焦燥と混乱が七海やちよの中で激しく渦巻いていた。
突如殺し合いに巻き込まれたといっても、平時であればもう少し平静でいられたかもしれない。
魔法少女……願いを叶える代価に魔女という怪物を退治する戦士になってもう7年にもなる。
自他ともにベテランと認める彼女の経験からくる冷静さは、異常事態においても即座に対応を試みるだろう。
しかし彼女とて木石の塊というわけではなく、当然冷静さを失うこともある。

魔法少女となった自分の魂が宝石に変えられてしまっていると知った時。
今まで倒していた魔女が自分たち魔法少女の成れの果てだと知った時。
大切に思っていた仲間の死に立ち会ってしまった時。
その仲間の死の原因が自分の願いのせいではないかと思い至った時。
何より、それらの記憶を一度にフラッシュバックさせられた時。

記憶キュレーターのウワサという怪異に立ち会った彼女は、それらの過去を共有する親友の記憶を見せられ、動揺のさなかにいた。
そこに神子柴の狼藉を叩きつけられ、理性的な行動をとれる人物の方が稀であろう。
……かろうじて揺らがなかった彼女の根幹にある倫理観・正義感が今の彼女を幽鬼のようにゆっくりとだが動かしている。
支給されたバッグを漁り、まず目についた名簿を確かめる。

(環さん、二葉さん、御園さん……それに鹿目さんに暁美さん、佐倉さん……巴さんまで)

見知った名前がいくつかある。もう仲間ではない…仲間ではないが、それでもこんな事態に共に巻き込まれてしまったことに何も感じないというほど冷淡にはなれなかった。
無事に生き延びてほしいと少しだけ想う。
続けて名簿を隅々まで何度も見渡して、つい親友の名前を探してしまう。

(みふゆはいない……)

その事実に安堵の息がホッと漏れるが、いくつかの疑問は浮かんでくる。

(二葉さんはいるけれど、鶴乃とフェリシアはいない。アリナはいるけれど、みふゆともう一人のマギウス…里見灯花はいない。
 あの場にいた全員が連れられてはいないけど、どういう基準で?)

マギウスが関わっているのかと少しばかり考えたが、それならアリナがいるのもせっかく洗脳した二葉さながいるのも奇妙な話だ。
いくらなんでも切り捨てるには早すぎるだろう。
とはいえ考えたところでここにいる理由もいない理由も分かるはずもなく、詳しい事情を知りたければ本人たちに会って聞くしか―――

(いえ、それはダメ。一人で戦わないとまた私の願いで人が死んでしまう)

七海やちよは大多数の者がそうであるようにかつてキュウべぇという白い妖精と契約し、願いを叶えられたことで魔法少女となった。
託した願いは≪リーダーとして生き残りたい≫というもの。
生き残りたいというのは文字通りの意味ではなく、読者モデルをやっている彼女が芸能界で活動しているユニットで生き残りたい、という意味であった。
しかし彼女が実際に口にした願いは上記のものであり、そして魔法少女の固有魔法は願いから派生して成立するものである。
後の魔法少女としての戦いの日々で、彼女を庇うような形で命を落とした仲間が二人いた。

『未来へ進んで』
『守れてよかった』

最期に二人がそう言い残して彼女を守るように逝ってから、彼女には一つの疑念がついて離れない。
リーダーとして生き残ることを願った自分は、周囲の全てを犠牲にしてでも自分だけは生き残る魔法を身に着けてしまっているのではないかと。

そのため彼女はこの殺し合いにおいても一人で戦おうとしている。
誰も巻き込まないために。誰も死なせないために。
苦難の道ではあるが、進むことを七海やちよは決めた。

名簿には目を通した。
続けてルールも熟読する。
そして支給品を取り出して検めると



「笛……?」

まず最初に出てきた物は木を削って作っただけの簡素な笛だった。
笛を武器にする魔法少女に心当たりはあるが、この笛は別段特別なものでもないらしい。
非常時に備える笛というのに心当たりはある。
災害に巻き込まれた時や遭難した時などに大声を出して助けを求めているとすぐに喉がつぶれてしまうので、自分の居場所を発信するためにこうした笛やあるいは鈴などを用いるというものだ。
災害時の避難グッズなどにも導入されているらしいが、殺し合いという状況で濫りに自分の居場所を知らせたいとは思わない。
軽く吹いてみると一応音は出るが、そう使うこともなさそうで、ハズレを掴まされたなとバッグにしまおうとするが

「女……なぜお前が…それを持っている……!?」

持ち主としてふさわしくないという意味で、その笛はやちよが想定する以上のハズレであった。



◇ ◇ ◇



黒死牟



名簿に書かれた自分の名前はすぐに見つかった。
人間であった頃は別の名であったが、主君の手によって鬼に転じてこの名となってから久しい。
人間時代の名で書かれていたら見つけるのにむしろ余計な時間がかかったかもしれない。
続けて近くに並べられた見覚えのある鬼の名が目に入る。




鬼舞辻無惨 妓夫太郎 堕姫 猗窩座



どれもここにあるのは少しばかり悩みの種になる名だ。

(無惨様は…解毒はすまれたのか……
 猗窩座……つい先刻鬼狩りめらに…討たれたはずだ……
 妓夫太郎に堕姫……この者らも……
 あの老婆……鬼まで…黄泉還らせたか……)

鬼舞辻無惨は裏切者の作った人間化薬を盛られ、その分解の時間を稼げと黒死牟たち鬼に命じていた。戦場に立てる状況ではないはず。
猗窩座はその戦いの中で、妓夫太郎と堕姫はそれ以前に命を奪われた。ここにいるわけがないのだが、神子柴のしたことを信じるならば真の猗窩座たちが蘇生しているのだろう。

(確かに…猗窩座の気配を感じた……今は分からんが……
 妓夫太郎も…いたやもしれん……)

右手にの刀を握る力を強め、神子柴に斬りかかろうとした瞬間のことを思い出す。
たしかにいくつか覚えのある感覚がした。鬼と鬼殺の剣士何人か、自らの子孫の気配も。

(あの者を…鬼に誘いはしたが…猗窩座と妓夫太郎が戻ったのならば…不要であろうか……
 いや…また討たれぬとも…限らぬか……)

玉壺を斬った柱、それに妓夫太郎を斬った柱もいるとあっては鬼の百戦百勝を妄信できるほど黒死牟は楽観できない。
一度は自分と鳴女以外の十二鬼月は全滅したのだ。さらにその鳴女が離反したとあっては、もはや前任の上弦であろうと信用しきれない。

(私が…動かねばなるまい…)

考えることは多い。
鳴女の裏切り。
黒死牟の推挙した新参の陸はともかくとしても、なぜ童磨に半天狗、玉壺でなく猗窩座と妓夫太郎がここにいるのか。
首輪が爆発すれば死ぬというが、鬼まで殺すということは日輪刀に近似したものなのか。
何より憂慮すべきはここに飛ばれてからまったく無惨の声が聞こえないこと。
この調子で鳴女も珠代なる鬼と同様にこれ幸いと離反したのか。
黒死牟自身がまだ生きているのだから無惨の命は無事ではあるのだろうが、毒から回復していたとしても万全であるとは限らない。
自らの足で動かねばならなくなったが、無惨に仇なすもの―――裏切った鳴女や神子柴なる狼藉者も含めて―――を全て斬り捨てるべく闇の中に一歩を踏み出そうとする。

………………発達した鬼の聴覚が小さな笛の音を捉えた。
跳ぶ。
その音を知っていた。その音が二度と鳴るはずがないことを知っていた。
懐に、あるべきものがないことに今気づいた。
………………音の出どころにはすぐに辿り着いた。

「女……なぜお前が…それを持っている……!?」



神子柴を斬るべく抜き放っていた刀を衝動的に振るう。
矮小な小娘などその一太刀であっけなく首が地に落ちる、黒死牟はそう考えていた。
だが現実はそうはならない。
刀を振るわれたやちよは黒死牟の異様な風体と殺気に一瞬驚きはするものの、攻撃範囲からは即座に離脱していた。
その予想外の速さに黒死牟は六つある目をわずかに見開き仰天する。

(背丈は…女にしてはある……肌艶もいい…栄養状態は…上々……
 しかし…細い……手足も…筋も…
 鍛えては…いるようだが…武人の体つきとは違う…あれほどの速さには…ならない筈だが……)

黒死牟の視線がやちよの体の上を走り抜けた。
透き通る世界、無我の境地、至高の領域―――呼び方は様々だが、弛まぬ努力の果てに辿り着く武人の究極に黒死牟は至っている。
肉体のあらゆる感覚を完全に掌握・認識し、世界も見て感じとれる領域にまで至った者は人体を透き通って見ることができるようになるのだ。
その力で七海やちよの体の組成を観察した結果が黒死牟には珍しい困惑だった。

平成の日本に生まれ育ったやちよは、黒死牟の経験してきた戦国から大正の世に比べて食や生活の環境が発展しており、女にしては恵まれた体躯をしているように黒死牟には映った。
モデルとしての美意識や、日常的に行われる魔女や使い魔との戦闘経験がその体を肥やすことなく美しく保っており、それも健康体であるという最低限の形ではあるが読み取れる。
だがその程度の肉体で、黒死牟の剣閃を躱せるのはおかしい。
眼筋かそれを補う何かが鍛えられていなければ攻撃を認識できるはずもなく、認識したところで反応する肉体が未熟では回避が間に合うわけもない。
明らかに目の前の女の肉体は黒死牟に対処するだけの性能を備えていない。

(仕掛けがあるな…外法…血鬼術のような…
 あるいは装備…からくりの類は…さすがに分からぬ……)

胸に一瞬燃え上がった焦げ付くような感情はいつの間にやら初撃を生き延びた奇怪な存在への興味で鎮火されている。
ゆっくりと剣を構えなおし、愉しむように、されど慎重に次の動きを練る。

対する七海やちよは余裕をもって躱したようだが、実際のところ九死に一生であった。

(見えなかった……全く)

魔女のような怪物退治なら百戦錬磨、魔法少女同士で戦った経験もあり対人であってもそうは遅れはとらないとやちよは自負していた。
しかしこれはどうだ。
不意に現れた怪物の攻撃をからなぜ生き延びたのかはやちよ自身理解できていない。
まるで背後霊なるものがそこにいてやちよの手を引いて守ってくれたのではないか、そう思うほどにやちよは何が起きたか認識できていなかった。

(……勝てないわね)

向き合う怪物の外観はほぼ侍のそれで、多少の錯誤感はあるが魔女などに比べればよほど人間に近い。
ただし三対に並んだ六つの眼を持ち、そのうち中央の左眼に上弦、右眼に壱の文字が浮かんでおりその僅かなれど確かな差異が怪物性を際立てている。
あまりにも速く、熟練された剣技はやちよがこれまで戦った魔法少女とは比べ物にならず、怪物としての存在感はこれまで倒してきた魔女やウワサ全てを�惜き集めても及ばない。
逃げる以外に彼女が生き延びるすべはない。だがただで逃げられるような相手ではない。
それゆえに、彼女が選んだ行動は

(死中に活!)

やちよの左手に嵌められた指輪、彼女の魂を結晶化させた宝石、ソウルジェムが輝く。
青く輝く魔力が身体を一瞬で包み、彼女を魔法少女の姿へと転じる。
そして涙の如く流れ落ちた一筋の魔力を槍へと変え、怪物へと即座に踊りかかった。

一瞬だった。
まばたきよりも早く、達人の抜刀もかくやという刹那でやちよは魔法少女への変身と攻撃を終えていた。
しかし黒死牟にはそれすら児戯。
全身の突撃まで乗せた槍の刺突を、彼は片手の刀で容易く受け止める。



(何が…起きた…)

黒死牟の目の前で女の衣装が戦支度へと変わり、どこからともなく槍も取り出して仕掛けてきた。
まさに鬼が姿を変えたり武器を作り出すのと同じように。妓夫太郎や玉壺、そして黒死牟自身も似たようなことができるが、ただの人間にはできようはずもない。
得体の知れなさを増した女の正体を見極めようと反撃よりも防御を優先し、観察を深めていく。

(やはり…重いな…見た目よりも)

刺突自体は黒死牟なら受けるどころか先んじてやちよの腕を斬りおとすことすら可能な程度の速度だった。
しかし受けてみてはっきりと確信する、女の細腕で出せる威力ではないと。
やちよが即座に続けて放った薙ぎの数閃も軽く払いながら探りを入れていく。

「術師のたぐいか…血鬼術とは異なる…何者だ女」
「あなたこそ、何?」
「私は…鬼だ。さる偉大なお方の…御手により…人を超えた……」

その先の問答を打ち切るようにやちよが交錯する槍と刀を弾くようにして跳び距離を置く。
魔女と違って問答ができるならばそれで時間を稼ぐこともできるだろうが、やちよはそれを選ばない。
魔法少女のことを下手に知られれば、自分が逃げ延びた後に別の魔法少女に不利益となるかもしれないからだ。

(オニ、ってあの鬼?どういうものかはよく分からないけど、コイツ一体ではないでしょう。
 上弦以外に下弦とか朔とか……あとは十七夜なんているかもしれないし。壱というなら弐や参も……?)

槍の間合いで、二人無言で睨み合う。
剣道三倍段という言葉の通り、距離が離れればリーチに優るやちよに有利に働く。
だが黒死牟の腕前はやちよの三倍では効くまい。
鍛え方が違う。経験が違う。種族が違う。何より彼の本来の射程は剣の届く範囲に収まるものではない。
赤子の手を捻るどころか花を手折るように勝利できようが、その花がまるで赤子の這うような速度で動いているため些か不気味に思い警戒しているだけのこと。
だがそのための観察も終わりを迎えようとしていた。

(指輪が消え…新たに胸に宝石が現れている……恐らくこれが力の根幹か…
 支給されたか…自前かは分からんが…斬りおとせば常人に戻るか……
 口を割らせるにしろ…鬼にするにしろ…命さえあればよい…)

六つの目と透き通る世界を通じてやちよの変化を見抜く。
それが彼女の能力なのか、道具頼りなのかは判別できないがそれゆえに黒死牟の関心を惹く。
鬼であっても使える技術なのか。あるいはこの女を鬼とすれば全集中の呼吸や猗窩座の武術のようにより強大なものになるのか。
ひとまず指輪をしていた腕でも落とそう、と刀を中段に構えなおし横薙ぎの一撃を浴びせんとする。

その瞬間、眼の一つが新たな脅威の飛来を捉えた。
巨大な鉄球が轟と宙を翔け、黒死牟へ猛然と迫っている。
いつの間にか接近しつつある大男がこちらへ放ってよこしていたのだ。
やちよとは比べ物にならない強大な乱入者に黒死牟は振るう刃の行方を変える。

(日輪刀か…)

速度、重量、どちらも黒死牟の頸を落とすに足る一撃。
もっとも直撃すればの話だが。
投げられた鉄球をいなし、そのまま鉄球に繋がる鎖の向こうの使い手を斬り捨てる程度、黒死牟なら容易い。
はずだった。

黒死牟の刀と鉄球が交わった瞬間、刀の方が塵となり崩れていく。
まるで日の光にさらされた鬼を想起させる現象にさすがの黒死牟も肝を冷やす。

(なに…!?)

さらにその塵化は伝染するように刀の切っ先から鍔、柄へと流れ始めた。
それを握る黒死牟の腕も塵に還さんとするように。



―――月の呼吸 伍ノ型 月魄災渦



咄嗟に放ったのは黒死牟の扱う呼吸・剣技・血鬼術を合わせた奥義の型の一つ。
自身を中心に三日月状の斬撃を一斉に放ち、周囲一帯を斬り刻む技だ。
攻撃範囲も優れるが最大の長所は刀を振るうことなく放てる、剣技にあるまじき速射性と利便性にある。
朽ち、刀身の半分も残されていない刀ではこれを放ち鉄球を弾くのが精いっぱいだったとも言える。
不完全な刀での行使だったのに加え、放たれた斬撃の多くも鉄球とそれに繋がる鎖によって塵に帰り、やちよにも鉄球の担い手にも一切のダメージはない。
鉄球と血鬼術が相打ちに終わったその猶予で男は黒死牟からやちよを守るように立ち塞がっていた。



「波紋をいなしたかッ!怪物!」
「は…もん……?」

現れた男を前に黒死牟の警戒が強まる。
長く戦いに身を置いてきたが、さすがの黒死牟も西洋人の剣士とは初めて相対する。
未知の人種に未知の技術。
そんな男が両の手に携える武装は当代最強の鬼殺の剣士、悲鳴嶼行冥のために鍛えられた日輪刀だ。鎖鎌を巨大化させたようなとでもいうべきか。片手斧と巨大な鉄球が鎖でつながれた、刀の粋を逸脱した最高峰の個人兵装である。
それを振るう2m近い体躯、100㎏を超えるほどに積み上げられた筋肉は括りつけたディパックが小さく見える。
本来の担い手である悲鳴嶼には僅かに劣るが、それでも十分な巨躯と言えよう。そしてその差異も人種の違いが埋めていた。

(素晴らしい…三百年の間…斯様な剣士は見たことがない…日ノ本の民とは根源からして異なる筋と骨格…それを鍛えるとこうまで至るか……
 これより幾百の年月を重ねようとも…この者を超える男児は日ノ本では産まれまい……)

足の長さ、背筋や腸腰筋のつき方、骨盤の傾きをはじめとした骨格、その全てが東洋人以上の力を発揮する形になっている。
種は同じでも猫と獅子でまるで異なる強さであるような決定的な違いがそこにはあった。

「異国の剣士…それとも術師か…?鬼殺隊ではないな…その女の仲間か?」
「怪物などに誇りある我が名を教えたくはないが―――」

一瞬やちよの方へと意識を向け、男は堂々と名乗りを上げる。

「イギリス貴族ジョースター家党首、ジョナサン・ジョースター。彼女とは初対面だが、僕にはお前と戦う理由がある」

右手に斧、左手に鉄球、そして呼吸を整えジョナサンが構えた。
だが

「助けてくれたのには礼を言うけれど」

水を差すようにやちよがジョナサンに並ぶように前へ出て黒死牟に切っ先を突き付ける。

「これ以上私にかまわないで。それに刀を失った今が好機。あなたは退いて」

自分のために犠牲になる仲間はいらない。それがやちよのした決意だ。
万に一つもジョナサンのような、初対面の相手のために武器をとれる善き人を失うわけにはいかない。
刀のない相手ならば相打ちになってでも一人で仕留める、とやちよが槍を握る手に力をこめるが

「武器を失った?」

黒死牟から失笑とともに声が上がる。
そして事実、刀が一振り折れたことなど些末事であったと証明するように新たな刀を己の能力で精製して見せる。

「先刻までは…抜いた剣の納めどころがなく…提げていただけだったが…」

今度抜き放った刀は三支刀とでも言おうか。
七支刀は段違いの枝刃が七つ刀身についた祭具であるが、新たな黒死牟の刀は三つの枝刃のついた刀であった。
すなわち、これこそが彼の全力の武装。

「これよりは敬意をもって…貴様らを…我が剣の錆としてくれよう…」


―――月の呼吸 漆ノ型 厄鏡・月映え


振り下ろされた刀から幾筋もの斬撃が放たれた。
礫を伴う激流のように、小さな三日月状の刃を纏って進む斬撃の波がジョナサンとやちよを諸共に呑み込まんと迫る。


―――鋼を伝わる波紋 銀色の波紋疾走(メタルシルバー・オーバードライブ)!


迎え撃ったのはジョナサンの呼吸法だった。
太陽に一番近く、一年中陽の射すという陽光山で採れる猩々緋砂鉄と猩々緋鉱石から打たれた日輪刀は、偶然にも太陽の性質を持つ波紋の呼吸との相性は抜群だった。
隅々まで日輪刀として鍛えられた悲鳴嶼の日輪刀に波紋を纏わせて振るい、黒死牟の斬撃をことごとく撃ち落とす。

(やはり…呼吸…しかし…知らぬ型だ……
 我流にしても…縁壱のものとは…まるで似つかぬ…)

透き通る世界によって黒死牟はジョナサンの動きを臓腑に至るまで見切る。
真っ先に着目した肺の活動からその戦闘方法はやちよのものより自分たち、否かつての自分たち鬼殺の剣士に近しいものだと推察できた。
一つ数えるうちに十を超える呼吸をしたかと思えば、常人の数十倍の空気を一瞬で取り込みまた吐き出し……血中の酸素濃度を操る全集中の呼吸とは異なる、波を発生させるような特殊な呼吸法だ。

(波…そうか波紋か……波紋の如く伝播する…
 雷の呼吸と血鬼術の複合も…そうなっていたか……なら一太刀でも受ければ…厄介だ…)


―――月の呼吸 捌ノ型 月龍輪尾


続けざまに黒死牟は次の型を披露した。
形状としてはシンプルな横薙ぎの斬撃を一振り。
ただしまさしく龍が尾を振るう如く巨大な一撃で、そして鱗のように満遍なく纏っている三日月状の刃が受けることを大きく困難にしている。
ジョナサンが波紋を帯びた鉄球を振るっても纏う刃に阻まれ掻き消しきれない。
目前まで攻撃が迫る。



(跳んで避けることも、伏せて躱すことも叶わないッ!ならばせめて!)

二つの攻撃に反応しきれずにいるやちよに向けてジョナサンが手を伸ばす。
すると彼女の体が引き寄せられるようにジョナサンの元へ。
生命磁気への波紋疾走。
それによって彼女を引き寄せ、即座に攻撃範囲の外へと送りものも添えて放り出す。

(僕は波紋で防御を!)

最も強力な太陽の波紋と、弾く波紋を纏い耐える姿勢に入るが

「ミスター!」

やちよがそれを助けるべく動く。
彼女はジョナサンに波紋による肉体の強化を送られたのだ。
この波紋を受ければただの少女であっても2m近い大男を投げ飛ばせるほど。ジョナサンは知らない話だが、後にジョナサンの孫ジョセフはこれに手こずる羽目になる。
熟練の魔法少女であるやちよがその恩恵を受ければ、最強の鬼である黒死牟相手でも戦線に立てるほどのものであった。

複数の槍を魔力により生成し、空中にずらりと並べる。
即座にその意図を察したジョナサンは並ぶ槍を足場にして黒死牟の奥義を跳び越えた。
それを黙って見ている黒死牟ではないのだが、足場の役割を終えた槍が即座に向かってくるためその対処に追われる。
透き通る世界はあくまで人体の起こりを見極めて先の先をとる技術であり、肉体的変化を伴わない魔法による攻撃には黒死牟自身の技術で迎え撃たねばならないからだ。
当然、ジョナサンは槍に波紋を纏わせていたため迎撃した刀は大きなダメージを受け、その再生にも追われる。
そこへ跳んだジョナサンが鉄球を振るって追撃をかけ、黒死牟がそれを躱して隙が生じたことで戦場のイニシアチブが移る。

(これなら私にも……!)

コネクトという魔法少女間で力を共有する戦術を行使してきたため、ジョナサンが施した波紋による強化にもやちよは即座に順応した。
……仲間として認めるつもりはないが、この戦況を一人で切り抜けられると思うほど愚かにも傲慢にもやちよはなれない。
難敵相手に協力するのは必要なことだと自分をだましながら、見ることも能わず、歯噛みするしかなかった戦場に追いついたやちよが全力の一撃で黒死牟の命を狙う。


―――アブソリュート・レイン


撤退を考えての牽制などではない、渾身の奥義(マギア)。
足場にしたもの以上に強大な槍を六本生み出し、黒死牟を封ずるべく取り囲む。
さらに自らも七本目の槍をつがえ、その全てを急所へ向けて放つ。

「これ以上、出し惜しみするつもりはないから!」

捉えた!
切っ先が黒死牟の肌に触れた瞬間やちよはそう思った。

「斯様な…児戯で…鬼は殺せぬ…」

四方より飛来する槍の全てを黒死牟は掴み、止めていた。いくつかは肌を裂き血を流させていたが、致命には程遠い。
無刀取りという技法がある。
柔術や合気などに端を発する、徒手にて剣を防ぐ超絶技巧だ。
刀に比べれば触れられる箇所の多い槍であったことも黒死牟に幸いしたのは事実だが、それでも容易くなせることではない。
そしてその本質は後の先をとる反撃の技法にある。

続けざまに鉄球を叩きつけようとしているジョナサンに掴んだ槍を二つ投げつけて牽制を入れる。
流れるように残った槍をやちよに突き立てようとするが、やちよは咄嗟に掴まれた槍を放して距離を置きそれを躱す。
だがその間隙で黒死牟は再び刀を握っていた。


―――月の呼吸 参ノ型 厭忌月・銷り


大刀では追撃に間に合わぬと判断して、再度通常サイズの刀を作り即座に斬撃を放つ。
間断なく放たれたとは思えぬほどの数の横薙ぎの斬撃がやちよへと襲い掛かる。
それを阻むのは投げられた巨大な戦斧。
ジョナサンは自らに向かった槍の迎撃に武装は不要とし、波紋を纏わせた斧を黒死牟に投げていたのだ。
大規模な型でなかったのも幸いし、その一撃は黒死牟の攻撃をすべて呑み込んだ。





(手放したな…日輪刀を…)

だがそれも黒死牟の掌の上。
一度突いた槍は引き戻さなければ次を打てぬように、投擲された鉄球や斧も回収しなければ攻防どちらにも使えない。
手元の鎖で槍をいなし、もう一つをかろうじて躱しはしたが黒死牟の技に比べればなんと無様なことか。
ジョナサンが鎖を引くより速く、黒死牟が踏み込む。


―――月の呼吸 壱ノ型 闇月・宵の宮


雷の呼吸もかくやという神速の抜刀術が無数の斬撃を纏いジョナサンに襲い掛かる。
直撃すれば首か腕かいずかは間違いなく落ちるだろう。
だが黒死牟は一つ致命的な勘違いをしていた。
ジョナサン・ジョースターは剣士ではないということを。


―――太陽の波紋 山吹き色の波紋疾走(サンライトイエロー・オーバードライブ)!!


なるほどジョナサンは槍を使い、鎖を使い、剣を使った戦士である。波紋使いはそんな武装はもちろんのこと、シャボンやクラッカー、マフラーすらも武器にする。
されど最も強いとされる波紋は拳から放たれるものである。
騎士ブラフォードの剣戟を受けたように、ジョナサンの拳が黒死牟の刀を迎撃する。

「ぐ……!?」

湿った重い、何かが地に落ちる音がどさりと響く。
落ちたのは逆に黒死牟の腕の方だった。
太陽の波紋を纏った拳は傷つきながらも血鬼術を打ち破り、さらには刀身をへし折りそのまま黒死牟の左腕に届く。
その一撃が上腕を砕き、肘から先が地に落ちたがそれもすぐに塵に還る。
さらに波紋が残った腕を駆けのぼろうとするが

「がァァァ!」

咄嗟に肩口から先を引きちぎり、それ以上の拡大を防ぐ。
ちぎった肉片はジョナサンに投じた。
鬼の肌は鋼鉄の硬度を誇るゆえ、それもまた十分な殺傷力を秘めるのだが、ジョナサンが拳ではじくと即座に蒸発する。

(拳で…我が剣を無力化など…猗窩座にもできんぞ…)

動作自体は透き通る世界で読めていたが、さすがに月の呼吸を素手で破られるのは思いもよらず、痛打を受けてしまった。
それも上弦の鬼ならば即座に回復するはずだったが

(再生が…遅い…これは…まさか…)

即座に生えるはずの腕が未だに欠けたまま、少しづつ癒えるだけ。
鬼の再生を遅らせる手段に黒死牟は一つだけ心当たりがある。
そして今ジョナサンが放った呼吸は【太陽】の波紋であるというのも引っかかる。

「まさか貴様…異国に流れた…日の…」
「オォォォォォ!!」

黒死牟の発する言葉にジョナサンは耳を貸さず追撃する。
再生する怪物に大きなダメージを与えたのだから当然と言えよう。
片腕を失い重心が狂ってなお武術自体は黒死牟が優るため、放たれた拳を躱すのは容易い。
腕をくぐるようにジョナサンの脇を抜け、背後をとるがそこでジョナサンの首筋にあるものが目に付いた。

(痣…!)

左肩首筋の付け根に浮かぶ星型の痣。
波紋を練り上げ脈も体温も昂ったジョナサンに浮かぶそれと、太陽の波紋という類似性が黒死牟の胸を焦がす炎になった。

「その…痣は…」

背後に回った優位を活かすでもなく黒死牟の口からは言葉が突いて出ていた。
その言葉には、背後の黒死牟と向き合い、さらに日輪刀の鎖を手繰るために僅かながらジョナサンも応じる。

「父に聞いた。一族の者には皆この痣があると」
「…………生まれついての…痣者か…」



黒死牟の胸の炎が強まる。
そして同時に、主より自分だけに賜った厳命も思い出す。
故にこの者は何としても殺さなければならないと。


―――月の呼吸 弐ノ型 珠華ノ弄月


残った右腕の中に刀を生み出しながら振るい、不格好ながら斬撃を高速で黒死牟が繰り出す。
本来なら巨大な三日月状の斬撃を三つ放ち、衛星のように伴う斬撃も併せて敵を刻む技だが、片腕で振るったために二つしかなく、伴う斬撃も少ない。
それでも常人なら十人仕留めて余りある奥義であった。
だが相手はジョナサン・ジョースターである。波紋を纏わせ振るった鉄球で迎撃に成功する。
不完全とはいえ黒死牟の絶技相手にその戦果は十分に誇れるものであるのだが

(なにッ!?こいつ自らの攻撃に飛び込んで!)

それだけでは終わらず、続けざまに月の呼吸の斬撃を追い抜くような勢いで黒死牟が飛びかかる。
鬼の脚力に縮地の歩法も加え、自らの斬撃で身を削られるのも厭わず襲い来る怪物の姿がそこにあった。


―――月の呼吸 壱ノ型 闇月・宵の宮
―――鋼を伝わる波紋 銀色の波紋疾走(メタルシルバー・オーバードライブ)!


鉄球を放り、戦力が半減したジョナサンに改めて最速の月の呼吸を見舞う。
ジョナサンはそれを今度は波紋を纏った斧を振り下ろして撃ち砕く。
交錯により刀身を波紋が駆けのぼろうとするが、腕へと至る前に刀を捨てて黒死牟は徒手でジョナサンに迫る。
対するジョナサンもまた、伸び切った日輪刀を手放し拳から波紋を放って迎え撃とうとする。

次の瞬間、ジョナサンの拳は黒死牟を捉えていた。
だがそれによるダメージを黒死牟は一切受けていない。
対する黒死牟は、再生した左腕に生成した刃を握り、ジョナサンの胸に突き立てていた。
吸って、吐く一呼吸。それさえあれば波紋は練られ、黒死牟に引導を渡していただろう。
だがそれは叶わなかった。

黒死牟もまたジョナサンとは異なるが呼吸の名手であり、そして彼は透き通る世界を見通す武人であった。それゆえの先の先。
二つの月の呼吸を迎撃し、体内の波紋を吐き出したジョナサンは必ずや呼吸によって新たに波紋を練る必要がある。
その瞬間を黒死牟は透き通る世界によって見抜き、ジョナサンが息を吸うまさにその直前に牙を立てるような距離で息を吸い……ジョナサンが吸うはずの空気を奪った。
人間ほどの大きさの巨大で硬い瓢箪を破裂させるほどのすさまじい肺活量、さらに鬼となって300年余で強化された心肺での全集中の呼吸はまさしく大気の略奪ともいえるもの。
そして人体は酸素濃度の薄い空気を吸ってしまえば、即座に意識障害が発生する。
呼吸を奪われ、正気も奪われたジョナサンの拳は無為に終わり、全集中“常中”によって失った腕と刀を即座に再生した黒死牟は決定打を放った。

「終わり…だ…!」

肺と横隔膜を裂いた刀を滑らせ、とどめを刺さんと黒死牟の腕に力が籠もる。

「はぁぁぁぁぁ!!」

だがそれを阻む乱入者。
七海やちよの槍が黒死牟の刀を止める。

「無駄なことを…娘…」
「やらせない!もうこれ以上、私のためなんかに誰も死なせるなんて……!」

波紋で強化されたやちよの膂力はかろうじてだが黒死牟の進行を遅らせることはできている。
だが刀が止まった程度で、最強の鬼の進撃は止むことはない。
黒死牟が息を、吸って吐く。


―――月の呼吸 伍ノ型…

「VAAOHHHHHHHHH!!!」

この戦闘の始まり、ジョナサンの鉄球をいなした伍の型で二人を諸共に切り裂こうとしたが、突如響いた獣の嘶きがそれに待ったをかける。
ジョナサンが体に括りつけていたディパックに腕を突っ込むと、巨大な二頭の馬とそれに曳かれる戦車が飛び出した。
ただの馬ではない。
偶然にもジョナサンが研究し、宿敵ディオを生み出した石仮面と同じ原理で吸血馬となった怪物だ。
150馬力を誇るそれが突如現れ蹴りを見舞ったとなれば、さすがの黒死牟も怯むざるを得ない。
そうして生じた僅かな隙で、ジョナサンは胸の刀を引き抜き、やちよも抱えて戦車に飛び乗り黒死牟から離れていく。
時速60km以上の速さで駆ける戦車の操作は容易くないが、手綱は波紋が通るようにできており僅かな呼吸で吸血馬を操ることができる。
透き通る世界でそれを見た黒死牟は訝しむ。



(損傷した…臓器で…なぜ呼吸ができている…!?)

肺を動かす横隔膜は断ち、肺にも刃が通って血が溜まりまともに機能するはずがない。それにもかかわらずジョナサンは波紋を練っている。
その疑問の答えを透き通る世界によって黒死牟は知ることになる。

(傷口から…手で直接肺を操作するとは…なんという…)

刀で突かれた穴をさらに広げて腕を突っ込み、肺を握る指が繊細に動いていた。
息を吐くたびに肺に溜まった血も吐き出している。
息を吸うたびに肺から血を流している。
それでも構わずジョナサンは波紋を練り続ける。そして黒死牟にとって恐るべきことに、呼吸のたびに波紋により傷が癒えているのか出血が少なくなりつつあった。
それを見た黒死牟の内で逃がさぬ、殺さねばならぬの念が強まる。
その殺意に呼応するかのように握る刀が巨大化していき、再び三支刀の形をとった。
なるほど吸血馬は速かろう。されどいかな俊足も剣聖の一太刀に優る道理無し。
追撃の構え。
背後から迫る死そのものと言っても過言ではないその殺気を遠ざけるべく、戦車上で真っ先にジョナサンが構えた。
すぐに続くようにやちよも反転して槍をとる。

その瞬間、ジョナサンの繰り出した貫き手がやちよに食い込む。

「がはっ…な、にを……?」

乱心としか思えない行動にやちよは困惑を隠せない。
だが次の瞬間の自分の行動にやちよはさらに戸惑うことになる。
再度反転して前方をむき、手綱をとって馬の足を速めたのだ……やちよの意に反して。
ジョナサンが貫き手とともに行ったのは横隔膜を刺激してやちよに波紋を練らせることと、身体操作の波紋を打ち込むこと。
それにより今のやちよは微弱な波紋で吸血馬を操る御者に徹するざるを得なくなった。
そしてジョナサンが体に括りつけていたディパックを戦車の上に置いたことで、何をしようとしているのか誰もが察せられてしまう。
致命になりかねない胸の傷に対して行っている自傷としか思えぬ行動も、彼の戦意の証明。
一人で残り、死ぬまで……いや死んでも戦うつもりなのだ。

「待って……待ちなさい!ダメよ!」

制止の言葉がやちよの口をついて飛び出る。
また自分の願いのせいで誰かが死んでしまう。そんなことは許せない。生きるために抗え。
そう止められるのもジョナサンは察してやちよに波紋を流したのだろう。
傷ついた呼吸器では喋るのも厳しいのか、ジョナサンは何も発さず静かに微笑むだけだった。
口の端から血を流しつつもあまりに美しく、気高く、強壮な笑みにやちよの言葉がはっと止む。
それで別れの挨拶は済んだということだろう。
ジョナサンの顔が戦士の相に戻る。

胸に突き立てていた腕を引き抜くと、そこから波紋を手綱に流した。
答えるように馬は嘶き、体を沈める。
そこにジョナサンが跳ぶと合わせるように蹴足を放った。
吸血馬とジョナサンの脚力、カタパルトのように二つを合わせて男は死地へと翔けた。



―――月の呼吸 拾肆ノ型 兇変・天満繊月
―――波紋乱渦疾走(トルネーディ・オーバードライブ)!!


これまでに放った月の呼吸のどれよりも巨大な螺旋状の斬撃が、月輪を纏ってやちよとジョナサンに襲い掛かる。
対してジョナサンは残った波紋を足先に集中し、黒死牟の奥義に真っ向から挑む。
先の衝突とは違い今回はジョナサンが不利だ。
太陽の波紋で刀身を折ったのは技が発動しきるより前に拳を繰り出せたのが大きい。
それで破ったのも基礎となる壱の型で、此度向かい合うのは磨きに磨かれた拾肆ノ型。
呼吸器のダメージもあり、まともに挑めばジョナサンは敗北は必定であった。



そこに神の視座でのみ気付き得る奇跡があった。
放った技に回転を伴うものを選んでいたこと。
ジョナサンが馬の力を受けて跳んでいたこと。
馬の走るフォームが【黄金長方形】を描いていたこと。

ジョナサンの波紋が黒死牟の斬撃と接した瞬間、黄金の回転の後押しを受けた一撃で全てを薙ぎ払い、黒死牟よりわずかに離れた地に降り立つ。

「馬鹿な…!?」

満身創痍の男が自らの奥義を打ち破り、自らに迫っている。
その現実が黒死牟には信じがたい。そして何より耐えがたい。このようなものが生きていてはこの世の理が狂いかねない。
主命が、義務感が、何より怒りが黒死牟に剣を振るわせる。
ジョナサンの命脈を今度こそ断たん、と剣技において最大の威力を発揮する大上段からの振り下ろしが見舞われる。

時に、剣道三倍段という言葉は徒手の者が剣を帯びた者に挑むときにも用いられることがある。
徒手のジョナサン、剣を振るうのに加えて呼吸による圧倒的な射程を誇る黒死牟。
大技を用いずともその差は大きく、そのままではジョナサンの勝機は皆無であっただろう。
だが戦士はもう一人いる。
黒死牟が技を放つその瞬間に、放り捨てたはずの鎖斧が運ばれていた。
七海やちよは身体の自由を失くしたが、魔法まで封じられてはいない。
生み出した槍をミラーのようにして戦況を見る。
そしてマギアで放っていた槍を操り、日輪刀をジョナサンに届けたのだ。

(これがッ、最後のチャンス!)

右手で鎖を、左手で肺を握る。
最期の波紋を絞り出し、黒死牟の斬撃と頭部を諸共に砕かんと日輪刀を横薙ぎに振るった。

(ッ!呼吸が……!)

だが溢れる血による嗚咽か、武器を振るう反動か、そもそも指で呼吸を制御するのに無理があったか、僅かに呼吸を乱してしまう。
放たれる呼吸のリズムは鋼を伝わるものでも、太陽の如きものでもなく、炎の波紋 緋色の波紋疾走(スカーレット・オーバードライブ)となってしまった。
だとしても、と万力の如き力を込めて日輪刀に走らせた。
それがジョナサンに微笑んだ二つ目の幸運。

炎の波紋の熱により日輪刀が色を【赫】く染める。
鬼を殺すべく、ジョナサンの意思に応えるように変化した日輪刀と波紋の併せ技。


―――月の呼吸 拾陸ノ型 月虹・片割れ月
―――炎と刃の波紋 赫色の波紋疾走(スカー・レッド・オーバードライブ)!!


黒死牟の振り下ろす刃にに呼応するように数多の斬撃が、神の杖の如く降り注ぎ大地を抉らんとす。
その斬撃に赫く染まった鉄球が叩きつけられ、そして斬撃の波を抜けて軌道を変えることなく黒死牟へと向かう。
屈辱に黒死牟の奥歯が音を立てて軋む。
だがそれを想定しないほど愚かではない。
黒死牟とジョナサンの位置関係は僅かに鎖の長さが足りず鉄球の届かない距離で―――


ゴギン


小さな音と、小さな違和感を黒死牟を覚えた。
そしてその予兆は結実する。





ゴギィ





(関節をッ!)






メギッ





(外して腕を伸ばすッ!その激痛は波紋エネルギーで―――)

和らげる?そんな些事に残りわずかな波紋を?



(無用ッ!この程度、耐えられずして何が紳士か!)

肩と肘の関節を外してリーチを伸ばす。
その差が黒死牟の目測を誤らせた。
鉄球が黒死牟へと迫る。

(味な…真似を…)

だが関節を外すのも透き通る世界ならば見通す。
感知できれば僅かな長さだ。少し体を逸らすだけで躱すことが


ざくり

と黒死牟のうなじあたりに何かが食い込む音がした。

(こ…れ…は…!)

七海やちよの槍。
彼女がマギアで放った魔力で操る槍は一本ではない。
視界の外から音もなく迫った刺客が、黒死牟の頭部をその場に縫い付けるように固定した。

「斯様な…児戯で…私を…!!」

躱せない。
黒死牟の視界が日輪刀の赫で埋まる。
そして流れる血の赤に染まり、次の瞬間には暗闇へと転じた。

同じようにジョナサンの視界も、黒死牟の斬撃で埋め尽くされていた。
赫刀の一振りは強力であった。
しかし無数に迫る斬撃全てを撃ち落とすことと、鬼を殺すことを両立させられるほど万能ではなかった。
斬撃が迫るにつれ、視界と脳裏が走馬灯に占められていく。

(騎士タルカス。君とのチェーンデスマッチがなければこうまで鎖を使うことはできなかったろう。感謝を。
 エレナ。すまない。どうか幸せになってほしい。
 スピードワゴン。心苦しいが、この事態の後を頼む。君ならば託せると信じている。
 そしてディオ。君の野望は人々の意思が必ずやそれを挫くだろう)

紡いだ絆を胸に、ジョナサン・ジョースターは目を閉じた。





◇ ◇ ◇

「……ぅぅぅぅううう」

戦車の上で一人、七海やちよは涙に濡れる。
シャフトを握りしめるゾンビのように、波紋によってただ手綱をとるしかない彼女は泣き崩れることもできず戦車を走らせるしかなかった。
それでも生きてほしい、と小鳥が嘴を突っ込むように槍を入れはした。
その結果鬼は倒れた。しかし、鬼が残した斬撃に戦士も倒れた。
その兵たちの戦場もすでにはるか後方。名残と言えば戦車にジョナサンが遺していったディパックだけ。
また、守られてしまった。

(やっぱり……私の魔法で!願いで!私は仲間を殺してしまう!)

突き放すべきだった。
こんな戦車があったなら最初から無理矢理にでも彼を乗せて逃がすべきだったのだ。
生き残るべきはどう考えたって、鬼一匹に苦戦する七海やちよはなくて鬼を打ち滅ぼす強者ジョナサン・ジョースターだった。
湧き上がる後悔が胸のソウルジェムも穢しかねないほどに湧き上がるが

(まだ……!まだ、ダメ。それじゃあかなえも、メルも、ジョースタさんの遺志まで穢してしまう。魔女になったら、それこそ直接死を振りまいてしまう……)

歯を食いしばり、涙を堪え、軋む心を無理矢理に奮わせる。

(もう、誰にも頼らない。私は孤独でいい。
 魔女も、ウワサも、マギウスも、鬼も、神子柴も!私が一人でも倒すから)

だから、放っておいて…………



その美しくも哀しいやちよの決意に、答えるようにソウルジェムが少しだけ輝きを増す。

『レディ。僕の最期の波紋だ。受け取ってくれ』

一人ではない。
一人にはさせない。
三人目の亡霊が、これより彼女の傍らに立つようになる。



【E-3(戦車で移動中)/1日目・深夜】

【七海やちよ@魔法少女まどか☆マギカシリーズ】
[状態]精神ダメージ(中)、魔力消費(小)、一時的な波紋の呼吸、波紋で体機能を操られている
[装備]二頭の吸血馬と戦車@ジョジョの奇妙な冒険
[道具]基本支給品×2、木彫りの笛@鬼滅の刃、ランダム支給品0~3
[行動方針]
基本方針:一人で戦う。もう誰も死なせたくない。
0:ジョナサンを死なせてしまった悲しみと罪悪感。
1:誰も死なせないため、一人で敵を倒す。神子柴も私が倒す。

※参戦時期はゲーム本編6章5話で記憶キュレーターのウワサに撃退された直後です。
※仲間の希望を受け継ぐ固有魔法により、ジョナサンの力を一部受け継ぎました。詳細は後続の書き手にお任せします。
※戦車がどこへ向かって走っているかは後続の書き手にお任せします。


【木彫りの笛@鬼滅の刃】
七海やちよに支給された。
それ自体は何の変哲もない、むしろ不格好な笛。
始まりの呼吸の剣士継国縁壱が兄から幼少期に送られた手製の笛。
縁壱はそれを大切にし、戦場で最期を迎えるその時まで持ち歩いていた。
縁壱の死後は笛を作った兄が持つようになり、彼もまた最期までその笛を手放すことはなかった、様々な想念の籠もった笛。

【二頭の吸血馬と戦車@ジョジョの奇妙な冒険】
ジョナサン・ジョースターに支給された。
柱の闇の一族ワムウとジョセフ・ジョースターが決闘に用いたもの。
石仮面と同様の原理で脳に骨芯を打ち込まれた吸血馬が二頭。
古代ローマのものを模した戦車が一台。
それを繋ぐ手綱が一本。手綱は波紋を通すようにできており、波紋で馬を操れる。
力で従えるのは柱の男をして至難の業らしい。
馬力は150馬力、二頭で戦車を引いて速度は時速60㎞程度。





◇ ◇ ◇

ジョナサン・ジョースターは黒死牟との戦いにおいて二つの大きな幸運に恵まれた。
黄金の回転。
赫刀の目覚め。
没百の鬼や吸血鬼どころか始まりの鬼たる鬼舞辻無惨や、柱の闇の一族であっても致命を狙える布陣であった。
だが、欠けているものもあった。いや、むしろ潤沢であったがゆえに生じた致命的なすれ違い。
彼の倒してきた吸血鬼や屍生人は、石仮面という脳に影響をもたらす道具によって生まれたもので、脳を破壊することで命尽きた。そう経験してきた。
だが黒死牟たち鬼は少し違う。
彼らは日輪刀で頸を斬られることで命を落とすのだ。
狙うべき部位の僅かなずれ。ゆえに

「…………ようやく…再生したか…」

黒死牟は生きていた。
ジョナサンの狙った通り、吸血鬼ならば致命になるほどに脳を抉り飛ばされたが、鬼である彼はそれでは死ななかったのだ。
鉄球を叩きつけられた肉片は飛散し、波紋傷が致命になることもなく。
赫刀による損傷は治癒を遅いが、それでも癒えない訳ではない。
脳髄を抉られ、諸共に眼球も吹き飛ばされ、意識も視界も暗闇に落ちていたが、それでも最強の鬼はここに健在である。

歩き始める。
その歩みは後遺症など微塵も感じさせない。
重厚さを感じさせる足取りでゆっくりとジョナサンに近づき、決着を確かめた。
心臓は止まっている。呼吸も止まっている。関節の外れた右腕はそのまま、あり得ない角度にひん曲がっている。振り回した鉄球が遠心力で戻ったのだろう、鎖が肉体を縛り上げ苛むように巻き付いていた。
透き通る世界を通してでなくともそれがただの肉塊になっているのが分かる。

「強者であった…よもやと思わされたぞ…あの日以来に…」

かつて己が敗北した日。その時黒死牟は死んでいるはずだった……最強の侍が目前で天寿を全うしなければ。
この戦いでも黒死牟は迫る死を感じた。されどジョナサンは黒死牟の剣に敗れ命を落とした。
黒死牟は思わない。もしジョナサンが鬼殺の知識を得ていたなら、躯となったのは自分かもしれないなど。
その慢心が埋伏の毒を―――



「…いや…未だ死なぬか…」

積み重ねた知識と技が望外の毒に気付く。
弱肉強食、鬼は人を喰らうもの。戦闘での消耗を補うために肉を求めるのは当然と言えよう。
されど今のジョナサンは亡骸と化してなお抗い続けていた。

(日輪刀が…赫いまま…波紋を…残している…!)

日輪刀の材料となる猩々緋砂鉄と猩々緋鉱石は太陽の性質を秘める。故に太陽の性質を持つ波紋が流れやすく、そして今も赫刀となってその性質を残していた。
亡骸に絡む鎖は始め戒めのようだと思った。
されど今は違う。
これは遺体を守る棺なのだ。
そして同時に、ジョナサンは死してなお赫刀という武装を守る墓守となっている。

呼吸を用いれば引きはがすことはできるだろう。
しかしその消耗に見合うほどの甲斐はあるのか。万一口にした肉に波紋の性質が残っていれば骨折り損ではないか。
そのために要する時間も惜しい。
今の黒死牟には一刻も早く殺さなければならない標的がいる。

(一族の者が…痣を持つと…言っていたな…)

隅から隅まで名簿は見た。そのため、見慣れない異人の名前であっても記憶している。

(ジョセフ・ジョースター…おそらくは…同族……こやつと同じ…痣者であろう…
 この者も…日の…波紋の呼吸の使い手ならば…根絶やしにせねばならん…異人であろうと…逃がしはせん…)

日ノ本の日の呼吸の使い手は殺し尽したはずだった。傍流か、あるいは縁壱と同じ呼吸を用いる化け物が産まれたのか、異国に残っているなど思いもよらなかった。
探し出して殺さなければならない。
そして他にも。
ここにきて黒死牟は名簿より前に確かめていた支給品を取り出し確かめる。
一枚の写真と一冊のファッション雑誌だった。
写真に写っているのは

(D、I、O、B、R、A、N、D、O…羅馬字も…異人の名も…よくは分からぬが…こやつも…首筋に星の痣がある…
 ジョセフかは不明だが…こやつも…ジョナサンの一族ならば…殺さねば…)

もう一つのファッション雑誌にも黒死牟が狙う者の姿が映っていた。
ファッション雑誌というものが黒死牟には何なのかこれもまた分からないのだが、文字と写真の情報は読み取れる。
七海やちよという名の女が八頁にもわたって乗っている……笛を持ち、先ほど黒死牟から逃げたあの女が!

(鳴女が…私に…意味もなく…これを渡すはずもあるまい…
 何を考えてるかは知らぬが…どのみち殺すのだ…いいだろう…貴様の首の隣に…こやつらの首を並べてやろう…)

改めて、最強の鬼が闇の中へ一歩を踏み出した。


ジョナサン・ジョースター@ジョジョの奇妙な冒険 死亡
※E-3にジョナサンの死体と、それに巻き付いた悲鳴嶼行冥の日輪刀(赫刀になっている)@が残されています。


【E-3/1日目・深夜】


【黒死牟@鬼滅の刃】
[状態]ダメージ(小~中、回復中)
[装備]
[道具]基本支給品、ランダム支給品0~1 ファッション雑誌BiBi@魔法少女まどか☆マギカシリーズ、DIOの写真@ジョジョの奇妙な冒険
[行動方針]
基本方針:無惨に忠義を尽くす
1:七海やちよを探し出し、殺して笛を奪い返す
2:星の痣と日の呼吸に関わりがありそうなジョセフ・ジョースターと写真の男(DIO)を殺す
3:無惨に仇なすものを殺す
4:欠番の増えた上弦の後釜を探す

※参戦時期は時任無一郎を鬼に誘った直後です。
※波紋の呼吸を日の呼吸に近いものと認識しました。


【ファッション雑誌BiBi@魔法少女まどか☆マギカシリーズ】
黒死牟に支給された。
普通の女性用ファッション誌。環いろはや七海やちよの活動する神浜ではよく見られている。
七海やちよの特集がぶち抜き8ページ組まれた特集号。
あと神浜の魔法少女である阿見莉愛も載っている。1ページだけ。

【DIOの写真@ジョジョの奇妙な冒険】
黒死牟に支給された。
ジョルノ・ジョバーナが写真に入れているDIOの写真。
彼にとって唯一父親を知る数少ない資料と思われる。
星の痣もくっきりと映っており、自信の首元と比べてジョルノは父とのつながりを感じたりしていたのだろうか。




【悲鳴嶼行冥の日輪刀@鬼滅の刃】
ジョナサン・ジョースターに支給された。
鬼殺隊最強の剣士悲鳴嶼行冥のための武装。
太陽に一番近く、一年中陽の射すという陽光山で採れる猩々緋砂鉄と猩々緋鉱石から打たれた刀が日輪刀であるが、これは刀の域を逸脱している。
、片手用の戦斧に鋼球鎖をつないだ鎖鎌ならぬ「鎖斧」とでも呼ぶべき特殊な形状で、鎖の一片に足るまで鬼を殺す力を秘めている。



前話 名前 次話
START 七海やちよ [[]]
OP ジョナサン・ジョースター GAME OVER
OP 黒死牟 [[]]
最終更新:2020年02月07日 20:52