「冬馬先輩、大丈夫?」

私は土下座の格好をしたままの先輩に手をさしのべる。

「すみません。情けない姿をみせてしまいました」

手を取った冬馬先輩の指先が震えている。
膝も少し笑っているようだった。

「ううん。情けなくなんか無かったよ」
「まだ震えてますね。僕は人……特に相手が高圧的に出られるとこうなってしまうんです。
幼い頃は恐怖を攻撃性に変えて手がつけられなかった時期もあるようでした」

獣のような僕と冬馬先輩は言っていた。
だけど今は誰も傷つけられてはいない。

支えるようにしながら、冬馬先輩を座らせる。
私もその隣に腰掛けた。

「冬馬先輩のおでこ、少し血がついてる。ちょっと待ってて」

きっとコンクリートに額をつけた時だろう。
私はポケットからハンカチを取り出す。

「ハンカチが血で汚れます」
「平気だから。じっとしててね」

冬馬先輩の額にハンカチを当てていく。
血はついていたけれど、どこにも傷が見当たらない。

「あれ……傷が無いよ」
「超回復です。擦り傷程度ならすぐに元通りです」
「へぇ。本当にすごいね」
「そうでしょうか」
「うん。とっても便利だね」
「便利……ですか」

冬馬先輩は考えるように呟く。

「うん。絆創膏いらずだね」
「確かに……愛菜のおっしゃる通りです」

そう言うと、冬馬先輩は頬を緩める。
誰が見ても今のは笑顔だった。

「今、冬馬先輩。ちゃんと笑ったよ」
「僕がですか?」
「うん。間違いなく笑顔だった」
「そうですか。緊張が解けて気が緩んだからかもしれません」

もういつも通りの無表情に戻っている。
せっかくの笑顔もたった一瞬だけだった。

「笑顔もったいなかったな。携帯の写真に残しておけばよかった」
「僕の写真なんて容量がもったいないだけです」
「そんな事ないよ。かわいい顔だったもん」
「かわいい……ですか」

冬馬先輩が少し小首をかしげた。
きっと困っているのだろう。

「でも……僕なんかより愛菜の方がずっとかわいいです」

冬馬先輩は真顔のまま呟く。
私は自分の顔がカッと熱くなっていくを感じた。

「ちょっ、そういう事は言っちゃ駄目だよ。私、勘違いしちゃうから」
「そうなのですか?」
「そうだよ。そういう言葉は簡単に言っちゃ駄目。絶対」
「はい。わかりました」

その時、ちょうど次の授業を告げるチャイムが鳴る。

「午後の授業、始まっちゃったね」
「そのようです」

急いで戻れば、軽く叱られる程度で済むかもしれない。
だけど、私は動く気が起きなかった。
冬馬先輩も同じ気持ちなのか立ち上がろうとはしなかった。

(私、謝らなくちゃいけないんだった)

「冬馬先輩ごめんなさい。私が余計な事を言ったばっかりに」
「さっきの話ですか」
「うん。これを見て欲しいんだ」

私はポケットから703と刻まれたプレートを取り出す。
水野先生から貰った事。
そして昨日みた夢の話をした。

「私が見た夢では、冬馬先輩の意思とは関係無しに力が暴走してた。
だから仕方が無かったと思うんだ」
「仕方が無かった……ですか」
「うん。状況が悪かったんだよ」

誰かが止められるような状況ではなかった。
まして、冬馬先輩が自分から引き起こした事でもない。

「間違いなく大勢を殺めた犯人は僕です」
「でも……」
「大切な人が亡くなる痛みをあの頃の僕は知らなかった。
だから悲惨な事ができたんだろうと思います」
「それはそうかもしれないれど……まだ子供だったし……」
「状況はどうあれ、事実の前にはいい訳にしかなりません」
「だけど私は……」

(それはそうかもしれないけど……)

冬馬先輩が謝り続けて、一郎くんと修二くんから攻められ続けるのも違う気がする。
かといって、何が正解かも分からない。

「それと……最後に一郎くんが言っていた事……教えてもらっていいかな」
「何でしょうか」
「剣は短命のさだめって言っていたよね」
「そのようです。過去の歴史は宗像一郎の方が詳しいかもしれません」
「その……冬馬先輩は大丈夫だよね?」

今の冬馬先輩に持病があるようには見えない。
まして、現代の医療は簡単に若者が死ぬような環境ではない。

「……………」
「冬馬先輩?」

最初に冬馬先輩を見たとき、第一印象は儚い月のような人だった。
色々知っていって冬馬先輩に対する印象も変わっていった。
だけど、最初に感じた儚さだけは消える事は無かった。
私の予感がどうか勘違いであって欲しいと思わず祈る。

「あと5年……あるか、ないかです」
「え……?」
「超回復……細胞を極限まで活性化させる……父が僕に与えた死ににくい体です」
「う…そ……」
「けれど長生きまでは考えてくれていなかったようです」
「そんな……冗談だよね」

私は傍らに居る冬馬先輩のブレザーを思わず掴む。

「嘘だよね! だって、こんなに元気じゃない!」
「愛菜が言うように絆創膏いらずで便利です」
「そんな事、聞きたいんじゃない! 嘘だって……嘘だって言ってよ」
「すみません」

目の前が滲んでいく。
のどの奥に重たい鉛を差し込まれたみたいに声が出てこない。
頬に生暖かい雫が、次々に流れていく。
こめかみの奥がジンジンと痛い。

「また愛菜を泣かせてしまいました。本当にすみません」

先輩は私を包み込むように、優しく抱きしめた。
私は先輩の体に両腕を回し、先輩にすがりつく。
とにかく先輩の体温を逃さないように必死でしがみついていた。

「愛菜……」
「私は……冬馬先輩が……好き。……どうかおねがい……寂しいこと…言わないで……」

自然と言葉が溢れてくる。
いつの間にか、先輩の事が大好きになっていた。
なのに大好きな人は生きる事を最初から諦めている。
それがただ寂しくて、悲しい。

「……ずっと……一緒に……いたいだけ……」

私の言葉をさえぎるようにギュっと、息が出来ないほど強く強く抱きめられる。
そして聞いた事のない優しい声で「ありがとう」囁やかれたのだった。

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