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(眩しい……!)

閃光はゆっくりと薄れ、張り詰めた余韻だけが瞼に残る。
光の残滓が壁を滑り、床に落ちた影の輪郭を一瞬だけ白く縁取る。

その中心に、周防さんが静かに立っていた。
胸の高さに挙げた両手は、まるで“世界の形”をそっと確かめているかのようだった。

足元の影が、不意に生き物のように揺らめく。
重力の法則を無視するように伸び、絡みつき、形を変えていく。
さっきまでただの陰影だったものが、黒曜石の硬度を帯びながら、彼の腕を這い上がっていく。

やがて影は結晶化を始め、彼の手のひらで音もなく収束していった。
黒い粒子が凝縮し、一つの球体を生む。

周防さんは、その球を壊すのではなく──
核心だけを取り出すように、ゆっくりと両手で押し潰した。

「光届かぬ深淵、識られざる貌(かたち)よ。
 遍く世界を写し、我が問いに応えよ。
 万象の、理を──ここに映し出せ」

その声は呪文というより、いにしえの誓いを思い出すようだった。

球体は溶けるように姿を変え、一枚の硬質な盤へと落ち着いた。
パソコンの基盤を思わせる無機質な文様。
表面は水銀のように波立ち、次の瞬間には研ぎ澄まされた鏡面へと変質する。

鏡は、何も映さない。
ただ“観測されること”を静かに待つ、未定義の世界そのもの。

「周防さん、それは……」

私が息を呑むより早く、春樹が答えた。

「神宝──辺津鏡(へつかがみ)の顕現。
 周防さんの魂を媒介にした、世界写しの鏡そのものだな」

「具現化……命そのものじゃ……」

「まあ、そういうことだ。落とすなよ、春樹」

淡々とした口調で、周防さんはその円盤をひょいと春樹に渡した。
信じられないほど、いつもの調子だ。

「でも……こんな重要な物を」

「今夜からそれを枕元に置け。
 お前と冬馬の記憶は、もう鏡に刻んである。
 お前の“航海”の、正しい北極星になるはずだ」

春樹は言葉もなく、ただ深く頷いた。
鏡をそっとハンカチで包むその手が、ほんのわずかに震えているのを私は見逃さなかった。

(……春樹の顔が青白い。さすがに……動揺するよね)

「周防さん、一つ聞いていいですか」

私は思い切って尋ねた。

「さっき春樹が"見失った"って言った世界……あれは本当に消えてしまったんですか?」

周防さんは、ゆっくりと首を横に振った。

「ある、ない。どちらとも言えない」

「え……?」

「見失った道も、別の春樹が記していれば、あるかもしれないからな」

周防さんの言葉に、胸の奥が熱くなった。

「それって……」

「一郎も、修二も、誰もが幸せになる可能性はある。ここじゃなくても、889番で分岐した世界線の春樹が記してる可能性がある。ヤツも唯一、自身が観測者だと気づいてる」

(良かった。別の世界が確定させたかもしれないんだ。1人だけで重責を背負ってる訳じゃない……)

ジリリリリ──。

診療所の空気を切り裂くように、スマートフォンの着信音が鳴り響く。
さっきまで神話めいた時間が流れていたのに、現実だけが容赦なく踏み込んでくる。

「俺かな……」

「春樹、どこから着信?」

「病院からだ。今日は非番なのに……」

春樹がスマホを取り出す。
通話に切り替えた瞬間、表情から迷いも感情もすべてが消え、
“救急医”の顔になる。

「……落ち着け佐藤。状況を簡潔に言え。玉突き事故? 重傷者が複数? ──分かった。第二診察室の多発外傷患者が最優先だ。まずルート確保、輸血の準備。オペ室の確保は? ……よし」

声に一切の揺らぎがない。
春樹の中で、世界の優先順位が瞬時に組み替えられていくのが分かった。

通話しながら、すでに出口に向かって動き出している。
その背中からは、たぎるような緊張と、迷いのない決意が溢れていた。

「すぐ向かう。高速使って30分だ」

こちらに向けられた視線は、言い訳でも謝罪でもなく、“状況が変わった”という共有だけ。

車のキーと夢日記を迷いなく掴む。

「周防さん、すみません。戻らなくちゃ」

「気にすんな。愛菜ちゃんは俺が送ってく」

「お願いします」

(相変わらず……だな)

和馬に会いに来たときも。
春樹はいつだって、呼ばれると真っ先に勤務地へと戻る。

「──佐藤。聞こえるな?スピーカーに切り替えろ。走りながら指示を出す。患者のバイタルは逐一報告しろ。次に──」

春樹は診療所を飛び出す。
その背中を追って、私も外に出た。
が、もう姿はなかった。
代わりにエンジンの低い唸りが、夕暮れの空気を震わせていた。

発進直前、窓が開く。
春樹が少し顔を出した。

その目は、ほんの一瞬だけ弟のそれに戻り──
すぐに、覚悟を帯びた医師の光に変わる。

「姉さん、すまない。また連絡する」

返事を待たず、SUVは砂利を跳ね上げて走り出す。
赤いテールランプが坂道の下へ遠ざかり、風がその余韻をさらっていく。

(……行っちゃった。本当は、“気をつけて”って言いたかったのに)

潮風はさっきより穏やかで、海の匂いも夕凪に溶けていく。
私はただ一本道を見つめていた。
日が落ちる気配の中に、彼の残した温度を探すように。




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最終更新:2026年05月06日 10:10