「一郎くん、ちょっといいかな」

教室に残っていた一郎くんは文化祭の資料から目を離して私を見る。
放送委員長だから準備もあってこの時期は忙しいのだろう。

「大堂か。一体、何だ」

昨日よりも突き放した冷たい言い方をされる。
ここでめげていては何も始まらない。

「実はお願いがあるんだけど……」

一郎くんの様子を伺うと眉間のしわが先日よりさらに深い。
私が冬馬先輩側についたのが気に入らないのかもしれない。

「またアイツの話か」

(アイツって……きっと冬馬先輩の事だよね)

「うん。冬馬先輩に頼まれてね」
「アイツに何を言われた?」
「えっと、昼休み……って、今からなんだけど冬馬先輩に会ってくれないかな」

一郎くんの机には資料がいくつも置いてある。
委員会の仕事を休み時間に済ませようとしていたみたいだった。

「今からとは急な話だな」

一郎くんはそう言いながら資料の束をクリップで乱暴に留めた。

「急にごめんね。本当は朝から言いたかったんだけど機会がなくて……」

言おう、言おうと思って結局昼休みになってしまった。
自分の意志の弱さが恨めしい。

「それで……修二くんも一緒に……」
「駄目だ!」

鋭い口調で私の言葉が遮られる。

「くだらない話を聞かされるのは俺だけで十分だ」
「じゃあ……」
「俺だけという約束なら行ってもいい。だが、修二にはこの話はするな」

一郎くんの口調は強くて重い。
修二くんの事は諦めて一郎くんだけを連れて、私は屋上へ向かった。



鉄の重い扉を開けると、もう冬馬先輩が立って待っていた。

「冬馬先輩。一郎くんだけしか連れてこられなかったよ」
「愛菜。ありがとうございます」

冬馬先輩は私にお礼を言うと、一郎くんの方を向きなおす。

「宗像一郎……僕は……君に謝罪しなくては…」

冬馬先輩は何か言い掛けたところで一郎くんが一歩前に出た。

「この前に比べてしおらしくなったという事は……お前は過去を思い出したのか」

一郎くんは冬馬先輩をなじる様に言った。
その質問に冬馬先輩は首を横に振る。

「未だに思い出せない。だが、自分の犯した罪は分かった」

そういうと、冬馬先輩は両膝を折ると地面に額をつけた。

「謝って済む問題ではないのは知っている。けれど……」

(土下座……しているの?)

私は目の前で土下座をしている人を初めて見た。
なんだか冬馬先輩と一郎くんが演技でもしているような感覚だ。
二人がとても遠くに感じる。

「本当に申し訳ない。僕は常識に疎くてどう謝ればいいのか分からない……だからこんな方法しか思いつかなかった」

そう言ったまま、冬馬先輩は額を地面に擦り付けた。
だけど、行動とは裏腹に話し方はいつも通り抑揚は無い。

「それで死人が戻ってくるなら何度でもしてもらう。だが、あいつはもう戻ってこない。
ところでどういう心境の変化だ。なぜ突然謝る気になった」

一郎くんは冬馬先輩を蔑むように見ながら尋ねた。

「昨晩、周防……内情を知るものに尋ねた。コードno.703について。
最初は言い渋っていた。けれど、教えてもらった。すべて」

相変わらず起伏の無い話し方。
けど、私には分かる。
これは冬馬先輩の精一杯の誠意を込めた言い方だ。

(待って。no.703って……)

スカートのポケットに固くて四角いプレートがある。
今朝、枕元からポケットに戻しておいた名札だ。
703とそのプレートには記されている。

「周防……その名前。記憶を消すときに居た人物だったな」
「そうだ。周防に教えてもらった。僕は……取り返しのつかない事をした……」

冬馬先輩が顔を上げることはない。

「今更謝られても仕方が無い。もし罪の意識があるなら今すぐ消えてくれ。そして二度と姿を見せるな」
「それは出来ない」
「なぜだ」
「大切な人と約束した。愛菜を守ると……」
「随分と人間らしくなったものだ。だが所詮、人の皮をかぶった化け物だ」

私はとうとう我慢できずに冬馬先輩を庇うように一郎くんの前に立つ。

「何があったのか知らない。だけど、一郎くん。冬馬先輩を許してあげて」

『誰にも知られては駄目よ』

水野先生はそう言っていた。
なのに私は不用意に冬馬先輩に尋ねてしまった。
だから今の事態を招いてしまった。

(冬馬先輩は私よりも遥かに賢い。やっぱり見透かされていたんだ)

冬馬先輩は的を射た鋭い事を言うし、勘もいいと分かってはいた。
ただ常識や感情など未熟な部分が多くて、つい忘れてしまう。
すべて不自然な誤魔化し方をしてしまった私のせいだ。

「私が考え無しに冬馬先輩に言ってしまったから……」

「愛菜は何も悪くない。知らなかったのも僕の罪。僕は決して許されてはいけない」

冬馬先輩はずっと土下座を続けている。
淡々とした口調だけど、多分、感情を上手に声に乗せる事ができないだけだ。
そのせいで一郎くんには冬馬先輩の本当の気持ちが伝わっていない。
私は見ていられなくて、先輩に覆いかぶさるように抱きしめる。
すると背中が小刻みに震えていた。

「冬馬先輩……震えてる」
「大丈夫です」
「一郎くん、もう止めてあげて。こんな事になったのは私のせいだから……」
「大堂は悪くない。悪いのはその男だ」

一郎くんは頑なに言い放つだけだった。
一体、二人の間で何があったのか。

「二人の間で何があったの?」

どちらともなしに私は尋ねる。
すると一郎くんが吐き捨てるように言い放つ。

「そいつは俺の弟、修二を殺した。まるで水風船のようにむごい殺し方だった」

私はハッとする。
昨日の夢はやはり現実に起こったことだった。
サイコメトリーは成功していた。
同時に疑問が沸く。
今の修二くんは一体、何者なのだろう。

「待って! 修二くんは今も隣のクラスに居るじゃない」
「それは……」

一郎くんが言いよどむ。
すると冬馬先輩が顔を上げて言った。

「今の宗像修二は宗像一郎のクローン。双子の本当の修二さんは僕がこの手で殺めました」

(クローン……)

そう言われても、今の修二くんとどうしても結び付かない。

「彼は予備として研究所で育ちました。不要な記憶を周防に消され、欠けた鏡を補う為、身代わりをしています」
「それを修二くんは……」
「知らないはずだ。俺は一度も話した事はない。だが……」
「どうしたの? 一郎くん」
「気付き始めている。おそらくな」

呟くように言うと、一郎くんはきびすを返す。

「どれだけ俺に頭を下げても時間の無駄だ。この話は平行線だろう。
お前が剣なら短命のさだめ。殺したいほど憎いが放っておいても長生きはできないのだろう?」
「……はい」
「やはりな。どちらにしてもお前に力を貸すつもりは無い。が、大堂がどうしても困っているなら考え無い事もない。
そして、修二にはこの事は絶対に言うな」
「……はい」
「大堂も余計な事はアイツには言うな。わかったな」
「うん……」
「話は以上だ。本当に時間の無駄だったな」

そういうと、一郎くんは扉まで歩いていく。
鉄の扉のバタンと低く響く音だけが、静かな屋上に響いた。

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