朝食を済ませた後、私は悩んでいた。
(服、どれがいいかな)
冬馬先輩と出掛けることになっている。
せっかくだしかわいい服が着たい。
(でも気合い入ってると思われちゃうかな)
部屋にはクローゼットから出した私服が並ぶ。
色々組み合わせてみたけど、しっくりこない。
悩んで結局、シンプルなワンピースを選んだ。
「愛ちゃん、お出かけ?」
出社前のお義母さんに尋ねられる。
「今日から文化祭前で自由登校だから出かけようと思って」
「かわいい服。もしかして今日はデート?」
「ち、違うよ。午後から冬馬先輩がアパート探しするみたいだから物件探しを手伝おうかなー、と思って」
「午後からなのにもう着替えてるのね。デート、楽しみで仕方ないのかしら」
「ち、違うって言ってるのに」
慌てる私が面白かったのかお義母さんは「ふふっ」と笑った。
「そういえば御門くんまだ起きてこないわね」
「そろそろ起こしてみるよ」
「お願いできるかしら。私は電車の時間があるからいくわね。それじゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
お義母さんは足早に家を出て行った。
「さて、起こしに行くかな」
寝坊なんて珍しい。
色々あったし疲れていたんだろう。
「冬馬先輩、朝だよ。入ってもいいかな」
和室の客間のふすま越しに話しかけてみる。
しばらく待ってみたけど、返事がない。
「まだ寝てるの? 入るね」
そっとふすまを開け入る。
すると布団ではなく畳の上でうつ伏せになっていた。
(先輩って意外と寝相悪いのかな)
「冬馬先輩、そんな所で寝てたら風邪ひいちゃうよ」
「…………」
(仕方ないなぁ)
「冬馬先輩、朝だよ」
肩をゆすって、先輩を起こそうとする。
「ううっ……」
短いうめき声がしたかと思ったら、手がじんわりと温かくなる。
違和感で手のひらを見ると、血で濡れていた。
「冬馬先輩!」
「……愛菜」
「先輩、肩から血が出てるよ!」
「ああ昨日……少しでも回復させようとして……寝過ごしましたか?」
まだ寝ぼけているのか、冬馬先輩は訳の分からない事を言っている。
「大変だよ。早く手当てしなくちゃ」
「昨夜、一応自分でしたんですが……あっ、おはようございます、愛菜」
冬馬先輩は上半身だけ起き上がって小さく会釈した。
「のんきに挨拶してる場合じゃないよ。酷いようならお医者さん行かないと」
「慌てなくても大丈夫です」
「手当てなら私でもやれるし、見せて」
「本当に大丈夫です」
「怪我してるの肩だよね。一体、いつから……」
「手当ての道具も自分で持ってきたので一人でできます」
「でも……」
「着替えもしたいのですぐ出て行ってもらえると嬉しいです」
結局、部屋から無理矢理追い出されてしまった。
私は手を洗い、リビングのソファーに腰を下ろす。
(昨日も首の付け根に怪我してた。今日は肩……)
しかも手当ての道具をわざわざ用意してきていた。
あらかじめ怪我する事がわかっていたみたいだ。
(夜中に敵と戦ってたのかな……)
狙いは私なのに単独で夜中に戦ったりするものだろうか。
この家にいる限り安全だとも言っていた。
狙いの私が安全な場所で寝ているのに、わざわざ外まで出向く必要も無いはずだ。
(昨日の契約の時、冬馬先輩、鬼と交渉したって言ってたっけ)
交渉の条件をみんなに問い詰められても、とうとう教えてくれなかった。
話せないのには理由があるはずだ。
言えないわけ……話すと不利になる、拒絶される、誰かを傷つける……そんな理由。
(誰かを傷つける理由……あっ!)
『僕はあがものとして鬼から狙われています』
冬馬先輩は私の中の鬼にとって生贄みたいなものだと以前聞いた。
遠い昔の反故になった約束を覚えていてずっとつけ狙われているらしい。
言えなかったのは、私を傷つけない為だとしたら。
(もしかして……私が……?)
この前の夜中、生肉を無意識に食べようとしていた自分がいた。
私はとっさに両手で自分の口を押さえる。
急速に真っ黒な予感が身体中に広がっていく。
記憶は無い……けど……。
「お待たせしてすみませんでした」
冬馬先輩がリビングにやってきた。
今日はショッピングモールで私の選んだ緑のシャツを着てくれている。
本当だったら嬉しい状況なのに、血の気が引いて声が出ない。
「せ、先輩……」
ようやく出せた声はひどく震えていた。
「愛菜? 顔色が優れませんね。酷く動揺もしています。怪我は本当に大丈夫なので気にしないでください」
「違うの、それ……」
震える指で先輩の肩をさす。
「………この怪我の事でしょうか」
「それ……私のせいだよね……」
(鬼と私は一心同体。なのに交渉した記憶が無い)
生肉を食べようとした時、先輩に止められて我にかえる事ができた。
もし止められなかったら、そのまま最後まで食べてしまっていただろう。
(私が私でいられるように冬馬先輩が犠牲になっているのだとしたら)
すべて辻褄があってしまう。
「もしかして私が……先輩を……」
「…………」
「本当の事を言って」
「……愛菜ではありません」
「じゃあ冬馬先輩に傷を負わせたのは誰?」
「……それは」
「答えて」
「…………」
「その沈黙……やっぱり」
「愛菜ではありません。……あくまで鬼の仕業です」
(胃がムカムカする……気持ち悪い)
逃げるように慌ててトイレに駆け込む。
(こんな事って……)
しばらくトイレにこもっていた。
もう胃液しか出てこなくなってもまだ吐き気が治らない。
悩んで決めたワンピースもひどい有様だ。
(私、もう冬馬先輩と一緒いられない)
「愛菜、大丈夫ですか?」
トイレの扉越しに先輩が話しかけてきた。
「傷つけてごめん、冬馬先輩。本当にごめんなさい」
「謝るのは僕の方です。愛菜に辛い思いをさせると分かっていて、それを強いてしまった」
「でもそれは先輩は私のために……」
「違う」
冬馬先輩から敬語が消えた。
下を向いていた私は思わず、トイレの白い扉を見る。
「違う。愛菜は巻き込まれただけ。どちらかと言えば被害者側だ」
「先輩……?」
「愛菜。以前、僕は1500年ほど前の前世の記憶を夢にみると話したのを覚えていますか?」
「覚えてるよ。そのせいで鬼に狙われてるって言ってたよね」
「愛菜の前世、壱与という名の巫女の始祖と僕の前世の大和の王は夫婦同然の間柄でした」
「夫婦って結婚したってこと?」
「婚姻はしていません。巫女は神の所有物です。ですがお互いが想い合い、支え合う、そんな関係です」
(巫女の壱与と大和の王)
初めて聞く。
一体、前世の私はどんな人で冬馬先輩の王様はどんな人だったんだろう。
「私の前世の子は一体、どんな人だったの?」
「壱与は巫女になる前は鬼の小国の姫でした。鬼の一族は凶暴性を奪う為に赤子の頃に必要最低限の能力を残し、封じてしまう。それは黄泉の国からの移住者である彼らが葦原の中つ国でいきるための手段だったのでしょう。郷に入っては郷に従えという所だったのかもしれません」
「黄泉の国? 葦原の中つ国?」
「黄泉は死んだ者の行くあの世、中つ国は僕たちの居るこの世と言い換えればいいと思います」
「それで壱与も力を封じられていたのかな」
「おそらくは。封じてもなお強い能力を持っていた壱与は神託の巫女として利用されることになります」
「利用したのって、大和の王様?」
「はい。王は鬼の国を援助する対価として壱与を大和の巫女に据えた。そして鬼の国と表向き和平を結び、裏で間者を送り込み内政の混乱を招いた。弱った国に兵を差し向け、結局、鬼の国ごと乗っ取ったのです」
「酷い……」
「確かに酷いですが政とはそういうものなのかもしれません。それぞれに信じるもの、守るものがある。中つ国の人間にとって鬼はあの世から来た畏怖の対象でもあった。今でも昔話の鬼は悪役になっているように、仇なす異分子だと思われていたのでしょう」
(あれ? 故郷の国を滅ぼした王と巫女は夫婦同然だったんだよね)
「待って。王様と巫女は夫婦同然だったんでしょ? 故郷を滅ぼした張本人なんだよね」
「巫女は能力ですべてを知ってしまいました。怒りで感情が昂り、凶暴な鬼になって大和の王を襲いました。その後、お互いが大切だと気付いて壱与は正気に戻り、王は生涯の一番大切な人として側に置いたのです」
「二人で危機を乗り越えたって事だね」
障害でお互いの大切さを知る。
映画やドラマでもよくある話だ。
「凶暴化して我を失った壱与に王が『この身体は世が平穏になったら差し出す。それまで待って欲しい』と言っていました」
「その言葉って……」
「王は早世してその約束は果たされる事なく、現在に転生した僕が前世の王の代わりとしてこの身体を差し出しているのです」
顔を洗って、服を着替える。
台所に行くと、ダイニングチェアに冬馬先輩が座っていた。
「愛菜……」
「冬馬先輩、お義母さんの用意した朝食があるよ」
「今はいいです」
「じゃあ飲み物でも入れようか」
「お願いします」
私が用意していると、珍しく先輩から話しかけてきた。
「まず愛菜に、鬼との契約について話しておかなくてはなりません」
「うん……」
「鬼の要求は毎晩少しずつ僕を食らう事です。ですから愛菜は自我を守るため、僕と一緒に暮らしてもらう必要があります」
用意できたコーヒーを先輩の前に置く。
私は紅茶を置いて席に座った。
「冬馬先輩は……痛くないの?」
「痛覚は普通に持ち合わせているのでもちろん痛いです」
「そっか。私の中にいる鬼にやめてもらうよう話出来ないかな」
「愛菜が鬼と同等の能力になれば可能かも知れません。ですが現状では鬼に愛菜の自我を握られているので得策ではないです」
(私の心は鬼の手の中なんだ)
毎日冬馬先輩と一緒に暮らす。
それは義務だ。
楽しそうだと浮かれていた、今朝までとはまるきり状況が違ってしまった。
「もしかして……アパートの水道管を壊したのって冬馬先輩の仕業?」
「はい」
「やっぱり」
「この家にご厄介になる事も想定済みです」
「想定済みって言うけど、私が何も言わなかったらどうするつもりだったの?」
「愛菜はお節介焼きなので必ず助けてくれると信じていました」
(お節介焼き……)
私の性格込みでよく分かっている。
いつの間にか先輩の手の平で踊らされていたみたいだ。
それがなんだか悔しい。
「毎日暮らす必要があるからシェアハウスの件を言い出したんだね」
「そうです。いつまでもご厄介になる訳にはいきませんから」
「冬馬先輩って真面目だね」
もし冬馬先輩の立場だったら私が抱いている恋心を利用していたかも知れない。
たとえ本心でなくても、甘い言葉で言い寄られれば簡単に断る事は出来ない。
私が簡単に気づける事、冬馬先輩が思いつかないはずがない。
誰かを傷つけるようなズルイ事はしない人だから、きっと私は好きになったんだ。
(そう言えば私を振った理由、まだ聞いてなかったな)
「冬馬先輩。私を振った理由、ちゃんと教えて」
「それは……」
「どうしても言えない?」
「そんな事はないです」
「じゃあ教えて」
「その前に質問してもいいですか」
「どうぞ」
「僕は長生きできない。それが分かっていながら、何故愛菜は告白したのか。僕には理解できない」
(短命だから……それが理由なのかな)
「多分、逆だよ。先輩が短命だって知ったから言えたんだと思う。私は弱虫だからきっと知らないままだったら口に出せなかった。今すぐ言わなきゃって焦る気持ちがあったんだよ」
「仮に僕が首を縦に振ったとして、残りはたった5年。遺す側は未練が、遺される側は悲しみを抱えながら長い人生を生きていかなくてはならない。あまりにリスクが大きいです」
(やっぱり先輩は……)
「16年間生きてきて初めて人を好きになったんだよ。もう二度とこんな気持ちにならないかも知れない」
「愛菜なら……僕より相応しい者が必ず現れる。一時的な感情だけに左右されて今は周りが見えなくなっている。もっと冷静になって考えるべきだ」
「ちゃんと考えてるよ」
(聞きたいのはそんな言葉じゃない)
「私、ちゃんと考えてた。巫女になって寿命を伸ばしてみようとか、色々。でも全部駄目だって言われた。なら私はもう二度と寝ない。冬馬先輩を傷つけたくないから」
「眠らないなんて不可能だ。食べる事と同じ生理的欲求に逆らえない。そんな簡単な事がどうして分からないのですか」
「わかってる。わかってるよ……」
(そう。冬馬先輩の言う事はいつも正しい。だけど)
もし私の気持ちが迷惑なら諦める。
諦めてきっちり義務として主従の関係と割り切っていく。
先輩は困ったように溜め息を漏らす。
それは私が吐かせた溜め息だとと分かるから、胸が痛い。
「僕は多くの人の命を奪った罪人。規格外の能力を持った化け物。多くの者に疎まれる存在の僕を愛菜は好きだと言った。それはなぜですか?」
(先輩に惹かれる理由……)
問われると上手く言える自信は無い。
私は自分の気持ちを分析しながら口を開く。
「最初、冬馬先輩に会った頃はこの人に感情が無いのかな、と思ってた。でも表に出にくいだけでちゃんといろんな気持ちを抱えてる事を知ってからかな。本当は感情を押さえ込んでいるだけなんだなって気付いた時に、きっと好きになったんだと思う」
「僕が感情を押さえ込んでいる……」
「そうだよ。自覚ないの?」
「自覚はないです」
「私は冬馬先輩じゃないから、その理由が暴走した時の罪の意識なのか、小さい頃の辛い経験なのかはわからない。けど、色々な気持ちを押し殺してストイックに自分を律しようとしているよね。身に覚え無い?」
「よくわかりません」
「例えば……冬馬先輩の部屋を見た時、やっぱりって思った。何も娯楽が無いんだもん。普通、テレビとか雑誌くらい置くでしょ。知り合ったばかりの頃だったら空っぽな人だなって思っただろうね」
「娯楽……。愛菜は家でどう過ごしていますか?」
「私はテレビもみるし、本も読むよ。時間ある時は映画を観たりね。先輩は暇になったら何してる?」
「余暇はトレーニングに当てています」
「そんな風だから他人にも高い目標を要求してしまうんだよ。私、冬馬先輩の事を厳しい事言うちょっと怖い人って思ってた時期もあったんだよ」
「僕が怖い? どうしてですか」
「だって。力が欲しいかって契約しといて、いざ次の神器となったら力を求めるなだの、強い力は災いしか生まないだの、脅す様な怖い話ばかりするからだよ」
「それは僕の忠告を一度も聞き入れてくれなかったからです。自我を失うとは死と同等だと教えているのに「構わない」と言う。僕は正直、あなたには呆れ果てていたんです」
「ご、ごめんなさい」
(怒られてしまった)
「よく考えれば愛菜には振り回されてばかりでした。それでも出来るだけ愛菜の思うようにさせてあげたいという気持ちの方が強くなった。きっと僕は愛菜に甘いのでしょう」
私は目の前にある紅茶を飲む。
それはすっかり冷えてしまっていた。
先輩もコーヒーを飲み終えると口を開いた。
「僕はあなたのお母様から「愛菜を守る」事を託された。愛菜を物理的に守るだけではなく、僕には心も守る責任があります」
「そうだよね。冬馬先輩はお母さんに言われたから守ってくれるんだよね」
(結局、ここに行き着いてしまうんだ)
「やっぱり、私の気持ちは冬馬先輩には迷惑なんだよね」
「迷惑……ではないです。愛菜、あなたに触れてもいいですか?」
「うん……」
冬馬先輩は立ち上がると、テーブル越しから手を伸ばして私の頭を撫でる。
優しく、まるで慈しむように。
髪に触れ、頬を撫でた。
(え?ななな、何これ)
耳に触れられると、くすぐったくて身を縮める。
首筋にそっと触れられると、恥ずかしくて目を瞑りたくなる。
心臓がバクバクと音を立てているようにうるさい。
「あ、あの……」
「やはり僕は……」
「冬馬先輩?」
「ありがとうございました」
先輩は伸ばした手を引っ込め、椅子に座り直した。
「あの、今のは……」
「痛くないように触れたつもりですが、痛かったですか?」
「ううん。どちらかというとくすぐったかったかな。でも、嬉しかった」
(触れられているとなぜか心の中が満たされてく気がする)
「嬉しい……やはり僕も愛菜と同じ気持ちでした」
「私と同じ……」
「僕のために外に飛び出してくれた朝、雨の日の傘の中、泣いている時。そういう時、尊い巫女の愛菜は居なくなって、等身大の弱々しい普通の少女に見えてくる。あなたに触れたいと、抱き締めたいという衝動が湧き起こってくるのです」
そう言えば以前から、先輩のスキンシップが多い気がしていた。
「あの……冬馬先輩は私と同じように好きだったって事?」
「はい。僕は愛菜が好きなのだろうと思います。ですが僕に残された時間を考えると諦めてもらうしかない」
「嫌だよ! 私は冬馬先輩じゃなきゃ駄目」
「愛菜……」
「もし本当に私が好きなら、先輩の残された時間を全部ちょうだい。私も冬馬先輩に全部あげるから」
(ここで諦めてたら絶対に後悔する)
やっと冬馬先輩の本心が聞けた。
お互い同じ気持ちなら、冬馬先輩だって分かってくれるはずだ。
先輩はしばらく空っぽのコーヒーカップを見ていた。
そしてゆっくり立ち上がると、私の左手を取り跪いた。
「貴方の尊き願いの為に、望む道を切り開くために、戦い続ける。
……この身が朽ち果てるまで」
「もしかしてその言葉って……」
「剣が契約する時の祝詞です。あの時から僕の命はすでに愛菜のものです」
私は首を横に振った。
「違うよ。冬馬先輩の命は自分自身のものだよ。私が欲しいのは二人で過ごすかけがえの無い時間。一緒に進む未来だよ」
私の言葉に冬馬先輩は「そうですね」と言って満足そうにうなずいた。
「今、ようやく僕の中で神託の巫女と等身大の愛菜が重なりました」
「遅いよ、先輩」
「愛菜、あなたを心から尊敬し、愛します」
そういうと、冬馬先輩は私の左手の薬指にゆっくり唇を落とした。
最終更新:2020年07月19日 00:19