現象的意識

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  • 現象的意識
    現象的意識とは、意識の性質のうち、客観化できない主観的な内容のことである。心の哲学においては、客観化できる意識の機能的な側面と対比させて、現象的な側面を指す場合によく使われる。 クオリアという用語は現象的意識とほぼ同じ意味で用いられることがある。たとえば表象主義では、意識の「現象的側面(phenomenal aspect of consciousness)」がクオリアと呼ばれる。 現象的意識という用語はネド・ブロックが案出した。ブロックは「現象的意識(phenomenal consciousness)」と「アクセス意識(access consciousness)」を区別した(Block 1995)。 ブロックは現象的意識の本質を、トマス・ネーゲルが「コウモリであるとはどういうことか」という論文で述べた語句を引用して説明する。つまり「生物が意識的な心的状態をもつのは、...
  • 意識の二面性
    ...に「機能的意識」と「現象的意識」の二種類に分けた。 1、機能的意識 機能的意識とは、「人間が外部の状況に対して反応する能力」のことである。脳を物体として捉える観点から言えば、入力信号に対して出力信号を返す脳の特性としての意識であり、外面的に観測することができる客観的な特性である。心理学的意識とも言われる。 2、現象的意識 現象的意識とは、「主観的で個人的な体験」のことであり、他者からは観測できない個人の主観的な特性としての意識である。これは意識体験、現象、クオリアなどさまざまに呼ばれるが、機能的意識と対比させるときは現象的意識という名前で呼ばれる。 チャーマーズは、機能的意識については既存の物理学の範疇にある神経科学の方法論で解明できると考えたが、現象的意識については哲学的ゾンビの思考実験によって、既存の物理学の範疇にはないものとし、意識のハードプロブレム...
  • 現象的意識の非論理性
    ...マーズは機能的意識と現象的意識(クオリア)の違いに着目し、現代の心の哲学や脳科学は意識の機能面の研究しか行っておらず、意識の本質である現象的側面を置き去りにしていると批判した。「マリーの部屋」の思考実験の応用でこの問題を説明すれば、モノクロの部屋で育ったマリーは、「赤」を体験する際の脳の状態と人の行動をいくら勉強しても「赤」のクオリアを体験することはできない。外部の世界で「青」という語がどのような用いられ方をしているか、「青」がどんな機能を果たしているかなど、「青」についての科学的・機能的な知識を全て得ても、マリーは部屋から出て実際に澄んだ空や海を見た時には、新しい体験をするはずである。その新しい体験こそが「青」というクオリアの本質である。 「クオリアAが出現し、クオリアAが消える」というクオリアの本質とは、「青」の本質がマリーの経験した「青」のクオリアであるように、「クオリ...
  • 現象判断のパラドックス
    ...識の主観的側面である現象的意識やクオリアのことである。デイヴィッド・チャーマーズが意識のハードプロブレムについて論じた文脈で言及したパラドックスであり、「現象的意識が脳の物理状態に対して何の影響も及ぼさないなら、なぜ私達は現象的意識やクオリアについて判断でき、また語れているのか?」という問題である。 このパラドックスは意識というものを、機能的意識と現象的意識という二つの概念(意識の二面性)に分離することから生じるものである。二元論の立場では、現象的意識は物理的性質には還元できないものとするが、同時に物理的なものが因果的に閉じていること(物理領域の因果的閉包性)を認めるならば、現象意識やクオリアは何の機能ももたず、因果的に全く関わっていないという事になりパラドックスが生じる。しかし物理主義では機能的意識と現象的意識という分離を認めず、心脳同一説を前提にしているためパラドックスは...
  • 意識のハードプロブレム
    ...色の脳の活動からなぜ現象的意識やクオリアが生じるのかという問題は、議論さえされていないとチャーマーズは主張し、ハードプロブレムを以下のように定式化した。 1、物理現象である脳の情報処理過程に付随する現象的意識やクオリアというのは、そもそも一体何なのか? そしてどうやって生じているのか? 2、そしてこれら現象的意識やクオリアは、現在の物理学のどこに位置づけられるのか? チャーマーズは哲学的ゾンビの思考実験において、現象的意識やクオリアは現在の物理学の中には含まれておらず、ハードプロブレムは解決不可能だと主張し、その上で物理学の拡張を訴えている。 茂木健一郎はハードプロブレムについて以下のように述べている。 心脳問題の解説において、心と脳を同一視する同一説、心は脳の物理的プロセスに随伴するが何の因果的作用も持たないという随伴現象説、心と脳とは別の存在で...
  • 意識の超難問
    ...である」という特定の現象的意識(あるいはクオリア)がある。仮に「私」である人物Aが消えて三時間後、スワンプマンのように人物Aと物理的性質が同じであり、また心的にも同じように「私こそが本物の私である」という現象的意識がある人物Xが現れたとする。それは広義の心脳同一説を前提とした物理主義の立場では、「私」と同一の存在だとみなせるはずである。あるいは「私」そのものである、とみなしても構わないかもしれない。なおこの場合、人物Xの出現場所がどこであっても構わないよう思える。「私」である人物Aは場所を移動しながらも推移的に「私」であり続けることが可能だろうし、また人物Aの存在する場所が日本であってもアメリカであっても、「私こそが本物の私である」という特定の現象的意識があるなら場所による相違はないはずである。 (2)しかし同時刻に「私」である人物Aと、物理的性質も心的性質も同じである人物B...
  • 哲学的ゾンビ
    ...定義――機能的意識と現象的意識 ゾンビ論法的思考実験の歴史 物理主義からの批判 補足 概説 哲学的ゾンビ(英:Philosophical Zombie) とは、デイヴィッド・チャーマーズによって提起された心の哲学における思考実験である。外面的には普通の人間と全く同じように振る舞うが、内面的な経験(現象的意識、クオリア)を全く持っていない人間と定義される。ホラー映画に出てくるゾンビと区別するために、哲学的ゾンビ(または現象ゾンビ)と呼ばれる。おもに性質二元論(または中立一元論)の立場から物理主義とその範疇にある行動主義や機能主義の立場を批判する際に用いられる。 哲学的ゾンビは、フランク・ジャクソンによるマリーの部屋の思考実験の発展型である。チャーマーズ自身も、マリーの部屋の「知識論証」は「ゾンビ論証」とペアになったときに最も力を発揮すると主張している。一般にマリーの部屋...
  • 中国人民
    ...せれば、そのリレーに現象的意識は生じるか? というものである。 もちろん、個別の中国人には心的現象はあるだろうが、リレーじたいに現象的意識が生じるわけは無いとブロックはいう。 ジョン・サールによる中国語の部屋も類似の思考実験である。
  • 自然主義的二元論
    ...脳からどのようにして現象的意識やクオリアなどが生まれるのか、という問題に対して取る自分の立場を呼ぶ名称であり、その問題の解決のためには物理学の理論の存在論的拡張が必要だという主張のことである。 自然主義とは、自然が存在するものの全てであり、心的現象を含む一切は自然科学の方法で説明できるとする哲学的立場のことである。 チャーマーズは意識が物理理論に論理的に付随しないことを哲学的ゾンビの思考実験などで論じ、それを理由に、物理特性以外にさらにこの世界を形作っているものがあるとして、以下のように唯物論を批判する。 1、我々の世界には意識体験がある。 2、物理的には我々の世界と同一でありながら、意識体験が無い世界が論理的に存在可能である。 3、従って意識に関する事実は、物理的事実とはまた別な、我々の世界に関する事実である。 4、ゆえに唯物論は偽である。 自然...
  • 因果的閉包性
    ...的因果の問題、つまり現象的意識やクオリアが物理的な身体や脳に、いかに作用するかという議論において、二元論への批判として提示される概念であり、クオリアなどを持ち出さなくても、脳細胞に起こっている現象を解明すれば人間の行動は神経科学的に説明できるという物理主義的な立場である。 物理的なものが本当に因果的に閉じているのかという点については、少なからぬ学者・科学者から大いに疑問視されている。例えばカール・ポパーは「宇宙というのは一部には因果的であり、一部には確率的であり、そして一部には開かれている」と述べて否定した。またフォン・ノイマンは二元論者であり、量子力学において波動関数の収縮は人間の意識によって行われていると考えた。ロジャー・ペンローズも類似の立場であり、独自の量子脳理論を主張している。 心の哲学での歴史において、デカルトに代表される実体二元論では、物的なものと心的な...
  • アウェアネス
    ...たものである(詳細は現象的意識を参照されたし)。 デイヴィッド・チャーマーズは、現象的意識がないのにアウェアネスがある状態を想定している。 現象的意識とアウェアネスについての研究と議論は今も継続中である。 参考文献 デイヴィッド・J. チャーマーズ『意識する心―脳と精神の根本理論を求めて』林一 訳 白揚社 2001年 茂木健一郎『脳内現象』NHKブックス 2004年 参考サイト http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%AD%98 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A2%E3%83%8D%E3%82%B9
  • 意識の境界問題
    ...問題に対する解答は、現象的意識・クオリアに対して取る哲学的立場により異なったものとなってくる。 物理主義の立場では、現象的意識とアウェアネスを存在論的に区別しないので、私たちがアクセス可能な情報だけが「意識」と呼ばれているものだと考え、意識の統一性問題は存在しないとされる。 性質二元論または中立一元論と呼ばれるような立場では、現象的意識とアウェアネスを存在論的に区別するので、境界問題に対して物理主義とは異なる説明を与える必要が出てくる。(性質二元論からの解答の候補はwikipediaを参照のこと) 参考文献 ジョン・R・サール『ディスカバー・マインド!』宮原勇 訳 筑摩書房 2008年 参考サイト 意識の境界問題 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AE%E5%A2%83%E7%...
  • 随伴現象説
    ...)とは、物質的な脳と現象的意識やクオリアといった心的なものとの因果関係(心的因果)についての仮説で、心的なものは物質的な脳の作用に還元できないが、脳の作用に付随して生じるだけの現象にすぎず、物質的な脳に対して何の作用ももたらさない、とするものである。物理領域の因果的閉包性を前提にして主張される。 T.H.ハクスリーは随伴現象説のセオリーを「警笛と機関車」の例えで説明している。機関車は警笛を鳴らすことができるが、警笛は機関車を動かすことはできない。「警笛と機関車」を「物質と意識」に置き換えればわかりやすい。 心的なものの状態は脳の物理的な状態によって決まるが、心的なものは脳の物理的な状態に対して何の影響も及ぼさない。 これが随伴現象説の主張である。 随伴現象説は還元主義的な物理主義と対立し、物質と意識は別の存在であるとする二元論の一種である。哲学の歴史で...
  • 心的因果
    心の哲学における心的因果の問題とは、現象的意識やクオリアなどの心的現象が、いかにして物理的な身体に作用することが出来るのかという、心と体の因果関係の問題であり、これは心的なものと物理的身体は別のものだとする二元論を前提にしたとき生じる問題である。そしてこの問題は、物理的な存在である脳の作用がいかにして現象的意識やクオリアといった心的なものを生じさせるのかという逆の問題(意識のハードプロブレム)と表裏の関係にある。歴史上はじめてこの問題に言及したのはルネ・デカルトであり、彼は実体二元論を前提にして、心的現象と物理的現象は相互に作用しあうとする相互作用二元論を主張した。 現代の脳科学では、心的現象は脳の作用から生じると考えるが、物理領域の因果的閉包性の原理を前提に、その脳から生じた心的現象が、逆に脳に作用するということを認めることができない。従って一部の哲学者は、心的なものは脳の作用に...
  • 相互作用二元論
    ...二元論を前提にして、現象的意識やクオリアといった心的なものが、脳という物理的なものと相互作用すると考える立場である。 歴史上この考えを最初に主張したのは、ルネ・デカルトであり、著書Meditationsにおいて相互作用二元論の考えを明確にした。彼においては心的現象が物理現象に作用するとする根拠は極めて明快で、「自分の意思で手が動く」というようなものであった。 20世紀以後においては、物理領域の因果的閉包性が主張されているため、また心的なものと物理的な脳との相互作用のメカニズムが解き難いという問題があるため、相互作用二元論を擁護する論者は非常に少ない。しかし有名な論者としてカール・ポパー、ジョン・エックルスなどがおり、物理学的には量子脳理論が脳と心の因果作用の可能性を示唆している。 ※ポパーとエックルスについては以下のサイトが詳しい。 http //www....
  • 還元・創発・汎経験説
    ...構築したときに初めて現象的意識やクオリアといった心的なものが創発すると考える。この創発概念を前提とした心身関係論が創発的唯物論、または創発主義である。 創発説は還元主義的な唯物論に対するアンチテーゼとして主張されたものであり、意識という創発特性は物質の性質に還元できないとする。しかし心的因果を認めず、物理領域の因果的閉包性も否定しない。クオリアは脳の作用に随伴して生じるだけのものであると考える。つまり創発説は、全ての事物は物理学に還元可能だとする物理学の完全性を否定しながらも、物理主義的な一元論を擁護しようとする立場から主張される。すなわち創発とは、還元主義と実体二元論の双方を否定する概念である。 創発は、創発物の出現が事物の部分についての知識からは予測できないとされる。局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いに還元できないようなシステムが...
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  • 付随性
    ...随性とは、クオリアや現象的意識など心的な性質(高次の存在者)は、ニューロンの活動など脳の物理的な状態(低次の存在者)に付随(supervene)しているという仮説である。心的な存在を「高次」、物理的存在を「低次」とするのは、物理的存在を基礎にして、その上に心的な存在が成り立つという物理主義的前提を含意している。この仮説からは心的因果の問題が派生することになり、さまざまな議論がなされている。 近年の神経科学の急速な発達により、心的とされる性質のほとんどがニューロンの活動など脳の物理状態に付随するものだ考えられるようになった。つまり脳状態の変化に対応することなく心的状態が自律的に変化することは無いということである。 歴史的に supervene(スーパーヴィーン)という語を哲学的な意味で初めて用いたのは、20世紀初頭の心理学者、ロイド・モーガンであり、彼は創発主義の立場か...
  • 心の哲学全般
    ...とは哲学の一分科で、現象的意識やクオリアなど心的なものと、物質的な脳や身体との関係、そしてそれらの存在論的な位置づけを研究する学問である。 心の哲学の基本的なテーマは心身問題と心的因果であるが、心身問題は科学の領域では心脳問題として研究の対象となっている。歴史的には心身問題は心脳問題の前史としてあったということになる。 デイヴィッド・チャーマーズは、心的現象と脳の活動の対応関係を研究する神経科学の問題を「イージー・プロブレム」と呼び、その脳の活動からどのようにしてクオリアなどの心的現象が生まれるのか、またその心的なものは物理的な脳とどのような因果関係(心的因果)があるのかという問題を「ハード・プロブレム」と呼んでいる。近年の心の哲学ではその意識のハード・プロブレムが最も活発に議論されている。 心の哲学についての立場を大別すると一元論と二元論に分けられる。また...
  • 汎心論
    ...い」といった主観的な現象的意識やクオリアといった性質が生じる。物理的な特性のみではその主観性を説明できない。クオリアが脳や神経細胞といったレベルの構成において唐突に生まれると考えるのは不合理である。従って心的な性質は宇宙の根本的レベル、つまりクォークやプランク長といったレベルにおいて原意識という形で存在していると考えるのが汎心論である。 汎心論の利点は素粒子が原意識でもあると考えることによって、純粋に物理学の記述で意識の成立を説明できることである。汎心論では脳の特定の作用によって意識が「なぜ」生じるかは謎ではない。元から意識のようなものが存在していたと考えるからである。ただし後述する組み合わせ問題が最大の難点となる。 原意識 原意識(Proto-conscious)、または原現象特性(Protophenomenal property)とは、意識の素となるような何かが、...
  • 動物の心
    ...問題から、クオリアや現象的意識といったものは、単純な種には存在せず、ある種の段階から突然に生まれるという考えと、単純な種にも何らかのクオリアがあり、複雑な種にはより複雑なクオリアおよび現象的意識があるという考えの、二つの立場が浮上する。心の哲学においては、(大雑把な解釈であるが)前者の考えを創発説といい、後者の考えを汎経験説という。 しかし創発説は堆積のパラドックスが生じるはずである。なぜ物質である脳が、あるレベルの大きさと構造をとった時、突然クオリアが出現するのかは合理的な説明が不可能であるよう思える。汎経験説は創発説の不合理を回避しているかのように見えるが、自我と自己の概念に深刻な問題が生じるはずである。たとえばウィトゲンシュタインは『論考』5・64で、 ここにおいて独我論は徹底的に遂行されると、純粋な実在論と一致することを見て取ることができる。独我論の私というもの...
  • 中国語の部屋
    ...していくその過程で、現象的意識やクオリアが現れる様子を見ることはできない。それはコンピューターの活動と同じであり、現象的意識やクオリアは、ニューロンたちの発火という物理現象に、論理的に還元する事はできないのである。 中国語の部屋に対する反論 強いAI支持者は、「中国語を理解していない」と断定するためには中の人間だけでなく、箱全体が中国語を理解していないこと、すなわち中の人とマニュアルを複合させた存在が、中国語を理解していないことを証明すべきだ、と考える。また「理解」や「意識」の基準となっている人間の場合でさえ、脳内でいかにして意識が生じるかという仕組みが明らかになっていないのだから、中国語の部屋も、中身がどうであれ正しく中国語のやり取りができている時点で、中国語を理解していると判断して良いのでは、という反論も存在する。つまり部屋全体は中国語を理解しているということである。 ...
  • 説明のギャップ
    ...意識の主観的な性質(現象的意識やクオリア)に関する記述との、つながりの欠如のこと。アメリカの哲学者ジョセフ・レヴァイン(Joseph Levine)が、1983年の論文 "Materialism and qualia The explanatory gap" の中で使用した言葉。 例えば「透明な青い海」を見ている時の神経状態を記述したする。しかしその記述には「透明な青い海」を見た時の心的現象が描かれていない。物理的記述と心的記述には大きなギャップがある。フランク・ジャクソンはマリーの部屋という思考実験で、このギャップを浮き彫りにすることにより、物理主義はクオリアの問題を取りこぼしていると主張した。逆にギルバート・ライルは、物理的な記述と意識の主観性についての記述のつながりを探すのはカテゴリー錯誤であると批判した。大森荘蔵は独自の一元論的な立場から、物理的...
  • 認知的閉鎖
    ...的な脳からいかにして現象的意識やクオリアが生み出されるのかという問題への一回答であり、人間の精神・知性はこの問題に関して「閉鎖」されている、人間の理解できる領域ではないとする可能性のことである。 人間による理解が現段階において科学的に不十分であったりするためではなく、人間の精神・知性にはそれらを理解するキャパシティーが端的に欠けているためである。マッギンによると、私たちは五感による知覚などの認知能力が備わっているが、逆に言えば私たちはそれら認知能力によって理解できる事柄以外は認知できないということになる。これはマリーの部屋の思考実験からも類推することができる。宇宙には人類以外にも多数の生命体がいて、彼らは人間にとって未知のクオリアを体験しているかもしれない。モノクロの世界で生活するマリーが赤や青のクオリアを体験できないように、人間には彼らのクオリアを体験できないのだ。クオリア...
  • デイヴィッド・チャーマーズ
    ...理現象を外在的性質、現象的意識を内在的性質とした中立一元論的な考え方となっている。 チャーマーズは構造的コヒーレンスの原理を自然法則ではなく、新しい自然法則が満たす条件として提示している。この原理には「気づき」というマクロレベルの特性が使われているが、意識に関する新しい自然法則があるとするなら、それはミクロレベルの特性で記述されなければならないとし、気づきの概念(ある情報に関する包括的なコントロールへの直接的な利用可能性)は、例えば「情報の増幅レベル」といったミクロレベルの特性へ帰着できるのではないか、という推測を提示している。 構成不変の原則 構成不変の原則(The principle of organizational invariance)とは、チャーマーズが提唱している意識に関する仮説的原理である。「意識は脳の機能構成によって生まれている」ということを前提に、...
  • 新神秘主義
    ...では心的なクオリアや現象的意識と、物質的な脳とのつながりは理解できないと考える。マッギンはエドウィン・アボットの『フットランド』という古典作品を例に挙げている。この作品世界では二次元世界に住む生物たちが登場する。彼らは三次元の世界がどういう世界なのか決して理解できない。このことは、私たち三次元に住む人間からは、より高次元に住む存在がどのような体験をしているか決して理解できないことを示している。 マッギンは新神秘主義の役割として、心の研究のなかで私たちが達成できることと、達成できないことの境界設定があるという。私たちは神経機構と意識がどう相関するか研究できるし、それによって心的状態が脳の科学的特性にいかに依存しているかといった重要な知見を蓄積させることができる。しかしそのことと、意識のハードプロブレム、つまり脳がいかにして意識を生み出すかという深遠な問題とを混同すべきではないと...
  • 還元主義
    ... 還元主義な方法では現象的意識やクオリアは説明できず、心身問題は解決できないとする立場が二元論や中立一元論である。なお唯物論であっても消去主義はクオリアを消去しようとする立場なので還元主義とはいえない(ただし後述する「定義的還元」に該当する可能性がある)。また心理学的な行動主義やブラックボックス機能主義は、クオリアの存在論的身分を棚上げするので還元主義には該当しない。 スティーブン・ホーストは自然科学における還元の限界が心の哲学の議論にも適用できるのではないかと主張している。デイヴィッド・チャーマーズは『意識する心』で、意識が物理的な用語で説明されることを望むのは自然だが、意識が還元的な説明の網から逃れると主張した。ジェリー・フォーダーは心理学と心の哲学を神経科学から切り離そうと試み、これら中位レベルの分野をスペシャル・サイエンスと呼んだ。 還元の種類 ジョン・サール...
  • 二元論
    ...出来事の主観的側面を現象的意識、またはクオリアと呼ぶ。痛みを感じたときの「痛み」や、澄み渡った青空を見たときの「青い」や「澄んでいる」という感覚がそうであり、こうしたクオリアは物理学的に説明しがたい性質がある。 参考サイト http //ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%85%83%E8%AB%96
  • 多重実現可能性
    ...においてはクオリアや現象的意識の存在が無視されており、この点をジョン・サールは中国語の部屋の思考実験によって批判している。 派生問題 (以下は当サイト管理者の見解) 人間は経験則から、さまざまな動物が「痛み」という感覚をもっているように思うのだが、そもそも人間が感じる「痛み」さえ常に単一のものでなく、私個人が分類可能な痛みの種類さえ何十とある。ましてや脳の神経構造が人間と大幅に異なる動物たちなら、人間が想像可能な「痛み」とは全く異なる性質の痛みを感じている可能性は大いにあるだろう。 この点についてはトマス・ネーゲルが「コウモリであるとはどのようなことか」でクオリアの主観性を巧く論じているが、結局のところ人間はコウモリが音波をどのように感じているか類推する材料をもたないのと同様に、ヘビやカエルがどのような痛みを感じるかを類推できないのである。 そのよ...
  • 表象主義
    概説 志向性と表象 機能主義と表象主義の関係 批判 概説 表象主義(Representationalism)とは、人が何かを知覚した場合、その知覚は実在する対象を表すイメージだと考える哲学的立場である。たとえばテーブルを見た場合、光がテーブルという物体に反射して人の視覚で捉えられ、テーブルの知覚像が作られると考える。 近代では心身二元論の立場から、知覚像は物質からもたらされるという表象主義が主張されてきたが、この立場には知覚因果のメカニズムが解き難いという問題が指摘されてきた。 表象主義は近代哲学と現代の分析哲学では大きく異なっている。分析哲学では「表象理論」と呼ばれることが多い。近代哲学では物質的対象に属するのは質量や延長量(一時性質)のみとされていたが、分析哲学の表象理論では色や音や味(二次性質)も物質的対象に属すると考える。 以降は分析哲学での表象主義...
  • イマヌエル・カント
    ...有でき、また私秘的な現象的意識を公的言語に変換し、かつコミュニケーションが成立している理由も、同一の自然法則によって経験が生じていると仮定すれば合理的に説明できるからだ。このことは実在論論争ににも関わってくる。経験の条件が法則にまで還元できるなら、物自体を措定したカントの意図に反して「実在」というものを措定する必要がない、ということもできるからである。科学哲学において実在対象を措定しない立場を取るのが規約主義、道具主義、存在論的構造実在論である。
  • 機能主義
    ...る批判 機能主義は現象的意識やクオリアを取りこぼしており、人間の意識を説明するには不十分だという批判がある。そして多くの哲学者が思考実験によって機能主義に反論している。代表的なものにジョン・サールの中国語の部屋、トマス・ネーゲルのコウモリであるとはどのようなことか、デイヴィッド・チャーマーズの逆転クオリア、ネッド・ブロックの中国人民などがある。 ジョン・サールは、主観的なクオリアを避けて説明する機能主義は、心的現象の説明に十分条件を与えていないという。そして逆転クオリアの思考実験を用い、機能主義では「私は赤を見ている」という自分の経験と、クオリアの反転した人物の「私は赤を見ている」という経験を全く同じものと考えるが、二人の内的経験は異なっているのだから機能主義は間違っている、という。心というのはクオリアから成り立っているにも関わらず、機能主義はクオリアを扱わず、それとは異な...
  • 永井均
    ...もつ個別のクオリアや現象的意識に限られるからである。結果として「私」なる主体を問題としないという立場は、無主体論や、人格の同一性問題における「還元主義」に接近している。 永井が「魂の本質と同一」であるという〈私〉なるものを措定し、〈私〉への記憶の現わが、昨日の私と今日の私を時間を隔てながらも同一の存在とみなせる根拠とするのは、多くの哲学者が立脚している自然主義と実証主義の立場からは導かれない論理の飛躍である。これは永井の宗教観の反映と思わざるを得ない。実証主義的には、昨日の人物Aが「青い海」を見ていて、今日の人物Aが「赤い夕陽」を見た後、「昨日は青い海を見た」と想起する時、そこにあるといえるのは「昨日は青い海を見た」という現象的意識と、それに対応した脳の作用だけである。信仰のようなものがなければ、上述の同一性についての論理の飛躍は出来ないのだ。 参考文献 永井均『〈...
  • 唯心論
    概説 仏教の唯識論との違い 概説 唯心論(spiritualism; idealism)とは観念論の一種で、物質的なものは実在ではないと考え、心的なものだけが実在であるとする哲学の立場。その反対が唯物論である。類似の思想的立場に現象主義があるが、現象主義は経験主義から出発し、実在や神など人が経験できないものは不可知であるとするのが大きな違いである。 歴史的には三世紀頃、新プラトン主義の哲学者プロティノスが唯心論的な形而上学を残している。プロティノスの思想はプラトンのイデア論を受け継ぎながら、その二元論を克服しようとしたものである。 プラトンの『パルメニデス』に説かれた「一なるもの」(to hen)を重視し、これを神と同一視した。 彼によると、唯一にして無限の宇宙的意識である「一者」が存在し、万物(霊魂、物質)は「一者」から流出したヌース(理性)の働きによるものである(流出説...
  • パルメニデス
    ...の哲学の最大の焦点は現象的意識やクオリアの由来(意識のハードプロブレム)をどう説明するかだが、クオリアとはまさに「ある」ものが「ない」ものになるものである。 先ほどまでなかった心的現象がいきなり生まれ、そして消えていく。 これを物理主義的な立場では還元・創発・汎経験説といった概念で説明しようとするが、説明として失敗している。そもそも心的なものと物理的なものは、カテゴリーとして論理的に異なるものとしてデカルトによって分割されたものである。科学とはわれわれ人間の知覚によって捉えられるもののうち、時間・空間的、つまり数学的に記述できる部分(デカルトのいう「延長」)だけを対象としてきたのである。つまり心的なものと物理的なものはカテゴリーとして論理的に異なることが前提とされているため、「延長から精神が生まれる」という主張は、決して「1プラス2は3である」というような論理的整合性を確保で...
  • 現象
    現象(英 phainomenon)とは、人間の意識に「現れ」るもののことである。人間によって知覚・理解される全てのものごとは現象である。対義語は「本質」または「実在」。 人間は実在を理解することは不可能であり、現象のみを理解できるのだから、実在を想定することは無意味だとする立場が現象主義である。 現象は外的知覚による物的現象と内観による心的現象とが区別される。「表象」や「クオリア」、また「観念」や「思惟」と呼ばれるものは、全て現象の一種といえるものであり、その現れ方や性質によって分類されているにすぎない。 現象に対する立場には以下のようにいくつかの立場がある。 (1)現象をもたらす普遍的実体があることを想定する観念論的立場。プラトン、プロチノス、J.ヘルバルト、R.ロッツェなどに代表される。 (2) 現象界を叡智界から区別し、現象をもたらす実在・...
  • ダニエル・デネット
    概説 クオリア批判 人工知能擁護 批判 概説 ダニエル・デネット(Daniel Clement Dennett, 1942年3月28日 - )はアメリカの哲学者。2005年2月現在、タフツ大学教授。同大学認知科学センター監督官。1963年ハーバード大学卒業後、1965年オックスフォード大学にてPh.D取得。ハーバードではW・V・O・クワインに、オックスフォードではギルバート・ライルに師事。心の哲学では物理主義の代表的な人物である。 他者の内省報告を観察データとして認める「ヘテロ現象学」(Heterophenomenology)を掲げ、行動主義に陥ることなく、観察可能なデータから主観的意識の問題を扱えると主張する。 デネットは意識と脳の神経的なプロセスを異なる次元のものとして考えてきた心身二元論というデカルト以来の哲学的伝統を批判する。意識をつかさどる中央処理装置カル...
  • 現象主義
    概説 前史 方法論論理実証主義 批判と補足 概説 現象主義(英 Phenomenalism)とは、われわれの認識の対象は〈現象〉の範囲に限られるとし、現象外部の存在については不可知である、とする哲学上の方法論である。現象論ともいう。実在論と対極の思考法である。経験主義的な方法を徹底したものであり、英国経験論を代表するジョージ・バークリーに始まり、デイヴィッド・ヒュームにおいてひとつの哲学的立場として完成した。実在論が意識から超越した実在を認めるのに対し、現象主義は意識内在主義の立場を取り、世界および自我を「知覚現象の束」として説明する。近代における代表的な論者はエルンスト・マッハであり、マッハの思想はアインシュタインなどの科学者や、フッサールやウィーン学団の哲学者、論理実証主義者たちに影響を与えた。日本では大森荘蔵が現象主義の方法論を透徹し、〈立ち現われ一元論〉を主張した。 ...
  • 観念論
    概説観念論に対する批判 各種の観念論超越論的観念論 ドイツ観念論 イギリスの観念論 主観的観念論と客観的観念論 概説 観念論(idealism)という語は実に多義的であるが、通俗的な意味においては、観念的なものを物質的なものに優先する立場を観念論といい、唯物論に対立する用語として使われる。なお「観念論者(idealist)」の語を最初に用いたのはライプニッツである。 しかし哲学用語としての観念論は、歴史的に以下のような二つの対極的な立場で使われている。 (1)人間が直接経験できないものが実在し、それがわれわれの認識を成り立たせているとする思弁的な立場。プラトンのイデア主義に起源をもつ。新プラトン主義のプロティノスや大陸合理論のスピノザやライプニッツを経て、イマヌエル・カントの超越論的観念論を近代の転換点とする。超越論的観念論はフィヒテやシェリングなどを経由し、ヘーゲ...
  • マリーの部屋
    概説 知識論法 三種類の応答タイプA タイプB タイプC 派生問題 概説 マリーの部屋(英:Mary s Room)、またはスーパー科学者マリー(英:Mary the super-scientist)とは、1982年にフランク・ジャクソンが提示した物理主義、特に機能主義を批判する内容の思考実験である。 マリーは聡明な科学者であるが、なんらかの事情により、白黒の部屋に閉じこもり、白黒のテレビ画面を通してのみ世界を調査している。彼女の専門は視覚に関する神経生理学であり、我々が熟したトマトや晴れた空を見るときに感じる「色彩」についての全ての物理学的、神経生理学的情報を知っている。また「赤い」や「青い」という言葉が我々の日常生活でどのように用いられ、機能しているかも知っている。さて、彼女が白黒の部屋から解放されたり、テレビがカラーになったとき、何が起こるだろう。彼女は何か新しいこと...
  • デイヴィッド・ヒューム
    概説 知覚――印象と観念 因果関係論 実体 自我の否定 ヒュームの観念論と自然科学の関係 派生問題――知覚の同一性と意識の連続性 概説 デイヴィッド・ヒューム(David Hume, 1711-1776)は、スコットランド・エディンバラ出身の、英国経験論を代表する哲学者。スコットランド啓蒙の代表的存在とされる。ジョージ・バークリーの観念論と現象主義を継承して発展させ、自我さえも「感覚の束」であるとしてその実在性を否定した。この自我論は後に無主体論とも呼ばれ、現代の心の哲学では主流の立場になる。 ヒュームは懐疑主義を徹底し、それまでの哲学が自明としていた知の成立過程の源泉を問い、それまで無条件に信頼されていた因果律を、論理的なものでなく連想の産物であると見なし、数学を唯一確実な学問とした。また科学哲学においては自然の斉一性仮説を提唱した。 知覚――印象と観念 ヒューム...
  • 意識の統一性
    概説 人格の同一性問題との関連 意識の時間的統一の問題 概説 人間には五感がある。しかし同時に複数の感覚があった場合、それらは独立して存在しているのでなく統一された意識の内部にある。たとえば繁華街を歩いていると様々なものが見え、同時に様々な音が聞こえ、同時に様々な匂いがある。それらの感覚は統一的な意識の内部にあり、意識は全一的なものとして存在している。これが意識の統一性である。 ジョン・サールは次のように論じている。 いま私は、指先の感覚や首まわりのシャツの圧迫感、落葉の風景だけを経験しているわけではない。これらすべてを単一の統合された意識野の一部として経験している。病理的なところのない通常の意識は、統合された構造とともにある。カントはこの意識野の統合を「統覚の超越論的統一」と呼び、そこから多くのことを引き出した。そして彼は正しかった。これから見ていくように、それは...
  • 廣松渉
    認識論 心身問題 廣松渉(ひろまつ わたる、1933年8月11日 - 1994年5月22日)は日本の哲学者。東京大学名誉教授。 高校進学と同時に日本共産党に入党。東京学芸大学に入学するが、中退して東京大学に再入学する。当初はエルンスト・マッハに対する関心が強かったが、指導教官の勧めなどがあってカント研究に専念。東京大学大学院に進学し、1965年に博士後期課程を単位取得退学している。共産党との関係では、1955年の六全協を受け復党するも、翌1956年に出版した共著書『日本の学生運動』が問題とされ離党した。1958年12月に共産党と敵対する共産主義者同盟(ブント)が結成されて以降、理論面において長く支援し続けた。 認識論 廣松は主観・客観図式による伝統的な認識論を批判する。主観・客観とされているいずれの側も二重になっており、全体として世界の存在構造は四肢的だと指摘し、...
  • ライプニッツ
    概説 オプティミズム(最善観) モナド(Monades)モナドとモナドとの関係 自我と魂 概説 ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz, 1646年7月1日(グレゴリオ暦)/6月21日(ユリウス暦) - 1716年11月14日)はドイツ・ライプツィヒ生まれの哲学者・数学者。「モナドロジー(単子論)」を提唱した。心の哲学においてライプニッツのモナド論は「予定調和説」として位置づけられる。 ライプニッツの思想は、哲学、形而上学の範囲にとどまらず、論理学、記号学、心理学、数学、自然科学などの極めて広い領域に広がる。また同時に、それらを個々の学問として研究するだけでなく、「普遍学」として体系づけることを構想していた。ライプニッツは通常、デカルトにはじまる大陸合理論に位置づけられるが、ジョン・ロックの経験論にも学んでいる。精神と...
  • 意識に相関した脳活動
    意識に相関した脳活動(英 NCC、Neural correlates of consciousness)とは、特定の意識的知覚を生み出したり意識的な記憶を引き起こすのに十分な、最小の神経メカニズムとして定義される。 物理主義的な立場から心脳問題の解決に向け、「心」についての哲学的な問題を保留して、実験的に扱うことの出来ることに集中しようとする立場である。脳についての神経科学的な解明の鍵となるのが、意識に相関した脳活動である。 最小限という概念がポイントである。脳活動全体は明らかに意識を引き起こすのに十分であり、その内のどの下位構成要素が意識的な体験を引き起こすのに必要かという問題だ。 全ての感覚、精神状態は意識に相関した脳活動に関連付けられる。もしも、神経外科手術の際などの大脳皮質の微小刺激などによって、意識に相関した脳活動を人工的に引き起こすことが出来れば、被験...
  • 人格の同一性
    ...識」「機能的意識」「現象的意識」「無意識」などと使い分けられているので、混乱を避けるため、また「質感」という意味に重きを置くため、私はクオリアという語を用いることにする。なお感覚と思考を別ものとして扱う論者は、クオリアと思考を区別する場合もあるが、思考内容には常に固有の質感が伴っているはずだ。サールは次のように述べている。 もしあなたが二足す二は四に等しいと考える場合、そこに質的な感覚がないと考えるなら、それをフランス語やドイツ語で考えてみよう。たとえ、 2 + 2 = 4 という志向内容が英語の場合とドイツ語の場合とで同じだったとしても、「zwei und zwei sind vier」と考えることは英語で考えるのとはまったくちがう感じがする。(*12) 茂木健一郎もサールとほぼ同様の見解を示している。 「ギラギラ」や「ピカピカ」といった、質感そのものとも言え...
  • クオリア
    概説 意識とクオリアの違い 歴史と類義語 クオリアについての論争 還元主義的物理主義と二元論 外在主義と内在主義 クオリアに関する思考実験 クオリアの全一性 概説 クオリア(英:複数形 Qualia、単数形 Quale クワーレ、またはクアリ)とは、客観的には観察できない意識の主観的な性質のこと。日本語では感覚質と訳されることもある。もとはラテン語で「質感」を表す単語であるが、1990年代の半ばから意識の不思議さを象徴する言葉として科学者や哲学者の間で広く使われるようになった。「現象」「表象」「感覚与件」は類似の概念である。 クオリアという用語は厳密に定義されておらず、論者によって用いられ方が異なる。ブレンターノやフッサールは志向性が意識の本質だとし、心的状態は全て志向的だと考えた。この"ブレンターノ・テーゼ"に従ってクオリアも志向的であるとする論者がい...
  • ギルバート・ライル
    ギルバート・ライル(Gilbert Ryle、1900年8月19日 - 1976年10月6日)はイギリスの哲学者。ウィトゲンシュタインの言語観に想を得たイギリスの日常言語学派の代表的人物とされている。自身の思想の一部を「行動主義」と表現した。しかし唯物論者ではないことは強調している。1949年の著書『心の概念』におけるデカルト批判は、現代の英語圏の心の哲学の幕開けといわれる。 ライルは、心身二元論は日常言語の誤用によって生み出された幻想であり、カテゴリー錯誤であると断じた。心が独立した存在であるとか、心は身体の中にありながら身体を支配しているといった考え方は、生物学の発達以前の直写主義がそのまま持ち越されたものにすぎず、退けられるべきであるという。 たとえばスポーツでいう「チーム意識」とは、投げたり、打ったり、守ったりという技術的な概念とは全く異なるカテゴリーに属する概念で...
  • ジョン・サール
    概説 心の哲学におけるサールの見解 意味論的外在主義に対する批判 概説 ジョン・サール(John Rogers Searle 1932年7月31日- )は言語哲学および心の哲学を専門とする哲学者。カリフォルニア大学バークレー校教授。ニクソン大統領時代には大学問題大統領特別顧問としても活動した。 人工知能批判で知られ、チューリングテストに対する反論として中国語の部屋という思考実験を提案した。また、言語表現が間接的に果たす遂行的機能(間接発話行為)の研究を行い、ジョン・L・オースティンの後継者と称された。 2000年にジャン・ニコ賞を受賞。 心の哲学におけるサールの見解 サールは心の哲学における自分の立場を「生物学的自然主義(biological naturalizm)」と呼んでいる。これは意識が自然現象のひとつであることを強調するものである。たとえば胃が胃液を...
  • ゲシュタルト構造
    (参考文献:ジョン・R・サール『MiND 心の哲学』) 二〇世紀初頭、心理現象は個別の要素の結合からなるとする従来の心理学に対して、心理現象には要素の総和には還元できない全体性がある、と考える学説が提唱された。この心理現象が備える全体的な性質を「ゲシュタルト」と呼び、ゲシュタルトから心理を研究する立場は「ゲシュタルト心理学」と呼ばれる。 意識体験は無秩序な混乱として生じるのでなく、統一されたひとつの全体として生じる。例えば木のテーブルを見るとき、部分としての木の部品や、テーブルに付いた染みでなく、全体としての木のテーブルが意識体験として生じる。そして、そうした対象の断片のみを見ても統一されたひとつの全体をイメージできる。例えば車のタイヤだけを見ても車全体をイメージできる。脳は不十分な情報でも、それを一貫性のある全体へと組織する能力を備えているのだ。 さらに、脳は受...
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