その導火線に気づかない

01

「あれ?」
麻雀教室のドアに手を触れようとして、ちょっと首をかしげる。
そばにある、ちょっと小さな用具室なんだけど……何だか聞き覚えがある声がしたような。
「んん?」
土曜だからあまり人もいないし、でも今日は麻雀部も終わったから……
少し空いてた部屋のドアを、ゆっくりあけて、そーっと入ってみた。
「おじゃましまーす……?」
うーん、やっぱりちょっと埃っぽい……
「あ、玄さん」
夕焼けで真っ赤な、小さな部屋の中で、きょろきょろしてる穏乃ちゃんが、
振り向いて、
「……穏乃ちゃん」
開けたばかりのドアの端っこをぎゅっと持ったまま、私は、

あの日教室に入るときにも、考えてた、
いくつかね、いくつか考えてたんだけど、

あれ、なんだか暑い……。
ううん、お姉ちゃんじゃないんだから、春先からこんなこと言ってちゃダメだよね。
ぶんぶん首を振って、穏乃ちゃんに声をかけた。
「どうしたの? 先帰ったはずじゃ」
「あー、そうなんですけど」
穏乃ちゃんは頭をかきながら、
「今日練習でやったやつ、ずっと考えてて……でもちょっと分かんないですよね。玄さんか赤土さんに聞いとこうかなって」
「おお?」
今日は朝からずーっと打ってて、穏乃ちゃんも目、くるくる回しながら「しぬ……」とか言ってたのに。
「いやー、頑張るね、穏乃ちゃん」
「ふ、当然だ!」
でも、胸をはる穏乃ちゃんには悪いけど、私が教えたりするところってもうあまりないよね……。
どっちかっていうと、憧ちゃんとかのほうが良かったんじゃないかな。
「まあとにかく、玄さんのこと、探してたんですけど……。そしたら部室に何か、水入ったバケツがあって」
穏乃ちゃんは、そう言って、ちょっと口をとがらせた。
図書室に寄ってくだけだって言ってたじゃん、って呟くのも聞こえた。
穏乃ちゃん、私が一人で掃除してたのがちょっと気に入らないみたい。……可愛いなぁ。
「うーん、あのね、返してない本があったのはホントなんだよ?」
それで、ついでにちょっとだけ、あの……掃除でも、なんて。
「ま、部活の先パイが掃除してるんだもん。手伝ってもいいですよね」
穏乃ちゃんは少し笑って、持ってる雑巾をひらひらさせた。
「あはは、先パイって、もう、穏乃ちゃんてば」
でも、うれしいな。
先輩とかいっても、まだ穏乃ちゃん中学生なのに……うーん、でもそうだね、先輩後輩といえばそうなんだけど、
そう、なんだけど……先パイ……
「先パイかぁ……」
ちょっとぼーっとしちゃった私を心配してくれたのかな、ととと、と穏乃ちゃんが寄ってくる。
ひょい、と私の顔をのぞき込んで、
「どしたの、玄さん」
「なんだか、先パイって、ちょっと良いかも」
少し、どきどきする感じ……って、いうのかな。
「え?」
穏乃ちゃんの手を取って、引き寄せた。
「ね、もう一回言ってみてくれないかなっ」
「へっ?」
穏乃ちゃんは、目を大きく見開いて、手もびく、ってさせて、
「な、なにそれ?」
「おねがいっ!」
何だか、すごく呼ばれてみたい!
穏乃ちゃんは、困った顔してしばらく黙ってたけど、
「別に、そのくらいいいですけど」
「ほんとにっ!?」
「そ、そんな大したことじゃないじゃん……」
穏乃ちゃんはそう言って、こほん、と一つ咳をした。
「ちょっと先パイって呼ぶだけでしょ、ええと、」
「うんうん」
「く、玄先ぱ……」
ご、ごくり。
ぎゅっと穏乃ちゃんの手を握る。穏乃ちゃんもチラッと私の目を見て、
「う……」
パッと顔を赤らめてうつむいた。……あれ?
「あー、もう!」
「あっ」
恥ずかしそうに私の手を振り払う穏乃ちゃん、
「え、えええ、どうしてっ?」
な、何かヘンなことしちゃった?
すがるみたいに手を伸ばしたけど、ひょい、って避け、
避けられた……!
「し、穏乃ちゃん、」
「やっぱ、何か恥ずいっ」
ふいっ、と顔を背けると、そのまま大股で部屋を出ていってしまった……あーあ……
「呼んでくれるって言ったのにー」
がっくり……もう少しだったのになー。
そうだなあ、穏乃ちゃんだから、手をハイって挙げて、『玄先パイ、私も掃除手伝いますっ』って感じで……えへへ……
「先、教室行ってますっ」
外から、ちょっと怒ってるような声、
「はい……」
とぼとぼ、穏乃ちゃんを追っかけて部屋を出た。
まあね、私、先輩なんて柄じゃないよね、というか、先輩っぽいことした覚えがあんまり……ううん、そ、そんなことない……
例えば、えーとほら、例えば……くるくる考えながら麻雀部のドアを開けて、
――ひょい、と目の前にモップが差し出された。
「わ?」
びっくりして顔を上げる。穏乃ちゃんが、
「あー」
照れくさそうにふらふら視線を揺らして、ため息をついてから……ぶっきらぼうに言った。
「私も、そーじ手伝いますっ、玄せ、せんぱい」
「あ、そう、それだよっ、ありがとう穏乃ちゃん!」
ぱん、と両手を合わせて、笑っ、
……。
「き、聞こえてた?」
「……まあその、耳には自信があって」





02

掃除っていっても、今はみんなでやってるし、やることなんてほとんどないんだよね。
また付き合わせちゃったりして、悪かったかも……。
横目でこっそり、穏乃ちゃんの小さな背中を見つめてみる。
教室のサッシをせっせと拭いてる穏乃ちゃん。

……この前の、どう思ってるのかな。
全然いつもと同じに見えるけど、気にしてないのなら、いい、のかな。
何だかふらふら揺れる視界のなかで、穏乃ちゃんの背中が大きくなってるのに気づいた。
ううん、もちろん、ふらふら近づいてるのは私のほうなんだけど。
何だか、吸い寄せられてるみたい。さわりたいなぁって……思って――

いくつか――いくつか、考えてた、と思う。
例えば…そう、穏乃ちゃんや憧ちゃんが友達と打ちたいってなったらここ便利だろうな、とか。
ここで、また、みんなと麻雀できたらなぁ、とか。
そしたら、私も……また……
あの日も、そんな風に考えながら、教室の――

真っ赤に染まった麻雀部屋の中で、穏乃ちゃんの背中にそっと指を伸ばす。
とん、と触ってみた。
「ひっ!?」
そんな声が上がって、背中がぴん、と伸びる。
そのまま、つつーっと指でなぞって、
「ひああああぁあああっ!?」
「わあっ!?」
わ、わ、穏乃ちゃん、しりもちついちゃった……!
「飛び上がるのと振り向くのと、いっぺんにやろうとするから……!」
うずくまった穏乃ちゃんは、いたた……って呟いてから、ぱっと顔を上げた。
「って、玄さん、いきなり何すんの!」
キッと涙目で睨まれて、可愛いだけで全然怖くないけど……
えーと、えーと……何であんな事したんだろ、私。
穏乃ちゃんに触りたくて、それで……
「な、なんとなく……?」
「……へー」
穏乃ちゃんがゆらり、と立ち上がる。
あ、ちょっと危ない感じ……。
「何となくなんだ、そーなんだ」
なん、なんで両手わきわきさせてるの、かなぁ……?
「私、背中弱いんですけど……玄さんは?」
あ、あう……
「ええと、ええと……わざとじゃ、」
穏乃ちゃんの顔、影になって見えない……やっぱりちょっと怖いかも……!
「玄さんの、弱いとこは、どこ?」
うう、ちょっと泣きそう……
「お、おなかと胸の間くらい、とか、です……」
「そうなんだ。じゃ、」
穏乃ちゃんの手がぴとって触れて、
「ひ、」
「この辺?」
「そ、」
そこダメ、そこダメ、ほんとダメ、
ぶんぶん首振ったけど、ああでもダメだ穏乃ちゃん笑ってるもん――
「うりゃ」
穏乃ちゃんの指が、くりっと動いて、
――ぁ、
ぶわ、ってしたよ、ぶわって! 身体中から鳥肌が立ったみたいなあの感じ。
よく分からないうちにかくん、と身体が折れ曲がって、穏乃ちゃんの首筋に顔が埋まって、
「では行きます」
「や、」
どき、とするヒマもなかった。
穏乃ちゃんが、指を立ててぐりぐりーってしてくるのが、分かっ、分か――ひ、
ひえ、
「ま、待って穏乃、穏乃ちゃんちょっ――」
身体ひねって、いや勝手によじれたっていうか、逃げようとしたけど穏乃ちゃん、あああああああ、
「ぐりぐりぐりぐりぐり」
「ひあ、あははははっははは、ごめんごめんなさ、ししし穏乃ちゃんおねがいおねがいおねがい許して許してーーーー!」
穏乃ちゃん、目、目がきらっきらしてる、楽しんでる、楽しんでるよ!
「まあまあ、もうちょっと、もうちょっとだけ」
「もうちょっとってな、何、あは、あはは、」

ろっ骨のまわりをわきわきされたり、

脇の下をつんつんされたり、

首筋をかりかりされたり、

し、穏乃ちゃんが楽しそうにし、してるからいい、いいんだけど、あ、あはははは、
ひ、い、息、できなくなってきた、よー?
「も、もうやめ、やめ、やめてへええあ、あはははははっは、ひ、ひあ」
いつのまにコろんでたのかわか、んないけど、しず、穏乃ちゃんが乗っかってて逃げられな、に、あ、あはは、あ、
「反省しました?」
「したしたしたしたしたよーーーーーー!」
脇腹のあたりでぐりぐり動いてた指が、や、やっと止まっ……。
「じゃ、こんなとこで許してあげます」
穏乃ちゃんがそう言って、いたずらっぽく笑ってくれた、
って、し、死ぬかと思ったよ……
「は、はぁ、はぁ」
まだ、なんだか脇腹のあたりにくすぐられた感触が残ってる、ような。
「うう、やりすぎだよ、穏乃ちゃん」
私、かるく背中つつーってしただけなのにー。
ちょっと睨んでみると、穏乃ちゃんも苦笑いしながら頭をかいた。
「あ、あはは、すみません、なんか、途中から楽しくなっちゃって」
だと思ったよ……
「でも、玄さんが、いきなりヘンなことするから」
「わ、私、別にくすぐったりするつもりじゃなかったんだよ」
私に馬乗りになった穏乃ちゃんが、ちょこん、と首をかしげた。
「そうなんですか?」
そう、穏乃ちゃんに触ってみたくなって、それで……ああそうだ、
「その…背中にね、ちょっとこう、書いてみようかな、って」
「あー、何て書いたか当てるやつ……うう、私、背中はムリだー」
穏乃ちゃんは、首を傾けたまま、
「でも、なんて書こうとしたの、玄さん」
「ええと……」
あんまり考えてなかったけど……でもあの時の気持ち的に、
「そうだね、やっぱり、す、」
……。
こ、この体勢でいうの、ちょっと恥ずかしいかも。でも。
大丈夫、だよね。この前のも、穏乃ちゃん、忘れて……ううん、気にしてないみたいだし。
もう一回、もう一回だけ。
「その、好き、とかそういう感じのやつ、かな」
「う」
――穏乃ちゃんは、顔を赤くして固まった。
「す、好き……」
あ、これ。
これ、やっぱりだめかも――何か言おうとして、口を開いて、でも何も出てこない、
「そ……掃除、します」
「う、うん、そうだね」
穏乃ちゃんは、のろのろと私の上から降りて、ほっぽり出されてた雑巾を拾い上げて、てくてくバケツまで歩いていって、そのまま、ぽちゃん、と雑巾を投げ込んで、
ほら何か、いわないと、
「し、穏乃ちゃん、私、」
「……玄さん、この前ここに来たときさ」
心臓が、どくんって鳴った。
「ほら、二人で忘れ物しちゃって、それで、ここに取りに来たとき」
「……穏乃ちゃん」
穏乃ちゃんが、あ、と小さく呟いて、両手の指をくるくる絡めながら、
「えと、すみません、別に忘れてたわけじゃないんだけど」
そう、そうだよね。あんなの忘れるわけ、ないよね。
穏乃ちゃん、どうすればいいのか、分からなかったんだ。
「あ、あれはね、穏乃ちゃん」
今とおんなじ感じで、夕焼けの中で、あの日の麻雀教室で、穏乃ちゃんといたから、
二人きりだったから、
「何というか、その、ぽろっと出ちゃっただけ、っていうか」
「そう、なんだ」
開け放った窓、風でカーテンか少しこすれる音とか。
遠くで、カラスみたいなのが鳴いてる声がする。
こんなのが聞こえるのは、
あんまり、よくない、と思う。
「ほ、ほら、掃除しよ、掃除。もうちょっとだよっ」
なんとか唇の端っこを持ち上げて、なるべく明るく言ってみる。ちょ、ちょっと無理矢理だけど……
「そ、そうですね」
穏乃ちゃんも慌てたようにいって、雑巾を乱暴に絞った。そのまま、近くの棚に走って行って、
ふと立ち止まって、こっちにちら、と振り返った。
「玄さんはさ……」
「穏乃ちゃん?」
首をかしげて、私も穏乃ちゃんの方を見た。
穏乃ちゃんはぶんぶん首を振って、
「な、なんでもない!」
えええ、なんだろ、気になるけど、
「そ、そっか」
気になるけど、ムリに聞くわけにもいかないし……。
うん、私も、掃除にもどろ。もう少しだし……モップ濡らして、床に付けて、

やっぱり、失敗しちゃったかな、って。

じわ、と、ちょっと視界がゆがんで、慌てて目をこすった。
仕方ないよね。言っちゃったんだもん。それにほら、あまり意識しないようにできてたよ。
でも、
ときどき気まずくなっちゃうのは、やっぱり……。
昔だって普通に可愛いなーって思ってたけど、楽しかったのにとか、
なんであんな事言っちゃったのかなぁ、とか、
思って、
し、
「穏乃ちゃん!」
穏乃ちゃんが、びく、と肩をふるわせて振り向いて――思わず叫んじゃったんだ、って気づいた。
ど、どうしよう穏乃ちゃん驚いてる――何か、何か、ええと、
「きょ、今日って、」
何言ってるのかも分からない、
「きょ、今日って、いいいい、いい天、き……」
「……ええと」
な、何言ってるんだろ、そんなのみんな知ってるよっ、
「ご、ごめん穏乃ちゃん間違えちゃった、そうじゃなくってあの、」
もう、もう泣きそう……!
穏乃ちゃん、うつむいちゃってるし、肩もちょっと震えてるし、何も言ってくれないし――
あ、あれ?
「……穏乃ちゃん?」
おそるおそる近づいて、横からそっと、顔をのぞきこんでみる。
小さな口が、少し動くのが見えた。
「……だ」
だ?
「だーーーっ! だめだ私こーいうの!」
え、ええええ!?
そう突然叫んで、雑巾も放り投げて、
「し、穏乃ちゃ、」
「玄さん!」
「は、はい!?」
勢いよく振り向いた穏乃ちゃんに、思わず背筋がぴん、と伸びて、
「あのっ……やっぱり、つきあいたい、ってことでいいんだよね!」
からん、って音がした。多分私の手からモップが滑り落ちたんだと思うんだけど、あの、
「えと、え、」
あれ、あれ、えええ!? つ、つきあ……
「そ、そこまではっ! で、できたらいいなってくらいでっ!」
嘘だけど、穏乃ちゃんは気にも留めない、
「でも私、つきあうってどういうのか、よく分かんないんです!」
「は、はい……」
穏乃ちゃんは、ふぅ、って一息吐いて、ちょっとだけ肩を落とした。
「あの、穏乃ちゃん、私ね、」
何か言おうとしたんだけど、あ、頭がぐるぐるしちゃって……。
穏乃ちゃんは、ほっぺたをかきながら、
「なんていうか、私、そういうの、やってみないとよく分かんない」
「そうだ、ね、……え?」
「だから、あの……まずは、つきあうっていうの、やってみたいな、って」
ふ、ふむふむ、なるほど、なる、な……?
「し、しず、穏乃ちゃん?」
さっきからいっぱいいっぱいで、もう、もう何がなんだか、
「あの、あの、穏乃ちゃん、何を、」
「ごめん、やっぱダメかな? こういうの」
穏乃ちゃんは、そう言って不安そうに首をかしげた。
そん――
「そんなわけないよっ!!」
あ、
「じゃ、じゃあ玄さん――」
ううん、違う、違うよ、反射的に言っちゃったけどそうじゃなくって!
胸に手を当てて、一回深呼吸した。
ここは、ここは先パイとして、よく考えさせないと。
穏乃ちゃんの肩に、手を載せる。穏乃ちゃん、顔真っ赤にしちゃって可愛いなって、
ぶんぶん首を振って、何とか、声を絞り出した。
「でもね、だってそんな……ほ、ほんとにいいの? こういうのは、」
「私、玄さんのこと、好きだよ」
はぅ!?
頭をバットで思いっきり殴られたみたいな、
そんなことされたことないけど、だって何だかくらくらするし……!
「それ以上うだうだ考えても、私、わっかんないよ」
で、でも――
「こ、恋人になるって、ことなんだよ?」
「――っ、そう、ですけど」
じゃあ、じゃあ……
だっ……だめっ! だめだってばっ、絶対、穏乃ちゃんよく分かってないもん!
私はぎゅっと穏乃ちゃんの両手を握りしめて、さらに言いつのった。
「ちゅ、ちゅーとか、してもいい……の、かな」
――あれ、
「いっ」
ぼっ、と穏乃ちゃんの顔から火が噴いて、そのまま、うつむいちゃって、
「し、穏乃ちゃん」
違うの穏乃ちゃん、な、何で!? 何だかぜんぜん、考えたとおりにならない、
「え、と、それは、」
そっと、穏乃ちゃんの様子をうかがう……や、やっぱりちゅーはムリかな……?
「……いいよ」
「え?」
穏乃ちゃんは、腰に手を当てて、むん、と胸をはって言った。
「いいよ! 当たり前じゃん!」
……顔は真っ赤なままだけど。
今だって、今だってちゃんと、頭の中で色んなセリフが流れたりしてるの、
穏乃ちゃんの初めてなんだから、ちゃんと考えてあげないと、とか、ムリヤリお願いしたみたいでちょっとずるいとか、せめて明日くらいまで考えさせてあげたら、とか、
――早くキスしたい、
「じゃ、じゃあ……」
穏乃ちゃんの腰に手をまわして、引き寄せる。
向かい合わせでぴったりくっつくと、なんていうか……ホントに、
「ち、小さい、ね、穏乃ちゃんて」
「ああ…うん、まあ」
唇も、小さい感じ。
「あ、あ、あの、穏乃ちゃん、ホントにするよ? 冗談とかじゃないよ?」
「わ、分かってる……」
穏乃ちゃんはそういって、ぎゅっと目を閉じた。
い……いいのかな、ホントに。
穏乃ちゃんに、そっと顔を近づけながら、すぐ目の前にある唇を見ながら、もし穏乃ちゃんが身を引いたらやめようとか、思って、思っ、あ、ごめんね穏乃ちゃんやっぱり止めるとか絶対ムリ、
「んぅ」
穏乃ちゃんの唇を、そっとふさいだ。





んー、あのね、穏乃ちゃん。私、よく覚えてないんだけど……
窓の風が、ちょっとだけ暖かくなってたこととか、だいぶ深くなってた夕暮れの色とか。
私の背中で、ぎゅっと服を握りしめてた穏乃ちゃんの手とか、遠くで鳴いてた鳥の声とか。
覚えてるのって、そんなのばっかりで、あ、あれ、穏乃ちゃん、顔赤いけど大丈――





Fire !1

03

「おかしいな……最初は結構、ロマンチックな感じだったはずなんだけど」
しずが、雀卓で難しそうな顔をして、ついでに首をひねりながらそんなことを言った。
「マジで」
持ってきた袋をごそごそ探りながら答える。
今日は、気分転換にちょっとだけお遊びいれてみようってことになったんだけど……
「ええ!? 今も私、凄くどきどきしてるよ?」
「ねえ玄さん、さっきからずーっと私の胸突っついてるのは何で?」
あー見えない聞こえない……ええと、巫女服、と……うん、特に忘れたものもないか。
「……大きくならないかなーって」
「いい加減、あきらめてよ、それ」
うう……とうめいて、玄がすごすご指を引っ込めた。
――もう高校生になったのに何でかなぁ、おかしいなぁ、私毎日毎日ちゃんと……おもち…おもち……
何かぶつぶつ言ってるけどあーあー聞こえない、聞こえないってば。
「っていうか、しずの胸が膨らんだらキモくない?」
ちら、としずの方に目を向けてみる。
紙パックの牛乳をちゅーちゅー吸いながら手元の牌をイジッてて、
……いつものことだから気にしてないな、これもう。
「そんなことないよ! しずちゃんの胸が大きくなったら私、私――」
「あーーーごめんストップストップ、別に聞きたくない」
ぱたぱた手を振って、玄を遮った。
そんなグイグイ迫ってこられても、そもそも想像がつかないし。
しずが牌を指できゅっきゅ拭いながら、ぼそっと、
「別に胸とかどうでもよかったけど、毎日つつかれてため息吐かれると大きい方が良いのかな、って気分になるよね」
――背はもうちょっと欲しいけど。
何か呟いてるけど……あんたも大概あきらめが悪いと思う。
しずが、くるっとあたしに向き直って首をかしげた。
「どうすればいいの?」
「知らんがな」
あーあ、灼さんたち、まだかなー。





「ごめん、ちょっと遅れた」
「あ、おはよー灼ちゃん」「おはようございます!」
少し息を切らせながら入ってきた灼さんに、笑いながら手を振った。
「おはよ、灼さん。珍しいじゃん」
いや、別に、言うほど遅れてるわけでもないんだけどね。
「そうかな……えっと、あと宥さんだけ?」
「お姉ちゃんはお手洗いに行ってて……でも、もうちょっとしたら戻ってくるんじゃないかな」
宥姉は玄と一緒に来てたんだけど、あんまり、というか全然頼りにならないし、むしろ三人であたしの血糖値をどうするつもりだって、
「憧、どした、頭押さえて……頭痛?」
「うん。それにお肌もカサカサになるっていうし、困ったもんねって」
しずのほっぺたをつまんで、思いっきり引っ張ってやった。
「な、なんひゃそれ……いひゃい、いひゃいって……あれ、」
あたしの手を払いのけて、しずが、きょろきょろ周りを見回した。首をかしげる。
「灼さん、赤土先生は?」
「なんで私に聞くの。……試験問題作るのに死にそうになってて、遅れるみたいだけど」
「ちっ、それは残念ね」
ハルエに学校の制服とか着せてやったら面白いって思ったのに。
まあ、めったに勝てないんだけど。
「ん、そういえば、昨日椅子かたづけちゃったっけ」
「あっ、すみません灼さん、いま持ってきます」
「あ、う、うん。ありがと。じゃあ宥さんが戻ってきたら始めようか」
しずが、とてとて、向こうに転がってる椅子の方に走っていって、
ふと立ち止まった。
「あ、宥さん、戻ってきたかな」
「え?」
言われて、教室のドアに目を向ける。
しばらくすると、ドアがそろそろ開いていって、宥姉がちょこんと顔を出した。
「ごめんね、おまたせ……あ、灼ちゃんだ。おはよ」
「うん、おはよ」
しずって、ほんと無駄に目とか耳とかいいよね……。
「別に無駄じゃないし」
「ちょっと、頭の中のぞくの止めてよ」
「中じゃなくて、顔に書いてるの見ただけ」
からから椅子を引きずりながら、しずが口をとがらせた。





「で、私はまあ、これ持ってきたんだけど」
あたしが一位になったら、最下位の人にこの巫女服を着せられる……って感じでいいのかな。
適当なお遊びだし大してルールなんて決めてないけど。
「あ、やっぱりそうなんだ」
玄が、うれしそうに笑った。頭の中でしずに着せてるのは間違いないと思う。
「まったく、憧はひねりが足りないなーもっとこう、面白いのをだなあ、」
「うっさいっての」
それならタコ糸にしてやってもいいんだけど? すっごい狙われてるとこ悪いけど。
いや、ネタでね。ネタで持ってきたんだけど……ハコにされたくないから止めとくけど。
「私、仲居の服……」「私も玄ちゃんと一緒……あ、マフラーもつけようかな」
でも、うーん。
「分かってたけど、あんまり緊張感出ないね」
「この前、さんざん着たしね」
灼さんがそう言って肩をすくめた。
しずも足下の紙袋をぽんぽん蹴りながら、
「あはは、私もいつものジャージしかないや」
「ア・ン・タ・だって、何のひねりもないじゃないのよ!」
だから今日制服だったんだ……休みなのに珍しいな、とは思ってた。
「いや、だって面白い服なんて持ってないしさ」
「あーあー、そうよね……せめて水着縛りとかにしとくべきだったかな」
「み、水着……」
玄が赤くなってうつむいた。恥ずかしいとかじゃなくて、頭の中でしずに着せてるのは間違いないと思う。
灼さんがため息をついて、
「クロ、自分が着ることとか考えなよ、やだよ、教室で一人水着とか」
「まあね……確かにあんまり危な、い、の……」
ん? 危ない……あれ、何か、いつも危ない危ないって思ってたのがあったような……
「し、穏乃ちゃん」
「はい、なんですか?」
あ、そうだ、しずのジャージだ。
って、え、ジャージって、いつもの? しずサイズの?
宥姉が真っ青になりながら、多分寒い寒くないの心配してるんだと思うけど、いやそれ以前に、
「あの、あの、穏乃ちゃん、その、下は……持ってきた?」
しずは、首をかしげて、不思議そうに言った。
「下」
ちょっと、何その、きょとんとした顔……。
「だからほら、しず、ジャージの下よ。ズボン。あるよね」
「いや、もうどこいったか分かんないし」
……へぇ、そうですか。





「はい、じゃあ穏乃、これ」
灼さんが、ひょい、とエプロンをしずの首にかけた。
「うぅ……ありがとうございます」
しずが肩を落としながら、後ろ手でごそごそエプロンを留める。
なんか、台所とかでこういうのやりそうだよね。
ま、エプロンっていってもでっかいボーリング場のロゴがついてるし、そもそもしずが台所で料理なんて……
「……なんか、悪くないかも」
「え、憧ちゃん?」
あ、あれ? いや、
「な、何となく、何となくね、しずなんて一生エプロンなんか着ないだろうし、たまにはね……!」
って、玄に詰め寄ったって仕方ないでしょ、あたし!
「え、え、あの、よく聞こえなかっただけで、その」
あたしたちの不毛な会話を聞いてたのか聞いてないのか、しずは……ふと、卓の上に目を落として言った。
「ねえ灼さん、あの二萬さ……」
お。
「ん、どうかした、穏乃」
「んー、んー?」
しばらく、卓上を見ながら首をひねってたけど、結局、
「いや、なんでもないです」
そう言って、ぽとんと椅子におしりを落とした。



「……それでオリたりするっけ、憧って」
「んー、まあ別におかしくないんじゃない?」
目を疑り深そうに細めて、しずがブツブツ言う。
「玄さんだって、あそこで振り込むかな…いつもなら……」
その玄は、しずの後ろにくっついて何か肩をもみもみしてるけど……。
「玄ちゃん、何してるの?」
仲居服を抱えて二人の側に立ってる宥姉が、首をかしげた。
「え? えと……そうだ、ケアだよっ、しずちゃんが肩こりになったら困るから……!」
「しずはいろんな意味で肩こりとは無縁だと思うけど」
どーいういみだー、とふにゃふにゃした声で呟いてから、手をひらひら振った。
「玄さんは最近触りたがりなだけです」
「う……」
宥姉があはは、と笑って、しずに服を渡した。ついでに、マフラーもくるくる巻き始めた。
「暑い……」
「穏乃ちゃん、その服、ちゃんと着れる? 手伝うよ?」
「だいじょーぶですって、宥さん。バイトのとき教えてもらったし……ありがとうございます」
そういうと、仲居服を抱えてひょい、と椅子から立ち上がった。玄がちょっとびっくりして、しずから手を離す。
「じゃあ準備室行って着替えてきます……」
「別に、ここで着りゃいいじゃない」
「いや、一人だけ脱ぐのって、何か微妙に恥ずいだろ」
まあ、そうかもしれないけどね。って、玄、なんで付いていってんの。
しずが振り向いて、とん、と玄のそばに寄った。
「玄さん、どうかしました?」
そう上目遣いで言って……えーと、そんな近く寄る必要あるの、それ?
「あ、あのね。何というか、ほらしずちゃん、途中で着方わからなくなるかも……?」
しずはとたんにジト目になって、
「……だから?」
着付けなら、あたしももう知ってるから手伝えるよね、とか言ってやろっかなー。
宥姉が、手を口にあてて、ちょっと笑いながら、
「玄ちゃん、ちょっと無理があると思うな」
「ええっ、そうかな? じゃあ……」
玄は、こほんと咳払いをして、それからグッとこぶしを握って言い放った。
「いっしょに着替えたいです!」
……知ってるって。
うぐ、と喉の奥でうめいて、しずが仲居服をギュッと抱きしめた。
「こ、これでどうかな?」
「これから先、正直こそ美徳、みたいな言葉聞くたびにさっきの玄思い出すだろうなって」
宥姉が玄の頭をぽんぽん撫でながら、ええと、どこに褒める要素があったのか全然分かんないんだけど、
「でもやっぱり、そんな感じがいいよ、玄ちゃん」
「いや、よくないって」
ため息をついて、宥姉の肩をはたいた。
「えと、まあどうしても分からなかったら呼ぶかもしれないですけど」
しず、目ちょっと泳いでるけど……。
「それなら最初から一緒に、」
「いいってっ!」
少し顔を赤くして、玄の手を振り払った。
ほら、だめじゃん。





04

「じゃ……じゃあ、これで……」
「あ、ごめんそれロン」
しずは、とうとう牌を放り投げて叫んだ。
「いやもうおかしいだろ! なんでわざわざ山越しなんだよ!」
う、やっぱりしず、結構怒ってるか……まあ、朝から仲居さんにされたり巫女にされたり、仕方ないけど。
「ええと、合わせて捨ててくるかなーって思って」
「そうじゃなくって、まだ東場始まったばっかりじゃん」
ちなみに、今は巫女さん。
玄の顔がどんどん赤くなってってるのが気になるんだけど……微妙に頭がふらふら揺れてるし……。
「っていうか、みんな私ばっか狙ってない?」
狙ったっていうか……。
「あんまり穏乃に勝たせたくない空気があったことは否定できない」
「そうそう、そんな感じ」
しずは、目を白黒させながら、ふるふるあたしを指さして、
「なな、何で……」
ええと、何かヘンなスイッチが入りそうだから、その顔やめてほしいなー、なんて……
「ご、ごめんね、穏乃ちゃん……」
「いや、宥姉はそういうけどね」
あたしはため息をついて、
「あんなジャージ着たら宥姉、死んじゃうでしょ」
仲居服着せられて歯をがちがち合わせてる宥姉を見ながら、肩をすくめた。
「そ、そういうのはもっと早く言ってよ、もう昼過ぎじゃん……うう、玄さぁん」
よろよろ玄んとこに寄っていって、その膝に崩れ落ち……っていやちょっと待、
「~~!」
ぎゅーっと目を瞑って手をぐっぱぐっぱしてるのは……耐えてるんだろうな、いろいろと……。
「というかさ、さっきまでアンタのこと一番毟ってたの玄だった気がす」
「で、でもねしずちゃん! 私とか憧ちゃんとかお姉ちゃんとか、あの……やっぱりしずちゃんの服は、」
灼さんが、すかさずボソっと付け加えた。
「いや、私だってちょっとハミでる」
「灼さんなら大丈夫ですよ! いやそうじゃなくて、別に羽織るだけだっていいよ」
しずが、玄の膝から顔をあげて口をとがらせた。
「ま、そうなんだけど。つまんないじゃない。しずが皆の猛攻をばっさばっさとなぎ払ってれば、」
「むちゃゆーな」
半眼でそんなこと言ってくる。いや、そろそろ玄の膝から離れなさいよ……。
しかも何か、玄の膝の上でブツクサ言いながらごろごろしだして、
「し、しかたないな、もう……」
しずの着せ替えも楽しんだことだし、ここはあたしが一肌脱いでやるか。そろそろ玄が溶けそうだし。
ええと、例のブツは……お、あったあった。
「はいはい、皆ちゅうもーく」
「あー?」
しずが、目を細めて顔を上げる。他のみんなも、
「って憧、何持ってるの、それ」
「いや、見たら分かるでしょ。タコ糸」
「タ、」
宥姉がぶんぶん首振ってるのはこの際無視!

「あたし、やっぱこれにするわ」

「……」
遠くから吹奏楽部の演奏が聞こえる……あー、なかなか上手ね、まあ頑張って、
ってみんな、そんないっぺんに黙り込まなくてもいいんじゃないの?
「えーと、憧、質問だけど」
「はいどうぞ、灼さん」
「何をどれにするって?」
「だから、私が勝ったら、負けた人にコレ着てもらうってことだけど」
灼さんは、目を閉じて額をぐりぐりし始めた。なんか、ぽくぽく、って音が聞こえてきそう。
「どうやって着るの」
「……巻き付けて?」
――ふ、ふふふ……
地の底から響くような昏い笑い声、
「おもしろいじゃん」
「し、しずちゃん」
玄の膝からゆらり、と身を起こしたしずに、あたしもフッと笑ってやった。
「どーよ、あんたもこのままじゃ収まらないんじゃないの」
「ああ、そーだよ」
しずは、ぶんぶん腕を振って、
「もう絶対、みんなにジャージ着せてやるっ!」
そうそう、やっぱりしずはこれくらい負けん気がないとね。
あたしだって、
「――と」
ん?
「しず、何か言った?」
「え、いや、ありがとって」
「え……」
動きを止めて、拳を唇にあてて首をかしげる、しずが、
「あれ、気使ってくれたんじゃないの?」
ど、
「どーだかねー? しずのその巫女服がタコ糸にならなきゃいいけど」
しずは、ふん、と鼻から息を吐いて、
「そう簡単にいくか。でもほら、嬉しかったしさー」
はぁ、もう。
「あんた単純すぎ」
とか言いつつ、頭をなでてみたり。
「……何すんの」
「いや、なんとなくね」
ん、あれ、何か顔が熱いような、
「じゃ、」
ガタン、って思いっきり椅子を蹴ったてる音がして、
「じゃあ私も服変えるよっ!」
「玄さん?」
玄は、さっきから震えたまま一言も喋らない宥姉をちら、と見て、
「私ね、お姉ちゃんの付けてるみたいなマフラー、しずちゃんに似合うんじゃないかな、ってずっと思ってて……」
マフラー、うーん、マフラーか……
「あー、でも確かに、似合うかもね」
「そ、そう? へへ……」
しずが、てれてれ頭かいてるけど……いや、いいんだけど、あのさ、
「穏乃、この流れだとマフラーだけ着ることになるんだけど分かってる?」
「あ、灼ちゃんっ、しーっ、しーっ」
しかもさっきの玄、やっぱりしず狙いますって言ったようなもんよね。
じーっと玄を見つめるしず。
玄は一通りおろおろしたあと、何故かしずを抱き寄せた。
……テンパってる、テンパってる。
「まあ、玄さんだし、こんなもんだと……」
「いや、うん。穏乃がいいならいいんだけど」
「あ、あのぉー、みんな」
宥姉が手を挙げて、……手、かたかた震えてるけど……
「じょ、じょ、冗談だよね? ね? 穏乃ちゃんも羽織るだけでいいって、」
「宥姉……」
ぽん、と肩を叩いて言ってやった。
「ドベにならなきゃいいのよ」
「……あう」
宥姉は、かっくんかっくん揺れながらしず(と玄)のほうに寄っていって、
「穏乃ちゃん、は、羽織るだけでいいって、」
「宥さんも、さっきまでずーっと黙って私のこと削ってましたよね」
「く、玄ちゃんが喜ぶかと思って……」
しずは思いっきり息を吸い込んで、
「知るかーーーーー!」
「ま、まあまあ、しずちゃん」
玄の腕の中でばたばた暴れるしず、今から思うと、

うん、玄にエサ与えすぎてたな、と思わなくもないのよね。





Fire ! 2

05

現実は非情である、とかなんとか。
いや、あんまりにあんまりだったし、一応それなりに手は尽くしてみたんだけど。
なんというか……
しずの後ろで、手牌をのぞき込んでる灼さんの顔をちょっと確かめてみる。
「結構、ポーカーフェイスうまいよね、灼さん」
「まあね」
「ちょい黙って」
しずが、ぷるぷる震える指で、手牌をつまみ上げた。
今度玄に振り込んだら、飛んで終わるなコレ。
というか玄がツモっても飛ぶけどね。玄、また真っ赤っかの7とか8とかワケ分かんないこと言うと思うから。
もう手が付けられないです、はい。
「こ、」
しずが、玄をキッとにらんで、手に持った牌を、
「これだぁ!」
……。
「あ……」
「ここで、豆腐デスカ」
「まあ、もうそれくらいしか」
しずは、引きつった顔でギギギとこっちを向いて、
「遠慮せず合わせてくれていいよ、憧」
あたしは、肩をすくめて言った。
「残念」
「あはは……♪」
く、玄?
おそるおそる玄の様子をうかがう。しずもびくっと体を揺らして玄を見る。
玄は、となりの宥姉にくっついて……静かに、マフラーをくるくる取り始めた。
「玄ちゃぁん、寒いぃ」
「ごめんね、お姉ちゃん。一つだけ、一つだけだから、お願い。ね?」
……一つだけね。
「うん、玄ちゃんのためならガマンする……」
ぎゅっと身を縮こまらせる宥姉に、ちょっとクスリとしてしまった。
「ほのぼのとする姉妹の会話ね」
灼さんも、腕を組んで言う。
「なごむね」
「なごまないよ! 憧、憧、早くツモ、」
しずにガクガク体揺すられながら……あー、うん、マフラー…
マフラーね。マフラーだけ付けたしず……
「ちょ、聞いてよ憧、なんで赤くなってんの!?」
「しずちゃん」
しずは、かきん、と固まってから……玄のほうにゆっくり振り向いて、
「く、玄さん、その」
玄は、マフラーを胸に抱いて、照れたように笑った。
「ごめんね、ロンだよ」





「ねえ穏乃、ほんとにやるの」
「お……女に二言はないです!」
とか言いつつ、さっきから巫女服に手をかけたままなんだけど。
「ほらほら、手、止まってるじゃない」
「う、うっさいな、分かってるよ、ちょっと玄さん邪魔です」
しずにぴったりくっついて、きらきらした目で凝視してる玄はともかく……
こんだけみんなに注目されてると、やっぱりこいつも恥ずかしいのかな。
「でもさ、しずっていつも裸みたいなもんじゃない」
「なんでだよ、ちゃんとジャージ着てるだろ」
「ちゃんと」
ってどんな意味の日本語だっけ?
首をひねってる間に、しずが巫女服をぐい、っと引っ張って……
って玄、そんな前に出たら、
「だ、か、ら、邪魔だって! 玄さん、ちょっと向こう向いてて」
「なっ、なんで私だけっ!?」
「がっつきすぎだってば」
まったく、今さらしずの着替えなんかによくそこまで熱心になれるもんよね。
ちょっと思い出してみればいいのに、玄だって昔からざんざんしずの見てるくせして、
ああほら、最近だってバイトの時にさあ……あれは結構、
「憧」
ぽかーんとしてこっちを見てるしずと目が合った。
「な、なによ」
なんなの、その微妙な表情。
「……ちょい目つぶってて」
「え、あたしもっ!?」
頭にふわふわした感触、振り向くと、宥姉が困った顔であたしの頭を撫でてて、
耳元で小さく、
「憧ちゃん、あの、すごい目してるよ?」
「うえっ!?」
な、なに、すごい目って……って、あれ?
えと、目の前が真っ暗なんだけど、あれれ?
ふーっ、後ろからため息が聞こえた。
「ま、ちょっとガマンね」
「あ、灼さん、ちょっと離して、あたしは別に……!」
「くそー、どいつもこいつも……絶対後でからかうつもりだ……」
しずのぶつくさ言う声と、服を脱ぐ音が、
「いやいやいやいや、どうせ素っ裸になるのに、脱ぐとこだけ隠してどうすんの!?」
「そ、そうだよっ、ぜんぜん意味ないよっ」
「いーから、黙っててってば! つーか、玄さんは向こう向いててって言ったじゃん!」
「うわ、玄ズルいっ!」
「だって、だってぇ……」
ま、まあ別にどうでもいいんだけど、スル……って服がすれる音が聞こえて、
ていうか、こっちのほうがヘンな気分になるような、
「ええと、脱いだけど。んで、マフラーだっけ……すみません宥さん、クリーニング出して返すから……」
「えええ? 何言ってるの、そんなの全然いいよ、ほらほら、くるくるー」
「あ、あはは、マフラーくらい自分で巻けますって」
しずの声が照れたように上ずって、下の方から玄の、うう…といううめき声が聞こえた。
「え、玄どこにいるの」
「憧ちゃんの足下でうずくまってるよ……」
はぁ。それは残念だね。
「よし、できたっ ……どうですか」
「いや、見えないんだけど」
「憧には聞いてないし」
んだとー。
「まあ、なんというか」
耳元で、灼さんが静かに言うには。
「普通にヤバい。18禁」
……へぇ。
「私は、可愛いと思うけど。で、でもちょっと寒そうかなぁ」
宥姉の可愛いってあんまり当てにならない気がするけど。
「ていうか、終わったなら離してよ、灼さん」
「ああ、そうか、ごめん」
目を押さえてた手がそっと離れて、目の前がちょっとひやっとした。
そっと薄目をあける。っと、まぶしいな……ええと、しずは……し、
「あ……」
「ス、ストップ。憧待って……笑わないでよ、頼むから」
あ、あれ……
何だか脚に力がはいらな、
「ってちょっと、どうしたんだよ、いきなり座りこんで……大丈夫?」
「い……いや大丈夫、大丈夫だから来なくていいから」
灼さんの手を借りて、何とか立ち上がった。
「ね、18禁でしょ」
「な、何のことか分かんない」
しずの裸なんていくらでも見たことあるし、マフラーだけって何か間抜けっぽい感じ?
だいたい、だいたいね、
「しず、着替えの時とか、ほとんど身体隠さないよね? 何で隠すの?」
「……お前、教室で裸になるのと更衣室とかで裸になるのと、一緒だと思ってんの?」
モゾモゾしながらマフラーで何とか前隠そうとしてるけど、あんまり隠せてない。
「うん、隠せてない……ちょっと、マフラー貸してみなさいよ」
「は、は!?」
しずがびく、と後ずさったのを見て、ふらふら近寄りかけてたことに気づいた。
って、そうじゃない!
「じょ、冗談だってば。ほら、も、もういいんじゃない? さすがにこのカッコで打つのはまずいでしょ」
うん、まずい。まずいまずい、これはちょっと、あの、ほんと、ダメだと思う。
「そ、そうだよ! そうそう、ほらまあ、その後ろとか何もないし」
「まあね、危険すぎるね」「可愛いと思うけど……」
宥姉は置いといて、まあうん、そう、いうことで……
「ちょ、ちょっと待って、私まだしずちゃん見てないよ!」
「……玄、まだうずくまってたの?」
ヘンなとこで律儀なんだから……。
しずは、赤い顔のまま地団駄を踏んで叫んだ。
「んじゃもう、とっとと見てよ! んで終わりで!」
「よ、よしっ。じゃあ……」
「いや、クロは止めといたほうが」
灼さんが声をかけたときには、もう玄は立ち上がっていた。
しずの方を向いて、
「えーと、ど、どうかな、玄さん」
「……」
ちりちり、ちりちり、って。
導火線が焼きつぶれていくような音が、
「あ、あ、うん。なかなか、なかなかの……」
玄は、なんだかぶつぶつ言いながら、あたしと同じようにふらふら、しずのほうに寄っていく。
「え、ちょっと、玄さん?」
逃げる間もなかったと思う、そのまま、しずをギュッと抱きしめ、
「って、玄!?」
「いいいっ!?」
ぼっと火が噴いたみたいに真っ赤になるしず。
そ、そりゃそうだよね、ほとんど素っ裸なのに抱きしめられたら……!
「く、く、玄さんっ、はなはなはな、離して、離して!」
手を振ってばたばた暴れながら、しずがわめいてるけど、玄はびくともしない。
どころか、もそもそ、しずのこと胸に抱え込みにかかってる……。
「む、むーっ」
「ちょ、ちょっと玄、しず息止まる、止まるから、おーい」
玄の顔をのぞき込んでみた。ぎゅっと目をつぶって、なんかぶつぶつ言ってる、
「あ、あう。あうう……しずちゃん、しずちゃん……」
……もう玄がダメだ。
宥姉が、玄のそばに寄って、くす、と笑った。
「ね、玄ちゃん、もう穏乃ちゃん離してあげないと。着替えられないよ?」
玄は、潤んだ目で宥姉のほうに振り向いて、
「で、でも。でも。お姉ちゃんだってずっと仲居さんの服で打ってるし、しし、しずちゃんもこのままじゃないと」
玄が抱え込んでるしずの頭が、びくん、と揺れるのが見えた。
「玄あんた鬼か」
「だって、だって可愛いんだもんんん!」
「ま、穏乃とふたりのときにでも、またやってもらえばいいでしょ、クロなら」
「う、うう……でも…」
玄は、ふるふる首を振りながら、しずを抱え直した。
しずの頭と肩を抱える手に、ぎゅーっと力が入ってくのが分かる。
「穏乃、あとどれくらい持つかな」
あー、さっきからばんばん玄の腕とか背中とか叩いてるけど、何かちょっと元気なくなってきてる気がするんだよね……。
「でも、そ、う、だよね。しずちゃんだって、恥ずかしいもん、ね」
――がまんがまんがまんがまん、後でまた着てもらうから、がまんがまんがまん……
しずの頭を撫でながら、必死に呟いてた玄だけど。
「そうだよ……せ、先パイなんだから……」
お、ちょっと手の力緩んだ。ぷは、と息を吐いて、しずが玄の胸から顔を出した。
玄は、いろいろぎりぎりの笑顔で、腕の中のしずに何か言おうとした。
多分なんだけど、ほらもう良いから着替えよ、とか、そんなことを言おうとしたんだと思う。
頑張った。うん、玄にしては頑張ったよ。
しずは、
朦朧としてて、へろへろな感じで、
口は半開きで、もちろん顔は真っ赤っかで、
髪がちょっと乱れたまま、涙目で玄にすがりついて、ホントにこう言った。
「く、玄さん…も、も……ゆる、して…よっ……」
あ。


ぶヅっ!!


……。

「え、え?」
静まりかえる教室の中、玄にぴったりくっついたしずが、きょろきょろしながら、
「な、何かすごい音がしなかった……?」
灼さんは、首を振って肩をすくめると、椅子に戻って牌を崩しはじめた。
宥姉は、困ったように笑って、しばらく三人かなぁ、と呟いた。
「いや、玄はほんと、頑張ったと思うよ。しずがちょっとバカだっだだけでさ」
「は?」
玄、うつむいてて良く顔見えないけど……もう耳まで真っ赤っかで、
「し、し、し、しず…しずちゃ……」
玄は、しずの腕をひっつかんで、ずるずると教室の外に引っ張っていく。
「え、え、玄さん、どこ行くの、ま、待って、」
目をぐるんぐるん回した玄が、明らかに音程のおかしい声で、
「だだ大丈夫、ちょっとだっこして、なでなでするだけ……な、なんでそんな怯えるのかなぁ」
「息が荒いからだよッ!」
しずは一応抵抗してたけど、格好が格好だし、あんまり暴れられないんだよね……
何とか雀卓のカバーだけひったくってたけど、教室から消える頃には、もう大体あきらめた感じだった。
「どこ行くつもりだろ、玄」
……トイ、
「いや、ほら、横の準備室? かな、あそこじゃないの」
ああ、あの物置みたいな。あそこって麻雀部のだっけ?
「まあ、いいか。えーと。どうする?」
椅子に座りながら、まだ出番のないタコ糸をくるくる指でいじってみたり。
「も、もうソレはいいよ……待ってても仕方ないし、休憩がてら三人でやろう」
「はぁ……そーね、灼さん」
何か、いつの間にか山もできてるしね。
「すみませんねえ、先輩方に働いてもらっちゃって」
「いえいえ~はい憧ちゃん、どうぞ」
「お、いいの? じゃあ」
牌をこつこつ叩いていた宥姉が、二つに減ったマフラーを押さえながら笑った。
「玄ちゃんたち、しばらくかかっちゃうかもしれないから」
「あーうん。でもまあ、ちょっとなでなでするだけって言ってたし」
うわー、こんな棒読みっぽい声だしたの初めてじゃない?
ま、ツモツモ……

『や、やだ玄さんちょ、あ、ああああぁっ』

がしょん。
牌をつまみ上げようとした指が、そのまま山に突っ込んだ。
「あ。憧ちゃん、チョンボ……」
えーと。崩しちゃった牌を、ぽちぽち元の場所に、戻、す……
「これは、仕方なくない……?」
「そ、そーだね」
か、壁薄すぎでしょ……!? 他に聞こえてないよね、休みだとあんまり人いないけど……。
灼さんが、ちょっと頬を染めて呟いた。
「何処なでなでしてるんだろうね」
知るかっ。





夕焼けに続く導火線

06

「やっぱサンマじゃ調子くるうなー灼さん、ハルエまだ?」
「先生、今来たらまずいんじゃ……」
「いや、というか、なんで私に聞くの」
灼さんが、ポケットから携帯を出して開いた。
「……あとちょっとかかるって」
「ええと、先生来たらどうしたら……」
――ん、しずと玄、どこ行った?
――ああ、しずなら、向こうの部屋で玄にめちゃくちゃにされてるよ。
「ごほっ」
お、思わずお茶吹きかけたじゃん……ない、ないわー。勝手に想像しといて何だけど。
さすがに、あんな声はもう聞こえないし、今も耳をすませば何か聞こえる気がするけど……まあ、大丈夫……
いや、しずは少しも大丈夫じゃないだろうけど、ハルエには聞こえないって意味で大丈夫。
「そーね、トイレ行ってたとか言えばいいんじゃない」
「結構適当言うね……」





「玄さん、あの、もうおしり痛くなってきたんですけど」
素っ裸だし、ずーっと床にぺったり座ってたせいで、足もちょっとぴりぴりする。
「あ、うん……」
隣の玄さんは、さっきからぼんやり私の胸にもたれかかったまま動かない。
……何してるんだろう、
「私の心臓って、何か面白い音したり?」
「うん……しずちゃんの音は、何でも可愛いから」
な、何だそれ。可愛くないし。
「だ、大体さ、」
私だけ裸なんてずるい、
思わず言いかけて、飲み込んだ。
……ずるいってことはないよな……私、負けちゃったわけで。
「しずちゃん」
「く、玄さん、くすぐったいって」
胸のとこに息がかかって……ていうか、汗臭くないのかな。だってさっきまであんな、
あ、だ、
……そっ、それはもういい、けどっ。
でも……。
めちゃくちゃ恥ずかしいけど、はだかの身体にこすれる制服の袖とか、
そういうのは、ちょっと気持ちいい、ような気もする。
胸の中の、玄さんの頭をちょっとなでてみた。
「は、はう……」
「玄さん、もう行こうよ」
向こう、三人で打ってるんだし。まだそんな時間経ってないと思うけど……。
「うん……そうだね」
玄さんが、のろのろと身を離した。なんか、まだボーッとしてる。
「玄さん?」
「あの、あと……ちょっと、だけ、」
そう言って私の胸に顔を寄せて、
「え……ひゃ、」
ぴと、と胸の真ん中に、玄さんの舌が触れた。
胸の先が、軽く、かりって、引っかかれて、あ、
ま、また……?
「く、玄さんっ!」
「え、……あっ」
玄さんの頭が、びくっと揺れて離れる。でも、でも……
「ご、ごめんねっ、私また……」
慌てたような玄さんの声がする、なかなか頭に入ってこない、けど、
「あう……」
あんな、またあんなの……絶対向こうに声聞かれたし、
でも、玄さんが、したいなら仕方ないんじゃ、だって、
「私はっ、……負けちゃったんだし、玄さんの好きにしたらいいよっ」
「ち、違うのっ! もう大丈夫だよ、ね、ね?」
ほ、ほんとに……?
おそるおそる、玄さんの様子をうかがう。真っ赤になって、ぶんぶん首を振って、
「ほ、ほんとにっ。というかそんな勝負じゃなかったし、皆待ってるし、ここ、が、学校だもんね」
「そ、それなら、いいんですけど」
バカみたいに暴れ回る心臓を何とか押さえて、息を吐いた。
あ。
「べ、別にイヤってわけじゃないんですけど、でもやっぱり、」
慌てて玄さんの手を握ってみたけど、意外に顔が近くてびっくりしたのか、玄さんは何だかわたわたしながら逃げるみたいに立ち上がって、
「う、うん、分かってる、大丈夫だよ。ほら早く向こう戻ろ、しずちゃん」
そういって、私の方に手を差し出してくれた。
「すみません……」
玄さんの手を取って、ゆっくり立ち上がっ、っと、と……?
「うわ、」
かく、と脚が折れそうになって、あわてて玄さんにしがみついた。
「わ、ご、ごめんね……まだ、痛いかな」
「いた、くは……ないです、けど……」
う……ちょっと脚、がくがくする。
「ええっと、私の制服は……」
「そうだ、置いてきちゃったんだ……私、取ってくるね」
「え、あ……すみません、お願いします」
ぱたぱた手を振りながら部屋を出て行く玄さん。
「……」
手持ちぶさたになって、その辺の棚にもたれた。胸を押さえてみる。
――ああ、びっくりした。
何か最近、玄さんに押されっぱなしだ。麻雀も負けちゃったし!
「む……」
やっぱりこのままじゃ、ちょっと悔しいなあ。
まあ、どっちも少しずつ頑張るしかないんだろうけど……ん?
ふと、棚のガラス戸に、私が映ってるのが見えた。
……そういえば、あれ、結局どんな感じだったんだろう。
なんとなく気になって、机の上に畳んでおいたマフラーを巻いてみた。
どれどれ……ガラスをのぞき込む、中に映った裸マフラーが、
裸マフラー、が……
「まあ、そうだよね……」
ズルズルと、その場にうずくまった。とりあえずこのガラスは叩き壊したい。
く、玄さんはこんなのの何がいいんだ……? すっごいバカっぽいんだけど……。
ばさ、と音がした。のろのろ立ち上がって振り向く、
「玄さん」
早いなあ。
玄さんは足下に紙袋を落としてて、口元に手当ててふるふる震えてて、
「しず、ちゃん、それ、そのカッコ、」
だ、だからさ……
「玄さんって、なんていうか……そうだ、導火線だらけなんだよね」
「ええ……?」
真っ赤な顔で部屋のドアを閉めている玄さんを眺めていると、その、何か恥ずかしくなってきて……思わず顔を伏せる。
「こんなんでドカンなんだもん。ぜんっぜん分かんないよ、もう」
「だって、だって、しずちゃんがいろいろと無防備だから……」
玄さんは、うう、とうめいて肩を落とした。む、無防備って何……?
「そ、そうだ、制服、着せてあげるね」
そのくらい自分でできる……と言おうと思ったけど。
……こういうのはちょっと嬉しいから、甘えちゃってもいいかもしれない。
「ええと、じゃあお願いしてもいいですか」
「ほらぁ……」
はい?


――服に袖を通してもらって。
――ぽつぽつと、ブラウスのボタンを留めてもらって。
結構スピードが遅いのは、なんとなく予想してたから突っ込まないけど。
部屋の中を、ゆっくり見回してみる。いくつかの棚、用具入れ、カーテンの閉まった窓。
まだ日が沈むまではちょっとあるけど、あの時は真っ赤な夕焼けで……あの時……
そうそう、二人して忘れ物しちゃったんだよね。なに忘れたんだっけ?

――私、穏乃ちゃんのこと、好きなんじゃないかなあって。

うつむいた玄さんの赤い顔、少し怯えたみたいに目に涙を溜めてたこと、ぎゅっと握りしめた手が震えてて、

「あ……」
ネクタイを結んでくれてる、玄さんの手にそっと触れてみた。
「……? しずちゃん?」
うん、もう手、震えてない。
照れたようにほっぺたを染める玄さんが、ちょっと嬉しいなって、思った。





ごめんね、忘れ物なんてしてなかったの。
何でか、とっさに私も忘れ物したって言っちゃって……しずちゃんに付いていっただけ。
「赤土先生、こっちの棚に置いといたって言ってましたよね」
「そう、だね……携帯は、ちゃんと携帯しとかないと……」
ああそうだ、携帯だったっけ、しずちゃんの忘れ物。
でも、しずちゃんには悪いけど、そんなのもうどうでもよくなってて……適当な相づちばっかり打ってた気がする。
あの麻雀教室で、二人きりだった。
しずちゃんが棚を探ってる音くらいしか聞こえなくて、夕焼けの中で。夕焼け……
いろいろと、いろいろと……思い出して、それで……え、と……
――好きって、言いたいな。
「……え?」
ぽろっと口から出ちゃった、なんて言ったけど。
ああもう、嘘ばっかりだよ、そんなこと、ホントは全然なかったと思う。
「何か言いました?」
だって、覚えてることがたくさん――例えば、胸の中がぐるぐるして、息が苦しかったこととか……
振り向いたしずちゃんの不思議そうな顔や、高いところから下を見下ろしたときみたいなドキドキ、手の中の汗を握りしめてたこと、
三回くらい心の中で深呼吸した、わたし、
「私、穏乃ちゃんのこと、好きなんじゃないかなあ、って……」
しずちゃんだったら、ひょっとしたら、意味よく分からないかもしれないし、それなら一回くらい言ってみても、





もちろん、しずちゃんは一発で意味を理解して、すぐに真っ赤っかになっちゃったんだけど。
「じゃあちょっと手、あげてくれるかな」「はい」
教室で泣きそうになりながら告白して意味が分からないなんて、いくらしずちゃんでもあり得ないよ。
伸ばした袖に、しずちゃんの手を通しながら、ため息を吐いた。
思えば最初っからダメダメだったけど……最近は特にひどい。
今日だって、しずちゃんのこといっぱいいじめちゃったし。
ブラウスのボタンをぼちぽち留めながら、またため息を吐いた。
もう、しずちゃんがちょっと可愛い感じになったら、すぐかーっとなっちゃって……
今だって何だかいろいろ考えてる気がするけど、これたぶん頭の端っこの端っこの端っこだけで……だってしずちゃんブラウスだけだし、私もうほとんど頭いっぱいだから、抱きしめたいって、しずちゃんのこと抱きしめたいって、衝動を、必死で必死で抑えてるんだけど……
でもちょっとギュッてするだけなら良いん
「――ごめんしずちゃん、ちょっと休憩してもいい?」
「え、休憩って何の?」
「わ……分からないけど、何かの」
しずちゃんは、はぁ、と生返事して、いいですけど、って呟いた。
くる、と後ろを向いて、胸に手を当てる。お、落ち着かないとっ。
ちょっと、ちょっとギュッとするくらい、しずちゃんは何も言わない、よね。
ううん、ちょっと触るくらいなら別に……あ、キスだって、しずちゃん裸んぼなんだし、せっかくだからいろんなとこに、
――だんだんものすごいことになって、さっきなんてが、学校なのに、しずちゃんのことムリヤリ……っ
「し、しずちゃん、あのね、」
しずちゃんは全然聞こえなかったみたいで、スカートをパタパタはたきながら、ときどき部屋の中を見回している。
うん、蚊が鳴いても、もうちょっと大きな声が出るんじゃないかなって……。
ため息を吐いた。百ぺん目くらいかも。
前はいくら何でもこんなじゃなかったのに、しずちゃんのせいだ……。
「うん、もう、大丈夫。ごめんね」「あ、ううん別に……」
しずちゃんのとこに戻って、ネクタイを、
「……? しずちゃん?」
しずちゃんが、私の手にそっと触れてきた。
「うん、もう手、震えてない」
て、手?
「お、怒ってない?」
「? 何がですか?」
「ほ、ホントはねっ」
しずちゃんにあんな恥ずかしいカッコさせるつもりは、
あああ、つもりはあったけど、ちょっとだけ見たらちゃんと服着せてあげて、
とか、今言ったって、仕方ないんだけど……。
「な、何でもない。ほらしずちゃん、できたよ」
「えへへ、ありがとうございます……あ、そうだ、玄さん」
いつの間にかうつむいてたみたいで、私の顔をのぞき込んできたしずちゃんと目が合った。
「な、なにかなっ」
「今日、部活終わったら、玄さん家、行っていいですか?」
「え、も、もちろんいい、けど……」
しずちゃんは、ぴょん、と一歩下がって、
「よっしゃ。いや、今日、負けっぱなしだしさー。やっぱり、このままじゃ気が済まないっていうか」
びしっと私のことを指さして、
「覚悟してよ、今日は玄さんをこてんぱんにするまで打つから!」
しずちゃん、
「あ、あはは……私だってそう簡単には負けな」
――私、穏乃ちゃんのこと、好きなんじゃないかなあ、って……
「玄さん?」
「しずちゃん、好きだよ」
ぽろっと、口からこぼれた。――これは、ホントにそう。
「わ、わ……」
慌てて口を覆った。い、いつも好き好き大好きって言ってるくせに、こういうのは何か、恥ずかしいな。
「それは、」
しずちゃんは、びっくりした様子で、指した指をびく、って引っ込めて、
「それは知ってるんだけど、んー、玄さんは……」
「え、私……?」
ちょっと困ったような顔をして、
「ま、いっか。みんな待ってるし、早く行こうよ」
「な、なになに、気になるよっ」
「いーから、早く」
しずちゃんが、ちょちょい、と手招きする。
「えええ、なんで……」
私は、しずちゃんのほうに歩い、
「あ、と……?」
くい、って腕を引っ張られた。
「わ、」
思わずバランスを崩して、しずちゃんの肩にしがみついた。
ほっぺたに、柔らかくてしめった感触、……え、
「しずちゃん、あの」
しばらくほっぺたにくっついてたしずちゃんの唇が離れて、
「んっぅ」
もう一回、抱き寄せられて、唇をふさがれた。
あ、あああ、う?
「よしっ、とりあえず一回反撃」
いつキスが終わったのか分からなかったけど、気がついたらしずちゃんが、目の前で照れたように笑って、
「私だって、玄さんのことすっごく好きなんだけど、あまり分かってくれてない気がするんだよね」
――。
あの、あの、どうしよう。
「こ、こ、こ、この辺で、ごろごろごろーって転がりたいよ……!」
しずちゃんは、少し身を離すと、
「それも玄さん家で」
そういって、恥ずかしそうに笑った。





EP

昇降口から出て、空を見上げてみる。
しずがひょいひょい歩いてきて、のんびり身体を伸ばし始めた。
「だいぶ暗くなっちゃったね」
「そうだなー、あーもー、つっかれた!」
「しず、最後の方は結構良い感じだったじゃん」
「そうかぁ?」
つまらなそうな顔で、しずがくるくる回る。
あれ?
「しず、ちょっと歩き方変じゃない? どっかひねった?」
「こっ……!」
しずは、何か、いきなり真っ赤になった。
へ……?
「な、何?」
「そ、その……ずっと、力入れてたから……」
え……、あ。
「あれ、どうかしたの」
慌てて昇降口の方に振り向いた。不思議そうな顔の灼さんと……後ろから、玄や宥姉、ハルエも、あくびなんかしながら歩いてくる。
「玄、あんたね……」
「え、え、な、なにかなっ」
あー、もういいか。着せ替え麻雀なんて、絶対、もう二度としないっ!
「で、なんだっけ、玄ん家行くって?」
「うん、麻雀教えてもらおうと思ってさ。明日も休みだし、泊まりで。プチ合宿って感じで」
「正気ですか」
「どういう意味だよ」
どういうって……
「あ、何か、ヘンなこと考えてるだろ」
「いや、そりゃ考えるでしょ。さっきの今じゃ」
「ちゃんとしっかり教えてくれるっていうし、宥さんもいるし、へーきへーき」
まあ…そうだったらいいね。そんなこと絶対ないってあたしは思うけどね。
だいたい、玄に教えてもらうことなんてある? 多分あたしのほうが

――な、なんでだよっ、別にこんなのダマってたっていいじゃんっ、

……。

そういえば、昔しずに、麻雀教えてたりもしてたっけ。
教えるっていうか、しず、ときどきワケ分かんない打ち方することあったから、突っ込んでただけだけど。
玄は困ったように笑ってて、和は呆れてため息ついてた……

「憧? どした?」
「え、あ……ううん、なんでもない」
首を振りかけて……ふと考え直す。
いや……、
ちら、と隣の玄を見て、
「でもさ、教えるだけなら、あたしのほうが上手なんじゃない? ウチにくればいいじゃん」
ちょっとくらい、イジメる権利があるような気もした。
ぴしっと音を立てて固まる玄、
「えええ……うーん、憧に教わるって癪だけど……でも今日もあんまり勝てなかったしなぁ」
「だ、」「うわっ?」
玄は大慌てでしずの腕を掴んで抱き寄せて、
「だだだ、ダメダメダメー! 大丈夫私だってちゃ、ちゃんと、」
……泣きそうやん。
「あーはいはい、わかった、わーかりましたって、冗談だから安心してよ」
最初の方はそうでもなかったんだけど、最近はこういうことでしずを譲ってくれることはまずないんだよね。
ま、ちょっとスッとしたから、このくらいで許してやるか。
ひらひら手を振って言った。
「ほどほどにしときなさいよね」
「だっ、だから、ちゃんと麻雀するから!」
玄は、真っ赤な顔でそう言って、目を白黒させてるしずを引きずっていった。
灼さんが、かるくため息を吐いて、
「イジワルだなぁ」
「ふん、これくらいいいでしょ」
頭をカリカリかきながら答える。
「明日も朝から部活なんだけど。元気なもんねー。ま、いいことか」
「ハルエ……」
「憧だって油断してると、ってあれ、なんで睨んでるの」
「べっつにぃ」
ハルエがあんなに遅れてこなければとか、今更そんなこと言わないけどね。
「朝ってハルちゃん、ちゃんと来れるの」
「いや、大丈夫だって。今日はほんと、たまたまなんだ」
「たまたまって……ま、ハルエは大丈夫だろうけどさ」
玄をくっつけて、よたよた宥姉と歩いてるしずを眺める。

「そうなんだ。穏乃ちゃん、あったかそうだし、楽しみだなぁ」
「あはは、何がですかー?」
「ちょっと、お、お姉ちゃん!?」

……玄も大変だな、ほんと。
「穏乃たち、ちゃんと来れるのかな」
「さーねー。ちゃんと足腰立てば大丈夫なんじゃないの」
あたしはそういって、軽く肩をすくめた。

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最終更新:2012年10月06日 22:05