【決行前夜】

夕方の屋上には時折、冷たい風が吹き抜ける。
もうすぐ文化祭も終わる。
姉さんと俺はベンチに座ってこれまでの事を取り止めもなく話し合っていた。
そこから俺の夢の話に会話が移っていく。

遠い過去での顛末を一気に話し終えた姉さんはふぅと息を吐いた。
守屋という俺の同じ魂を持つ剣士が謀反を起こした事。
姉さんの夢と俺の能力者として得た記憶はすべて符合していた。
『私を忘れないで』という姉さんの願い。
今朝のチハルの事件。

(おそらく、俺のリアルな夢の正体は……)

「これは……もしもの……IFの記憶として夢にとどめているのかもしれない」

突拍子のない事だけに、言葉を選ぶように慎重に話を続ける。

「姉さんの願いは具現化する力がある。
姉さんと同じ大学に入った隆さんも、留学する修二先輩も、一郎先輩も御門先輩も。これから経験する、もしくはした事で……俺がそれを夢の中に留めているんだよ、きっと」

夢を媒介にして時間も空間も全て超越する能力『胡蝶の夢』。
本来、過去まで遡って違う行動を起こしても、過程が異なるだけで未来は集約され結果は同じになる。
それが今の定説だ。
実際、どの未来予知の能力者も未来を変えることができていない。
決められた運命には逆らう事は出来ない。
でも姉さんだけは違う。
姉さんが選択した分だけ未来が存在する。
その幾多の可能性を俺は夢を通して見ることができる。

(これはすごい事だぞ)

意気込む俺とは対照的に姉さんは浮かない顔をしている。

「春樹……ごめんね」

ポツリ、と姉さんが謝った。

「どうして姉さんが謝るのさ」
「だって夢の事で悩んでいたんでしょ?」
「……まぁ、俺は嫉妬深い奴だと自己嫌悪してたのは確かだね」

長い間、俺は自分の嫉妬心や独占欲が見せている夢だと思っていた。
だから睡眠も浅くなりがちだった。

「気にする事ないよ、姉さん」

気落ちしている姉さんに俺は優しく声を掛けた。

「今はむしろ嬉しいんだ。だって1500年も前の約束をちゃんと守れてる」
「それは私の呪いみたいなものだよ」
「呪いじゃないよ。お願いだろ」
「……うん」
「それに数ある選択の中で姉さんが俺を好きだといってくれた時間軸。
存在していないと思っていた世界が今、目の前にあるってすごい事だよーー」


ハッと目を覚ます。

まだ見慣れない天井と年代物の蛍光灯が、薄明かりの中でぼんやりと映る。
透明な点滴が一定の速度で、ポタリ、ポタリと落ちている。
ここが高村の研究施設内だと思い出すのに数秒を要した。

(この夢は……)

姉さんが俺を選んでくれていた。
色々な夢を見てきたけど、このパターンは初めてだった。

(そうか。そんな可能性もあったんだな)

どこでどう間違えてしまったのだろう。
現実では今、姉さんは御門冬馬と行動を共にしている。
今は俺の家で一緒に住んでいるとも聞いた。
姉さんは彼を選んだのだ。

(だから俺は……)

『春樹、起きているようだな。聞こえているなら返事を』

声が心に直接響いてくる。

『わかってる。ちゃんと聴こえてるよ』

俺は上半身を起こして、腕に刺さったままの点滴を引き抜いた。

『施設内を覆う結界の首尾はどうなっている?』

結界というのは事前に頼まれていたものだった。
計画に必要な行程らしい。

『貴女の指示通り、文献にある霊気を遮断する結界を張ってもらったよ。結界の規模が大き過ぎて能力者の何人か犠牲になってしまったらしいけど』
『そうか。よくやった』

人が犠牲になった事など、どうでもいいのだろう。
珍しい労いの言葉も、全く感情が伝わってこない。

(姉さんと同じ声なのにな)

『貴女が過ごす為の部屋も完成しているよ。便宜上は監視部屋だから何台かカメラがあるけどさ』
『構いはしない。過ごすのは器だ』

鬼の指示通りに父の元に行き、血漿を投与してもらった。
激痛を伴うまどろみの中で、姉さんの中の鬼が現れて何度も話をした。
そしてついに十種の神宝、八握の剣の力を手にすることが出来た。
その時、俺は夢の中で彼女と契約を結んだ。
契約しているから、どれだけ離れていても交信できるという訳だ。

『貴女の計画通りなら神託の巫女の力が必要なはず。姉さんの方は上手くいったのかな?』
『問題ない。全ての神器と契約した』

鬼の計画は『胡蝶の夢』を使って、時間の流れに縛られない夢と現実の狭間に『空間』を作り出す事だ。
そこで御門先輩を永遠に喰らい続けるのが目的らしい。

(でも……なぜ御門先輩なんだろう)

詳しい理由は教えてくれなかった。
ただ、俺が計画にどうしても必要らしい。
守屋の時に姉さんからもらった『私を忘れないで』という願いを魂の奥に持っている。
だから巻き戻っても全容を把握しておける、唯一の存在なのだそうだ。

『秋人は忠誠を試すため、御門冬馬を殺すよう命じるだろう。お前に、人を殺める事ができるのか?』
『分からない。もし俺が出来なかったらどうなる?』
『胡蝶の夢は……わたしの願いと最愛の人を亡くした器の絶望を糧に発動させるつもりだ』

能力というのは、実は何も無い所からは生まれない。
想いや精神力を自身の属性に置き換えて、自然現象として各能力を発動させる。
それが負の感情でも発動の条件に十分なり得る。

『器に一番近い、弟であるお前が殺すのが理想。絶望が増幅する』
『俺に殺れと……』
『そうだ。お前しかいない』

(できるかどうか尋ねておいて、結局、強制なのか)

鬼の手には姉さんの心が握られている。
いつでも乗っ取って姉さんを消し去ってしまえる。

『嫌だと言っても無駄なんだろう?』
『わたしに逆らったら……分かっているな』

姉さんの中に棲む鬼に対抗できる能力者はおそらく一人もいない。
現状、兄の秋人が能力者の中では一番強いだろう。
父の能力まで手中にし、十種の神宝の半数以上の力を得たからだ。
次に三種の神器、草薙の剣の御門冬馬だろう。

『御門先輩を俺が……本当に可能なのか?』
『施設に施した遮断の結界はその為でもある。奴の水の加護をほぼ無効化できる』
『秋人兄さんの方が適任な気がするけどな』
『結界を張った施設内では、お前は秋人より強い』

契約の時、俺の前世の守屋の武人としての経験値も譲り受けた。
小国がひしめいていた日本を、大和という統治国家に導いた一騎当千の戦士。

(守屋は屈強な肉体だから最強なのに)

運動神経は悪くはないけど、興味も時間も無くて部活に入った事はない。
もちろん武道を習った事は体育の授業くらい。
体格面はごく普通の高校生と一緒だ。

『過去の宿敵か。俺が……やるしかないんだな』
『秋人には御門冬馬を弱体化させるように話をつけておこう。お前は器の前でとどめを刺せ』

(今夜、俺は人殺しになるのか)

現実味はないけれど、喉がやたら渇く。
鼓動も早鐘を打っている。
これは緊張している証拠だ。

(戦うっていうのは、残酷になれって事なのかもな)

相手を威嚇したり傷つけたり。
時には殺す事も厭わない。
力を行使するならば、相応の責任と覚悟も必要になる。
それでも『無能』の頃より、ずっと良い。
自分で道を決め、向かって進むことができる。

(従うしかない。……鬼に対抗する何かを見つけるまでは)

ループの最中、俺だけが記憶を継承し認識できるらしい。
全ては俺にかかっている。

手の平を合わせて、その中心に気を集中させる。
それをゆっくり離していくと、その間から赤い光が集まり始める。
守屋の頃に使っていた愛剣を立体的に思い描く。
すると赤い光は徐々に剣の形になってベッドの上にドサッと落ちた。

(頼むぞ、相棒)

以前、御門先輩との太刀合いを夢に見た事があった。
それが実際に起こるのかもしれない。
東の空が徐々に明るくなり始める中、俺は大きな赤い剣を力の限り握り締めた。

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最終更新:2022年03月23日 11:24