律「うわあああああああっ!!」

 真っ先に動いたのは律だった。
人間の可視限度を遥かに超越したスピードで、律は姫子の眼前まで迫っていた。
 律の胸の中で蠢く感情は殺意、憎悪、悲哀。
あらゆるネガティブな感情が責めぎ合う。

律「ブラストビート!!」

 振りかぶる拳は神速の槍となる。
姫子はそれを空いた左手の、その人指し指だけで受け止めた。

律「はあ!?」

姫子「止まって見えるよ!」

 一筋の閃きが律の胴を捉える。
刹那の間に放ったその蹴りの回数は億にも届く。

律「~~っ!?」

 衝撃は律の骨を砕き、臓器を痛めつける。
勢い良く吹き飛ばされる律を見て、後ろの二人が黙って見ている筈も無かった。

紬「えい!!」

 紬は腰を落とし、地面を殴りつけた。
雪崩のような砂煙が巻き上がり、姫子の視界を遮る。

梓「ナイスフォローです!」

 目にも止まらぬ速さで梓は手に持つ銃にスコープのようなものを取り付けた。

梓「特別製ですよ!!」

 銃口が比喩ではなく、文字通り火を吹いた。
梓のハンドメイドによって作られた爆弾並の威力を誇る弾丸が姫子に牙を向く。

姫子「はっ!」

 姫子は律の拳を受け止めた左手を開き、全身に力を込めた。
それと同時に姫子を中心にして爆風が吹き荒れた。
砂煙は一瞬で晴れ、梓が撃った弾丸はその軌道を捻子曲げられて空を走る。

姫子「あはは……。下手に向かって来ないでよ、これでも動揺してるんだからね? 手加減する余裕なんてないよ」

 唯を貫いている右手はぴくりとも動いていない。
それはまるで死にかけた小動物を庇うような仕草だった。
姫子の顔は三人を圧倒しながらも焦燥から青褪めており、死人のような色をしている。

紬「…………」

 何かがおかしい。
曖昧模糊とした感情ではあるものの、紬はこの状況にそぐわない異変に気付きつつあった。

姫子「あはっ……。もう駄目だ……。頭がおかしくなっちゃいそう」

 姫子は暗雲立ち込める空を見上げて、一粒の涙を零した。

紬「話してくれる?」

 紬は両手をひらひらと振り、敵意が無い事を示すと姫子の元へと歩み寄ってゆく。

梓「ムギ先輩……」

 梓も二丁の銃をホルスターにしまい、その後を追う。

姫子「来ないで」

 姫子は鋭い眼光を二人に向け、右手を唯の胸から引き抜いた。
唯の胸にぽっかりと空洞ができ、血が噴水のように溢れ出る。
跳ねる事もなければ抗う事もない。
そんな人形のような唯の身体を、姫子は抱き締めた。

梓「く……狂ってる……」

 梓は狂気を孕んだ空気に気圧されて、地に膝をついた。

姫子「唯……」

紬「…………」

 哀しみが充満したその空間の中で、一つのイレギュラーが介入した。
だがそれに瞬時に気付ける者は一人も居なかった。
日常の中の有り触れた一コマの中で、心霊写真を見つけ出した時のような感覚。
絶対にあってはいけない事なのに、それに気付く事は難しい。

姫子「っ!?」

 その感覚にいち早く気付いたのは姫子だった。
だが時既に遅し。叫びを漏らす間もなく姫子の身体は地面に叩き付けられた。
 衝撃はグラウンドにクレーターを作り、大地を爆散させる。

憂「汚い手でお姉ちゃんに触らないで」

 片手で唯を抱え上げた憂がそこにいた。

純「あー……。全身痺れて動けない」

和「私もよ。両足の腱が挽き千切られてるわ」

 桜高校舎の屋上で純と和は隣り合わせで寝転んでいた。

純「私なんて全身雷でビリビリー! ですよ。十万ボルト使う女子高生なんて居て良いんですか……」

和「十万ボルト如きでへこたれる身体じゃないでしょう? それよりも幼馴染みの内臓を根こそぎ持っていく女子高生の存在の方が信じられないわ」

 純と和は二人して自嘲染みた笑みを零した。

純「……おやすみなさい」

和「……ええ、おやすみ」

 それ以降二人は言葉を交わさなかった。
隣り合わせの二人の身体を、真っ赤な花が包んでいた。






 立ち込めていた暗雲は晴れ上がった。
だが紬達が見た空は青色ではなかった。

紬「これって……」

 憂の身体から放出される闘気が桜高上空を覆い、黒い雷が降り注いでいる。
絵に描いたような不自然な形のそれは自然の空と交ざり合い、世界の終わりを彷彿させる景色を作り上げていた。

憂「ねぇ、お姉ちゃんをこんなにしたのはあなたですか?」

 世界の終わりの中心で立ち尽くす憂は、クレーターの中心で倒れ伏す姫子に問うた。

姫子「…………」

 だが姫子は答えない。答えられる筈もない。
いかなる決戦兵器をも凌駕する一撃を一身に浴びせられたのだ。
たとえ『絶対の彼方』を越えた者であろうと無事でいられるわけがない。

憂「答えてくださいよ。それじゃあ私が復讐出来ないじゃないですか。言っときますけどお姉ちゃんを傷付けた人を私は許しませんよ。眼球を毟り取って髪の毛を全部抜いて、全身の骨は文字通り粉にしてあげます。身体の皮膚は表面から一枚ずつ、苦しみながら逝けるようにゆっくり剥ぐんです。そしたら次は内臓ですね。心臓は最後に取っておきましょう、最初は腎臓をペースト状になるまで握り潰します。それをその人の口の中に捩じ込むんです。自分の内臓を自分で食べられるなんて素敵と思いません? あ、そうか。最初に眼球を毟り取っちゃってるからそんな素晴らしい光景を見れないんですよね。あはは、私ったらうっかりしてました」

姫子「──っ! ~~っ!?」

 倒れ伏す姫子はその朦朧とした意識の中に介入して暴れ狂う呪詛の言葉に恐怖した。
言葉を紡ごうにも先の衝撃で肺をやられており、喋るどころか呼吸もままならない。
恐怖などという陳腐なものではない別のナニカに気圧され、姫子は涙を流した。

憂「ねえ、誰がやったんですか? 答えてくれないなら今からあなたを殴りますよ。それもグーで、思いっきり」

 それを聞いて戦慄した姫子は身体を捩らせて虫のように這い、憂から逃れようとする。
 だが憂はそれを許さない。
這う姫子の頭を踏み付け、ぎりぎりと力を込める。

姫子「~~っ!?」

 姫子の頭は力を加えられる度に地面にめり込んでゆく。
そうして姫子の頭部が完全に地面に埋もれようとした時、それは起きた。

憂「っ!?」

 地面から突如光が溢れ出した。
それに遅れて轟音が鳴り響き、グラウンド全体の土を根元から巻き上げる。
爆発の規模は甚大で、その爆風は校舎にも及んだ。
衝撃と共に爆炎が生まれ、そこにある全てのモノを遠慮無く、躊躇無く、情緒無く食らい尽くした。

「全く、困った子達ね」

 自分達に襲いかかった爆風は例外無く全ての命を食らうだろう。
そう確信して目を閉じていた律、紬、梓、姫子の四人だが、それぞれ自分達が何者かに抱えられている事に気付く。

梓「ここは……?」

 梓は自分が今どこにいるのかを認識した。
抱え上げられた自分の身体の下には純と和の身体がある。
そして真っ二つに裂けた貯水タンク、飛び降り防止の高いフェンス。
それらの物からここが屋上であると判断した。

律「さわ……ちゃん?」

 律は顔を上げ、自分達を救った者の名を呼んだ。

さわ子「子供の喧嘩に大人が割って入るのは良くないけれど……。これ以上学校を壊されたらたまったものじゃないからね」

 桜高三年二組担任。山中さわ子は眼鏡の奥の両目を下げ、穏やかな笑みを浮かべた。

紬「憂ちゃん……」

 目を開いた紬はさわ子が上げた足の先に居る者を見て悲しそうな顔をした。

憂「……先生まで邪魔するんですか?」

 憂の身体は壊れた貯水タンクにめり込んでいた。
正確には、さわ子の足に脇腹を貫かれ、強引に貯水タンクに穿たれているのだ。

憂「ごほっ……」

 口から血を吐きながらも憂は自分の腹に刺さる足を引き抜こうとする。
だがさわ子の足はそれに動じずびくともしない。

さわ子「いい加減止めなさい。あなたの夢が世界征服なら止めはしないけど、復讐なんて馬鹿げた真似はさせないわ」

憂「嫌です」

 諭すように警告するさわ子を一瞥し、憂は即答した。
光を映さない漆黒の瞳はさわ子の身体を居抜くような圧力を放っている。

さわ子「分かってないわね。これは命令よ」

 さわ子は丁寧にセットしてある自身の髪の毛をくしゃくしゃと掻き、眼鏡を外した。

さわ子「旧桜高生徒序列トップ。『盲目白痴の魔王』山中 さわ子が命じるわ。今直ぐその下らない感情を破棄しなさい」

憂「…………」

 憂は押し黙った。
その気になれば自分の身体を穿つさわ子の足を引き抜く事も出来たのだ。
だがそれをするという事は自分とさわ子の戦いの火蓋を切る事と同義。
 目の前で鋭い眼光を放つ女の内に眠る、自分と同等の力を持つ凶暴な虎を垣間見た憂は、合理的かつ苦渋の選択肢を選んだ。

憂「でも……! そしたらお姉ちゃんは……」

さわ子「あなたのお姉ちゃんはまだ大丈夫。唯ちゃんの妹として生まれたあなたなら分かる筈よ」

 憂の目には光が宿り、さわ子の修羅の表情は柔和なものになった。

さわ子「辛いと思う、悔しいと思う。その気持ちは重々察しているつもりよ。でも怒りに身を任せて立花さんを責めちゃ駄目。あなた達全員、今は何があろうと身体を休める事が優先」

 憂の身体から足を抜き、さわ子は締めくくる。

さわ子「それが人間らしい利口な判断よ」

 今のさわ子が今ここにいる全員には菩薩に見えた。
だがその感動に浸る間も無く、上空で爆音が鳴り響く。

律「あれは……?」

紬「……琴吹財閥の自家用ヘリ?」

 黒塗りのヘリコプターにぶら下がっている梯子を見て驚愕した。

梓「唯先輩っ!」

 黒のスーツに身を包んだ初老の男が唯を抱えて梯子にぶら下がっている。
男の顔には幾つもの皺が刻まれており、表情は仮面のように固い。 律達がその男に目を奪われていると、ヘリの中から一人の少女が顔を出した。

いちご「『龍』は『沼』が頂いた」

 特に感慨も無さげに、いちごは言い放った。
 この狂った劇の総指揮を取りながらも表舞台に顔を出さなかった少女。
桜高生徒序列ナンバーフォー。若王子 いちごがついに舞台に舞い降りた。





 明らかにこの場にそぐわない存在感を醸し出している一台のヘリ。
その中からいちごが現れたのだから全員が驚愕するのも無理は無い。
 今、戦いの意志を捨て、混乱に陥っている一同を責める事など誰にも出来はしないのだ。

紬「何でここにあなたがいるの……」

 その中で、紬だけが他の者とは違う理由で驚愕していた。

紬「答えなさい斎藤っ!!」

 紬は吠えた。
いつもの朗らかな笑みは消え失せており、明らかに動揺している。
長年自分に付き添ってくれていた従者が自分の手の届かないところへ行ってしまっている事に紬は絶望した。

斎藤「…………」

 斎藤と呼ばれた黒スーツの男は何も答えなかった。
さも興味無さげに屋上にいる者達を一瞥すると、片手と片足だけで器用に梯子を登ってゆく。

紬「答えなさいっ! これは命令よ!!」

 瞳をぎらつかせて吠える紬を見て、律達は驚いていた。
そしてここまで紬を動揺させている斎藤が紬にとってどれほど大切な者だったのか、それを察する。

いちご「これ」

 その様子を見ていたいちごはヘリの中から一台のポータブルテレビを取り出し、紬に向かって投げた。
紬はそれをひったくるように受け取り、テレビに映る映像を見る。

紬「っ!?」

 映っていた映像は紬を更に驚愕させた。
画面の中ではスーツを来た男達がビルの中から段ボールを持って出てきている。
その様子を若い女性アナウンサーが中継していた。

『──琴吹財閥が解体されようとしています──』

 紬の頭に鈍器で殴り付けられたような衝撃が走った。

『──今回の件は──異例──』

 琴吹 紬が生まれた家。
そして彼女の父が築き上げた社会的地位が、脆くも崩れ去った瞬間だった。
 幼少時より自分を支え、育て上げてきたパトロンが消滅した事に耐え切れずに紬は膝を折る。

いちご「社会の金の流れを操るなんて容易い事。琴吹財閥は今日から若王子機関になったわ」

 いちごは地に膝をついた紬を見下ろし、冷笑を浮かべながら語り始める。

いちご「あなたの父の会社はありがたく使わせてもらう。あの環境は『龍』の解析に有効活用出来るから」

 『龍』という単語を紡ぐと同時にいちごは斎藤の腕に抱かれる唯を見た。

紬「どうして……」

 紬は自分の家を奪ったいちごに復習心を燃やすわけでもなく、その怒りを一人の人物に向けていた。

紬「斎藤!! よりにもよって何でその子に仕えているの!? 琴吹の家に誓った忠誠は嘘だったの!?」

斎藤「…………」

 紬の悲痛の叫びを聞いても、斎藤の口は開かない。

紬「どうして……どうしてよぅ……」

 紬は遂に地面を見つめ、涙を流した。
その様子をひとしきり眺めると斎藤は口を開いた。

斎藤「紬お嬢様」

紬「…………」

 紬にはヘリのホバリングの音さえも静まり返ったような気がした。

斎藤「私が忠誠を誓ったのはあなたの父でも琴吹財閥でも、ましてやあなたでもない」

 そこまで聞いて紬は自分が斎藤に尋ねた事を後悔した。
だが不思議にも斎藤の声を聞くまいと耳を塞ぐ事も、今の紬には出来なかった。

斎藤「私が忠誠を誓ったのは金ですよ。私の口座を満たしてくれる人こそが私の主です」

紬「金……金……金……。どうしてよ! どうしてお金の為にそこまで出来るのよ!!」

斎藤「それが世界の全てだからです」

 斎藤の言葉は悲しみにうちひしがれる紬の心を容赦無く食い荒らしてゆく。

斎藤「生まれた時から金に困った事が無いあなたには分からないでしょう。しかしあなたがもう少し大人になれば分かる筈です。『無償の元に成り立つ感情など、マイナスでしかない事に』」

 斎藤はそこまで言うと紬から視線を外し、梯子を登りきった。
そしていちごに連れ添うように隣に立つ。

斎藤「忠告しておきましょう。あなた達全員、この件に関わってはなりません。死にたくないのならね」

 最後に屋上を見下ろすと斎藤はヘリの機内に消えていった。

いちご「そういう事だから」

 それを追うようにいちごも踵を返して機内の奥に消えようとするが、それを遮る声があった。

律「待ちやがれ。唯をどうするつもりだ? このまま引き下がる軽音部だとでも思ってんのかよ!!」

 律は力強く床を蹴り、拳を振り上げる。

梓「まったく……。手間のかかる先輩ですね」
 それに鼓舞され、梓は太股に吊ってあるホルスターに手をかけた。

いちご「滑稽ね」

 その光景をまるで嘲笑うかのようにいちごは侮辱する。

律「んだとぉ!?」

さわ子「待ちなさいりっちゃん!」

 さわ子が飛び上がろうとした律を無理矢理押さえ込む。
だが律がそれで大人しくなる筈もなく、さわ子の腕の中で暴れる。

律「何でだよ! 唯がどうなっても良いのかよ!?」

 まるで駄々っ子のようだ。
いちごは率直にそう思った。
そしてその感情を隠そうともせず、卑しい笑みを浮かべる。
 いちごが唇に手を添えて笑みを抑えようとしたその時、いちごの真横のヘリの装甲が爆ぜた。

梓「何へらへらしてるんですか。理由次第ではそのお人形さんみたいなお顔が吹き飛ぶ事になりますよ」

 突き出した両手に握られた銃の銃口からは煙が漏れている。
漂う火薬と硝煙の臭いが梓の怒りをくすぐり、闘争本能を増幅させた。

さわ子「梓ちゃん!」

憂「ごめんなさい先生。やっぱり私も……我慢出来ないや」

 二人に感化された武神が腰を上げた。
憂の澄んだ瞳は再び、絵の具を滲ませたように黒に染まってゆく。 一触即発──。
 今の状況を形容するならばその言葉がぴったりだろう。
だが、本来ならば力量的に狩られる側である筈のいちごはせせら笑っていた。

いちご「この学校がどうなっても良いのなら、私が相手になるよ」

 その圧倒的自信を含んだ物言いは虚勢などではなかった。

さわ子「爆弾か何かかしら。今のあなたなら核を仕込んでいてもおかしくないわね……」

律「か、核ぅ!?」

 さわ子の推測はその場にいた一同を再び混乱させた。

いちご「核、とまではいかない。でもこの学校やそこで寝てる二人を吹き飛ばせるレベルの爆弾を仕込んでるわ」

 ブレザーのポケットをまさぐり、リモコンを取り出す。

いちご「取引しましょう? ここで大人しく引き下がるのなら、『生かしておいてあげても良いよ』」

梓「くっ……。卑怯過ぎます!!」

いちご「馬鹿正直に突っ込んで犬死にするのが正々堂々って言うんなら、私はどこまでも卑怯で良い」

 今のいちごには梓の叫びなど負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。

さわ子「全てあなたの思惑通りってわけね。良いわ、この子達は私が責任を持って止めます。どこにでも逃げなさい」

 行きなさいではなく逃げなさいと言う事が、今のさわ子に出来る唯一の抵抗だった。
握り締めた拳からは血が滴り落ちている。

いちご「…………」

 いちごは皮肉に応じる事無く機内の中に消えていった。
ドアが閉じられ、ホバリングしていた機体が発進する。

 去りゆく黒い機体を目で追いながら、律は唇を噛み締めた。

律「何でだよ! 何でこんなに胸糞悪いんだ! 喧嘩ってのはもっとこう……! 気持ち良いもんじゃねーのかよ!?」

 梓は握り締めた銃を手放し、崩れるように座り込んだ。

梓「私……分かりません。強さとは何なんでしょうか……? 人の痛みの上に成り立つ強さに、何の意味があるんですか!?」

 紬は頬を伝う涙を拭い、色素の薄い髪の毛を掻き毟りながらうなだれる。

紬「無償の愛なんて信じる年じゃないのは分かってる……。でも……! でも全ての戦いが無情であるなんて、私は信じたくない!」

 三人はひたすらに涙した。
三人の悲痛の叫びは共鳴し、どこまでも鳴り響いていた。

斎藤「全て……。あなたの思惑通りとなりましたね」

いちご「…………」

 ヘリの機内で向かい合って座る二人。
沈黙に痺れを切らせた斎藤は敬意と畏怖の念を込めていちごを讃えた。
だがいちごは興味なさげに、窓から見える景色を見下ろしている。

斎藤「……申し訳御座いません。出過ぎた事を言いました」

 機嫌を損なわせたと思った斎藤は即座に謝罪する。

いちご「……中野 梓が瀧 エリと交戦し、生き残ってグラウンドに辿り着く確率は九十八パーセント。琴吹 紬が佐藤 アカネと交戦し、生き残ってグラウンドに辿り着く確率は九十パーセント」

斎藤「はい?」

 斎藤は突如として語り始めたいちごに怪訝そうな返事を返した。
それも関係無しにいちごは続ける。

いちご「田井中 律が中島 信代と交戦し、生き残ってグラウンドに辿り着く確率は九十二パーセント。秋山 澪が木下 しずかと交戦し、生き残ってグラウンドに辿り着く確率は二パーセント」

 そこまで言うといちごは一旦口を噤み、機内のベッドの上に横たわる唯の顔を見つめる。

いちご「この子が立花 姫子と交戦し、敗北する確率は百パーセント。『龍』が覚醒した場合をパターンに含めると九十九パーセント。『絶対の彼方』を越えた二人の介入は予想外だったけど、それも上手く転んでくれた」

斎藤「予想外……。高名な策士であると聞いておりましたが、そんなあなたでもそのような言葉を使うのですね」

 いちごはそれを聞いて柄にもなく自嘲気味に微笑んだ。
そして両手をひらひらと振り、答える。

いちご「あの二人を思惑通りに動かせる人間はいないよ。一人は犬も食わないような曲者、もう一人は自分でも何しでかすか分かってないみたいだし」

 そこまで言うといちごは安らかに眠る唯の髪の毛をそっと撫でた。
綿毛を触るような柔らかい感触がいちごの指を弾く。

いちご「でも他は滞りない。琴吹財閥を解体してあなた達従者衆を引き入れる事も出来たし、秋山さんを負かして人質にする事も出来た」

斎藤「人質……ですか?」

 何に対する人質なのか、斎藤には理解出来なかった。

いちご「あの学校を壊す程度の爆発、山中先生と平沢 憂ならあそこに居た全員を背負って脱出する事も出来た筈」

 いちごがそこまで言って斎藤はようやく人質の意味を理解した。

斎藤「なるほど……。そこで敢えてあちら側の一人を負かして見えないところに放置しておく。そうする事で二重に人質を取ったわけですな?」

いちご「…………」

 斎藤の答えは百点満点のものだった。
だが姫子はそれを讃える事も驚く事もなく、無言で頷いた。

いちご「終わった策に意味は無い。無駄なお喋りはこれで終わりよ」

 いちごはずいっ、と斎藤に詰め寄り、抱き付きながら腰に手を回した。

斎藤「な、何を……?」

 完全に意表をついたいちごの行動に、斎藤は声を震わせた。

いちご「『この件には関わるな』だなんて、随分あの子達が心配みたいじゃない?」

 いちごは斎藤の膝に足を乗せ、耳元で囁いた。
斎藤はその官能的な吐息に思わず身体を震わせた。

斎藤「それは……。あなたの計画に邪魔が入らないようにと──」

いちご「惚けないで」

 斎藤の言葉を途中で遮る。
その声に抑揚は無いが、怒りの色が滲んでいた。

いちご「あなたが忠誠を誓って良いのは私だけ。何の欺瞞も挟む事は許さない。だから……」

 いちごはブレザーの袖口からナイフを取り出した。
そしてそれを後ろから、斎藤の肩に突き刺す。

斎藤「──っ!?」

いちご「お仕置き」

 その声にも抑揚は無かった。

いちご「私に確かな忠誠を誓って。悪いようにはしないから」

 斎藤は力無く頷く。

いちご「私の名前は若王子 いちご。私の前では悪魔だって全席指定。たとえ相手が誰であろうと真っ向から堂々と不意打ってあげるから」

 引き抜いたナイフから鮮血が滴り落ちる。
元琴吹財閥の所有ヘリの中に、鉄の香りが充満した。


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最終更新:2013年03月04日 19:44