劉伯英
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唐代の軍人。桂州都督。永徽二年(651)十一月、竇州・義州の蛮が辺境を犯したから、迎撃して破った。顕慶四年(659)十一月に禺夷道総管を拝し、後に左驍衛将軍となり、顕慶五年(660)に蘇定方に属し、平壌道行道大総管となって高麗・百済を攻撃した。冀州都督長史となり、龍朔三年(663)には柳州蛮の呉君解が叛いたから、嶺南の兵を率いて討伐した。巂州都督となり、貞観年間(627-649)に上疏して、松外蛮の攻撃を請うた。唐の将軍では
蘇定方・
龐孝泰・
曹継叔とならんで驍勇の者と称された。
劉行実・
劉行瑜・
劉行感の父。
劉虔通の祖父。
本紀・列伝・史料
最終更新:2023年12月30日 00:03