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春樹からのメールの指定どおりに屋上で待っていた。
結局、桐原さんとおしゃべりしている内に春樹との待ち合わせになってしまった。
名残惜しかったけれど、春樹の王子様は見ることができなかった。

「ごめん、待ったかな」

春樹は屋上の鉄のドアを開け、私のところまで駆け寄ってくる。
背の高い金網の背に待っていた私は首を振った。

「ううん。もう衣装から着替え終わったんだ」
「あんなの着てられないからね。接客は俺には向いてないな、すごく疲れたよ」

春樹はうんざりした顔をしている。

「見てみたかったな、王子様」
「止めてよ。もう姫姫っていうのはうんざりだ」

(姫……)

「姫ってお客さんの事?」
「女性客は姫で男性客は王子って呼ぶのさ。まぁ九割姫だったけど」
「そっか。楽しそうだしホント行きたかったな」
「もう俺の模擬店の話はいいよ。それより今からどこ回ろうか」

春樹はパンフレットを広げながら言った。
でもその顔から疲れがにじみ出ている。

「少しゆっくり話さない?」

私は春樹に提案する。

「いいの? 一緒に回るつもりだったんだよね」
「沢山動いたから少し疲れちゃったし」
「実は俺もちょっとバテ気味でさ。その方がありがたいよ」

ベンチを探して二人で腰を下ろす。
夕方になったせいか風が少し強く吹いていた。

「そういえば桐原さんとさっきお話したんだ。この学校から転校するんだってね」

私はさっき桐原さんと会った事を切り出す。

「へぇ、桐原さんが姉さんに……珍しいね」
「桐原さん心配してた。これから春樹が大丈夫かって」
「あぁ、あの事か。何だかキナ臭い感じになってるみたいだね。でも自業自得だよ」

高村の騒動のことを春樹も知っているようだ。

「心配じゃない? お兄さんの事とか」
「そりゃ肉親だからね。だけど罰せられる事をしたんだ。罪は償わないと」
「能力の事、世の中に知れ渡るのかな」
「それは無いだろうね。大昔から隠蔽され続けてきた事だから、それは変わらないはずだよ」
「そっか……」

(もっと動揺してるかと思ったけど……そうでもないのかな)

「だけど……兄さんの力が姉さんに移ってあの男も死んだんだよな。もう居ないなんて変な感じだ」
「あの男って……春樹のお父さんの事だよね」

春樹はうなずくと言葉を続けた。

「俺が家を出てった時、あの男の所に行ってたろ」
「うん。そうだったね」
「そこで少し話もしたんだ。兄さんに力を取られて半分死人みたいなものだったから、やたら顔色が悪かったな」

春樹はその時の事を思い出しているのか少し黙り込む。
私は何も話さず、次の春樹の言葉を待った。

「思ったより小さかった」

ポツリとつぶやくように春樹が言った。

「小さかった?」
「細くて背も俺より低くて。すごく恐い存在だったのに、拍子抜けだった」

トラウマを植えつけた人はもう過去の人になった。
それを春樹はどう思っているんだろう。
尋ねようと思ったけど、うまく言葉に出来なかった。

「姉さんも心配してくれているんだろ? でも、俺はもう大丈夫だよ」

春樹はそう言うと自分のブレザーを脱いで私の肩にそっと掛けた。

「夕方になるとさすがに風が冷たいからね」
「うん……暖かい。ありがとう」

私は春樹の体温の残るブレザーに手を通してみる。
肩と袖がだいぶ余ってしまう。

「やっぱり大きいね。出会った頃は私の方が少し背が高かったのに」

私は両腕を前に出して、余った袖をブラブラさせてみた。

「当たり前だろ。あれから五年も経ったんだから」
「そうだね」

私は振り回していた袖を膝に落としてうなずく。

「再婚する前の母さんは情緒不安でさ。今思うと義父さんと再婚するように暗示を掛けられていたんだと思う」
「お父さんも……交通事故でお母さんが亡くなって一年も経たず再婚なんて……きっと普通じゃなかった」

私たちは知っている。
五年前の出会いだって偶然なんかじゃない。

「姉さんはさ、義父さんと母さんは利用されて不幸だと思う?」

春樹は問題集の答えを聞くように淡々と尋ねてくる。

「ううん。だってあんなに仲良しだし。私たち、何度放って置かれたか分からないよ」

二人はとても仲がいい。
今でも食事や観劇とよくデートをしている。

「まぁ、放任主義のせいで俺は姉さんの世話をしなくちゃならなかったけど」
「違うよ。私が春樹の世話をしたんだよ」
「食事を作ったのは俺だし」
「洗濯だって掃除だって私ばっかりだったよ」
「でも姉さんは抜けてる所あるしなぁ」
「春樹が細かすぎるんだよ」

私たちはしばらくどちらが世話をしたかで言い合いをする。
もちろん答えなんて出てくるはずが無い。

「俺が気に入らなかったら離婚って言えたんだ。でも、今も続いているって事が上手くいってる証明だよ」

私たちが中学の時、お父さんは春樹に再度尋ねていた。
この家族を続けていくのか、止めるのか。
春樹のこたえは「続ける」だった。

「本当はね。あの時、春樹は家族を止めたいと言うんじゃないかって……少し不安だった」
「何で?」
「なんとなく。ほら、春樹って隙を見せないから。本当に打ち解けてくれているのかなって……」

私は始めてあの時の不安を口にした。
表面上は仲が良くても春樹にはどこか薄い膜みたいなものがある気がしていた。

「俺はさ。自分自身が嫌いだから」
「そうなの?」

初めて春樹からそんな言葉を聞く。

「俺、眠りが浅いだろ。それには理由があってさ」

春樹は秘密を告白するように少しずつ言葉を選ぶように呟く。

「姉さんを好きだと自覚し始めた頃から、妙な夢を見るようになったんだ」
「妙?」
「例えば、隆さんと姉さんが手を繋いで同じ大学に行っている……とか」
「……それが妙なの?」

別にありがちな夢のような気もする。

「まだあるよ。修二先輩がテニスで留学するからって姉さんが一緒についてく……とか、
一郎先輩と姉さんがだれかの墓の前で抱き合ってるとか、御門先輩と姉さんが……これはちょっと言いにくいな」
「そうなの?」
「まぁね。どれもリアルでさ。触る感触や痛みまで感じるんだ」
「確かに変わってるけど……」
「あと姉さんが姉さんじゃなくなる夢もみた」

「私が私じゃない?」

意味が分からず思わず聞き返す。

「再婚してからの五年の記憶が無い……というより、俺達の力がそのものが消滅してる世界の夢。
だから交通事故で無くなった姉さんの母親も生きていたよ」
「へぇ。で、それは春樹にとっていい夢だった?」
「どちらかといえば悪夢かな。姉さんが俺の事、他人のように接するから」

私が夢で色々な夢をみるように春樹にもその力があるのかもしれない。

「どの夢も姉さんが別の男と仲良くしてて……俺は夢の中まで嫉妬しているのかって……
自己嫌悪したりしてさ。情けなくなった」
「ただの夢なんだし気にしなくても」
「あっ、一番妙なのは大昔……1500年くらい前の日本なのかな。俺に向かって姉さんが「私の事を忘れないで」っていう夢もあったよ」

春樹は思い出したように言う。

『私を忘れないで』

この言葉。
誰かに行った記憶がある。

「守屋さんっ!」

思わず大声が出てしまう。
恥ずかしくなって、キョロキョロと周りを見回す。
屋上にほとんど人が居なくて助かった。

「そういえば……姉さんが俺の事そう呼んでたような……」

春樹は夢を思い出すように、考え込みながら呟いた。

春樹がおかしな夢をみるようになった。
それは私に関することで統一されている。
『私を忘れないで』と春樹と同じ魂を持つ守屋さんにお願いをした……。

(もしかして……私のせい)

「それ、私のせいかも……」
「え? どうして姉さんのせいなんだよ。これは俺の嫉妬が見せた夢だろ」
「違うの。春樹の前世の守屋さんって人にお願いしたんだ。
私の事を忘れないでって。そしたら守屋さん、絶対に忘れないって言ったの」
「は? どういう事だよ」

意味の分からないと顔に書いてある春樹に私は説明する。
夢の中で遠い過去に行った事。
この世の中から能力をなくすため奔走した事。
守屋さんと帝の争いの事。
すべて春樹に話して聞かせた。

「でも、少し未来の隆や一郎くん達の夢に意味があるのかな……」

守屋さんに『忘れないで』と言った言葉とは関係が無い気もする。
だけど、こんな偶然にしては私に関する事で一致しすぎている。

「これは……もしもの……IFの記憶として夢にとどめているのかもしれない」

春樹は息を吐くように自分の答えを口にする。

「姉さんの願いは具現化する力がある。
姉さんと同じ大学に入った隆さんも、留学する修二先輩も、一郎先輩も御門先輩も
これから経験する、もしくはした事のある事で……俺がそれを夢の中に留めているんだよ、きっと」

春樹の声色は確信に近い強さがある。
だけど私はそんなに軽薄ではない。

「ま、まって。私は春樹が一番なのにこれから先、隆と手を繋いだりしないよ」
「わかってる。だから別の時間軸。IFなんだ」
「IFって……」
「姉さんが隆さんを選んだ世界での話ってことだよ。でもそれはそれで存在しているんだ」
「……よくわからないけど」
「そうだったのか。だから痛みまで感じるようにリアルなんだ。
だって現実に起きた事、もしくはこれから起きる事だから」

春樹だけ理解して私は何のことかさっぱりだ。
それがすごくもどかしい。

「もっと分かりやすく説明してよ」
「わかった。たとえば今日の文化祭。姉さんは俺のクラスの模擬店の中に入れなかった。
だけど、入れた現実があるのを俺は知ってる。俺は夢の中で姉さんに接客した事があるから」
「??」
「もっと分かりやすく言うとチハルの件があるだろう。俺と姉さんとチハルは精霊だったチハルも知っている。
逆に言うと、姉さんがコロッケを作らなくて精霊のままのチハルが別世界では存在しているということなんだ」

(うーん)

なんとなく分かったような分からないような。
昨日、コロッケを作ってそれをチハルと一緒に食べたいと願った選択をした……それがこの世界ってことだろうか。
私の意見を春樹に伝えると、うんと頷いた。

「間違っていないよ。チハルを人間じゃなかったと記憶しているのは姉さんと俺とチハル。
だけど他の全員はそんな事すら知らない。それが俺の夢の中でも起こっていると言っていい。
姉さんの記憶が無いだけで、別の時間軸では事実として存在するんだ」

(でも……)

春樹の眠りが浅いのは神経質だからと勝手に思っていた。
もしそれが私の勝手な願いだとしたら。
何年も望まない夢をみさせていたのは私という事になる。

「春樹……ごめんね」
「どうして姉さんが謝るのさ」
「だって夢の事で悩んでいたんでしょ?」
「……まぁ、俺は嫉妬深い奴だと自己嫌悪してたのは確かだね」

私は自分の能力を完全にもてあましている。
結果、長い間春樹に嫌な夢をみさせてしまった。

「気にする事ないよ、姉さん」

気落ちしている私に春樹は優しく声を掛けた。

「今はむしろ嬉しいんだ。だって俺1500年も前の約束をちゃんと守れてる」
「それは私の呪いみたいなものだよ」
「呪いじゃないよ。お願いだろ」
「……うん」
「それに数ある選択の中で姉さんが俺を好きだといってくれた時間軸。
存在していないと思っていた世界が今目の前にあるってすごい事だよ」
「でも……」
「俺はね。夢ですら俺の気持ちは姉さんには伝わらないのかと失望していたんだ。
夢の中くらい好き同士の未来を見させて欲しいと何度も思った。
だから姉さんが廊下に転がり出て俺の事好きだって言った時、やっと見ることができた夢だと思ったんだ」
「……え?」
「夢がリアルすぎて現実と間違えそうになる。
あの時もよくみるリアルな夢だろう……そんな風に思ったんだ」

あの時の春樹は驚いていたけど、私の気持ちを聞いても冷静だった。
きもちなぐちゃぐちゃな私を手を広げて優しく受け入れてくれた。
そして何度もこれは現実なのかと不安がっていた。

「でもその後の姉さんを抱きしめていてわかった。
姉さんの鼓動や体温、吐息が現実だって教えてくれた」
「なんだか恥ずかしいな」
「俺にまで伝染するからあんまり照れないでよ」

そう言った春樹の耳が少し赤い。
寒さのせいか照れのせいかは分からなかった。

「まぁ、そういう姉さんの態度や母さんとのやりとりでああ、やっぱり現実だと認められたんだ。
それくらい俺にとっては奇跡みたいな事なんだよ」

春樹は私の手を取って両手で包み込む。
同じくらいだった手も大きく、高かった声も今は男子の声だ。

「私は……人でもないのにここに居ていいのかな」

暖かな手のせいで安心してしまったのだろうか。
心の声がそのまま声になる。

「姉さんは姉さんだよ」
「それに……私は自分の力が恐い。何でも思い通りなんて不安だよ」
「恐いって気持ち。それが姉さんの本心なんだ」
「鬼になった自分も恐い。勝手に変わってしまう未来も恐い」

私は今まで心の中に留めていた思いを口にする。

「春樹。私はどうすればいい?」
「そうだな……」

春樹はしばらく考える。
そして包んでいた私の手をしっかり握った。

「姉さんは姉さんらしくしていれば……それでいいんじゃないかな」
「どういうこと?」
「俺だって願えば手品みたいに何も無いところから気味の悪い赤い剣が出せるようになった。
知りたくも無い高村の過去の記憶のおまけ付きでね。
ただそれだけで、姉さんにとって俺は俺だろ?」

数週間前より少し雰囲気は変わった。
少し大人っぽくなった気はするけど、春樹は春樹だ。

「うん」
「それと同じだよ。少し思い込みが強くてそれが本当になってしまうかもしれない女の子。誰だかわかる?」
「……それ、私だね」
「その思い込みが強い女の子を好きな、弟でもある男がいます」
「それは春樹だね」
「女の子は一人一人の願いを丁寧に叶えていきました。でも世界には77億人います。
そして女の子はこの町のお願い事を叶えただけでお婆さんになってしまいました。
待っていた男もしわくちゃのお爺さんになりました。おわり」
「ははっ……確かに」

春樹は「やっと笑ったね」といってほんの少しまじめな顔になる。

「願いなんてもの、誰かの願いが叶えばその裏で誰かが不幸になっている事が殆どだ。
俺達が食べている肉だって殺して食べて生かされているだろう。全員幸せなんて絶対に無理なんだ。
どんな生き物だって何かの犠牲なしに生きる事なんて出来やしないんだから」
「確かにそうだね」
「それを歪めて叶える力で思い通りにしようなんて卑怯者のする事だと思う。
立ち直れないほど傷つく事があっても必ず良い事もあるって事をみんな分かってる。
だから、姉さんの能力は必要無い……俺はそう思う」

まぁ、あくまで俺の意見だけどねと付け加えた。

「でも誰かの助けになる力を私は持っているんだよ。
それを使わないなんて……本当にいいのかな」

困っている人がいるのに目を背けている事になる。
助けたい。でもどこまでできるのか、何が出来るのか見当もつかない。

「みんな姉さんがそんな便利な力を持っているって知らないんだ。
認識されてない事は無いと同じ事だよ」

春樹の言いたい事はわかる。
でも投げやりで勝手な意見な気もする。

「ただしこれは能力を口外しないって絶対条件付き。
もし姉さんの力が世の中に知られたら、今のままでの生活を続けていく事は難しくなるだろうね」

もし私の能力が知られたら困っている人が殺到するだろう。
高村の人達みたいに利用しようとする人もいるかもしれない。

「今の生活が変わってしまうのは嫌だな。
ちゃんと高校だって出たいし、その先も……」

そこであれ? と思う。
私は将来何になりたいのだろう。

「姉さん?」
「私、何になりたいんだろう。将来の事を真剣に考えた事なかったよ」
「そうなんだ。まぁ、なんというか姉さんらしいけどね」

(そういえば……春樹は将来何になりたいんだろう)

「ところで、春樹は将来何になりたいの?」
「俺?」

春樹は自分を指差す。
まさか話が振られると思っていなかったようだ。

「今まで聞いた事、無かったから」
「誰かに話した事もないからね」
「春樹の将来、聞いてみたいな。私も参考にしたいし」

春樹は少し照れくさそうに頭をかく。

「俺は小さい頃から……医者になりたいと思っているんだ」

春樹の口から出てきたのは意外な言葉だった。
春樹の最も嫌っている父親の職業だ。

「どうして? だって春樹はお父さんを憎んでいたんじゃ……」
「死んだ今でも憎いし、恐い。植えつけられた恐怖心は多分一生消えないと思う」
「ならどうして?」
「憎い男だったけど、父親として唯一誇らしい事があった。
あの男の病院、この町で一番大きな総合病院だろ。
裏ではとんでもない事してたけど、表で治した患者も大勢いる。
小さい時、町の見ず知らずの人にも感謝の言葉をよく言われたんだ」

春樹は小さい頃の事を思い出しているのか、どこか遠くを見ている。

「それでお医者さんなんだ」
「あの頃は跡を継ぐのが当然だと思っていたしね。母さんみたいな出版社も義父さんみたいな商社もいいなと思った。
だけどやっぱり……俺の憧れなんだ」

春樹は医者になりたい。
春樹だったらきっとどんな職業にだって就けそうだ。
それでも小さい頃からの憧れはずっと消えなかったのだろう。

「なら私もお医者さんになる」
「えっ!」
「だってお医者さんになったら困っている人を助けられるでしょ?
さっき春樹は私に何もしなくて良いって言ったけど、納得いかなかったし不満だった。
お医者さんなら、病気で困っている人を助けられるし、一番いいと思うんだ」

私は決めた。
そうするとぼんやりしていた未来が少し拓けてきた気さえしてくる。

「待ってよ。姉さん、理系の点数考えてる? 大学受験だってあるんだよ」
「うっ……」

一番痛いところをつかれた気がする。

「が、がんばる……」
「俺も力になるよ……」
「力になるって言っても春樹はまだ一年生じゃない」
「多分、今の姉さんよりは理解は進んでると思う。だから手伝うよ」

春樹は年下だ。
一年に勉強をみてもらう二年なんて情けない。
そんなしょげた私の顔を見て、春樹は可笑しそうに笑った。

「姉さんには夢を現実にする力があるんだ。だからきっと出来るよ」
「そうかな」
「もちろんさ。でも努力あっての成果だからね。そこはがんばらないと」
「善処します」

話し込んでいたら空は薄暗くなり始めている。
西の空に一番星が瞬いていた。

「さぁ、お祭りもあと少しで終わりかな。本当、模擬店は疲れたよ」
「でも楽しかったでしょ?」
「まぁね。それより帰ってからの晩御飯は何にしようかな……」
「今日も私が作ろうか?」
「…………いい。俺が作るから」
「昨日は上手に作れたからもう平気だよ」
「信用できないから俺がやる」
「じゃあ一緒に作るのは?」
「それなら……いいかな」

私は借りていた春樹のブレザーを返して立ち上がる。
上着の袖を通して春樹も立ち上がった。
私たちは簡単に別れを言って、それぞれの教室へ戻っていった。




#################



今でもふと、あの騒動で何が変わったか考える。
あれから世の中が大きな変化があったわけではない。みんなの能力も以前のままだ。
香織ちゃんとは今でもよくお茶をする。隆とはこの前久しぶりに会った。

「とってもお似合いですよ」

いつもより鏡の前の自分の顔が白い。
全身は窮屈でキツイ。肩もずっしりと重い。
そして頭まで重いから首がグラグラする。

「ありがとうございます」

千春の一件以降、私の能力が発現もしていないのはありがたい事だった。

──つい先日、あの時と同じ高校二年生になった千春に精霊や妖精について尋ねてみた。

返ってきた言葉が「頭わいてる?」だった。
昔はあんなに可愛かったのに、今は見る影も無い。
声も、仕草も、まるで別人みたいで——少しだけ、遠く感じた。
でも、それでいいのだと思う。
忘れてしまっているほうが、きっと本人にはいいのだ。
……ちゃんと、前に進んでいるのだから。

ふと、自分の手元を見る。
変わらない指。変わらない距離。
名前を呼ばれるようになったのは、実はまだ最近の事だ。
長い間ずっと「姉さん」と呼ばれていた。
ほんの少しだけ、変わった。
——たった、それだけだ。
それでも、不思議と不満はなかった。
ここにあるものを失うくらいなら、きっと、これでいい。

「角隠し、少しずれているので直しますね」

角隠しは諸説あるけど、嫉妬に狂った鬼にならないように願いがこめられているらしい。
あれから私は風邪一つひかなくなった。
今まで分からなかった事柄もすんなり理解できる事が多くなった。
夜目も効くようになったし、五感も鋭くなった。
見た目は変わらないけれど私はもう以前の私、人ではなくなった。
だから春樹と進んだ医者という職業は時間はかかったけれど選択して良かったのかもしれない。
この体を自分で診る事が出来る。実は色々と違うから。

準備が済んでブライズルームを出ると一足先に準備の終わった春樹が待っていた。
背もあれからまた少し伸びて、体も成人男性のそれになったから紋付袴がよく似合っている。けど少し笑ってしまう。

「愛菜……うん、白無垢とても似合ってるよ」

「ありがとう。春樹は……七五三?」

「何だよ、それ」

「うそうそ。とってもカッコイイから」

軽口を交わしながら、私はふと思う。
こうして並んでいるのに、昔と何も変わっていない気がした。
あの頃と同じ距離。
同じ呼び方。
同じ温度。
変わったのは、ただ形だけだ。
それでも——
この場所は、どこよりも安心できる。
私たちには祝福してくれる大勢の大切な人達がいる。
高校生で不安ばかりだった私に教えてあげたい。
すぐそばに大切な人がいて、私はとても幸せになれるから、と。
きっとこれからも、私たちはこうして並んでいるのだろう。
少しずつ形を変えながら——
どこにも行かずに、ずっとここで。

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最終更新:2026年03月23日 17:04