……蒼星石ぃ~、会いたかったですよぉ~蒼星石ぃ~!!

ドアを通り抜けた翠星石は両手を広げ、ドラムの横で真紅の手付きを眺めている蒼星石に飛びついた。

「ねぇ、真紅。もうすこしテンポを遅らせ気味に叩いたらどうかな?」
「そうね、蒼星石の言うとおりだわ、始めからうまくいかないものね」

……蒼星石ぃ?真紅?…

「そりゃぁ、そうだよ。みんな始めはうまく叩けないよ」
「でも真紅のぉ~ドラムって笑っちゃうほど似合わないわねぇ~、
 ここに翠星石がいたら何ていうかしらぁ~、うふふふ」

……何を言ってるですかぁ水銀燈、翠星石はここにいるですよぉぉ~

「水銀燈、めっ、めっ、なの~…それは言わない約束なのよぉ」
「そうだったわねぇ……あやまるわ」

……うぅ、翠星石はここにいるですよぉ、気付いてですぅ~

「いや、いいんだよ。僕もここの翠星石がいたら何て言うのかな?って思っていたところだし」

……蒼星石、真紅、水銀燈、雛苺、どうして気付かないですかぁぁ?

両膝を床につけ、すがるような表情で蒼星石、真紅、水銀燈、雛苺の顔を交互に見つめ、彼女達の名前を大声で叫ぶ。

……蒼星石!真紅!水銀燈!雛苺! 翠星石が解らないのですかぁぁ!

「あっ、もうこんな時間ねぇ~、そろそろチャイムが鳴るわぁ~」
「そうだね、続きは昼休みと放課後かな?」

……みんな、翠星石はここにいるですよぉ~

「あっ、チャイムが鳴ったの、早く行かないとまた先生に怒られるのぉ~」
「じゃ、水銀燈、蒼星石、お昼休みにここに来るのだわ」

……お願いですぅ、気付いてですぅぅ~……お願いですぅ…

チャイムの音と共に彼女達は部室を後にする。

カチャッ―――――――――――バタンッ

ドアが閉まり、その向こうではチャイムの音に混じって彼女達の軽やかな声が遠のいていく。

「でもぉ、やっぱり真紅のドラムって笑っちゃうわねぇ~」
「似合わないのぉ~」
「うるさいわッ」

……どうして気付いてくれないですかぁ…うぅ、うっ…

授業が始まり誰もいなくなった部室で翠星石は最愛の妹である蒼星石はおろか、よき仲間であった真紅、水銀燈、雛苺にすら気付いてもらえなかった寂しさと悲しさに声を震わせている。

カタッ、カタカタカタッ

春の陽気を含んだ風が少し開いた部室の窓を微かに揺らし、カーテンをフワリと静かに広げていく。
そして、散り始めた桜の花弁が数枚ほどヒラリと舞い、泣き崩れた翠星石の頬と肩を撫でて落ちていった。

                    *

1時間目の授業が終わりかけた頃、ジュンは巴の祖父の話を聞き終え、ようやく校門をくぐろうとしていた。

「ねぇ、桜田君……怒ってる?」
「いや、別に……」

巴の言葉にジュンは素っ気無く答える。
それは先ほどまで有栖神社の神主である巴の祖父の話を思い出しながら、自分なりに物事を考えていたからだ。

僕は翠星石を本当に助けることができるのか?
柏葉のお爺さんが言うように関わり合いは避けたほうが良いのか?

ジュンの頭の中ではどちらとも言えない迷いが生じていた。

あれ?

校舎に入ろうとするジュンの視線の端に風で揺れる軽音楽部のカーテンがチラリと見えた。
そのカーテン越しには床に座りこみ、両手で顔を隠し泣いている翠星石の姿が見えた気がした。

「桜田君、早く行かないと休み時間終わっちゃうよ」
「あぁ、そうだな」

巴の言葉にジュンは軽音楽部のカーテンから視線を外し、教室へと向かう階段に足をかけた。

「どうしたの、桜田君?」
「いや、ちょっと忘れ物、悪いけど先に教室に行っててくれよ」
「あっ、ちょっと、桜田君?」

階段を中ほどまで上っている巴の声にジュンは軽く手を振りながら、クルリと背を向けて階段を下りると、授業始まりのチャイムが校舎内に響いた。

確かに見えたような気がしたんだけどなぁ~

ジュンは静まり返った廊下を小走りに移動し、軽音楽部と書かれたドアをゆっくりと開けてみる。

「す、翠星石、こんな所にいたのか、ん? どうしたんだよ?」

ドラムのほうを向き、床に座る翠星石の背中越しに声をかけるが、返事はない。
ただ声にならない嗚咽が翠星石の小さな肩を震わせていた。

「泣いているのか……翠星石?」

そっとその肩に手を置いてみるが、吸い込まれるようにジュンの手は震える肩を素通りするだけ。

「えっ…えっ…だ、誰も翠星石のこと気付いてくれなかったですぅぅぅ~
 蒼星石も…真紅も水銀燈も、雛苺も…みんな…みんな、気付いてくれないのですぅぅ~
 えっ…うっ…うえぇぇ~~」

嗚咽交じりの声を絞り出すように訴えた翠星石はそのまま泣き顔すら隠すことなく大声で泣きだしてしまった。

「す、翠星石………」

ぼ、僕は…僕は翠星石を…翠星石の涙を止めることはできないのか?

泣き崩れる悲しそうな背中を見つめながらジュンは言いようのない憤りのようなものを感じ、奥歯をギリッと噛み締めた。

「うゅ~、いつも水銀燈はピルクルなの~」
「うるさいわねぇ~、真紅だってずっと紅茶ばかりじゃないぃ~」
「あら、紅茶と言っても種類はいろいろとあるわ、私が今飲んでいるのはフレーズ&ロゼだわ、
 キームン紅茶とセイロン紅茶をベースに薔薇とハイビスカスをブレンドした香り高き紅茶で」
「まぁ~た始まったわぁ~」
「真紅は本当に紅茶のことになると拘りがあるんだね」
「真紅、紅茶の話しばかりなの~」

昼休み、彼女達はいつものように軽音楽部の部室で昼食後のお茶を飲んでいた。
それぞれの好みの飲み物から音楽の話に話題が変わりかけた時。

ガラガラガラッ~

突然、勢いよく開いたドアの音に部室にいた彼女達の顔はいっせいにドアのほうを向く。
そこにはジュンが何やら難しそうな顔をして立っていた。

「なぁに? 何のようなのぉ~?」
「あれ、君は確か?」
「貴方は1年生のジュ…ジュンとか言ったわね?部活に入りたいなら
 土曜日にいらっしゃいと言ったわずだわ」

彼女達の声を一通り聞いたジュンはそっと自分の右肩を見る。
ジュンの背後に隠れるように佇む翠星石は、今にも泣き出しそうな目付きで彼女達の顔を見ている。

もうここまで来たら正直に言ってみるしかない!
信じてもらえるか、どうかなんて解らないけど、このままだと翠星石があまりにもかわいそうだ、よし、言うぞ!!

「なぁに、さっきから黙って、何なのぉ?」
「どうしたなのぉ~?」

水銀燈はあからさまにトゲのある口調でジュンに話しかける。
それとは対照的に雛苺は黙っているジュンに心配そうな言葉を向けた。
その2人の言葉を聞き終えたジュンはス~ッと息を大きく吸う。

「あの、その、なんて言うか…いきなりこんな話を言って信じてもらえないと思うけど」

そこまで言うとジュンはゴクリと唾を飲み込む。
翠星石は掴めるはずもないジュンの肩に置いた手に力を入れる。

「何よぉ~、もったい付けないで言いたいことがあるなら言いなさいよぉ」
「ちょっと、水銀燈、そんな言い方したら言いたくても言いにくくなるじゃないか。
 どうしたんだい?部活に入りたいのかい?」

フンッと鼻を鳴らす水銀燈に蒼星石は注意を促しながら優しくジュンに話しかけた。
そんな蒼星石を見ながらジュンはスッと人差し指をある物に向けた。
ジュンの指先が示すものに彼女達の視線が集まる。

「僕はそのドラムの持ち主を知っているんだ…
 いや、知っていると言うより今、ここ、僕の後ろにいる」

「僕がこの高校に入学する日の夜だったんだ……、本当に信じてもらえない
 かもしれないけれど、天井から声が聞こえてきたんだ」

ジュンの話に水銀燈は小さく「チッ、何言い出してんのぉ?」と舌打ちをする。
しかし話が進み、翠星石がどういう状況で事故にあい、そしてこの世から去っていたのかを話し出すと蒼星石の瞳から一筋の涙が頬を伝い始めた。

「で、今朝、この部室で翠星石がみんなに気付いてもらえなかったって泣いていたんだ、だから僕は」

ガタンッ――――――スタスタスタ

そこまで話していると、壁にもたれかかっていた水銀燈がニコッと笑いながらジュンに近付いてきた。
クスッと笑みを浮かべた水銀燈はジュンの肩越しに後ろを見ながら言う。

「ふぅ~ん、翠星石はどの辺りにいるのぉ~?」
「えっ、あっ、あぁ、ちょうどここにいるよ」

笑顔で近付いてきた水銀燈に同じように笑みを見せている翠星石を指差す。

「そぉ、ここに翠星石はいるのねぇ~、で、今はどうしてるのぉ?」

……水銀燈! 翠星石はここですよぉ!

軽やかに笑みを見せる水銀燈の顔を覗き込むように見つめた翠星石の瞳には光るものが見えていた。
それをジュンは水銀燈に伝える。

「嬉しくて、泣いているよ」

パチンッ――――――――――――乾いた音が部室に響く。

その音と共にジュン、翠星石の時間が一瞬止まったかのように固まった。
水銀燈に頬を打たれたジュンの顔は横を向いたまま止まっている。

……な、なにをするです、水銀燈ぉ?

突然の行動に翠星石とジュンは戸惑う。
ゆっくり視線を戻すと、先ほど浮かべていた笑みは消え、そこには鋭い顔付きをした水銀燈がいた。
そして彼女は睨みながらこう言った。

「泣いてるのは翠星石じゃないでしょぉ?泣いてるのは…蒼星石よッ!!」

そう言われてジュンと翠星石はドラムの横でうつむいた蒼星石を見た。
彼女の目から零れ落ちた涙が頬を伝い床に落ちていく。

「…うぅ、酷いよ…」

それだけ言うと蒼星石は声を殺すかのように泣き出してしまった。
その姿を見てジュン、翠星石は言葉を無くす。

「貴方ねぇ~、自分が何を言ったか解ってるのぉ~、本当ぉ、さぁ~いてぇ~って感じぃ?」

水銀燈の言葉に真紅、雛苺も続く。

「ジュンとか言ったわね、貴方は人の心を踏みにじった最低の人だわ!」
「ジュンなんか大嫌いなのぉ~、蒼星石が可愛そうなのよぉ~」

そう言いながら真紅達は泣き崩れる蒼星石の肩を抱きながら部室を出て行った。

「そ、そんな……」

後ろでそう呟いた翠星石の声を聞きながら、ジュンは水銀燈の手の感触が残る頬に手をやった。

僕がバカだったよ、こうなることはある程度予測できたのに…
でも、彼女達に気付いてもらいたかったんだ…

そう思いながらチラッと翠星石を見てみる。
そこには彼女達が出て行った後を呆然と見つめる翠星石がいた。

「なぁ、翠星石…帰ろうか?」

優しく声をかけてみるが、そんな言葉も聞こえないのか、翠星石はただただ見詰めるだけ。

「なぁ、翠星石、今日はもう帰ろうか?」

ようやくジュンの声が耳に入った翠星石は言葉なくコクッと頷き、昼休みが終わるチャイムを背に2人は無言のまま校門を出て行った。

                    *

クソッ、どうすれば気付いてくれるんだよ?

家に帰ったジュンはベッドに寝そべり、天井のシミを意味なく見詰めながら考えていた。
一方、翠星石は思い出した記憶を頼りに自身がこの世で最後の時を迎えた場所でただぼんやりと自分のために飾られた花束をみていた。

もう翠星石はどこにもいけねぇのですぅ…ジュン以外の人間は翠星石を見ることも、感じることすらないのですぅ、翠星石はこのまま一人ぼっちになってしまうですかぁ?

こんな思いをするならいっそのこと記憶など戻らなければ良かった。
こんな考えすら頭をよぎりだした翠星石はグスンと鼻を鳴らして涙を拭いた。

そしてその夜、蒼星石は昼間ジュンが言った言葉が胸に支えていたのか、食欲もなく入浴で体を温めた後はすぐにベッドに入る。
電気を消し、真っ暗な部屋でいると目の前にあの日のことが甦る。

「危ない翠星石!!」

叫んだ声の直後に訪れた永遠の別れ。
その場面を悪夢という形で何度見て悲鳴を上げただろう。
どれほどの夜と時間を悲しみの涙で彩っただろう。
忘れようとしても目蓋の裏に焼きついている翠星石の死の場面を拭い去ることはできない。
特に今夜はジュンの言葉を思い出すと鮮明にあの日の事が甦ってきた。

翠星石、君が居なくなって僕の時間は止まったままだよ…会いたいよ、会って話をしたいよ、また翠星石のドラムを聴きたいよ…

叶わぬ願い、死んだ人間に会うことなどとうてい不可能であることは蒼星石本人がよく解っている。
そんなのは映画や小説の中だけでの話。
そう思うと胸は余計に切なくなる。
そしてギュッと目を閉じて無理やり眠ろうとした蒼星石の脳裏にある疑問が生まれた。

あれ? なんだか変だよ…
確か翠星石が死んだ時は周りに人はいなかったはずだよ…
だったらどうして桜田君はあんなに鮮明に翠星石の死の瞬間を知っているんだろう?
まるで僕が見た…と言うより翠星石が体験したような言い方だったよ…
まさかッ!!
いや、そんなはずはないよ、そんなのは本当に映画や小説だけの話だよね……

蒼星石は軽く首を横に振りながら強く目を閉じる、
それは脳裏に浮かんだ考えを否定するかのように。




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最終更新:2007年06月11日 22:01