桜高の校舎の屋上にて、五人の生徒が攻防を繰り広げていた。

律「だぁらああああっ!!」

 神速のスピードを乗せた律の拳が和に向かう。
迎え撃つ和はそれを刃の腹で受け止め、軽く受け流した。
その拍子に大きく体勢を崩した律の背中に刀の柄を叩き付ける。

梓「っ!」

 貯水タンクの上で梓がマシンガンを構えている。
律が和の射程範囲から外れた瞬間、梓はそれの引き金を躊躇無く引いた。
無数の弾丸が跳ね合い、計算づくで和の元に収束する。
和はそれを察知して片手をくいっと上げた。
それに呼応するようにコンクリートの足場が盛り上がり、和を守る盾になる。

紬「いきます!」

 強靱な盾となった足場の前に颯爽と現れたのは紬だった。
力任せにコンクリートを殴り付けるとそれは粉微塵になる。

和「へぇ……」

 舞い散る飛礫が凶器となって自分に襲いかかるのを見て、和は素直に感心した。
本来ランダムに舞い散る筈の飛礫が殆ど自分に向かってきている。
自分に悟られずにこんな小細工が出来るのはこの中でただ一人。

和「やるじゃない、律」

 だがそれではまだ届かない。
僅かに嘆息すると和は刀を自分の眼前で回し、全ての飛礫を叩き落とした。

律「はっ、私らの剃刀は二枚刃使用だぜ!」

 脇に現れた律に一瞬だけ気を取られた。
タンクの上では梓が自分に銃口を向けている。

梓「少し切れ過ぎるのが難点ですけど──」

純「はいざーんねん」

 梓が言葉を紡ぐのを純が遮った。
両手を伸ばして構えた二丁の銃が分解されて床に落ちる。

梓「っ!?」

 梓が驚愕し、後ろを振り返るとそこには気怠そうに欠伸をする純の顔があった。

純「駄目駄目だね。なーんで私が居るのを知っていながら皆和先輩に当たりに行くかなぁ?」

 純はそう言うものの、この三人に今の純の動きを観測しろというのも無理な話だ。

 純はこの時、三人の意識の穴を読み取り、絶え間なく動き続けるその穴を辿るように動いていたのだ。
武芸を極めた達人ですら一対一でやっと運用出来るような神業を、彼女は三人相手に欠伸混じりでやってのけた。

律「またかよ……」

紬「…………」

 律と紬はがくりと膝を折った。
幾度となく続いた攻防に身体は悲鳴を上げていた。

梓「ご、ごめんなさい……」

 梓はばつが悪そうに俯き、分解された銃を拾い集める。

 和「これでこっちの三十戦三十勝ね。そろそろ休憩しない?」

 和は脇に置いてあったコンビニのレジ袋を手に取った。
そこで初めて恵の差し入れの中身を見て絶句する。

和(酢コンブが……。四、五、六……三十個?)

 様々な思考が和の脳裏を過ぎったがその全ては頓挫し、破綻した。率直に言うと。

和(……意味が分からない)

 これをこのまま差し出しては自分の人格が疑われかねない。
それを理解した和は袋をそっと握り潰し、開けっ放しの純の鞄の中に放り込んだ。

和「……休憩がてらに軽く反省会するわね」

純「顔引きつってますよー? 具合でも悪いんですか?」

 普段は敢えて読まないのかは分からないが途方もなく空気が読めない行動を起こすくせに、こんな時だけは妙にあざとい。
そうは思ったものの和は口には出さなかった。

和「……まずは律ね」

律「げぇっ!? 私からかよ!」

 不満を募らせる律を余所に、和は脳内で先の戦闘の内容を整理する。

和「あんたは単調な攻撃と複雑な攻撃のモーションが違い過ぎるわね。陽動してるつもりみたいだけどそれじゃあまるで猿芝居よ」

律「ぐぅ……」

 和は刀を抜き、縦に振った。
剣圧で風が巻き起こり、散らばった飛礫が弾丸のような速度であちこちに飛散する。

律「うわっ!?」

 飛び跳ねる律を視覚すると、今度は純に向けて同じモーションで一閃を放つ。
刀の運動スピードが頂点に達したところで、雄々しい闘気の刃が現れた。

純「ちょっちょっ、ちょっとぉ!?」

 純は咄嗟に両手に緑の闘気を纏い、白刃取りの要領で闘気の刃を受け止めた。
相反する闘気は互いに打ち消し合い、硝子細工のように崩れ落ちる。

純「今殺す気だったでしょ!?」

和「まぁこれくらい出来れば上等よね」

純「いらっ」

 自分など眼中に無いといった和の態度に、純は思わず擬音を口に出してしまう。

律「ほあー……」

 惚けた瞳で先の一連の流れを見ていた律。
和はその律の瞳の動きを見落としていなかった。

和(私の闘気は見えてるみたいだけど、見せる気が無い闘気の流れは見えてないみたいね……)

和「次はムギ」

紬「はい!」

 これから咎められるというのに紬の表情は何処か期待を抱いているような晴れやかな表情だ。
相変わらずよく分からない子だ。
そうは思ったものの和は容赦無く紬を咎める。

和「ムギは……。私を狙うのを躊躇してたでしょ? そんなんじゃ蟻一匹殺せないわよ」

 言うと同時に和が紬の視界から消えた。

紬「う……」

 次に和が紬の視界に現れた時には、鈍色の刃が紬の首筋にあてがわれていた。

和「躊いはコンマ一秒のロスを生むわ。参考までに、あの序列三位の立花さんならその間に突き千発はいけるわね」

 紬は自分の認識の甘さを悔い改めた。
これから先いちごと対立するという事はその配下である元琴吹家の従者衆を相手にするという事だ。

紬「ごめんなさい……」

 仮に自分と斎藤がぶつかるとして、今のように躊躇する事は無いと断言出来るか。その答えはノーだ。

和「次は……」

純「あ、私が言いますよ。多分思ってる事は一緒でしょ」

 和が梓に言葉を投げ掛けようとしたのを純が遮る。
そして梓の肩を叩いた。

純「戦力外だね。多分伸びる見込みも無いしもう帰って良いよ」

梓「──っ!?」

 梓は助けを求めるように和の方を見た。
だが無情にも、和はゆっくりと首を縦に振った。





梓「そんな……」

 心臓の鼓動が頭に鳴り響く。
肺が締め付けられているかのように呼吸がしづらくなる。
梓の目には自然と涙が溜まっていった。

和「……残念ながらその通りね。打たれ弱さ、接近戦に対する消極的な姿勢。この二点だけでも致命的よ」

梓「っ!」

 涙が表面張力の限界を迎え、梓の頬を伝った。
それでも和の言葉は止まらない。

和「それがあなたに合った戦闘スタイルとも思えないわね。銃を握るという事がどういう事なのかも分かってないみたいだし」

梓「銃を……握ること……?」

 梓は投げ掛けられる辛辣な言葉に胸を締め付けられる。
絞り出すように言葉を紡ぐ様子はとても痛々しかった。

和「例えば」

 和は屋上のフェンスぎりぎりの位置まで歩き、梓の方へと向き直る。

和「ここからあなたが銃を撃つのと私があなたの懐に潜り込むのとでは、どっちが速いと思う?」

 答えは火を見るより明らかだった。
攻撃手段に銃を用いるという事は、自分が引き金を引いて弾が射出されるまでの僅かな時間ほぼ無防備になるという事だ。
常人からすればそんな僅かな隙などあって無いようなものだが、桜高においてそんな常識は通用しない。

梓「…………」

 梓は何も言わずに俯いた。
小さな肩は小刻みに震えており、拳は固く結ばれている。

律「おい和──」

和「単刀直入に言うわ」

 見るに耐え兼ねた律が割って入ろうとするのを片手で制し、和は梓に辛辣な言葉を吐く。

和「『射手』という名に甘んじて傷付く事を恐れるくらいなら、初めからそんな子はいらないの」

梓「──っ!」

 梓の中で何かが崩れ落ちた。
手の甲で涙を拭い、荷物を纏めて校舎へと戻ってゆく。

紬「梓ちゃん!」

 紬の制止などまるで耳に入っていないのだろう。
梓は脇目も振らずに屋上を飛び出した。
残された四人の間に流れる空気は険悪で、いつぶつかりあってもおかしくはない状況だ。

律「おい! ありゃいくらなんでも──」

和「分かってるわ。悪いようにはしないから黙って見てて」

 和は身を踏み出そうとした律を制し、ポケットから携帯電話を取り出した。
電話は繋がったようで、何やら意味深な事を話している。

和「そうそう。軽音部の中野 梓って子」

 梓の名前が会話に出てきたのを律と紬は目敏く聞き付けた。

和「ええ。多分その辺りを通ると思うから、『好きにしていい』わよ」

律「──っ! 和お前!」

 律は自分の身体を止めようとはしなかった。
ただ怒りのままに駆け出す。

純「おっと、それ以上は駄目ですよ」

律「くっ……」

 間に割って入ってきた純の威圧に気圧され、律は咄嗟に足を止めた。

和「ええ、それじゃあまた夜に」

 携帯電話を閉じ、和は溜め息をついた。
その表情にはどこか安堵の色が見え隠れしている。

律「梓をどうするつもりだよ!」

純「あー、面倒臭いなぁもう! 頭ぶん殴りますよ!?」

 律を取り押さえる純の表情はいかにも気怠そうで、今の状況をどれだけ面倒に思っているかが鑑みられる。

和「大丈夫よ、律」

 和は組み伏せられかけている律の顔の位置に合わせて屈んだ。
律を見る表情は穏やかで、先程梓を突き飛ばした者と同一人物とは思えない微笑みを浮かべていた。

和「あの子は強いわよ。二年生であなた達と肩を並べて戦えてるんだから」

律「え?」

 思ってもみなかった言葉に律は呆然とした。

和「ただ生真面目過ぎるのよ。素直に褒めたところで自分を卑下するばかりで伸びやしない。なら……」

 和は落ちた飛礫を拾い上げ、握り締めた。
飛礫は更に細く砕け、風に流されてゆく。

和「徹底的に突き放して揺らぎを作ってあげれば良い。不安定ながらも周りのものの干渉を受けやすいその精神こそが……」

純「『絶対の彼方』を越える為に不可欠な心、ですね」

 純が律から手を放す。
和の言葉を聞き入っていた律は勢い余って床に額をぶつけた。

紬「という事は梓ちゃんは……」

和「心配無いわよ。あの子を強くしてくれるアテなら一つだけあるわ」

 先程まで暗かった紬の表情が打って変わって明るくなった。

紬「じゃあ戦力外なんかじゃないのね!?」

和「今のままならさっき私があの子に言った事もあながち間違いじゃないわ。でもきっとあの子は壁を越える、足元すくわれないようにしときなさいよ?」

 どんな時でも他人を慮る紬の態度に、和は感心を通り越して呆れつつあった。
しかしその反面でそれを尊敬する自分もいる。
いつであろうと友を気遣い、自我を殺すという事は簡単な事ではない。

紬「分かったわ!」

 その紬が大きく心を揺るがされる事になるとは、この時は誰にも分からなかった。

姫子「うん、そっちの方は任せといてよ。やるだけやってみるからさ」

 姫子は通話を終えると携帯電話を閉じ、胸ポケットに閉まった。

エリ「誰から?」

アカネ「真鍋さんでしょ。今日の件は大丈夫?」

 校門の前で姫子、しずか、エリ、アカネの四人がそぞろになって歩いている。
傍から見れば微笑ましいその光景、この四人の一人一人が一騎当千の実力を持ち、その内一人は並の一個小隊ならば個人で壊滅させられる力を持つ事など誰に予想出来るだろうか。

姫子「そっちは大丈夫なんだけど……。きゃっ──!?」

 いきなり飛び出してきた生徒とぶつかり、姫子はよろめいた。

梓「ごめんなさい!」

 姫子とぶつかった生徒は梓だった。
梓はちらりと姫子の方を振り向くと、掠れた声で謝罪した。

エリ「梓ちゃん……?」

しずか「知り合い?」

エリ「うん、そうなんだけど……」

 エリは梓の顔を訝しげな目で見つめた。
梓の頬には涙が伝った後があり、よく見ると瞳には涙が溜まっているのが分かる。

エリ「何で泣いてるの?」

 エリの問い掛けに対して梓が答えようとしたその時、姫子が梓の前へと歩み寄った。

姫子「中野 梓ちゃんかーくほ」

 姫子は梓の肩にそっと手を置いた。
姫子の意図が分からない四人は同時に首を傾げた。





唯「いーちごちゃん!」

いちご「…………」

 南極大陸を拠点とする若王子機関の本部。
その一室に唯の声が響く。
部屋に入り、いちごを視覚すると同時に抱き付いてくる唯をいちごは止めようとはしなかった。

いちご「離れて」

唯「もーう、いけずぅ」

 抱き付いてきたまでは特に反応を示さなかったが、頬を擦り寄せられてしまっては行動に支障が出るからなのだろう。
いちごは若干不機嫌そうな顔をして、読んでいたハードカバーの本を閉じた。

いちご「何の用?」

唯「いや、用という用は特に無いんだけど……」

 冷たい切り返しに唯はしどろもどろになってしまう。

 いちごはその様子をひとしきり眺めると小さく溜め息をついた。

いちご「退屈?」

唯「うん……」

 唯はしゅんと顔を俯けた。
まぁ無理も無いだろう。いちごは思った。
たとえギターを持たされているとはいえ、親しい友人など一人も居ないこの環境でほぼ寝たきりの生活を強いられているのだ。
 傍から見ていても飽きっぽい性格である事が分かる唯に耐えられる筈もないだろう。

いちご「薬の量も増やしてもらったからきっと早く元気になるよ。だからもう少し頑張ろう?」

 いちごは言い終えた後で少し饒舌過ぎたかと思った。
だがそれは杞憂だったようで、唯はどこか安堵したような笑みを浮かべる。

唯「うん、ありがと」

 不意に唯に手を取られ、いちごは跳ね上がりそうになった。
冷たい自分の手とは対照的に、唯の手は温かかった。

唯「いちごちゃんの手冷たいね~」

いちご「…………」

 撫でるように優しく、唯はいちごの手を包み込む。
自分の矮小さを認識させられているようで、いちごはたまらず目を伏せた。

唯「知ってる? 手が冷たい人は心が暖かいんだよ」

 小学生でも知っているような下らない迷信だ。
そう思ったがいちごは口には出さなかった。

いちご「もしかしてその迷信、本気にしてる?」

唯「えっ!? 嘘だったの?」

 唯はいちごの手を握ったまま固まってしまった。
どうやら本気にしていたようで、驚愕のあまり目を丸く見開いている。

いちご「それに私の心が暖かいなら他の人は聖人君子でしょ」

唯「んーん、いちごちゃんは優しい子だよ」

 唯の表情は打って変わり、聖母のような優しい笑みになった。

唯「たまに冷たい子だなとは思う事もあったけど、皆の事無視したりなんかはしないじゃん」

 直後にいちごの心臓は跳ね上がった。
唯がいちごを抱き寄せたのだ。

唯「それってきっと、いちごちゃんは口下手なだけなんだよね? クラスの皆の事が嫌いなんじゃないよね」

いちご「暖かい……」

 いちごは目を閉じて唯の身体の温もりを噛み締めた。
いっそこの優しさに溺れてしまおうか。そんな脱力感すら湧いてくる。

唯「ふふっ、あったかあったか」

 そっと頬を擦り寄せてきた唯の髪の毛をいちごは手の中で弄った。
柔らかい癖毛はいちごの指の間をするりと抜けてゆく。

唯「くすぐったいよ~」

 唯はほんの少しだけ身震いしながらも、反撃にいちごの脇に手を回した。

いちご「ひゃっ──!?」

 脇をくすぐられたいちごは思わず飛び跳ねる。
だが不思議と悪い気はしなかった。
いちごは思う、今暫くは甘んじようと。
決意の元に人間を辞める、その前の僅かな小休止として。





梓「あの……。何処に向かってるんですか?」

姫子「なーいしょ」

 梓の前を歩く姫子がちらりと振り向いた。
妖艶とも不気味ともとれる姫子の笑みは梓を不安に駆り立てる。
 梓の両脇にはエリとアカネが並んでおり、その後ろをしずかが着いて来ている。つまり……。

梓(もしかして、エリ先輩のお礼参り……!?)

 そんな思考に至る辺り、梓はそれほど先の叱責を気に病んではいないのだろうか。
今和がいれば間違いなくそう突っ込みをいれるだろう。

しずか「えー……と。梓ちゃんだっけ?」

 不意に後ろから聞こえた声に驚きつつも、梓は振り返った。

しずか「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。私達別に……、あなたの事どうこうしようなんて思ってないからさ」

 しずかは言いながらもこの状況では説得力は無いか、と内心一人ごちる。

エリ「あれ~? しずかったら小さい子同士だから親近感湧かせてちゃってる?」

 いたずらな笑みを浮かべてエリは言った。
だがしずかに身の丈に関する話題を振る事はタブーだった。

しずか「~~~~っ!」

エリ「ちょっ、痛い痛い! いたいったら!」

 しずかは半べそをかきながら駄々っ子のようにエリの背中を叩く。
ポカポカという擬音が聞こえてきそうなその光景は、少なからず梓の緊張を弛めた。

アカネ「もう止めなって! あんた達二人が騒ぎ出したら収拾つかなくなるんだから!」

 アカネが二人の間に割って入ってゆく。
その様子を姫子はうっすらと微笑みながら見ていた。

梓「止めなくて良いんですか?」

姫子「んーん、いらないよそんなの」

 姫子は梓に背を向け、両手を組んで前に突き出し、大きく伸びをした。

姫子「今は暫定的にあの子達の頭として動いてるけど、私こういうの苦手だし」

 組んだ両手を解き、頬に纏わりついた髪を払う。
モカブラウンの髪の毛は風に流れ、姫子の表情が露になった。

姫子「好きにさせとけば良いんだよ。私達はそれで大丈夫」

 姫子の表情は自信に満ち溢れているようだった。

梓「…………」

 自分が直視する事すらおこがましく思えてくる。
いつか自分も、こんな強さを持てるだろうか。
梓はかつて唯と出会って抱いた感情を姫子にも抱きつつあった。

姫子「お、良い風」

 吹き付ける風は五人を優しく包み込んだ。
本人は否定してはいるものの、新しく現れたこの勢力のリーダーは間違いなく姫子が適任だろう。
 この星の存続すら揺るがす力を持つ姉妹。
彼女らの行く末を側で観測する新たな勢力。
その名は『星の観測者』─スターゲイザー─。

 辿り着いた場所は寂れたボーリング場だった。
不況の波に煽られて既に営業はされておらず、一時は不良の溜まり場にでもなっていたのだろう。
壁には落書きが広がっており、酒の缶や煙草の吸い殻が散らばっている。

梓「気味が悪いですね……」

姫子「仕方ないよ。一般人に迷惑かけないでそれなりのスペースがあるところっていったら限られてくるもん」

 姫子はカウンターを飛び越え、その奥の扉を開いた。
店のバックヤードとして使われていたであろう狭い部屋が広がる。
そこで三人の生徒が何かの作業をしていた。

キミ子「おっ、遅かったねー。でも丁度良いかも」

 褐色の肌の少女キミ子が振り向いた。
壁に張り巡らされた何かの配線を弄っているようで、頬の辺りが若干煤けている。

姫子「直った?」

キミ子「多分ね。よしみちゃん、電源お願い」

 病的なまでに肌が白い大人しそうな少女が無言で立ち上がった。
脚立を昇り、ブレーカーらしき装置を操作したかと思うと、仄暗かった部屋が明るくなる。

三花「やったーっ!」

 部屋の隅でバレーボールを壁に当てて遊んでいた三花が飛び跳ねた。

姫子「やっとそれっぽくなってきたね」

 姫子に遅れて他の三人もバックヤードに入ってくる。
それぞれが何とか座れそうな場所に腰掛けた。

梓「どんだけアクティブなんですか……」

 華の女子高生がこんなところで怪しげな活動をしている。
それだけで梓とは無縁の光景だった。

姫子「それじゃ取り敢えず……」

 姫子はよしみとキミ子に目配せすると、軽く指を弾いた。
それとほぼ同時に二人が梓の視界から消える。

梓「え?」

 ホルスターに手をかける暇すら無かった。
キミ子とよしみは梓を中心に円を描くように駆けた。二人の手に握られているのは鋼鉄の鎖、つまり。

梓「ちょっ、何なんですか!?」

 リーダー格である姫子に向けて叫ぶが、当の姫子は唇に指を添えて何か考え込むような目をしている。

キミ子「余所見してる場合じゃないよん!」

よしみ「それともハナから眼中に無い? 心外ね」

 片手は鎖をがっしりと掴み、もう片方の拳は梓目掛けて固く握られている。
 逃げられる場所は?
 上。右。左。前。後。
スペースは狭いながらも無いこともない。だがしかし身体が動かない。

梓「ぐふ──っ!?」

 よしみの拳は梓の鳩尾を的確に捉え、キミ子の拳は頸椎を捉えた。
肉弾戦の経験に乏しい梓が二人の攻撃を受け流せる筈もなく、梓はそのまま力無く膝を折り、床に伏した。

梓「な……。何で……?」

 畜生、踏んだり蹴ったりな一日だ。
梓はそうやって毒づきたくもなったが鳩尾への衝撃が強過ぎて言葉が紡げなかった。

姫子「へ?」

 朦朧とする意識の中で梓が最後に見たのは、素頓狂な表情を浮かべる姫子だった。


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