僕が彼女と再会したのは、天空の三角形が二匹の犬と巨人のベルトの一部に取って代わられたある初冬の夜のことだった。
「久しぶりだね佐々木さん」
彼女は一瞬びくりと肩を上げた後、こちらを振り返り、僕の姿を認めると一つ溜息をついて口を開いた。
「ああ、なんだい国木田か、これはまた久しぶりじゃないか」
なんだい、とは随分なご挨拶だなぁ。ひょっとして、誰か別の人と会うことを期待してたのかな?
「ふむ、君の言いたいことは何となく予想がつくよ。それを推測した上で答えを言おうか。1割イエスで9割がノーだ」
くっくっという喉を鳴らすような特徴的な笑い声をもらす。ああ、なんだか懐かしいなぁ。
「どうしたんだい?こっちのほうまで来るなんて。佐々木さんの家は反対側だろう?」
「予備校の帰り道さ。進学校と呼べるだけの高校に入ったはいいものの、如何せん授業レベルが高すぎてね。まったく勉強のために勉強しているような日々だよ。大学に入ったら名いっぱい目一杯遊んでやるつもりさ」
そう言って彼女は肩をすくめて『やれやれ』というような仕草をする。誰に似たんだろうね。
「で、さっきの話の続きなのだが……」
ふう、と一息ついて彼女は夜空を見上げた。つられて僕も宙を仰ぐ。街中の空は狭く、美しい星もほとんど望むべくもない。
「この寒空の下立ち話もなんだ、君の時間が許すようなら、そこでお茶の一杯でも付き合ってくれないかな」
そう言って彼女は大手ファーストフード店を指差した。特に予定もないので僕はその言葉に頷いた
ホットコーヒーのMを二つ、あと、ポテトのSを一つ」
カウンターでお金の支払いにもめた挙句、こっちが誘ったから、と押し切られる形で彼女は僕が財布を出すのを押しとどめた。
せめて割り勘にでもしてくれればよかったものを。さすがに女の子にお金を出されたままでは恰好がつかないので、僕は席までトレーを運ぶことにした。
「さて、どこまで話したかな」
窓際のカウンター席に並んで腰を下ろす。
残念ながら、どこまで、と言えるほど話は進んでいないが、僕はツッコみも入れずに黙って聞くことにした。
陽が落ちるのが早くなった外では気がつかなかったが、明らかに彼女は疲れていたからだ。
「そう、僕がなぜ君の姿を認識したあと大きなため息をついたか、という点だ」
僕は、てっきり誰か会いたかった人がいる故の溜息とばかり思っていたけどね。安っぽいポテトをつまむ。
「そう、さっきも言ったが1割はイエスだ。非常に不思議なことに、僕は彼に会いたい。会って安心したいのだよ。その彼が誰なのかは言うまでもないだろう。
もっとも君が元同級生の女の子が、恥じらいをしつつ話をする姿を眺めるのが趣味だというならば、一考の余地はあるのだが」
安心してほしい。間違いなく僕はノーマルだ。
「ふむ、まあ、この話は置いておいて、今度旧友の誰かに確認することにしよう」
冗談を言いながらくっくっと笑う。それでも、彼女の眼は本気で楽しんでいる様子はない。やはり少し疲れているようだ。
「簡潔に言おう。ここのところ誰かに付きまとわれているような気がして少々困っている」
簡潔にもほどがある。しかもいきなりの爆弾発言じゃぁないか。
「なんだって、そんなこと……」
僕は考えた。
確かに彼女の容姿はかわいらしい。僕とつるんでいるあの馬鹿がこの場にいたら、恐らく上位のランク付けをすることだろう。
そして、その容姿に惚れこんで愛の一つも囁く男もいるかもしれない。
だが、相手は佐々木さんだ。以前キョンから聞いたが、彼女は恋愛感情など精神病の一種だと言うような人らしい。何より彼女の心には、アイツ以外の男が入る隙はない。
おそらくその男をにべもなく振ることだろう。そのかわいそうな男の中に諦めきれない厄介者が紛れ込んでいる可能性も否定できない。
「ストーカーかぁ、失礼な言い方だけど心当たりはあるのかい?」
恐らくそのかわいそうな男を片っ端から探していけば犯人に行き当たることだろう。
しかし、佐々木さんは僕の予想とは少し離れたことを言い出した。
「残念ながら色恋沙汰には滅法縁がなくてね、いや、本当だよ。こんな言葉づかいをする様な女に関わろうとする人はなかなかいまいよ。それに、そういった事情なら相手は一人だろう?
優秀なボディガードの一人でもいれば突破は容易い。だが困ったことに、僕の観察が間違っていなければ相手は複数なんだ」
話がややこしくなってきた。
「ごめん、さらに失礼な言い方になるかもしれないけど、君のご家族は……」
「ふむ、共働きとはいえ両親ともに堅実に中流の稼ぎを得ている一般庶民に分類されるだろう。恨みも金も特に貯まっているわけでもない」
怨恨も身代金目的のセンもなし……と。
「そして何がややこしいかというと、相手のうち一人は女、それも僕らとさして変わらないような歳の女の子という点だ」
「佐々木さん、そういう趣……」
「これ以上言うなら旧友と言えども容赦しないが」
佐々木さんが顔の高さで拳を作る。ゴメンナサイモウイイマセン。
冗談を言いあってクスリと、笑みを作ったのも束の間。すぐに彼女はまた疲れたような表情に戻ってしまった。
「何となく害意がないのは感じ取れるのだが、こう、四六時中監視されているような気がするのも気分がよくなくてね。少々参っていたところだよ。」
彼女は諸手を挙げて首を振った。
「こんな時は誰かに頼るべきなのだが、生憎学校には相談できる相手もいなくてね。両親にもなかなか言えることではないだろう。君とはちょうどいい所に会ったものだよ」
「そうかあ……」
かける言葉が見つからなかった。こんなに弱気な佐々木さんを見るのは久しぶりだ。
「だから、彼にも会いたくなった。さっき言った1割はそこさ。同じことの繰り返しだが、やっぱり不思議だね、なぜ彼なんだろう」
「確かに僕では役不足だね。」
慌てて彼女は僕のほうを見た。
「そんなことはない!君も僕の数少ない大切な友達の一人だよ!」
友達……か。
「ああ、気にしてないよ。ありがとう、僕も大切な友達の佐々木さんの役に立ちたいから。」
友達、のところの語気が少し強まってしまったが、彼女は気付いていないようだ。
少し重い沈黙が場を支配した。BGMのジャズが少し大きくなった気がした。
「……出ようか」
彼女の言葉に頷いて、僕はすっかり冷めたコーヒーを飲み干した。彼女のコーヒーとポテトはすっかり空になっていた。
外に出ると、彼女は少し不安げな顔になった。僕がいるとはいえ、やはり周囲が気になるのだろう。僕もそれとなく周りに目を配る。そして、彼女が非常に疲れていることを再認識した。
明らかに怪しい奴がいる……
店で並んでいるときに真後ろにいて、客席では僕らの斜め後ろに席を取り、ダストボックスにゴミを捨てる時にその席を立ち、なおかつ、今も僕らの後ろをついてくるカップルだ。佐々木さんが気付かないなんてやっぱり疲れているんだな。
「そこの角を曲がったら走ってね」
曲がる直前僕は彼女に囁いた。
「え?え?」
狼狽している彼女の手を取り僕は走った。もっとも10メートルもしないところで立ち止まりすぐに後ろを振り返るが。
予想通り不審人物2名が慌てた様子で追ってきていた。
「いい加減にしてもらおうか」
さすがにびっくりしたのか、女の方はすぐに背中を見せて逃げようとしたが、男の方が彼女の腕をとって引き止めた。
「逃げるな、これも……」
男が何か囁いたようで、女の方は諦めたかのようにこちらを向いた。
僕の後ろで佐々木さんは明らかに怯えている。かわいそうに。
僕の後ろで佐々木さんは明らかに怯えている。かわいそうに。
「ここのところ彼女に付きまとっていたのはお前らか?」
普段口に出さないようにしている乱暴な言葉も、何のためらいもなく出た。僕はこの子を守るためなら、今は何だってする覚悟だ。
だが、そんな僕の覚悟とは裏腹に二人は言い争いを始めた。
「ちょっと、アンタこんなことになることぐらいわかっていたんでしょう、何で前もって教えておいてくれないのよ」
「フン、禁則に決まっているだろう。言えたとしても、何でお前ごときにそんなことを伝えなければならん」
「しっつれいね、だいたい、あなたが初めて来たときもロクな情報出さないで……これ以上何か規定事項で隠していることがあるなら張り倒すわよ」
「ふん、それも禁則だ」
まるで僕らがいないかのように振舞う。それ自体にも腹が立ったが、何より、佐々木さんを苦しめておいて罪の意識も皆無なのが非常にムカついた。
「いい加減にしろ……!」
僕は男のところに歩み寄り胸倉をつかむ。
「フン」
そいつはまるで気にしないかのように僕から視線をそらした。なんだ、この悪意の塊のような態度は。
「こいつ……!」
僕が空いている手で殴りかかろうとしたところで、振り上げた拳が止められた。
「国木田!やめてくれ!」
佐々木さんが泣きそうな目で僕の手にしがみついていた。
「でも佐々木さん!」
「もういい、もういいさ…」
彼女は首を振って僕の拳を祈るような姿勢で抱きしめた。
「あらあら、アンタ助けられちゃったわね」
「フン……すべて規定事項なんだろう」
また言いようもない怒りが湧き上がってきたが、ぐっとこらえた。ここは冷静にならないと。
「あなたたちは何なんですか?」
僕は佐々木さんの手を離さずに二人を睨めつけた。
「ちょうど説明しようとしてたところです。えっと、佐々木さん、ですよね?」
女のほうが穏やかな笑顔で彼女を見た。非常に腹立たしいことだけどこの女に悪意がないのを感じ取れた。
「うーん、お友達と一緒に説明するのもアレだからな、ちょっとさっきのお店に戻ってもらえるかな?あ、二人とも好きな物食べていいですから」
にっこりと笑う女。悔しいけどちょっと可愛かった。