この物語は、約四百年前の史実を元に構成した―――

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天正十年(1582)備中高松
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水田の中に建つ平城を、はるか高台から見下ろす女武将がいた。
その名は、羽柴香奈吉(はしば・かなよし)―――

晶「殿!本陣に戻ってください!ここにいては危ないです!」

香奈に向かって叫ぶのは、鋭い目つきの従者・石田三晶(いしだ・みつあきら)である。

香奈「堅いこと言うわねぇ、晶ちゃんは。ここって危ないかしら、さっちゃん?」

香奈は、晶の隣にいる長身の従者・大谷幸継(おおたに・さちつぐ)に話しかける。

幸「さぁ……でも、殿にいてもらわなきゃ、私たちも見所を見逃しちゃうね」

晶「万が一のことがあったらどうすんだ!」

幸「もしここが崩れたら、私が命に代えてでも殿を守るから」

香奈「うふふ……頼もしいわね。菖ちゃんはどう思う?」

菖「だいじょーぶですよ!銭八千貫文投じましたから、ここは微動だにしません!」ビシッ

小柄で巻き髪の従者・菖束正家(あやめつか・まさいえ)は、得意げに答えた。

香奈「そう!この世で不動の力を発揮するもの、それはお金なのよ、お金!あなたたちに、今それを見せてあげるわ――いざ、決っ壊!!」

『うおおおおお――ぅ!』

香奈の立つ高台――ではなく、巨大な人工の堤防から、数万もの兵が一斉に鬨の声を上げた。
放たれた大声は、平城の背後の山に吸い込まれていく。

一瞬の静寂の後――

ドドドォ―――――ン!!
ブシャアアアアァ!!

山から爆発音が響き、大量の水が噴き出した。

香奈「さー、来たわよォー!」

ゴオオオオオオォ!!

山肌を滑り落ちていく大水は、みるみる平城へと迫っていく。
土塁を洗い、城塀をなぎ倒し、田畑を飲み込んで、香奈達の立つ堤防に迫ってくる。

ゴゴゴゴオオオオオオオォ!!

晶「と、殿おおおォ!!」

香奈「ほーほっほっほっほ!!」

ザッバ――――――――ン!!!

大水が堤防に激突した。
堤防の到るところでしぶきが舞い上がり、夕立雨のように降り注ぐ。

菖「うっわー!びしょ濡れだよ~!」

幸「堤が崩れなくて良かった……殿も無事ね」

香奈「ほーら、見てみなさい!」

晶「マ、マジかよ……」ゴクリ

晶の目の前には、広大な湖が広がっていた。
平城は、本丸を残して水没してしまっている。

晶「す、すげえ!すげえぞ!おい、菖!幸!殿はいつか必ず天下を取るぜ!!」

幸「ちょっと、晶!」

菖「信長公の耳に入ったら、只じゃ済まされないよ!?」

晶「私もいつか……こんな戦をしてみてえ!」グッ

 ――この水攻めからひと月も経たず、織田信長が本能寺の変で横死。時代の追い風は、香奈に吹き始める。


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八年後――天正十八年(1590)
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信長の死後、天下統一事業を引き継いだ香奈は快進撃を続け、各地を征服。関白の地位を手に入れ、姓も羽柴から豊臣に改めた。
そして今、天下統一を阻む最後の勢力・北条氏を討ち、関東一円を征服するため、全国の大名に陣触れを発することとなった。

ここは京・聚楽第の廊下。
大勢の侍が平伏し、その間を香奈が、晶・菖・幸を従えて歩いている。

侍1「おい、殿下のあのお召し物はなんだ? あんなに素足を見せて……」ヒソヒソ

侍2「何でも、『せいふく』とかいうらしいのだが……殿下は物好きじゃのう」コソコソ

侍1「まさか……『征服』とかけておられるのでは!?」

晶「ああ?」ギロッ

侍1・2「ひいぃっ!?」ビクッ

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大広間に到着した香奈は、上段の間に座り、晶達はその脇に座った。

晶「殿下は天下安寧のため、三月一日に小田原北条家追討の軍勢を発する!時期を見て、諸将は国を発たれよ!」

諸将「はっ!!」

晶「前田筑前守殿は上杉越後守殿と北陸道から攻められませ!徳川内府殿は東海道を、海上は九鬼大隈守殿が進まれよ!」

前田利家「はっ!」

上杉景勝「はっ!」

九鬼嘉隆「はっ!」

徳川千代康「はっ(香奈の奴、また年甲斐もなくあんな格好して……)」

老将「殿下、晶殿はまた後方を固めるのでござりまするかな?」ニヤニヤ

晶「(くそっ……武断派のじじいめ。イヤミ言いやがって)」

香奈「晶ちゃんには、一手の大将を任せるわ」

晶「(えっ…?)」

香奈「二万の兵を与え、北条の支城を攻めさせるの。分かった?」

老将「は、はっ!」

晶「(私が……大将!?)」

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陣触れが終わり、香奈は晶たち三人を控えの間に招いた。
香奈は蒔絵箱を開いて、絵地図を取り出す。

香奈「いい? あなた達は私と小田原まで行って、そこから上州館林城を攻め落とすの。次に、武州桜が丘城を攻め、これを叩き潰す!」

晶・菖・幸「はい!」

香奈「そして、各地の合力(援軍)の将を加えた二万の軍勢を、晶ちゃん、あなたに預けるわ」

晶「しかし……館林城は二千騎、桜が丘城に至ってはたった千騎の兵力ですが」

香奈「二万じゃ多いかしら?晶ちゃん、あなたもいつまでも三献茶の女なんて、武断派の連中に言われてちゃいけないわ。石田三晶に武勇あり、と世に示しなさい!そうすれば、連中も晶ちゃんを重んじるし、豊臣家も一つにまとまるわ」

晶「は……はい!」

香奈「大丈夫、所詮は田舎の城よ。二万の軍勢を見ただけで腰を抜かすわ。地図をよーく見て。これが館林城。普通の平城ね。そして、これが……桜が丘城!」

幸「えっ……」

菖「何これ!」

晶「湖に……城が浮かんでいる!?」

絵地図に描かれた桜が丘城は、湖の中に点在する島を要塞化したものだった。
島々は連結しており、中央部に本丸、二の丸、三の丸の島。それを囲んで、武家屋敷と城下町の島々が配置されている。出入り口は七つしかなく、城外は一面田んぼになっている。

香奈「浮城とも言うみたいよ。本当に水に浮くか、試してみる?うふふ……」


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数ヵ月後――武州・桜が丘城
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城を構成する湖上の島々には、広葉樹が生い茂り、城外の土地には麦が生い茂っている。まさに、一面の緑である。

広葉樹の下、町家が立ち並ぶ一本道を、一人の侍が馬に乗って疾走していた。

澪「どこ行ったんだ、唯のやつ……」パカラッパカラッ

秋山丹波守澪(あきやま・たんばのかみ・みお)。
桜が丘城当主・成田家に仕える侍大将の一人である。長く艶やかな黒髪と端正な顔立ちを持ち、「漆黒の魔人」の異名を取る、歴戦の武辺者である。

 突き当たりを曲がった澪は、城塀に沿って走り、やがて扇型にかたどられた門にたどり着いた。
桜が丘城七つの出入り口の一つ、「長野口」である。

澪「おい!唯は通らなかったか?」

風子「ふわふわ様ですか? ここ長野口は通っておられませんが」

澪「そうか……邪魔したな。 あいつが来たら、本丸まで知らせてくれ!」パカラッパカラッ

 澪は道を引き返し、再び馬を走らせた。
 やがて、大手門の近くまでやってくる。

澪「おーい!唯は戻ってきてないか!?」

エリ「ふわふわ様は、ここをお出になったきり、戻っていません!」

澪「(まったく……揃いも揃ってみんな唯のことを、ふわふわ、ふわふわって……)」

アカネ「ふわふわ様なら、下桜村へ行ったはずです」

澪「本当か?ありがとう!けどな、みんな唯のことをふわふわと言ってもらっては困るぞ……仮にも、城主一族の人間なんだから」

アカネ「とはいえ……ねえ?」

エリ「事実、ふわふわしてますから……」クスクス

澪「……はぁ」

ため息をつくと、澪は大手門を出て、城下の農村・下桜村へと馬を走らせた。


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下桜村の麦畑
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唯「じ~……」

 数十人の百姓達が、一列になって麦を踏む様を、あぜ道からしゃがんで見ているのが、ふわふわ様こと、成田唯親(なりた・ゆいちか)である。

 百姓の憂、純、菫、直は、そんな唯の様子をちらちらと気にしながら麦踏みをしていた。

唯「じ~……」

純「スミーレ、目を合わせちゃダメだよ……」ハラハラ

菫「はい、分かってます……」

憂「いいんじゃないかな?お姉ちゃんが手伝うってなら、手伝ってもらっちゃっても」

純「憂!去年、隣の村が田植えを手伝われて、三日かけて苗を植え直したの、忘れたの?」ヒソヒソ

憂「田んぼをザリガニだらけにしちゃったんだよね、お姉ちゃん」クスクス

純「笑い事じゃない!それにふわふわ様のことをお姉ちゃんって呼ぶの、どうなの?」

憂「だって、なんか“お姉ちゃん”って感じがするから」ニコニコ

菫「わたしにとってのお姉ちゃんは、姫様ですね……」

純「揃いも揃ってわけわからん!あ~もう、よりによってこの田んぼに来ちゃうなんて……」

唯「ほ~げ~……」ボーッ

 退屈そうに呆ける唯のもとに、一人の娘が歩み寄っていく。

直「もしもし、ふわふわ様」

唯「ん……え、私?」

直「やることないなら、そこでしゃがんでないで手伝ってください」

純「あっ!!」

菫「な、直!」

唯「え~? 私そんなに野良仕事うまくないんだけど~、どうしてもっていうなら~……」モジモジ

直「ぶりっ子してないで、早く降りてきてください」グイグイ

純「ふわふわ様、もったいのうございます!成田家の方に麦踏みなど……」

唯「いいよ~遠慮なんかしなくて」

憂「じゃあお姉ちゃん、よろしくね」

純「まったく憂まで……しょうがない、いくよ!せぇーの!」

憂純菫直「よいしょ、よいしょ」フミフミ

唯「うん、たん!うん、たん!」ベチャベチャ

憂純菫直「よいしょ!こらしょ!」フミフミ

唯「うん、たん!うん、たん!」グチャグチャ

憂純菫「…………」

直「ふわふわ様」

唯「うん、たん……ん、何かな?」

直「まじめにやってください」

唯「もちろんまじめだよ!」フンス

直「その、間の抜けた拍子はなんですか?」

唯「ちょっとした、軽い田楽だよ! 略してけいで…」

憂「お姉ちゃん、お願いがあるんだ……」

唯「お、何でも言ってね!」

純「めっ!」ビシッ

唯「はい……」トボトボ

純「手伝うならちゃんと手伝ってほしいよね、まったく!」

憂「じゅ、純ちゃん!言い過ぎだよ」

唯「いや~、面目ない面目ない……」

 パカラッパカラッパカラッ……

唯「ん!」

憂「馬の音?」

澪「唯ー!!」パカラッパカラッ

唯「あ、澪ちゃーん!そんなに急いでどうしたの?」

澪「どうしたのじゃない!小田原北条家の使者が城に来てる。早々に登城しろと、御屋形様のお達しだ!早く乗れ!」

唯「分かったよ!うんしょ!どっこいしょ!」ピョンピョン

憂純菫直「…………」

唯「……お馬さん、乗れな~い」エグエグ

澪「ほら、行くぞ」グイグイッ

唯「ありがと~澪ちゃん!」

澪「みんな、邪魔したな!」パカラッパカラッ

唯「またね~!」

純「……同じ侍とは思えないね」

直「どっちが主人なのやら」

菫「これなら姫様の方が……」

憂「……やっぱり、小田原で戦という噂、本当だったんだ……」

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唯と澪を乗せた馬は、堀にかかった橋を渡り、「下桜口」を通り抜けて、蔵ややぐらの点在する三の丸の森に入った。

唯「何しに来たのかな、小田原の使者さんは」

澪「何言ってるんだ!戦に加勢するよう、御屋形様に迫りに来たんだ!」

唯「えぇ~っ!戦なんて嫌だよぉ」

澪「馬鹿!いよいよ関白の軍勢がこの関東に……ん?」

 ダダッダダッダダッダダッ!

通り過ぎたやぐらの影から、突如無人の馬がこちらに迫ってくる。

唯「えっ、なになに!?」

 ぐんぐん追いついてくる馬。その死角から、小さな黒い影が飛び出した――

梓「やってやるですぅ―――っ!!」

成田家の若き侍大将・中野梓(なかの・あずさ)が、木刀で澪に襲いかかってくる。

澪「梓か!?はっ!」

澪はすんでのところで木刀を避けたが――

ボコッ!!

唯「いったあああぁい!!」

梓「ああ!唯殿!?」

澪「な、何やってんだ梓! 唯、大丈夫か!?」

唯「あずにゃん……お見事」ガクリ


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桜が丘城本丸・居館前
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馬から降りている唯と澪。梓も居合わせている。

梓「どうもすみませんでした……」

澪「確かに私は『隙あればいつでもかかってこい』と言ったけど……今は火急の時なんだぞ」

唯「あいたたた……たんこぶできちゃった」

梓「すみません、唯殿……でも、武将たるもの、こんな体たらくでは困ります!」

唯「えへへ……面目ない」ポリポリ

梓「澪殿、桜が丘城にも来ますか?関白の軍勢は……」

澪「怖いか、梓?」

梓「まさか!私は毘沙門天の生まれ変わりですから!」ドヤッ

唯「びしゃもん……なにそれ?」

澪「知らないのか、唯!?かの謙信公も……」

唯「こんにちは~、ボクびしゃえもん……」

梓「“毘沙門天”!戦の天才ってことですっ!」

律「ま、戦に出たことはないけどな」フッ

梓「なっ……律殿!!」

唯「りっちゃん!」

澪「律!お前も着いたか!」

律「はーっはっは!戦とあらば、この百戦錬磨、天下無双の田井中和泉守律(たいなか・いずみのかみ・りつ)様がいつでも参上つかまつる!」キメッ

梓「ただ斬り合うだけの戦なんて時代遅れです。これからは軍略の時代ですよ」

律「な、何をー!かかってこい梓ーっ!」

梓「いいでしょう!やってやるです!」

澪「仲間割れはやめろ!今は火急の時と言っただろ!!」ボカッ

律「あいった!何で私だけ……」

唯「あははは、みんな相変わらずだねぇ」ニコニコ

律「唯……お前も相変わらずだな」

澪「そんなんだから、みんなからふわふわって言われるんだぞ」

唯「え~、ダメかな?」

和「みんな何してるの!使者をいつまで待たせる気!?」

唯「あ、和ちゃん!」


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本丸居館・大広間
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上段の間に座るのは、城主の成田さわ子(なりた・さわこ)。広間には、成田家の重鎮・成田和(なりた・のどか)を筆頭に、唯、澪、律、梓達重臣が並んでいる。
 そして、中央には北条家の使者が座っている。

使者「我が北条家は、関白と手切れとなった。北条家におかれては、小田原城での籠城を決めておる。ついては古法に則り、支城の城主は早々に兵を率い、小田原城に入場されよとのお達しだ!」

さわ子「わかったわ。成田家も用意整い次第、入城します」

使者「兵数と時期は。上方はすでに陣触れを発した様子じゃ。期限を切っていただきたい」

和「兵数は古法により、兵力の半数五百騎を、当主自ら率いて入城致します。期限は本日!」

さわ子「え、ちょっ……!」

使者「よう申された!早速小田原へお伝えいたす。では御免!」ササッ

さわ子「あぁ、行っちゃった……」

澪「……関白と戦か……」

律「相手にとって不足はなしだな……」

梓「この地にも、何万もの兵が……」

 重臣達が口々につぶやくと、皆一様に静まり返ってしまった。あまりにも強大過ぎる相手に、誰もが勝てるはずがないと考えていた。

唯「……ねえねえ、さわちゃん?」

さわ子「なあに?こういう場では、御屋形様と呼びなさいよ」

唯「北条さんにも関白さんにもつかないで、今までみたいに、みんなで仲良く暮らすことはできないかなぁ?」

さわ子「はい!?」

和「……唯の大馬鹿!!!」

唯「ひぃっ!」ビクッ

和「成田家が今日の今まで存続できたのは誰のおかげと思ってるの!?北条家の庇護あっての成田家でしょ!!忠義を尽くしなさい!!」

唯「和ちゃん、怖い……」ガクブル

和「みんなも何沈んでるのよ!戦よ、戦!関白は桜が丘城にも必ず兵を発するわ!堀を深くして、柵……を……」クラッ

 バタン!

唯「の、和ちゃん!!」

さわ子「どうしたのよ急に!?」

澪「お、奥へ運ぶんだ!律!梓!」

唯「和ちゃん、しっかりしてぇ!!」


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最終更新:2013年03月03日 21:18