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**東京ヤクルトスワローズって? チーム名は、東京ヤクルトスワローズ。 会社名は、株式会社ヤクルト球団。 創設年度は1950年。 本拠地は、明治神宮野球場、2軍はヤクルト戸田球場である。明治神宮野球場は、宗教法人「明治神宮」が所有権を持っている。 1軍はセントラルリーグ、2軍はイースタン・リーグ所属のプロ野球チームである。 株主は、ヤクルト本社(80%)、フジ・メディア・ホールディングス(20%) 1990年代は読売ジャイアンツと並ぶ強豪チームとなり、21世紀初のセリーグ優勝と日本一に輝いた事もある強豪チームであった。ただ、毎年恒例となる戦力流出などより解説者による開幕前の評価は毎年低く、それでも3~4位のポジションにいるというチームだったが、2007年には21年ぶりの最下位となってしまった。 2008年からは野村~若松~古田と続いたID野球の系統を一掃し、[[高田繁]]監督の下、若手を多用し機動力を重視したD&D野球を掲げ2008年は1軍は5位(144試合・66勝74敗4分)、2軍は10年振りのリーグ優勝(96試合・53勝34敗7分)に輝く。 2009年は主力選手の流出なし、球団初のFA宣言選手を獲得など積極的な補強に成功。 また、2009年はヤクルト球団創設40周年でもある。ユニフォームも一新し「JUST PLAY TO WIN」(全員で勝利のために頑張ろうという意味)のスローガンの下、前半は首位読売と最少2.5差まで追い詰めるなど貯金を最大14まで伸ばす。後半には入ると一転、先発投手陣の崩壊や故障者の続出等で球団初の12カード連続負け越し、17年ぶりの9連敗など大失速も3位(71勝72敗1分)へ滑り込み、3年振りのAクラス復帰。 2010年は前年度後半の大失速の原因のひとつとなった先発投手陣の整備、即戦力ルーキーの獲得、若手選手の底上げを重視。前年と同じスローガンである「JUST PLAY TO WIN」、「一戦必勝」の精神で2年連続Aクラスを狙う。 マスコットキャラクターは[[つば九郎>つば九郎]] [[つば美>つば美]] [[燕太郎>燕太郎]] ---- ■チーム成績・記録 リーグ優勝 6回 (1978年、1992年 - 1993年、1995年、1997年、2001年) 日本一 5回 (1978年、1993年、1995年、1997年、2001年) ---- ■欠番について 球団として公認された永久欠番はなし。欠番的な背番号には次の2つ。 **&bold(){1:若松勉 } 1989年彼の引退時に、背番号1番を永久欠番にとの署名などが多く集まり、球団が当面欠番とすることを決定。 入団当初「36」を着けていた池山が、1991年のオフに球団へ打診、これまでの成績から球団はこれを了承し1992年から「1」を付ける。2001年に池山が「36」に戻ったのに伴って岩村に継承された。 2007年から岩村がMLBへ移籍したことに伴い、青木に打診したが本人は辞退。以降、欠番に。 2010年より、長年固辞していた青木が遂に継承を決意。4年振りの復活となる。 歴代の継承者の通り、生え抜きの球界を代表する大打者に受け継がれてきた背番号であり、&bold(){「生半可な成績では継承は無理」}な番号である。 **&bold(){27:古田敦也 } 2007年に引退した同氏の功績を称え、球団は&bold(){「名誉番号」}とした。 2009年に相川をFAで獲得する際に、誠意として球団側は使用してもよいと打診したが、流石にこれは恐れ多いと相川が辞退した。 &bold(){「実績を積んだ捕手だけが使用できる番号」}で、&bold(){着用に相応しい選手が現れるまでは欠番。} 彼以前には、根来広光→加藤俊夫→2009年の横浜の監督と、国鉄→サンケイ→ヤクルトの正捕手が着けていた。 「1」と共に由緒ある番号。 ---- **[[2008年スワローズ戦歴>2008年記録]] **[[08-09入退団一覧]] **[[2009年スワローズ戦歴>2009年記録]] **[[09-10入退団一覧]] **[[2010年スワローズ戦歴>2010年 記録]]
**東京ヤクルトスワローズって? チーム名は、東京ヤクルトスワローズ。 会社名は、株式会社ヤクルト球団。 創設年度は1950年。 本拠地は、明治神宮野球場、2軍はヤクルト戸田球場である。明治神宮野球場は、宗教法人「明治神宮」が所有権を持っている。 1軍はセントラルリーグ、2軍はイースタン・リーグ所属のプロ野球チームである。 株主は、ヤクルト本社(80%)、フジ・メディア・ホールディングス(20%) 1990年代は読売ジャイアンツと並ぶ強豪チームとなり、21世紀初のセリーグ優勝と日本一に輝いた事もある強豪チームであった。ただ、毎年恒例となる戦力流出などより解説者による開幕前の評価は毎年低く、それでも3~4位のポジションにいるというチームだったが、2007年には21年ぶりの最下位となってしまった。 2008年からは野村~若松~古田と続いたID野球の系統を一掃し、[[高田繁]]監督の下、若手を多用し機動力を重視したD&D野球を掲げ2008年は1軍は5位(144試合・66勝74敗4分)、2軍は10年振りのリーグ優勝(96試合・53勝34敗7分)に輝く。 2009年は主力選手の流出なし、球団初のFA宣言選手を獲得など積極的な補強に成功。 また、2009年はヤクルト球団創設40周年でもある。ユニフォームも一新し「JUST PLAY TO WIN」(全員で勝利のために頑張ろうという意味)のスローガンの下、前半は首位読売と最少2.5差まで追い詰めるなど貯金を最大14まで伸ばす。後半には入ると一転、先発投手陣の崩壊や故障者の続出等で球団初の12カード連続負け越し、17年ぶりの9連敗など大失速も3位(71勝72敗1分)へ滑り込み、3年振りのAクラス復帰。 2010年は前年度後半の大失速の原因のひとつとなった先発投手陣の整備、即戦力ルーキーの獲得、若手選手の底上げを重視。前年と同じスローガンである「JUST PLAY TO WIN」、「一戦必勝」の精神で2年連続Aクラスを狙う。 マスコットキャラクターは[[つば九郎>つば九郎]] [[つば美>つば美]] [[燕太郎>燕太郎]] ---- ■チーム成績・記録 リーグ優勝 6回 (1978年、1992年 - 1993年、1995年、1997年、2001年) 日本一 5回 (1978年、1993年、1995年、1997年、2001年) ---- ■欠番について 球団として公認された永久欠番はなし。欠番的な背番号には次の2つ。 **&bold(){1:若松勉 } 1989年彼の引退時に、背番号1番を永久欠番にとの署名などが多く集まり、球団が当面欠番とすることを決定。 入団当初「36」を着けていた池山が、1991年のオフに球団へ打診、これまでの成績から球団はこれを了承し1992年から「1」を付ける。2001年に池山が「36」に戻ったのに伴って岩村に継承された。 2007年から岩村がMLBへ移籍したことに伴い、青木に打診したが本人は辞退。以降、欠番に。 2010年より、長年固辞していた青木が遂に継承を決意。4年振りの復活となる。 歴代の継承者の通り、生え抜きの球界を代表する大打者に受け継がれてきた背番号であり、&bold(){「生半可な成績では継承は無理」}な番号である。 **&bold(){27:古田敦也 } 2007年に引退した同氏の功績を称え、球団は&bold(){「名誉番号」}とした。 2009年に相川をFAで獲得する際に、誠意として球団側は使用してもよいと打診したが、流石にこれは恐れ多いと相川が辞退した。 &bold(){「実績を積んだ捕手だけが使用できる番号」}で、&bold(){着用に相応しい選手が現れるまでは欠番。} 彼以前には、根来広光→加藤俊夫→2009年の横浜の監督と、国鉄→サンケイ→ヤクルトの正捕手が着けていた。 「1」と共に由緒ある番号。 ---- **[[2008年スワローズ戦歴>2008年記録]] **[[08-09入退団一覧]] **[[2009年スワローズ戦歴>2009年記録]] **[[09-10入退団一覧]] **[[2010年スワローズ戦歴>2010年 記録]] **[[10-11入退団一覧]]

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