【泰葉直撃インタビュー】激動の1年(上)
谷村さんのこと、夫婦愛そして「ガチンコの新曲」
2008.12.28 16:33
2008年、激動の1年を送った歌手の泰葉さん(47)。昨年10月に春風亭小朝さん(53)との電撃離婚、今年10月に自身のブログに端を発した小朝さんや谷村新司さんの所属事務所とのトラブル、20数年ぶりの歌手活動再開と新曲発表、「ハッスル・マニア2008」でのプロレスデビュー、最後には名誉棄損での訴訟騒ぎ…。泰葉さんはこの1年をどう振り返っているのか。(聞き手 産経デジタル・大野正利、堀川亮子)
--17日に20年ぶりに新曲発売と30日のハッスル参戦。この年末、多忙を極められておりますが、まずは新曲「お陽様よほほえんで」の発表について
「この新曲が誕生したのが9月22日でした。本当は父の命日である9月20日にデビューしたかったのですが、5月から3カ月間、ホントにこもりっきりで、苦しみながらいっぱい曲を書いたんですけど、私の20何年ぶりの新曲ということで、納得がいかなくて。
そして9月20日が過ぎちゃったなあ~、あ~あとうとう新曲はできなかった、デビューもできなかったなあ、どうしようと思って、う~んと苦しんでできたのがこの『お陽様よほほえんで』でした」
--新曲に込めた思いとは
「それまでの自分の人生、日常を振り返ってみたら、別のシナリオがあったなんじゃないか、と反省したんです。20年以上もの間、結婚生活を続けてきて、それがいいとか悪いとかでなくて、自分で作ったシナリオを自分で演じていたな、ということに気がついたんですね。そして『ああこれは歌にしなきゃいけない』と思った。
ただ、それだけだと自分を振り返っているだけなので、やっぱりメッセージがほしい。で、今までいろいろお世話になった人や傷つけてしまった人に申し訳ないな、という気持ちを込めて『許してあげよう、すべての心を』という歌詞ができたんです。
『お陽様にほほえんで』というのは、父(「昭和の爆笑王」といわれた故・初代林家三平さん)がお陽様の象徴なんですけど、『私の生き方は正しいのであろうか』という父への問いかけでもあります」
--どんな返事がいただけると思いますか
「正しいといってほしい、微笑んでほしいと。間違ったかもしれないけど、それは反省する、と自問自答している曲でもあります
あえて1人称2人称にしなかったんですが、いろんな方に自分の思いを込めていただきたかった。だから歌うとすごい気持ちいいんですね。ぜひ戦っている女性とか男性も、カラオケで歌っていただくとすごい気持ちいいです。熱唱していただきたいと思います」
--歌ってもらう人のことを考えながら曲作りをするのですか
「とくにそうではありません。書くそれぞれの曲に、命から先に作っていきます。曲の魂ですね
私はこの曲で何を言いたいのか、何を伝えたいのか。魂がないと伝わらないので、まずはそれをみつけます。
次に具体的に言葉が出てきて、その魂につながる言葉がみつかったときに、そこがサビになっているんですね。今回の新曲は、魂はがっちり、ガチンコでしたね。曲のほかの部分は書き直します。まるごと曲を全部変えたりすることもあります。メロディにぜんぜん違う詩を載せることもあります」
--先ほど話しておられた「自分で作った人生のシナリオ」とは
「音楽をリタイアして、一切やめて、おかみさん業に徹するというシナリオを作ったんですけど、それが実は実際の自分とズレていた。20年間のそのズレの歪がかなりヒビ割れていまして、そこをあけてみたらパックリ大きな傷が開いていた。その痛みを言葉にしたい部分もありますね。相手に対する痛みでなくて、自分が痛いということなんです」
--20何年ぶりの再デビュー。以上と何か違いはありますか
「ぜんぜん違います。まず以前は詞が書けなかったんですね、20何年前は。詞が全然書けなくてサウンド志向だったのでものすごくフュージョン系の音楽で、サウンドやコードのカッコいいヤツに心酔していた。メロディラインばかりだったので、今思うと曲の命というのはなかったと思います。当時のメロディは自分でいうのは何ですが、そのころのポップス系では新しいコード進行のものを作っていた。
今回、全然違うところは、『詞を書け』と谷村新司さんがいってくれて、かなり指導してくださって、キーワードになるようなことをたくさん教わりました。そのお陰でみるみるうちに書けるようになっていきました
とても、谷村さんがいなかったら書けなかったですね。20代のころは歌謡曲が全盛でニューミュージックが出てきて、山下達郎さんのいたシュガー・ベイブがすごく新しい音楽をやっておられて、すごく新鮮で。その後、YMOが出てきてテクノになって、という流れだったんですが、ニューミュージックの端くれに私がいまして、それでもやっぱりちょっとジャズよりのものがやりたかったので、ジャズのにおいがかなりしていると思います」
--それが今、変わった
「そうです、谷村さんの影響で魂をこめた曲ができるようになったので、びっくらこいて、自分でも驚きます」
--どれくらいの期間教わったのですか
「5月から、とくに6、7、8の3ヵ月間の集中短期講座でした。毎日毎日私は1作づつ作って、メールで送りました。で詞を作って送ると『ここはこうだから』とか『いいよ』『もう少しこうしてみたら』っていうアドバイスがあって、で今度『メロディーも付けてごらん』ということになって、作っていったのがたくさんあります」
--もともと詞は苦手だった?
「すごく恥ずかしかった。自分の恋や愛を歌うのは非常に恥ずかしくて、照れるタイプだったんですけど、今度違う切り口でいけたので、書けたんだと思います。
でも今もみんなに恋愛の歌を書け書けといわれているのに1作もできていないんです。でもそのうちいいのができるでしょう。
色々あって自分も変わってきている、とても強くなりました。強いのにまた強くなったら困っちゃうんですけど。
あのころはとてもつらかった、つらい時期に書いていたので、その強さは忍耐だったんですけど、今度はもっとデカい強さ、やさしい強さが出てくるような気がします。この『お陽様よほほえんで』の出た後には、やさしい強さというか柔軟な強さみたいなのが出てくるのではないでしょうか」
--谷村さんの詞の指導はそんなにスゴいのですか
「スゴいです。いつもいい、いいよ、と。けなされたことは一度もないんです。
で、何かひっかかたとき、『ここ』というポイントだけ指摘する。すごかったですよ、私の財産です。開眼しました。企業秘密なので詳しくはいえませんが」
--音楽やっていなかった20数年間、心の中にどのようなものを溜めていたんでしょうか
「犯罪捜査ではないんですが、ある番組で深層心理から行動を読み解いていただく『プロファイリング』をしていただいたのです。人の心理はピラミッド型になっていて、『意識下』と『無意識下』がある。たとえば富士山だとすると、目に見える行動は山頂から7合目までの意識下で動いているのですが、7合目から麓までの残りの7割の部分は無意識下に隠れている。
私は意識下のところではおかみさんしてたんですけど、無意識はすごい溜まっていたようで、その無意識のなかで色んなものを考えたりしていたようですね。
いろんなものを、歌舞伎とか映画もたくさん観たし、本もたくさん読んでいたので、そういうなかで溜まってきたものが、どっかーんと出た。番組で先生は『無意識と仲良くしなさい。お友達にならないと爆発する』といわれました。先生は『(一連の騒動は)仕方のないことでしょう』とおしゃってくれました」
--無意識と仲良くするのは難しそうですよね
「睡眠の時間にあるらしいんです、そういうの。だから睡眠の前に負のことを考えるなっていわれました。負のことを考えると、無意識が封印されるようです。というか、負に流れていってしまうようなので。
私の場合はすごく意識的に封印していました。意識的に無意識を封印していたんです。
つらいということも感じていなかったんですね。だから出てきたときは大変つらかった。地獄かと思うくらいつらかったです。だからあんな暴れちゃって、あんなこと言っちゃったんです。
暴れたことは、ぞれはもう認めます。みなさん、言いたいんでしょ」
--落ち着いてお話されると、そんな風にはみえませんね
「なんかエキセントリックな感じ、とかいうイメージがあるらしいんですけど、実はそうでもないんです。あのときはでもちょっと、我慢し切れなかったですね。非常につらかった」
--昨年10月の離婚会見で「小朝さんは父親的な愛情で私を見た。私は女としての愛情がほしかった」と発言しておられました。女性として、結婚相手に求めたいこととは
「結婚後も女としてみてもらいたいんです。スキンシップとか、ちょっとした愛の言葉とか、日ごろそんな触れ合いがあればいいんですよ。料理作ったら『おいしいよ』とか、そういうことが大事なんでないでしょうか。
この話題、一般論でいっていいですか。あんまり触れたくない部分なので…。私の経験上、そうだと思います。それがとても欲しかったです」
--会話がないわけではなかったですよね
「会話はありますよ、すごいあるけど、落語のことばっかりだった。『おいしいよ』『きょう化粧変えた?』『髪の毛変わったね』とか、そんだけでいいんですよ」
--小朝さんはまじめな方だったですね
「ノーコメントです」
※【泰葉直撃インタビュー】激動の1年(中)(下)に続く
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最終更新:2008年12月29日 20:04