目次



ヒストリカルバトルとは

Total Warシリーズお馴染みの実際に歴史上起こった戦闘を疑似体験できるチャレンジモードのようなものです。
ここで紹介するものはDLCを購入しないとプレイできないものも含まれます。



トイトブルグ森(AD9)


背景
ひと夏をライン川北部の遠征に費やした後、プブリウス・クィントゥス・ウァルスは自らが統率する軍をローマ領内の冬営地に向かわせました。
しかし、彼は右腕とも恃むゲルマン人のアルミニウスが、ローマ軍に対抗するための部族間同盟を築いていたこと知りませんでした。
アルミニウスは多数のゲルマン人が潜伏するトイトブルグ森へとウァルスを誘導したのです...

マップ

攻略



カンナエ(216BC)


背景
第二次ポエニ戦争において、カルタゴの将軍ハンニバルはアルプスを越えイタリアに侵入しました。
ローマはハンニバルを撃退するため軍を送りますが、トレビアに続きトラシメヌス湖畔でも手痛い敗北を喫してしまいました。
なんとしてでもハンニバルの軍を打ち負かそうと、元老院は動員できる限りの軍を編成することを認めました。
兵力に劣るものの比類なき将軍であるハンニバルは、カンナエの町の近郊でローマ軍を待ち受けました。

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カルタゴ(146BC)


背景
第二次ポエニ戦争の賠償金が完済され、ローマは再びカルタゴが脅威となっていることを感じました。
今度こそカルタゴを完全に滅ぼすため、ローマはヌミディアとの紛争を理由に口実としてカルタゴを包囲するための大軍を出兵しました。
カルタゴは2年間もの包囲に耐えましたが、スキピオ・アエミリアヌスの指揮により、ローマ軍は最終的な攻撃を始めようとしています。

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ナイル(47BC)


背景
ファルサルスの戦いの後、ユリウス・カエサルはポンペイウスをエジプトに追いましたが、到着と同時に彼が死んだことを知らされました。
折りしもエジプトは、ファラオであるプトレマイオス13世と姉のクレオパトラの権力闘争の最中であり、カエサルもその争いに巻き込まれました。
彼はアレクサンドリアでの籠城に耐えた後に砂漠へと進軍し、ナイル川のほとりでファラオ軍と対峙しました。

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ラフィア(217BC)


背景
アレクサンドロス大王の死後、彼の帝国はディアドコイ、つまり後継者によって支配される多くの国に分裂しました。
それらのうち最も有力であった二つの勢力、セレウコス朝とエジプトのプトレマイオス王国は、パレスチナの支配を巡り繰り返し衝突しました。
中でもディアドコイ戦争で最大規模の会戦であったラフィアの戦いは、その後の両国の趨勢を決めました。

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ザマ(202BC)


背景
第二次ポエニ戦争においてハンニバルがイタリアに盤居していた頃、
才能あふれる若きローマの将軍スキピオはスペイン内のカルタゴ勢力地を次々と攻略し、それらをローマの支配地に変えてしまいました。
その後彼はアフリカへと渡り、イタリアから本国へと召還されたハンニバルと雌雄を決するべくザマにおいて対峙しました。

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アレシア(52BC)


アレシアをプレイするには「Caesar in Gaul」が必要になります。

背景
ユリウス・カエサルがほぼ五年もの間ガリアで奮闘を続け、ようやくガリア平定の道筋が見えたとき、ウェルキンゲトリクスを首領とする大反乱が勃発しました。
このまま手をこまねていればカエサルの努力は水泡に帰すでしょう。
ようやくカエサルはアレシアへとウェルキンゲトリクスを追い込みましたが、夥しい数のガリア人による援軍がローマ軍に接近していたのです。

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ピュドナ(168BC)


背景
キュスケファライの戦いにおけるフィリッポス五世の敗北後、マケドニアは事実上ローマの支配下に置かれました。
フィリッポス五世がBC179年に死去すると息子であるペルセウスがマケドニアの王座を継ぎましたが、新王は父親と異なり、反ローマの姿勢を鮮明にしました。
ローマはルキウス・アエミリウス・パウルスを指揮官としたマケドニア討伐軍を送り、ピュドナの町の近郊で両軍は会戦のための布陣を整えました。

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最終更新:2020年09月29日 13:47