人にされて嫌だったこと、苦しかったことを人にやって返して取り立てる。

自分が不幸だった分は幸せな奴から取り立てないと取り返せない。

それが私たちの生き方だ。たとえ死のうが譲るつもりは毛頭ない。




ぴちゃり、と水の跳ねる音が鳴る。

「あら、いい男じゃない」
「そいつはドーモ」

暗がりの部屋の中、一組の男女が向かい合っていた。
男は金髪で黒を基調とした服装に身を包み、女は袖のない着物の美女だった。

「顔が綺麗な男は好きよ。綺麗な奴ほど食が進むもの」
「食ってのは、つまり俺の身体目当てってワケェ?キャッ」
「ええ。綺麗なとこはちゃあんと食べてあげるわ」

おどけるように己の肩を抱き慄く男に対し、女は妖艶にほほ笑みかけながら濡れた口元を拭う。
女の名は堕姫。人間を喰らう鬼である。

「俺を食う、ねえ...お前、そういう趣味か?それとも主食人間の怪物様ってか?」
「恐いなら逃げてくれてもいいのよ?獲物は少しくらいイキが良くないと準備運動にもならないもの」

堕姫が軽く手を振ると、それに合わせて着物の帯がひとりでに動き高速で飛び、男の右耳を切裂いた。

「わかるでしょう?私の強さと恐ろしさが。恐怖で引き締まった肉はまた格別なのよねえ」

悠然と歩を進め距離を詰めていく堕姫に警戒の意思はない。
己の力を確信している者特有の余裕の表れだ。
実際、男も彼女の実力は身に染みている。
だが、それでも。

「―――ハハァ」

男は、笑った。失った右耳を意にも介さず。
流れる血と痛みすらも楽しむように。
悪魔を彷彿とさせるほどに大口を広げて笑った。

「何笑ってんのよ。気でも触れたの?...笑顔は醜いわね。顔以外を食べてあげるわ」
「いやな、いきなり連れて来られてタルイ映画見せられて、ガキ一人を狩れ、なんてつまらないゲームに巻き込まれて萎えてたんだよ。
けどよ、ちゃあんといるじゃねえか。同類(おなかま)が」

バチバチ、と何かが弾けるような音と共に、男の全身が黒の表皮に包まれ両肩や頭部に突起状の棘が生える。
突然の変貌に、堕姫は数舜、呆気にとられるも即座に切り替え帯を男へ向けて放つ。
当たれば致命は必須。しかし男は避けようとする素振りさえ見せない。
帯が男へと辿り着くその寸前、表皮に包まれ隠された奥底で、男はなおも笑っていた。

「狩野京児だ。仲良くしようぜ」



痛みや恐怖で歪む表情が好きだ。相手が命を失った瞬間の表情はいつまでも眺めていられるほど大好きだ。

人の社会で殺せば将来と家族に迷惑がかかるからやらなかったが、法律に縛られない人外共の魔境ならソイツを思う存分楽しめた。

暴力が、殺し合いが好きなのに理由はない。

両親も親族に遡ってもまともで、虐待の経験すらない。

コイツは、言い訳の効かない、産まれ持っての性(さが)だ。




ドン、と稲光の音が響く。

「あ"ああ"ガヴァガアアア」
「ギャーハハハハハハハッ!!!」

降りしきる雨の街道で、帯ごと全身を焼かれた美女が転がりのたうつ様を、黒の悪魔が狂喜の笑い声を挙げる。

「どうしたよ!食うんだろ俺を!!さっさと立ってみやがれよォ!!」
「こ、の、なめんじゃ」
「おせえって!!!」

京児が乱暴に足を振るうと、堕姫の顎がカチあげられベキリと首の骨が折れる。

「ぐっ」
「オラボサボサしてんな!!」

次いで、京児の腕から放たれる電撃が堕姫の両足を焼き切った。

「ヒ、ギイイィィィ―――アァッ!!!」

堕姫は涙目になりながらも歯を食いしばり思い切り叫ぶ。するとどうだろう。
折れた首は戻り、いましがた焼き切られたばかりの足が再生したではないか。

バ チ ィ

間髪いれずに放たれる電撃に、今度は両手足が同時に焼き切られる。
そのままベシャリと顔面ごと地面に突っ伏せる彼女を見て、京児は更に鼻歌交じりのご機嫌な笑みを浮かべた。

「う、ううう、手足さえ戻ればあんたなんか、あんたなんかぁ!!」
「おーそうかぁ。再生速度が自慢か。なら俺が尽きるかてめえにガタが来るか耐久レースといこうじゃねえか」

堕姫の手足が戻るのと同時、放たれた雷に焼き切られ。戻っては焼き切られ。
そんな同じ光景が何度繰り返されただろうか。

「ッ!」

先に疲労が表れたのは堕姫だった。
手足の再生速度が見るからに落ちていた。

















(消耗しすぎたんだわ!はやく、はやくあいつを食って回復しないと!)

「レースは俺の勝ちみてえだなあ」

京児はその隙を見逃さない。
焦燥する堕姫へ再び電撃を放ち、両手足を焼き切る。
そのまま堕姫は尻餅を着き壁に背中を預けた。

「う、うううう、このっ、このっ!」
「『再生力が落ちても私に限界はないんだ!いい気になってられるのは今の内だ!』かぁ?」
「ッ!ええそうよ!私は上弦の鬼!万全ならあんたなんかすぐに捻り殺してやるんだから!」

京児は堕姫の剣幕にも怯まず、どころかその殺気を堪能するかのようにニマリと笑みを深める。

「おぉ~こええ。じゃあ殺される前にたっっぷり楽しんでおかねえとなあ!」

ずい、と堕姫へと顔を寄せると同時。

ず ぶ り。

京児の手刀が堕姫の腹部を貫いた。

「あ、があ」
「その様なら治るのに30秒はかかるよなぁ。30秒ありゃあ充分遊べるよなああぁ!?」

中に詰まった柔らかいものを遠慮なしに握りしめ、一気に引き出す。
堕姫の腹部から血と共にピンク色の腸が零れ出て、加えて、空いた腹部に電撃を流され、内臓が全て焼きつくされる。

「がほっ」

激痛に涙が零れ、元の美貌が原型もないほどにぐしゃぐしゃに崩れる。

だが、鬼はその程度では気を失わない。ましてや十二鬼月に比類するほどの強靭な鬼であれば失うことなどできない。
尤も、気絶できたとしてもこの男がそれを許すはずもないが。

「あと5秒」

右の眼窩に指が差し込まれ、眼球が破壊され引き抜かれる。

「4秒」

頭部を掌で挟み込み両耳を焼き切り、脳髄へと電撃を流し込む。

「3秒」

するりと首を撫でた後、堕姫の豊満な胸に掌を突き立て、勢いのまま肋骨をへし折る。

「2秒」

骨をかき分け、中にある心臓を握りしめる。

「1秒」

勢いよく腕を引き抜けば肋骨は花のように露出し、握られた心臓から繋がる管が伸び血を滴らせる。

「0」
「ぃ、ぎが、あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"」

グシャリ、と心臓が潰れると同時、堕姫は淀んだ悲鳴と共に口端から泡と涎を垂れ流し、壊れた玩具のようにビクビクと痙攣する。

「10秒経過ぁ。...再生はほぼ限界みてえだが、これでも死なねえとはな。ヴァンパイアじゃねえなてめえ」
「......」
「どうしたぁ?さっきみたいに威勢よくキャンキャン吼えろよ。お前なんか敵じゃねえ。今すぐ脳みそぶちまけてやるって」
「ぉ...に...」
「もう声が出ねえか...可哀想になあ」

哀れむような眼とは裏腹に、京児の尻尾がうねうねと蠢きハートマークを描く。
そして。
ドスリと腹部から頸にかけて尻尾が貫通し、モズのはやにえの如く空へと身体が持ち上げられる。

「ごえっ、ゲボッ」

堕姫は潰れたカエルのような鳴き声を漏らす。

「安心しな。顔だけは残しておいてやるよ。潰しちゃ意味ねえし、自分がどうなってるか確認できた方がいいもんなァ」
「...!」
「ギャーハハハハハハ!!」

堕姫は心底恐怖した。
今までも死線を潜ってきたことはある。自分たち『鬼』を狩りにきた鬼殺隊との戦いでは、奴らは例外なく全力で殺しに来た。
鬼は人間よりも優れているから、奴らは命を捨ててでも鬼を殺す為に向かってきた。
けれど、この男は違う。鬼を殺す為ではない。ただ己の欲を満たすだけに鬼を壊しに来ている。
異常者。この男はまごうことなき異常者だ。

「ぃや...」

身体は再生し続けているが、戻ったところでまたあの雷の餌食になるだけだ。
このまま甚振り殺されるしかないのか。
あのお方に認められたというのにこんなゴミのように死ぬしかないのか。

「助けて」

堕姫は目を瞑り涙と共に叫ぶ。
鬼とは思えぬほどみっともなく、子供のように。

「助けてお兄ちゃん!!」




ギャ ギャ ギャ




聞きなれた音がした。
いつだって自分を護ってくれた、血の鎌が渦巻く音が。

京児の尻尾が切断され、堕姫の身体が地に落ちる。

「悲鳴が聞こえたと思って来てみればなああ、なにしてくれてんだよお前ぇ」


―――ああ、そうだ。自分が苦しんでる時。困ってる時。いつだって彼は傍にいてくれた。護ってくれた。

「お...にい...」

能力で繋がっていなくても関係ない。
傍にいなければ探して見つけ出してくれる。助けを呼んだらどこからだって駆けつけてくれる。

「お兄ちゃん!!」

現れた兄―――妓夫太郎の背中に、堕姫は弾けるような笑顔で歓喜した。



俺たちは二人で一つだ。



「お兄ちゃん!ソイツがアタシを虐めたの!アタシは頑張ってお肉を食べようとしただけなのに!!鬼じゃなかったら死んでたくらい甚振ってきたの!わああああん痛いよぉぉぉ!!」
「よ~しよし。もう大丈夫だぁ。痛かったよなあ辛かったよなあ」

再生途中の身体で泣きわめき縋りつく堕姫を撫でながらあやす妓夫太郎。
その背中へと京児は蹴りかかるも空を切る。
妓夫太郎は、蹴りが当たる寸前に堕姫を抱え飛び退き躱していたからだ。

「そのまま身体を治してろよなあ。後でたっぷりと食料を探してきてやるからなあ」
「うん、うん!」

堕姫が泣き止むと、妓夫太郎はぐるりと振り返り、顔を�惜きむしりながら京児を睨みつける。

「俺の妹を虐めやがって...覚悟できてんだろうなあああ」
「ハハァ、そいつの兄貴かお前。出来の悪い妹を持って大変だな」
「今のうちにせいぜい吼えてろ。もう謝っても許さねえ。妹にしやがったみたいにバラバラにしてくびり殺してやるからなああああ」

妓夫太郎の剣幕にも動じず、依然として笑顔の京児だが、その思考は冷静に現状を分析している。

(強ええな、コイツ。あの女よりも数段上だ)

己の尻尾を容易く切裂いた血の鎌や先ほど見せた高い身体能力。
加えて、こうして向かい合ってるだけでも漂わせる異様な気配。

「いいね。ゾクゾクしてきたぜ」

こんな強者を殺した時、どんな表情を見せてくれるだろう。
想像するだけで京児の胸はときめいていた。

「ヘイ。カモァン」

京児の挑発と共に妓夫太郎の足が地を蹴り、戦いが始まった。

ギャ ギャ ギャ

禍々しい音と共に血の鎌が空で渦巻く。

―――血鬼術 飛び血鎌

降りかかる複数の血鎌に対して、京児は掌を向ける。

―――黒雷(ネグロボルト)

バチリ、と稲妻の音が鳴り生み出されるは、黒色の電撃。
先ほどまで堕姫に使っていたものとは違う、己の意思で自在に形を変える雷の鞭である。
ポイ、と鞭を手放せば、血鎌と同じく自動で蠢き飛び掛かっていく。
降りかかる血鎌と雷の鞭が衝突し、弾けた欠片同士でさえ再び蠢きぶつかり合いミクロの領域にまで四散していく。
その傍らで、妓夫太郎の本物の鎌と装甲に包まれた京児の腕がぶつかり甲高い金属音を奏でる。

「ハッハァ!!」

京児の後ろ廻し蹴りが妓夫太郎へと放たれ後方へと吹き飛ばす。
加えて、頭上から電撃を放ち追撃。
その衝撃に妓夫太郎の動きが止まるが、しかしものの数舜で復活。
迫りくる拳を鎌で受け止め、お返しと言わんばかりに前蹴りで京児の身体を吹き飛ばし、怯んだ隙を突き再び距離を詰め鎌で斬りかかる。

(なるほどなぁ。妹がやられちまうわけだ。この雷は鬼でも喰らいたくねえからなあ)

打ち合う最中でも妓夫太郎は冷静に京児を分析していた。
まず厄介なのがこの装甲。生半可な攻撃ではダメージを通すことができず、本人の身体能力も侮れないものがあるため攻撃が当てにくい。
加えてあの電撃。食らっても死ぬことは無いが、細胞ごと焼き切るのが厄介だ。
鬼殺隊の日輪刀のようにただ斬るだけならすぐに再生できるが、細胞を焼かれればどうしてもそちらにも再生力を割き再生速度が落ちてしまう。
それを何回も繰り返し受けてれば消耗はあっという間に甚大になり堕姫のように底を着いてしまう。

(だが弱点は見つけた)

打ち合いの中で京児が密かに距離を取ろうとすれば、間髪入れずに妓夫太郎も距離を詰める。

(こいつの電撃...あの血鬼術が相手してる方の黒い奴は別としてもだ。至近距離じゃあロクに使えねえ。自分も巻き込むからなあ)

先ほど受けた落雷は確かな威力だったが、範囲が広いためにこうして近づいていれば受けることはない。
そして、間髪入れずの連撃はできない。あの威力を保つには最低でも5秒以上のインターバルが必要だ。
接近戦でまともに使えるのは、特定の部位に放つ為の範囲を絞った電撃くらいだ。
威力を抑えた電撃程度なら、妓夫太郎の再生力を持ってすれば、多少受けたところで問題はない。

「妹にはそれで通用したかもしれねえが、俺には通用しねえなあ。俺はあいつよりも強いからなあ」

それに、と言葉を切り、妓夫太郎はニヤリと笑う。

「お前には出来ないことを俺はやれるんだよなあ」

ギャ ギャ ギャ

妓夫太郎の両腕を血が渦巻き円を象る。

―――血鬼術 円斬旋回・飛び血鎌

広範囲から襲い来る血鎌に対応するも、妓夫太郎本人の鎌までもは防げず被弾を許す。

「おまけだ」

―――血鬼術 飛び血鎌

加えて、斬りつけた箇所から幾度も血鎌を放ち装甲へとダメージを重ねていく。
いくら装甲が頑丈とはいえ、同じ個所に力を加えられ続ければ脆くなっていく。
ほどなくして、京児の装甲は割れ、その下の中身へと斬傷が刻まれた。

「鎧ってのは一遍ヒビが入れば脆いもんだよなあ」

間髪入れずに血鎌を京児の両足に放ち切り落とす。
支えを失い上体が崩れる京児はもう逃げることは出来ない。
トドメをささんと妓夫太郎の鎌が京児の頸へと振り下ろされる。

ド ン ッ

落雷。予想外の衝撃に妓夫太郎は動きを止められる。

「ガァ、テメェ、自分ごと...!」

妓夫太郎の視界がホワイトアウトしたのはほんの数舜だった。
しかし、視界が戻れば、そこに京児の姿はなかった。

(逃げた...?いや、雷のダメージは自分も受けたんだ。近くに隠れたんだなあ。悪あがきしやがって)
「お兄ちゃん!」

戦いの動きが止まったのを見計らって、堕姫が妓夫太郎の背中へと飛びついた。

「お前、もう身体戻ったのか?」
「うん、お兄ちゃんが時間を稼いでくれたからほらこの通り!帯は焼かれちゃったから使えないけど...」
「ならいいが離れてろお。あいつがどこから襲ってくるかもわからねえ」
「大丈夫よ、アタシ見てたもの!あいつが再生させた尻尾を使ってそこの家に入っていったのを!」

堕姫が指さしたのは、人一人が入るには充分な大きさの穴が空いた壁。
堕姫の証言を裏付けるかのように、血痕が点々と地面を濡らしている。
妓夫太郎は堕姫を撫で褒めた。

「よく見てたなあ。偉いぞお『梅』」
「あ...名前」
「嫌だったかあ?」
「...ううん、堕姫よりも梅がいい。私はお兄ちゃんの妹だもの!」
「...そうかあ。なら行くぜ梅」
「うん!」

充分に撫でられ満足した堕姫は、妓夫太郎から離れ共に家へとにじり寄っていく。

「雷なら死にはしねえが頸だけは気をつけろよお。今は俺と繋がってねえんだからよお」
「解ってるわ。油断せずにあいつを嬲り殺してやるの。やられた分はちゃんと取り返さないと」
「そうだなあ。それでこそ俺の妹だあ」

二人は勝利を確信する。
血鎌を通じて毒も仕込んだ。両脚も切り落とした。後は嬲り殺して食らいつくすだけ。
この追い込んだ状況が故に―――ではない。

二人が一緒ならなにも怖いことはなかった。
例え一度殺されていても何にも変わらない。
梅と妓夫太郎。二人が揃えばそれだけで最強だ。
彼らの世界とはそういうものだった。

「ッ...!」
「どうしたぁ?」
「なんか、急に首に痛みが」

『―――首輪への過剰干渉確認。起爆します』

「は?」

けれど、彼らの世界が壊れるのにも、いつだって前振りなんてものはなかった。

ボンッ、とそんな軽い音と共に首輪が爆ぜ堕姫の頭部が地に落ちる。

妓夫太郎が呆然と立ち尽くすその最中、彼の視界は捉えた。
宙を舞う、銀色の糸を。堕姫の血が着いたその糸が、京児の隠れた家へと繋がっているのを。

「―――何してんだてめええええええええ!!!!!」

怒髪天を衝く勢いで激昂し家へと侵入する妓夫太郎。
いた。両脚を失いながらもこちらへと鋭い視線を投げかける男、狩野京児が。

「よくも俺の妹を!!死ね、死ね、死ねええええええ!!!」

怒りのままに血鬼術を振るい京児へと躍りかかる。
黒雷が血鎌を捌き、雷撃を放とうとする掌も関係ない。
己を護る、ということすら考えず感情任せに振るう鎌は京児の腕を切断し雷撃を不発に終わらせる。

殺す。腸を引きずり出して。生まれてきたことを後悔するほどに痛みを刻んでから首を斬って脳天をカチ割ってやる。
振り下ろす鎌は、しかし京児へと届かない。

京児に残された最後の左腕が放り投げた翼が、妓夫太郎の身体を空へと持ち上げていたからだ。

「ああああああああ!!!!クソッ、クソッ!!!!!返しやがれ!梅を返しやがれえええええ!!!!」

遠ざかっていく京児へと血鎌を放っていくが、その悉くが黒雷に阻まれる。
己の身体が上空へと加速していく中で必死に手を伸ばすが届かない。
妹の仇にも。塵になっていく妹の亡骸にも。

妓夫太郎の手はなにを掴むこともなく、ただ虚空を掻きむしるだけだった。


『泣くな、ネコネ。これは仮面の者の定め...悔いはない』

いつも、いつもそうだった。

『ネコネ、幸せにな』

大切な人達が消えゆく時に、私は何もできない。託されるだけで、何にも返すことが出来ない。

その度に思う。どうして私はこんなにも弱いままなのだろうと。






「森嶋帆高を見てないかい」

それは唐突な出来事だった。
獣の耳を生やした少女―――ネコネは、目つきの鋭い妖艶な美女―――堕姫にそう声をかけらた。
森嶋帆高。この殺し合いが始まる前に見せられた映像に出ていた少年である。
まだ会っていない旨を伝えると、堕姫は興味が無いと言わんばかりに立ち去ろうとし―――ピタリと止まり振り返った。

「そういえばお腹が空いたわねえ」

そんな思いつきのようなセリフと共に、肩口に痛みが走った。
堕姫に肩の肉を噛み千切られたのだと気づいたのは、その数秒後だった。

「あら、あんたの肉は味わったことのない変わった味がするねえ。あたしは好きよ、あんたの味」
「ど、どうして」
「あたしは鬼よ。人を喰らうことのできる特別な存在。喜びな、あんたは美しい顔をしてるから骨までしゃぶってあげる」

舌なめずりする堕姫の目を見て、ネコネはかつて戦った獣を連想する。
巨大獣ガウンジ。獰猛な気性で、人間をただの餌としか見ない龍型の獣だ。
彼女が人間ではないと悟ったネコネはとっさに攻撃用の呪符・夕星を放ち、烈火の陣を敷く。
獣であれば大なり小なり火を怯える筈だという直感だ。

だが、それが逆に彼女の逆鱗に触れた。

「――――お前ええぇッ!!」

堕姫は目にも留まらぬ速さで、火に巻かれるのも構わずネコネのもとへと駆け出す。

横なぎに腕が振るわれると察したネコネは咄嗟に飛び退き距離をとる。

「ぁ、れ?」

走る激痛に腹部を抑える。
恐る恐る抑えた掌を返し見れば真っ赤に染まっている。
腹部を切られたのだ。躱しきれなかったただの手刀で。
それを認識したネコネの身体は力を失い膝を着いてしまう。

「よくもアタシに火なんて放ってくれたわね。大して焼けなかったけど嫌なこと思い出させてくれるじゃない」

ずぶり、と腹部から堕姫の腕が侵入する。

「う、あああああああ!!」

痛い。いたい。イタイ。

ネコネの悲鳴にも構わず、堕姫はネコネから引きずり出したものを喰らい始める。

「こっちも悪くないわね。ならこっちはどうかしら」

今度は右目を抉られた。激痛が脳髄を支配し思考にもやがかかる。
取り出された眼球も美味しそうに咀嚼する堕姫を見て、己がここで死ぬのだと確信する。

(どうして...どうしてこんなことに...)

ヤマトを取り巻く戦いが終わり、暴走するクオンを連れ戻して、ここからが新しい国だと意気込んだ矢先に殺し合いに巻き込まれて、こんなデコポンポのような死を迎える。

(罰...なのですか)

脳裏に過るのは、仮面を友に託し散りゆき消えていった最愛の兄・オシュトル。
武力において最強の敵・ヴライとの戦いの折、ネコネの横やりにより、オシュトルの渾身の一撃は外れ勝機を逃し、更には自分を庇った為に致命傷を負い、最後の輝きとして禁断の力に手を染め死んでしまった。
あの夜のことを悔やまないことは一度も無かった。
それと同じで、いくら悔やんでも、皆の戦いに尽力を尽くしても罪が消えることはないというのか。

(あに様...私は...)

流れる涙は痛みか懺悔によるものか。
滲む眼で虚空を見つめる中、視界に映るのは新たにやってきた来訪者の男。
彼と目が合ったネコネは、早く逃げるよう目で訴えかける。
だが、男の目にはは目の前の惨状に対する恐怖は微塵も映っていなかった。
哀れみ。傷つき倒れ伏すネコネへと悲し気な視線を向けていた。

それから。

男が異形に変貌したかと思えば、堕姫を蹴り飛ばし部屋から追い出した。
そのまま追いかける前に、こちらを一瞥だけして、傍に落ちていた毛布を割かれた腹部に当たらないよう掛けてくれた。
こちらを死んだものと認識したのだろうか。それも時間の問題だが、やれることはやらねば。

(一か八かですが...)

静寂に包まれた部屋の中で、ネコネは必死に零れた内臓をかき集め傷口に無理やり押し込む。
失った部位や血液を元に戻す符は無い。そんなものがあればオシュトルは死んでいない。
それでも、出来得る限りの治癒をできればまだ助かる可能性はある。

(死ぬ訳にはいかないのです...兄様や【あの人】に託されたのですから...!)

清月―――治癒の陣。
癒しの光がネコネの身を包み、傷口が閉じていき痛みが治まっていく。

時折、外から堕姫のものと思しき悲鳴と男の笑い声が響き渡るが今は無視だ。
力なく壁に背を預け、ネコネはあの映画の登場人物へと想いを馳せる。

森嶋帆高。
彼もまた己の行いがまわりまわって陽菜という少女を苦しめる羽目になった。
そして、周囲を敵に回してでも陽菜を留めようとした。
昔ならば潔く運命を受け入れるべきだと思ったかもしれないが、今なら解る。
自分も帆高の立場で、オシュトルが消えてしまうと解れば、それこそヤマト全土を敵に回しても抗おうとするだろう。
だから彼らを憎むことはできなかった。責めることはできなかった。
どうか彼らが傷つかずにこの殺し合いが終わりますように、と密かに願う。

やがて、激しい稲光と共に部屋に黒の塊が飛び込んできた。
先ほどの男―――狩野京児だ。
ところどころから血を流し、両脚も失っている。

「ん...生きてたのか」

こちらに気づいた彼が、さして驚いた様子もなく問いかけてきた。

「...時間の問題ですけどね」
「助からねえのか」
「一か八か、といったところです」
「そうか。ならその毛布被って隠れてな。運が良ければあいつらから逃げられるかもしれねえ」
「あなたはどうするのですか。その両脚で逃げられるのですか」
「無理だな。ついでに言えば毒も喰らってるからロクに動けねえ」

ネコネの目が見開かれる。
この男は己の死期が近いのを悟っている。なのになぜこうも余裕でいられる。

「恐く、ないのですか」
「別にィ。殺し合いなんだ。そりゃ殺されもするだろ。いつもは相手で、今回は俺。ただそれだけだ」

あっけらかんとした態度で言い放つ京児に、ネコネは眉根を寄せる。
気に入らない。命を軽視するような物言いをするこの男が。
きっと、時折聞こえてきた悲鳴と狂喜の嗤い声が、彼という漢の人生を表しているのは疑いようもない。

ならば彼が死んだところで心が痛むことはない。
お言葉に甘えて、隠れて耳を塞いでいれば助かるかもしれない。

けれど。

(兄様なら、こうするのでしょうね)

清月―――治癒の陣。
己にかけていた治癒を中断し、京児へと治癒の陣を敷く。

単純な話だ。
失血死及び内臓損傷で死ぬ可能性の高い自分が堕姫を欺き隠れおおせる可能性と、まだ毒さえ消えれば余裕がありそうな京児に託す可能性。
どちらが生存者が残る確率が高いか、考えるまでもない。
それでも、京児がただの下衆であれば自分を優先するだろう。

だが、ネコネは放ってはおけなかった。
倒れるネコネを見つめていた京児の目が、オシュトルが向けてくれた目に似ていたから。
もしかしたら、彼にも護るべき弟や妹がいるのではないかと思ってしまったから。
ただそれだけが、ネコネには大切なことだった。

「こいつぁ...」

身体の毒と疲労が消え去ったのを不思議に思いつつも、倒れ伏すネコネを見て察したかのように少しだけ目が見開かれる。
が、取り乱すこともなく、ただ淡々と告げる。

「礼を言うぜ。お礼と言っちゃあなんだが、あのチワワを殺してやる」

チワワ、というのは語感的に堕姫のことだろう。
そんなことができるのか、と目で問いかけると京児は凶悪な笑みと共に舌をベロリと出した。

「さっき遊んでた時にあいつの首輪にウニラを仕掛けておいた」
「ウニラ...?」
「ちょっとの衝撃で硬い針が飛び出すアイテムらしい。で、この糸を引っ張りゃあ」

グイ、と京児が手に持った糸を引っ張れば、少し遅れてボン、と小さな爆発音が聞こえた。

「ハイ、終わり~。あと、そのまま伏せてろよ」

元々起き上がる気力も無いが、言われた通りに床に突っ伏すネコネ。
ほどなくして、絶叫と共に、�覧せこけた男が暴風の如く飛び込み血の鎌を伴い京児へと斬りかかってきた。

あまりの迫力に突っ伏したまま顔を上げられずにいたが、ほどなくして暴風はピタリと止んだ。

残る力で顔を上げると、先ほどまでの爪痕だけを残して、男は消え去り京児だけが残っていた。

彼はどこに行ったのか、どうやって退けたのか。もはやそれを聞く気力もない。
ただ途方もない脱力感に襲われる中、京児が声をかけてきた。

「なにか残す言葉はあるか?」

先ほどまで邪悪な笑みを浮かべていたとは思えないほどに優しい声だった。
オシュトルが散り際に自分とハクに掛けてくれたような。そんな温もりに溢れる声だ。

「オシュトル...ハク...彼らを知る者の...ちからに...」
「...ま、出来る範囲でな」

了承の意を示してくれた京児に安心感を抱き、完全に脱力する。

「ワリーな。最後くらいキレイなもん見て終わりたかっただろ」

そう言った京児の横顔はどこか寂し気で。
なんでそんなことで謝るのですか、汚いものなんてこの視界のどこにもないというのに。と、少しおかしな気分のまま目を閉じた。


もしもこれが犯した罪への罰だとしたら、なんて恵まれた最期だろうと思う。
最期の顔が、苦痛に歪んだ顔ではなく、敬愛した兄のような微笑みだったのだから。




首輪を回収するついでに、ネコネへと毛布をかけながら、つまらない真似をするものだ、とため息をつく。
さっきの『鬼』共とやらは中々良かった。実力も申し分なく、久々に命を諦めかけるほどのスリルを楽しめた。
だからこそ、こんな首輪を巻いて強制的な戦闘を強いるだの、森嶋帆高という人間を狩るだのというまどろっこしい枷が不要にもほどがあった。
それに、怪物だけでなくネコネのような明らかな非戦闘員ですらも巻き込むときた。
ノり切れない。
わざわざ子供をダシに使う必要がどこにある。
怪物だらけの大殺戮大会にでもしてくれれば喜んで賛同したというのに。

「ま...これはこれで楽しませてもらうけどな」

まだこの会場には自分の知らない怪物が潜んでいるかもしれない。
そう思えば胸が高鳴ってくるというものだ。

電撃が従来の法則に乗っ取り、どこまでも雨を伝う訳ではないのは把握した。
鬼とやらの構造も堕姫で遊ぶことで粗方把握した。
そのうえ、本来は夜にしか戦えない制限もここではないらしい。

ならば、ここからが本当のお愉しみというやつだ。

限られた手札でどこまでいけるか。
従来からのBOSSの方針―――不要な人間殺しはNGに従いどこまで戦えるのか。
自分が死ぬかあの婆が死ぬかのシーソーゲーム、どちらが勝つかはわからない。
だからこそ、闘争というものは面白い。

「まずは首輪を外すことか...その為には道具かァ」

狩野京児。生まれながらに暴力と殺戮に愛された異常者だが、真祖ドミノ・サザーランドにも評された冷めきった理性は未だに健在だった。



俺たち二人が揃えば最強だ。

寒いのも腹ペコなのも全然へっちゃら。

ずっと一緒だ。絶対離れない。

ほらもう何も怖くないだろ?



「殺す」

ボリボリボリ。
額から血が流れるほどの早さと強さで妓夫太郎は額を掻きむしる。

最愛の妹だった。己の命よりも大切な自慢の妹だった。
彼女の為ならなんだってできた。なんだって我慢した。
妹は、妓夫太郎にとっての全てだった。

その彼女が、死んだ。己の眼前で、あまりにも呆気なく。

これが涙なしでいられるか。絶望せずにいられるか。

「殺す殺す殺す。絶対に殺してやる」

それでも妓夫太郎の心は未だ折れない。折れてる暇はない。

「確か願いが叶うって言ってたなああの婆」

実際に、主催者である老婆は殺されたはずの女を蘇らせていた。
そして、勝者には何でも願いを叶える権利があると嘯いて。
ならばお題とやらを完遂できれば妹を蘇らせられる。

「だったらよおおお死ぬしかねえよなああ森嶋帆高あああ」

妓夫太郎からの帆高の印象としてはあまり悪くなかった。
自分の勝手で後先考えずに上京してきて。
行き当たりばったりで始めたことがまわりまわって己の頸を絞め。
手段選ばず周囲を敵に回しても守りたいものは護り切れない。
あまりにも惨めでみっともなくて、整った顔立ちを除けば嫌いじゃなかった。
上手いことこの殺し合いを抜けられれば、無惨様に鬼にしてもらえるか進言してやってもよかった。

けれど、そんな感傷ももう無意味だ。
帆高が死なない以上、妹を蘇らせることが出来ないならば優先すべきは当然妹だ。

「待ってろよなああ梅。兄ちゃんが絶対に助けてやるからなあああ」

真っ赤に晴れ上がった目の鬼は、涙が溢れないようにと天を仰いだ。


【ネコネ@うたわれるもの 二人の白皇 死亡】
【堕姫(梅)@鬼滅の刃 死亡】


【狩野京児@血と灰の女王】
[状態]疲労(絶大)、両脚再生中、右腕再生中。
[装備]クローステール@アカメが斬る!
[道具]基本支給品、ネコネの首輪、ネコネの支給品(錫杖、不明支給品0~2)、ランダム支給品
[行動方針]
基本方針:殺し合いを愉しみつつゲームを止める(素直に従っていたら生き残れないため)。
1:ドミノや善たちがいたら探す。いなければ基本方針に従い好きにやる。
2:妓夫太郎には要警戒する。
3:首輪を解析するための道具が欲しい。
4:ネコネの知り合いのオシュトルとハク、その仲間たちがいれば探してやる。
5:森嶋帆高は...まあ、探してやる。
6:人間はなるべく殺さない。
※参戦時期は黒雷習得以降です。
※支給品の、キメラの翼@ドラゴンクエストシリーズ、ウニラ@大乱闘スマッシュブラザーズシリーズは使用しました。
※ヴァンパイア特有の、夜でないと変身できない、殺しあえない制限が外されました。
※電撃は10メートルを超えた辺りから一気に威力が損なわれます。その為、屋外で電撃を放っただけで水を伝い参加者全員にダメージ、などは不可能です。


【妓夫太郎@鬼滅の刃】
[状態]疲労(小)、怒り(絶大)、精神的疲労(絶大)、涙
[装備]なし
[道具]基本支給品、ランダム支給品1~3
[行動方針]
基本方針:願いを叶えて妹を生き返らせる。
0:陽の光を防ぐ術を確保してから帆高を殺して願いの争奪戦の段階へと舞台を進める。
1:さっきのイカレ野郎(京児)は絶対に殺す。

※参戦時期は死亡後
※京児とは別のエリアに飛ばされました。
最終更新:2021年02月11日 07:17