532より分岐
①周防さんからの携帯の番号
RRR──
ディスプレイに浮かぶ「周防」の文字に、胸がわずかにざわついた。
リビングには、隆と私、それにチハルの3人だけが静かに残っている。
お義母さんは、美波さんにもらった鎮静剤を飲んでから、あのまま自室で眠りについてしまった。
「はい。愛菜です」
「愛菜ちゃん、俺だけど」
聞き慣れた、少し低めの穏やかな声。
周防さん。
──さっき、美波さんが春樹の居場所を探してくれているって言ってたっけ。
「……あの、春樹の居場所は、分かりましたか?」
「……ああ。山奥にある高村の研究施設に移送されたと確認出来たよ」
「山奥、ですか……」
山? この街にそんな場所があっただろうか。
駅前の通りを外れた先には住宅街ばかり。
山林へ向かうには車で一時間以上は走らなければならない。
バスや電車で向かえる場所じゃない。
すぐに追いつける距離じゃないことが、胸の奥を重く沈ませた。
「それから、春樹が出ていったせいで、愛菜ちゃんの家も安全とは言えなくなった。さっき美波が、家を守ってた結界が荒らされてるって教えてくれたよ」
言葉に、思わず息を呑んだ。
この家は安全だと信じていた。
結界が張られていると聞いて、少しでも安心しようとしていた。
でも、それも──それすら壊されてしまった。
「……そうなんですか」
(どうしよう)
隆がいる。
チハルもいる。
私が標的だとしても、もし敵がこの家を襲えば、もう私だけの問題じゃなくなる。
冬馬先輩が駆けつける前に──何かあったら。
「そこでだ。反主流派としては、一時的に愛菜ちゃんを保護することにしたんだ」
(……私を、保護)
やっぱり、そうだよね。
狙われてるのは私。
だったら、私がこの家を出て、遠くへ行けばいいに決まってる。
これ以上、誰かを巻き込みたくない。
誰かが傷つくところなんて、もう見たくない。
「分かりました。……では、荷物をまとめた方がいいですか?」
「頼む。できるだけ必要なものをまとめておいてくれると助かる」
「わかりました。それで、隆やお母さんは?」
「現状通り、冬馬を中心に街のほうは見守りを続けるよ。……身の安全が第一だからな」
周防さんが味方で、本当に良かった。
もし反主流派がいなかったら、私はとっくにどこかに連れ去られていたかもしれない。
今こうして、電話口で話せていることさえも──奇跡に思える。
「それじゃ、一時間後にそちらに向かうから。愛菜ちゃん、よろしくな」
「はい。一時間後に……よろしくお願いします」
通話を終えると、すぐ隣で黙っていた隆が、ぽつりと声を漏らした。
「荷物まとめるって話してたな」
「うん……この家の結界が壊されてるみたい。危なくなってるらしいんだ」
「そうなのか? 俺は感知は苦手だけど、……そんなに変化は無いように感じなかったけどな」
隆の表情に、微かな戸惑いが滲んでいる。
幼馴染として一緒に過ごしてきたからこそ、家の異変に感じるものがあるのかもしれない。
「さっき来てくれた美波さん、すごい治癒能力を見せてくれたよね? あの人が言うなら、たぶん間違いないと思うんだ。それでね、反主流派が私を一時保護することにしたんだって」
「保護、か……。じゃあ学校はどうすんだ?」
「分からない。でも、一時的って言ってたから、きっと……どうにかしてくれるんじゃないかな」
「どうにかって……お前。おばさんも寝てるし、本当に大丈夫なのか?」
その声は、まるで自分に言い聞かせるようで。
春樹もいなくなって、次は私。
残される不安が、隆の声の奥ににじんでいた。
「身の安全は保証してくれるって。もちろん、隆たちもね」
「……まぁ、狙われてんのがお前なら、匿うのが一番早いのは分かるが。春樹を連れてったくらいだし、相手の方も……焦ってんのかもな」
「敵は私の能力が欲しいんだって。巫女の力……そんなすごいもの、私にあるはずないのに」
口にして、自分でも虚しくなる。
ついこの前まで、ごく普通の高校生だった。
なのに、今じゃ「狙われる存在」だなんて。
「狙われてるなら、用心に越したことないからな」
「でも……隆まで巻き込んでしまったから……」
「俺にも能力はあるんだ。全くの他人事でもないし、気にすんな」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
隆の我流の力は、荒削りだけど、心強い。
「おばさんが目を覚ましたら、愛菜のこと伝えておけばいいか? チハルは俺の家に来ればいいしな」
心強い言葉に、胸が熱くなった。
チハルやお母さんを置いていくのは不安だけど──
隆が居てくれる。状況も能力のことも、ある程度理解してくれてるから、きっと上手くやってくれるはず。
「愛菜ちゃん……」
スカートの裾に、ぎゅっとしがみつくチハル。
その手が、小さくて、温かくて、泣きたくなる。
「大丈夫だよ、チハル。少しだけ、行ってくるだけだから」
「隆にも、落ち着いたらメール入れるね。もちろん、チハルにも」
「うん……!」
うれしそうに頷くチハルの瞳には、うっすら涙がにじんでいた。
隆は壁の時計を一瞥しながら、思い出したように言った。
「ってか、お前。1時間後に迎えにくるんだろ? もう用意を始めないとマズいんじゃないか?」
「そ、そうだった……!」
私は慌てて階段を駆け上がる。
自室の扉を開けて、学校の教科書、筆記用具、必要最低限の衣類──
まるで小旅行の準備みたいだ。
でも、次に帰ってくるとき、この家がどうなっているのかは分からない。
「……行ってきます」
家族写真にひとときの別れの挨拶をする。
お父さんは海外出張。
春樹は憎んでいた父親のところに行ってしまって。
お母さんは心労で倒れるように眠ってしまった。
色々な不安を振り払うように、大きなバッグを抱え、階段を下りていく。
ピンポーン
(……周防さんかな?)
心臓が一度、大きく跳ねた。
これから何が起きるのか、見当もつかなくて。
隆や小さなチハルに悟られないように、笑顔のまま、足早に玄関に向かった。
最終更新:2025年08月01日 16:04