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ACE COMBAT04 THE OPERATION LYRICAL Project nemo



第24話 巨鳥、墜つ時



得体の知れない敵とは、実際に対峙してみると厄介なものである。
無論、ティアナ・ランスターに負けるつもりは一切ない。一六歳の少女とは思えない強い心、闘志の炎は「夢」から覚めてからと言うもの、高まっていく一方だ。
しかし、彼女と正面から向き合う狂人は、銃口を突きつけられてもなお、逃げようともせず、隠れようともしない。白衣のポケットに両手を入れて、構えようともしない。すなわち、何を考えてい
るのか分からない。出方を探ろうにも、ジェイル・スカリエッティは決して動こうとしなかった。

「――っ!」

痺れを切らしたように、XB-0改の艦橋内で静寂が破られる。拳銃型のインテリジェントデバイス、クロスミラージュの引き金にかけていたティアナの指が、攻撃の意志を露にした。
発砲、銃口から放たれる魔法の弾丸は、標的に定められたスカリエッティに向けてまっすぐ突き進む。狂人は、飛び掛ってきた魔力弾をちらりと見ただけ。
弾は、白衣をすり抜けた。煙を突き破ったかのように目標を貫通した弾丸は、艦橋内にあったコンソールの一つを粉砕して消滅する。スカリエッティは――撃ち抜かれた我が身を見下ろし、フムン
と一言、小さく唸った。

「やはり便利だな、この身体は。肉体などあった時は、今ので充分、致命傷だっただろうに」

なんとなく、予感はしていたのだが。ティアナは、撃たれたにも関わらず平然としている敵を見て確信する。こいつには、普通の攻撃は通用しない。
再生能力か、それとも何か別のものか。仮に前者だとすれば、と仮定の下、手中のクロスミラージュをワンハンドからツーハンドモードへ。右手と左手、両方の手に現れた相棒を構え、狂人に向け
て照準。再生が間に合わないほどのスピードで、ひたすら打撃を与える。

「ハァッ――!」

雄叫び。闘志を吐き出すようにして現れたそれと同じタイミングで、二丁の拳銃の引き金を交互に引く。
ドンドンドンドンッと、絶え間ない銃声は同様に絶え間ない弾丸の雨を送り、射線上にあった狂人は弾幕に晒される。首も、手も、胸も、足も、身体中ありとあらゆるところに徹底なる銃撃を浴び
せ、最後の一発、狙い澄ました一撃を眉間に叩き込んだ。
銃声が止んで、艦橋に静寂が舞い戻る。弾切れを起こした相棒は、自動で弾倉である銃身を排除、電子音声でリロードを促す。言われずとも、ティアナはグリップだけになったクロスミラージュを
バリアジャケットの一部であるホルスターに叩き込む。小さな機械音が鳴り響き、再装填。息を吹き返した相棒を、穴だらけになった白衣に突きつけた。
散々魔力弾を浴びたスカリエッティの身体は、ほとんど原型が見えないほどにまで陥っていた。ユラユラと、映りの悪いテレビのように彼の一部が宙に漂っている――露骨な舌打ち。少女の瞳は、
再構築されていく幻影を見出した。次の瞬間、消えかけていた白衣は元に戻り、完全なる姿でジェイル・スカリエッティは復活する。

「大口径、高初速の魔力弾の連射。一見地味だが、標的となった者は一発でも当たれば大ダメージを余儀なくされる銃弾の雨を、一度に大量に浴びることとなる。基礎を徹底的に磨いたようだね。
さすがと言っておこう、ティアナ・ランスター君」

褒められたって嬉しくない、少なくともこいつからは。冷静に自分の攻撃を分析してみせた狂人から、なおもティアナは攻撃の照準を外さない。
ツレないねぇ、とスカリエッティはそんな彼女を見て苦笑いとも受け取れる笑みを見せた。せっかく素直に賞賛していると言うのに。
ではこうしよう。パチリッと、彼は指を鳴らす。それが指示だったのか、あるいは合図だったのか。艦橋の天井から、六本の銃身を束ねた無人の機関銃が姿を見せる。ガトリング砲、と言う奴だ。
連射力が恐ろしく高く、まともに銃撃を浴びれば人間などミンチにされる。バリアジャケットと言えど、その攻撃力の前には紙にも等しいはず。
それらが三機、同じ方向に首を回し、目標を見出す。標的は、ティアナ。

「ダンスは得意かな? 得意でなくともやってもらおう。さぁ、踊れ」
「っく!」

冗談じゃない――足に魔力を送り込み、思い切りティアナは地面を蹴飛ばした。反動で浮かび上がった身体、それまで立っていた場所に殺到するのは銃声、そして銃弾の嵐。非殺傷設定の欠片もな
い無慈悲な質量兵器は床を砕きながら、逃げる標的を追いかける。
艦橋内が広いのは幸いだった。飛び込んだ先で壁に退路を塞がれる、と言う羽目に陥ることなく、横に飛び込んだ少女の身体は銃弾の中を掻い潜っていった。着地寸前、右手に魔力を送ってもう一
っ飛び。床が頭上に来て、宙に浮かんだままティアナは、自身の現在の姿勢を認識する。逆さまと言う状態だ。無人の機関銃は、驚く様子もなく――機械に感情などないのだから、当然だ――サー
カス芸のように軽い身のこなしを見せる目標を追う。その中央で、ほう、と感嘆とした様子で声を上げているのは、スカリエッティ。
すぐに黙らせてやる。不愉快な感覚を怒りに変えて、ひっくり返った視界のまま、銃を構えた。視覚強化の魔法を行使、飛び掛ってくる銃弾さえもが、スローモーションのようにゆっくりとした速
度になる。
左手のクロスミラージュ、その銃口を前に突き出す。引き金を引き、このまま進めば当たると思われる銃弾に対してのみ、魔力弾を放つ。ドン、ドンッと左の手のひらに伝わる衝撃、ティアナに向
け突き進んでいた銃弾は、魔法の弾丸によって撃ち落されていった。
逆さまだった視界は、時の経過と共に元に戻っていく。完全に姿勢が戻ったところで、着地。直後に右上に見えたのは、自身を捉えた無人機関銃。銃口は、やはりこちらに向いていた――否、角度
がわずかだが足りない。弾は掠めるだけで、直撃には至らないはず。
ピュンピュンと、鮮やかな橙色をした髪のすぐ真上を何センチか何ミリか、とにかく銃弾が飛び抜けていく。死ぬほど怖い。泣き出したくなる恐怖感を押しのけるようにして、彼女は右手のクロス
ミラージュを無人機関銃に向けた。躊躇なく引き金を引き、一発だけ銃撃。破壊に特化した魔力の塊を受けて、機関銃は沈黙する。

「一つ!」

残りの機関銃は、二つ。仲間を撃ち殺された恨みを果たすかのように、銃口がすぐこっちを振り向き、炎が煌き瞬いた。避け切れない――なんてことはない。
瞬間、ティアナがもう一人出現した。片方のティアナは動かずクロスミラージュを構えたまま、もう片方は横に飛んで、いつの間にか一丁になったクロスミラージュをツーハンドホールド、両手で
構えて機関銃を睨む。
動かずにいたティアナと、機関銃のうち一機はまっすぐ対峙し、互いに銃撃し合う。鉛の弾丸は少女の身体を射抜き、魔法の弾丸は質量兵器の銃身を叩き折った。

「二つ!」

撃たれた方の"自分"の消滅と、機関銃の沈黙を確認した"本物"のティアナ。残り一機は、どちらが本物だったのか判断に迷い、今頃彼女に照準を合わせようとしていた。遅い、と口走り、冷静な思
考の下に照準、発砲。根元を魔力弾にぶち抜かれ、最後の無人機銃が天井より崩れ落ちた。

「三つ!」

しかし、彼女の動きは止まらない。三機目撃破のカウントを口にしながら、クロスミラージュを先ほど消滅したフェイク・シルエットの方向に向けた。アンカーショット、保持者の消滅により床に
落ちていたもう一丁の相棒を魔法の糸で絡め取って回収する。幻影には保持だけさせて、射撃はAIによるオートだった訳だ。
これで、邪魔者はいなくなった。残りは最終目標、スカリエッティのみ。手のひらに舞い戻ってきた拳銃を、もともと握っていたものと同時に銃口を狂人に向ける――いない。どこにいった。
お探しかね、と。背後で、ゾッとするような怖気の走る声。振り返った時にはもう遅く、狂人の腕が彼女の細い首筋向けて伸びていた。奇襲の前に抵抗もままならず、ティアナは壁に叩きつけられ
てしまう。

「グ、が……っ!」
「エレクトロスフィアが君には通用しない。それは分かった。大した精神力だ、賞賛に値する――しかし、肉体の方はどうかね!?」

首を絞める狂人の腕が、力を増した。悲鳴を上げて苦痛を露にするティアナ。やはりそうか、と狂気に満ちた男の顔は笑う。いかに強靭な精神を持っているとはいえ、身体は所詮、人間の範疇を出
ていない。一六歳の少女が、いつまでも耐えられるはずがなかった。次第に、苦しみ喘ぐ声も、小さくなっていく。
だが、終わらない。あと少しで息の根を止められると言うところで、スカリエッティは力をほんの少し、緩めてしまう。無論、苦しいことには変わりないのだが、意識の喪失は免れた。
否、免れるように仕向けられた、と言うべきか。苦痛に表情を歪め、酸欠に陥ろうとしてもなお敵を睨む少女の眼は、吐息がかかりそうなほど間近に迫った狂人を見出す。

「どうだい? ここで一つ、命乞いをしてみては? 助けてください、と一言言えば、手を放してあげようか」

この、下衆野郎め――相手の考えを悟り、しかし今のティアナには悪態を吐き捨てることも出来ない。
要するに、こいつは自分が屈服するところを見たいのだ。ティアナ・ランスターが、相手に服従したという、決定的な場面を。
無論、彼女は例え死んでも命乞いなどしないだろうが――睨みを持って返すと、首を絞める力は再び強くなった。ガッ、と短い悲鳴が零れ出て、意識がどんどん遠くなっていく。
死。
薄れ行く意識の中、浮かんだ言葉。死にかけたことなどこれまで一度や二度ではないが、この時ほど、彼女は死と言うものを実感したことはない。
このまま、兄さんのところに行くんだろうか。大好きだった兄のいるところへ――馬鹿、諦めるな!
不意に、脳裏に響いた声。懐かしいものだった。ひょっとすれば酸欠に陥った脳が生み出した幻聴かもしれなかったが、それでも構わないと、彼女は思う。

「……ざ、けるな」

搾り出すように、口から零れた言葉。ほう、とわずかに驚きの表情を、スカリエッティは見せる。まだ喋れる元気があるようだね、と。その隙に、彼女の右手にあったクロスミラージュは形を変え
る。銃口の先端から、突き出されるのは魔力による刃。
首を絞められる少女が、何か企んでいる。気付いたのか定かではないが、狂人はわずかに怪訝な表情を見せて、視線を下げる――今だ、注意が逸れた。

「ふざけるな――って、言ってんのよ!」

誰があんたなんかに、服従するもんですか。
怒りを力に変えて、ティアナはダガーモードとなったクロスミラージュを振り抜く。首を絞める狂人の腕を、薙ぎ払った。

「ぐぅ……!?」
「っ!」

攻撃が、通った――?
切り裂かれた腕を庇うようにして、スカリエッティは後退。苦しみから解放され、床に突き放された彼女は何度か大きく咳き込み、その上で見出した。これまでいくら撃っても穴だらけにしても通
用しなかった自分の攻撃が、今この瞬間初めて相手に痛恨の一撃を浴びせたのだ。
理由は何だ。酸欠から回復したばかりなのに、思考は回転を始めていた。射撃ではなく斬撃だからか? 否、魔力弾は全て貫通していた。まるでホログラフを撃っているかのように、命中していると
言う実感がなかった。ダガーモードで奴の腕を引き裂いた瞬間は、確かに肉を切り裂く手ごたえがあった。
考えろ、とティアナは自身に命令する。考えろ、あたし。考えなさい、ティアナ・ランスター。いったいどうして、今の攻撃は通ったのか。

「フ、フフフ……あぁ、痛い痛い。この身体になってから、苦痛は久しぶりだ。お見事だよ、ティアナ君」

狂人は、やはりどこまで行っても狂人らしい。切りつけられた腕を見て、それすらも愉快な出来事のように、笑う。奴の声を聞く度、少女は締め付けられた首がまだ痛むような気がした。
――首? そういえば、銃撃に手ごたえがないことから奴には実体がないのかもしれない。だけど、首を絞められた時。奴は間違いなく実体を持っていた。
と言うことは、と。一つの結論に至り、ティアナはクロスミラージュを構えなおす。ダガーモードだった右手の相棒を拳銃形態に戻し、代わって左手のものをダガーモードへ。銃を握る右手を左手
に乗せて、左手は魔力の刃を相手に突きつける。
確信はない。だけど、今はこれに賭けるしか。
戦意を新たに、ティアナが戦いの姿勢を見せたまさにその瞬間。これまで微動だにしなかった艦橋内が、XB-0改が、大きく揺れた。



艦内に走った大きな振動。バランスを崩し、冷たい金属の床に打ち付けられはしたが、アシュレイは"悪あがき"の成功を確信する。

「アシュレイ、立て」

差し出された手は、同志のミヒャエルのもの。自分と違ってひとまず負傷していない彼は、どうにか壁に寄りかかって倒れることを防いだのだろう。彼の腕を掴み、痛む身体を引きずるようにして
かつてのベルカ、その亡霊は立ち上がる。
亡霊か、とその時、アシュレイの唇が歪に歪んだ。浮かべた表情は、嘲笑。痛みは生の証である。あり合わせのもので応急処置した肩、そこに巻かれた包帯には血が滲んでいた。血、生命なら何者
であっても持っているであろう、命の液体だ。まだ生きているのに、亡霊とはおかしいだろう。

「急げ、ミサイルは片っ端から誘爆してる。こいつが沈むのも時間の問題だ――クソッ」

怪我人を無理強いをさせない程度に急かしつつ、前を行く同志は力任せに壁を叩いた。
祖国を、かつてのベルカ公国を取り戻し、仇敵を討ち倒すための切り札。それを、彼らは今この瞬間、自分たち自身の手によって破壊しようとしていた。怒り、悔しさ、空しさ、悲しみ、ありとあ
らゆる負の感情に、ミヒャエルは悪態の一つでも吐かねばやってられないのだろう。
XB-0改のVSL発射管制室に潜り込んだ彼らは、これ以上この艦をあの狂人の好きにさせぬようにと、破壊工作を行った。もともとXB-0改は、旧ベルカ公国の技術によって建造されたもの。配線の細工
程度なら、例え艦を乗っ取られていようと不可能ではない。一機のミサイルの信管設定に手を加え、起爆タイミングをVLS内でロケットモーターが点火した直後に行うようにした。つまり、事実上の
自爆。閉鎖空間内での爆発はその圧倒的な破壊力を持ってVLSを木っ端微塵に粉砕し、装填されようとしていた仲間たちさえ巻き込む。内側から大きなダメージを受けたとなれば、いかに鉄壁の防御
を誇るくろがねの巨鳥と言えど、あとは内部崩壊を起こして沈むのみだ。
格納庫へと辿り着いた彼らは、扉の隣にあった電子ロックに番号を入力。プシュッと蒸気を漏らして扉が開くなり、電子ロックの端末は光を落とした。同時に、それまで通路を照らしていた照明が
切れて、赤い非常灯に切り替わる。内部爆発が、発電系統にまでダメージを与えたのかもしれない。

「アシュレイ、こいつは動くだろうな」

格納庫へ足を踏み入れるなり、ミヒャエルは視界に入った円柱型のポッドを指差して言った。安心しろ、とアシュレイはそれに答える。これの電源は、別系統で確保してある。
艦内を走る揺れは、いよいよ強さを増していた。水平を保っていた地面が右へ傾き始め、元に戻ろうと回復を始めたかと思いきや、今度は左へと傾く。これを繰り返していると言うことは、XB-0改
の自動操縦機能も、機体の制御が利かなくなってきているのだ。
軋む金属音、落下を始める小さな部品。まるで、XB-0改が同じベルカの二人に言っているようだ。置いてかないでくれ、見捨てないでくれ。
――そう、アシュレイもミヒャエルも、円柱型のポッドの中に入って、逃げるつもりだった。行き先は、とっくに決まっている。

「準備はいいな? 時空転移装置を起動する」
「あぁ、やってくれ」

同志の言葉を受け、アシュレイはただ頷くだけ。後は、カプチェンコの作ったこの摩訶不思議な道具が、我々を元の世界に返してくれるだろう。
不意に、彼は思う。そういえば、全てはこの時空転移装置なる、ベルカでも屈指の科学者にしてパイロットと言う奇妙な男が開発したものが始まりだった。
飛行服の懐に手を伸ばし、中にあったものを取り出す。目の前に現れたのは、一枚のディスク。非常灯の赤い光を受けて、妖しい反射光を放っていた――散々やって、収穫はこれ一枚か。
まぁいい、と亡国の戦士はディスクを懐の内に戻す。ゼネラル・リソース内の協力者、旧ベルカ公国出身の技術者たちを通じて、こいつを売りつければ、莫大な資金が得られる。我々は負けた。だ
が、次の一手に繋ぐものはある。
あとはせいぜい、管理局とあの狂人のお手並みを拝見だな。そこまで考えたところで、ポッド内を光が満たしていく。
次の瞬間、二人の姿は格納庫から消え失せ、残ったポッドも、天井から剥がれ落ちてきた残骸によって、押し潰された。



ミサイル攻撃が止んだ。どういう訳か、攻撃の根源である巨大飛行物体も、内側から時折、爆発と見られる赤い炎を吐き出しながら高度を落とし、ゆっくりと旋回している。このまままっすぐ行け
ば、海の上に落ちて地上への被害は最低限のものとなるだろう。

「こりゃまた、どういうことやろか……?」

XB-0改からのミサイルの連打を今この瞬間まで迎撃し続けたはやてにとっても、この状況は不可解なものと言えた。
すでに騎士甲冑は爆炎と衝撃で煤け破れ、夜天の翼も宙に浮かぶで精一杯。夜空の向こうで巻き起こっている不可思議な事態の前に、彼女はもはや疑念を抱くことしか出来ない。

「フェイトちゃん、ティアナとは?」
「――駄目。まだ繋がらない」

視線を動かし、傍らを飛ぶ金髪が美しい親友の少女に問いかける。フェイトは、問いかけに首を振って答えた。
敵の唐突な攻撃停止と、内側からダメージを負っているらしい様子は、やるとしたら内部突入を敢行したティアナによるものだろう、と彼女たちは考えていた。ベルカの亡霊による仕業であること
など、知る由もないのだから無理はない。
いや、そんなことよりも、と。フェイトは、闇夜の中であってもなお異様な存在感を放つ、巨大な黒い翼に視線を集中させていた。仮にティアナの手で攻撃が止まったとなれば、先ほどまでずっと
途絶えていた念話による通信回線が復帰してもおかしくないはず。それなのに、執務官である自分を補佐するあの気丈な少女は、呼びかけに応じず、また呼びかけようともしない。
不透明な状況に苛立ち募る最中、突然、通信が飛び込んできた。地上本部のAWACS、被弾したゴーストアイに代わって空中管制を担うスカイアイからだ。

「こちらスカイアイ。敵の様子が妙だぞ」
「見りゃ分かるて。いきなり攻撃が止まったんやし――」
「いや、そうではない八神二佐。敵のECM防御システムが、弱体化しているんだ」

はやての言葉を遮って、スカイアイはデータを二人に送りつけてきた。AWACSが捉えたレーダー情報、それによれば確かに彼の言う通り、あの巨大飛行物体の防御を鉄壁ならしめていたECM防御シス
テムが、大きく勢いを衰えさせているのだ。こいつのせいで攻撃は敵の火力が集中する真正面からと言う不利な戦いを強いられ、多数の犠牲が生まれ、さらにメビウス1が被弾し戦線離脱。最終的
にはティアナ機による攻撃が命中したが致命弾となり得ず、内部突入して現在に至る。
ECM防御システムは、強力な電磁波を機体の周囲に展開させてあらゆる攻撃を捻じ曲げる、まさしく鉄壁の防御だ。魔導師と言えど、下手に近付こうものなら電子レンジに自ら突っ込むのと同義。
だが、その電磁波が弱まっているならば――

「スカイアイ、あなたの主観的な回答で構わない。今なら魔導師でも、接近は可能だと思う?」
「不可能ではないだろうが、君たちはもう消耗が――」
「ありがとう。ちょっと、行ってきます」

スカイアイの回答は、気休めのようなものだった。自身もはやてと同様、バリアジャケットは煤けて破れ、魔力だって消耗している。
冷静な思考を抑え、向こう見ずに飛び出すには、何でもいいから誰かの言葉が必要だった――フェイトにとって。
背後で、親友の自分を呼び止める声がした。フェイトちゃん、あかん。それが耳に入る頃にはもう、彼女は闇夜の奥へと駆け出していた。損耗してなお、自慢の高速性は損なわれていない。

「ごめん、バルディッシュ。付き合って」
<<All lights,Sir>>

うん、いい返事。微笑み、彼女は速度を上げた。
長年の相棒、黒き斧であり槍であり剣であるインテリジェントデバイスは、主に最後まで付き従う心構えだった。急加速し、フェイトはXB-0改に向けて突撃する。
弱体化したとはいえ、消滅した訳ではない電磁波。ひょっとすれば、内部から溢れ出た爆発に巻き込まれるかもしれない。
だが、危険は承知の上。補佐官が中で戦っているかもしれないのに、指を咥えて見ているなど、彼女には出来なかった。
――あぁ、そういえば。地上本部の、戦闘機乗りの人たちの間で、流行の言葉があるって、ティアナに聞いたっけ。危険なことに臨む時、気合を入れたい時に言う言葉だって。

「天使と、ダンスだよ――!」

沈み行く黒い翼に向け、金の閃光が加速する。さながら、天使と踊るようにして。



弱点が分かってしまえば、もはやこっちのものだった。あとはひたすら、時間との勝負。
肩を大きく上下させて、しかしティアナは両手に構えたダガーモードと通常の拳銃型のクロスミラージュを下ろさない。まだ、敵は動く様子を見せていた。

「く……ク、フ、クハハハッ」

攻撃してくる瞬間、つまりどうあっても、その身を実体化させなければならない時。それこそが狙い目であり、奴の弱点だ。
拳を振り上げ、襲い掛かる度に狂人は勇敢なる銃士に撃たれ、切られ、手痛いカウンターを喰らい、それでも不愉快な笑い声を上げて立ち上がる。まるで壊れた人形のようだった。
今この時でさえ、壁に叩きつけられたスカリエッティは立ち上がり、笑っている。ふらふらとした足取りのまま、魔力の刃で切り刻まれ、ホログラフに戻っても消え始めている拳を握り、ティアナ
に襲い掛かってくる。
振りかぶり、自身を狙った一撃を、少女は軽々と避けた。そうして懐に飛び込み、左手に握る刃を一閃。狂人が振りかざしてきた拳を斬りつけ、大きく怯んだところに逃がさない、と右手のクロス
ミラージュ、その銃口を相手の胸に押し当てる。引き金を引けば、響き渡るは一発の銃声。零距離での射撃を受け、スカリエッティはひっくり返り、冷たい床へと転がり込んだ。

「諦めなさい。決着はついたわ」

この艦も、おそらくもう間もなく沈む。艦橋にだって、内部爆発の衝撃がしっかり伝わっていた。何が起こったかは分からないけど、只事ではないのは確か。
さてはあいつらの仕業かしら、と銃口をスカリエッティに突きつけながら、頭の片隅で適当に結論を出しておいた。あのベルカ公国を名乗った連中が、破壊工作をやったのだろうと。
一方で忠告したにも関わらず、狂人はなおも、立ち上がろうとしていた。何度か躓きながら、おぼつかない足取りで、しかし降伏の意志は決して見せず。顔に浮かべる表情は、狂気と言う名の笑顔。

「諦める、だと――? 面白いことを言うね、君は」
「…………」
「私は、無限の欲望。私は、狂人。私は、狂気そのもの。私の辞書に――」

ずるずると、足を引き摺りながら。白衣の男は、ティアナに近寄ってくる。
もういいわ、と。少女は疲れたように、ため息を吐く。

「わた、しの辞書に――諦めなどと言う文字は、ない。可能性ある限り、私は、追求、する……!!」
「じゃあ、その可能性の回答をしてあげる」

銃口を向け、狂人の眉間に向けて照準。もっとも狙う必要もない。放っておいても、標的は歩いてやって来るのだから。
引き金を引く寸前、彼女は言い放つ。

「これで、ゲームオーバーよ」

パンッと、乾いた銃声。眉間に魔力弾の直撃を浴びたスカリエッティは今度こそ、力なく地面に倒れ、動かなくなった。
終わった。数ヶ月前、JS事変と言う大きな動乱を起こし、今再び大勢の人を巻き込んだ歴史上稀に見る狂人の、あっけない最後。弾丸は非殺傷のはずなのだが、もはや彼は人間ではなかったのかも
しれない。倒れた身体はやがて、崩れるように光となって消え去っていった。

「――っと、感傷に浸る暇はないわね」

グラリと、艦橋が大きく揺れた。その辺にあったコンソールを掴み、どうにか姿勢を維持したティアナは駆け出す。急がなければ、この艦諸共、木っ端微塵になってしまう。
ベルカを名乗った連中はどうしたのだろう。揺れが酷くなりつつある艦内で、一応最低限の捜索は行ったものの、彼らの姿は見えなかった。先に脱出したか、あるいは軍人の誇りとして艦と共にく
たばる覚悟なのか。どちらにせよ、救出する時間もなければ余裕もない。
階段を下りて、通路を抜けて、最初に降り立った格納庫へ。なんとなく予想はついていたが、実際目の当たりにしてみて彼女は頭を抱えた。乗り込む際に搭乗していた愛機、F-15ACTIVEは崩壊を始
めたXB-0改の残骸に巻き込まれ、胴体を真っ二つに割られていた。まずった、脱出手段がない。

<<――アナ、ティアナ、聞こえる!? 聞こえたら応答して!>>
「っ、フェイトさん?」

その時、頭の中に直接響くような、聞き慣れた女性の声が飛び込んできた。念話による通信、フェイトからだ。状況を察して、迎えに来てくれたのか。

<<こちらメビウス2、ティアナです>>
<<ティアナ! 無事だったんだ、よかった――早く脱出して。この機体、外から見るともう危ないよ>>
<<ええ、分かってます……F-15ACTIVEは大破、飛行不能。壁を破って外に飛び出しますから、回収願います>>

えぇ? と通信回線の向こうで驚きと疑念の声が上がっていたが、もう時間がない。辺りを見渡し、壊せそうな部分はないか探す。幸い、すぐ近くに歪んだ壁面が見つかった。
クロスミラージュを構えて、一発、二発と魔力弾を叩き込む。もともとダメージを負っていた壁面はそれだけで外れ、どっと冷たい外の大気が格納庫内に押し寄せてきた。その向こうには、どこま
でも真っ暗な夜のミッドチルダが広がっていた。
相棒をホルスターに入れて、縁に捕まったティアナはう、と一瞬怯む。怖くない、なんてはずがない。だが飛ばねば、墜落に巻き込まれる。どちらを選ぶかは明白だった。
飛び出す寸前、彼女は一度振り返る。視界の中で目についたのは、真っ二つになった愛機、F-15ACTIVE。今日まで一緒に飛んでくれたのに、自分は彼を見捨てることになる。

"構わない、行ってくれ。あんたの操縦、最高だったぜ"

それは、目の錯覚だったのかもしれない。空耳だったのかもしれない。だけど、光が灯るはずのないコクピットから、計器のものと思しき微かな光が零れたのを、決して彼女は忘れない。

「――ごめん。さようなら、相棒」

飛び出す。闇の世界に向けて、ティアナはその身を放り投げた。



耳元で唸る風の音。空中浮遊にも似た感覚を引き起こす自由落下。外気は、予想以上の寒さだった。バリアジャケットの保温効果がなければ、凍傷を負っていただろう。
宙に放り投げだされたティアナは、振り返ってXB-0改を見た。夜空の、黒いキャンパスの中であってもなお目を引く漆黒の巨大な翼は、至る所で小爆発を起こし、崩壊への道を歩んでいた。進路は
もはや変えることすらままならないのか、真っ直ぐ海を目指していた。この分なら、地面に落ちて被害が出ることはない。
――ふと、視界の奥から、金色をした閃光が一つ、こちら目掛けて駆け抜けてくる。彼女はそれに向かって、手を伸ばす。
閃光は、予想通りフェイトだった。差し出した手を見た彼女は同じように手を伸ばし、しっかりと掴む。降下速度が鈍り始め、やがて高度が一定を維持するようになったところで、執務官が口を開
いた。

「ティアナ、怪我は!?」
「――大丈夫です、ご心配なく。助かりました」

返答を聞くなり、フェイトは深々と安堵のため息を吐いた。よほど心配だったのだろう、この人らしいなとティアナは微笑を見せて、釣られてフェイトも笑みを見せる。

「とりあえず、中での事情は後でゆっくり聞くね。今は、基地に戻らないと」
「お願いします……あっ」

不意に、自身が救出した補佐官が声を上げたので、フェイトは怪訝な表情。あれを、とティアナが指差す方向に視線をやって、あぁ、と納得する。
洋上に出た途端、XB-0改がいよいよ本格的に崩壊を始めたのだ。巨大な黒い翼は高度を急激に落とし、途中でついに、機体の主要部位が空中分解を始めた。左の主翼が割れ、悲鳴のように金属音と
崩壊のよる轟音を鳴らしながら、巨鳥は墜ちていく。
こいつが出現したのは、日付が変わる前、昨日の夕方頃だったろうか。たった一日にして、死すべき運命に向けて堕ちていくその様は、敵であったティアナにも哀れに思えた。

「還りなさい、海に」

自然と、口が開いてしまった。弔いの言葉。XB-0改だけではない。この戦いで亡くなった、全ての人々に向けてのもの。

「静かに、眠って――」



崩壊していくXB-0改の様子は、スカイアイからでもレーダーによって確認できていた。
E-767の高度な電子戦能力ならば、むしろXB-0改のような巨大な飛行物体は捉えられなければおかしいのだ。管制官たちの見つめるレーダー画面の中でも、一つの大きな点がやがて二つに分裂し、小
さく細かな点が増えていく。機体から剥がれ落ちた残骸だろう。

「……待て。何だこいつは」

だが、しかし。管制官の一人が、小さく細かい点の中で一つ、奇妙なものを見つけた。
他の小さな点はいずれも残骸ゆえ、ただ高度を落としていくだけだが――何故だか彼が見つけたその光点だけは、まるで落ちて行く残骸を避けるようにして複雑な機動を取りながら、上昇していく。
最初のうちは、レーダーのエコーだと思った。あれだけ大きな機体が空中分解したとなれば、電波の反射でそういったイレギュラーが出てもおかしくないだろうと。他の管制官に聞いてみても、皆
似たような意見ばかりだった。
奇妙な光点が、自ら電波を発し、最高速度マッハ3以上を叩き出す、その瞬間までは。
同時に通信回線に飛び込んできたのは、あの男の声。

<<さぁ、準備は整った。Project nemoの、最終段階と行こうじゃないか>>




そして、夜のワタリガラスが出撃する。









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最終更新:2010年12月06日 18:39