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澪「うぅ…………」
この高校に入って血は克服した筈なのに。
確かに好き好んで見ようとまでは思わないが、自分が今の序列に至るまでに斬り捨ててきた者達を思い返しても特に嫌悪感は湧かない。それなのに……。
澪「汚いよ……」
顔を擦ると乾燥してこびりついた血がぽろぽろと剥がれ落ちた。
口の中に残る酸味を追い出そうと唾を吐く。
濁った透明の中に赤が入り交じって不気味な色合いを醸し出すそれを、澪は光が宿っていない虚ろで濁った両目で見つめた。
その時、光が一切差し込んでいなかった体育倉庫に、一筋の光が差し込んだ。
その光は飛び箱に背を預ける澪を照らし、そして消えた。
澪(来た……!?)
扉が開いて閉まったにも関わらず人の姿は見られなかった。
それはつまり、ステルス状態のしずかがこの中に入って来たという事。
澪「……ご……」
何かが詰まっているかのように喉が上手く動かない。
やっとの思いで声を絞り出した澪は、命のやり取りをする場に立つ者として最もやってはいけない行為に及んでしまった。
澪「ごめんなさい! 私に至らないところがあったのなら謝ります! だから……。だからもう許して下さい!!」
羞恥心の欠片も無いその叫びは、狭い体育倉庫の中で反響するだけだった。
しずか(愚行もここまで行くと逆に清々しいね……)
口に出しこそしないものの、しずかは心の中で澪を罵倒した。
戦況に圧倒的優劣がある場での命乞いは何の意味も成さない事を知っていたからだ。
しずか(これが序列十二位、か……。何だか空しいね)
何のリスクも負わずに倒せる相手が命乞いをしてきた時、それを認める者など殆どいない。
そこに何かの見返りがあるのなら話は別なのだが、人間はこういう時に無償の愛を翳せるようには出来ていないのだ。
しずか(取り敢えず適当に痛め付けとこうかな)
手を擦り合わせて涙を流しながら訴える澪の前に立ち、しずかは足を振り子のように動かし、澪の顔面に爪先を捩じ込んだ。
澪「ぶふ……っ!」
澪の顔は綺麗に蹴り上げられ、天井を仰ぐ形になった。
しずか「ふふ。血、出てるよ?」
涙で霞んだ景色の中にしずかの姿が現れた。
腰を屈めて拳を振りかぶり、澪の顔面を狙うその姿を確認しながらも、澪は動けなかった。
不思議な事にしずかはステルス能力を発動させていない。
あくまで自然の状態で、何の変哲もない突きを放った。
澪「……っ!」
体躯に恵まれたわけでもなければ武術に秀でているわけでもない。
そんな彼女の突きでも、放心状態の澪を吹き飛ばすのは容易かった。
澪には自分の身体が宙に浮き、壁に叩き付けられるまでの時間がとても長く感じられた。
しかしどれだけ長いと感じようとも、自分の身体が動かない事に憤りを感じていた。
自分の目に映る光景が全てスローで動く。
巻き添えを食らって散らばるボール。飛び交う埃。
そして、鈍色に輝く刃を携えて、駆け寄ってくるしずか。
澪(おい……。待て、待て待て!! あれを私に刺すつもりか!?)
血を克服したと謳いながらも心の何処かでは血に対して嫌悪感を抱いていた澪。
それは戦いの中にも現れており、彼女は桜高に入学してから今に至るまで、一度も血を流した事が無かった。
それだけ聞けば、誰も澪には傷を負わせる事が出来ないという解釈も出来るがそうではない。
澪が今まで傷を負わなかったのはそうならないように立ち回っていただけなのだ。
現に澪よりも遥かに上の次元に居る憂、和、姫子でさえ傷を負った事が無いわけではない。
虚栄の強さで固めた鉄壁は今まさに突き崩されんとしている。
澪は自分の脇腹の辺りを冷たい刃が侵入していく触感を感じた。
しずか「内臓は避けておいたよ」
しずかは澪の耳元で囁くと、深々と肉を貫いているナイフをぐりぐり動かした。
溢れる澪の血はブラウスを赤く染め、紺色のブレザーにも染み込んでゆく。
澪「あっ……あっ……あっ……」
血がわき出る度に澪は喘ぎ声に似た声を漏らしながら、その身を震わせた。
涙などとうに枯れてしまった。悲鳴を上げる気力も無い。
しずか「これでお終い。もう眠ってて良いよ」
しずかは舌を出してウインクすると、澪の腹を犯すナイフを勢いよく引き抜いた。
澪「ぁぐ……っ!」
一際大きく身体を震わせると、澪はするすると床に倒れ伏した。
脇腹から滲み出た血は床一面に広がり、水溜まりを作っている。
しずか「これで私は序列十二位だね。どんな通り名がつくのかなぁ、ふふっ」
しずかは踵を返した。
それと同時に彼女は澪の視界から完全に姿を消す。
澪の頬を伝った一筋の涙は血の池に交じり、音も無く消えた。
グラウンドの中心で唯は一人立っていた。
両目を閉じ、上体を揺らしながら立っているその姿は儚げで、押せば壊れてしまいそうな印象を与える。
そしてそんな唯を取り巻くように辺りには粉塵が巻き起こっている。
傍から見ればそれは強い風が吹き付けているようにしか見えないが、これは人為的なものだ。
姫子(この子……。天才なんてレベルじゃないね……)
この風を巻き起こしている張本人否、この風である姫子は口には出さないものの動揺していた。
戦いが始まってから今に至るまで、姫子は既に百万回以上の攻撃を放っていたのだ。
にも関わらず姫子の攻撃が唯に届いたのは初撃の一発のみ。
目で追えないほどのスピードで刹那の間に百発以上繰り出される姫子の技は、柳を相手にしているかのように受け流される。
唯「…………」
この時唯は自らの戦闘スタイルを回避主体のものに切り替えていたのだ。
その名はオートワウ。
上体を一定のリズムで動かし、自身の周囲に配る感覚を鋭敏に研ぎ澄ますスタイルだ。
姫子「はっ!」
姫子は足を止め、唯の顔面目掛けて突きを放った。
だがそれは予め予測していたかの如くあっさりと躱される。
それを確認してから反撃されないように距離を置く。
先程からこれと同じ行動を延々と繰り返しているのだ。
唯「やっぱり凄いよ姫子ちゃんは」
ぽつりと呟いた唯の言葉を聞いて、姫子は足を止めた。
超高速で動いていたものが予備動作無しで停止したため、一層大きな風が巻き起こり、竜巻と化す。
姫子「ふふっ……。唯といるといつもそう、何だか毒気抜かれちゃうんだよね」
唯「ほぇ? 毒?」
目を丸く見開き、きょとんとした顔をする唯を見た姫子は唇に指を添えて微笑んだ。
姫子「あはは、何でもないよ。続けて」
何の事を言っているのか分からないが自分が笑われている事に気付いた唯はほんの少しだけ頬を膨らませた。
唯「姫子ちゃんの攻撃って、一発の間に何回同じ事繰り返してるのかな?」
姫子「え?」
唯が言った事は若干言葉足らずな問い掛けだったが、姫子を驚かせるのには充分だった。
本来なら一発分にしか見えない姫子の突きや蹴りはその一瞬の間に百発から千発の動作を繰り返している。
その全てを躱している唯には舌を巻くところもあったが、流石に自分の攻撃の全てが見切られているわけではない。姫子はそう思っていた。
唯「さっきのパンチは五百とちょっとかな? 途中で数えるのも面倒になっちゃったけど」
だがそれは間違いだった。
先程放った突きの回数は五百九回。
つまり唯には見えているのだ。
生徒序列ナンバースリーとその下の序列の間にある見えざる壁、『絶対の彼方』を越えて唯は進化し続けている。
『絶対の彼方』
それは桜高の序列トップスリーの強さを揶揄した呼び名だ。
越えたくても越えられない。
最早自分が人間である限り、越える事すら馬鹿らしくなるような力の壁。
越えてしまっている三人。つまり憂、和、姫子は既に人間など辞めてしまっている。
そんな畏怖の念から生まれたのが『絶対の彼方』という名だ。
姫子「唯も、化物候補って事なのかな?」
唯に聞こえないように姫子は呟いた。
唯「どうしたの? 何か怖い顔してるよ」
姫子の気など露知らず、唯はあっけらかんとした態度で鼻歌を歌っている。
姫子(いちごは殺す気でやれって言ってたけど、これも分かってたのかな……?)
姫子は格下である唯に対して自分が恐れを抱いている事に気付いた。
気にも留めていなかった自分の心臓の鼓動がやけに頭に響く。
姫子(……やっぱり、この子は存在するべきじゃない!)
不安を噛み殺し、姫子は再び加速した。
腰を屈めた状態で唯の懐に潜り込み、顎を狙った蹴りを放つ。
唯「うわっ、と」
一際大きく上体を逸し、唯はそれを躱した。
だがその蹴りは言わば布石。本命を確実に当てる為のフェイクでしかないのだ。
姫子「っ!」
蹴りを放っと伸びきった足をそのままに、姫子は地面を手で押し、大きく跳んだ。
自分の身体が跳躍の頂点に達したところで、姫子は伸びきった足を畳んで空中で回転する。
唯の視線はその一連の動きを捉えていた。
だが刹那にも満たない時の中で、初撃で体勢を僅かに崩してしまったのは致命的だ。
避けようにも上手く身体が動かない。
姫子の足が再び伸びきり、踵を突き出した形になる。
迫り来る刃の様な蹴りを黙視する中で、唯の心臓が大きく跳ねた。
唯「ディストーション!!」
姫子の踵落としを避けようとせず、逆に両足で地面を踏み締める。
そして渾身のアッパーカットを姫子の踵に当てた。
姫子「っ!?」
唯「っ!」
二つの力の衝突は見えざる波を生み出し、それは瞬く間に広がって学校の敷地内の木々を薙ぎ倒した。
姫子は足に掛かる衝撃に逆らわず、敢えて大きく吹き飛んで受け身を取った。
姫子「つっ……!」
立ち上がる際に右足に痺れが走る。
申し訳程度に右足を庇いながら、立ち尽くす唯を見ると姫子は驚愕した。
唯「…………」
唯は姫子を迎撃した際の体勢のまま立ち尽くしている。
俯いている為表情を鑑みる事は出来ない。
だがそれよりも、唯の身体を包む闘気に姫子は目を奪われたのだ。
本来視覚する事など出来ない筈の闘気は紫色の雷となって具現化しており、唯の周囲で音を立てている。
空間そのものが捻子曲がり、歪む。
姫子は戦慄すら覚えるその光景を見て、口角を上げた。
姫子「来るとこまで来ちゃった感じだね、唯」
唯「…………」
唯は何も答えない。その代わり纏う紫電が一層強く輝いた。
姫子「あんまり歓迎はしたくないんだけどね。まぁでも一応言っとこうかな……」
姫子はさっ、と髪の毛を払った。
そして大きく深呼吸して言った。
姫子「ようこそ『絶対の彼方』へ」
紡がれる言葉が唯に届くと同時に暴風が吹き付ける。
まるで今までの戦いは茶番だと言わんばかりに、二つの力はその存在を主張した。
姫子「久し振りだなぁ、本気で闘うのなんて。唯、お願いだからがっかりさせないでよね?」
雷と風が混ざり合い、嵐となる。
二人の姿が比喩などではなく、消えた。
梓「くぅ……痛い……」
姫子と唯の衝突の余波が梓の意識を覚醒させた。
身体中がずきずき痛むが立てない程ではない。
ゆっくりと身体をほぐしながら立ち上がり、梓は空を見上げた。
梓「え?」
意識を失う前は雲一つ無い快晴だったのに、今では不気味な暗雲が立ち込めている。
梓が少し気味が悪いと感じつつ空を眺めていると、轟音と共に一筋の雷がグラウンドに落ちた。
梓「きゃっ!?」
その直後に雷が落ちた場所を中心に爆風が吹き荒れる。
梓(誰かが戦ってる……?)
梓は不穏な空気を感じつつも、まだ安らかに眠るエリに向けて一礼してグラウンドに向かった。
紬「あら……?」
紬が熱心にアカネの秘部を責めている最中、唯と姫子の衝突の余波はここまで届いた。
秘部に埋めた顔を上げて愛液に塗れた口元を拭うと、紬は溜め息を漏らす。
紬「唯ちゃん……かしら?」
紬ははだけた衣服を整えると、妖艶な面持ちのままアカネの胸にキスをする。
だがアカネはそれに答える意識を手放していた。
気の遠くなるような回数の絶頂を迎えたアカネは、心身共に枯渇していたのだ。
紬「うふふ、愉しかったわ。また遊びましょうね?」
紬は立ち上がり、踵を返してその場を去ってゆく。
紬(少しおイタが過ぎたみたいね……)
心の中で自分を戒める紬の表情に、さっきまでの色欲は無かった。
律「あだだ……。もう死ぬかもしんね……」
ここにも衝撃の余波によって目覚める者がいた。
律はまだ朦朧とする意識を頭を振って叩き直した。
頭を振る度に頭部の傷から血が漏れる。
律「こんのやろぉ……。私の頭をトマトか何かと勘違いしてんじゃねぇのか?」
一人毒づきながら律は意識を手放している信代の鼻にストレートを決める。
確実に鼻の骨が砕けるレベルの突きなのだが、それでも信代は目を覚まさなかった。
律「にしても……。さっきからビリビリ来やがるな」
全身を包む悪寒にも似た闘気の渦を感じて律は眉を顰める。
律「まさか、憂ちゃんじゃねーよな……」
律は一抹の不安を抱えながらも、ゆっくりと立ち上がってその場を後にした。
和「っ!?」
和のキーボードを叩く手が止まった。
額を流れる汗は滝のように流れ落ちる。
今までは憂を作業に集中させる事でこの異変から気をそらさせ続けていた。
だがこれ程の闘気の奔流は誤魔化しきれる筈が無い。
和「…………」
和は恐る恐る視線を横に向けた。
憂「……お姉ちゃん?」
憂の瞳は一切の光も映さない澱んだ黒色をしていた。
終わった、和はこの時そう思った。
一瞬の瞬きの間に憂は席を離れようとしていた。
和は慌てて憂の腕を掴む。
憂「どうして?」
和「……姉の喧嘩にいちいち首を突っ込むもんじゃないわ」
和が言い終わる前に憂の拳が和の頬を目掛けて飛んでゆく。
和「お願い、話を聞いて!」
和は憂の拳を空いている手で受け止め、半狂乱気味に叫んだ。
憂「私はお姉ちゃんの喧嘩はある程度黙認してきたつもりだよ?」
和「落ち着きなさい」
憂「落ち着いてるよ。でもこれは駄目でしょう? この闘気の流れは危な過ぎるよ」
和「それが唯の喧嘩相手を殺して良い理由にはならないでしょう!」
憂「どうして? お姉ちゃんを傷付ける人は皆死んじゃえば良いんだよ」
憂はそう言い終えると、和の視界から姿を消した。
和「くっ……」
和はそれに遅れて視線を天井に移す。
コンクリートの天井は欠片も落ちて来ない程に粉々に砕かれており、その巨大な空洞は校舎の屋上まで続いていた。
憂(お姉ちゃん……!)
吹き飛ばした天井の空洞を憂は通り抜けていた。
もう少しで屋上にまで差し掛かる。
その時憂にとって聞き慣れた声が聞こえた。
「獅子戦吼!」
眼前まで迫った屋上から獅子を象った闘気が現れる。
それは無警戒だった憂の身体を吹き飛ばし、再び職員室へと叩き付けた。
和「え……?」
思いもよらない状況に和は唖然とするも、倒れ伏す憂を踏み台にして屋上まで飛び上がった。
和「あなたは……」
純「あ、おはようございます真鍋先輩」
緊張の欠片も感じられない緩んだ顔をしていた純が和を迎えた。
和「何でこんなところに居るの?」
純「あーそりゃ聞かないで下さい。私も色々大変だったんですって。そんな事より今のって憂でしょう? これから一悶着ありそうですよ」
純はからからと笑いながらも何処か哀しそうな顔をしてグラウンドを指差した。
和は純が指差す先の光景を見て驚愕した。
和「う、嘘……でしょ!?」
和の心臓が跳ね上がる。
今見た光景の全てを否定して逃げ出したくなった。
だが和の背後でこの場に来てはいけない者の声がした。
憂「酷いよ純ちゃん……。私だって痛いものは痛いんだよ?」
純「あはは、こりゃもうゲームオーバーだ」
憂の声に対する純の言葉が、今の和には酷く辛辣に聞こえた。
律「だーもう! 頭がいってぇ!!」
律は駆け足気味に歩きながら叫んだ。
梓「叫ばないで下さい、傷に響きます」
律「梓!?」
紬「私もいるわよ~」
昇降口を越えた辺りで紬と梓が合流する。
それを見て律は安堵の溜め息をついた。
律「良かった、皆無事みたいだな」
梓「ゾンビみたいな頭で言う台詞じゃないですよ。律先輩こそ大丈夫ですか?」
律「なにおう!?」
紬「まぁまぁまぁまぁ」
しばしの間、三人の間で朗らかな空気が流れる。だが……。
梓「唯先輩と澪先輩は……」
紬「…………」
紬は何か言いかけて口を噤んだ。
紬は澪が戦いに敗れた事とこの先に唯が居る事を、直感で理解しつつあったのだ。
三人はグラウンドに差し掛かった。
そこで鋭い風が律達に吹き付けた。
律「うわっ!」
一瞬だけ目を閉じて風が吹いた方を見た。
そこで律が見た光景は、俄かには信じられない絶望の光景だった。
律「…………な……」
全身の力が抜けてゆく。
戦いの中に身を投じる事がどんな事なのか、三人はその悲しい現実を叩き付けられた。
梓「唯先輩っ!!」
グラウンドには立ち尽くす姫子が居た。
姫子は右手を伸ばしている。
そしてその右手は『唯の心臓』を貫いていた。
遠目に見ても即死である事は確定的に明らかだ。
平沢 唯は姫子に心臓を貫かれ、安らかな顔をして眠っていた。
「いやああああああああっ!!」
桜高に悲痛の叫びが鳴り響く。
いちご「うん。予定より決着が早まった、直ぐに一台こっちに寄越して」
バトン部部室にひっそりと佇んでいた少女は携帯電話での通話を終えると、その重い腰を上げた。
二つ結びにした髪の毛を弄りながら、普段の彼女からは想像も出来ない醜い笑みを浮かべる。
いちご「これで私は神を越えられる……。ふふっ、『龍』を手に入れるのはこの私」
いちごはいまだかつて経験した事の無い興奮に身悶えし、両腕で自分の肩を押さえ付けた。
それでも止まらない身体の震えは彼女の心を静かに凌辱していった。
憂「ねぇ純ちゃん……。あれは何?」
憂は薄ら笑いを浮かべながらグラウンドを指差した。
純「あーもう、全てがめんどくさい……」
純は憂の質問を無視してブレザーを脱いだ。
愚痴を零しながらも彼女の瞳には闘志が宿っている。
和「ジャズ研の鈴木さんだったわよね? おこがましいとは思うけど手伝ってもらえるかしら」
憂に背を向けたまま和は抜刀する。
刀身に描かれた桜の花びらが煌めいた。
純「死ぬほどめんどくさいけど助太刀します。憂まであの中に交じったら軽くスプラッタな光景が出来上がりますからね」
純は手に持ったブレザーを投げ縄のようにくるくると回した。
憂「ねぇ、私の質問に答えてよ二人とも。何で私の事無視するの?」
憂が言葉を発する度に重力を何十倍にも強めたような重圧が二人を襲う。
和「アンタはやり過ぎるのよ。どんな理由があれ人殺しは罪悪よ」
純「安心しなって憂。アンタのお姉ちゃんは、唯先輩はまだ大丈夫だから」
初撃は和、身の丈ほどの長刀を流れるようなモーションで振るう。
憂は刃の射程圏内には居ない。
だが振るわれた刃の軌道から視覚可能なまでに洗練された真空波が飛び出す。
憂「邪魔しないで!」
鋼鉄をも断ち切る真空波を憂は片手で弾いた。
だが振り上げた手は一瞬だけ憂の視界を遮る。
和「食らっときなさい」
その隙に憂の懐に潜り込んだ和は憂の頸動脈目掛けて神速の居合いを放つ。
その完全に意表を欠いた筈の攻撃を憂は上体を逸すだけで難なく躱した。
憂「え?」
だが和の攻撃は止まらない。
居合いの動作に身を預けて床に手をつき、憂の顎を蹴り上げる。
憂の身体は成す術無くそのまま五十メートルほど上空に跳んだ。
純「ナイスパスでっす!」
上空で待ち構えているのは純だった。
純は目にも止まらぬ速さで憂の首をブレザーで縛り付け、胴を抱き締める。
純「表連華!!」
落ちゆく身体に回転を加え、二人の身体は高速で下へと落ちてゆく。
向かう先は先程憂が作った空洞だ。
純「そぉい!」
屋上の床を通り抜け、職員室へと憂の身体を叩き付ける。
盛大な破壊行為に職員室内はパニックに陥った。
純「ほら、こんなので死ぬ子じゃないでしょ」
純は倒れ伏す憂の身体を持ち上げて放った。
空中でうなだれる憂の身体に狙いを定め、拳を握り締める。
純「昇龍拳!!」
渾身のアッパーカットが憂の胴を捉え、そのまま屋上へと突き飛ばす。
その光景を職員一同が固唾を飲んで見つめていた。
純「あ、あはは……。失礼しました~」
視線に気付いた純は苦笑いを浮かべながら憂の後を追った。
和「来たわね……」
和は両目を閉じ、腰を降ろして刀を真横に構えていた。
刀の柄を握る手に力がこもる。
それと同時に刀身が闘気を帯び、全長五十メートル程の光の刃が形成される。
和「はっ!」
光の刃が高速で浮上する憂の身体を捉えた。
そしてその後ろに設置された貯水タンク諸共薙ぎ払う。
和「少しは効いたかしら?」
あくまで無表情を崩さずに憂に問い掛ける。
そして憂の肩に深々と刺さった光の刃を解除した。
純「ぶっふぁっ! 滝がっ……! 滝が降ってきた!」
空洞から水浸しになった純が這い上がってきた。
貯水タンクの水を一身に浴びた純は肩で息をしていた。
憂「ぅ……。ごほっ……」
憂は肩から夥しい量の血を流しながら噎せ返っている。
和「あの子達に関しては私が何とかする。だから引っ込んでなさい」
言いつつも和は警戒を解かない。
憂「……どうして?」
純「え?」
憂の悲痛の呟きを、二人は聞き逃さなかった。
憂「どうして? どうしてそんなに弱いのに……」
憂は沼地から這い上がるように立ち上がる。
その表情は俯いている為、確認出来ない。
憂「どうして……。私の邪魔をするの?」
操り人形のような歪な動作で憂は顔を上げた。
和「……!?」
和と純を見つめる両目は絶望に塗り潰された闇を映し出していた。
最終更新:2013年03月04日 19:43