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その頃――小田原城・本丸
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成田軍が緒戦を制したことは、北条家が関東中に放った忍びによって、ここ小田原にも伝えられていた。
北条家前当主ながら、いまだ実権を握っている北条氏政は、さわ子を大広間に呼びつけた。
氏政「喜べ!桜が丘城が緒戦に勝利したぞ!」
さわ子「えぇっ!」
氏政「石田三成らの軍勢二万を手もなく退けおった。今なお頑強に抵抗を続けておる!さわ子よ、お前も城の家臣どもに負けぬよう、励むのだぞ」
さわ子「は、はい……」
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大広間を退出したさわ子は、まるでぬけがらのように一人呆けていた。
さわ子「(……どうなってんの?何で戦してんの?そしてどうして勝ってるの?)」
さわ子「(いったい誰が戦をするなんて言い出したの?和ちゃんは死んだって聞いたし……澪ちゃん?いや、あの子に限ってそんなことは……)」
さわ子「(りっちゃん?確かに押しは強いけど、大勢の兵をまとめ上げられるかしら……)」
さわ子「(梓ちゃん……いやいや、あの子は戦したことなんてないし)」
さわ子「(…………唯ちゃん?)」
さわ子「(……まっさかね~。あの子は絶対にないわ!だいたい戦を嫌がってたじゃない!)」ブンブン
さわ子「(…………)」
さわ子「(……って、あいつらあああ!内通ホゴにしやがってえええっ!!)」ゴゴゴゴゴ
氏政「(おぉ、さわ子め……関白打倒に燃えておる!)」コソコソ
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数日後――
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晶の思惑通り、労働対価に釣られた百姓達が、丸墓山の陣所に大挙して押し寄せた。
利根川と荒川の間には人の大行列が出来上がり、七里にもわたる人工堤建設がいよいよ始まった。
未耕の土地から掘られた土が、俵に詰め込まれていく。そうして出来た土俵が、次々と積み上げられ、堤の形を成していく。
人夫達は報酬のために、ただひたすらに土俵を作り、それを高く積み上げて行く。
何が目的で作るのかも知らされず、ただ黙々と――
純「えっほ、えっほ」ザクッザクッ
人夫「よう、嬢ちゃん。随分頑張ってるな。そんなに髪ボサボサにして」
純「フン!これは元からだもん!」モフモフ
人夫「おぉ怖えー。なぁ、あんたどっから来たんだ?」
純「下桜村」ツーン
人夫「おいおい、桜が丘城下じゃねえか。嬢ちゃん、不忠もんだなぁ」
純「うるさいなー、百姓に忠も不忠もないわよ!侍じゃあるまいし!」
人夫「へへ…まぁ、桜が丘軍じゃ、どんなに働いても銭や米はもらえねえもんな」
純「(見てなさいよ、桜が丘城の侍共……)」ザクッザクッ
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夜――桜が丘城・佐間口
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唯と澪が、やぐらの上から丸墓山の方角を眺めている。
暗闇の中、間を置いて、ポツポツと明かりが点っている。人工堤に沿って、かがり火が焚かれているのである。堤では、昼と変わりなく工事を行われていた。
唯「一体何をしてるんだろうね……はっ、まさかお祭り!?夜店!?」
澪「堤だ、堤!堤を作ってるんだ!利根川と荒川を結んでるんだよ!」
唯「川と川を?」
澪「城の裏の上流で川を決壊させて、水をあそこでせき止めれば、どうなると思う……?」
唯「遊泳場ができる!」
澪「城が沈むんだっ!!」
唯「へ?」
澪「水攻めだ……八年前、関白が備中高松でやった戦法だよ。やられた城方は降るしかなかった……」
唯「ほえ~、そんなにすごいんだ~」
澪「何でそんなに他人事なんだ!唯、水攻めは防げない!このままじゃ私達の負けだ!」
唯「ねえ澪ちゃん……あれを作ってるのは誰?」
澪「城外の百姓達だろ。きっと報酬目当てでやってるんだ。高松でもそうだったらしいし……」
唯「なら、大丈夫だよ!」ニコッ
澪「何が大丈夫なんだ!!」
唯「え、澪ちゃん分かんない?分っかるかな~、分っかんないだろうな~ぁ」クネクネ
澪「くっ……もういい!私一人で策を練る!」
澪はやぐらを降りていく。
澪「(全く、唯のやつ……人をバカにして!)」
地上に足をつけた澪は、睨みつけてやろうと思って、やぐらの上の唯を見た。
澪「……えっ?」
唯は、堤の方をじっと見つめていた。
夜風になびく髪以外は、微動だにしない。その表情は、喜怒哀楽全ての感情を覆い隠しており、読み取ることはできない。
つい先ほどまでの、なよなよとした姿はそこにはなかった。
得体の知れない、底知らずの将器というものを、澪は感じずにはいられなかった。
澪「(まさか……水攻めを破る方法が本当にあるのか?)」
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四日後――
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ついに堤は完成した。
利根川と荒川を半円形に繋いだ、七里にもおよぶ堤の上に、すでに上方軍二万の兵が配置されている。
晶は堤の上から桜が丘城を眺め、実に満足げな顔をしていた。
晶「この出来映えを、殿下にお見せできないのが残念だな!」ツヤツヤ
幸「本当に四日間で作っちゃうなんて……」
菖「まぁ何にせよ、これで桜が丘のやつらに一泡吹かせられるね~」
晶「私はこの戦を伝説にするぞ!だから、これを石田堤と名付ける!」
菖「え~、なんかありきたりじゃない?」
晶「は?じゃあ何ならいいんだよ」
菖「そうね~……菖堤とか?」
晶「何でお前の名前なんだよ!だったら晶堤にしろよ!」
菖「どっちも似たようなもんじゃない?」
晶「んだとぉ!?」
幸「あの……恩那堤ってどう?」
晶「お、それいいな」
幸「え」
菖「うん!私達女がこれだけのもんを作ったんだもんねー!」
晶「よし、この堤を恩那堤と名付ける!!」
幸「(冗談で言ったのに……)」
晶「それじゃあ、いくぞ――決っ壊!!」
ジャンジャンジャンジャン!!
『うおおおおおーぅ!!』
恩那堤の上、二万の兵が一斉に鉦を鳴らし、鬨の声を上げた。
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大地をも揺るがすその音は、利根川の堤にまで届く。そこには、火を携えた兵達が待機していた。
『合図だ!火薬に点火しろ!』
ドカ――――ン!!
ドカンドカ――――ン!!
堤の数カ所で爆発が起こり、土手が跡形もなく吹っ飛ぶ。
ドドドドドドドドド!!
河の水がどっと溢れ出した。桜が丘城目指して、凄まじい勢いで流れ込んでいく――
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同時刻――荒川の堤
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ドカ――――ン!!
ドカンドカ――――ン!!
ドドドドドドドドド!!
ここでも爆発が起こり、決壊した箇所から川の水がとめどなく溢れ出ていく。
やがて二つの川の水は合流し、怒涛となって城へと押し寄せていく――
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桜が丘城・長野口
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敵軍の鉦の音と鬨の声は、ここにも聞こえてきていた。
律「来やがったな……」
律は城門を開け放って、城外を見渡す。
目の前には、荒れ果てた田んぼが広がっており、敵軍の姿はない。
律「さて、どう出てくる……」
ふと、音が止む。
静寂が訪れたのもつかの間、地平線の果てから地鳴りと共に、津波のような濁流が迫ってきた。
律「げっ!なんだあれ!?」
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律「に、逃げろおおおぉ!!」
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濁流から一番遠い佐間口でも、地鳴りは強くなっていた。
恵「は、早く外へ出なきゃ!!」
澪「お、おお、落ち着いてください!ほほ、本丸の方が高いです!そそそ、そ、そっちに逃げましょう!!」オロオロ
曜子「秋山様もどうか落ち着いて!」
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轟音は、下桜口にも響いてきた。
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姫子「ちょ、ちょっと!これはヤバイよ!」
エリ「あああ、阿弥陀如来様!薬師如来様ァ!!」
梓「みなさん、早く本丸へ!ここも水がきます!!」パカラッパカラッ
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長野口に押し寄せてきた濁流は、城門を突き破り、中へと流れ込んでいく。
無人となった城下町では、濁流が目抜き通りを勢いよく突き進む。みるみるうちに水かさを増し、町家を跡形もなく押し流していく。
濁流は、無人となった佐間口の内側に達すると、城門を打ち抜いて、鉄砲水のごとく城外へと噴出した。
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城と田んぼを洗い浚った濁流は、恩那堤にも押し寄せてくる。
晶「……来るぞ!」
菖「ちょっと晶?近づき過ぎじゃない!?」
幸「流されても知らないよ?」
晶が笑みを零した瞬間――
ザッッバアァ―――――――――――――ン!!!!
怒濤が堤に激突した。
土手に激震が走る。波から散った無数の飛沫が、晶達に降り注ぐ。
菖「うわわっ!も~、またビショビショだよ……」
幸「……あの時と一緒だ」
八年前、香奈が自分の目の前でやってのけた大技――いつか自分もやってみたいと思っていた戦が、今現実のものとなった。
晶は、桜が丘城に大打撃を与えたことよりも、秀吉に近づいたと思ったことに、恍惚の表情を浮かべた。
晶「(これだよ!これこそ私の求めた戦だ!!)」
堤を反射した大波は、高さを増して、再び城を飲み込まんと突き進んでいく――
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桜が丘城・二の丸
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本丸を目指して逃げていく城兵と百姓達。背後からは迫り来る轟音が聞こえる。
澪「(二波目が来る……ここも危ない!)」パカラッパカラッ
『誰かー!』
澪「えっ?」
後方から子供の呼ぶ声が聞いた澪は、馬を止め、もと来た道を引き返す。
太郎「誰か来てくれよおー!」
澪「ひいっ!また四つ子……」クラクラ
次郎「三郎が足ケガしてるんだ!」
澪「え?」
花子「誰か助けてよぉ!」
足を抱えてうずくまる三郎の周りを、他の三人が困った様子で叫んでいる。
澪「(みんな逃げるのに必死で、この子達を放ってるんだ……)よし、みんな!私に任せろ!」
太郎「あ、侍のねーちゃん!」
澪「その子を、私の馬に乗せるぞ」
次郎「うん、分かった!」
澪は三郎の体を抱えると、馬の背中に乗せた。
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澪「くっ、水がもうそこまで……みんな乗れ!」
澪は残りの三人も抱えて、全員馬の上に乗せた。
澪「よいしょっと……振り落とされないよう、しっかり捕まってろ!」
太郎次郎三郎花子「「「「うん!」」」」
澪「行くぞ!やああぁ!!」
パカラッパカラッパカラッ……
太郎「すっげー!」
次郎「はえーっ!」
三郎「ねーちゃん、かっこいー!」
花子「もっと行けー!」ワーワー!ギャーギャー!
澪「こ、こら!頼むから大人しくして!やっ、ちょっと!どこ触ってるんだ!?///」
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大急ぎで馬を駆け、本丸へと繋がる橋まで辿りついた澪達。ここまで来れば、安全な場所まであと僅かなのだが――
『何やってんだー!』
『さっさと前進めー!』
『水が来ちゃうー!』
『死にたくないよー!』
澪「人がいっぱいで橋がつかえてる……?」
梓「あ、澪殿!」
澪「梓!先に来てたか」
梓「澪殿……知らなかったです。こんな可愛い子供が四人も……」
澪「ち、違う!この子達は百姓の子で……」
梓「ち、父親は百姓なんですか!?」
澪「違う違ーう!!///そんなことより、これは一体何が起きてるんだ!?」
梓「どうやら、本丸が満杯らしいんです!」
澪「そんな!館に入れば全員収まるはずだぞ!?」
律「二の丸が沈むぞーっ!!」パカラッパカラッ
澪「律!無事だったか!逃げ遅れた人はいないか!?」
律「なんとかな……って、澪!?その子らはまさか……」
澪「だーかーらー!断じて私の子じゃなくって!」
梓「酷い!澪殿あんまりです!この子達がかわいそうです!」
律「澪の鬼母!人でなし!」
ボカンッ!
律「あいったぁ!どうしていつも私だけ!」ギャーギャー
本丸を目の前にして、騒ぎは増すばかりだった――
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本丸の居館前
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敷地内はすでに群衆で溢れかえっていた。しかし、百姓達は玄関に上がろうとしない。
紬「みんな、館に上がって!早く!」
憂「とは言われましても……」チラ
紬「え?私の足を見つめてどうしたの?///」キラキラ
憂「私達の足で御館に上がるのはちょっと……」ドロドロ
菫「百姓の身分で上がってよいものでしょうか」
紬「お百姓だろうと構わないから!早く!後ろの人達が間に合わないわ!」
憂菫「「うぅ……」」
唯「あれ?どうしてみんな入らないの?」タタタタ
紬「あ、唯ちゃん!みんなが土足を気にして……」
唯「はっ!」ピョーン
紬「え?」
ベチャッ
唯「ほらほら、みんなも上がってね~!私一人泥だらけだと、澪ちゃん達に怒られちゃうからね」ドロドロ
憂「……くすっ。しょうがないなぁ、お姉ちゃんは」
紬「……えいっ!」ピョーン
唯「ムギちゃん!?」
菫「お姉ちゃん!?」
ベチャッ
紬「ほら、これで私も一緒よ」ドロドロ
菫「…………ふふっ」
唯「……はは、あははは」
全員「あははははははは!!」
ベチャッ!
紬「きゃっ!」
菫「あぁ!姫様のお顔に泥が!」
唯「ふっふっふ、スキあり!」ブイッ
紬「……やったな~♪」
ベチャッ!
唯「ぶわっ!!」ドロドロ
全員「あははははははは!!」
憂「さぁみんな!上がろう!」
ダダダダダダダ……
百姓達が一斉に居館に上がっていったことで、人の流れは良くなり、二の丸で立ち往生していた者達も、皆本丸へ辿り着くことができた。
その直後――
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濁流が二の丸を飲み込んでいった。
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本丸・城塀辺り
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澪「やれやれ……これで全員助かったか」
太郎「あっ、ねーちゃんだ!」
直「みんな!探したんだよ!」ダダッ
太郎次郎三郎花子「「「「ねーちゃーん!!」」」」ダダダッ
澪「良かったな……ほら見ろ!あの子達の姉は私とあまり変わらない娘だぞ。私が母親なわけないだろ!」
律「いや、あの娘は腹違いってことも……」
澪「まだ引っ張るか!!」
太郎「このねーちゃんは、かーちゃんじゃないよ」
澪「ほらな!」
律「え~、なんだよー」ブー
太郎「かーちゃんもとーちゃんも、いくさで死んだんだ」
律澪「えっ……?」
次郎「だから、ねーちゃんが一人でおれ達を育ててくれてるんだ」
律「そっか……悪かったな」
直「もう、姉ちゃんから離れちゃダメだからね?」
三郎花子「ごめんなさい……」
澪「…………」
『おい、見ろよ……』
『これはひでぇ……』
百姓達は、城塀から外を眺めていた。
城塀の向こうは一面水に浸かり、湖のようになってしまっている。彼方に見えるのは、丸墓山と恩那堤ぐらいであった。
『田んぼは全滅だぁ……』
『ちくしょう……俺たちゃどうやって暮らしていけばいいんだよ……』
『戦さえなかったら……』
澪「………………」
最終更新:2013年03月03日 21:23