立場を表す。デカルト的な二元論との違いを強調するため「特性二元論」という場合もある。これは、宇宙には物理特性と意識特性の二つがあるという意味である。 自然主義的二元論と、物理主義との立場との対立は、現象的意識やクオリアに対して存在論的ギャップ――つまり心的現象は存在論的に物理現象とは異質なものだということを認めるか否か、という点に関する立場の違いとして理解できる。つまり二元論的立場は物理状態と現象的意識の間に存在論的ギャップを認めるが、物理主義的立場はそうしたギャップは認...
  • 中立一元論
    ...だけが存在するとする物理主義や、心的なものだけが存在するという唯心論と対立しつつ、その両者の中間的位置を取る。バートランド・ラッセル、ウィリアム・ジェイムズ、ピーター・ストローソンがこの立場である。デイヴィッド・チャーマーズの自然主義的二元論は中立一元論の一種である。スピノザは汎神論的な一元論者であるが、心身問題に関しては中立一元論といえる。 中立一元論は、心的なものについての説明が困難な物理主義の欠点と、物理的なものの実在性と対立している観念論の欠点を、それぞれ回避しているという点で支持する者が多い理論である。 しかし現代の物理主義者は物理領域の因果的閉包性を前提に、中立一元論者がいう「性質としての心」も、因果的に排除可能だと論じており、心的因果を擁護できるか、また因果的提灯や現象判断のパラドクスを回避できるかが課題となる。 中立一元論のバリエーションの一つ...
  • 心脳同一説
    ...主義の失敗を反省し、物理主義の一種として二元論一般と対立する文脈で語られる。 心脳同一説は性質二元論や中立一元論の考えに似ているよう思えるが、大きな違いがある。性質二元論や中立一元論では、心的状態と脳状態は同一の実体の二つの側面であり、たとえるならコインの表裏の関係である。しかし心脳同一説では、「雲とは水粒である」「稲妻は電荷の運動である」というたとえが用いられる。雲と水粒の集合は概念としては異なっているが、指し示す対象は同一である。つまり心的状態と脳状態は概念が違うだけで、雲と水粒の集合のように完全に同一の存在だと考える。 心の哲学では心的因果の問題が重要なトピックとして議論されるが、同一説では心的状態が脳の状態と「同一のもの」として存在しているがゆえに、心は因果的効力を持ちうると考える。 同一説はタイプ同一説とトークン同一説に分けられる。タイプ同一説は「タ...
  • 説明のギャップ
    ...りにすることにより、物理主義はクオリアの問題を取りこぼしていると主張した。逆にギルバート・ライルは、物理的な記述と意識の主観性についての記述のつながりを探すのはカテゴリー錯誤であると批判した。大森荘蔵は独自の一元論的な立場から、物理的記述と心的記述は重ねて描かれるべきだとする「重ね描き」という科学哲学上の概念を提唱した。 なお、説明のギャップはあるが、それは現段階での我々の知識の不足によるものであり、科学の進歩によりやがて埋まるという、物理主義的な立場もある。また説明のギャップは存在論的なギャップを意味しているという二元論的な立場もある。 表象説 1990年代以降、クオリアを物的なものに還元、つまり説明のギャップを埋める試みが盛んになる。ギルバート・ハーマンらは、「緑の木」という知覚経験は緑の木を表象するが、緑のクオリアはその表象される緑に他ならないと主張して、クオリ...
  • 現象主義
    ...界観を基に〈現象学的物理主義〉と呼ぶ自然科学の方法論を提唱した。 このような近代の経験主義の背景には、ガリレオやデカルトによってなされた科学革命に対する反動がある。アリストテレスの自然学においては、感覚や形相といったものもその範疇に含めていたが、近代の科学革命においては、感覚に与えられた対象の中で数学的に記述しうるもののみが着目され、運動における位置変化のみが記述される。ガリレオやデカルトにおいては、科学の対象とはわれわれの知覚する現象全体でなく、それらから切断された一面に過ぎなかったのである。 また現象主義は、唯物論の知覚理論に対する批判として広く受け入れられたという面もある。唯物論の知覚理論は知覚因果説であり、これは「カメラ・モデル」や「写し」と批判される。つまり人間の眼をカメラのレンズにたとえて、その眼が客観的事物の情報を受け取り、脳がその情報を処理する過程で知...
  • 哲学的ゾンビ
    ...法的思考実験の歴史 物理主義からの批判 補足 概説 哲学的ゾンビ(英:Philosophical Zombie) とは、デイヴィッド・チャーマーズによって提起された心の哲学における思考実験である。外面的には普通の人間と全く同じように振る舞うが、内面的な経験(現象的意識、クオリア)を全く持っていない人間と定義される。ホラー映画に出てくるゾンビと区別するために、哲学的ゾンビ(または現象ゾンビ)と呼ばれる。おもに性質二元論(または中立一元論)の立場から物理主義とその範疇にある行動主義や機能主義の立場を批判する際に用いられる。 哲学的ゾンビは、フランク・ジャクソンによるマリーの部屋の思考実験の発展型である。チャーマーズ自身も、マリーの部屋の「知識論証」は「ゾンビ論証」とペアになったときに最も力を発揮すると主張している。一般にマリーの部屋と哲学的ゾンビはセットにされて批評される...
  • クオリア
    ...ての論争 還元主義的物理主義と二元論 外在主義と内在主義 クオリアに関する思考実験 クオリアの全一性 概説 クオリア(英:複数形 Qualia、単数形 Quale クワーレ、またはクアリ)とは、客観的には観察できない意識の主観的な性質のこと。日本語では感覚質と訳されることもある。もとはラテン語で「質感」を表す単語であるが、1990年代の半ばから意識の不思議さを象徴する言葉として科学者や哲学者の間で広く使われるようになった。「現象」「表象」「感覚与件」は類似の概念である。 クオリアという用語は厳密に定義されておらず、論者によって用いられ方が異なる。ブレンターノやフッサールは志向性が意識の本質だとし、心的状態は全て志向的だと考えた。この"ブレンターノ・テーゼ"に従ってクオリアも志向的であるとする論者がいる。しかしクオリアは非志向的であるとし、意識の「高...
  • 心の哲学全般
    ...って、還元可能とする物理主義的立場と、還元不可能とする立場(実体二元論、性質二元論、中立一元論)に大別されることもある。 心の哲学の主要な説を分類すると以下のようになる。 ■二元論 ├実体二元論 | ├相互作用二元論 | ├予定調和説 | └機会原因論 ├性質二元論 | ├心身並行説 | ├自然主義的二元論 | └トロープ説 ├随伴現象説 └新神秘主義  └認知的閉鎖 ■一元論 ├物理主義 | ├行動主義 | ├心脳同一説 | ├機能主義 | ├表象主義 | ├非法則一元論 | └消去主義的唯物論 ├観念論 |└唯心論 ├現象主義 | └重ね描き ├中立一元論 └汎神論・汎心論 一元論対二元論の概念図(英Wikipediaより引用) 図の Cartesian Duality はデカルトの実体二元論を...
  • コウモリの視点
    ...年)で、機能主義的な物理主義に対する反論として、意識・クオリアの主観性をコウモリを例にして主張した。 コウモリはどのように世界を感じているのか。コウモリは口から超音波を発し、その反響音を元に周囲の状態を把握している(反響定位)。コウモリはこの反響音をいったい「見える」ようにして感じるのか、それとも「聞こえる」ようにして感じるのか、または全く違った風に感じるのか……。コウモリの感じ方を問うことは出来るが、しかし人間はその答えを知る術を持ってはいない。 この問いで注意すべきなのは、人間がコウモリのような生活をしたらどのように感じるかということではない。それは人間である私にとってどのようなことか、という「私の視点」にすぎない。ネーゲルが問うているのは「コウモリにとって、コウモリであるとはどのようなことか」という「コウモリの視点」なのである。 この問題から導き出される...
  • 自己
    ...。心の哲学においては物理主義や性質二元論がこの立場である。歴史的にはインド哲学の梵我一如がこの立場に近い。近代哲学において最も明確な形で自己の実在を否定したのはデイヴィッド・ヒュームであり、彼は自己とは知覚の束であると考えた。この種の立場を進めると究極的には、昨日の「私」と今日の「私」は、タイプ的には同一であっても、異なったトークンであると考えることもできる。 一般的に物理主義や性質二元論の立場を取る哲学者は、さまざまに変化している精神現象・クオリアを担う主体としての魂のような「何か」を想定していない。しかしジョン・サールは「生物学的自然主義」を標榜するものの、「私が私である」と感じさせる形式的な原理を想定する必要がある、という主張を行っている。 参考文献 デレク・パーフィット『理由と人格 非人格性の倫理へ』森村進 訳 勁草書房 1998年 ジョン・R・サール『M...
  • 一元論
    ...けが実在であるとする物理主義的な一元論、そして心的なものと物理的なものはある種の実体の属性であるとする中立一元論の、三つの立場がある。いずれも心と体が存在論的に異なるものだという主張を認めない考え方であり、物理的なものと心的なものという二種類の実体があると説く実体二元論や、たくさんの実体があると説く多元論(pluralism)と区別されるが、これらの入り混じった思想も存在している。 一元論の種類 一元論には様々なタイプがあるが、それぞれの理論において究極とされている存在は、"Monad"(モナド)という言葉で表される。モナドという言葉は「単一の、単独の」といった意味を持つギリシャ語「モノス」に由来し、古代ギリシアのエピクロスやピタゴラスによって最初に用いられた。 一元論は以下のように二つの基本的なタイプに区分される。 1、「一種類」のものだ...
  • 表象主義
    ... 表象理論は物理主義的な立場から説明のギャップを埋めるほとんど唯一の試みである。 1990年代以降、クオリアを物理的なものに還元する試み、つまり説明のギャップを埋める試みが盛んになる。ギルバート・ハーマンらは、経験の現象的側面(クオリア)は、その経験の表象内容に付随すると考えた。例えば「緑の木」という知覚経験は緑の木を表象するが、緑のクオリアはその表象される緑に他ならない。つまり表象理論ではクオリアを志向的な表象として解釈する。 表象理論では一般的に「表象」という概念を、経験的な表象と通常の表象に区別する。経験的な表象は我々認知主体に現象的質(クオリア)として現前する。それに対し通常の表象は認知主体に対して直接現前することはない。現前していなくても志向的な表象内容は推論や予測などの認知的操作や、信念や欲求などの心理状態を可能し、表象はその対象とは独立に存在する...
  • 性質二元論
    ...いと考える。この点で物理主義全般、また二元論の一種である実体二元論と立場を分かつ。 現代の心の哲学の分野で議論される二元論は、実体二元論でなく基本的にこの性質二元論と呼ばれるタイプの二元論である。代表的な例にデイヴィッド・チャーマーズの唱える自然主義的二元論、ジョン・サールが唱える生物学的自然主義がある。また随伴現象説や非法則一元論も性質二元論に分類されることがある。 類似の概念 類似の言葉として二相理論(double aspect theory)また中立一元論(neutral monism)という言葉がある。ニ相理論という言葉は一般に「ひとつの基本的なものが心的そして物理的という二つの異なる側面を持つ」といった考え方のことを指すのに使われ、中立一元論という言葉は「心的でも物理的でもない、その両方の特性を併せ持った中立的な実体で世界は構成されている」といった考えのこと...
  • 人格の同一性
    ...義と非還元主義 4 物理主義と反物理主義 5 三次元主義と四次元主義 6 独我論と実在論 7 独在性のアポリア 8 クオリアの同一性と非同一性 1 過去とのつながり 年始に親戚回りなどをしていると、稀に十年以上会っていなかった人物に再会することがある。前回見たときは五歳だった少年が、今は中学生になっている。当然、昔の面影は全く消えていて別人に見える。 五歳の時の少年は色白く内気な感じで、いつも携帯ゲーム機をいじっており、私が話しかけてもゲームをしながら「うん」「いいや」とガスが抜けるような気のない返事をするだけだった。ところが中学生になった少年は身体が五倍大きくなり、野球部に入って逞しく日焼けし、私が話しかけると真っ直ぐ私の眼を見て、溌剌としたスポーツマンの声でしっかり受け答えをする。 あの色白で内気だった五歳の少年と、今の中学生になった少年はもはや別の人間な...
  • 書評1
    ...主義と言うべきもので物理主義と直結しており、「物理主義的自然主義」と言ってもよいだろう。ダニエル・デネット、ポール・チャーチランド、信原幸弘、鈴木貴之などの立場である。 現代の分析哲学で単に「自然主義」と言う場合、定義3の立場を指すことが多いように思われる。この立場はクオリアの存在論的還元または消去を前提にする。つまり世界に存在するものは物理的なものだけであり、心脳問題は自然科学の方法だけで解決できるとする強い形而上学的含意がある。逆に定義1と定義2ではクオリアの存在論的還元を必ずしも前提していない。 鈴木は「物理主義」と「自然化」を次のように説明する。私の分類した定義3である。 この世界に存在するものは、すべて、ミクロ物理的な存在者か、ミクロ物理的な存在者によって構成された存在者か、ミクロ物理的な存在者によって実現された存在者のいずれかである。 ある現象に構...
  • デイヴィッド・チャーマーズ
    ...ビの思考実験により、物理主義を否定する論証を行っている。 物理主義に対するチャーマーズの批判は以下のようなものである。 (1)世界には意識的経験が存在する (2)意識的経験は物理的なものに論理的に付随しない (3)したがって意識に関する事実は、物理的な事実を超えたさらなる事実である (4)それゆえに、唯物論は偽である このチャーマーズの批判は、単に既存の物理学でクオリアの問題が扱われていないという主張だけでなく、既存の物理学が間違いであるというラディカルな主張が含意されている。 精神物理法則はどのようなものか、という問題について、チャーマーズは情報を中心に置いた中立一元論のような立場から法則を模索すべきでないかとしている。つまりビット列のようなもので構成された抽象的な情報空間がまずあり、そこから物理的状態と心的な状態がそれぞれ実現されているのでは...
  • 新神秘主義
    ...を物理特性に還元する物理主義を批判し、また心的なものの排他性を強調する二元論は脳から心を切り離すようなものだと批判する。マッギン自身の説は、脳には知ることのできない自然特性があり、それに立脚して意識が存在するのだが、その特性が不可知であることからあらゆる難問が生じている、というものである(つまり心的因果を否定し、クオリアについては創発説をとる)。 マッギンに代表される一連の立場が新神秘主義(New Mysterianism)と呼ばれるようになったのは、1991年 Owen Flanagan の著作に始まる。ここで使われている「新」という言葉は、それまでの歴史上、主に宗教的理由から意識の問題は解決できないだろうと考えてきた人達(いわば旧神秘主義者、または宗教的神秘主義者)と、現代の論客を区別する意味合いで付けられている。マッギン自身は1993年の著作で、自分の立場を超越論的自然...
  • 意識に相関した脳活動
    ...義される。 物理主義的な立場から心脳問題の解決に向け、「心」についての哲学的な問題を保留して、実験的に扱うことの出来ることに集中しようとする立場である。脳についての神経科学的な解明の鍵となるのが、意識に相関した脳活動である。 最小限という概念がポイントである。脳活動全体は明らかに意識を引き起こすのに十分であり、その内のどの下位構成要素が意識的な体験を引き起こすのに必要かという問題だ。 全ての感覚、精神状態は意識に相関した脳活動に関連付けられる。もしも、神経外科手術の際などの大脳皮質の微小刺激などによって、意識に相関した脳活動を人工的に引き起こすことが出来れば、被験者はその脳活動に関連付けられる知覚を体験するだろう。 具体的な研究内容はWikipediaの意識に相関した脳活動を参照されたし。
  • 心身問題
    ...って解明されるという物理主義の立場が支配的となり、心身問題についての哲学的議論は停滞することになる。しかし20世紀後半から英語圏諸国の分析哲学において、「可能世界論」や「思考可能性論法」など、さまざまな概念や思考実験が登場したことによって、心の哲学の議論は劇的に変貌し、進展することになる。現代における心の哲学は、その英語圏の哲学を中心に議論されている。 現代の心身問題は、認知科学・神経科学・理論物理学・コンピューターサイエンスといった科学的な知識を前提とした形で語られることが多い。英語圏の大半の学者は「自然主義」を前提として心身問題を論じている。 ちなみに、E・タイラーやB・アンカーマンなどによる文化人類学的な研究調査では、ほとんどの人種・民族が霊魂的なものと肉体的なものを区別する二元論的な人間観を持っているという。
  • ドナルド・デイヴィッドソン
    ...、心的出来事をすべて物理主義的に説明しようとする方法は上手く行かないはずである。ある心的出来事は、他の心的出来事や言語現象と関連してはじめて意味をなすはずなのに、物理主義は物理的出来事のみを参照して説明しようとするからである。デイヴィッドソンは次のように言う。 物理上のある変化が法則によって説明されるときは、その変化は法則によって他の変化や状態と結び合わされており、これが物理的実在の特徴となっている。一方、心的なものの特徴とは、ある個人にある心的現象を認めるにあたっては、その個人の理由・信念・意図といった背景をも同時に考慮しなければならないことにある。 しかしデイヴィッドソンは、心的なものと物理的なものの間に法則性があることを否定しても唯物論(心脳同一説)にとっては脅威にならないとし、また非法則的一元論はある種の同一説を証明するものと考える。それは心的出来事が因果的に...
  • メニュー
    ... ■一元論 ├物理主義 | ├行動主義 | ├心脳同一説 | ├機能主義 | ├表象主義 | ├非法則一元論 | └消去主義的唯物論 ├観念論 |└唯心論 ├現象主義 | └重ね描き ├中立一元論 └汎神論・汎心論 ■思考実験 ├中国語の部屋 ├中国人民 ├逆転クオリア ├水槽の脳 ├スワンプマン ├テセウスの船 ├哲学的ゾンビ ├コウモリの視点 ├カルテジアン劇場 └マリーの部屋 ■心の哲学の問題 ├現象的意識 |├現象 |├表象 |├クオリア |└還元・創発・汎経験説 ├自己 |├意識の統一性 |└無主体論 ├還元主義 ├意識のハードプロブレム |├意識の二面性 |└意識の超難問 ├心的因果 |├付随性 |├因果的閉包性 |└現象判断のパラドックス ├説明のギャップ ├意識の境界...
  • 現象的意識
    ...つでしかないと考える物理主義的立場と、そうした還元は出来ないと考える二元論的立場の間で、その存在論的位置づけを巡って激しい論争が繰り広げられている。(論争の詳細はクオリアを参照のこと)
  • 書評2
    ...して説明可能だという物理主義が優勢になってきた。実際に脳の特定の部位が損傷すれば特定のクオリアが現れなくなる。しかし逆に特定のクオリアによって脳を損傷させることは不可能に思える。この脳とクオリアの非対称的な依存関係を「付随性」と呼ぶ。この付随性を前提に立てられた物理主義の仮説が「心脳同一説」である。脳とクオリアを別のものだとみなす「心身二元論」では付随性のために「心的因果」が説明できず、何のためにクオリアが存在しているかわからない。しかし心脳同一説では、脳とクオリアは同一状態として存在しているとみなすので、心的因果を認めることができる。――これらの問題によって現代では物理主義が心脳問題においては圧倒的に優勢であり、二元論者は絶滅危惧種であると言ってよい。 このような物理主義全盛の状況下において、チャーマーズは物理的性質が同一でありながら、クオリアが欠如した人物が思考可能である...
  • 意識の境界問題
    ...ってくる。 物理主義の立場では、現象的意識とアウェアネスを存在論的に区別しないので、私たちがアクセス可能な情報だけが「意識」と呼ばれているものだと考え、意識の統一性問題は存在しないとされる。 性質二元論または中立一元論と呼ばれるような立場では、現象的意識とアウェアネスを存在論的に区別するので、境界問題に対して物理主義とは異なる説明を与える必要が出てくる。(性質二元論からの解答の候補はwikipediaを参照のこと) 参考文献 ジョン・R・サール『ディスカバー・マインド!』宮原勇 訳 筑摩書房 2008年 参考サイト 意識の境界問題 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AE%E5%A2%83%E7%95%8C%E5%95%8F%E9%A1%8C きめの問題 http //ja....
  • スワンプマン
    ...ている。 ※物理主義の立場では、思考実験として同時に複数の「自分」を作れば、彼らは皆自分とみなすのでスワンプマンは死んだ男と同一人物である。逆に観念論の立場では、私とは私の「心」であるとするのでスワンプマンは別人である。ただしスワンプマンの思考実験を行ったドナルド・デイヴィッドソンは唯物論者であるものの、外的な事物と志向的な関係をもつためには、その事物との因果的な繋がりが過去になければならないとする「歴史主義」の立場を取り、スワンプマンを自分と同一とは認めていない。 ※同一性の問題を考える同様の思考実験にテセウスの船がある。 参考文献 柴田正良『ロボットの心・7つの哲学物語』 2001 講談社現代新書 参考サイト http //wwwsoc.nii.ac.jp/pssj/program/program_data/36ws/mizumoto1.pdf ...
  • 行動主義
    ...。心の哲学においては物理主義の一種である。元は心理学のアプローチの一つで、観察不可能な心の私秘的性質に依拠せず、観察可能な行動を研究することで人間の心理を科学の対象とする試みだった。従って行動主義においては、人に意識現象があるとみなせるのは、自分に知覚や意識があると報告可能な場合に限られる。 行動主義においては、意識において志向対象とならなかった表象やクオリアは、報告不可能なため研究の対象とならない。このため心の哲学における行動主義は1960年代には衰退し、心脳同一説にとって代わられていった。だが、行動主義の方法論のいくつかは機能主義に受け継がれている。 歴史 20世紀、精神分析学のムーブメントと同時期に、行動主義学派は心理学に浸透した。 行動主義に影響を与えた主な人物には、 条件反射を研究したイワン・パブロフ 試行錯誤学習を研究したエドワード・ソーンダイク ...
  • 中国語の部屋
    ...の思考実験を見ると、物理主義の一種である機能主義に対する批判となっている。中国語の部屋では、意味の理解を一切行うことなしに、純粋に機能的なシステムの使用を通じて知的活動を模倣することができるということが証明されている。すなわち「意識体験は機能に付随しないから機能主義は間違っている」ということである。 またサールは言語哲学の観点から以下のように論じている。 1、コンピューター・プログラムは統語論的である。 2、統語論がそのまま意味論なのではない。 3、心には意味論がある。 4、ゆえに、プログラムの実行がそのまま心なのではない。 人間の心は記号以上のなにかを備えており、心が記号に意味を与えている、となる。 哲学の観点からは、チューリングテストに合格するような高度な人工知能でも意識(心)を持つことはありえない。これは強いAIの実現可能性の否定である。 ...
  • 因果的閉包性
    ...的に説明できるという物理主義的な立場である。 物理的なものが本当に因果的に閉じているのかという点については、少なからぬ学者・科学者から大いに疑問視されている。例えばカール・ポパーは「宇宙というのは一部には因果的であり、一部には確率的であり、そして一部には開かれている」と述べて否定した。またフォン・ノイマンは二元論者であり、量子力学において波動関数の収縮は人間の意識によって行われていると考えた。ロジャー・ペンローズも類似の立場であり、独自の量子脳理論を主張している。 心の哲学での歴史において、デカルトに代表される実体二元論では、物的なものと心的なものという異なる実体がこの世に存在すると考えた。そしてこの両者は何らかの形で相互作用するとした。しかし科学が発展するに従って、それまで神秘的とされていた物事も科学的に説明されるようになり、特に20世紀後半から急速に発展した神経科...
  • 心的因果
    ...は困難である。従って物理主義の立場からは意識現象を物理現象に還元する心脳同一説が主張される。 ジョン・サールは心的因果について、つじつまの合わない以下の四つの命題があると主張する。 (1)心身という区別――心的なものと物理的なものは、別々の領域をかたちづくっている。 (2)物理的なものの因果的閉鎖性――物理的なものの領域は因果的に閉じている。つまり物理的でない心的なものは物理的な作用の原因となりえない。 (3)因果的な排除の原理――物理的な原因がある出来事にとって十分なものである場合、その出来事については他の種類の原因はありえない。 (4)心的なものの因果的な効力――心的状態は実際にあり、それは機能している。 以上の四つは互いにつじつまが合わず、ひとつの解決手段は(4)を断念することだが、それは随伴現象説である。そしてこのような哲学的問題は誤った仮定に基づ...
  • 意識の超難問
    ...脳同一説を前提とした物理主義の立場では、「私」と同一の存在だとみなせるはずである。あるいは「私」そのものである、とみなしても構わないかもしれない。なおこの場合、人物Xの出現場所がどこであっても構わないよう思える。「私」である人物Aは場所を移動しながらも推移的に「私」であり続けることが可能だろうし、また人物Aの存在する場所が日本であってもアメリカであっても、「私こそが本物の私である」という特定の現象的意識があるなら場所による相違はないはずである。 (2)しかし同時刻に「私」である人物Aと、物理的性質も心的性質も同じである人物Bがいたとする。その人物Bも「私」と同じように「私こそが本物の私である」という現象的意識がある。にもかかわらずその人物Bは「私と同一」とはいえない。「私」にとっては端的に人物Bは「他者」だからである。この場合、難解な問題が派生してくるように思われる。つまり人...
  • 随伴現象説
    ...現象説は還元主義的な物理主義と対立し、物質と意識は別の存在であるとする二元論の一種である。哲学の歴史では、ルネ・デカルトの実体二元論を解消しようとした18世紀の唯物論者、ラ・メトリーに随伴現象説の原型がある。そして19世紀後半から生物学と神経科学の発展により、唯物論と知覚因果説が支配的になるのを受け、T.H.ハクスリーが今日的な意味での随伴現象説を主張した。 19世紀以前は神秘的とされていた「心」の問題も、神経科学の発展で科学的に説明できるとする考えが広まり、世界の出来事全ては科学によって説明され、科学の説明以外の原因によってはどんな出来事も生じないとする「物理領域の因果的閉包性」が常識となっていく。しかし物質的な性質と心的な性質はあまりに異なる。物理的な性質とは全て数量化可能なものであり、心的な性質は数量化不可能なものである。従って現象的意識やクオリアは物理的な存在ではない...
  • 知覚因果説
    ...実体二元論と唯物論(物理主義)の立場から主張されていた。しかし現代のほとんどの心の哲学者は、性質二元論の立場でも科学的実在論を前提としているので、知覚因果説を採用していることになる。 知覚因果説では、知覚というものを認識主体と認識対象の相互作用として考える。この場合の認識主体とは自我ではなく、感覚器官と、その器官から受け取った情報を処理する脳という身体全体を指す。なおイマヌエル・カントのように物自体に加えて自我を想定する場合は、知覚というものを認識主体、認識対象、認識作用の三つの相互作用によって理解することになる。 知覚因果説は19世紀後半からの生物学や神経科学の発展を受けて主張された。感覚器官や脳に損傷があれば知覚に障害が生じることが解明され、神経および脳と知覚との因果関係は明白だと受け止められた。従って人の感覚器官が外界の対象からの情報を受け取り、その情報が神経細...
  • 現象判断のパラドックス
    ...クスが生じる。しかし物理主義では機能的意識と現象的意識という分離を認めず、心脳同一説を前提にしているためパラドックスは生じない。また現象主義や観念論といった立場では実在論を否定するので、やはりパラドックスは生じない。 哲学的ゾンビおよび逆転クオリアの問題と、現象判断に関する問題は、一般に対になって語られる。クオリアについての判断や発言は、私たちの物理的同型体である哲学的ゾンビにおいてもまったく同様に行われる。 普通の人間「この赤さこそ問題だ」 哲学的ゾンビ「そうだ。この赤さこそ問題だ」 現象判断が意識とは無関係な理由で生じるとしたら、クオリアについて私たちが行う判断や発言には、一体どういう意味があるのか? チャーマーズは、例えば「赤」という心的体験をした時の現象判断を、以下のように三つに分けて考えている。 一次判断 = それは赤い。 二次判断 = 私は今...
  • 還元・創発・汎経験説
    ...性を否定しながらも、物理主義的な一元論を擁護しようとする立場から主張される。すなわち創発とは、還元主義と実体二元論の双方を否定する概念である。 創発は、創発物の出現が事物の部分についての知識からは予測できないとされる。局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いに還元できないようなシステムが構成されると考える。全体は部分の総和を越えるという考えはアリストテレスにまで遡る。この世界の大半のもの、生物等は多層の階層構造を含んでいるものであり、その階層構造体においては、仮に決定論的かつ機械論的な世界観を前提にしたとしても、下層の要素とその振る舞いの記述をしただけでは、上層の挙動は予測困難だということであり、下層には元々なかった性質が、上層に現れることがあるという考えである。 発現、または付随性は創発に近い概念であり、心的なものは物理的なものを基礎にし...
  • 二元論
    ...物質の関係について、物理主義的な一元論と対極の考え方である。二元論の出発点には、心的現象とは非物理的なものだという見解がある。心身二元論をもっとも早く定式化したヒンズー哲学のサーンキヤ学派やヨーガ学派(紀元前650年前後)では、世界をプルシャ(精神)とプラクルティ(物質的実体)の二つに分けている。具体的には、パタンジャリが編纂した『ヨーガ・スートラ』が心の本性について分析的に論及している。 二元論と宗教 二元論のいくつかは熱心なキリスト教徒によって主張されてきた。まずデカルトがそうである。またジョン・エクルズやリチャード・スウィバーンもそうである。二元論が唯物論に対抗して神や魂の「居場所」を確保するために主張されてきたという側面は事実としてあるだろう。しかし二元論とキリスト教は、理論として互いに独立していることは理解すべきである。二元論は魂が存在しないとしても成立しうるし、ま...
  • 現象的意識の非論理性
    ... 脳科学者や物理主義的な哲学者なら、美女のイメージ、つまりクオリアは脳細胞の活動が「生み出した」ものであり、脳細胞の活動によって「消えた」のだというだろう。だがこの場合の「生み出した」という言葉は「魔法を使った」という言葉を超える合理性をもっていない。脳科学全盛の現代においてデイヴィッド・チャーマーズが「意識のハード・プロブレム」を主張せざるを得なかった理由のひとつがここにある。 チャーマーズが提起した「意識のハード・プロブレム」は有名であるが、仔細に検討すると問題性が以下の二つに分けられる。 ハード・プロブレム1: 物的な脳と心的なクオリアはどのような関係にあるのか(心脳問題) ハード・プロブレム2: クオリアはどのような要素で構成されるのか(クオリアの構成原理) チャーマーズの問題提起以降、喧々諤々の議論が続いているが、未だ合理的な解答は登場して...
  • ジョン・サール
    ...アについての主張には物理主義的傾向がある。このように意識を脳の特性とするサールの主張に対し、デイヴィッド・チャーマーズは創発のメカニズムを全く説明していないと批判している。 サールは実体二元論や性質二元論と異なる第三の二元論として、「概念二元論」を提唱する。この考え方は「物理的」という言葉が重要な意味においては「心的なものではない」ことを意味し、「心的なもの」という言葉が「物理的なものではない」ことを意味する見解である。伝統的な二元論も唯物論もそうやって定義された概念二元論を前提としている。唯物論者たちも心的なものの実在性を否定しようと躍起になっている時点で、既にデカルト的な二元論を前提としており、それゆえに唯物論は結局の所は一種の二元論であるという。 サールは、第三者から見て観察可能なデータのみを扱う行動主義や機能主義のようなアプローチを、意識の還元不可能性を無視す...
  • ダニエル・デネット
    ...に師事。心の哲学では物理主義の代表的な人物である。 他者の内省報告を観察データとして認める「ヘテロ現象学」(Heterophenomenology)を掲げ、行動主義に陥ることなく、観察可能なデータから主観的意識の問題を扱えると主張する。 デネットは意識と脳の神経的なプロセスを異なる次元のものとして考えてきた心身二元論というデカルト以来の哲学的伝統を批判する。意識をつかさどる中央処理装置カルテジアン劇場(Cartesian Theater)の存在を否定し、それに代わるものとして意識の「多元的草稿理論」(Multiple Drafts Theory)モデルを提唱している。意識とは「カルテジアン劇場」のような中枢となる何かに依存しない、空間的・時間的に並列して進行する複数のプロセスから織り出され構成されるものだという。これが意識のパンデモニアム・モデル(pandemoniu...
  • 言語的批判
    ...しようとする試みは、物理主義であっても性質二元論であっても、大きな難問を抱え込むことになる。ウィトゲンシュタインの言語的哲学の影響を受けたギルバート・ライルなどの人々は、そうなってしまうのは概念的な混乱――カテゴリー錯誤が背後にあるからだとして、心身問題を消去しようとする。 ライルによれば、心的状態を記述する言語のカテゴリーは、物理的な脳を記述する言語のカテゴリーとは異なっている。従って心的状態と生物学的状態が適合するかどうかと問うのは間違いである。脳の心的状態を探し求めるのはカテゴリー錯誤、つまり推論の誤謬なのである。 ウィトゲンシュタインは「私的言語」や、意識の「私秘性」について語ることに反対している。彼にとって言葉の意味とは使用法であり、心の中にあるものではない。心的状態は公的な言語では表せない。表そうとしても、表れたものは公共的なものであって、私秘的なものでは...
  • 形而上学
    ...学と一致させるので、物理主義や唯物論と呼ばれる。唯物論は二元論を否定し、心脳問題は脳科学によって解決されるとみなす。独在性の問題は問題自体を否定することになる。
  • 夢と現実と真実と
    ...になる。いやもちろん物理主義的な立場から物質的実体を措定し、物質は時間を通じて位置を変化しながら存続するのだと考えることはできるが、それでも痛みのクオリアにはついて何の説明もできない。せいぜい物質的な脳がクオリアを生じさせると主張するぐらいなものであり、これはチャーマーズが提起した意識のハード・プロブレムに解答できない。ちなみにチャーマーズはサールとの議論で、脳が意識を引き起こすというサールの主張を「万能の呪文」と呼んでいる(*15)。つまり現在主義は魔法を認めているようなものである。これが四次元主義ならば、変化の説明には失敗しているものの、永久主義を前提としているためにクオリアの生成と消滅という困難は回避できるのである。 現在主義は素朴実在論や素朴心理学と親和的であるかもしれない。また存在者の数を少なくするという「節約の原理」に適合するという考え方もあるだろう。しかし形而上...
  • 廣松渉
    ...(唯物論的同一説――物理主義) ■第三網(中立一元論) 心身はいずれも実体として完結しない。 ①一実体両属性説(スピノザ) ②同一事態相貌説(心脳同一説) 廣松はそれぞれの問題点として、第一網は相互作用のメカニズムが解き難く、第二網は証明が不可能であり、第三網の一実体両属性説は第一網の問題を同様に持つとする。因果説、随伴説、並行説は原理的に実証不可能な形而上学的想定であるとし、ゆえに論じるに足るのは第三網の同一本体相貌説であり、これは心身の二元性という構図を止揚しうるゆえに、新たな第四の類型として扱おうという。 知覚の在り方については、廣松はフランス現象学のパラダイムを認めている。人は自分の身体を皮膚によって外部から隔絶されたものとして理解するが、それはいわば客観的に他者の視点から眺められた身体である。それに対しフランス現象学では、感覚によって「自分の手...
  • 観念論
    ...。 唯物論や物理主義の立場から二元論の立場を批判する際に、観念論は一種の蔑称のような意味で使われる。特にマルクス主義に影響を受けた学者にはその傾向が強い。これはマッハが現象主義の立場から「唯物論は非科学的で時代遅れの形而上学である」と批判し、それに対してレーニンがマルクスの弁証法的唯物論を擁護する立場から、マッハを「バークリーの焼き直しの主観的観念論者である」と批判したことに端を発する。マルクス主義哲学者であった森宏一などは、論理実証主義の系統にある分析哲学でさえ、「マッハ主義を源流のひとつとしている現代ブルジョア哲学の主流」と語っている(森宏一編集『哲学辞典』青木書店)。 各種の観念論 超越論的観念論 超越論的観念論(独 transzendentaler Idealismus 先験的観念論ともいう)はカントの哲学的な立場をいう。カントは生得観念を認めるデカルトやラ...
  • 実在論論争
    ...難があるのに気付き、物理主義の立場に転じた。物理主義では、基礎的言明は「熱さ」のような現象論的言語でなく「温度」といった物理言語で表現すべきと考える。 社会構成主義・相対主義 社会構成主義(Social Constructivism)とは、科学的実在論なるものは科学者たちの社会的合意で作り出されたものであるとする立場で、規約主義や道具主義に近い考え方。科学的知識は社会的に構成されるものであり、外的な実在そのものを描いているのではないと考える。代表的な論者はハリー・コリンズ、ブルーノ・ラトゥール、スティーヴ・ウルガーである。「相対主義」も類似の立場である。 科学研究においては、どんな理論を受け入れるか、どんな対象を研究するかといった問題は、科学者集団のバイアスがかかる。すなわち、科学的知識は科学者個人・集団のバイアスを受けるために客観的な真理にはなりえず、科学者が結果と...
  • 機会原因論
    機会原因論(Occasionalism)はフランスの哲学者ニコラ・ド・マルブランシュ(Nicolas de Malebranche、1638年8月6日-1715年10月13日)によって唱えられた神学的な説で、物理現象のもつ因果関係、そして心的な現象が物理現象に作用する因果関係について、すべて本物の因果関係ではなく、真の原因は神であるとする考え方。 偶因論ともいう。 デカルト流の合理主義哲学を引き継ぎ、心的な存在と物質的な存在を二種類の異なる存在として認めながらも、そうした対象の変化を実際に引き起こしているのは神であるとし、デカルトの心身二元論が直面した心身の因果関係の問題を解決しようと試みた。そして心と身体との相互作用の原因を解明しようとしたデカルトに対し、心身の結合の原因は神であるゆえに、人間には理解不可能であるとした。 マルブランシュはアウグスティヌス主義者であり、その...
  • 還元主義
    概説 還元の種類 概説 心の哲学における還元主義(Reductionism)とは、心的なものの存在は物理的なものの存在に還元できるという唯物論的な考え方であり、心脳同一説及びトークン同一説を前提とした機能主義や表象主義がその立場である。 還元主義な方法では現象的意識やクオリアは説明できず、心身問題は解決できないとする立場が二元論や中立一元論である。なお唯物論であっても消去主義はクオリアを消去しようとする立場なので還元主義とはいえない(ただし後述する「定義的還元」に該当する可能性がある)。また心理学的な行動主義やブラックボックス機能主義は、クオリアの存在論的身分を棚上げするので還元主義には該当しない。 スティーブン・ホーストは自然科学における還元の限界が心の哲学の議論にも適用できるのではないかと主張している。デイヴィッド・チャーマーズは『意識する心』で、意識が物理的な...
  • @wiki全体から「物理主義」で調べる

更新順にページ一覧表示 | 作成順にページ一覧表示 | ページ名順にページ一覧表示 | wiki内検索