【決行後】

多くの攻撃を受け、満身創痍の御門先輩は全くの無抵抗だった。
そんな彼の力の限り何度も刺した。
俺は全身が氷のように冷たくなっていくのを感じていた。
手が震え、ガクガクと膝が笑っていた。

秋人兄さんに掴まれたままの肩を振り解くと、姉さんは先輩に駆け寄った。
そして身体を慎重に抱き起こす。

「冬馬先輩っ!」
「泣か、ないで」

御門先輩は微かに言った。
気道に血が入ったのか、ヒューヒューと笛の様な息の方が声より遥かに大きい。

「ありがと……ごめ、ん……」

先輩の頬に姉さんの大粒の涙がこぼれ落ちていった。
ゆっくりと赤く染まった手が姉さんの髪に触れる。
その愛おしそうな様子は恋人同士そのものだった。

見ていられなくて、思わず顔を背けようとする。
すると御門先輩が俺を見つめていた。
一番見たくない相手と視線同士がぶつかってしまった。

「……春樹……さ……愛菜……を……」

口元がそう動いたように見えた。
すると、先輩がゴフッという音と共に激しく吐血した。
微かに上下していた呼吸も間遠になっていく。
姉さんに触れていた手が、力なく地面に落ちる。
そして、静かに事切れた。
血溜まりの中、姉さんは最愛の人の亡骸を抱きしめたまま、ゆっくり俺を見た。

信じられないという驚きと、絶望の入り混じった瞳が今も忘れられない。

そして不覚にも、俺はそのまま気絶してしまったのだった。

翌日、俺は昼過ぎに目を覚ました。
すでに兄さんは病院のある街に戻ったらしい。
さらに何日か経ち、十数人の研究者や能力者を残して、ほとんどの人達も各々の生活へと戻っていった。
それでも、施設のあちこちに生々しい戦いの後は残ったままだった。

姉さんは監視部屋のベッドでずっと眠り続けている。

正直、俺は途方に暮れていた。
これからの事を考えようにも、胡蝶の夢が成功したのか失敗したのか判断ができないでいたからだ。
まるで現実の延長と変わりなく、何もかもが以前通りのまま。
とてもこれが時間の流れから隔絶されてる空間とは思えなかった。

さらに数日経過した早朝、姉さんがようやく目を覚ました。
カメラ越しから、名指しで俺を呼んでいるらしい。
俺は急いで、その部屋に向かった。

「姉さん!」

扉を開けて、ベッドに座ったままの姉さんに駆け寄る。

「春樹」

その一言で鬼だとすぐに分かった。

「姉さんは?」

『器はまだ目覚めない』

(テレパシーか。聞かれたくない話なんだな)

会話の途中で急に切り替えるから、少しばかり焦った。

「私? まだ少しぼーっとするかも。あれ……ここはどこ?」

鬼がキョロキョロと辺りを見回して、不安そうにしている。
しかも話し方を姉さんに寄せている。
カメラで逐一記録されている以上、上手く演じろという無言の圧を感じた。

『姉さんは無事なのか?』
『霊力が届かない状態で能力を使ったんだ。わたしの手助けがなければ、器は精気失い跡形も無く消えていただろう』
『じゃあ姉さんは生きているんだな』
『もちろんだ。胡蝶の夢は無事に成功した。そこで、これから伝えなくていけない事がある』

(何も変化が無いようだけど、一応、巫女の能力が発動したんだな)

「ここは安全な所だから心配いらないよ」
「私……記憶が……よく思い出せない」
「起きたばかりだから、記憶が混濁しているのかも。今は無理に思い出す必要はないよ」
「でも……」
「それより体は大丈夫? 辛いなら横になっていた方がいいよ」

俺は姉さんの肩を持ってゆっくりと寝かせた。

「春樹、ありがとう」

お礼を言いながら、まるで姉さんのように俺に微笑みかけてくる。
鬼の演技なのに、本人だと勘違いしてしまいそうになる。

『俺にだけ伝える事? 一体、何かな』
『まず一点目。器をこの部屋から一歩たりとも出してはいけない。そして人との接触を全て断つんだ』

この監視部屋は鬼が秋人兄さんに頼んで用意させたものだった。
兄さんは自分の夢に現れる気高い鬼こそが、神託の巫女だと言った。
真の鬼の巫女になるその時まで、仮の器である姉さんの自由を奪うのための部屋だと、そう説明してくれた。

秋人兄さんは姉さんをただの器だと言うけど、間違いなく神託の巫女だ。
本来なら身の内にいる鬼に心も体も支配されてしまうから、巫女は鬼になると言われてきた。
支配され消滅するはずだった器の姉さんが、すべての神器と契約して本物の巫女になった。
器として心を保ったままの巫女はイレギュラーな存在。
不確定要素の多い姉さんに真実を悟られない方が、鬼も色々やり易いのだろう。

『姉さんを誰にも会わせなければいいんだな。わかった』
『すんなり受け入れるものだ。それはお前も含めてだぞ』
『えっ、俺も? だって俺は貴女の協力者なんじゃ……』
『わたしはお前を買ってはいるが、信用した訳ではない。お前と器。会う事はもちろん、手紙など別の手段での接触も全て許さない』
『そんな……』

(俺と姉さんを協力させないためか)

ループを認識できる唯一の人間である俺は便利だが危険人物とも言える。
俺と姉さんが協力するのは鬼にとって不利になると判断したのだろう。

『嫌だと言っても無駄なんだよな』
『器が寝たら、私が目を覚ます。その時に世話を焼きたければ勝手にすれば良い』

生活となれば、当然、ゴミや洗濯物も出る。
構うなら、鬼の起きている時に限定しろと言っているようだ。

『一点目って事はまだ要求があるんだろ?』
『ああ。二点目は愛菜とわたしの食事は全てお前が作って提供するんだ』
『例の話か。俺がやるしかないんだよな』
『これこそがわたしの真の目的だ』
『まさか俺がカニバリズムの手伝いをする事になるなんてね』
『かに……何だそれは?』
『共喰いの事だよ。人が人を食べるって意味の言葉さ』
『わたしは人ではない。だからその言葉は当て嵌まらんな』

かつては、日本にいた鬼。
色々な能力を操り、丈夫な身体を持つ、賢く、美しい容姿の黄泉から来た異邦人。
結局、現地民の中つ国の人々によってその数は激減した。
もう現代には残っていないはずの生粋の鬼が、姉さんの身体にずっと棲みついている。

(その体は姉さんのものなのに。……鬼っていうのは傲慢だな)

とりあえず、要求は二つ。
一点目は姉さんを部屋から出さず、接触、交信も一切断つ事。
二点目は俺が作った食事を提供する事。

「起きてたら、少し疲れたかも」
「今はゆっくり休むのが一番だよ」

俺は姉さんの上布団を優しく掛け直した。

『じゃあ……俺からも一点だけ、お願いがあるんだけど』
『何だ』
『俺が……御門冬馬にとどめを刺した記憶……それを姉さんから消してもらいたいんだ』

今でも突き刺した瞬間の手の感触が残っている。
あの生々しい記憶を姉さんに残したくない。
絶望した瞳で見つめられるは、もう耐えられそうにない。

『時が来れば時間は巻き戻る。すべて御破産だろうに』
『とにかく嫌なんだ』

(偽りでも構わない。……姉さんにとっていい弟でありたい)

俺の願いに鬼は考えを巡らせているようだった。
そしてしばらくすると、ニヤリと口角を上げて笑った。

『そうだな。その願い、聞き届けてやる』
『本当か?』

(何だ今の笑みは。何か悪事を企んでなければいいけど)

『ああ。任せておけ』

「それじゃ、少し休むよ。何かあったらすぐに呼ぶね」
「次に起きたら食事にしようか。ずっと寝てたから体力つけないと」
「春樹の手料理なの?」
「姉さんの希望なら張り切るしかないかな。でも、まずはお粥からだよ」
「うん。楽しみに……してるよ……」

そう言って姉さんは目を瞑った。

『要件は以上だ。今しがた話した事は決して忘れるでないぞ』

そう言い残して、鬼は一方的に交信を絶ってしまった。
姉さんの身の回りを簡単に整えると、音を立てない様に、俺はそっと部屋を後にした。


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最終更新:2022年03月23日 11:31